011.突貫、或いは自殺の類
騎乗していても、林の中に居ると案外外からは見えないらしい。
小高い丘になっている場所からイェルケル、スティナ、アイリの三人は、丘を下った先にある平野に、広く展開している辺境領軍三千を見下ろしていた。
イェルケルは正直な感想を述べた。
「人、多すぎじゃないか? あれ実は三万人とか居るんじゃないか?」
アイリが真面目くさって言う。
「殿下とて敵数の数え方は習ったでしょうに……とはいえ、想像していたより遙かに、迫力がありますなぁ」
スティナはほっそい目になっている。
「ねえ、やっぱ帰らない? ああ、うん、言ってみただけです。でも、あれは勝てないわ、さすがに」
この位置からだと、大体人の大きさが蟻と同じぐらいの大きさに見える。ただ、蟻の巣を引っくり返したところであの数は出てこないだろう。
しかもあの蟻共は整然と並び武具を備え、号令一つでまるで一体の生き物のように自在に動き回るのだ。
そして一つの群として見た時のあの巨大さと溢れんばかりの圧力はどうだ。
この世に比肩すべき生物を見つけられない。敢えて言うならば自然現象か。雪山の雪崩、氾濫する川、大雨に崩れる山肌、家をも巻き上げる竜巻、いずれも迫りこられれば人の身に回避する術は無い。そんな巨大さ。
それらが天の意思によらず人の恣意によって動きうる恐怖。鱗のようにところどころで陽光を照らし返す金属の輝きは、或いは鎧であったり槍であったりとこの群体の頑強さを示している。
彼らが進めば村は潰れ、町は裂かれ、林は倒され、森は貫かれよう。単体ではそれが如何に巨大な獣であろうと止め得るとは思えぬ。
数は暴力であり、数こそが力であった。
人一人の猪口才な小細工など意に介さぬ。軍とはこうあってこそ初めて軍となる。軍に対するには軍を以てする外無く、だからこそ人の争い事の最後には軍が頼られるのだろう。
アレに見える者全てが、他者を害する、滅ぼす、打倒するために備えるべきを備えた兵士である。
ただの一人も、虫を潰すように簡単に殺されることなどありえない。
種類も豊富だ。槍に騎馬に弓にと各種取り揃えてあり、どこに出しても恥ずかしくない『軍』の威容であった。
イェルケルは目を細めて敵陣を眺める。
イェルケルたち先遣隊の情報でも得ているのか、迎え撃つべく陣を構えており、兵士たちも号令待ちの状態だ。
開戦を前にした緊張感は彼等皆が共有しているもののようで、軍全体から高揚したような、どこか落ち着きが無いような動きが見られる。
一人一人を見るとその動きはより顕著だ。
腰に差した剣を何度も抜いたり差したりと繰り返す男。興奮した様子で隣の者と話をしている男。自分の鎧を叩いてその硬さを確かめる男。槍の石突で地面をつつく男。
若い者ばかりではない、むしろイェルケルより年は上の者ばかり。そんな彼らすら落ち着いていられない場所、戦場に居るのだと実感させてくれる。
震えが来る。
イェルケルはその武を振るう前、決まって体が震えてくる。
出自も何も関係ない。ただ強い者が勝つ。数を集めようと、武器を揃えようと、勇気を奮おうと、蛮勇に狂おうと、より自分が強ければ勝てる。勝てばより自分が強いと証明出来る。
その紛れのなさにイェルケルは惹かれたのだ。武は、ただ己のみの世界であると。
苦しい思いを何度も何度も何度も何度も繰り返し、積み上げに積み上げてきた力を、発揮し披露する舞台を前に高揚せぬ方がおかしいだろう。
深呼吸を一つ。
敵も味方も準備は終えている。ならば後は往くのみだ。
イェルケルは何も言わず馬を進める。スティナもアイリもこれに続いた。
林を抜けて少し経つが、まだ敵側から発見された様子はない。こんな堂々とした斥候を想定していないのかも、と思うと少し愉快な気分になれるイェルケルだ。
そんな密かなイェルケルの楽しみもすぐに終わり、敵陣に動きが出始める。しかし、彼らは軍を動かすようなことはせず、軍中を伝令が忙しなく行き来しているのが見える。
アイリは不思議そうな顔だ。
「気付いたようだが、迎撃には動かぬな」
スティナは伝令の動きを目を細めて見つめる。
「使者か何かと思ってるんじゃない? ただ、それだけじゃない、かな? ああ、多分アレ私たちが辺境領城で暴れた当人たちだってバレてるわ」
他人事のようにイェルケル。
「騎士を三十人も斬ってるし、警戒されてしかるべきだろうなぁ二人共」
「それは光栄ですが、ならばもう少し迎撃態勢を整えるなりしてもらわぬと、何やら不意打ちをするようで気分が落ち着きませんな」
「……あー、もうそうよね。ここまで来たらいっそ名乗り上げて真正面から突っ込みましょうか。ね、殿下。何かかっこいい台詞でアイツら怒鳴りつけてくださいよ」
「今、ヒドイ無茶振りを見た」
「おおっ! 確かにそれは我らが主、殿下こそ適任ですな! 後世に残るような名演説を期待しておりますぞ!」
「……お前らの連携って、ほんっといらん時に発揮するよなぁ」
暢気なやりとりをしている間にも敵陣は近づいてくる。
丘も半ばまで降りる頃になると、三千の陣は一目で全てを見きれなくなる。首を右に向け、左に向けてようやく端と端を確認できる。その間にはずっと人垣が続いている。
さすがに前列に配置されるだけあって、人垣は皆大した面構えである。
イェルケルとて剣には覚えがある身。あのどれと剣を交えることになっても後れを取るつもりはない。だが、あれ全部とやれと言われればそりゃ尻込みぐらいするだろう。
つい少し前の武者震いはどこへ行ったものか、イェルケルは本気で恐ろしくなってきた。
何をどう考えてもあれらを打ち破れる術が思いつかない。打ち破るどころか、ここから逃げ出したところで逃げ切れる気さえしない。
正面に並ぶ陣容に対し、手にした槍のなんと心細いことか。薄皮のような鎧も、一筋の藁にしか見えぬ馬も、何より戦を一度も経験していないイェルケル自身が、最も頼りないだろう。
足の先から頭のてっぺんまでが恐怖に凍える。体内を流れる血流全てが凍りついたような。それでも動く、敵へと進む体が恨めしくて仕方が無い。
救いを求めるように左を見る。スティナは、平然と馬を進めている。
いや、違う。そう信じイェルケルはスティナをよく観察すると、その証を見つけた。
スティナの手綱を握る手が震えているのが見えたのだ。またその表情も硬く、きっとスティナも恐ろしいのだろうとイェルケルは思うことにした。
そのスティナは、じっとイェルケルの方を見ている。いや、視界にイェルケルは入っているだろうが、彼女は一切イェルケルに注意を払っていない。
彼女の視線の先へ、イェルケルも目を向けた。
二人の視線を受けたアイリは、二人と比べて馬首一つ分前へ出てしまっていることにも気付かぬまま、実に嬉しそうに敵陣を眺めているではないか。
イェルケルは声をかけようとした。どうして、そんな顔をしていられるのか聞こうとした。しかし、どうやっても声が出ない。
自分の臆病さに呆れたのか、臆病さを彼女に見られるのが嫌なのか、イェルケル自身にもその理由はわからない。が、声は別所から出てくれた。
「ねえ、アイリ。貴女随分余裕よね。怖くないの?」
スティナの声は、いつもと変わらないように聞こえた。
「ん? 何を今更。それよりもだ、見てみろスティナ。奴ら槍備えをしておるがまるで殺気が漂ってこぬ。恐らくは我らを使者と見て、脅しにかかったのであろう。まったく、無駄なことをするものよのう」
イェルケルは我が目を疑った。アイリの様子は、まるで祭りを前にした子供のようではないか。楽しみで楽しみで仕方が無いと敵陣を眺めている様は、数多あるブドウ酒露店のどれを選ぶかで迷っている様そのものだ。
驚くより呆気に取られるイェルケルは、背後から笑い声が聞こえてくることに驚き振り返る。
「あっ、あっははははははは。ホント、アイリってもう、アンタさぁ、前から思ってたけど怖いものって無いでしょ」
「……貴様自覚は無いのか。貴様の説教がこの世で一番恐ろしいわ。わかるか、もうな、生まれたことすら後悔するほど落ち込むのだぞ。貴様は一度他人の気持ちというものを考えた方が……」
止まらないほど呵々大笑しだすスティナにぶすっとしているアイリ。そして、色々と馬鹿らしくなってきたイェルケルだ。
「なあスティナ。アイリって、本当凄いというか、凄まじいというか、ちょっと変というか、何かがおかしいというか……うーん、何と言うべきか。そうか、うん、これがスティナが言っていた、アイリはアイリだってことなんだろうな。心底から理解したぞ」
「いや殿下。それはいったいどういう意味でしょうか……こらスティナ。いったい何がそんなに笑えるのか私にも説明せんか」
「ちょ、待ってアイリやめっ。これ以上笑わさないでっ、お願っ、マズっ、殿下も、トドメ刺すとかっ、笑いすぎて、お腹痛っ……あはははははははははははははは」
馬上で大笑いする女と、同じく馬上で笑いを堪える男、ぶすっとする女。判断に迷っていたサルナーレ辺境領軍は、三人がふざける様を見て不快に思ったようだ。
前衛の槍襖を割って三騎の騎馬が前へと進み出てきた。
まだ結構な距離があったのだが、その三騎は堂々とした佇まいで馬を進める。
イェルケルは彼らを見ても馬の足は止めず進む。兵士たちが無言で見守る中、イェルケルたちの前で三騎は馬を止め、先頭の男が声を張り上げる。
「カレリア軍はイェルケル殿下とお見受けいたす! 我が辺境領へいったい何用か! 殿下とそこな二人は我らが仲間の仇! 返答次第ではただでは済ましませぬぞ!」
イェルケルたちは三人の声にも馬の足は止めぬまま。大声を張り上げずとも声が届く距離まで近寄ると、ようやく止まった。
憐憫の表情を浮かべながらイェルケル。
「君たちには済まないことをすると思っている。だが、ここでそうせねばこちらの本気を理解してもらえないだろうからね。さあ、三人共、槍を構えてくれないか」
「何? 何をおっしゃって……」
スティナが犬歯をむき出しにして言う。
「死ねと」
アイリが目尻を跳ね上げながら言う。
「言っておるのだ!」
イェルケル、スティナ、アイリは同時に馬を駆り、先行してきた三騎を槍の一閃で突き殺す。
イェルケルは馬から転落する騎士たちには目もくれず、視界いっぱいどこまでも広がる兵士たちに向け叫んだ。
「偉大なるカレリア王国に叛く叛徒共! 貴様らを誅すべく王子イェルケルとその騎士、スティナ・アルムグレーン、アイリ・フォルシウス、以上三名が参上した! 他には誰もおらぬ故その全てをもって我ら三人に挑むが良い!」
三千の兵士全てが、呆気に取られた。
騎士を斬るなんて真似をした上でも尚、三騎がそのまま仕掛けてくるとは誰一人として思えなかったのだから。
彼等の反応が鈍かろうとどうだろうと、やることは変わらぬとアイリは手綱を扱く。
「さあ……」
イェルケルもスティナもとうに怯えは捨て去っている。アイリは敵陣中央を見据えながら続けた。
「殺してやりましょうぞ」




