145.田舎は安全だと言ったな、あれは嘘だ
イーリスの実家まで結構距離があると聞くと、イェルケルたちはもし良ければ護衛についていこうかと申し出る。
殿下商会の尋常ならざる戦闘力を知っているイーリスは、その申し出の裏がわからず怪訝そうな顔をするが、きっとあのアニータという貴族の縁者がこちらを探しているから面倒なのは御免なので逃げる、と言えば一応納得はした。
イーリスからすれば不気味ではある。戦闘力は高いが金を欲しがるでもない集団だ。だが実際話してみるとそんなに悪い人にも思えなかったので、イーリスは深くものを考えるのを止めた。
実家を含めイーリスを騙して得られる程度の何かをイェルケルたちが欲しているとも思えなかったのと、相手に本気になられたらイーリスが何をしても無駄だと思えたせいだ。
それに同世代の女の子との旅は、おっさん商人との荷馬車の旅よりよほど楽しいものであった。
レアやアイリもイーリスと同じであったようで、旅の最中は何かと三人一緒にいて景色を見てはあーでもないこーでもないと騒いでいた。
イェルケルとスティナはこれに少し距離を置き、微笑ましい顔で見守っている。
スティナに話しかけるイェルケル。
「レアはともかく、アイリもああやってはしゃぐというのは少し意外だったな」
「あの子、あれで仕事する時とそれ以外とできっちり分けますから。遊ぶ時はもうびっくりするぐらい子供してますよ」
言われてみれば心当たりのあるイェルケルだ。
「あー、確かになぁ。でもああやって楽しく息抜きができるんならそれに越したことはない。スティナははしゃいだりしないのか?」
「性格なんでしょうね、ああいうのは昔からあまり合いませんでしたわ。殿下は?」
「あれ子供っていうか、女の子だぞ。私が混ざってどーする」
「あら、姉妹の方とよく遊んでいたのでは?」
「……君のそーいう所、ほんっと直した方がいいと思う。いやもう切実に」
こればっかりは、と笑うスティナ。恨みがましい目でスティナを見るイェルケル。
「いじわるスティナの呼び名は、悪口でもなんでもなく事実そのものだったか」
「それ、どこ行っても言われるんですよねぇ。確かにちょっと自重した方がいいかもしれません。……正直、レアにそれ言われるのちょっとヘコみますし」
「君の自重するって言葉ほど、信用ならんものはないんだよなぁ……」
少しむっとした顔でスティナは、いじわるでんかに仕返しじゃー、と襲い掛かりその髪を面白おかしくいじりだす。
何やら賑やかなイェルケルとスティナの二人を、アイリとレアとイーリスの三人が見ていた。
イーリスはこそこそと小声で。
「あの二人って、もしかして恋人同士、とか?」
肩をすくめるアイリ。
「あれが恋人同士に見えるか? 兄妹のじゃれあいにしか見えんぞ」
「むむ、確かにそーかも」
レアはちょっと真顔になる。
「イーリス。私たちは女三人に男一人。その辺はとてもびみょーな話になる。興味があるのもわかるけど、あんまり踏み込みすぎないで」
「あー、うん。ごめん、つい。でも、スティナにアイリにレアがいたら、あの方でも勝ち目ないわねえ。アニータ様美人だとは思うけど、さすがに相手が悪いわこりゃ」
踏み込むなとか言っておきながら、イーリスの話に乗ってくるレア。
「でんかは見た目にあまり引っ張られない。昔っから美人ばっか見てきたんだって」
「随分と贅沢な環境ねえ。とてもそうは見えないけど、娼館の出とか?」
イーリスの何気ない発言に、アイリとレアは同時に目を丸くする。
確かにレアの言葉だけを拾って考えればそういった答えも導きだせるかもしれない。だが、イェルケルと娼館という単語がどうにも繋がって考えられないのだ。
しみじみと語るアイリ。
「他人の目線というものは、常に新鮮さと驚きに満ちているものだな。身内から見たものだけではなく、外から見たものにもきちんと思いを馳せるべきであるか」
突然、その場でおなかを抱えて笑い出すレア。
「で、でんかが娼館……見てみたい。すっごい見てみたい。どんな顔して女の人に手を出すのか。うわ、かっこつけて、俺凄いんだぜーとかやりだしたら絶対笑う。向こう一週間は笑い転げられる」
頭を抱えるアイリ。
「お前は……スティナの悪趣味が移ったか。殿下が娼館に行くというのなら、黙って知らぬフリをしてやるのが情けというものであろうに」
「そーいうこと当たり前に言うから、アイリは心がオスだって言われる」
イーリスは思った。スティナだけでなくアイリもレアも全員ひっくるめて、この四人は兄妹みたいだなと。
イジョラで観光をするのなら、イーリスの地元の方にはあまり来るべきではない。そうイーリスは殿下たちに言った。
別に地元を卑下しているわけではなく、イーリスの地元であるイジョラ北東部は中央との流通路である都市以外はあまり経済が発達しておらず、つまるところ金がない。
金がなければ人も集まらず、人が集まらなければ面白い人間の数も、まあそれなりにしかいないというわけだ。
ただイェルケルたちの目的は時計の街で、多少遠回り程度で行ける場所がイーリスの地元なので、あまりそこは気にならない。むしろ諜報活動としては栄えていない街を見てみたいというのもあった。
イーリスは自分の故郷をこう語る。
「お金はないけど、みんなのどかでのんびり過ごすにはいい所よ。そりゃ、中央とかの方が楽しいことは多いけど、逆に嫌な話も出てくるしね。そういうのとは無縁でいられるだけでも、私は地方っていいと思うんだけどな」
そんな話を地方の人間であるイーリスが言うのだ。普通田舎の娘というものは、中央やらにもっと夢を見ると思うものなのだが、とその辺をレアがつっこんでみると、イーリスはぱたぱたと手を振って言った。
「私みたいな貴族のはしっこに辛うじて引っかかってるようなのは、本物の貴族なんてものと絡んだらロクなことにならないのよ。どうせ私なんて大した魔法も使えないし、身の程って奴を知ってないとね」
そうでないと、ととても深刻な顔になるイーリス。
「その気全くないのに中央の政争に巻き込まれて殺されかけるなんて目に遭うから。ていうか、私だってね、そこまでヒドイとは思ってなかったわよ。ちょっと近場の貴族の家に侍女仕えするってなった途端このザマとか、もうホントおエライ人とは未来永劫関わり合いになりたくないわ」
かなり深刻な話のはずなのだが、そんなイーリスを見てレアとスティナは大笑いしていた。
イェルケルとアイリは多少なりと気を使ったのだが、せめて笑いでも取れなきゃやってらんない、とイーリスもまた笑っていた。見た目以上にタフな神経の持ち主であるようだ。
いずれ、中央の政争とは無縁でいられるというのは、他のどんな不利益よりもずっと素晴らしいことだろう、とイーリスは言う。
不思議そうに問うアイリ。
「イーリスは中央の政争がいかなるものか知っているというのか?」
「母がね、あっちで子爵様の侍女やってたの。それはそれはもう、とてもここでは口にできないような話も山ほど聞かせてくれたわよ」
「なるほど、な。で、実際のところ、中央の貴族はどうだった?」
「正直、母の話は話半分に聞いてたけど、あれきっと全部本当のことだったんだなって、今なら思えるわ。てか母にも今回のは予想外だったんじゃない? まさか…ねえ……」
いきなり王女様の侍女やらされた挙げ句殺されかけるとか、中央の洗礼にしては行き過ぎていように。
イェルケルが慰めるように言う。
「本当に災難だったな。とはいえ危機は抜けられたんだから、しばらくは実家でのんびりするといい」
「ええ、そうするわ。殿下も……ああ、ここ数日で殿下呼びに慣れちゃった自分が怖いわ……と、ともかく殿下たちも少しゆっくりしていってよ。お礼にウチのとびっきりのパンごちそうするわよ」
「はは、そいつは楽しみだ。ところで……」
ここはもうイーリスの実家の領内である。それもかなり奥まで来ているはずで、そろそろイーリスの屋敷が見えてきてもいいはず、といったところだ。
イェルケルは進行方向から聞こえてくる音に関して、イーリスに問うた。
「あの騒がしいのはこの街の特色か何かだったりするのか?」
人が集まった喧噪の音と怒鳴り声。
イーリスはぎょっとした顔でそちらを見る。イーリスの屋敷、つまりここらの領主の屋敷前に、多数の人だかりが出来ている。
挙げ句集まった人間たちが屋敷に向かって怒鳴ってるとなれば尋常な事態ではない。
「我々は! 領主たちの横暴を決して許さない! これまでに犠牲になった者たちのためにも! 領主一族は我らの前に出てきて己が罪を告白せよ!」
うわぁ、といった顔のイェルケルたち殿下商会と、目が点になっているイーリス。群衆はそんな彼らなどお構いなしに怒鳴り続ける。
「うぉらぁ! こんの臆病モンが! 顔出さんかい!」
「やったろうじゃねえか! ああ!? 貴族だろうと勝負してやるよ!」
「おら、かかってこい! かかってこねえか! 貴族様は根性ねえなあおい!」
「平民の後ろに隠れるしかできねえのか! そんだけで領主様だって威張っていられんだから楽なもんだ!」
怒り心頭の群衆が領主の館に詰め掛けている。そう見える風景に絶句しているイーリスを他所に、イェルケルが目配せするとスティナは動く。
百人以上の人間がこの騒ぎに集まっている中を、フードを被ったスティナがするりとすり抜けていき、そして特に何をするでもなく戻ってくる。
スティナがイェルケルに耳打ちすると、まだ硬直したままのイーリスにイェルケルは訊ねる。
「なあイーリス。この騒ぎの中心にいる連中の顔、見覚えあるか確認してもらえないか?」
驚きのあまり思考が半ば停止しているイーリスは、スティナに手を引かれるがままにその集団の中心が見える場所へと移動する。
イーリスはそこで集まっている人間の顔を見るが、彼女が見知った顔はそこに一つも見られない。疑問に思うイーリスにスティナが答える。
「え? 何これ、どういうこと?」
「中心部の連中、全員一人の例外もなく農民じゃないわよあれ。若いのが多いけど、あの手、どう見てもきちんと働いてる人間の手じゃあないわね」
言われて再び彼らを見るイーリス。確かに、あの顔は農民の顔ではない。ここは田舎であるからして、街の人間のほとんどは農業に従事しているはずなのに。
ただ、中心部で騒いでいる連中とは別に、その周囲に見物に集まっている人間にはイーリスも見覚えがあるという。
スティナは悪口雑言を並べ立てる群衆を注視しながら言う。
「んー、中央の強面と、優男。この二人、ぐらいかな。特に優男の方はこれ、どっかできちんと教育を受けて……」
その気配はスティナにとっても意外すぎた。
これまでの旅で、イーリスは田舎貴族の娘にしてはあるまじき賢さを持つ娘であるとスティナにはわかっていた。
ちょっと賑やかすぎる所もあるが、それはこの年の娘ならばよくある程度でしかなく、そんな賢い娘が、いきなりこの群衆の前に飛び出していくというのはスティナにも読めなかったのだ。
油断もあろう。イーリスの憤怒の気配を見逃したスティナの不覚である。
スティナがそれと気付いて手を伸ばすも届かず、イーリスは怒り顔のまま群衆の前へと飛び出していた。
「ちょっと! アンタたちさっきから黙って聞いてればどういうつもり!」
その時スティナが真っ先に思ったのはイーリスの身の安全云々ではなく、これは絶対殿下に怒られる、であった。
言いたい放題の群衆の前に一人怒り顔で立ち、これを堂々と睨み返すイーリス。
「ウチをどこだと思ってんのよ! ウチはねえ! これまでお勤めをただの一度だって怠ったことがないのよ! なーにが不作よ! ウチの領地に限って不作なんてこと絶対にありえないわよ! アンタ達! どこの馬の骨か知らないけど人の領地のことロクに知りもしないで思いつきで言葉吐いてんじゃないわよ!」
それはもう威勢の良いタンカであった。だが、そもそも、相手に議論する気は欠片もないのである。
群衆の中心にいた男に一人の男が耳打ちする。耳打ちした男にだけはイーリスは見覚えがあった。鍛冶屋のドラ息子。ロクに働きもしないで遊びほうけているボンクラである。
中心部にいた優男が声を張り上げる。あれこそは圧政の元凶、領主一族の者であると。すると集まった群衆の殺気が一段と増した。
誰一人イーリスの言葉なんて聞いてはいない。誰もが口々にイーリスを罵り、脅し、怒鳴りつける。
まさか言葉を交わすつもりもなかったとは考えてもいないイーリスは、その反応に驚き、そして対応する術がないことを悟る。ようやく彼らの目的をイーリスは知った。彼等は話し合いに来たのではない、襲撃に来たのだと。そしてこうして声を挙げているのは話をするのが目的ではなく、集まった街の人間たちに自らの正当性を主張するためであったと。
昨今噂の反乱軍が、この街に来たのだと。
たったこれだけの情報からそこまでを察することのできるイーリスは、確かに賢い娘であった。なのにこうして飛び出してしまったのは、自らの激情を収める術がまだ甘かったのと、単純に連中の言い草があまりにヒドすぎたせいである。
今更退くも逃げるもできず進退窮まったイーリスの後ろから、少し怒った調子の声が聞こえてきた。
「スティナ貴様、よりにもよってイーリス絡みでしでかすとは……」
「あー、もう本当悪かったってば。今回のはかんっぜんに私の油断だったって」
「ほんっと、スティナは、ここぞで大きな失敗をする。だからアテにできない」
「れーあー、そういう悲しくなるようなこと言わないでよー」
「いや、まあ、話が早くなったって思うことにしよう。イーリスもやる気になってるみたいだしさ」
「でんかっ、私いっしょーでんかについていきますわっ」
「知ってる。何を今更」
殿下商会の四人が、イーリスを取り囲むように配置する。
そしてイェルケルがぼそりとイーリスに告げる。
「君の身は私たちが守る。だから言いたいことがあるんなら思い切り言ってやれ。連中が口論途中で暴力に訴えてきたら、まあ、つまり、こちらの望むところというわけだしな」
イーリスは当たり前にそんなことを言うイェルケルに、驚き顔のまま問い返す。
「え、でも、あの人たち百人以上いますよ?」
「所詮ならず者程度だ。蹴散らすだけなら私一人でも十分さ。君を守るが加わるんならもう一人いれば十全だ。数は少なかったけどあの襲撃者の方がよほど強いだろうよ」
殿下商会の武力はイーリスもその目で見ている。それにここまでの道中、色々な遊びをしている中でレアとアイリの人間離れした能力をずっと見てきたのだ。
そのうえで殿下がそういうのなら、とイーリスも納得はする。だからと怖いのがなくなるわけでもないのだが。
ただ、怖いを腹立つが上回っているので、イーリスは怖じることなく怒鳴りつける。
「卑怯だの臆病だのさんざ言ってくれちゃってるけどさ! 人数揃えて衆を頼みに無法しようってのはアンタたちじゃない! なーにが民の怒りよ! この辺の土地の人間なんてそこのお調子者ぐらいしかいないじゃない! 他所者が偉そうにこの土地のこと語ってんじゃないわよ!」
もちろん、優男の言葉は怒らせるのが目的で発せられているものだ。これで激昂して飛び出してくる馬鹿貴族ならば話は実に早くなる。だが、さんざ罵り声を上げてもここの領主は全く動きを見せず、出てきたのはどうやら偶々外にいたらしい四女だけだと。
それでもこれは好機だ。どうやら領主はこちらの挑発に乗るほど愚かでもないようだし、ならばこの娘を血祭りに上げ熱狂するままに屋敷に乗り込めばいい。
優男はそう判断し、最も戦闘慣れしている男たちをイーリスの前へと集める。
優男が頼りとする戦士は全部で十人。だが、その内の一人が指示に従わず前ではなく横に回る。
不審げな顔で彼に声を掛ける優男。
「おい」
「ああ、せっかくだからって奴だ。こっちに十人寄越せ。戦闘が始まったら裏から回って貴族の退路を断つ。逃げられるのは面白くねえだろ?」
優男が怪訝そうな顔になったのも一瞬で、すぐに自己解決する。
「娘を見捨てて逃げるのか? ……ああ、いや、その通りだ。それが貴族というものだった。よくぞ気付いてくれた、大したものだ、君にはきっと軍師の才がある」
「おいおい、くすぐってぇからやめてくれ。そんな大層な話じゃねえだろ。んじゃ十人借りてくぜ」
「ああ、二十でもいいぞ」
「屋敷の連中はこっちを見てる。動きすぎるのは良くねえんだ、わかるだろ」
「うむ、うむ。まさにその通り。アジトに帰ったら君の働きは必ず報告させてもらう、よろしく頼むぞ」
「あいよ」
男は十人を引き連れこの場を離れる間を計る。
そして、内心で肩をすくめる。
『あそこまで持ち上げられると居心地悪いな。俺ぁよ、ただ単に。アイツらの気配がヤベェもんに思えてならねえだけだってのによ』
先頭の色男とフードで顔を出さぬ三人。背丈はそれほど高くない、というよりかなり小さいのが二人。だが、男がかつて戦場で見た、最も危険な魔法使いの佇まいに、連中の立つ姿が酷似していると思えたのだ。
なので男はとりあえずこの場から離れようとしたわけだ。もし気のせいならばそれでよし。本当にヤバかったのなら、全力でそのまま逃げるという話である。
色男の前へ向けずずいと進んでいく荒くれ者たちを見ながら、男は集団の輪の外端で、騒ぎが起こる瞬間を待ち構える。
『血を見た瞬間だな。その時ぁ、集まった平民共もみんなそっちに注目する。……まったく、なんだってこう俺って奴ぁ、逃げるのだけ上手くなっちまってんのかねぇ』
イジョラという、魔法使いがどこから出てくるかわからない国では、体つきや動きだけで相手の戦力全てを見極めることはできない。その人間が醸し出す雰囲気、立ち居振る舞いといったところまで注視しなければならない。できなければ、至極あっさりとした死が待ち受けているのだ。