114.騎馬の持つ可能性
「なああああにをやってやがるんだあの馬鹿はああああああああ!?」
あまりといえばあまりの出来事に、騎士軍大将ヨアキム・シーララは思わずそう怒鳴ってしまう。
ここぞで投入し、その強力な攻撃力で敵をこじあける矢尻にせんと考えていたシルヴィが、自分こそが開戦の合図だとばかりに自殺紛いの特攻をしかけてくれたのだから、驚き慌て怒り喚くのも無理はなかろう。
せめても相手が普通の軍ならばそれでもどうにかはなるだろう。だが相手はイジョラ魔法兵団だ。これを相手にその魔法の射程内に少数の騎馬で突っ込むなぞ、自分の腹に剣を突き刺した方がまだ生き残る可能性は高いだろうというぐらい確実に死ぬ行為だ。
しかし、驚き慌てているのは指揮官たちばかりで、他の兵士たちはというとこれはもう大爆笑である。
よい景気付けだと皆大声で笑い、せいぜい派手に死んでこいと無謀な突撃を嘲笑する。ほんの少しだけ勇気を称えてもいるが。
せめてもその死を盛り上げてやろうと、兵士たちは口々に野次を飛ばし、煽り怒鳴り快哉を叫ぶ。
この辺りの品のなさが騎士軍らしいところであろう。彼らの声援だか嘲笑だかを背に受けて、シルヴィと四人の熊人は戦場を駆ける。
シルヴィは文句の付けようがない。騎馬を駆るその姿は誰が見ても英傑の威風を備えたものだ。
そして付き従う四騎だが、こちらもまたその騎乗技術に不安は見られない。
五騎はお互いの距離を崩さず、ぴたりと張り付いた距離のまま一糸乱さず走り続ける。
こうした綺麗な隊列は五騎共がそれなりの技量を持っているでもなければなしえぬもので、その動きを見るだけで心得のある者ならば、五騎共ただ者ならずとわかるだろう。
だがそれでも、観戦している兵士たちの判断は揺るがない。多少馬術に長けていたとして、対するイジョラの尋常ではない魔法弾幕を突破できる道理はないのだ。
瞬く間に射殺される。そう確信しながら、兵士たちはその瞬間を待ち構える。
土壁上に魔法使いたちが並ぶ。そして、一斉に魔法を撃ち出した。
「散開!」
シルヴィの声に応え、五騎が一斉に分かれる。
兵士たちからあがる大歓声が一瞬でかききえるほどの爆音、轟音、炸裂音がとどろいた。
土壁上からの魔法は、その射程を熟知しているのか百人近くの魔法使いが一斉に魔法を撃ち放ちながらも、全弾命中軌道を外れておらず、攻撃者全員が同時にそうできる距離で仕掛けてきたのだ。
さすがは戦争における魔法利用の研究機関だけのことはある。そんな一撃であった。
その百発近くの魔法弾たちの殺傷圏は馬が走って逃げられる程度の範囲ではなかったはずなのだが、五騎の内ただの一騎すら捉えることはできなかった。
八方へと破裂するように分かれ走り出した五騎。飛来する魔法弾の雨を見た瞬間、全員が逃れ得る五つの道筋を見極め、それぞれに誰が一番近いかを判断し、五騎全てが避けるだろう確信のもと五人は散開していった。
これすなわち、五騎全てが、飛来した百発以上の魔法の弾道を全て把握していたということに他ならない。
動く物を捉える視力、同時に多数の魔法を把握する能力、瞬時に最適を導き出す判断力、全てにおいて常人の枠を大きく超えた力がなければ成し得ぬことであろう。
あとは馬の急加速にて魔法着弾までに危険域を走り抜けるだけだ。イジョラ軍の魔法弾の精度が高かったことも逆に彼らに災いしたのだろう。
そしてここからは個人技だ。好き放題に散らばった五騎は各々が土壁上を見据えながら、続々と飛来する魔法を見て、予想を上回る魔法の数を見て、そうこなくてはと獰猛に笑うのだ。
土壁上の魔法使いたちは、五騎の卓越した馬術に驚くも、即座に散った五騎をそれぞれが狙い出す。
レア・マルヤーナはこの馬の出しうる最高の速度で戦場を疾駆する。
今までレアは、ここまで優れた馬に乗ったことはなかった。
まず、速い。
風を切る音すら違うようで、鞍上にあるのが楽しくなってくる。
そしてこの馬の素晴らしいところは、そんな平地での速さを備えたままに、激しい左右の動きもできることだ。
右に駆け、急旋回し左に飛び、そのまま速度を落とさず走り抜けた後、前動作全くなしに右方へ直角に進路を変える。
こんな真似、よほど足が強い馬でもなければできまい。
山中を駆ける馬はこうした足の強さを備えることもあるとレアは聞いたことがある。だが、そんな足と、平地を疾走する速さとを両立しているのが凄い。
レアたちが今乗っている馬は、シルヴィが自分用にと調教したものである。
全部で十頭いるらしい。こんな優れた馬を十頭も育て上げる彼女の調教師としての腕前は相当なものであろう。
戦の前にシルヴィの馬がどこまでできるのかを見せてもらったが、今までレアが持っていた馬という動物に対する印象が変わってしまうほど、それは非常識な動きをしていた。
急発進、急加速、急旋回。全て、まともな馬、いや訓練された軍馬とて、このような動きをさせれば、一度はできたとしても二度三度は馬の足が保たない。
そんな動きを当たり前にこなすシルヴィの馬を、レアたち四人は貸してもらっていた。
シルヴィは第十五騎士団の四人が四人共これを乗りこなせると確信していたようだが、シルヴィの兵士は皆、レアたちがこれらを易々と乗りこなすのを見て大層驚いた顔をしていた。
兵士長はとても不満げな顔でシルヴィに抗議した。
「おいシルヴィ。俺が乗った時コイツらそりゃもう親の仇かって勢いで暴れてくれたよな」
「うん」
「うんじゃねえっ、なんでだっ」
「んー、この子たちには、どっちが強いかわかるんじゃないかな。レアたちに逆らっても絶対勝てないってわかってるんだと思うよ」
「……実にケダモノらしい基準だなチクショウ覚えてろよ」
獣の勘も馬鹿にできない、とレアは思ったものだ。
そして馬鹿にできないのは敵もである。
この馬で、騎手がレアであるのなら、どれだけの矢が相手であろうと捉えられぬ自信があった。
だが現実は、ひっきりなしにレアは手にした矛にて岩だか鉄だかの塊を弾いている。
これも下手な鉄盾であれば貫通してしまうだろう威力を秘めたもので、レアも弾く際はそれなりに気を使わなければならない。
『魔法って、命中精度高いんだ』
弾速も影響していよう。移動する目標に対して着弾までの時間差を考えその少し前方を狙って行う偏差射撃が、今のレアが相手では必要だ。これは弾速が速ければ速いほどズレも少なくなるのだ。
土壁上まではまだまだ距離があるというのに、大したものだと感心するレア。
これでは並みの騎馬隊では射程内に入った瞬間、何をすることもできず魔法弾幕に圧し潰されるだろう。さすがはイジョラ魔法兵団、近隣諸国に無敵の武名を馳せるだけはある。
ただそんな彼らもレアたちのような異常にすばしっこい単騎を狙うのには慣れていないようだ。
右に左にひらりと駆け回るレアとその馬の、周囲にバラバラと魔法が降り注ぐもただの一発も命中打はない。
たまに馬に当たるようなものがあったとしても、レアが馬の側面を全て守っており、飛来した魔法を片腕のみで振り回す矛にて弾いている。
騎乗姿勢の関係で、馬の前面はレアでも守りようがないので、馬は土壁に対して常に斜めに走り側面を向けた形を維持している。
『っ!』
そして、最も注意すべき炎の弾がきた。
先の戦でもあった、命中すると当たった場所に炎がへばりついて燃え続けるのだ。これを処理するためにこそ先端が大きく斧状になっており、炎を払い落としやすい矛を持ってきたのだ。
見事炎の弾は払い飛ばしたが、先端の斧部ではまだちろちろと炎の欠片が燃えている。
『冷や汗、出る。戦っていっつも、こんなんばっか』
レア目掛けて降り注ぐ殺意の群は、深く大地を抉り、土煙を噴き上げ、風を切り裂き、大気を焦がす。
どれ一つ当たっても無事では済むまい。これを自分の足ではなく馬を操って潜り抜けていくのは、多少なりともどかしさはある。
陽光を照り返しながらきらりと光る金属塊が、レアの頭部横をかすめ抜ける。
馬体、それも臀部の先に当たりそうな炎弾を矛先で引っ掛けるようにして弾き上げる。弾いた炎が飛来した岩塊に当たり大きく火が爆ぜた。
馬に乗りながらでも聞こえてくる重苦しい着弾音たち。
怖い、恐ろしい、逃げ出したい。全部本音だが、同時に、戦場に出てくるその国でも有数の勇士たちの攻撃を、見事凌げていることが楽しくて仕方がないのも事実であった。
死地が、危地が、楽しいなんて思う日がこようとは。レアは、自らの武勇を証明してみせられるこの戦という機会を、全力で楽しんでいるのも事実であるのだ。
熊の被り物の内にて、レアの顔は自然と笑みを形作る。
ふと、視線の先にスティナを見つけた。
彼女もまた被り物のせいで顔は見えないが、その動きで随分とはしゃいでいるのがわかる。
それはそうだろう。敵味方合わせて万を超える軍勢が、揃って注視する中を我が物顔で駆け抜けられるのだから。
どうやらスティナは、ここで一つ大技を見せてやるつもりのようだ。
馬の上にて大きく背後に身を反らす。
片手に握るは刃部を握った短刀。これだけで何をするつもりかわかった。
『うそっ、いくらなんでも届く?』
相手はそびえ立つ土壁の上だ。それでもスティナは当てるつもりのようだ。恥をかくから止めといた方がいい、と内心のみで注意してやる。
スティナは、勢いよく身を起こす。これと同時に一際強く馬が大地を蹴り出す。
全身を前方に投げ出すように、腕のみならず身体の全てを大きく振り、スティナは短刀を投げ放った。
土壁の上の魔法使いたちは、弓を警戒してか彼らの前に盾を構えた兵士たちを並べていた。
その隙間より魔法を撃ち出すのだ。まだそこまで警戒する必要はないだろうが、いつでもそうするよう訓練されているのだろう。とても良いことだとレアも思う。
兵士の一人が構えていた盾が、大きく上へと弾かれた。地上より投げ放った一本の短剣が、土壁上に届いた挙げ句金属の大盾を弾いてみせたのだ。
あの勢いならばきっと、貫通はしていないだろうが兵士の腕は折れたろう。だが、あいにく、残念なことに、誰一人、殺せはしなかったようだ。
レアの視線に気付いたらしいスティナが顔をこちらに向ける。なのでレアは口元に手を当ててやった。失敗だ、笑える、という意味だ。
何やら喚き返してきた。だが、遠いのでよく聞こえなかったレアは、つーんとそっぽを向くのであった。
シルヴィが用意した馬に跨ったイェルケルは、その馬のあまりの素直さに驚いた。
馬の顔つきはもう、見るからに気性が荒そうだったのだが、鞍上に座すと一切余計な挙動をしなくなった。
それを不思議に思ったイェルケルだが、馬の立場からすればこれは当然の対応である。
シルヴィが鍛えた馬たちは皆、シルヴィ・イソラという決して逆らってはならぬ絶対の主の存在を知っている。
シルヴィ自身は馬にとっても慈悲深い主であろう。だが、それが優れた馬であればあるほど、シルヴィとの力の差を認識せずにはおれぬ。
機嫌を損ねる必要すらない。ただほんの少し主が不注意であっただけで、まるで蟻を踏み潰すかのように馬はシルヴィによって殺されてしまうのだ。
それほどの戦力差があることを理解していれば、たとえその調教が己の限界を超えるような厳しいものであったとしても、逆らうことなぞできようはずもない。
主が求める存在であるため、いつでも主が求める要求に全身全霊を以て応え続けてきたのだ。
そんな日々が今の馬を作り上げており、いつでも身近にシルヴィ・イソラの恐怖を感じていたからこそ、イェルケルがその背に乗り、両の腿で馬の身体を挟み込んだその瞬間、イェルケルもまた決して逆らってはならぬ存在であると理解できたのだ。
別段イェルケルが強く馬の身体を挟んだというわけではない。それでも、その背より伝わってくる気配が主と同質のものであるとわかれば、馬はもう絶対イェルケルに逆らえなくなる。
そんな馬の気持ちのわからぬイェルケルは、本当に良い子だなー、なんてのんきな感想と共に馬を走らせる。
敵の魔法の密度も速度も恐るべきものだが、この馬とならばまるで当たる気がしない。
土壁上への距離が半分を切った辺りから、降り注ぐ魔法の量が増えた。どうやら魔法の種類によって射程が違うらしい。
とはいえそれでも当たらない。当たらないやり方を、馬に慣れることでイェルケルはこの短い間に学んでいた。
イェルケルの耳に異音が入る。
ひっきりなしに響く魔法の着弾音とは違う、そう、馬が大地を蹴る音だ。
「アイリ?」
固まっていると狙いやすくなるので皆離れたはずなのだが、アイリがイェルケルの方へと駆けてくるではないか。
なんのつもりかはわからないがイェルケルもそちらに馬首を向ける。
左方より走るイェルケル、右方より迫るアイリ。両者の騎馬は激突寸前に進路を変え、右斜め前方へと並走して進む。
二騎の間はそれこそ手を伸ばせば届く距離だ。この距離を維持したまま二騎は土壁目掛けて走り続ける。
二騎が並んだことで的が大きくなった、ということはない。あまりに二騎が近寄りすぎているせいで、片方が片方の馬体に隠れる形になってしまっている。
その状態のまま二騎は速度を一切落とさず、そのうえ、それまでしていたような左右へと飛び回る挙動を行なってくるのだ。
それはもう呼吸を合わせているなんて次元の話ではない。一人の人間の右の足と左の足が連携しているような、一つの意思が二頭を完璧に操りきっているかのようである。
アイリは馬を寄せたままイェルケルに言う。
「殿下、一つ、忘れていたことがありまして」
「どうした?」
「我々は土壁の前まで行けばあとはどうとでもなります」
「うん、そうだな」
完全に観客と化している騎士軍も、守る側であるイジョラ軍も、五騎の騎馬がこのまま土壁のところまで至ったとしても、そこから先はどうしようもないと思っている。
なので今の五騎の奮戦も戦に実用的な何かではなく、騎士軍はこれだけのことができるぞという示威行為であるとしか受け取っていない。
だが事実は違う。
イェルケルたち第十五騎士団には城攻めの必殺技、壁跳びがあるのだ。
これは、技の存在を知らなければほぼ確実に登られてしまうし、知っていたとしても城壁を登るまでの時間が短すぎてまともな対応手段がないようなシロモノだ。
なのでイェルケルたちは本気でこれを落とすべく動いていた。
「ですが殿下、シルヴィはどうでしょうか」
あ、とアイリが危惧することに気付いたイェルケル。
「まずい、私も聞いてない。そうだよ、シルヴィって壁跳びできたっけか」
「確認し忘れておりました。攻めると言った時、何も言い返してこなかったのでてっきりできるものだと思っておりましたが……」
「我ながらなんって間抜けな失敗を……仕方がない、最悪シルヴィにはそのまま戻ってもらお……う……」
話題になっていたのでシルヴィの方を見ながらそう言ったイェルケルは、その光景に驚きすぎて言葉を失ってしまった。
シルヴィは五人の中で最も先を走っている。
イェルケルたち四人はあくまで助っ人だという意識がシルヴィにはあり、一番危ないことは自分がしようと思っているのだ。
だからもちろん、あの城壁の如きそそり立つ土壁を一番に登るのは自分であるとも。
重要なのは速度と角度。敵魔法使いは盾を構えた兵士たちの後ろに並んでいる。だからこそ、土壁の真下は魔法使いにとっての死角となる。
もちろん兵士たちを押しのけ前に出て魔法を使えばいいだけの話であるが、それでも、僅かでも猶予はある。
シルヴィは愛馬に厳しいことをさせる時にいつもやる所作、その耳元に顔を寄せて囁く。
「きついけど、がんばってね」
大きく弧を描くように馬を走らせ、シルヴィは土壁前にたどり着く時には上手く進路が土壁と平行になるよう調節する。
速度は落とさずにそうできた時、シルヴィは成功を確信した。
「いけっ!」
馬は、並行する真横の壁に向かって、馬体を傾け片足をそちらへと伸ばした。
これを見ていた騎士軍の兵士全てが、その瞬間声を失った。
シルヴィの操る馬は土壁に足を掛けたかと思うと、この世の摂理から解き放たれたかのように、土壁を駆け上がっていったのだ。
確かに、土壁は城壁と比べて僅かにだが傾斜がある。だがそれは真下から比較物を用意しながら見上げてようやくそれと認識できる程度でしかなく、騎士軍もこの土壁攻略は城壁を相手にするつもりで用意をしていたのだ。
そんな壁を、馬が走って登っていく。
優れた馬術だとか、駿馬であるとか、そんな話の延長にこの現象が存在するなど、誰一人として考えもしなかったことだろう。
非常識の金字塔である第十五騎士団の四人ですら、土壁を駆け登るシルヴィとその騎馬を見るや、呆気にとられた顔を晒すしかできなかった。
だが面白いことに、その光景はどこか自然な風景にも見えた。
駆け上る馬の身体は大きく前方斜めに傾いていて、これを助長するようにシルヴィも馬から身体を乗り出しており、何より速度が凄い。
急すぎる坂道を登っているはずなのに、その速度はまるで衰えることはなく、これならば登れるかもしれない、と見るだけならばそう見えるものであったのだ。
そして実際に、シルヴィとのその馬は一息に土壁上へと駆け上がっていき、最後の瞬間、土壁の上端にある胸壁のような場所にシルヴィが矛先を引っ掛け引き寄せると、馬体はぐいと土壁の内側に飛び込んでいった。
そう、馬が、壁を登ったのである。
後に、彼女が天馬の騎士と呼ばれた理由である、これがシルヴィ・イソラの城壁駆けであった。