135.その頃シルヴィさんは(後編)
シルヴィが調教した馬ならばちょうど一頭分、その程度の金が集落にはあった。もちろん今シルヴィが乗っているようなのは全て非売品である。
女は一人しか殺していないので、残る女九人は怯え震えたままだ。シルヴィは金を取り上げた後、残る九人に改めて聞いた。
「この後、アテはある?」
親切からの問い掛けであるが、受け取る側は脅迫と取ったようで、全員が正直にアテを述べる。
四人は村に帰るという。この四人は少し毛色が違うと思っていたが、どうやらさらわれてきた娘たちらしく、盗賊たちに村人を何人か殺されはしたものの村はまだ残っているという。この四人は、早々に出立させた。下手に放置していた場合、女たちは殺し合いを始めるかもしれないと思ったから。
残る五人は盗賊たちと同じ村の出で、行くところもないらしい。かといって財貨もなく、食料も半分を四人の娘たちに渡してしまっていたので大した量はない。
シルヴィは山と山の間を抜ける街道の方角を差していった。
「ここからなら、女の足でも三日歩けば国境を越えられる。向こうで受け入れてもらえるかどうかは完全に運だけど、イジョラ側で同じことしてもし盗賊の出だとわかったら、ただ殺されるだけじゃ済まないよ」
農民ぐらいであると、違う国の人間とは一生涯顔を合わせないなんてことも珍しくない。
ましてや国境の先にある国はカレリアだ。女たちでもカレリアとは戦をしたばかりで、それもこっぴどく負けたという話は聞いている。そんな恐ろしい国にイジョラ人が行って無事で済むものか、と彼女たちは恐れおののく。
「そう、じゃあ好きにしたらいい」
あまりこの五人に手間を掛ける気になれないシルヴィは、馬に乗ると集落を後にする。
イジョラとは魔法に満ちた夢のような国。そうずっと聞いていたのに、イジョラ入りするなりコレである。
いつもにこにこ上機嫌なシルヴィも、さすがにげんなりとした顔であった。
そのままシルヴィはというと、別れた老人の村へと向かった。
老人は自分の村の場所を知られていないつもりであったが、この辺りの簡単な地図を記憶していたシルヴィは、おおまかではあれど村の位置を把握していた。
なので、こんにちはー、と手を振りながら村に入ってきたシルヴィを見た老人は、その場で腰を抜かさんばかりに驚きひっくり返ってしまった。
しかし伊達に老人ではない。年の功にてその場の最善手を選び取る。村人たちには、山で盗賊に襲われたところを助けてもらった恩人だと言う。そうすると皆、それはありがたいと歓迎する雰囲気になってくれる。
だが、この村には余分な食糧など残っていない。歓迎することもできず、謝礼をすることもできない。だからせめて村人みなで感謝を述べて気持ち良くなってもらおうという話だ。
シルヴィにはそんな老人と村の事情は全部わかっている。
だから、脅かさないよう馬から降りた後で、老人の前に立って頼む。
「少し話を聞きたいんだ。他にも盗賊はいるのかー、とか、色んなこと。いい、かな? もちろん話をしてくれたらお礼はするよ」
一応、シルヴィなりに諜報というものを考えている模様。
老人の家に招かれたシルヴィは、老人と二人で椅子に座って相対する。
シルヴィの格好は、そこからいったい何者であるかを判断するのが難しい。
決して上等とは言えぬ簡素な衣服と、貴族が乗るような立派な馬。なのに武器は木の棒を持っているだけ。
顔立ちは、下手に外を歩いたら人さらいにもっていかれそうな、人さらいでもない人すら人さらいになってしまいそうなほどの美人である。
ただ、背は高く大の男すら見下ろすような高さで、そんなシルヴィが長い棒を持っていれば他者を威圧するに充分であろう。
色々とちぐはぐなせいで、老人はシルヴィの正体を測りかねていた。
シルヴィは老人に言った。
「私? ぶげいしゃ、だよー。むしゃちゅぎょーちゅー」
女の武芸者など聞いたこともない。あと言えてない。老人はどんな顔をしていいものかわからなかったが、とりあえず武芸者を名乗るぐらいに腕が立つのは知っているので話を合わせることにした。
シルヴィは盗賊のことを聞きたがったので、老人は答える。山奥に入りさえしなければ盗賊は出てこない。年に一回は討伐隊が動き何十人という盗賊を成敗するのだが、その都度また新しい盗賊が山に入るらしい。
山奥の方は盗賊が隠れ潜むに適しており、村からだけではなく街から逃げてきた犯罪者が籠ることもあるとのこと。
恒常的に盗賊がいる、というのはカレリアでは特定の地域以外ではなかなか考えづらい状況だ。
だが老人曰く、もう老人が生まれる前からずっと、イジョラはどこもこんなものらしい。
これにはシルヴィも困ってしまった。一定の確率で新たな盗賊が湧き出てくるというのであれば、シルヴィが幾ら殺して回ったところであくまで一時的な処置にしかならない。
老人は置かれた状況をよりわかりやすく説明してやる。
「そうそう戦なんてもの起きないもんじゃろ。それも自分たちよりずっと弱い相手と戦える戦なんて盗賊退治ぐらいのもんじゃ。それが、年に一回は特に考えなくても行なえるというのであれば、定期的に手柄が量産できるという話にならんか?」
「うわぁ……それがわかってて盗賊する人いるんだ」
「盗賊するような奴らはそんなこと考えちゃおらんよ。ほんの少しでも先を考える頭があれば盗賊なんぞにはならん。そんな馬鹿共に、殺される者たちが哀れでならぬわ」
「おじーちゃん、それ自分のことだよ」
「うぐ、長く生きてきたが、あんな不覚は初めてじゃ。馬を買う金が貯まったことで、年甲斐もなく浮かれておったのじゃろうなぁ。本当に助かったぞ。ありがとうな」
「えへへ、うん。ねえ、おじいちゃんの畑、見せてもらっていい? 私ね、こう見えても農地の勉強すっごいしてるんだよー。土見ればそこがどんな畑かなんてすーぐにわかるんだから」
「ほほう、言うのう。よし、ではわしの畑を見て驚くがよい。村では一番よい畑じゃ、わしも伊達に年くっとらんというところを見せてやるわ」
シルヴィの武勇と巨躯に恐れおののいていた老人も、妙に人懐っこく、子供みたいな話し方をするシルヴィと話していると、自然と普段通りの自分で話をするようになっていた。
例えばこれがイェルケルたちではこうはいかなかっただろう。平民同士ならではの距離感や機微といったものがあるのだ。
妙に仲良くなったシルヴィは老人に案内されてその畑に向かった。そこでシルヴィは自身の常識ではまったく考えられないものを見た。
それは畑であった。だがその土が、シルヴィの常識ではありえぬものであるのだ。
『なに、これ。こんな豊かな土、私見たことない』
周囲を見渡す。シルヴィが勉強した内容に、こうした特筆するほどに豊かな土は大きな川沿いに見られることが多いとあったのだが、ここは川からは離れた場所にある。
しかもこの豊かな土は、畑である部分から少しでも外に出ると突然雑草すら生えないだろう不毛の土へと切り替わるのだ。
すぐに悟った。これが魔法による祝福なのだろうと。
シルヴィが驚いている間にも、老人は得意げに自分の畑自慢をしている。面白かったのは、畑に魔法をかけてくれる魔法使い様が魔法をかけやすいように畑を作るのが最も重要だ、と考えていることだ。
その魔法というのがどうやって使われるのかシルヴィにはわからないが、見渡す限りの広大な畑に魔法をかけて回るというのであれば、それがとんでもない労力であろうことは想像に難くない。
土をいかに活かすかではなく、魔法をいかに活用するかに農民たちの意識が向いているのだ。これはシルヴィにはとても新鮮な考え方に見えた。
そして、同時に理解する。領主たちが魔法の全てを取り仕切っているというのなら、カレリアと比べても農民の立場がより一層弱いというのはよくわかる話であろう。
とはいえ魔法では土を豊かにすることしかしないらしく、そこで麦を育て守り、刈り入れるのは農民がやらなければならない。それがどれだけの重労働かは、シルヴィもよく知っている。
ただ、限られた土の力をいかに活かすかが農業だ、とばかり考えていたシルヴィにとっては、それ以外に力を入れることでも同じ効果を得られるかもしれない、という発想自体に感動を伴う驚きがあり、こうして老人の畑を見られて良かったと思えた。
なのでそれを素直にシルヴィが表現すると。
「おじいちゃん、凄いねえ。私、こんな畑初めて見たよ」
笑顔のシルヴィに老人は、本当に嬉しそうに頷いて返すのであった。
魔法を知らぬ国の人間に魔法の恩恵の素晴らしさを語るのは、イジョラ農民に許された数少ない優越感を得られる話題であるからして、老人もこの話をする時はとても嬉々とした表情であった。
そしてシルヴィもこの魔法の説明によって、イジョラ入りしてからずっと不可思議であった現象の理由を得ることができた。
人里が近づくにつれ、自然の植生が明らかに不自然になっていくのだ。それもこれも魔法によって大地の力を偏らせた結果であろうと、農業を学問として学んできたシルヴィにはわかった。
だがそれ故にこそ、この老人はカレリアの農業従事者ならば誰もが知っている様々な知識が欠けているのもわかった。
豊かな大地の見つけ方、効率的な大地の力の運用方法、そして、開拓の仕方。
シルヴィは盗賊に聞いた領地の窮状の真偽を確かめる。すると老人は苦い顔でこれを認める。ここ数年少しずつ税が上がってきていたが、今年になって急激に税額が跳ね上がったらしい。
「戦、関係してるのかな」
「かもしれん。そうでないかもしれん。どちらでもワシらには関係ない。そうじゃろ?」
「……うん。こういう話を大っぴらにするのもどうかと思うけど、私のいた所だと、畑、領主様に隠れて作ってたよ」
シルヴィの言葉に老人は目を丸くする。その反応を見て、シルヴィはこの村にはそうした備えはないのだと知った。
隠し畑とは領主に内緒で畑を作ることで税を納める必要のない収穫を確保することだ。もちろん違法行為であるのだが、徴税人も一々村の全てを見て回る程暇ではないので、限度を弁えたうえで余程下手を打たなければ見つかることは少ない。
「そ、そのような恐ろしいこと、もし領主さまに知れたら……」
「うん、だからバレても誤魔化せるように村から離れた場所で、あまり手間のかからないもの作るの。お芋とかなら遠くから見る分には畑には見えなかったりするでしょ。畑を作る場所は工夫しなきゃだけど、もしもの時にと、後、ほんのちょっと贅沢もできるからね」
恐れ多い顔をしていた老人は、真顔になって考え込み始める。それを見てシルヴィはくすりと笑い言った。
「もしよかったら、私近くを見て回ろうか? 隠し畑、私これまで何度か作ったことあるんだよ」
「む、むむむ。りょ、領主様に隠し事はよくない。が、見るだけならば、まあ、なあ」
「うんうん。領主様はズルをするもんなんだから、こっちも準備ぐらいはしておかないとね」
シルヴィが隠し畑候補地を探している間に、老人は村人たちを集めて相談をしていた。結論は、とりあえずその隠し畑候補地を見てからという、なんともしまらない話であった。
だがシルヴィが見つけてきた山裾の林の中の候補地を見ると、村人は皆落胆した顔になる。
そこは林のど真ん中であり、当たり前に木々が生えている場所であったからだ。畑の外を覆うように木が立っているのがいい、との話だが、ではこの木を全部切り倒すのかとなるととてもではないが農作業の片手間にできることではない。
だがそこでシルヴィが村人たちに申し出る。
「三日ももらえれば、ここ、私一人で畑にしてあげるよー」
ハハハそんなバカな、という村人たちの前でシルヴィは一本の木に歩み寄る。その木はシルヴィが両手を広げても覆いきれぬ太さで見上げんばかりの高さを持つ。これに、シルヴィは大きく後ろに振りかぶった腕を全力で叩きつけた。
村人全員が驚き腰を抜かしそうになる大きな音がして、木の幹は表皮が弾け飛び、その巨木はみしりと斜めにかしいでしまった。
「む、ちょっと当て方失敗した。次は大丈夫だよー」
再び同じ木の同じ場所に、シルヴィは振り回した腕を叩き込む。今度の音は先程よりも重苦しいもので、それはシルヴィの打ち込んだ衝撃がより余すところなく木に叩き込まれた証であるのだが、もちろん農民たちにそんなことはわからない。
だが今回、木は先以上に斜めに崩れることはなかった。
「はい、んじゃそことそこどいてねー」
場所を空けさせ三発目。今度は重い音はない。だが、農民たちの驚きは最も大きかった。
シルヴィは腕を振りぬいてしまったのだ。大木に向け振り回した腕を振りぬくということはつまり、木は完全に、千切れ折れてしまったということで。
勢いよく千切れた部位が跳ね上がり、大木の上部が大地に向けて落下してくる。それが人の背の十倍はあろう大木で行われるのだから、そんなものを目の当たりにしてしまった農民たちの驚きや、衝撃や如何に。
シルヴィは、うまくいったー、と嬉しそうに微笑みながら農民たちに問うた。
「ね、できるでしょ。どうする、隠し畑本当に作るんなら、私やっておいてあげるよー」
そして三日目の昼頃。様子を見に来た村の衆に、シルヴィは恥ずかしさに顔を隠しながら言った。
「あのね……ごめん。ちょっとここ、根っこが変に入り組んでて手間がかかっちゃって……三日って言ったけど、一週間ぐらい、かかっちゃう、かも。それでも、いいかな? あーもう恥ずかしい! なんであんな調子に乗ったこと言っちゃったかなわたしっ!?」
より長く作業していてくれるというのなら、農民たちにとってもありがたい話である。彼はこの三日間でシルヴィが作業した場所を眺める。
三十本以上の木が折り倒されており、その太い根っこも大半が引っこ抜かれている。この根っこをシルヴィが一人でぶっこ抜く光景も信じがたいものであった。普通は牛やら馬やら使って引っ張るものであろうに。
また折った木は丁寧に近くに並べて置かれている。これもまたシルヴィが軽々と引っ張って並べたものだ。若い衆ではこの内の一本を引っ張って移動するだけで三日かかる自信がある。
若い衆にはよくわからなかったが、シルヴィは木を引っこ抜いた地面の更に下に根が張り巡らされているのでこれを全部除かなければならない、と言っていた。それぐらいなら自分にもできそうと思ったのだが、シルヴィが根っこを探すために地面を掘り返す様を見て、ああやっぱり絶対無理だと、協力の申し出を即座に引っ込めたのだった。
この材木は村で使うことが既に決まっている。商人を呼んで売り飛ばすことも考えたが、これで隠し畑がバレでもしたら本末転倒なので、この材木は雨に濡れぬ場所で保管し村で使っていこうとなったのだ。
きっちり一週間。シルヴィはこれだけの時間をかけてすぐにでも畑として使えるものに仕上げてみせた。
魔法使いの祝福が期待できなくても問題はないような土を選んだので、隠し畑として問題なく機能する畑であった。
これで、シルヴィはこの村での用事は全て終えた。突然現れて盗賊から村人を守り、重税の窮状を救うべく隠し畑を作ってやる。そんなありえない親切をしてくれた相手に対し、彼ら農民たちはどうするか。
老人はすがるような声で言う。
「のう、シルヴィ。実はの、山一つ越えた先に、ワシの娘が村長に嫁いだ村があってな……」
もしよければそちらの村でも同じように親切にしてもらえないか、と言ってくるわけだ。
図々しいにも程がある願いだが、老人も他の農民たちも真剣である。こんな村人総出で数か月かかるような作業を片手間にやってしまうような人物の、手助けを借りれる機会なぞこの先絶対にないだろうから。
意地汚いだの図々しいだのみっともないだのといった話は、相応の教育を受けてこそ考えられる発想である。老人は、シルヴィの態度、それほど迷惑でも苦労することでもない、といった態度を信じ、それならば多少なりと手間をかけてはくれないか、と頼んでいるのだ。
そしてシルヴィは、その大した苦労ではないよ、という態度そのままににっこり笑って答える。
「うん、いいよー」
シルヴィも農民なのだ。老人が何を考えるかぐらいわかっている。元より感謝されたいだの、礼を言われたいだのの為にやっていることではない。
重税、飢饉、そういった危機から逃れる助けになりたいと、それだけであるのだからむしろどこをどうしてくれと具体的に口にしてもらえるのはシルヴィにとってはありがたい話である。
三か月後。
なんやかやとシルヴィは十の村を回り、隠し畑を作ったり、山の熊を狩ったり、盗賊を退治したりと村の厄介ごとを解決して回っていた。
そんな真似をしていながらシルヴィがそれほど有名にならなかったのは、村人たちがシルヴィを領主に取り上げられるのを恐れたからである。
シルヴィの名前は、あくまで密かに、農村の人間のみに教え伝えられていった。
十一個目の村に立ち寄ったシルヴィは、すぐにその村の違和感に気付けた。
『あれ、この村。他の村よりずっと余裕ある?』
遠くから村を一瞥したのみでそれを見抜けるのはやはりシルヴィが農村の出身者であり、またカレリアでも色んな村を回っていたせいであろう。
もちろんこの村も、前の村で紹介されてきた場所であるので、何かしらの困りことがあるのだろうと村を訪ねる。
するとシルヴィは上機嫌な村長に招かれ彼の屋敷へと向かう。
そう、屋敷であるのだ。豪農と呼ばれる裕福な農民というものはカレリアにはそこそこいたものだが、イジョラでは全く見かけなかった。この村には何か特産物でもあるのだろうか、と首をかしげながら屋敷の中へと。
屋敷の中でシルヴィを出迎えたのは三人の男であった。
彼らは得意気にシルヴィに茶を勧める。この手の嗜好品というものは、農村では滅多に口にすることはできない。シルヴィにはこれが高級な種類かどうかの判別はできなかったが、きちんとした陶器に入れてお茶を出されると、味云々ではなく雰囲気で高いものを飲んでいるという気になってしまう。
三人の男たちの中で最も美男である男が、いかに自分たちはシルヴィを歓迎しているかを滔々と語り出す。このお茶もその証であると。
「シルヴィさん、貴方の義侠心に私たちはいたく感心させられました。そうまで農民のために働ける貴女ならば、今のこのイジョラの現状に当然思う所もあるでしょう。わかっております、わかっておりますとも。イジョラ貴族の横暴さ、理不尽さ、そしてカレリアの悪辣さも!」
「ん? なんでそこでカレリアが出てくるの?」
「ほほう! シルヴィさんはご存じない! 確かに、カレリアの卑劣さは一見しただけではそれとわからぬもの。ですが我々の目は誤魔化せませぬ!」
男曰く、今イジョラ中で税が大幅に上がっているのは、間接的にカレリアのせいであるというのだ。
少し前までイジョラには、カレリアからの贅沢品が山と流入してきていた。それは牛肉であったり、高級ワインであったり、とろけるようなチーズであったりと色々だ。
何年もかけこれらの味に慣れてしまったイジョラ貴族は皆、こぞってこれらの高級品をカレリアより輸入するようになっていた。カレリアの高級品は一般の農民からすれば馬鹿馬鹿しいとしか思えないほどの金額であり、こんなものを買い漁っているせいで税が上がっていると言われても納得できるものではない。
カレリアに踊らされ農民に負担を強いるイジョラ貴族も愚か極まりないが、一緒になって本来イジョラ農民のものであるはずの富を吸い上げているカレリアもまた悪の権化である、と男は言う。
シルヴィは、男が興奮しながら語るほどに頭に血が上るということはなかった。
重税を課す貴族は悪い。だが、贅沢品をカレリアが売りつけていると言われてもシルヴィにはあまり納得ができない。この構図はカレリアでもあった、農地改革を受け入れた王家直轄領と昔ながらの農法を続けた南部貴族との対立に似ている。
こんなもの買わなければいいのに無理して買う方が悪いに決まっているだろう。そもそもイジョラへの輸出には国が関税を課さないどころか補助金を出してさえいたのだから、例えばアルハンゲリスクや南部諸国連合と比べればイジョラはずっと安く仕入れられたはずである。
もちろん今はそういった優遇制度はないし、そもそもカレリアからイジョラへの輸出は全て禁じられている。きっとそれでもとカレリアの品を手に入れようとして、南部諸国連合を通じて仕入れ馬鹿みたいに値段が跳ね上がってしまっているのだろう。
ちなみにこれは余談であるが、イジョラに流れていた品は不幸な行き違いにより戦となってしまったアルハンゲリスクに対する優遇措置として、関税を下げたそちらに優先して流れるようになっている。アルハンゲリスクの単純な者はカレリアの高級品が安く仕入れられるようになって喜んでいるが、少しでも先の見える者は、このまま関税が下げられっぱなしとなるとアルハンゲリスクの産業が潰されてしまうと真っ青になっている。
ただまあ男にとっての話したいことはカレリア死ね、ではないようだ。彼は熱っぽく現イジョラ貴族政権への不満を語り、多分そうくるかなーとシルヴィが思っていた通りの申し出をしてくる。
「シルヴィさん、是非、私たちと共にイジョラと戦ってください」
熊や盗賊を蹴散らしたその見事な武勇は、農作業で埋もれさせるべきではありません、という彼の言葉は、事実を知る者からすれば失笑ものであろうて。
シルヴィ・イソラの武からすればこの程度のこと、片腕のみですら容易くこなせる仕事であるのだから。
男の熱心な誘いの言葉にシルヴィは、全く全然これっぱかしも、心を動かされることはなかった。
「え? ヤだよ、そんなの」
とても嫌がっているシルヴィに、男は逆に驚いた。
「な、何故ですか? シルヴィさんなら……」
と色々とごちゃごちゃ説得の言葉を並べる男であったが、シルヴィは当たり前のことを言ってやる。
「イジョラの魔法使いに、農民が何人集まっても勝てるわけないよ。イジョラの民なら誰だってそんなことわかってるんじゃないの?」
それは問題ないと男は様々な言葉を並べ立てるが、それらは全てあまりに都合の良い話ばかりで、とてもイジョラ軍をどうこうできるような作戦案には思えなかった。
一々問題を指摘してやるほど仲良しでもないので教えてやるような真似はしないが。反イジョラの組織がイジョラ国内にあるというのなら、これと接触することに意味はあるかも、といった考えはシルヴィにもあったが、この程度の作戦案しか提示できぬ相手ならば気にかける必要もないだろうとも思えた。
それにシルヴィは一つ、とても気になることがあった。
しつこい食い下がってくるこの男に、シルヴィは二人だけで話がしたいと持ち掛ける。男はすぐに了承し、男と部屋にて二人っきりに。気配を探るも、部屋の外には本当に誰もいないようだ。
なのでシルヴィはすぐに本題を切り出した。
「おにーさんさ、イジョラの人じゃないでしょ。他所の国からきた、工作員、ってやつじゃないかな」
男は表情に変化を出さない。シルヴィは構わず続ける。
「ああ、別に答えなくていいよ。これを人に言って回るつもりもないしね。ただね、私そんな相手に利用されるのってすごく気分悪いから、絶対に貴方に協力なんてしないよ。私が話に乗らない一番の理由がこれだから、悪いけど諦めてくれるかな」
男は声を荒らげるでもなく物静かな口調で言う。
「貴方があらぬ疑いを私にかけていることは理解しました。遠回しに私という人物が好ましくない、そう言っていると受け取らせていただきます。でしたら残念ではありますが、無理にお引止めはしませんよ」
「うん。あとね、余計なことかもしれないけど、変な真似はしないほうがいいと思うよ」
「ははは、我らの理想は変わりません。イジョラに対し、我々は何処何処までも戦い抜くつもりですよ」
そう、と呟き、シルヴィは席を立つ。この村へと招いたのもこの男の差し金であろうし、もうこの村にも用はない。この村には男たちが多少なりと援助をしているのだろうから、大きな問題は起こっていないはずだ。大抵の問題は、金さえあれば解決するのだから。
部屋を出ると、男以外の反イジョラの男二人が、話の内容はどうだったとシルヴィに問うてくる。
この二人は見るからに農民の出である。学も無さそうだが、腕っぷしの強さに自信がありそうな、そんな二人であった。それなりに良い体躯でもあるのだが、シルヴィと比べればまだ小さくはある。
男二人は悪気なくシルヴィの大きな身体を褒め、一緒にやろうぜと無い学を絞り出しながら必死に誘いにかかる。シルヴィのような美人と共にあれる機会を見逃してたまるか、といった気迫すら感じられた。
こちらの二人は先の男と違って本気で、かつ命懸けで反イジョラ組織に与しているようで、そんな覚悟の決まった男たちからまっすぐな好意を向けられるとさしものシルヴィも無下にはしづらい。
少し困り顔で二人の相手をしているシルヴィの耳に、馬の嘶きが聞こえた。
男二人、まるで心当たりがないのかきょとんとした顔。だがその嘶き声からシルヴィは馬が危急の事態であると察する。そして多分、もう間に合わないとも。
シルヴィは、あれは私の馬だから、と断って厩舎へと向かった。
どのようなちょっかいをかけたものか、馬の側には死体が一つ。そして、馬も最早虫の息となっていた。
そして、シルヴィが異国の諜報員であると断じた男が、嫌らしい笑いと共に馬の側に立っていた。
男の周りには二十人の武装した村人が。男はにやにや顔でシルヴィに向かって言った。
「シルヴィさん、貴女とんでもないことをしてくれましたね。この暴れ馬、なんと村の若い衆を蹴り殺してしまったんですよ。それはもうひどい暴れようで、仕方なく仕留めさせていただきましたが。ねえ、シルヴィさん。これ、どうしてくれるんです? 人、死んでるんですよ? 貴女これどう責任取ってくれるんですか?」
シルヴィの馬は、馬の素人にすら一目でわかるほどの優れた馬である。これを盗み出そうとして失敗し蹴り殺されたのだろう、とシルヴィはあたりをつける。もしくは、シルヴィに対する嫌がらせのつもりで最初から馬を殺す気であったか。
この馬、カレリアでも非売品の馬である。何故なら乗りこなせる者が限られてしまうから。
これまでにこれと同程度の馬を乗りこなせたのはカレリアにおいても第十五騎士団を除けば三人しかおらず、彼等はそれこそこの村一つ丸々買えてしまうほどの値段で買い取っていった。これもまた余談であるが、その三人共が先の戦においてドーグラス突撃で馬を潰してしまっており、シルヴィのもとに買い直しにきていた。
そんな貴重な馬を、彼らはそれと知らずに殺してしまったのである。
シルヴィは彼らを無視して馬の側に向かい、荒い息を漏らす馬を一つ撫でた後、その首をへし折ってトドメを刺してやった。
いきなりの行為に男達は皆驚くも、工作員の男は気を取り直して言う。
「わかります? この兵士たちの力? コイツらは貴女が殺した盗賊なんてチャチな相手じゃない。本物の兵隊ですよ。わかるんなら話を続けましょう。わからないというのなら、面倒ですがわからせてあげますがね」
シルヴィは農民だ。農民であるからこそ、理不尽な行ないにも、傲慢な上位者にも、悲しい仕打ちにも、慣れてはいるのだ。
ゆっくりと立ち上がり、厩舎に立てかけてあった棍を手に取る。
「すっごく大切で貴重な馬だけど、馬は馬だし。馬一頭のことで人を殺すほどではないと思う。だから、貴方たちは殺さないでいてあげる。私の馬に手を出して勝手に死んだ人に関しては、私の知ったことじゃないよ」
その値段を考えれば皆殺しにしてもおつりがくるであろうが、シルヴィの価値観においては、人と馬の命は釣り合わぬものであるのだ。だから我慢もする。
せいぜい追っ手をかけられぬ程度に思い知らせればいいと。
シルヴィはゆっくりと棍を横に薙ぐ。シルヴィ的にゆっくりであって、くらった方は反応すらできぬ速度であったのだが。
これに胴を殴られた男は、大きく三軒向こうの家の側まで、殴り飛ばされ地面を転がっていった。
驚き硬直する彼らを他所に、シルヴィは右、左、右、と更に三回棍を振り回す。一回に一人、敵が殴り飛ばされていく。いやこれは、棍を使って投げ飛ばしているという表現がより相応しかろう。
打ち殺してしまわぬよう加減しながら、シルヴィは次々敵を投げ飛ばしていく。敵もまた動こうとはしている。しているのだが、無造作に見えるシルヴィの棍撃をただの一人も避けられず、この隙をついて接近することもできず、まるでかかしのように突っ立ったまま投げ飛ばされ続けているように見えるのだ。
半数も投げ飛ばすと、シルヴィと工作員の男との間の遮蔽は全て失われてしまう。
工作員の男は慌て驚き身を翻そうとするも、シルヴィの踏み出しから逃れることはできず。下から掬い上げるような一撃をもらってしまう。
「な!? んなっ!?」
男は、高く高く舞い上がった空の上から、眼下に広がる村の姿を睥睨する。人なんてもう手の平ほどの大きさもない。
声にならぬ悲鳴を上げながら落下していく男。そこに待ち構えているのはシルヴィだ。
シルヴィは再び棍を振るう。それはいかな妙技か、棍の先に引っ掛けるようにして落下してくる男を受け止めると、棍先に男を乗せたままこれをぐるりと大回し。回転により下に向かっていた男は再び真上に向かわされてしまい、空高くへと舞い上がっていく。
男の甲高い悲鳴が村中に響くが、だからと誰かが助けに入ることはない。今下手に手を出せば間違いなく男は死んでしまうだろうし、そもそも、人一人を棍先で空高くに投げ上げるような化け物に、何をしろというのか。
三度目の投げ上げで、男もこれをシルヴィが狙ってやっていると理解する。男は空の上から懇願する。
「た、頼む! わかった! 俺が悪かったから助けてくれ! もうっ! もうアンタには手を出さない!」
シルヴィは落下してくる男を四度投げ上げながら言う。
「えー? 本当に?」
「本当だ! 神に誓ってもいい! だからもうこれはやめてくれえ!」
じゃあ、と棍先で丁寧に受け止め、地面に下してやった。
馬がなくなってしまったので、シルヴィは荷物を自分で背負い、まだ呆然としている武装農民や他の農民たちを他所にさっさとこの場を立ち去ってしまう。
ふと、シルヴィは思い出す。
カレリアで、シルヴィが初めて隠し畑を作った時のことだ。
シルヴィの面倒をよく見てくれたおじちゃんたちが、シルヴィに諭すように言い聞かせたのだ。
『いいかシルヴィ、人に親切にするのはとても良いことだ。だがな、無作為にそうし続けていたら必ず、嫌な奴がそれを嗅ぎ付けお前を利用しようとしにくる。そんな時はな、絶対に変にかっこつけたりせず、嫌なものは嫌だ、って言ってやるんだ。理由なんか説明しなくていい。お前が嫌だから嫌なんだ、って胸を張って言いきってやれば、向こうもお前がやりたくないことを無理にさせるのは難しくなるんだからな』
結局その時は、シルヴィのところに嫌なことを言いにくる人はいなかったが、きっとそれはおじちゃんたちが守ってくれていたのだろうとわかる。
『親切なんてものはな、お前の機嫌次第でいいんだよ。機嫌がいいから手伝った、気分が悪いから今日はやらない。そんな程度でいいんだ。そりゃな、仕事や義務はきちんとやらなきゃ駄目だ。だがな、それ以上の善意や親切ってやつは、絶対に他人に強要されたり誘導されたりするようなもんじゃあねえんだ。お前は極端に強い力を持ってるんだからな、その辺、よく気をつけるんだぞ』
そのおじちゃんの言葉を絶対の正義と信じてるなんてことはない。だがシルヴィは、この言葉に従って親切をするととても気楽にそうできるので、かなりお気に入りの言葉になっているのだった。