140.馬鹿が馬鹿やってる間にも世界は回っていくもので(魔法兵団編1)
イジョラ魔法王国の王都は、一国の王都としてはちょっと考えられないほどに交通の便が悪い。
またそれ以外にも山ほどの悪条件が重なっているため、治世を行なうための拠点としてはあまり適切な場所ではなかった。
なので現在、イジョラの首都機能の大半はイジョラ王都から南に下った場所にあるコウヴォラという都市に集中していた。
こちらは大きな川に沿って建てられた都市で、川を使った船便も手配でき、かつ東西南北いずれへも大きな街道が繋がっている交通の要衝であり、イジョラで最も栄えている。
命からがらカレリアより逃げ帰ってきたイジョラ魔法兵団は、その根拠地があるコウヴォラへと辿り着いた。
古今稀に見る大敗である。
貴族たちは皆、今後どうするかで右往左往大騒ぎであったが、イジョラ魔法兵団精兵部隊ツールサスの剣筆頭、テオドル・シェルストレームはといえばおえらい貴族様の責任うんぬんにはまるで興味がなく、やっと帰れたと馴染みの娼館に駆け込み、魔法兵団本部への報告もせぬまま三日三晩そこで遊び惚けていた。
テオドルはそのまま一週間は入り浸るつもりであったのだが、四日目に本部の者に居場所を突き止められ報告に引きずり出されたのだ。
魔法兵団の存続に関わるような一大事であり、誰も彼もがぴりぴりしている中、全身から女の匂いを漂わせたテオドルが会議室へと入っていく。
魔法兵団の会議室には、魔法兵団の後ろ盾になってくれている大物貴族たちも列席しており、テオドルのそんな不遜かつ不真面目な態度に、誰もが眉をひそめる。
だが、声に出してキレたのはたった一人。誰よりも先に、壮年の男性ばかりの中にたった一人いた若年女性であるパニーラ・ストークマンがブチキレた。
相も変わらず顔の横にはくるくると巻髪が揺れており、黙って立っていれば絶世の美女で通るだろう容姿であるのだが、口から出てくるのは下卑た男言葉であった。
「て、てっめえ! 俺がクソ面倒な会議で得意でもない言い訳こいてる間に何してやがったんだああああああああ!!」
ここがお偉いさん集まる会議室だということも忘れ、椅子を蹴って飛び上がり、会議室のテーブルの上をテオドル目掛けて駆け込んでいく。
さしものテオドルもこんな席でいきなり本気でぶっ殺しに動くとは思ってもいなかった。
だが、駆け寄るパニーラの手には彼女の得意技、光る槍が握られている。怒って殴るとかではない、本気で魔法まで使って殺しに動くような真似をするとは思わず、テオドルは大いに慌てる。
「わっ! ちょっ! ちょっと待てパニーラ!」
「うっせえ死ね! 今すぐ死んでここ三日ひたすら我慢してきた私に詫びろクソボケがあああああああ!」
パニーラが握った光の槍を投げ放つ。もう洒落ではすまない。パニーラの放った光の槍は四つに分かれ、それぞれが別々の意志を持つかのようにテオドルの上下左右より襲い掛かる。
テオドルは舌打ちしながら剣を抜き、二本を弾き、二本を身をよじってかわす。パニーラのこの技は、訓練でさんざ相手してきて癖を知っているからこその対応だ。そうでもなければテオドルの反応速度でも対応しきれぬだろう速度であるのだ。
テオドルが四本を外すのと、パニーラが再度光の槍を作り出しテオドルへと突きかかるのがほぼ同時。ほぼ、であるのはパニーラに同時攻撃されないようテオドルが数歩後ろに下がって槍を受けたからだ。
ここまでされれば、さしものテオドルもキレる。
「おもしれえ! やってやろうじゃねえかパニーラああああああ!」
「面白くねえよ! とっととくたばれクソテオドルがあああああ!」
イジョラ貴族同士の揉め事では、こうした死に至りかねない攻撃を仕掛けるといったことがよくある。それもこれも、不可視の盾により致死の一撃をも防げるということが大きかろう。
いきなりの大騒ぎに、集まっていた魔法兵団幹部は一斉に嘆息する。
「パニーラも随分と大人になったと感心していたというのに……」
「いやいや、ここ三日は良く我慢した方だと思うぞ。女と遊んでいた馬鹿とは比べるべくもなかろう」
「……パニーラも男遊びはしていたよーだがな」
ちゃんちゃんばらばらとやり合い始める二人の頭上から、大量の水がぶっかけられた。
これを魔法でなした男、ハンネス・エルヴァスティ侯爵は表情を変えぬままに二人に言う。
「私も暇ではないのだ、さっさと話を進めるぞ。テオドル、お前が出会った魔法使いじみた戦士の話をしろ」
何しやがる、と侯爵の方を見たテオドルの動きが止まる。じっとハンネスの顔を見た後、大慌てでテオドルはパニーラの耳元に口を寄せた。
「ちょっ! おまっ! エルヴァスティ様来てるなんて聞いてねーぞ!」
「……おおう、そーいや来てたわ。あまりにムカついたんで忘れちまってた。やべー、さすがに今のはやべー。おいテオドル、お前侯爵にケツ貸して詫びろ」
「ふざけんな。お前が腕の一本でも斬り落として俺の命乞いをしろ」
イジョラ四大貴族の筆頭にして、イジョラ魔法兵団最大の後援者であるハンネス・エルヴァスティ侯爵は、現在イジョラにおいて最も大きな権力を振るう貴族である。
傍若無人の極みのような二人であっても、絶対に勝てぬ相手であるのだ。
ハンネスは二人の言う詫びとやらには欠片の興味もないようで、テオドルに話をするよう促す。
イジョラ一国を背負っているという自負によるものか、その威風堂々たる態度にテオドルもパニーラも矛を収め、パニーラは席に戻りテオドルは話を始める。
テオドルが一通り話し終えると、ハンネスはこの部屋に入って初めてその表情を崩した。
「……テオドル。その報告はお前の悪ふざけではないのだな?」
「さすがにエルヴァスティ様相手にふざけるほど、度胸よくはねーっす。生き残った俺たちが負けた言い訳に敵を過剰に報告してるってな話でもねえ。パニーラほどの奴がすぐ側に居て大将を守れなかったのも、俺が後ほんの僅か傷がズレてたら死ぬような一撃を首にもらったのも、全部偶然でもなんでもねえ。敵が、強かったんすよ。魔法もなしの敵がね」
「パニーラから軍が強かったというのは聞いたし、それは納得できる話だった。だが、個人で強力な魔法使いをも凌ぐ戦士がいるというのは俄かには信じられぬ」
「俺も、生き残った連中皆も、実際に遭遇したってのにエルヴァスティ様と同じ気持ちですよ。魔法も使わず、俺より速くて、俺より力があって、挙げ句剣も滅茶苦茶上手い。俺ぁ生き残った連中に確認したんですがね。あの戦場にゃそういう化け物が五人いたんですよ。それぞれ単騎で突っ込んでツールサスやら予備兵力やら本陣やらの要所要所を潰して回ってた。聞きましたか? 内の一人はボーの閃光の魔法を真っ向からかわしてみせたんですよ?」
ハンネスは苦々し気に眉根に皺を寄せる。
「テオドル、それはお前にもできぬか?」
「俺はアイツとは何度も訓練しましたから、それなりに距離があってくるのがわかってりゃ剣で弾くぐらいはどーにかなります。ですがね、戦場で初めてあの魔法を見てすぐに対応しろなんて絶対ありえねえ。しかもだ、俺でもできて弾けるのは一発二発だ。ボーの奴ぁね、最大で五発同時に撃てるんですよ。これを全て魔法抜きでかわせとか絶対に無理だ」
「……五人、五人と言ったな。それ以外他の兵士はどうだ?」
「ああ、そっちは普通でしたね。ん? いや、追撃軍はアホみたいに統制取れてたし普通じゃあなかったか。でも、ツールサスが突っ込みゃ十分崩せた。あの五人さえ居なきゃ、戦は勝ってたんっすよ」
ハンネスは首を横に振りながら問う。
「では、馬が城壁を上ったというのは?」
「あー、あれ俺見ました。もうこれでもかっつーぐらいはっきりと。魔法を使ってないのもばっちりと。正直に言って、カレリアがあんな国だって知ってりゃ俺ぁ絶対出兵なんてしませんでしたよ」
ハンネスはそれからも幾つかテオドルに問い掛け、そして結論を述べる。
「うむ。ではお前が戦場で見てきたこと、全て忘れろ」
「は?」
「そんな話をだ、他の貴族たちにしたらどうなる?」
「…………あー、そりゃー、まー」
こんな荒唐無稽な話をしたところで、虚偽の報告を上げたと罪を問うてくるだけだろう。敗戦は敗戦で責任は負わなければならないが、それと虚偽の報告をするのとはまた別の話である。
ハンネスの判断で戦場での戦いは、他の貴族が聞いても不思議に思われないような負け方をした、という形にすることになった。
そういった話になってくるとテオドルには特にすることはない。俺もう帰っていいっすかーと断り部屋を出る。パニーラもそうすると思っていたのだが、パニーラはまだ部屋に残っているつもりのようで。
ふと、テオドルは部屋を出る時のパニーラの表情が気になった。
『……アイツ。ああいう顔する奴だったっけか』
どこか疲れたような顔をしていると、テオドルには思えたのだ。
テオドルには待機命令が出された。ツールサスの剣は事実上壊滅していて再編の目途は立っていない。なのでテオドルにはすることがない。これ幸いとテオドルは魔法兵団の建物にある訓練施設に入り浸ることにした。
熊男との戦いは、思い出す度悔しさに歯軋りするような内容であったが、同時にとても刺激になる出来事でもあった。
魔法も使わずあそこまで動けるようになる、そういう事実をテオドルはその目にしたのだ。奴にできたのなら俺にできぬはずがない、なんて思考は自負心に富んだ者なら誰しもが思うことであろう。
同じく悔しい思いをしたパニーラもじきにここに顔を出すだろう。そんなことを考えていたテオドルだったが、一週間が過ぎてもパニーラが来ることはなく、テオドルは一人で訓練し続けることに。
テオドルは、言うなれば敗軍の将の一人だ。それも古今稀に見る大敗に関わったとなれば世間の見る目も厳しかろう。それを考慮しての待機命令であり、事実上の謹慎命令であったのだが、テオドルはそういった機微を一切理解しようとはしなかった。それでも、これを咎める立場の人間が皆忙しすぎたせいでテオドルの自分勝手な行動は見逃されていた。
いつまで経っても出てこないパニーラに、やる気あんのかと勝手な怒りを抱いたテオドルは、パニーラの屋敷に乗り込むことにした。
テオドルも何度か訪ねたことがあるパニーラの屋敷は、パニーラ一人のための屋敷とはとても思えぬ豪勢で大きなものである。
幼い頃から最前線で戦い続け数多の武勲を手にしてきたパニーラは、手にしてきた褒賞金のおかげで彼女の身分からはとても考えられぬような贅沢な暮らしができるようになっていた。
この屋敷だけを見れば、それこそ高位貴族と比べても遜色ないものである。派手好きなパニーラは、服にしても屋敷にしても豪華で目立つものを好んでおり、この大きな屋敷もそうした彼女の嗜好の表れであろう。
そんな大きな屋敷の入り口門には、見慣れぬ兵士が五人、門の前にて待ち構えていた。
テオドルは、なんだこいつら、と思いながらも一応声だけは掛けてやる。
「おっす、パニーラは今いるか? ああ、いなきゃ勝手に中で待ってるから気にしないでいいぜ」
そう言って門を開かせようとするテオドルであったが、兵士たちはこれを咎めてきた。
「パニーラ様は謹慎中です。何人も中に通すなとのご命令ですので」
その言葉よりも、テオドルの行く先を槍で遮った行為にこそ、テオドルは怒りを覚えた。
「あ?」
それでもテオドルは大いなる慈悲をもって一度だけ機会を与えてやった。だから、その後のことは悪いのはテオドルではなく、この兵士であるとかなり本気でテオドルは考えていた。
「ですから、パニーラ様には誰とも会わせるなとの命令で……」
テオドルは、頭上高くまで右足を振り上げ、目の前で能書きをほざいている兵士を踏みつける。肩口に足裏を押し付けられた兵士は、そのまま地面へと潰し倒されてしまう。
兵士はテオドルの足の下で蠢くが、テオドルが上から押さえつけてやれば動けるはずもなく。
「おい、お前、誰に口きいてんだ? なんで俺が、お前如きに命令されにゃならんのだ? なあおい、その辺俺にもわかるよーに教えちゃくれねえか?」
テオドルが踏みつけているのだからして、下になっている兵士が口なぞきけるはずもない。あまりの苦しさに低い悲鳴を漏らすのみだ。
「お、れ、の、言葉が、聞こえねえのか? 返事しろっつってんだよ」
したくてもできない、そう言えない兵士は他の兵士に助けを求めるよう視線を向ける。兵士の一人が意を決して口を開いた。
「わ、我々はヘイケラ公爵より命を受けております! パニーラ様の謹慎を見張るようにと! これは公爵様の命令なのでございます!」
「だからなんだ。公爵はあれか、俺にお前らの下僕になれとでもぬかしたか? 違うよな? で、そのどこに俺がてめーらに命令されにゃならん理由がある? ああ、もういい、お前らみんな殺すからこれ以上口開くな。クソッ、胸糞悪ぃ。なんだって最近はこう気分の悪いことばっか続くんだか……」
「こ、公爵様の命に逆らうおつもりですか!? 我々は公爵様の兵で……」
「兵士如きが、俺の機嫌損ねて生きていられるわきゃねーだろうが。それにお前ら勘違いしてねえか? てめーら兵士が十人二十人死んだぐらいで、公爵が俺を本気で敵に回すわきゃねえだろ。テオドル・シェルストレームをなめた報いだ、とっととおっ死ねやクソザコ」
テオドルの言葉は脅しでもなんでもなく。まず足元で踏みつけていた兵士の身体を踏み抜いて、一人を残して全ての兵士を瞬く間に斬り伏せる。そして最後に残った一人に言った。
「お前、死体片付けとけよ。いいか、絶対に手抜くんじゃねえぞ。屋敷の前汚したなんて聞いたらパニーラ本気でキレっからな。痕跡も匂いも残さずぜーんぶ綺麗にしとくんだぞ」
それと、と屋敷の門扉を指さす。お前が開けろ、という意味だ。もちろん兵士はこれに逆らうことなく、公爵の命に逆らい門扉を開いた。公爵の命令に逆らったとなれば後で死罪も覚悟せねばならないのだが、今ここでテオドルに逆らうことは死罪以上に恐ろしいことだと兵士には思えたのだ。
機嫌悪そうな顔で屋敷の敷地内へと入るテオドル。
呑気に歩いて庭を眺める。派手好きなパニーラらしく色とりどりの花がそこらに植えられており、ただ歩いて見ているだけでも楽しさがある。
パニーラの屋敷のこういう所はいいよなー、とか言いながら屋敷の前につく。するとちょうど、屋敷の入り口からパニーラが飛び出してきたところであった。
パニーラは少し焦った様子でテオドルに問う。
「お、お前。門のところの兵士、どーした?」
「あ? あれかよ。クソむかつくんだから思い出させるなよ。あんなボケ皆殺しに決まってんだろ。頭悪い連中だったぜ、本当」
やっちまった顔でパニーラは言った。
「お前……あれ、ヘイケラ公爵の兵だぞ」
「知ってる。だからどーした」
テオドルの即答に、今度は大きく目を見開く。
「は? いやだからヘイケラ公爵だぞ? イジョラ四大貴族に逆らう気かお前?」
「たかだか兵の十や二十、そんな大層なことにゃなんねーって。……あー、そういやお前知らなかったんだっけか。俺、前にもクッカ王女の従者ぶっ殺したこともあんぞ」
「はあ!? あのクソうるせえ女の従者をか!? お前それタダじゃすまねーだろ!」
そこでテオドルは得意満面な顔になる。
「いいか、よく考えろよパニーラ。俺が本気でキレたらだ、四大貴族だろーとなんだろーと、親族の一人や二人ぶっ殺したうえで他所の国に逃げるぐらいは軽くできるぞ。そんなの相手に、たかが兵士殺した程度でケンカ売る馬鹿はいねーだろうが。それにだな、俺は味方になった奴にはきっちり得させてやっからな。そーいうのきちんとしときゃ、大抵のことは通っちまうもんだぜ」
絶句するパニーラに、テオドルは得意げに言う。
「ははは、お前戦場じゃすげーけど、こういう街での駆け引きってな苦手みたいだな。今度色々教えてやっからお前もやってみろって」
パニーラは何かを言おうとして口ごもり、再び口を開いたのはため息と共にであった。
「コイツ、絶対頭おかしいわ……誰だよこんなの軍に入れやがったの。この馬鹿が入んなきゃなんねえのは軍じゃなくて牢屋だろ」