127.ようこそ、イジョラ魔法王国へ
イジョラ魔法王国。
この国の一番の特徴は国の名前にもある通り、近隣で唯一魔法の実用化に成功している国であるということだ。
魔法は単純な武力としても素晴らしい。国力差で言えば十倍以上の差があるであろう『帝国』と隣接していながら、かの国よりの侵略より国土を守り通しているのは魔法の力あってこそだ。
また魔法は各種工事にも役立つ。建造物の作成から始まり治水灌漑に至るまで、人力では到底不可能なことも魔法の力でこなしてしまえるのだ。
農業においても魔法の力は発揮されている。魔法にかかればどんなに痩せた土地でも豊作を約束された豊かな土地へと早変わりである。
そんな夢のような力を自在に操る魔法使いを擁する国、それがイジョラ魔法王国なのである。
第十五騎士団の女騎士、レア・マルヤーナは愚痴るように溢した。
「イジョラって、もっと夢みたいな国だってずっと思ってたのに。あんまりだ」
イェルケルも実は同感だったりする。
イェルケルたち第十五騎士団の四人は、元イジョラ貴族であるオスヴァルド・レンホルムよりイジョラ魔法王国の実態を色々と聞かされていた。
それは夢の国などとは程遠いもので。
貴族はとても良い暮らしができているらしいが、平民の扱いの悪さが尋常ではなく。奴隷だってここまでひどくはないだろう、といった有様なんだとか。
平民に限っての話であれば、カレリアとの平均寿命の差が二十年近くあるそうな。イジョラの平民に対する基本政策はオスヴァルド曰く、産めよ増やせよそして死ね、といった感じらしい。
人口比で言うのならば圧倒的に平民が多いのに、このような貴族の横暴がまかり通っているのは、イジョラにおいては魔法を使える者こそが貴族であるからだ。
そしてもう一つ。貴族と平民の寿命の違いがある。五歳以下を除いた平均寿命を貴族と平民で比べると、その差がなんと四十年近くある。
これでは平民が、貴族とは自分たちとは別の種族であると考えても仕方のないことであろう。
自分たちより遥かに長生きをし超常なる魔法の力を持つ貴族は、イジョラの平民たちにとって絶対なる上位種であり、それは純然たる事実でもあるのだ。
と、そんな話を聞かされれば、誰だってイジョラという国がさながら地の獄であると思えてくるだろう。
少なくともカレリアにおける貴族と平民の在り方とは著しく異なったものであり、これはアルハンゲリスクや南部諸国連合などの他の国と比べてもそうだ。
そしてそうなってしまった原因は、まさにその魔法の力にこそある。
魔法とはこれに耐性を持たぬ者にとっては微弱な毒となるのだ。この毒を完全に無効化する術は案外に簡単なものであるが、術を知らなければ微毒といえど毒でありこれこそがイジョラ平民の寿命を短くしているものだ。
貴族階級の者は幼い頃よりこの術を教わるものだが、平民には決してこれを施したりはしない。何故か。魔法が毒とならぬ者には精神を操作する魔法が一切効かなくなるからだ。
統治の手段として要所要所に魔法による精神支配を用いているイジョラ魔法王国において、被支配者である平民にこれを教えるということはありえない。たとえそれによって彼等の寿命が短くなろうともだ。
その分多く産ませればよい。イジョラではそういった施策が行なわれており、オスヴァルドの言った『産めよ増やせよそして死ね』とは一切の誇張がない的確に表現された標語なのである。
イェルケルたち一行がイジョラとの国境を越えるのは道さえ間違えなければそれほど難しいことでもない。
カレリアから直接イジョラへ、といった方法ではなく、一度南方に下り南部諸国連合を通ってからイジョラに入れば、そちらの国境はそれほど厳しくはない。
当たり前のことだが第十五騎士団として堂々と入る、なんてことはできない。イェルケルを長とした商人一行という形だ。
カレリアで仕入れた廉価なワインを、馬車二台に乗せ移動する。ワインならば無駄に詳しいのが二人いるので、色々と聞かれることになっても問題はない。
揺れる馬車にいつまでもワインを載せておくのは云々といきなり文句を言ってる二人であったが、イェルケルもアイリも面倒なので無視した。
南部諸国連合をぐるりと回ってイジョラに入り、最初の街にたどり着く。
さて、鬼が出るか蛇が出るか、と構えていた四人であったが街に入っても、これといってカレリアの街と比べて変な部分があるでもなく。
南部諸国連合の商人からあらかじめ聞いておいた、その街での商人用宿に着き、金を払って馬車を預け、宿を二部屋とって、と全く問題なく話は進む。
宿の人間も痩せ衰えているなんてこともなく、街に入って馬車の上から見た街の人たちもごくごく普通の平民たちに見えた。
手荷物を部屋に置いた後、四人は宿の一階部にある食堂へと。イェルケル以外の女騎士三人は、顔を隠せる深いフードを被っている。これは身元がバレるのを嫌がるという話ではなく、三人の容貌が良すぎるための用心であり、南部諸国連合に入った時も、もっと言うならばカレリア国内ですら出先ならばこうしている。
容貌故にちょっかいをかけてくる者がいたとしてもその全てを蹴散らす力はある四人だが、別に問題を起こしたいわけではないのだ。
女であることを三人が隠している以上、交渉はイェルケルの担当となる。
仮にも王族が商人の真似事など、といった心配をほんの少しだけしていたアイリ、スティナ、レアの三人であったが、イェルケルはというとこの立場を殊の外楽しんでいるようで、機会があれば商人顔してそこらの人間に話しかけたりしている。
この街でも、宿の食堂で商人に声を掛けるイェルケルだ。
イェルケルの容貌も、女騎士三人に比べればマシとはいえ見るからに貴族然とした美男子であるからして、商人たちも最初は少し気後れするが、イェルケルの気安い口調と何より相手が平民だろうと奴隷だろうと他者を見下すといった態度を取らない姿勢に、大抵の相手はこちらもまた気安く返してくるようになる。
そしてこの旅でイェルケルの鉄板ネタがこれだ。
商人が名前を問うとイェルケルはそれっぽい偽名をあげるがそれとは別に、自分には通り名がある、と言う。
「地元の商人の間じゃ『殿下』で通ってるよ」
商人たちは一瞬、なんと返していいのかわからない顔になった後、盛大に笑い出すのだ。
「ほ、本気かよ。殿下って、おまえ、王族の通称名乗るとか大した度胸だなおい」
「いやいや、でも俺ぁ名前付けた奴に一杯おごってやりたいね。言われてみりゃ殿下だわアンタ。見た目とかすっげぇ殿下だ。うははははは、さいっこうだなその名前。おし、俺もアンタのことこれから殿下って呼ぶわ」
貴族に殿下なんて二つ名つけたら、そりゃ問題になる。だが、実際の殿下と関わり合いになるわけもない、貴族とすら接点の無さそうなド平民に殿下の二つ名をつけたところで、一切問題など起こりようはない。
そして会話を続ければ自然とわかることであるが、イェルケルには本当に貴族や王族としてすら通用するほどの教養が備わっている。
それはこれまで取引をしたことがない商人であっても、イェルケルという人物を信用するための好材料となるもので。
取り扱い商品を言うと、もしよければ、なんて取引を持ち掛けられたりもする。
イジョラに入って最初の街であるここでも、イェルケルはワインを見せてもらえないか、なんて話を振られた。
ここまでくればワインも仕入れ値に対して結構な差額を期待できる。
さてどうしたものかと考えていたイェルケルに、スティナが耳打ちする。せっかくですから一度商取引をやってみましょう、と。
商人のフリをしている間に、商売というものにそこそこの興味を持っていたイェルケルはならば、と喜んで初の商取引に挑戦する。
その様子を見ていたアイリは、多少なりと不安そうな表情でスティナに言った。
「無理に商売をする必要があるのか? 確かに運んでいるワインは本気で商売ができるよう仕入れたものだが、別にこれを売ってしまわなくてもずっと持ち運び続けても問題はあるまい」
アイリの意見にレアも同意している。それでも直接イェルケルに言わないのは、あまりにイェルケルが楽しそうであるというのと、スティナが即座にこれを認めたのは何かしらスティナに考えがあると思ったからだ。
スティナは人の悪そうな顔で答えた。
「いいのいいの。もし、って考えてみなさいよ。もし、殿下が下手打って騙されたとしたら、どうする?」
レアが即答しアイリがつっこむ。
「でんか指差して、大笑いする」
「ヒドイ奴だなお前は!?」
そして、と続けるレア。そちらにはアイリも頷いてやる。
「その商人に、報いをくれてやる」
「うむ」
うんうん、と頷くスティナ。
「ね、それはそれで、楽しめそうでしょ? いくらイジョラの人間だからって、悪いことしたわけでもない相手をいじめる気にはならないし」
アイリもレアも、揃って眉根に皺が寄ってしまう。
「相変わらず……貴様という奴は……」
「外道スティナのめんもくやくじょ。やっぱ私、でんかわらうの自重しよっ」
全く悪びれぬスティナは、イェルケル同様楽しそうに笑う。
「やっぱ、欲しいものがあるんなら、悪党見つけて奪うのが一番よっ」
結局、イェルケルの初めての商取引は極めて無難に成功し、相手先からは大いに喜ばれ、今後の取引の話や、イジョラ国内の取引情報まで教えてもらってきた。
イェルケルはそもそも、騙されないよう用心はするものの相手を騙そうというつもりが一切なく、自分と相手と双方が利益を上げられるよう考えて行動するのだから、嫌われる要素がまるでない。
また自身の腕っぷしに絶対の自信があるイェルケルは最後の最後は剣で斬り抜ければいいと考えているため、相手を用心しすぎることもなく、そんな自然体も相手からすれば好ましく見えるものだ。
結果として最初の街を出る時、怪訝そうなイェルケルを他所にアイリとレアの笑いものになったのは、つまらなそうな顔をしているスティナであった。