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無双系女騎士、なのでくっころは無い  作者: 赤木一広(和)
第七章 イジョラ魔法兵団
116/212

116.激突、ツールサスの剣(遭遇編)


 土壁の上から敵兵が退却していく。

 それはスティナにとって少し予想外のことでもあった。

 ここで壁上から引いたなら、外からの攻撃を防げなくなる。

 だから敵兵は必死になって守りにくると思っていたし、これを利用して上に登ってくる敵を次々倒していこう、そう考えていたのだがアテが外れた形だ。

 そうなってくるとスティナたちは苦しい。何せ五人の突撃は騎士軍の総意ではなく、下手をすればこの好機にも動かない可能性だってありうるのだ。

 ここは引いておくべきか、なんてことを考えて他四人を見る。シルヴィはともかく、アイリ、イェルケル、レアの三人の顔は、とてもとても楽しげなもので。


「……さっきの、アイリが壁から蹴り落とした男、よね」


 その男は驚くべきことに、イェルケル、レア、スティナ、そしてアイリと順に四人を狙って奇襲を仕掛けてきたのだ。

 その速さと卓越した身体能力によりこちらの攻撃を凌ぎながらも、最後にアイリに壁の下へと蹴り落とされたのだが、なんとその男、城壁の高さから落下したというのに生きていたのだ。あの高さから落ちればそれこそスティナやアイリですら危ういというのに。

 極めて優れた身体能力といい、異常に頑強な身体といい、そういった魔法を使う魔法使いなのだろうとスティナは考える。実に、第十五騎士団好みの魔法使いではないか。

 あれとやらせろ、そんな気配が三人からふんぷんと漂ってくる。

 三人が土壁上より駆け下りて行かないのは、壁の上を確保しておく重要性を理解しているからだ。

 初動は遅れるだろうが、騎士軍に戦に勝つつもりがあるのならばこの好機を逃すはずがない。と思いたいところだ。

 今回の突入では、四人による壁飛びを見せて騎士軍の度肝を抜いてやろうとスティナは考えていたのだが、その前にシルヴィにしてやられてしまった。

 アレはさすがにスティナにも無理だ。

 きっと騎士軍もスティナたちの壁跳びを見て驚いてはいるだろうが、やはり最初に馬で駆け上ったシルヴィの印象の方が強いだろう。

 悔しさは当然ある。だがそれ以上に、シルヴィの見事な技に感服していた。自分が得意だと思っていることで完全に上をいかれたのはいつぶりであろうか、とスティナは時折それをやらかしてくれるアイリを見る。

 そのアイリの顔が驚愕に歪んでいる。

 何事か、などと考える前にスティナは動いた。

 土壁上の胸壁の内に体を滑り込ませ、しゃがみ込む。すぐに盛大な炸裂音が頭上から聞こえてきた。

 一瞬見えた土壁下には、数百人の魔法使いがずらりと並んでおり、彼らが一斉に魔法を撃ってきたのだ。

 さすがに魔法兵団と名乗るだけあって、信じられない魔法使いの数だ。


「こんなにいると、ありがたみも何もあったもんじゃないわね」


 他の四人とは場所が離れてしまっているため、そちらがどうしているかはわからない。

 一人だけ、騎乗していてよく見えたシルヴィは土壁上を走り回って魔法を避けていた。

 ひっきりなしに盾としている胸壁に魔法がぶち当たる。土壁の内側に対しては、外にそうするような頑強な胸壁など作らない。なので魔法の連発で今にも崩れてしまいそうだ。

 様々な魔法が叩きつけられているため、どかんだか、どぼんだか、ずどんだか、ごちんだか、よくわからなくなってる騒音の中から、うっすらと聞きなれた声が届く。


「……騎士軍が、動いた……このままじゃ……下に……」


 イェルケルの声だが、魔法の炸裂音が賑やかすぎてよく聞こえない。だが、騎士軍が動いてくれたというのならここを確保しておく理由も少し薄れた。

 というか、このままだと魔法で土壁ごと削り取られそうであるので、早急に動く必要がある。もちろん第十五騎士団が動くというのは、前に出るという意味だ。

 スティナが気にしているのはシルヴィのことだ。土壁上に馬で登ったはいいが、下りることはできるのか。

 壁を登る馬だ、階段を下りるぐらいなら平気でやってくれそうだが、通常、馬が素早く階段を下りるなんてことを期待してはいけない。

 なら、先に誰かが下りてシルヴィの援護をしてやらなければ。


「よしっ、怖くないわよわたしっ」


 そう言って自分を鼓舞し、立ち上がりながら土壁上を走り出す。最近は矢には随分と慣れてきたのだが、魔法はまだ未知のものも多く、怖さはある。

 身体を低くして、外から見えづらくしながら走っているのだが、敵は見事にスティナを捉えている。頭上を舞う鳥が魔法によって作られたもので、これと魔法使いが視界を共有しているせいなのだが、そこまではスティナにもわからない。

 ただ、離れた場所の視覚情報を入手する魔法があるというのは聞いていたので、それだろうと勝手に思っているだけだ。

 勝算はある。あとは度胸だ。

 少しずつ走る速度を落としながら魔法を剣で弾くようにすると、一瞬、敵の魔法弾幕が薄くなる。


『今っ!』


 弾幕が薄くなったのは、直後に集中するためだ。

 これを今まで一度も見せなかった最高速にて振り切りつつ、勢いよく壁から外へと身を投げ出した。

 先の男のようにそのまま落下したりはせず、途中途中で何度か壁を掴んで減速しながらの落下だ。落下中は全くの無防備、とまでは言わないがかなり危ないのは事実。

 幾人かの魔法使いは予想外であるはずのスティナの動きにも反応し、落下中のスティナに魔法を放ってきた。

 だが、あくまで反応できたのは数人のみであり、幸い命中弾は一つもなかった。

 そして音もなく綺麗に着地、といつものようにいかず土を踏みしめる音がじゃりと鳴ったのは、やはりこの魔法弾幕の最中に身をさらすのに緊張したせいもあろう。あと、着地の瞬間狙いすましたかのように魔法が撃ち込まれたことも。


「わたたっ!?」


 追い立てるようにスティナの周囲に魔法が降り注ぐ。とはいえ、馬より速く走れるスティナだ。それも人の小さな身体でそうできるのだから、その小回りは馬とは比較にならない。

 魔法使いたちから聞こえてくる悲鳴は、スティナをどうやっても捉えられないための泣き言だろう。戦の最中だというのに随分とやかましい連中である。

 しばらくそうして逃げ回り、概ね今この場にある魔法がどんなものかを把握し、では踏み込むかといった時、不意にぴたりと魔法が止んだ。

 魔法使いたちは兵士で作った壁の向こうから絶対に出てこようとしなかったのだが、見るからに地位の高そうな二人の男が兵士壁の前に出てきていた。イジョラで地位が高いといえば、魔法使い以外にありえない。

 またよく見ると後ろの魔法使いたちはこの場を離れていくようだし、兵士たちの数も半数ほどに減っている。

 前に出た魔法使いの一人が、スティナに向け言った。


「確かに、強いですね貴方。それだけ速いと私やパウリ以外だと、ボーでもなくば少し厳しいですか。カレリアには貴方みたいな男がぞろぞろいるんですか?」


 足を止めたスティナは相手にそれと気付かれぬよう呼吸を整えながら、肩をすくめてみせる。

 声を掛けた男、流麗なるウリヤスは、隣の炎鞭のパウリが首を横に振るのを見て、問い返す。


「どうしました?」

「あれは女だ」

「……え?」


 熊の毛皮で上半身を覆っているスティナだが、よく見れば女性らしい体形をそこに認めることもできよう。誰もそこに注視しようとはしなかったのだが。

 ウリヤスは真顔で言った。


「メスじゃないんですか?」

「その可能性は否定できん」


 ケダモノ扱いはあんまりなんじゃないかなぁ、と抗議したくなったスティナであったが、変装の意味がなくなるのでぐっと堪えてこの恨みは剣に乗せてやると心に決めるのだった。





「スティナめ、どれだけシルヴィを気に入ってるんだか」


 スティナが真っ先に動いたのは、シルヴィが階段を使って下りられるよう敵の気を引くためだとアイリは見てとった。

 となればアイリが気にするのはイェルケルとレアの方だ。

 こういう時、アイリはスティナと二人で良かったと思えるのだ。

 自分が逆の立場だったなら、自分が譲りたくない何かを見つけてしまったとしても、残ったスティナが今アイリがするようになすべきことを代わりにやってくれるだろうから。

 今でも時々アイリは思ってしまうのだ。スティナとは共に歩むのではなく、刃を交わし雌雄を決するべきではないかと。きっとそれは生涯忘れることのできぬ、至高の決闘になろうと。

 この上なく甘美な誘惑に、もし、イェルケルと出会っていなかったならとうに負けていたかもしれない。

 イェルケルの騎士となり、イェルケルのために生き、戦う。それこそが、今のアイリとスティナにとっての至高の命題となった。ならば、イェルケルのための力を削ぐような真似が許されるはずもないのだ。

 最強が二人並び立ち続けるには、そんな口実が必要なのだろう。

 少し派手にいくか、とアイリは飛び下りるではなく階段を駆け下りに掛かった。

 シルヴィが使う予定の階段とは別のもので、ここをわかりやすく走り下りてやると、予想できる動きに対しては魔法は狙いをつけやすいようで、そのほとんどが命中弾となる。


「ふんっ」


 馬上にあった時からずっと持っている矛を振り回し、魔法の全てを薙ぎ払う。

 アイリの低い身長ではこの矛は長すぎる。重すぎるの方はアイリの膂力であっさりと解決できるのだが、身長だけはアイリにもどうしようもない。

 つまり、そのままで振り回したならば矛先が床に当たってしまうので、多少斜めに倒してそうしなければならない。面倒ではあるが長物の、こちらは動かなくとも遠くに届くという利点は捨て難い。

 風車のように矛を振り回しているように見えるが、そんな雑な扱いをアイリはしていない。

 魔法の集中攻撃とはいっても、全てが全く同時に着弾するわけではない。

 彼らの訓練のたまものか、その集中度合いは並みの弓手たちをも凌ぐものだが、それでも全く同じ魔法を扱うでもない彼らの攻撃に着弾誤差は付きものである。

 なので、一度に数発の魔法をまとめて回し弾き、その勢いを止めぬまま次回転でまた数発の魔法を弾くことができるのだ。

 これを繰り返していたので、矛を振り回し続けているように見えているだけだ。

 集中して飛んできた数十発の魔法をこれで全て弾いてやると、下の魔法使いたちより憤怒の気配が立ち上るのが見えた。

 なのでアイリもトドメにと煽りを一つ。片手で矛を振り回し、残った手で手招きをしてやる。

 そして今度は、階段を駆け下りながら魔法を弾く。時折混じる要注意の燃え広がる炎弾も、幅広の矛先で受けてやれば問題はない。

 もちろんこれら全て、アイリが飛んでくる魔法をただの一つも見切り損ねず、階段を駆け下りながらも受けの姿勢を一切崩さない、という大前提があってのこと。

 たった一つでも失敗すれば、死に直結するようなとんでもないことになるだろう。そんな危地を、アイリは笑い進む。これぞ戦なり、まさに戦士の本懐なり、と。

 第十五騎士団の中で、こういった死地を楽しむといった感性が一番強いのはアイリだろう。誰よりも強く、戦士たらん、騎士たらんとしているが故、なのかもしれない。

 一気に階段を駆け下りながら、アイリはその視界の中に不自然を見つけた。

 だが、それがなんなのか自分でも言葉にできない。

 わからない、それこそがこの不可解な視界の正体であるというのなら、まさしくそれはアイリの思考の外からの何かであるのだろう。起こるはずのない出来事も、このイジョラとの戦の最中ならば起こりうる。

 できる限り予断を廃し、視界の中の不自然な箇所を探る。

 色。濃い。兵士の兜の色が。地面も。一塊の変色。


『影か!?』


 遂に正体見たりと頭上を見上げる。居た。

 それはとても、理解に苦しむ光景だった。

 太い木の幹。だろう。それ以外には見えない。枝は払ってあり材木としての加工がされているようにも見えるが、木の皮はそのままだ。

 そんな木の幹が、空を飛んでいるのだ。

 なにぶん上空のことで、それがどれほどの大きさか比較対象がないのでわかりにくいが、アイリが地上に落ちた影を見て大きさを推測するに、その幹の太さは大の大人三人分はあろう。

 そして縦にも大人三人分ほどの高さというか長さがある。そんな大きなシロモノが宙に浮いているのだ。

 誰かが投げた、なんてことも一瞬考えはしたが、その大木は自然の摂理をあざ笑うかのようにゆっくりと浮遊しており、間違いなくあれは自然ならざる何かが働いた結果であろう。すなわち、魔法。

 今のアイリにそれを凝視している余裕はない。上空の木に注意を引かれながらも飛びくる魔法を見て避けなければ。

 だがそうやって視界を地上に戻したアイリは、そこでもまた更に不可思議なものを見つける。

 熊だ。

 アイリが今しているような、毛皮の被りものではない。本物の熊。それも、ラノメ山で見たカレリア最大級の熊の倍近い巨躯の大熊。

 それほどの巨体の熊が、お行儀良くちょこんと座っているのが見えた。

 色々と混乱し始めたアイリは、階段を下りきったところで足を止める。

 もちろん止めてもよいからだ。魔法の弾幕は静止していた。


「よーしご苦労! んじゃお前らもう行ってよし! あとは任せろ! それとそこのちっこい熊! おめーの相手はこの俺様だ! 獣使いミエス様が相手してやっから他の奴には手を出さないで下さいお願いします! いやもうホントお前どんだけ殺してくれてんだよ! 土壁上の連中半分も残ってねーじゃねえか! わっざわざ俺たち出張ってきたってのにこのザマじゃ大将にどやされっちまうじゃねえか! っつーことでこっからは俺一人で相手してやるよ!」


 アイリは無言でゆっくりと頭上を指さしてやる。

 ミエスと名乗った男は、あちゃー、と頭をかいた。


「あっさりばれてやんの。おいペッレ! ばれてるみてーだからみっともねえ不意打ちとかするんじゃねえぞ!」


 すると上空から怒鳴り声が返ってきた。姿は見えないが、きっとあの木の幹の上に人が乗っているのだろう。


「またおめーがバレるような下手こいたんだろうが! どうすんだよ! コイツ、テオドル並みに動きが良いんだから捕まえんの苦労すんぞ!」

「おっめーのそのクソデカイ図体でバレないって思う方がどうかしてんだよ! おめーは面倒がってねーできっちり魔法で援護しやがれ! そうすりゃ俺のちょー可愛いクマッタウス三世がこのチビ熊ブチ殺してやっからよ!」

「一世と二世はお前が腹減ったからって食ちまったんだろうが。可愛いとかどの口でほざくんだテメーは」

「そん時一緒になって肝食って今日こそはパニーラに勝つ! とか抜かしてやがったのはてめーだろうが! ああ、うん、当たり前に負けたよな」


 地上と空とでそんな馬鹿話をしている間にも、階段下付近に集まっていた兵士たち魔法使いたちはこの場を離れていく。

 アイリは、少し迷っていた。

 ミエスという男の隣には見たこともない巨大な熊が、そしてもしこれを掻い潜れたとしても、もう一匹、ミエスの足元に狼がいる。

 ただの狼ならば恐れることもない。だがきっと、これもまたただの狼ではないのだろう。魔法とはそういうものだとアイリは理解していた。


『そう、か。なるほどな。単騎が異常な戦闘力を持つ、なんて例は魔法があればそれなりにありえる事態なのか。だからこそ、我ら第十五騎士団のような戦力を相手に、こうまで適切な手段が取りえるのか』


 強烈な単騎に対し、雑兵を差し向けたところで被害が増すだけだ。それはそれなりの魔法使いであっても、である。

 魔法使いはもちろんだが雑兵も、一応は限りある資源だ。これを使い潰すよりも、絶対に勝てる強力な戦力を差し向ける方が被害は少なくて済む。

 そもそも雑兵が役に立つ戦い方をしないのであれば、ただただ邪魔なだけである。

 ミエスは不敵に笑い言った。


「元々手に負えねえ魔法使いを潰すための俺たちツールサスの剣だ。だが、まさか、カレリアにもそういう化け物がいるたぁ思わなかったな。イジョラ魔法兵団精兵部隊ツールサスの剣、獣使いミエスと飛行木ペッレだ。行くぜチビ熊!」


 危うく自分も名乗り返しそうになり慌てて自重するアイリ。

 アイリはこういった、戦場のただなかで名乗りを上げるような前時代的な戦い方を、大層気に入っているのだ。






 スティナが動いた。

 それを見てレアは、やっぱり行くんだ、と呆れているような、納得しているような、抗議しているような、それでいて楽しげな顔をしながら動き出す。

 きっと敵は土壁から飛び下りられるのが、さっきの男だけだと思っている。ならば、土壁下に下りるのはそれほど難しいことではなかろう。

 壁の内側から、自分たちで作った土壁を叩き壊す勢いで魔法を撃ってくる連中に、勢いよく走り出すことで一瞬その狙いを外し、その隙に土壁より下へと飛び下りる。

 これだけで全ての魔法を振り切れるつもりだったレアだが、落下の最中、勘の良い魔法使いが一人、鉄の刃を魔法にて飛ばし、しかもそれが見事レアへの命中軌道をとっている。


『わぶっ!?』


 大慌てで剣で弾く。重いのと空中なのとで大きく体勢を崩してしまう。だが、すぐ隣に土壁がある。これを蹴り一回転半ほどで姿勢を整える。

 そしてすぐさま着地。同時に前に転がって衝撃を逃がすが、空中で変な挙動をするハメになったせいで減速が十分にできず、足の裏からじーんと痺れが登ってくる。

 もちろん痛がっている余裕はない。レアが考えているよりずっと敵の対応はよく、スティナもそうだったようにレアも走って逃げ回ることに。

 土壁上から狙われている時と比べて、距離が近くなったせいか敵の攻撃精度も上がっているようだ。

 しかしレアも、馬を降りて動きは速くなっている。実に不思議な字面であるが、最高速度も、加速度も、小回りも、全て馬から降りた時の方が上なのだから仕方がない。馬を使う理由は、比較的楽ができることと、馬を降りても馬より速く走れる人間であるとバレないことか。

 土壁側まで乗ってきた馬は、土壁を登る時に離してある。頭の良い馬で、レアが降りるとすぐに自分の判断で勝手に走り去っていった。

 飛来物を避けるのは矢でさんざんやってきたので、コツは掴んでいる。

 矢との違いも色々あるが、避けるという点だけで見るのなら矢も魔法も大差ない。


『速い魔法もあるけど、見えないほどじゃ……』


 レアは突如、その場に崩れ落ちる。

 頭部を後方に引っ張られるように、足を前方に滑らせながら転んだ。そんな形である。

 何が起こったのかはわからないが、頭に何かが当たったとレアは思った。


『って頭!? 頭じゃ死ぬ! 私死んだ!?』


 痛みはない。まだ。

 頭の上がすーすーする。もしかして頭を削られたと思ってそこに手を当てる。

 ある。頭はあってくれてた。


『よ、よかった。頭、無事、平気、ばんざいっ』


 ただ被っていた熊の毛皮、それも熊の頭部はまっ二つに裂けている。

 これのせいで頭がすーすーしたのだろう。ついでにここに何かが当たったから頭を後ろに引っ張られたのだ。

 鋭利な刃物だ。あまりに鋭利すぎて、綺麗に斬れてしまったため熊の毛皮が脱げてしまうこともなかった。

 戦闘中のレアの尋常ならざる速度域からしても、ほんの一瞬の出来事であった。

 光る何か。それが危ないものかどうかすら判断できなかったが、認識と同時にこちらに来るというのがわかったので、レアの身体は反応してくれた。それが故に、僅かにでもしゃがみ込むのが間に合ったのだ。

 あまりの驚きにまだ心臓がばくばく言っているが、ここで足を止めたらせっかく拾った命をまた捨てることになる。

 体をひねりつつ足を強く蹴り出して、無理な態勢から強引に立ち上がり、再び走り始める。

 これに心底驚き声を掛ける者がいた。


「馬鹿な! この俺が外しただと!? いや違う! 狙いは外していない! ならかわした!? それこそまさかだ! おい! お前いったい何をした!」


 その男は、兵士の壁を恐れる気もなく抜けてきて、レアとの間に何もない状態で話し掛けてきた。

 今までさんざん魔法を撃ってくれていた魔法使いたちは、魔法を止めて移動を始めているようだ。

 レアは男の蛮勇を警戒しつつ足を止める。魔法は撃ってくる時、何やらぶつくさ呟くという謎の予備動作がある。

 なら魔法使いが見えるところに居るのであれば、見極めが遅れることもない。

 レアは男にもわかりやすいよう熊の被り物の頭部を左右に引っ張り、きちんと斬れていると見せてやった。

 男は怒鳴り返してきた。


「ふざけるな! 俺は貴様の顔を狙ったのだ! いいだろう、なら試してやる。いいか、今から行くぞ。かわせるものならかわしてみせろ!」


 今の魔法。不意打ちであったこともあり、レアにはほとんど見えなかった。だが予測はつく。

 重量はそれほどでもない。頭部が後ろに引っ張られたのはあの異常な速度のせいで、むしろレアが視認できないほどの速度に引っ掛けられながらあの程度だということを考えるに、重量はそれほどでもないのではと考えられる。

 小さい刃のようなものを超高速で撃ち出してくる魔法、であろう。光って見えたのは日の光を照り返してのものだ。

 そして斬られた熊の被りもの頭部を触ってみた感じ、火の魔法のように当たった場所に何かを残すといったものでもない。

 つまり。

 男より再び閃光が放たれる。

 抜いた剣を前方に構えていれば、間に合う。


「なんだとーーーーーーーー!?」


 放たれた刃を、レアは剣で弾いてみせた。

 驚き声を上げる男であったが、レアにとっても冷や汗が止まらない結果となった。

 これだけはっきりと撃ち出す瞬間が見えても、飛来する物体の形状すら見えなかった。何か、としかわからずこれを弾いてみたものの、形状がわからないものの進路に適当に剣を置いただけであるので、どこに弾かれるのか全くわからず。

 下手をすれば当てはできたが弾き損ねて自分に当たるなんてことにもなりかねない。実際、今弾いた刃は着込んだ毛皮にかすりその上を滑っていった。

 レアは理解した。

 この男が来たら他の魔法使いたちが皆この場を離れていった理由は、この男がいれば仕留められぬ敵などいないと信頼しているからだと。

 特にレアたちのような強力無比な個人を相手にするのに、この速度は絶対的な武器となる。

 レアは知らないが、この男の名はボー。ツールサスの剣最速の魔法、閃光の使い手、『閃光のボー』である。

 他の場所にはツールサスの剣が二人以上向かっているのに、ボーだけは単身であるのは、彼の魔法が対個人戦においては絶対的な強さを持つからであった。






 イェルケルは、当たりは私が引いたか、とほくそ笑む。

 土壁下に飛び下りて、敵と交戦していると突然攻撃が止んだ。

 なんのつもりかと見ていると、さきほどイェルケルに挑んできてアイリに蹴り落とされた男が出てきたのだ。

 その男、頑強なるテオドルはにやけた顔で、しかし一切笑っていない目で、言った。


「おい、いきなり本気で殺しに行くぞ。手なんか抜いてたらへぶぼっ!」


 語尾が意味不明になったのは、テオドルの背中を後ろにいた女が蹴り飛ばしたせいだ。


「ざっけんなテオドル! おめーは壁の上で暴れたんだろうが! コイツすげぇんだろ!? だったらコイツは私のだよ! わかったかこのすっとこどっこい!」


 その女は、とても目立つ、派手な女であった。

 金髪碧眼、髪は顔横左右両方に大きなロールが巻いてあり、高級感溢れる縦ロールになっている。

 そしてその服はというと、真っ赤なドレスである。

 戦場で、これから戦いだという場所に、足首まで隠れるふわっふわなスカートを履いてきているのだ。

 そしてこんな仮装みたいな格好が、戦場の最中でありながらも一切浮かないのは、彼女のあまりにも美麗な容貌のせいである。

 そこが戦場でも似合う、というのではなく、そこがどこであろうとも、彼女の居場所、存在感が失われることはなく、たとえ地獄の底であろうとも彼女が現れればそこは、地獄すら色褪せ彼女色に染まろうということだ。

 きっと、黙って立っていればそんな感じだろう、とイェルケルは思った。


「てめークソパニーラ! 人が真面目に決めようってのに邪魔してんじゃねー! つーか二人でやるって言っただろうが!」

「うっせー! うっせー! うっせー! 聞こえねーんだよばーかばーかばーか! 私がやるんだからお前はすっこんでろばーか!」

「子供か!?」


 女、パニーラ・ストークマンはわざとらしいぐらい大仰に手を振り上げ、そして魔法を唱えた。


「来い! 天よりの雷よ!」


 口で言ってくれたので、イェルケルは身構えることができた。言葉通り上から何か降ってきたので、女魔法使いの視線の向け方で機を測りその場を飛びのく。

 空から降ってきたのは稲光だ。これが大地に直撃し、表面が黒く焦げている。直撃すればタダでは済むまい。

 だが、そんな強力な魔法を放った女、パニーラは、あれ、と首をかしげる。


「なんだこりゃ? しょっぺー魔法だなおい。詠唱失敗したか?」


 首を傾げながらもう一回詠唱。今度は火の弾を撃ち出してきた。これは試しという意味なのかイェルケルを狙うものではなかった。

 そしてこの火の弾もまた彼女にとって不本意な威力であったようだ。


「え? なにこれ。私が二度失敗とかありえねえし、いったい何が……」


 すぐにテオドルが口を挟んできた。


「ああ、そっか。やっぱお前の魔法のイカレた威力、自分だけじゃなくて周囲から力集めてたんだな。それで合点がいったわ。しっかし、儀式も道具も無しでよくもまあそんな真似が……」

「は? おい、なんだよテオドル。原因わかんのかよ」

「ほら、カレリアってイジョラと違って大地に魔法しみ込んでねーだろ。お前の魔法って、大地やら大気やらから力かき集めて使うシロモノっぽいからさ、カレリアじゃイジョラみたいなデカイ魔法使えねえんだろ。てかカレリアは魔法薄いってお前、勉強した中にあっただろうが」


 パニーラはそれはそれは驚いた顔をしていた。


「はあ!? 何それなんだよそれーーーーーー! 聞いてねーぞ! ふっざけんなよそれじゃ私魔法使えないじゃん!」

「いやそれでもお前の魔法なら十分……」

「はあー!? そんなちゃっちい魔法なんて使いたくねーよ! あーもうやってらんねー! なんなんだよカレリアって呪われてんのか! 死者の国かここは!」


 イェルケルは、呪われてんのはお前の国だ、と言ってやりたかったが、口を開くのは素性がバレるかもしれないので黙っていた。

 敵であるし、イェルケルは男であるからして、他の三人と違って口を開いた程度で普通ならバレるなんて心配不要だろうが、何せ相手は魔法使いだ。妙に慎重になってしまうイェルケルである。

 どうやらこの場はこの二人に任せ、他の敵兵は土壁上に向かうようだ。騎士軍も攻めてきていたし、そちらへの対処に行くのだろう。

 そして、イェルケルの相手はこの二人。しかも内の一人はどうも上手く魔法が使えないらしい。ということは。


『かなり、私にとって面白いことになってきたということか』


 この、土壁の上から落下しても無事であった男と、イェルケルはサシで勝負ができるようだ。

 そうこうしている間に、向こうの派手で口の悪い女と頑丈な男の間の話が済んだようだ。


「わーり、テオドル。そーいうこったから、今日は無理しねえでおくわ」

「……調子悪いからサボりまーす的言い訳に聞こえてムカついてしょうがねえんだが、実際、お前今の状態に全く慣れる訓練してねーしな。これで怪我でもしたらアホらしいか。よし、事情を大将に伝えてお前は大将の側にいてくれや」

「おー、んじゃがんばれよー。そこの熊にんげーん、次はイジョラに来いよー。私、二度とカレリアなんて来ねーからよー」


 テオドルが、今ここで殺す奴に何言ってんだお前は、とぼやく。

 パニーラは真っ赤なドレスなんていう格好のみならず、態度までもが戦場にいるとは思えぬ気安いものだ。だが態度の方は、それだけテオドルを信頼しているという証でもある。

 イェルケルが事前に聞いていたイジョラ魔法兵団の精兵部隊の話のなかで、唯一パニーラ・ストークマンだけは個人名と外見的特徴を聞くことができていた。

 イジョラの情報は入りにくいものなのだが、魔女と呼ばれた彼女の武名はイジョラのみならず近隣に鳴り響くほどであったのだ。


『運が良い、のかな。どうだろうな、とにかく、やってみればわかるさ』


 敵が減って幸運だったのか、面白い敵が失われて不運なのか、今のイェルケルにはわからない。だがそれも、すぐにわかるだろう。

 今眼前にいるこの男と戦ってみれば嫌でも。


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