132.ロータヤの青鬼(前編)
イェルケルのイジョラにおける貸し金業もそれなりに軌道に乗ってきた。
怪しまれない程度に儲ける、という細かな調整は商売においてはとても難しいもので。全く儲からないか、大きく儲かるかのどちらかだ。
元々商売の専門家でもないイェルケルであるからして、むしろ儲かっている現状を幸運と捉えるべきであろう。
ちなみに。イェルケルの客の大半は、その大きすぎる武力を恐れて献上するかのように利益を提供してきているのだが、イェルケル当人に脅しているつもりは皆無である。
これだけ強いのなら貸した金を踏み倒されて倒産する、なんて恐れがないので安心して取引できるという面も、ほんの少しぐらいはあるが。
周囲が見るイェルケルたち『殿下商会』の面々は六人、そして協力者が二人だ。
協力者二人は、宿の一室を事務所として提供している宿のおばちゃんとその旦那。
『殿下商会』の所属員は商会の主である殿下と、正体不明の配下が三人。ちなみにこの内の一人は小柄な美少女であるということが判明しているが、この少女も含めその圧倒的な戦闘力から人間である、とは誰も思ってはいない。
残るは二人。一人はヴァロという有名な戦士だ。武器を使わず己の拳足のみを頼りとし、魔法使いをすら倒してのけた武侠の男である。そしてこの男と並び称されるもう一人の優れた戦士、エルノが最近になって『殿下商会』入りした。
殿下はこの街にくるまで無名の商人であったが、ヴァロとエルノはどちらもここらでは名を馳せた男たちだ。特にヴァロはこれまで誰かの下につくということがほとんどなかったため、これをもって殿下の実力を認める者もいた。
もちろん、ヴァロもエルノも、殿下商会入りをイェルケルたちは認めた覚えなぞないのだが。
「へぇ、随分と金もってんだなぁ」
そんな呟きと共に、イェルケルよりちょっとした手伝いの駄賃をもらうエルノ。隣で先にもらっていたヴァロも景気の良い話にとてもいい笑顔である。
「だろ? 殿下ってすげぇ気前いいんだって。おし、これで早速飲み行こうぜ」
「おう、これなら久しぶりに良い酒が飲めそうだな。殿下、こういう仕事なら大歓迎だぜ、また何かあったら声掛けてくれよ」
あまり気前がよいとか言われると、仕事以上に賃金を払ってしまった気になって不安になってくるイェルケルだ。
宿を出ていったヴァロとエルノを見送った後、イェルケルは不安そうな顔でアイリに払い過ぎかと問うと、アイリはこれを問題視はしていなかった。
「実力というには大いに不足してはおりますが、そこらの雑兵に後れを取らぬ程度には使えますので、払う額としては妥当なところでしょう」
「私もそう思っての金額だったのだが、ああも喜ばれるとな」
「実力相応の賃金を払ってもらえる環境になかったのでしょう。イジョラは魔法偏重の文化がありますし。あの二人ならば下手な魔法使いより余程使えるでしょうに」
少し意外そうにイェルケル。
「案外評価してるんだな」
「実力分は、評価はします。イジョラ国内では魔法使いの評価が高すぎるのですよ。戦場で見た魔法使いも、本当に恐るべきと思えた相手は数えるほどでしたからな」
「……恐ろしい相手はとんでもなくおっかなかったけどな」
「そのぐらいやってくれねば魔法王国の名が泣きましょう」
相変わらず手厳しいアイリにイェルケルは苦笑するしかない。
殿下商会は敵が多い。相当数のチンピラを斬り殺しているのだから当たり前といえば当たり前であるが、武力のある敵はそのほとんどが刈り取られた後であり、今残っている敵は大きな武力を持たぬ相手ばかり。
となれば搦め手で攻める他ないのだが、そういった動きにはこの街の顔役が目を光らせている。彼はイェルケルたちの保有武力をこの街の誰よりも正確に把握しており、これの矛先になることが絶対の死を意味するとよく理解していた。
なので現状表立って動く者は皆無であるのだが、恨みというものはそう容易く飼いならせるものではない。
損得を無視して動く相手ならば、顔役の制止も殿下商会の武名も役に立たなくなる。そうした時のための安全弁として、ヴァロとエルノをこの宿に置いておくことには意味があるのだ。
どちらもここら一帯では敵無しの優れた戦士であるのだが、殿下商会にあっては予備保険扱いも致し方ないところであろうて。
夕方過ぎ、殿下商会の四人が今日の分の仕事を終え夕食を取ろうと一階の食堂になっている部屋に集まったところに、昼間っから飲みに出ていたヴァロとエルノが戻ってきた。
両者共顔中腫らして衣服もそこらが汚れたまま、上機嫌に歌を歌いながら肩を組んで歩いていた。
襲撃を受けたか、と一瞬緊張するイェルケル。一方出迎えた宿のおばちゃんは呆れた声である。
「こーの馬鹿二人、また他所でケンカしたね。どこでやったんだい」
エルノは歌を止めて笑いながら答える。
「かーちゃん、だーいじょうぶだって。今日は外でやったからなーんも壊してねーし」
「そうそう! おばちゃん今日は大丈夫っ! なんせめっちゃくちゃ美味い酒だったんだしな!」
「さいっこうだったなあの酒! かーちゃん、ウチにもあの酒置こうぜ!」
「良い酒なんて置いといたらアンタらがすぐに飲んじまうじゃないか。ほら、他の客の迷惑になるから二階にでもあがってな」
イェルケルが真顔で二人に問う。
「ケンカの相手は?」
イェルケルの誤解を察したおばちゃんが代わりに答えてくれた。
「ああ、違う違う。この馬鹿二人は気分が乗ると外でも二人でケンカ始めるのよ。この街に、コイツらこんな顔にできる奴ぁいやしないわよ」
結構本気で心配しただけに、拍子抜けな顔をするイェルケル。それと、ほんの少しだけ羨ましそうでもあった。
そこで思い出したようにヴァロがイェルケルに言う。
「そうそう、俺ちっと用事が入っちまってさ。三日ほど街あけるからよろしくな」
「わかった、面倒ごとか?」
「いやいや、前に世話した奴からさ、店開いたから是非ロータヤの街に来てくれってよ」
意外そうな顔をするエルノ。
「なんだよ、しばらく見ないうちに随分としゃこーてきになってんじゃねえか」
「そんなんじゃねえよ。前に殺されかけてたの助けてやってな、ドン臭え奴だがそれ以来何かと気に掛けてやってたんだ。そういう奴がさ、遂に店出すなんて聞いたらそりゃお前、顔出してやろーって気にもなんだろ」
「くっくくくく、相変わらず懐いてくる相手にゃめっぽう弱ぇよなお前」
「うっせ。まあそういうわけだから、ちょっと行って飯でもオゴられてくるわ」
ヴァロは気の良い男だ、それはこれまでの短い付き合いの中でも皆わかっていたことだが、こうして改めて聞かされるとやはり気分は良いものだ。
上機嫌になったイェルケルなぞは、商会の馬を貸してやろうとまで言いだしたのだが、さすがにそれは商会として動く形になりかねないのでヴァロもこれは遠慮した。
話は終わりだ、とヴァロとエルノは二階にあがろうとする。二人が廊下に出たところで、レアが声を掛けてきた。
「……そのトモダチ、どういう形で連絡してきたの?」
「あ? あー、手紙だけど、それがなんかあんのか?」
「見ていい?」
酔っ払い二人は意図の読めぬレアの申し出に困惑するも、幾ら酔っていようと逆らっていい相手とそうでない相手は見分けられる。なので言われるがままに手紙を渡す。
レアはじっとこれを読んだ後、小さく嘆息しつつ手紙を返した。
「で、何かあったのか?」
「ない。それが、問題なんだけど。まあいい、じゃ」
一切説明になってない説明をすると、さっさと食堂に戻っていく。なんなんだと首をかしげながらヴァロとエルノは、二階の部屋で飲みなおすのであった。
ロータヤの街はとりたてて語るべきものもない、平凡で普通の街だ。
ただそれはあくまで平民視点での話。イジョラ貴族の間では、権力闘争に敗れ田舎へと逃げ込んだ負け犬の治める街、という認識である。
なので率先して交流しようという者もなく、生産的な話を持ち込む者もなく、それは貴族がそうしていれば自然と平民もそうするようになるもので。
ロータヤの街の実情は、平凡ではあるが発展の見込みがない街、であった。
それでもここの領主ヨウシア・パッラスマーは貴族であるからして財産も大層な額をため込んでいる。
彼はそれを用いて、自身の失われた矜持を慰めるような、そんな遊びを欲していた。
今、ヨウシアの眼前には隊伍を整え整然と並んでいる兵士たちがいる。
これらは全てヨウシアが自らの魔法にて操っている兵士だ。百人の兵士にこの魔法を用いるのは手間ではあったが、その甲斐あってか、兵士たちはいつでも一糸乱れぬ動きを見せてくれる。
ヨウシアはこの兵士たちに、常に厳しい訓練を課していた。魔法使いが支配している人間にそう命じたのなら、命じられた平民は自らのありったけでこれに取り組む。
他の国の軍人ならば兵の訓練には工夫と手間をかけねばならないところだが、イジョラでそれはありえないのだ。
そしてヨウシアはその財力から、まるで金を生まぬ百人もの人間を雇い続けることができる。その訓練量はイジョラの正規軍兵士を超えるであろう、そんな兵士をヨウシアは百人も抱えているのだ。
いざとなればこの兵士をもって近隣の領地へと攻め込むこともできる。そうしないのは慈悲深いヨウシアがそれを許してやっているからだ、そんな風にヨウシアは自らを慰めているのである。
そんなヨウシアの周辺には、同じく没落したような立場の貴族が集まってくる。そこにヨウシア同様中央の権力争いに敗れた、という者はいない。集まっているのはあくまでヨウシアより目下の者だけだ。
魔法の力が弱すぎる地方貴族の次男や三男、不行状により実家を追い出された者、そして魔法使いでありながら平民に負けた恥さらし。
ヨウシアが勇ましく命じると、眼下の兵たちはそれぞれ歩兵隊、騎馬隊、弓隊に分かれ陣を組む。
ヨウシアの後ろからは貴族たちの驚きの声があがる。彼らを皆ヨウシアは心底から侮蔑していたが、彼らは自らの立場を理解している者ばかりなので、多少は目をつぶってやることにしている。
一人の魔法使いが声をあげる。
「何と、イジョラ軍の行軍はよく知っておりますが、こうまで正確で見事な動きは軍ですらありえますまい」
この男は軍への入隊後、三日で逃げ出した腰抜けである。なのにこの男の自慢は軍にいたことがある、なのだから失笑しか出てこない。
ただこの男のいうことは事実でもある。イジョラ軍の兵は皆徴用したもので、こうして今ヨウシアがやっているように常日頃から鍛えるなんて真似はしていないのだから当然だろう。
ヨウシアが聞き及んだ話によると、イジョラ魔法兵団を打ち破ったカレリア軍もヨウシアがしているような常備軍を編成しているらしい。その事実は、ヨウシアの暗い自尊心を快く刺激してくれるものであった。
もちろんヨウシアは愚か者ではない。なので勝ち目のない戦いをするつもりはなく、中央に逆らい軍を派遣されるような行為は決してしないだろう。だが、中央にて権力闘争にあけくれていたからこそ、どこまでやっていいのかの見極めも得意である。
そのぎりぎりの所にまで踏み込み、周囲よりの称賛と畏れを勝ち取り、再び勢力を盛り返そうとヨウシアは考えていた。もちろんこれも、妄想の類ではあるのだが。
ヨウシアが己の自尊心を満足させるために作り上げた軍隊は、しかしどこかと本当に戦わせるわけにはいかない。
その戦力に自信があるのは本心であるが、だからと他所の領地に踏み入れば中央よりの咎めがくるであろうし、せいぜいこれを使って示威行為を繰り返し有利な交渉を行なうぐらいだ。
それでもヨウシアは、鍛えた軍隊を使いたくて仕方がなかった。その溢れんばかりに満ち満ちた力を、実際に発揮させてみたかった。
なのでヨウシアは、この軍を何か事あらばすぐに用いるようになった。ちょっとした盗賊騒ぎや領内の視察への同行、他領よりの客の出迎えなどの度に彼らを披露し、それゆえ領民からは頼もしき領主様との好評価を得ていたりする。
そして今、ヨウシアは数年前より自らの側近くにあって何かと役に立ってくれる者のために、この軍を動かそうとしていた。
もちろん彼の働きに報いる、といった話ではない。魔法使いでありながら平民と戦い敗れたこの男を、ヨウシアは誰よりも軽蔑していた。
だが、彼が望むその平民への懲罰には興味があった。平民とはいえなかなかに優れた戦士であるという者を、訓練がてら叩き潰してやるのも悪くはないと思ったのだ。
平民を招き寄せるのはその貴族の恥さらしがやるというので彼に任せ、ヨウシアは久しぶりに血が見られると彼の配下や仲間を集める。
場所は街から少し離れた平地で、ここは軍の閲兵用に高台に舞台が設置してあり、上より軍の動きを見下ろせるようにしてあった。
舞台は広く作ってあり、数十人の貴族がここで歓談できるようしつらえてあり、閲兵場というよりは野外闘技場といった形である。
集まった貴族たちはこの高台の舞台より、軍の動きを観戦し楽しむのだ。これまでにも罪人や金で雇った流れの傭兵を相手に、ヨウシアは自分の軍にこれを襲わせていた。
恥さらし曰く、その男はかなりの強者のようで、他の貴族も幾人かが平民にすぎぬはずのその男の名を聞き知っていた。
とはいえ所詮平民であり、ヨウシア含むその恥さらし以外の貴族は皆、雑兵に毛が生えた程度にしか考えてはいなかったが。
ヨウシアは問う。
「で、その平民はいかにして呼び込むつもりだ?」
すると恥さらしは得意げになって言ってきた。
その男に恩がある者を脅し、手紙にて招き寄せるとのこと。ヨウシアは少し不満そうに問い返した。
「招きに応じねばそれで終わりではないのか?」
「アレは、悪意には敏感ですが、善意には鈍い男でして。我が策にぬかりはありませぬ」
「フン、まあよい。もし来ないというのならばその時は、我が精兵の相手は貴様にしてもらうことになるからな。せいぜい気を付けることだ」
恥さらしはご冗談をと笑っていたが、これが本気かどうかも見抜けぬから平民如きに負けるのだ、とヨウシアは恥さらしへの侮蔑を新たにしたのだった。
結論から言えば、恥さらしの目論見は完ぺきなまでに的中したし、見事にハメられたヴァロはそれはもうヴァロ史に残るぐらいの自己嫌悪に陥ったものである。
いったいどういう誘われ方をすれば、夜の平原なんてところに来いなんて話にのこのこ出向くというのか。
むしろ本当に引っ掛かる馬鹿がいることにこそヨウシアは驚いていた。
「……世の中には信じられぬ馬鹿もいるものだのう」
ヴァロ側からすれば、たとえ罠であろうとヴァロならば逃げ出すぐらいはなんとでもなる、と思ってもいたのだが、まさか三桁の兵士が待ち構えているなどと想像だにしない。
普通、まともな神経の持ち主ならば、たった一人を仕留めるのに百人も用意したりしないものだ。
月明かりが煌々と照らし出す中であったのでこの場にくるのはさして難しくなかったヴァロは、いったいどういう趣向だと楽し気に周囲を見渡すと、各所に据え付けられていた松明に火が灯る。
そこで初めて多数の兵士が並んでいることと、これを見下ろせる場所に席が設けられていることに気付けたわけだ。
その高台の席に、かつて自分がぶっ飛ばした貴族の顔を見つけてようやく、ヴァロはこれが罠であると悟った。
額に手を当てひどく落ち込んだ顔でヴァロは漏らした。
「そりゃ……殺されてもしかたねーわ。こんな間抜けやらかしてるようじゃ……」
見れば敵には騎馬すらいる、走って逃げることも叶うまい。
高台の舞台にて、恥さらしが前に出てここぞとヴァロを笑い者にするが、言われてるヴァロも全く異論の余地なく自分が馬鹿者だと思えたので反論は無しである。
だが恥さらしが、これぞ知略、とか言っているのにはさすがに賛同はできなかった。何言っても負け犬の遠吠えにしかならないので黙っていたが。
それに、とヴァロはずらりと並ぶ兵士たちを見る。
『やっべーわ。ありゃやべー。あの数にはさすがにかてねー。なんなのあれ。俺一人に金属鎧で完全武装した兵士百人とか、俺どんだけ恐れられてんだよ。そのじゅーぶんのいちで勘弁してください』
よく見れば弓を持っている者までいる。あれでは一矢報いることすらできまい。
はっきりと言ってしまえば、ヴァロは心底から、ビビっていた。ひざはがくがくと震えるし、頭の中は浮ついていて思考が全くまとまらない。どうやって逃げるかしかもう頭にはない。
ただ、ヴァロは不運なことに、こうした恐ろしい場面にはもう何度も出くわしてしまっていた。
その全てにおいて、自分の実力ではなく大いなる幸運に助けられてきたヴァロは、今回も同じく幸運が助けてくれるなどとは到底思えなかった。むしろこれまでの幸運のツケがきたかと思えてしまう。
恐怖とは、思考の全てより前向きな発想を奪ってしまうものであり、ヴァロもその例にもれず、今はやたら後ろ向きなことしか思いつかなかった。
それでも。場慣れだけはしていたヴァロは、あの高台で言いたい放題なアホに、一言言ってやらねば自らの武名が泣くと、ほんの微かに頭の片隅で思えてしまったのだ。
平身低頭すれば、案外許してもらえるものであるのに。
「はー!? なんか聞こえますがなんでしょうかねー!? なんかー! 平民に負けた雑魚がほざいてる気がするんっすけどー! これきっと幻聴っすよねー! 平民に負けた魔法使いとか恥ずかしくって生きていられるわけねーですしー!」
ヴァロの突然の大声に、高台の貴族たちはみなきょとんとした後、盛大に笑い出してくれた。
命をすら賭けた渾身のネタであるからして是非とも笑ってもらわなければと思っていたので、きっちり爆笑を取れたことに思わず拳を握ってしまうヴァロだ。
これで緊張と恐怖が解けてくれればよかったのだが、全くそんな様子もなく膝は相変わらず小刻みに揺れるままである。
だが、次の一撃で、ヴァロの身体から硬さが吹っ飛んでくれた。
ヴァロの後頭部に、すかぽーんと何かが命中したのだ。
痛い。痛いがそれは絶対に致命傷ではないとわかる痛さであって、それを気配のない後ろからぶつけられたことにこそ、怯え驚き勢いよく振り返るヴァロ。
「何、偉そうに言ってるの。こんな馬鹿な罠に、かかっといて」
レアだ。殿下商会のバケモノの一人、レアがヴァロの後ろに立っていたのだ。
この登場こそ予想外なんてものではなく、ヴァロは恐怖も何もかもを忘れて身を乗り出して問い返す。
「いやいやいやいや! アンタなんでこんな所いるんだよ!」
「馬鹿がはめられそーだったから、様子見に来た。本当に間抜けな罠だったから、絶対引っ掛かる人いないと思ってて油断した。貴方、スティナより馬鹿とかもう救いようがない」
「いやあの人すげぇ頭いいだろ。じゃなくて! え、本当に、俺が罠にかかるって……もしかしてあの手紙だけで?」
「そんな気がした。けど、手紙には一切痕跡なかった。だから、誰も説得できそうになくて、仕方なく私がきた。……なのに、貴方が馬鹿すぎたから、私武器全然持ってこれなかった。後で責任とって、イジョラで一番おいしい野菜よこせっ」
「あ、いや、助けてもらえんなら野菜でも酒でもおごるけどさ……」
そこで気付く。レアの両手には武器なんてものは一つもない。左手には包丁、そして右手には鉄鍋を持っていた。
「それで戦うの無理じゃね? どっから持ってきたんだよ」
「これで充分だし。武器なんて飾りだし。ていうか、ヴァロは武器嫌だったんでしょ。だから私が合わせてあげた。感謝すべきそうすべき」
ふと思い出すヴァロ。この街は基本的に武器の持ち込みは好まれないので、宿を取った時などは宿に武器を預けるよう言われるところも多い。
そして時に不埒な輩は、こうして預かった武器を誰かに盗まれたと言って勝手に売り飛ばしてしまったりする。そんな詐欺が横行していたな、と。
「……もしかして武器盗まれたとか?」
レアは無言でヴァロの足を蹴った。何度も。
「いたっ、いてえっ、本当のこと言われたからって怒るっ、だからいてぇ! マジ痛いってお前の下段蹴り洒落にっ! いてえっ! わかった俺が悪かったって!」
「ふん、わかればいい。貴方は助けられる方なんだから、大人しく私に感謝だけしてればいい」
武器屋もあまりないし、包丁と鍋程度ならそこらの露店でも手に入る。慌ててこれらを露店の人間から買っているレアを想像すると、かなり面白い光景だったのでこんな窮地の最中にあっても思わず笑いがこみあげてくるヴァロだ。
だが、何気なしに自分の足を見たところそんな愉快さも吹っ飛んだ。レアの下段蹴りのせいで足に赤い跡がついてしまっているのだ。
「っだー! てめえなんてことしやがる! これから俺ぁ一世一代の大いくさなんだぞ! 戦う前から味方に怪我させる馬鹿があるか!?」
「へえ、もしかして、勝つ気だったの?」
「勝てるわきゃねーだろ! それでも一人二人は道連れにしようと……あー、やっぱ無理か。弓まで揃えられちゃ打つ手ねーわ」
不意に、高台の舞台より大声が聞こえた。それは百人の軍隊への陣形の指示であり、この命令に従い軍は整然とそして素早く陣を整える。
多数の松明のおかげで、ここら一帯は夜だというのに表情が見えるほどに明るくなっている。
それはつまり、顔を一切隠していないレアの美貌も露になっているということで。貴族たちはこの乱入者をとても好意的に受け入れた。
笑いながら宣言するはこの場の主、ヨウシア・パッラスマーである。
「ははっ! 随分と色男ではないか! このような窮地に美姫が駆けつけるとはな! ソレは私がもらってやる故貴様は安心して死ぬがよい!」
だが、この場への乱入者は、レア一人ではなかったのだ。
そろそろ攻めるか、とヨウシアが動きかけたところで、更にもう一騎、今度は馬に乗った男がこの場へと突っ込んで来た。
「待て待て待てー! まだおっぱじめんじゃねーぞてめーら!」
そんな怒鳴り声が、それが誰かをレアとヴァロに教えてくれた。
「エルノ!?」
ヴァロが驚きの声を上げてる間に、騎乗したエルノが側まで駆け寄ってきた。
「こーの間抜け! あっさり引っ掛かってんじゃねーよ!」
「お前まで……そんなにアレ怪しい手紙だったか?」
「手紙? 何言ってんだ。俺ぁ向こうの街で、おめーが狙われてるって話聞いたんだよ。クソッタレが、面倒掛けやがってよ」
「……面倒っつーか、お前、敵の数見てねーのかよ。死ぬぞ、おい」
「うっせえ、だからどーした。てめえは俺の知らねえところで勝手にくたばんじゃねえよ」
エルノが怪しんだのは、レアの態度であった。
そしてレアがどこかに出掛けたと聞いて、まさかとロータヤの街の事情に詳しい者を探したのだ。
するとロータヤの領主は常備軍を編成し、いつもこれを使って自分に逆らう者をいたぶっているという話と、ヴァロがぶちのめした貴族がロータヤにいるという話を聞いた。
エルノは知人にロータヤで信頼できるという人物を紹介してもらった後、急ぎロータヤの街に向かう。その人物より正に今、ヴァロが罠に掛けられようとしていると言われ慌ててすっ飛んできたのだ。
だが、いざこの場に来てみれば、敵は軍勢百人ときた。
チンピラが百人とはワケが違う。見るからに訓練を積んできているだろう兵士が百人である。
さしものエルノもその勢いが止まらざるをえない。だが、馬の足ならばと一縷の望みに賭け飛び出したのだ。
飛び出した後で、敵軍に騎馬がいることに気付いて青ざめてたりするのだが。
若干ヤケクソ気味にエルノは怒鳴る。
「とにかく乗れ! 運が良きゃあっちの森まで抜けられるだろ!」
ヴァロは目元が潤んでしまいそうになるのを必死に堪えながら言い返す。
「さ、三人乗りじゃさすがに無理だって」
「三人?」
ヴァロが指さしてやって初めて、エルノは隣にちょこんと立つレアに気づいた。レアは片手を上げて挨拶してやる。
「おっす」
「ってなんでアンタまでいるんだよ! ちょっと待てヴァロ! もしかしてこれ殿下の差し金か!? なんだよ! 殿下達関係ないからって一人で来た俺の立場考えろっての!」
「しらねーよ! 俺が聞きてーよ! これ後で殿下、俺らにキレんじゃね!?」
「はあ!? なんで俺らなんだよ! 連れ出したのおめーなんだからおめーだけヤられろよ俺知らねーぞ!」
「あ! てめっ! 何一人で逃げようと……」
怒鳴り合いを始めたあと、すぐに気づいて二人は声を潜める。
「っと、こんなことしてる場合じゃねえぞエルノ。このままじゃ俺ら揃って殿下に殺されっぞ」
「……つーかそれ、今更じゃねえのか? 幾らレアがいるからって兵士百人は絶対無理だろうし、殿下に殺される前にふつーにここで死ぬぜ俺等」
「だーから、せめてもレアだけは生かして返してやらねーと、俺らあの世で殿下に合わせる顔がねえ」
「そう、だな。よし、わかった。この馬はレアに……」
二人の話がまとまる前に、再び高台の舞台からヨウシアの号令が掛かる。
陣形の組み換えだ。その素早い移動も一糸乱れぬ統率も、あまりに見事なものであり、ヴァロもエルノも会話を止めて思わずこれに見入ってしまう。
ヨウシアは少し煩わしそうな顔をしていた。
「これで終わりか? 次々とよくもまあ馬鹿ばかりがおることよ。しかも何事かと待ってやっていれば次に来たのはむさくるしい男ではないか。いらんいらん、お前のようなのは。冥途の土産に我が精兵による完璧なるいくさを見せてやる故、光栄に思うがよいわ」
ヨウシアの指示に従い、歩兵は前列に槍を構えて横に広がり、その後ろに弓兵が続き、更にその後方に騎馬兵が控える形に並びなおす。
この間、兵士たちは誰も無駄口を叩かず、黙々と動くのみであり、ある種の不気味さすら感じさせるほどであった。
そして最後のヨウシアの突撃命令を待つのみであったこの戦場に、小さくか細い、しかしよく通る澄んだ声が響いた。
「ア、アハハ」
ここは戦場である。故に、この場に相応しいのは野太い怒声か、或いは勇壮なる地響きか。そういう意味ではヨウシアの大声はあまりこの場に相応しいとは思えぬ軽々しいものであったが、それでも男性の声であればまだ、納得はできるものだ。
だが今ここに響き渡る声は、明らかに戦場らしからぬ、陽気で、愉快で、華々しくも軽やかな、女性、いやさ女の子の笑い声であった。
「アーッハッハッハッハッハ! ないっ! それはないっ! 兵士もいないここが、戦場!? アハハハハハ! 精兵!? 完璧なるいくさ!? アハハハハハハハハハ! これ以上、笑わせないで! これが! 精兵!? これがいくさ!? 馬鹿がいる! ヴァロなんて目じゃないぐらいの馬鹿がいたっ!」
レアの笑い声は続く。
「貴方っ、本当に面白いよ! むしろ可愛いっ! いっしょうけんめい練習しましたーって兵士従えて! 真顔で戦争ごっこするとかさすがは貴族っ! 暇潰しにかける情熱は、いっそ尊敬に値するっ!」
レアの嘲笑に対し、最初に抗議をしたのは味方であるヴァロであった。
あれを馬鹿にするということは、あれにビビったヴァロを馬鹿にすることと同義でもあるのだから。
「い、いや、だがすげぇ動き速いじゃねえかアイツら」
意外そうな顔でレアはヴァロに答える。
「よく見て。あれ、動くための動きでしかない。戦場で、戦うための動きじゃない」
そう言われても、殺し合いは経験があるヴァロであったが、戦場に出たことはないので今一レアの言葉がぴんと来ない。
レアは構わず続ける。
「弓隊の位置も変。騎馬隊にいたってはもう、教本すら読んだことないんじゃないかな。そうだ、歩兵の槍の構え方なら、二人にもわかるんじゃない」
言われたヴァロとエルノはじっと歩兵を見る。最前列の歩兵が構える槍は、別にそれほど変な構えをしているとは思えない。
レアは、ね、わかったでしょ、と言わんばかりの顔である。
「槍衾作るんなら、あの倍は密集しないと話にならない。あれじゃあの兵士たちは、あれだけ幅取らないと槍突けないって言ってるようなもの。訓練不足どころか、従軍すら許さない段階。なのに移動や隊列を組むのだけ上手なんて、ホント、意味なさすぎて笑える。つまりアレ、訓練を指揮した人がどうしようもなく使えない素人だってこと。ああ、他にもいっぱい笑いどころあるんだけど、全部話してたら夜があけちゃう」
その侮蔑の言葉から、まさかと思ったエルノがおそるおそる問う。
「なあ、もしかして、俺たちでアレに、勝てそう、なのか?」
「たち? 二人はとにかく、頑張って生き残ってくれればいい。アレは全部私が殺すから。数見た時は、ちょっと厳しいかなって思ったけど、うん、あれなら全然、怖くない。もしかしたら二人も、生き残れるかもしれないよ。よかったね」
毒気を抜かれた顔になるエルノ。その肩をヴァロが強く叩いた。
「いいじゃねえか。なんかよくわかんねーけど、どうやら生き残れそうって話なんだろ。なら、レアの話に乗っかってみようじゃねえか」
「はっ、おめーはいつも単純でいいな。だが、勝てそうってのは確かにいい、負けるよりゃ百倍マシだ」
「そういうこった。レア、俺らはどう動きゃいい?」
「私は正面から突っ込んだ後、歩兵隊のど真ん中で戦うから、二人は馬に乗ってここに待機。そっちに色気出してくる奴が出たら、戦場中を走り回って逃げてて。下手に遠くに逃げようとしない方がいい。騎馬隊が全部まとめて、二人に突っ込んだらちょっと危ないから」
「わかった。あー、それでアンタ、本当に大丈夫なんだよな」
ヴァロの問いにレアはにこーっと微笑んでみせる。コレが化け物だとわかっている二人ですら赤面してしまうような、それはそれは可愛らしい笑顔であった。
「もちろんっ。あれに負けたりしたら、後ででんかたちに、何言われるかわかったものじゃないし、ね」