133.ロータヤの青鬼(後編)
容貌優れるとはいえ小娘以外の何者でもない相手に、ヨウシアの最後の頼りである軍をこれでもかと馬鹿にされたのである。
むしろこれで怒らないのならそれはもう貴族ではないだろう。
ヨウシアが憤怒に任せ殺害を命じるのを、他貴族が誰も止めなかったのはそういうわけだ。ただ内の幾人かは、もう少ししたら生け捕りにすることで愉快に思い知らせようと申し出るつもりであったようだが。そうやって執着してしまうぐらい、レアは美しかったのだ。
槍を構えた歩兵たちが、歩幅すら揃えながらゆっくりと進んでくる。
その後ろに続く弓兵たちは、このまま別命なくば射程に入るなり攻撃を開始する予定だ。そしておそらくそれで決着がつく、と兵士たちは誰もが考えていた。
そう、魔法で操られているからといって判断能力が失われているわけではないのだ。ただ意思決定の際、支配者による命令が大きく影響するというだけで。
だからもし、生きろ、という命令を出された兵士が目の前に敵兵を迎えた場合、即座に全力で逃げる者もいれば、目の前の敵をありったけで殺しにかかる者もいる、それが魔法による支配である。
軍としてこれらを率いる場合、そうした兵士毎のブレが生じないよう普段から訓練を重ね、命令を積み上げておくのだ。この場合はこうしてはならない、この場合はこうすべき、といった形で。
なのでイジョラの兵士は、訓練を施す者の能力差がモロに出てしまう。故に、ヨウシアはレアに大笑いされたのである。
整然と、それこそ靴音すら揃えて進む歩兵たち。これに恐怖せぬ者なぞおるまい、そうヨウシアは確信していたのだが、標的たるレアはというと恐怖する気配すら感じさせぬまま逆に歩兵たちに向かって走り向かってくるではないか。
貴族の何人かは、彼我の距離が半分にまで詰まった辺りでヨウシアに女の命だけは助けようと言うつもりであったのでこれには大いに慌ててしまう。
そしてレアが腕を振るった。それが貴族たちにも見えたのは、連続して何回もその腕を振り回したせいだ。
レアからは遠く遠く離れた場所にあったはずの、木組みで作られた松明台が、全て、一瞬でその場に倒れる。
剣は預けたレアであったが、懐に入れておいた短剣は全て持ったままであったのだ。宿で武器を全て預けろと言われても隠せる分は持っていたらしい。
もちろん松明台が崩れた程度ですぐに火は消えないが、いずれ油が尽きて火は消えるだろう。
それに、そちらに構っている余裕は兵士たちにはない。
駆けるレアが、遂に歩兵たちの先頭へと至ったのだ。
戸惑いながらも命令通り殺すべく動く兵士たち。レアに対し槍を突き出したのは二人だけ。そういう幅で布陣していたのだから仕方がないことだが、これではレアに笑われても仕方がないだろう。
もちろんただ槍を前に突き出すだけの訓練を繰り返してきたような間抜けの槍に、レアが当たるはずもない。驚くべきことに彼らは槍を突き出す際、捻ることすらしていなかった。
それが虐殺ではなく戦いに見えたのは、戦う兵士たちが一切怯むことなくレアへと挑み続けているからだ。
レアの右手に握った鉄鍋が、兵士の腕ごと頭部を叩くと彼はその場で意識を失い倒れ伏す。逆腕に持った包丁は、受けに使えるような形状ではないはずなのに、これを器用に用いて後方より突き出してきた槍を捌いている。
最初の三人まではレアも上手く加減して武器が壊れないようしていたのだが、段々と面倒になってきたのか扱いが雑になっていき、六人目をぶっ飛ばしたところでもう鉄鍋はへこみひしゃげて鉄板のようになってしまっている。
包丁の方は刃物として扱っているようでまだまだキチンとした形であるが、金属鎧の隙間を突き刺すような真似を続けていればいずれこれも壊れ砕けるだろう。
ただ今は、鉄鍋と包丁を縦横に振り回し、レアは一流の武具に身を包んだ兵士たちを片っ端から斬り、叩き殺して回っている。
観戦している貴族は、レアの動きの速さが遠目にもわかるのか、なんだあれは凄いなと酒を飲みながら笑っている。時々聞こえるぱかーんという、鉄鍋で殴った戦場に不似合いな甲高い音も彼らの笑い所らしい。
ただ一人ヨウシアのみが、内心のみではあるが兵士たちの不甲斐なさを怒鳴りつけていた。
『たった一人を相手に何をしておるか!』
確かに動きは速い。だがあんな小娘一人、兵士たちがよってたかって押し寄せればそれだけで潰し殺せよう。なのに何故そうしないのかと怒っているのだ。
他の貴族が皆笑っているので、自分の度量が小さく見えぬようこれに合わせているが、腹の中は煮えくり返っていた。
ちなみにこれ、悪いのはヨウシアである。兵士たちは押し寄せて肉壁で圧し潰すなんて戦い方をヨウシアには教わっていない。よしんば思いついたとしても、その戦い方を実践する権限を持っていないのだから意味はない。
兵士たちはただ愚直に教わった通り、槍をまっすぐ突き出すしかできない。ただ、兵士たちもまた考える。与えられている権限、やり方の中でいかにコレを倒すかを。考えつかねば死ぬのだから、それはもう彼らは必死である。
もっと狭い間隔で、槍と槍の間を小さくできれば、あの恐ろしく速い奴でも抜けてはこれまいと、誰がというわけではなく兵士たちは皆が自然と脇を締め、横に迷惑をかけぬままに鋭い突きを出せるよう工夫する。
その動きはすぐにレアにもわかった。指揮官からの指示もなしにこんなにも早く兵士が前線で対応を考えるというのは、レアにもちょっと経験がない。
魔法使いの指示に従うしかできない哀れな木偶人形かと思っていたレアであったから、この動きには少し驚いた。
そして考え、答えを出す。彼らは非効率にすぎる命令を受け慣れているのだろう。
理不尽で愚かな命令を、現実に即した形に落とし込み実践する、そういうやり方に慣れているのだろうと。
『……さすがに、同情する、かも』
魔法に逆らえないのなら、逆らわないように上手くやるしかない。そのしぶとさはスティナ辺りが聞いたなら喜びそうな話である。
そこまでわかっていても、同情はしてもレアの剣筋は鈍らない。理由のいかんに関わらず、レアに刃を向けたならこれを避けなければレアは死ぬのだから。
そういったわかりやすさも、レアが戦場をそれなりに気に入っている理由の一つだ。
誰しもが事情は抱えているもので、だが、戦場で敵に刃を向けた瞬間、それは斟酌すべきものではなくなる。極めて単純だ、生きるか死ぬかを賭け、お互いがこれまで積み上げてきた全てをもって比べ合うのみ。
積み上げてきたものの中には、思うがままに動けぬようになる何かも含まれる。だからそれは、レアが加減してやらなければならない理由にはならないのだ。
レアの止まることなき奮戦に、これを見ている貴族たちも笑えなくなってくる。
空気が変わったことに安堵しつつ、ヨウシアは我慢していた苛立たしさを解き放つ。
「この馬鹿者どもが! 歩兵が押さえている間に弓兵で射ぬか!」
貴族たちの半数は、その手があったか、と手を叩く。残る半数はせっかくの兵を巻き込むことを残念そうにしていた。
その動きは、レアの予想より大幅に遅かったが予想通りであった。
弓隊が動き始めるとレアは、周囲を完全に歩兵たちに取り囲まれていながらこれを強引に突破にかかる。
そうさせないための包囲であり、ヨウシアは今更慌てても遅いわと高笑いであるが、レア・マルヤーナの侵攻を留めうる存在なぞこの場にはいない。
進路上の兵士全てを薙ぎ払い、騎馬よりも速く駆け抜けるレア。どの兵士も、ほんの僅かもレアの足を止めることはできず。
そんな予想外のレアの動きにも、命令が伝わっている弓隊は対応する。仲間の兵士たちから離れていってくれてるのだから、撃ちやすくなったというのもある。
レアの鉄鍋がひらりと一閃。レアに当たる矢の全てが弾かれる。
走るレアはここでもやはり不満そうだ。
『予想してたけど、これはヒドイ。ぜんっぜん狙えてない。きっと静止目標だけで、練習してたんだ。訓練の跡が見られるだけに、残念すぎるよコイツら』
あっという間に弓兵たちの隊に飛び込むと、彼らはまともに狙うことすらできなくなる。
こんな近距離かつ味方が密集する中に矢を射掛けた経験もないだろうし、だが、それでも命令に従って射なければならない。そしてそれは、レアが振り切ってきた歩兵隊たちも一緒で。
弓隊が混乱する場所に、歩兵隊もレアを殺すという命令を果たすべく突っ込んでくる。もう、その様は戦争なんてものではなく、チンピラ同士による河原の大喧嘩といった風情だ。
その頃になってくると、倒れた松明の火も消えてしまい、灯りは天より降り注ぐ月光のみとなる。
それでも今日の月は煌々とまるで昼間のように輝いており、兵士たちも、誰よりも鮮烈に飛び回るレアも、青く、白く、照らし出されている。
松明ではなく、月明かりであるせいか。
レアの行なっている所業は、悪鬼もかくやというような残忍な行為だ。鉄鍋は失われ、今はもう素手で敵兵士たちを殴り、千切り、潰し、殺してまわっているのだ。兵士たちの無残な遺体は、およそまっとうに生きた人間の死に様ではなかろう。
だがそうした強烈な光景は月明かりが程よく緩和して、ただ一人薄く輝く美しい戦士が、押し寄せる兵士たちをその体躯に似合わぬ剛腕にて薙ぎ払っている様のみが、強く見る者の心に残る。
ぼんやりとだが、兵士たちの恐怖に怯える悲壮な表情が見える。あまりの恐ろしさに涙を溢している者もいる。彼らが魔法で操られているのは、この場にいる誰もが知っていることだ。
そんな兵士の絶望を歯牙にもかけず、不機嫌顔のままで次々とこれを屠っていく剛勇の徒。それは見ている者が、もういいだろう、と思えるほどの数を殺して殺して殺し続けても、全く止まる気配はなく。
兵士たちにとってそうであるように、まるでその青白き者が天より降りし触れざる者であるかのような神秘をすら漂わせる。
ヴァロも、エルノも、手どころか口すら出せない。
手合わせではない、本気全力な戦場のレアを見て、その壮絶な技とあまりに人間離れした能力に、二人は絶句したままこれを見つめるのみ。
エルノは心中大いに恥じている。アレと共に戦えるなんてほんの少しでも思ってしまっていた自分が、あまりに無知であったと。
ヴァロもまた恥ずかしさに逃げ出したい気分であった。アレをヴァロ程度が助けようなどと、あまりにおこがましい話ではないかと。
貴族たちは、自分たちが考えていた常識が目の前で崩れていく様に言葉もなかった。たとえ魔法を用いようとも、あそこまでの存在がこの世にあるなんて、彼らには想像することすらできなかったのだ。
恐ろしい、だが、美しい。それが彼らの共通した思いであった。
ヨウシアは感激に震えていた。かつてツールサスの剣の怪物たちを見た時のような驚きと、そんな珠玉をその価値も知らぬ下人が見つけてきたかのような幸運に。ヨウシアはこの出会いに中央へと返り咲く道を見出した。
最後の一手であった兵士たちが失われていくのも気にならない。あれら全てと引き換えにあの宝玉が得られるというのなら、喜んで兵の全てを捨てようと思えた。
そして、ヨウシアの思う通りに、レアは群がり寄ってくる兵の悉くを殺し尽くした。
押し寄せた戦士たちはただの一兵も逃げることはなく、故にただの一兵も生き残ることはなかった。
生き残れたのは、命令をもらわなかった騎馬隊のみであった。
貴族の一人が、ぼそりと呟く。
「あれが、鬼か……」
戦場を無慈悲に無残に暴れて回る人ならざる者。決して人の手に負えぬ、伝承の中のみに生きる逃れえぬ暴力の象徴。
全てを殺した青白き鬼は周辺に遺体の散らばるその地に、しばし殺戮の余韻に浸るかのように立ち尽くす。
そして、ゆっくりと貴族たちのいる高台の舞台に向かって歩き始めた。
『疲れた。もうヤだ。なんで逃げないの? 馬鹿じゃないの? 勝てないってわかったら引こうよ。いくら弱いからって、こんなにたくさん斬るの大変なんだから。そのへんのところ、もうちょっと考えてくれてもいいんじゃないかな。気が利かないっていうか、使えないっていうか。もうだめコイツら。ぜんぶだめだめ』
全てを殺したレアは、あまりに疲れすぎていたせいでもう一歩も動きたくなくなっていた。
レアが殺した総数は八十人である。幾ら弱いとはいえ、必殺の意志を持つ者にこんな数で一度に襲い掛かられては、レアも手なんて抜けるわけがなく、手を抜かぬままにこれだけの数殺すまで動き回っていれば、疲れるのも当たり前である。
『絶対、闘技場で二百人と順に戦う方がマシ。でんかはつまり、楽してたってこと。許すまじっ』
あまりに疲れすぎ腹が立ったので、とりあえずイェルケルのせいにして脳内にて文句を言っておく。不思議と、そうすると心が安らいでくれるのである。
それでもしばらく休めば体力は回復する。何か飲み物が欲しい、と考えたレアは、それがある高台の舞台へと向かった。
この時点で、レアはヴァロとエルノをどうするかは全く考えてなかった。これだけ殺しといたんだから、後は自分でなんとかしろ、ということである。
レアの進む先には騎馬隊がいたのだが、彼らはレアへの攻撃命令を受けていなかったので、即座に道を空けた。その時の動きすら整然としたものであったことがレアの琴線に触れたのか、レアはくすりと微笑んだ。
レアの笑みを見た騎馬隊の面々は、誰もがそれはそれはもう驚いた顔をしていた。
レアを迎えることになる貴族たちは、しかし皆が当たり前の顔であった。
この場にて最も高貴な存在である自分たちを、あれほどの神秘が素通りするはずがない、と彼らは考えていたのだ。
貴族たちにも恐怖はあった。だが同時にあったレアの美しさがこれを凌駕したのだ。
そんな貴族たちの考えなどレアには当然思いもよらない。ただ喉が渇いたからそちらに向かっているのだ。もちろん、それ以外にも目的はあるが。
木組みの舞台はレアの背の三倍の高さであったが、レアにとってはなんの障害にもなりえず。二度跳躍しただけで貴族たちの並ぶ舞台の上へ立つ。
舞台上にはテーブルと椅子が多数並べてあり、レアはテーブルの上の水差しを手に取り、一気に全て喉に流し込む。
そして、飲み切った後のレアの笑顔のさわやかなること。
ぷはーっと息を吐く、ちょっと品のない所作ですら愛らしくも美しく見えるほど、それは魅力的な笑みであった。
レアはこれに満足すると、周囲を見渡しここで一番偉そうな男、ヨウシアの前へと向かう。
ヨウシアはレアを出迎え、喜色満面で言った。
「素晴らしい! 古の英傑にも劣らぬ正に英雄たるに相応しい戦いであった! 見事なり!」
まさかいきなり褒められるとは思ってもみなかったレアは、きょとんとした顔に。
「あ、うん、ありがと」
ヨウシアは言葉を続ける。
「その見事な腕前! この私が買ってやろう! 我が野望の先陣を切り! 存分にその腕を活かすがよい!」
おー、と歓声を上げる貴族たち。自らの兵を殺されたというのに咎める言葉の一つもなしとはなんと寛大なお方だ、といった意味である、この歓声は。
舞台に上ったら、言われるだろう文句を嘲笑ったうえで殺してやろう、と思っていたレアは大いに思惑を外されていた。
ただ、それでもやることは変わらないといえば変わらない。
「ねえ、ここに魔法使いなのに、平民に負けた恥知らずがいるって聞いたんだけど、どれ?」
いきなりのレアの言葉に、ヨウシアも貴族たちも驚き目を丸くする。が、それが誰かなど彼らにとっては明白すぎることで。貴族たちの視線が一人に集中する。
「そいつね、ありがと」
てこてこと歩み寄るレア。こうして間近に見ればレアの愛らしい容貌もはっきりと見えるし、戦場では恐ろしき巨躯に見えた身体もまるで子供かと思えるほど小さいものだとわかる。
なので戦場で感じていた恐怖の大半が失われ、貴族たちは皆が緊張感のない、宴の最中であるかのような状態であった。一人、侮辱された恥知らず以外は。
彼は月明かりだけではない青ざめた顔でレアに問う。
「な、何か?」
「うん、死ね」
レアの蹴りが真正面から胴に突き刺さる。男は後方に大きく吹き飛ばされ倒れた。
彼は倒れながら数度痙攣しつつ口から勢いよく血を吐き出し、そのまま動かなくなった。
ヨウシア含む貴族は皆が、レアの動きを全く予想していなかった。
武力において絶対的優位にある魔法使いに対し、暴力を以て対する者がいるとは思ってもみなかったのである。ましてやここには二十人の魔法使いがいるのだから。
レアはヨウシアを指さす。
「ソレが、今回の責任者でしょ。だからオマエも死ね。後は、邪魔しないんなら殺さないでもいいかな。でも、邪魔するよね。だからまあ、全部殺すかな」
殺さないでもいい、とか言いつつレアはとりあえず手近な所の魔法使いの頭を殴り潰す。
ここにきてようやく事態を悟った貴族たちは大慌てで魔法を放つが、そんな雑な魔法がレアに当たるはずもなく。
内の半数なぞは避けるまでもなく当たっておらず、先程弓兵を見た時と同じ感想をレアは抱く。
しかもこの貴族たち、レアの戦いを見ていたのなら勝てないことぐらいわかりそうなものなのに、全員が本気でレアに勝てると思いながら魔法を撃ってくる。なのでレアが魔法を避けるとひどく驚くのだ。
『意味が、わからない。イジョラの貴族教育って、もしかしてカレリアとかなり違う?』
意図して馬鹿を育てているのでは、とかレアは半ば以上本気で考えていた。
そんな連中だからして、先程の兵士とは全く別の理由で、全員がレアに殺し尽くされてしまった。途中でビビって逃げ出した奴もいたが、レアから逃げることはできなかったというのもある。
そして最後に、レアはヨウシア・パッラスマーを残した。
彼は腰を抜かして倒れてしまっていたので、後でいいや、と思ったというのもある。
彼の前に立ち、レアは言った。
「貴方は褒めてくれたから、遺言ぐらいは聞いてあげる」
どうぞ、とレアが先を促すと、ヨウシアは恐怖に震えながらレアに言う。
「待て、待ってくれ。わかった、貴様の力はよくわかった。望みはなんだ? この私が直々に叶えてやろうではないか」
「いやだから遺言……」
「よさぬか! よもや、よもや王都よりの刺客か!? だがならば交渉の余地はあろう! 資金援助は誰であろうと必要であろう! こうして王都を離れた地ならではの資金繰りが私には可能だ! な、なあ! お主の主も資金はあって困るものではあるまい!」
「いや、稼ぎすぎたって、ちょっと困ってる」
「つ、強がりはよせ! 今のイジョラに金が有り余って困っている者なぞおらん!」
ちょっと拗ねた顔のレア。
「嘘じゃないのに……まあいいや、遺言がないんならもう殺すよ」
「よせ! 望みならばなんでも叶えてやると言っていよう!」
「戦争、したかったんでしょ。だからきちんと、戦争してあげる。貴方を指揮官と認めるのは色々とどうかと思うけど、特別に指揮官首として、戦争当事者として、きちんと仕留めてあげる。よかったね」
レアもまた、殊更に人を苦しめる趣味はない。一撃で首を刎ねると、彼方から大声が聞こえた。
「今だ!」
声の主は騎馬隊の隊長らしき男で、彼の号令に合わせて騎馬隊は一斉に逃げ出していった。
レアは少し考える。恐らくこの貴族による支配の魔法が解けたということだろうと。なのでここぞと逃げ出したのだ。
逞しいね、とレアは苦笑するのだった。
結局、ただの一度も戦わなかったヴァロとエルノ。
レアは疲れたから寝る、運んで、と言って馬に乗って寝てしまったため、二人は馬を引っ張って夜通し歩き続けることになった。
途中エルノがぼやく。
「なーんか俺、結局何しに来たのか、よくわかんねえよな」
「……俺は、絶対忘れねーよ」
ヴァロがそう呟くと、エルノは照れくさそうにそっぽを向くのであった。
レア曰く、貴族はみんな殺したし兵士も生き残りはみんな逃げたのだから問題はない、ということだったが、そんなわけがない。
ヨウシアの娯楽は街のほとんどの者が知っていることで、ああした催しの日はヨウシアたちに気付かれぬよう遠くからこれを見物する者が多数いたのだ。
ただイェルケルの相談に乗った顔役曰く、少し大人しくしていれば、もしかしたら上手くいくかもしれないとのことで、イェルケルは彼に任せることにした。
ヨウシア・パッラスマーとその取り巻き貴族の殺害事件は、ヨウシアが権力争いに敗れ中央から落ちてきた、という前歴があるせいで、捜査担当は当たり前にまず中央の犯行を疑った。
何せ百人の訓練された兵士のほとんどを殺し、二十人の魔法使いを皆殺しにするほどだ。そこらの盗賊やらにできることではなく、よほどの戦力をもってこれを行なったのであろうと。
そして捜査担当者に対し、この戦いの一部始終を見た者たちが協力することは決してない。
少し考えれば彼らもまた捜査担当者と同じく、中央よりの暗殺を考えるし、何より、そこで起こった出来事があまりに常軌を逸していて、正直に説明しても納得してもらえる自信がなかったのだ。
ましてやあれほどの魔法(彼らはあれが魔法によるものだと思っている)の使い手を、敵に回すような真似ができるものかと。
あれこそイジョラ最強の暗殺魔法、忍び寄る影だと主張する者もいたぐらいだ。もちろん、そう思ったのならばより自分が目撃者であることをひた隠しに隠すであろうが。
ヴァロとエルノはその暗殺に不幸にも巻き込まれた、という受け取られ方である。中央による暗殺であったのなら、ヴァロとエルノが生かされているのも不思議であるのだが、その辺は噂話らしく無責任に「わからない」と結論付けられていた。
捜査担当者はそもそも、ヴァロとエルノがいたことすら掴んでおらず、程なくしてこの事件は犯人不明のままで幕を下ろす。その結論の早さに顔役は、捜査官は最初からそのつもりであったのだろうという。
誰しも、中央の権力闘争なんて毒蛇の巣に首を突っ込みたくはないのである。
そしてロータヤの街では、ヨウシア・パッラスマー暗殺事件は『ロータヤの青鬼』事件と呼ばれるようになる。
誰が言ったなんて話にはならない。話の出所は複数あって、そのどれもが自分ではないと主張するのだから。
だがその話はまるでおとぎ話のような、たった一人の青白き鬼が百人の訓練された兵と二十人の魔法使いを全て倒すという話でありながら、細かな描写が異常に生々しい話であった。