141.馬鹿が馬鹿やってる間にも世界は回っていくもので(魔法兵団編2)
パニーラの屋敷の中、応接室に通されたテオドルはそこでパニーラと共に椅子に腰掛ける。
テオドルは気になっていたことを率直に聞くことにした。
「で、お前なんだって本気で謹慎なんかしてんだ? つーかお前なんかおかしくねえ? 会議に出たりよう、もしかして真面目になって出世でも狙う気か?」
「……お前。まあいい。いいか、お前みたいな馬鹿にもわかるよう簡単に話してやるからよく聞けよ」
「ケンカか? ケンカだな? よし買ったぞ表出ろ」
「いいから聞けって言ってんだ。大将が死んだ後、軍を率いたのは誰だ?」
「そりゃおめーだろ」
「んでだ。一番部隊に被害が出たのはいつだ?」
「撤退の時に決まってんだろ」
「じゃあ、出た被害の責任は、誰に行くと思う?」
表情が変わるテオドル。最初は笑い飛ばそうとして失敗し、本当にそうなのかと悩みだし、自分では結論が出せないことに気付いて思考を放棄する。
「いやいやいやいや、でもよ、お前に責任があるーってそんな話、通るのか? そういうのってもっと年食った奴でないといけないんじゃねえのか?」
「それやったらエルヴァスティ様に話が行っちまうじゃねーか。だから俺で止めようってんだよ」
ようやくテオドルも得心する。イジョラ魔法兵団の最大の後援者であり、イジョラ貴族の第一人者であるハンネス・エルヴァスティ侯爵は、パニーラやテオドルが所属する陣営の長であるのだ。
それまで大して考えてこなかったテオドルであったが、ここにきてようやく現状を考え始める。
イジョラ魔法兵団が壊滅したなんて話の責任を取るとなれば、エルヴァスティ侯爵ほどの貴族であっても手痛い打撃となろう。第一人者から脱落するほどに。
そして残る四大貴族はそれを狙っている。実際はもっと色々な話が絡み合ってややこしくなっているのだろうが、簡素化するとそういう話なのだろう。
テオドルは真顔になって問う。
「もしかして、結構やべーのか?」
「おっせーよ! だからこの前の会議にもわざわざエルヴァスティ様来てたんじゃねーか! ……はっきり言っちまえば旗色は悪ぃ、ヘイケラ公爵の兵がウチ見張ってたのもまあ、そういう流れから出た話なんだが……殺っちまったのは仕方がねえなあ。お前のチンピラみたいな理屈が通るわけはねえし、侯爵に話通して……」
「ん? だったら試してみっか? 俺今から行ってあのクソ兵士共の家族やら上司やらブチ殺してくっから、俺と本気でやるのかやんねえのか、お前から公爵に聞いてきてくれよ」
「おい馬鹿よせやめろ、これ以上面倒ごと増やすんじゃねえ。……お前それ本気で言ってるよなぁ、あー、もう、戦場居た時のがまともってお前やっぱどっかおかしーぜ」
「こっちが俺の本領なんだよ。っと、そうだパニーラ、一つだけ教えろ」
「あんだよ」
「責任取ったらお前死ぬのか?」
「んなわきゃねーだろ。死罪云々って話も出るだろうけど、ま、将軍職剥奪にちょこちょことおまけが付くぐらいだろ」
「いやお前が将軍職持ってたことにびっくりだよ」
「前線でな、どうしても俺が指揮するっきゃなくなった時、臨時にもらったもんそのまんまにしてあったってだけだ。だから貴族的にはともかく、俺としちゃ痛くも痒くもねえさ」
そうか、と納得したテオドルは、ヘイケラ公爵の件はパニーラに任せることにして、自分は訓練でもしてるわ、と言うとパニーラはテオドルに一つ仕事を頼む。
「訓練してる暇あるならさ、お前アニタ王女の護衛やってくんね? エルヴァスティ侯爵の庇護下にあるって知ってる連中は下手な真似しないとは思うんだけどさ、今回の件で影響力が落ちてるなんて勘違いしてる馬鹿に狙われかねねえからさ」
「アニタ王女? あー、あー、あの細っちいのな。絶対に嫌だ。ああいういかにも線の細い系って俺駄目なんだわ」
「なんだそりゃ。護衛だぞ護衛。別に身の回りの世話しろって言ってんじゃねえんだ」
「見てるだけでイラつくんだよ。いや、それ以前にだ。ああいう女って俺見ると勝手にビビった挙げ句病気になったりしちまうんだよ。正直めんどくせーから俺ぁその話にゃ乗れねえよ」
当人が乗り気でない仕事をテオドルにやらせるのは、いかなパニーラとて至難の業である。
ホント仕方ねえ奴だな、と嘆息するパニーラに、テオドルはケタケタと笑って言った。
「どっちかっつうと、俺ならあの王女襲う方がやりたいねえ。王族の中じゃ一番マシな面と身体してんだろ」
「だったらクッカ王女でも襲ってろ。そっちなら何しようと俺ぁ見て見ぬフリしてやるよ」
「……お前、あの王女ホント嫌いなのな」
「アイツよ、やったらつっかかってくるんだよ。よっぽど女で軍功挙げてるってのが気に食わないらしいな」
「同じ女だし、むしろ嬉しいもんなんじゃねえのか?」
「王族だし珍しい軍人の女だから、ってことで功を譲ってもらってるよーなのと俺とで話が合うわきゃねえだろ。そのクセ自分には軍才があるとか勘違いしてるんだから始末に負えねえ。ヘイケラ公爵のお気に入りでなきゃとうに殺してるぜ」
「やっちまえばいいじゃねえか」
「俺がああいうの殺す時ぁ、軍事行動の最中に敵の攻撃を装う程度には良識があるんだよ! てめえみたいなドチンピラと一緒にすんじゃねえ!」
「いいじゃんチンピラ、楽だし楽しいぜー」
やっぱりコイツ今ここで殺しといた方がいいんじゃないか、とかなり本気で考えてしまうぐらいには、パニーラから見たテオドルは危険人物なのであった。頭に来たからと国一番の貴族が見ている会議の最中、魔法使ってまで人をぶっ殺しに動くパニーラにはテオドルも言われたくはないであろうが。
魔法兵団敗北の責任に関する話し合いの場には、幸いテオドルが招かれることはなかった。だが、撤退時の指揮官であるパニーラはここに臨席するよう求められた。
パニーラは十分に腹をくくってから会議室入りをする。今日、ここでのパニーラの役割は、全ての非難を一身に受け止めることであるのだ。
そして案の定、会議が始まるなり会議室は魔法兵団への非難一色となる。
それはそれはもう聞くに堪えないものばかりで、魔法兵団と関わるありとあらゆる事柄がこの世にはびこる全ての悪事の元凶である、とでも言わんばかりの勢いであった。
明らかに言いがかりであろう言葉にも、パニーラに反論は許されない。そもそも発言権もない。パニーラに代わって魔法兵団の立場を語ってくれる者もおらず、ただただ罵詈雑言を必死になって聞き流すだけの時間である。
『……相手が反撃してこないとなると、人ってなこうまで攻撃的になれるもんなんだなぁ』
戦場で敵が向けてくる敵意や殺意とはまるで種類の違う、人の持つ底知れぬ悪意というものを垣間見たパニーラは、逆にこんな言葉を平然と発することのできる彼ら高位貴族たちの人間性が心配になってくるほどで。
或いは長く貴族社会に浸っていれば、誰しもがこんな人間になってしまうのだろうか、などととりとめのないことをパニーラは考える。しかし、と苦々し気に、誰よりも率先してパニーラを罵ってくる女、クッカ王女を見やる。
彼女の表情は怒りに満ち、憤怒をそのまま言葉にしているようにも見えるが、隙あらばパニーラの人格をすら貶めんと言葉を重ねる彼女は、戦場でおっかなびっくりやっている時よりよほど生き生きとしている。
「だから私は言っていたのだ! このような詐欺師に騙されてはならぬと! この売女めの戦歴などその全てが男をたぶらかして手にしたものよ! 此度遂に化けの皮がはがれたに過ぎぬ! だが! 許せぬのはこの女の詐術によりイジョラが誇る魔法兵団が失われてしまったこと! この罪! 死をもって償う他あるまい!」
パニーラはじと目である。
クッカが言う通りならば、ここにいる高官の幾人かもたぶらかされてなければとてもではないがパニーラが挙げてきたほどの武勲なぞ手に入るまい。その辺わかってんのかねコイツ、とクッカを見るが、彼女は険しい表情を崩さぬままパニーラを睨み返してくる。
「おめおめと生き恥を晒し戻ってきおって! 私がこのような大敗を喫したならば、あまりの面目なさに生きてイジョラの地を踏もうなどとは思わぬだろう! 武人の風上にもおけぬ卑怯者め! 貴様の破廉恥な詐術により亡くなった誇り高きイジョラの戦士たちに詫びようという気もないのか!」
クッカは王女であり騎士であり、同時に将軍でもある。将軍としては、パニーラから見れば決して出来の良い将軍ではないにしろ、一応は将軍としての仕事をこなすぐらいはできる。
女性でそうできるところまで自らを鍛えるというのはそれだけでも尊敬に値するものだとパニーラは思うのだが、王女という地位とそのそれなりに見れる程度の美貌を武器に手に入れた将軍位であり、また手にした将軍位を何に使うかといえば決して自分が軍を率いて戦うなんて真似はせず、私は将軍だー、軍事は詳しいのじゃー、と吠えるのみであるので、パニーラは彼女に軽蔑の目を向けるのだ。
『せめても戦に出てくれてりゃなあ、ちっとは見直そうって気にもなるんだが。コイツ将軍なってからはもう絶対前線出てこねーし。しかも……』
今まさに、パニーラが最もクッカを嫌う原因を彼女が語り出すところだ。
「死をも恐れぬイジョラ軍の豪勇を何故奴らに見せつけてこなかったのか! 人は、ましてや戦士は死に際にこそその価値が現れよう! 貴様もイジョラ戦士ならば逃げるなぞという無様な真似はせず! 堂々と戦い散ってくれば良かったではないか!」
何が始末に負えないかといえば、クッカはかなり本気でこれを話しているということだ。
こんな馬鹿、恐ろしくて前線になぞ出せたものではない。当人も出たがらないので、この点だけは全員の利害は一致していた。
前線で戦う者からすれば色々と勘違いしている愚か者にしか見えないのだが、これでクッカ王女は貴族たちからのウケはすこぶる良い。大言壮語の多い彼女だが、貴族間の力関係を見誤ることは決してなく、その立ち回りは貴族たちからすれば安心して見ていられる信頼できるものであるのだ。
口をへの字に曲げるパニーラ。
『つまり、だ。思いつきでぶっ殺していーよーな相手じゃねえってこった。嫌だ嫌だ。戦場なら、生きるか死ぬかしかねえ簡単で単純な話なのによ』
その後もパニーラ忍耐の時間は続き、ようやくそれなりの形で話がまとまったのは半日近くが過ぎてからのことであった。
会議が終わった後も、クッカはパニーラに言いたいことがあるようで外で待ち構えていたのだが、これは側にいたエルヴァスティ侯爵が睨みをきかせていたおかげで問題なく素通りできた。
パニーラが侯爵に礼を言うと、彼はちらりとパニーラを見て言った。
「少し、意外だったな。私は会議の最中にまたお前が暴れ出すと思っていたのだが」
「エルヴァスティ様は俺のことなんだと思ってやがんだ。……俺だって我慢ぐらいできるさ。やんなきゃなんねえってんならよ。アンタにだけは迷惑かけねえ、それが、大将がいつも考えてたことだったしな」
パニーラやテオドルが大将と呼ぶのは、イジョラ魔法兵団を率いていた男ただ一人。人並外れた豪胆さに緻密さと冷静さを併せ持った傑物であった。
彼を失ったのはエルヴァスティ侯爵にとって、ともすれば魔法兵団を失った以上の損失であった。
考え込むエルヴァスティ侯爵に、だから、とパニーラは笑って話を続ける。
「近衛なんざ連れてこなくたって、俺は暴れたりしねえから安心してくれよな」
「……気付いていたか。ふむ、少しお前を見くびっていたかもしれんな」
「はっ、連中腕は立つかもしれねえが、実戦経験は圧倒的にこっちが上だ。連中に言っといてくれよ。護衛を優先するなら隠密は諦めろ、ってな」
いかなる状況下にあっても護衛対象を守るための配置、そういった場所にいれば強さを隠したとてパニーラに見破れぬものではない、ということである。
そうか、と頷くエルヴァスティ侯爵に、パニーラは得意げに胸を張る。
「ま、俺はテオドルみたいなドチンピラとは違うのさ。やればできる女ってこった」
確かに、パニーラが言うように戦から帰ったパニーラは以前とは違い、貴族として、軍人として、果たすべき責任をきちんと背負う気概を持っているように見える。問題があったのは先の会議の時一回だけだ。
今の会議では我慢できたのにテオドル登場には我を忘れる。パニーラにとってテオドルとはそういう相手なのだろうと侯爵は納得した。
ふと思い出したように侯爵は口を開く。
「テオドルだがな、あれはあれで大した男だぞ。間違っても真似だけはしてはいかんが、あの男だからこそできることというものがある。それは、パニーラだけではなく私にすらできぬことだろう」
探るような目でパニーラ。
「腕が立つ、って話じゃあねえよな」
「貴族であることだけではなく、まっとうな人間であることすら放棄したテオドルだからこそ、回数限定ではあるが私や他の四大貴族と張り合うこともできよう。チンピラというのも、あそこまで極めればかなりのことができるようになるものだ」
へえ、と挑むような顔になるパニーラに、エルヴァスティ侯爵は苦笑する。
「だから真似はするなと言ったぞ。あの男は代わりにたくさんのものを捨てねばならなくなっている。アレはもう、友すら自分の思うようには作れまい。パニーラ、お前のような規格外でもなければアレと交友を持つことはできんのだ」
侯爵の言葉の意味がわからず問い返すパニーラ。
「なんでだ?」
「テオドルの敵に殺されるからだ。あのやり方は敵を作りすぎる。敵が多すぎて最早当人にもどれが敵でどれが味方かわからなくなっているのではないか。いや、アレはどれが敵でも構わぬと思っていそうだな」
「はっ、ばっかじゃねえのアイツ。敵は増やすんじゃなくて減らしてくもんだろうが」
「敵が増えることを躊躇せぬからこそ、アレを誰もが恐れるのだ。……テオドルがいずれ破滅するのは誰しもがわかっているが、破滅しきる前に巻き込まれてはたまらん、そういう話だ」
そこまで嫌なら破滅も何も待たずさっさと殺しちまえばいいじゃねえか、と事もなげに言うパニーラに、エルヴァスティ侯爵は声を出して笑う。
「あのテオドルを相手にそう言えるお前だからこそ、アレはお前を気に入っているのだろうよ」
そして実際に実行できるだけの実力を備えているのだから、とまでは口にはしない。テオドル、パニーラ、それにイジョラ最強戦力の一つと目されている近衛たち、これらが実際に戦ったら誰が勝つのかなんてこと、侯爵にもわかりはしないのだ。かといってそれを確かめるためにこれらを戦わせるような馬鹿な真似をする気もない。
イジョラにおいて権力の多寡を判断する時、こうした強力無比な個人をどれだけ支配下に置いているかも評価項目に入る。魔法という手段により個人がともすれば下手な集団より力を持ってしまっているが故の、イジョラならではの事情と言えよう。
エルヴァスティ侯爵のところに、テオドルはこの会議の前に顔を出していた。曰く、アンタの世話にはならねえ、だそうだ。パニーラの屋敷でヘイケラ公爵の兵を殺した件であろう。
パニーラはテオドルにこれを解決するのは無理だと見ているようだが、エルヴァスティ侯爵はテオドルならば可能だと考えている。それはとてもではないが他人に自慢できるような方法ではないだろうとも。
「わっりいな、手間掛けちまってよ」
そう言って相手の肩を叩くテオドル。相手の男は心底から迷惑そうな顔であったが、そうするテオドルに逆らおうとはしない。
念を押すように問う男。
「ヘイケラ公爵に口添えはする。だがな、今は少しでも口実が欲しい時だ。私が言っても聞き入れてくださるとは限らないぞ」
「できるさ。お前で口添えしてくれるの三人目だからな。後一人、とっておきを説得すりゃほぼ決定打だろうよ。お前が手を抜かなければ、だが」
「……ならば都度お前にこちらの状況を説明する。こちらにできる限りのことはした、とそれでわかってもらえたならば……」
「おい」
テオドルが男の言葉を遮る。
「コラおっさん。アンタがいつも言ってることだよな。結果を出せ、と。出せなきゃ俺もやることやらせてもらうさ。俺が説得した連中と協力して、なんとしてでも話通せや、な」
男は抗議と不満を飲み込む。テオドル・シェルストレームは話は通じるし頭も悪くはない。物事が上手くいっている時は全く問題ない取引相手だ。だが一度問題が生じるや、まるで手に負えぬ狂獣と化す。
その危険を踏まえても有用な男であるのだ。他の誰にもできぬことをやり遂げられる男であるが故に。それに基本的に不可能なことをやれ、とは言ってこない。それがわかっているからこそ男は不満を飲み込めるのだ。ただのわがままや思いつきでこんなこと言われていたなら、テオドルとの付き合いに利を見出すのは難しかろう。
「わかった。やれるだけやってみよう。で、こちらからの依頼は問題ないんだな」
「ああ、アンタが言ってる馬なら俺の裁量でどうにかなる。いや、ホントすっげぇ馬なんだって。一目見りゃすぐわかるぜ」
「城壁を駆け上った馬か。敗戦の最中かっぱらってきたというのは俄かには信じ難い話ではあるが、幾らお前でもここでつまらん嘘は吐かぬよな」
「馬の話アンタに持ってったのは俺じゃねえだろ。嘘があったってんならそっちに文句言ってくれ。言っとくが、アンタじゃあの馬あっても壁登るのは無理だぞ」
「騎手はこちらで用意するさ。テオドル、お前ならできるか?」
「俺ぁ馬も得意だが、さすがにありゃ無理だ。あー、うん、一度試したけど無理だったんだよ! 悪かったな!」
男は堪えきれず笑い出した。
「ははははは、試さずにはいられなかったか。足なぞ折っておらんだろうな」
「そんな間抜けたことするか。ま、壁登らんでも、すげぇ馬だから乗ってて滅茶苦茶楽しかったわ。……いいか、くれぐれもアンタは乗るなよ。訓練してる兵士ですら背中から放り出された暴れ馬でもあるんだからな」
そこからはちょっとした雑談になり、話し合いは和やかに終わった。
男の屋敷を去るテオドルの後姿を、男は冷ややかに見つめる。
『ふん。隠してるつもりだろうが、お前がこの後行く先の見当はついている。最後のアテはクッカ王女だろう。王族にあんな真似をして、いつまでも無事でいられるわけがなかろうに。馬鹿な男よ』
クッカ王女の屋敷はパニーラの派手なそれと比べてもより以上の煌びやかさがある、豪華絢爛なものである。
王族の権威とやらをこれでもかと周囲に見せびらかせるようなクッカ王女の本屋敷が、王都ではなくコウヴォラにあるのは軍事関係の建物がこちらに集中しているからだ。
クッカ王女は虚栄心も依頼心も溢れんばかりであるが、こんなのでもこんなのなりにイジョラのためにできることをと考えてもいて、王族ならではの教養の高さを活かしイジョラ軍にて仕事をしている。
会議の後で今日の分の執務を終えて帰宅したクッカ王女は、心地よい疲れを癒すべく今日は特別にカレリアのワインを開ける。
あの小憎らしい女、パニーラ・ストークマンを心行くまでやりこめられるのは、思っていた以上に胸がすっとする行為であった。
クッカ王女の属するヘイケラ公爵の一派は、カレリアとの交易を独占していた。これらは現在、カレリアとの戦で消えてなくなってしまっていた。
イジョラ魔法兵団の出兵を止められなかった時のヘイケラ公爵の激怒っぷりは、今思い出しても背筋が寒くなる。だがその怒りはクッカ王女も共有していた。
しかも、それで勝って敵地を奪うのならばともかく、大敗を喫し逃げ帰ってくるとは。これではこの後で交易を再開したとて、より有利な条件なぞ望むべくもないだろう。
カレリアとイジョラとの交易は、カレリア側がイジョラ側の下手くそな交渉に合わせかなり譲歩してやっていたのだが、イジョラ貴族はこのクッカ王女も含め大半が、それがイジョラとカレリアの国力差であると勘違いしていた。だが、事ここに至ってまだイジョラにカレリアがひれ伏してくると考えるほど間抜けでもない。
カレリアとの取引再開にはイジョラ側から大きな妥協をせねばならない。それはヘイケラ一派の中での共通認識で、そこから、それでもカレリアとの取引を再開すべき派と、他の国との交易を考えるべき派に分かれる。クッカ王女にはどちらがより有益なのかの判断がつかないので、この話はヘイケラ公爵たちに丸投げしている。
もう数も少なくなってきたカレリアのワインを楽しみながらクッカ王女は思う。早く交易再開しないものかと。まるで他人事のように。
食事と適度の酒を楽しんだ後、クッカ王女は寝室へと。使用人に手伝わせ夜着へ着替え、さあ寝るかとなったその時に、クッカ王女の耳に信じられぬ声が届いた。
「よう、王女サマ。ひさしぶりー」
声につられてそちらを見ると、クッカ王女の寝室で、テオドル・シェルストレームが自分の部屋のように寛いだ姿勢で椅子に腰掛けていた。
今この部屋で、使用人二人とクッカ王女の三人が着替えをしていた。なのに、三人共がまるで気配すら感じ取れなかった。窓も今は開いていない。つまりテオドルはずっとこの部屋に居続けていたというのに。
あまりの驚きにクッカ王女は寝台から転げ落ちてしまう。床の上で上体を起こした姿勢で、クッカ王女は驚愕と恐怖に満ちた視線をテオドルへと向け叫ぶ。
「き、キサマ! いつの間に我が屋敷へ!」
テオドルは口元に人差し指をあてささやく。
「しーずかにしろい。使用人来たら面倒だろ?」
「たわけ! 何故私が貴様の言葉に従わねばならぬ! 誰か……」
クッカ王女の言葉に割り込んでたった一音を発するテオドル。
「あ?」
それだけで、クッカ王女は口を閉じた。それどころかその場でがたがたと震えだしたではないか。
テオドルは不機嫌そうに告げる。
「え? 何? なんですかー? 俺よく聞こえなかったんだけど、お前、さー。もしかして俺の言うこと聞かねえとか言わなかった? なあ、もっぺん言ってくんねえ? お前、俺の言うこと、聞いてくんねえの?」
椅子から立ち上がるテオドル。クッカ王女はまるでこの世の終わりのような顔で後ずさる。何か言葉を発しようとしているのだが、恐怖で震えているせいでそれらはまともな文章になってくれない。
「ま、待って。おねがっ、違うの、ゆるし、お願い。やめて、お願いやめっ……」
ケラケラと笑うテオドル。
「やーでーすー。だってー、せっかく出向いてきてやったってのに、お前ひでーこと言うんだもんよー。俺、すっげー傷ついちったわー。もう駄目だわー。俺のこの今にも悲嘆に張り裂けそーな心を癒すには、クッカ王女に手伝ってもらうっきゃーねーわなー」
クッカ王女は、違うとお願いと許してとやめてをひたすら延々繰り返しながら、涙をぼろぼろ溢して床に這いつくばる。
テオドルはその王女の頭を上から踏みつけながら言った。
「いやさ、実は頼み事あんのよ。俺な、ヘイケラ公爵の兵士勢いでぶっ殺しちまってさ。公爵に悪いことしたなーって思ってんだよ。その辺口添えしてくれねーかなーって。なあ、頼むよクッカ王女。ほら、こうして頭下げるからさ、俺の頼み聞いてくれねえかなあ」
クッカ王女の頭を踏んだままで頭を下げるテオドル。クッカ王女は床に顔を押し付けられくぐもった声しか出ぬままであったが、テオドルの申し出を快く承諾する。
その言葉が聞けたテオドルは上機嫌で足を頭から外し、王女の襟首をつかんで引きずりあげる。
「悪いねえ、助かるぜ。何ならこの礼に俺の所遊びにくるか? おめーならきちんと朝まで歓迎してやるぜ?」
そう言うとクッカ王女は再び許してお願いやめてを繰り返すようになり、そんな王女を見てゲラゲラ大笑いしながら、テオドルは窓を開き外へと出ていった。
仮にも一国の王女を、脅して言いなりにするという行為が成り立つものなのか。本来そんな仮定は意味のないものであろう。試す馬鹿がそうそういるとは思えないのだから。
だが、それを、どうにか成立させてしまっている者がいるとしたら、その者はいったいどのような人間なのであろうか。
そんな真似をしても自分の立場は揺るがぬほど大きな権力を持っているか、もしくは国の最高権力者である国王をすら敵に回すことを厭わぬ恐れ知らずであるか。
コレを軍に放り込み、組織の一員として命令に従わせている人間がいた、と言っても、当初ほとんどの者は信じなかったのも頷ける話であろうて。
また余談ではあるが、翌日以降、この夜の恐怖と屈辱からクッカ王女はより一層パニーラへの口撃を激しくするのだが、もちろんパニーラにはこうまで敵視される理由なぞ全くわからぬままで。まさかテオドルに脅されて反撃もできず悔しいからパニーラで憂さを晴らしている、なんて想像もつかないのである。パニーラが当初、テオドルにこの件の解決を任せなかったのは実に正しい判断なのであった。