014.サルナーレの戦い(後編)
今のイェルケルにできるのは、ただまっすぐ走ることだけだ。
かなり前から敵本陣の旗は見えている。おかげで色々考える必要が無いのはありがたい、とイェルケルは走る。
矢は通じない。どれほど射ても。そう兵士たちが共通認識を持つほど、スティナとアイリは矢を弾き続けていたのだろう。
敵兵はイェルケルたちが動き出すと、重厚な陣を敷いてこれを迎え撃つ。本陣がどうかはわからないが、少なくとも前線指揮官たちはもうイェルケルたちをたかが三人などと考えてはいないだろう。
縦にも十の列を揃えた槍隊が前進してくる。これに突っ込むはアイリだ。
上に跳ぶは既に三度見ている。このためか後列の槍は中空に向けて斜めに突き出されている。
そして槍隊の兵士の誰もが、突っ込んでくるアイリを決死の表情で睨み付けている。
数十の必死に集中した視線に晒されるアイリであったが、この目全てを欺いてアイリはその姿を消し去る。
本当に、槍隊の全ての人間がアイリの姿を見失ったのだ。どこに、どうなった、と全員が周囲を見渡すが、アイリの姿は見つけられない。
異変が起きた。
槍隊の一列がいきなり崩れたのだ。それも縦に一列が重なるように倒れた。
すぐに一人の男が叫んだ。
「ここだ! ここに居るぞ!」
男が指差す先、槍隊最前列のすぐ前。前方に突き出した盾のすぐ後ろにアイリは居た。
その小さな背を活かし、槍の下を潜って一瞬で槍隊の眼前にまで迫ったのだ。
そのまま盾に体当たりだ。衝突の瞬間、大地を強く蹴り出しアイリの脚力全てを盾に乗せてやると、彼だけではなくその後ろの兵士たちも折り重なるように倒れていった。
幾人かは隣の兵士の袖を掴んだりして転倒を回避しようと試みたが、掴んだのが袖ならば布は千切れ、金属部ならば握力がもたず滑り外れ、誰一人として転倒を免れた者は居なかった。
そうして開いた槍列の間に、アイリは体を入れると左の兵士を殴り飛ばし、右の兵士を斬り倒す。
一人の優れた兵士がまともに剣で打ち合ってはならぬとアイリの腰に掴みかかると、他の兵士たちもこれに倣ってアイリを取り押さえに飛び込んでくる。
「はっ! はーっはっはっは! この私と力比べか! 良い! 相手してやろうぞ!」
アイリも剣を投げ捨てると、両腕を広げる。
そしてその場で、自分の体を軸に半回転し、両腕を振り回す。
左の腕で二人、右の腕で二人。殴り飛ばされた兵士たちはそれだけでは済まず、後ろから同じく殺到する仲間の兵士たちの所に飛ばされ、彼らと共に後ろ向きに倒れる。
続き、正面からきた勇敢な兵士の顔を掴み上げ、頭上に持ち上げると大きく振り回し始めた。
回される兵士の体に弾かれ、四方八方からかかって行く兵士たちは、次々と打ち倒されていく。
その時力を入れすぎたのか、掴んでいた兵士の頭部が握り潰されると、アイリは持つ場所を首に変え投げつける。巻き込まれた兵士が二人、ただ死体をぶつけられただけで死亡した。
兵士たちは、自分の子供に居てもおかしくないような小さな少女を相手に、全身全霊を以て押し潰しにかかるが、それらの試みは悉く打ち砕かれる。
素手のアイリの拳は、鎧を千切り、人体を文字通りに砕いてみせる。
そんな奇跡を成立させるのは、アイリのどんな時でも決して崩れぬ姿勢であろう。
スティナがアクロバティックに飛び回るのとは違い、大地にしっかりと根ざした構えを決して崩さず、どんな時でも大地を蹴り出す強烈な力を発揮することができる。
アイリは膂力だけでこうしているのではない。磨きに磨きぬいた体を扱う技の成果として、こんな大暴れができているのだ。
「チクショウ! チクショウ! 悪魔だチクショウ! 勝てるわけねえよ!」
「化物め! 人間の力見せてくれるわ!」
「はあ!? こんな馬鹿力の人間が居るわきゃねえだろ! コイツは絶対魔獣に決まってる!」
ハタからどう見えるかはさておき。
後方から押し込みにかかる兵士たちを蹴散らしていたスティナがアイリと合流する頃には、敵指揮官の指示で周辺から敵兵は撤収した後であった。
「お互い、そろそろ乙女を名乗るのに無理が出てくるわねぇ」
「騎士と見てくれれば充分だ」
「騎士っていうか、悪魔だとか化物だとか魔獣だとか言われてなかった?」
「ほんっっっとうに失礼な奴らだ。っと、殿下は?」
二人のすぐ側に居たイェルケルは、息も絶え絶えといった有様の物凄く乱れた呼吸であったのだが、表情は特に苦しそうにはしていない。
「はっ! ……はっ! ……あの、旗だっ! どうやら、たった三人を相手にっ! はっ! 本陣を動かすわけっ! にはいかないっ! みたいだなっ!」
スティナもアイリもイェルケルに休憩を勧めたかったが、イェルケルの表情がそれを許してくれるものではなかったので、忠言を飲み込む二人。
実際、ここで休憩なんてしていたら絶対に本陣には届かない。
次は本陣に至るための最終防衛ラインだろう。ここは、突破と同時に本陣にまで突っ込まなければならない。さすがにそこまで行けば本陣も動くであろうから。
指揮系統が混乱しているらしい間に、少しでも前へ進む必要がある。
三人は既に本気で、サルナーレ辺境領軍の大将モルテンの首を獲るつもりであった。
最初から取り回し易い剣や斧や槌を皆が手にし、ずらりと並んだ兵士たち。
皆が言い含められている。ここから先に通せば、たかが三人に本陣まで突破された無様な軍と呼ばれることになろうと。
指揮官たちはそんな汚名、断固として受け入れ難く、ありったけを出し切って三人を止めるつもりである。
彼らの気迫はイェルケルたちにも伝わっている。だがそんなものは、ありったけの殺意などは、とうの昔にもらい慣れてしまっている。
イェルケルが走り、その前にスティナとアイリが。
三人はまっすぐ一直線に、彼らの後ろにある本陣を目指す。
指揮官の突撃の合図と共に、凄惨な戦が始まる。
スティナにもアイリにも、もう加減をしている余裕は無い。
敵を行動不能にするに、最善と思える動きを繰り返すだけだ。結果、相手に人間の形が残ってるかどうかなど、戦士として相応しい死に方かどうかなど、そもそも殺す必要があるかどうかなど、全く考慮に値せぬ項目だ。
全て殺す。手の届く者を殺す。目に入る者を殺す。行く手を遮る者を殺す。
今のスティナやアイリにあるのは、如何に殺すか、ただそれだけだ。
斬り殺す、殴り殺す、蹴り殺す、捻り殺す、潰し殺す、投げ殺す……、そして唐突に、二人の膝が同時に落ちた。
最も驚いたのは、恐らくスティナとアイリの二人であろう。次点でイェルケルか。他の兵士たちは膝をついた程度のことを吉兆と受け取らなかった。
スティナは戦が始まってからは全く感じることの無かった、死への恐怖が蘇ってくる。
『あ、そろそろ、限界なんだ。ここで止まられちゃ、これ、どうしようもない、かも』
全く同じことが先ほどイェルケルにも起きていたせいか、スティナはこれが限界直前に表れる予兆であると受け取った。
『本陣、届かなかったかぁ。当たり前といえばそうなんだけど、でもねぇ、ここまで来たんだし、後ちょっと、行けないものかしら』
同じくアイリも自らの限界を感じ取る。
訓練の時はもっとずっと長く動き回れたのに、と納得いかぬ思いはあれど、命のやり取りをするのは想像していた以上に疲れるというのも辺境領城で経験済みで、仕方ないかと思う部分もある。
結論として、受け入れ難いということでアイリの脳内会議はまとまった。
足が止まった状態でも襲い掛かってくる敵を撃退するに支障は無い。
「スティナ! 殿下は限界を超えられたぞ! ならば我らにもできぬ道理は無い! 違うか!」
剣で撫でるようにしながら次々斬り倒していくスティナの足は、吸い付いたように地面から離れないまま。
かつて無いほど疲労している我が身から、悲鳴のように発せられる苦痛の数々を、訓練の時そうするようにスティナは無視することに決めた。
「つくづく、アンタってめげない娘よね」
足は杭でも打ち込んだのではないかというぐらい重くて、走るというよりは歩いてる感覚だが、前に進むことはできる。
もう足にはそれ以外のことは望まない。踏ん張りが全然利かないので、後は上半身の捻りと剣の刃だけが頼りだ。
見ると力で押し切るのを好むアイリも、スティナと同じように技を頼りに、いつものそれからは見る影も無くなった走りで敵陣を斬り抜けにかかっている。
兵士たちからは極めて不本意な悲鳴が聞こえてくる。
「は、はええ! やっぱりはええよコイツら!」
「くっそ! 鎧もクソもあったもんじゃねえ! 一発でぶち抜いてきやがる!」
ぶすっとした顔でスティナは愚痴る。
「これで早いとかどういうことよ。それに鎧は斬ってないわよ、接合部を狙ってるだけでしょ」
なんて抗議も、あまり意味のある行為ではなかろう。
スティナの視界が、凄い勢いで揺れた。
世界が一瞬真っ暗に染まり、次いで顔と胸に何かぬめっとしたものをぶつけられる。
前後左右を失ったのも瞬間のみのことで、自分が倒れているとわかると、すぐに動く。
見てもいないが、そこに居るとわかる人間二人の頭部を、逆立ちするように伸び上がりながら順に蹴り飛ばす。
ついでに伸び上がった勢いで体を起こして、大地に足を付いて立ち上がる。
「スティナ! 無事か!」
アイリの泣き出しそうな声。
「あーもう、おかげで目が覚めたわ。アイリ、貴女も一発もらっときなさい。かなり効くわよ」
「死ぬわっ! この馬鹿者が、心配かけおってから……」
こんな話をしている間も、二人共手も足も止めていない。
そして残るイェルケルは、上気した顔でただ走るだけだ。それでも剣は決して手離さない。
ようやく、ようやく待望の一撃を入れることができ、今こそ好機と勢い込む兵士たち。これを迎え撃つスティナとアイリが、こちらから行かずに済むから楽でいい、と逆に喜んでいる。
ただ手数をかなり割かれるので、どうしてもイェルケルを守りきれなくなる。
またここに来て敵兵の厚みが一段と増えたように見える。
それでも三人は足は止めない。足を進めることのみが、唯一勝利へ続く道なのだから。
イェルケルも剣を振るって敵を倒す。疲労から脳がまともにモノを考えてくれなくなっているイェルケルだが、騎士学校で教官達より習った剣術を丁寧に繰り返すだけで目の前の敵は倒れてくれる。
見渡す限りの麦穂をたった一人で刈り取り続けるような、そんな途方も無い作業を延々続ける気分である。何故か逆に心は癒されていく気がするから不思議だ。
そんな癒し効果のおかげか、少しずつ、少しずつ、イェルケルの呆とした意識が正体を取り戻していく。
スティナは。明らかに体にガタが来ているとわかる動きをしているが、それでも彼女の持ち味である流れるような剣筋は失われぬまま。
逆に、無駄が省かれた今のそれこそが彼女本来の動きだと思えるような、圧倒的機能美がそこにある。
彼女の周囲には常に銀光が閃き輝いており、その都度八方より迫る敵兵が血飛沫を上げて地に倒れ伏す。
飛び込む兵士たち皆が、決死の覚悟でスティナに取り付こうとしているのもわかる。だが、何度繰り返そうとただの一つすらそれを許さぬ。死角になり見えぬ場所をすら斬るスティナは、正しく剣豪の名に相応しい存在に見える。
アイリは。体全体の動きはもう単調そのもの。ただまっすぐに走るだけとなった。
だが、彼女の支配範囲に入るなり、右方の兵は皆剣の餌食になり、左方の兵は腕で投げ飛ばされる。
どうせなら左も剣を持てば、とも思えるが、アイリは剣を振る勢いを左の腕で作り出しているフシがある。
左手で敵を掴み、これを投げ飛ばす反動で逆手の剣を振るう。剛力の化身のような暴れっぷりであった戦闘序盤からは考えられぬ柔の動きだ。
とはいえ、アイリはそういった剛力を活かした戦いを好む部分もあれど、元々はその方が効率が良いからそうしていただけだ。
だから今のアイリは、自分の衰えた体力に相応しい、最も効率的な戦い方を選択しているのだろう。その超然としたありようは、達人と呼ばれる超が付く熟練者のみに許されるものだ。
この二人が常時三人も四人も相手してくれるおかげで、イェルケルは最大でも二人を同時に相手するだけで済んでいる。
そんな頼りの二人も、限界は近い。なんとしてでもそれまでに本陣に、とイェルケルは策を考える。先ほど一眠りしたのが良かったのか、イェルケルは何故かもう、思考ができる程度には回復を果たしていた。
敵本陣までの距離は、と周囲を見渡したところでイェルケルは奇妙なことに気付いた。
まだ最後の敵防衛ラインを突破はしてない。それは確かなことなのに、何故か敵本陣の旗がすぐ側に立てられている。
その不可解な現象の答えはすぐに出た。こちらに襲い掛かってくる兵士たちが、二種類居るのだ。決死の表情の兵と、どこか余裕のある表情の兵士とで。
必死さが足りない、と感じられる兵士はそうでない兵士より幾分か上等な鎧をつけている。
『……まさか、最終防衛ラインを押し込みすぎて、本陣と重なってしまっているのか?』
まともな戦ならば、打ち破られた陣の兵士たちはほうほうのていで逃げ出すものだが、イェルケルたちはたった三人だ。すぐに突破された陣も再編されて合流してくるのだろう。
それを繰り返しながら後退していたら、本陣とかぶってしまったと、そういう話ではなかろうかとイェルケルは考える。
前方、奥の方では、イェルケル達とは別のことで何やら騒いでる様子がある。如何にもな騎士たちが集まっていることもあり、イェルケルは進路をそちらに決めた。
「スティナ! アイリ! ここは既に敵本陣だ! 後少しだ! この先の騎士たちを蹴散らし敵大将を討ち取るぞ!」
こんな叫び声一つで、スティナもアイリも動きに躍動感が戻るのだから、意識の持ち方とは重要なのだろうな、とまたイェルケルはこんな状況に相応しくないことを考える。
もちろん敵も反応してくる。
騎士たちは一斉に迎撃の構えを取る。だが、騎士たちの更に後ろでは騒ぎがより大きくなったようにも見えた。
騎士の内の数人は、騎馬のまま突っ込んでこようとしたが、当然前には味方歩兵の壁がある。怒鳴りつけて下げさせようとする彼らは、逆に別の騎士に怒鳴られる。
その騎士が指示すると全ての騎士は馬を降り、剣を手にイェルケルたちの方に突っ込んでくる。指示を出した騎士は、まっすぐイェルケルを狙ってきた。
イェルケルの冷静さを取り戻した目は、彼が、彼こそがこの軍の中核を担う者であると見た。
同時に類稀な武勇を誇る戦士であろうとも。
イェルケルは、次にダレンス教官とやる時があればこうしようと思っていた技を披露する。
両手で握った剣を、右から振り下ろしにかかる動きから、一瞬で左からのそれに切り替える。敵騎士、冷静沈着に対応し剣撃を受け止める。
剣と剣が衝突する瞬間、イェルケルはなんと剣から手を離してしまう。敵騎士は大して力を入れてもいないのに、大きく弾かれたイェルケルの剣に驚き反応が遅れる。
その隙に懐深くに入り込み、敵騎士の胸に背を預けるような姿勢でまず左手で敵騎士の剣を押さえ、残る右手で敵騎士のサブウェポンである短刀を引き抜く。
イェルケルの狙いに気付いた敵騎士は大きく身を引くが、イェルケルは彼に体重を預け倒れこむように短刀を鎧の隙間より腹部に突き刺す。
苦痛に動きの止まる敵騎士。剣を落とさぬのは立派であるが、イェルケルはこの敵の剣を両手で掴み、敵に背を向けた姿勢から勢い良く更に半回転。
回る勢いで剣を奪い、そのまま横薙ぎに敵騎士の首を斬り飛ばした。
後続の騎士たちの驚愕の表情。イェルケルの予想通りだ。この騎士は、彼らの精神的支柱になりうる程の人望と実力を備えた者であったのだろう。
彼らには手を出すフリのみでその脇を駆け抜ける。残った騎士たちはびっくりするぐらい簡単にイェルケルのフェイントに引っかかってくれた。
その先に群になっていた兵士だかなんだかわからない連中を、邪魔だからと片っ端から斬ってやると、奥の奥に、馬に乗ろうとしているのだが焦りすぎて上手く乗れていない男を見つけた。
彼の従者が足を押して馬に乗せようとしている。
よくわからなかったが、とりあえずイェルケルは手にした剣を投げ、馬に突き刺してやる。
妙に甲高い悲鳴と共に馬から落下する男。彼の鎧がとても上等なものであったので、イェルケルは彼の側に歩み寄り、彼が腰に差した剣を抜きながら問うた。
「お前がこの軍の大将か?」
「うひゃひえええあうわいや! だ、誰か!」
何を言っているかわからないので、とりあえず一発殴ってみると、彼は呆然とした顔で大人しくなった。
「ボトヴィッド様のご子息、モルテン殿か?」
「い、いかにも! こちらにっ、み、身代金を払う用意はある! き、金額を言うがいい! すぐに配下に用意させようぞ!」
イェルケルは周囲を見渡す。この馬鹿を救おうと、幾人もの兵士達がイェルケルを取り囲んでいるようだが、モルテンに万一の事があってはと手を出せずに居るようだ。
少しして彼等の包囲を突破してくる叫び声が。
「「殿下ああああああああああ!」」
単身で先行してしまったため、それと知ったスティナとアイリが大慌てでこちらに来た模様。
この上この二人に合流されてはと兵士達は必死に阻止にかかっていたが、まともに指揮を執る者もいない中ではどうにもしようがなく、そのままあっさりと二人に突破されてしまう。
「ご無事ですか殿下!?」
「でんかっ! 一人で行っちゃうなんてどういうつもりですか!」
二人に対し、イェルケルはモルテンの首元に剣を突きつけたまま笑って言った。
「すまん。だが、大将首は見つけたから、勘弁してくれ」
イェルケルが足で踏みつけて押さえ込んでいるモルテンは、ひたすら命乞いを繰り返しているが、イェルケルは無視して周囲の兵士たちに告げる。
「私は生きているが、コイツは今ここで死ぬ。戦は、私たちの勝ちだ。文句のある奴は今すぐ剣を取りかかってくるがいい!」
そう叫び、モルテンの首を斬り飛ばした。
スティナとアイリが王子の前後にこれを守るように立つと、まずは兵士たちが悲鳴と共に逃げ出す。
これを留めんとする者たちもいたが、彼らも逃げ出す兵士たちの波に押されていき、いつしかイェルケルたち三人の周囲には誰も居なくなっていた。
もちろん全ての兵士が逃げたわけでもなく、幾人かの勇敢な兵士は三人に襲いかかってきたが、疲労しきっているとはいえこの三人を圧倒するほどの戦力ではなく、そも指揮を執る者が全くおらぬので散発的な抵抗にすぎなかった。
周囲から兵士の姿が全て消えても、三人が警戒を解く事はない。
いつ矢が飛んでくるか、全周囲に注意を払いながらじっと待つ。
待つ、というか。少なくともイェルケルはもう、一歩もそこから動けなくなっていたので、そうしているしか無かったのだが。
日は暮れていき、大地も空も何もかもが真っ赤に染まり、そして彼方の山の稜線から太陽が消え失せる。
こうなってしまうと、弓では狙いがつけられない。そこまで行ってようやく、イェルケルは膝を折り、その場に座り込んだ。
彼に倣うように、スティナもアイリも大地に腰を下ろす。
まずはスティナが、腰を下ろすどころかそのまま大きく仰向けに寝そべって、天空に向けてあらん限りの声を出す。
「勝ったあああああああああああああああああああ!」
次にアイリが同じく仰向けに寝転がる。
「どうだ! 見たか! 我らが勝ったぞ! 我らだけで勝ったぞおおおおおおおおお!」
最後にイェルケルが、仰向けにぶっ倒れながら両腕を上に突き出し叫んだ。
「能無し元帥! アンタん所の誰にこんな真似ができる! どんなもんだ! 私たちは! たった三人で勝てるんだぞ!」
言いたいことを言った後、イェルケルは自身の意識が急速に失われていくのを感じたが、これを留める努力を彼は放棄し、心地よい眠りに身を任せるのだった。
戦場にて二度目の目覚めであったので、イェルケルの現状把握は早かった。
周囲はもう真っ暗であったが、星明りのおかげか薄ぼんやりとではあるが周りのものも見えなくもない。
そこはヒドイ有様だった。
すぐ見える場所にモルテンの首なし死体が転がり、それ以外にも最後の最後までイェルケルたちに挑むことを選んだ勇者たちの死体が至る所に。
よく見ると、すぐ側、手の届く所にすら転がっているではないか。
多分臭いもヒドイのだろうが、鼻がバカになっているせいかまるでそれを感じることができない。
こんな所で寝るなんて、まともな神経では到底できぬ真似であろう。イェルケルすら自分のやってしまった所業に軽く引いてるぐらいだ。
今すぐにでも動きたいのだが、そうできぬ事情があった。
「……さすがに、今起きろとは言えんよな」
イェルケルは両足を伸ばした姿勢で上体のみを起こしているのだが、まずはその右足、腿の辺りを枕にスティナが熟睡していた。そして左足には、抱き枕のように足にしがみついた姿勢でアイリがこれまたよく眠っている。
二人共、とても穏やかな顔で眠っているので、起こすに起こせないのだ。
周囲には三人で斬りに斬った死体たち。皆まともな形をしておらず、血やら中身やらの臭いが充満しているだろうこの地で、イェルケルを枕に天使のようにあどけない顔で眠る二人の騎士。
イェルケルはこの時、改めてはっきりと認識する。
これが、イェルケルの騎士たちなのだと。