106.すねスティナとイジョラを調べる王子様
アイリ・フォルシウスはその付き合いの長さから、スティナ・アルムグレーンの機嫌が悪いことに気が付いていた。
当人は表に出していないつもりのようだが、言葉尻と態度が常とは違う。
その原因まではわからぬアイリは、率直に理由を問いただす。
「で、スティナは何に腹を立てているのだ?」
「……べつに」
「いや今更隠してどうする。貴様は機嫌が悪いという理由だけで他所にとんでもない嫌がらせをしでかしかねんからな、文句があるのなら確認しておかねばならん」
「何よ、それはアイリだってそうでしょ」
「私は貴様と違って見つからなければ何をやってもいいなぞとは考えん。さー素直に吐け。どうせくだらんことであろうがな」
「だって」
拗ねた顔のスティナ。
「なんか、宰相閣下と話した後で、殿下の様子違うし」
「ん? ああ、あれか。随分と親しく話をされたようだな」
「何暢気なこと言ってんのよ。アンタもちょっとでいいから殿下に宰相閣下の話振ってみなさい。まるで餌付けされた犬みたいな顔してくるから」
「……その例えがわからぬ。仲が良くなっただけであろうに、それの何が悪い」
「だって。宰相閣下って、殿下と半日一緒にいただけでしょ。なのに、なんなのあれ。仲睦まじい兄弟とか、年来の親友みたいな気安さじゃないの」
アイリは眉根を寄せながらじとーっとスティナを睨む。
スティナは一瞬怯んだが、負けじと睨み返す。
「な、何よ」
「……嫉妬か? 貴様、どれだけ子供なのだ」
「ち、違うしっ! そういうんじゃないし! ただっ、殿下がああして油断してくれるようになったのって、私たちでさえ少し時間が必要だったでしょ。なのに、宰相閣下はたった一日でー」
「それは男同士だからであろう」
「それはー、そうなんだけどさー」
「かのヘルゲもそうであったが、男同士の距離感の取り方というものは、我らにするのとはまた違ったものなのであろう。特に殿下はそういった気の合う相手というものに対し、心を許しやすい傾向にあるようだしな」
「何よそれー。納得いかないんだけど」
「本当に、めんどうくさい時の貴様は手に負えんな。……私は少し安心したぞ。ヘルゲの一件でも、殿下が心を閉ざしてしまうようなことは無かったということだからな」
「私たちがいるのにー」
「男は男同士でなければならぬ時もある。残念なことに、そういった相手はこれまで殿下の側にはおらなんだからな。宰相閣下をそうした相手に見立てるのは不敬でもあろうが、実の兄君でもあるし気の置けぬ仲になるのは喜ばしいことだろう」
「そしたらさ、そこはアイリが男ってことでなんとかしましょう。うん、アイリなら見た目以外は全部男で通るし、殿下の相談役としてここは一つ」
「そろそろ殴っていいか?」
「ごめんうそやめて。あーもうっ、なんでアイリにはこのもやもやするの通じないかな。きっとレアならわかってくれるはずよ」
「これ以上面倒なのに増えられてたまるか。レアはもう少しかかるのか?」
「サヴェラ男爵の所で少し学んでくるって話でしょ。あれで案外愛嬌あるし、可愛がられてるみたいよ。回り全員諜報部ってかなり神経使うと思うけど、それもまあ経験よね」
「カレリア最先端の諜報技術を学べるか、羨ましい話だ。私も時間さえ取れれば是非お願いしたいところであったが」
「ヴァリオ様の所で色々教わってるんでしょ。それはそれでかなり貴重な経験じゃない」
「まあな、実に有意義な時間を過ごさせて頂いておる。この先殿下が判断を過たぬよう、我らが充分な知識を身につけねばな……スティナは確か、農業開発部に入り浸ってると聞いたが」
「そーなの! 聞いてよアイリ! 実はぶどうって根の深さが重要なんですって! 良すぎる土地だと逆に根が浅くなってワインに深みが出ないって聞いて、もう私感動しちゃって!」
「おい、おい、おいっ。貴様、まさかワインへの興味から農業開発部を紹介してもらったのではあるまいな? わざわざ宰相閣下が我らのために手間を割いてくれたというのに」
「ワイン追求の道は遠く険しいのよ。それにどれだけ資料ひっくり返しても、アレーナワインのあの味だけは説明がつかないんだから。いやぁ、ワインって本当に奥が深いわ」
「……もう、いい。勝手にしろ」
結局スティナのもやもやとやらは全く解決しなかったので、以後アイリはスティナが馬鹿やらかさないよう見張らねばならなくなったのであった。
イェルケルはアンセルミ宰相の側近であるオスヴァルド・レンホルムから、魔法に関する説明を受けていた。
これはイェルケルがイジョラ魔法王国への侵攻を提言したことに対する宰相からの返答でもある。
まず、オスヴァルドはイジョラの領土へはまともな兵士は送れぬことをイェルケルに説明する。
イジョラには門外不出の魔法技術が多数存在している。
この中の一つに、土地を肥えさせより豊かな実りを与える魔法があった。
この魔法によりイジョラは飢饉知らずの国となったが、これは実は諸刃の剣であった。
魔法の力で無理やり実らされた農作物と大地は、土地より吸い上げた栄養とは別に、魔法そのものも内包してしまっているのだ。
これは過剰に摂取すると人体には毒となる。
もう百年以上これを繰り返してきたイジョラの民たちの間では、奇形児の発生率が増加し、また人体自体も抵抗力を失い寿命も著しく短くなってしまっていた。
ただ、何が致命的かといえば、こうした魔法を含有する農作物の悪影響を、支配階級である魔法使いは全く受けないことであった。
魔法を自ら扱う魔法使いたちは、魔法に対して耐性を付ける訓練を行う。これによって魔法を含む農作物も彼らには影響を及ぼさなくなる。
このせいで彼ら統治者側が事態を把握するのが著しく遅れてしまったのだ。
結果、国中の農地という農地は全て魔法により汚染されてしまい、今更どうこうした所で取り返しのつかないところまでいってしまっていた。
彼ら魔法使いはこの問題に対し、結論を出した後対策の研究を放棄する。
すなわち、魔法を使えぬ者の寿命が短くなったところで、国防にも国としての文化活動にも問題は生じないのだから、このままでよろしい、と。
ただ、農民たちの人口が減ってしまうのは良くないので、これを増やすための施策を魔法にて行ない、減った寿命の補填としたのだ。
こうしたイジョラの魔法による弊害といった情報は、一切他国に漏れることはなかった。
そもそもイジョラは徹底した秘密主義により、魔法が他国に漏れるのを防いできたのだ。
この情報の漏洩を防ぐのもその延長線でしかなかった。
だが、イジョラ百五十年の歴史の中で初めて、魔法が他国に漏れてしまったのだ。
それが、誰あろうオスヴァルド・レンホルム、アンセルミ宰相の側近である彼であった。
まだ若かったオスヴァルドは魔法による国土の汚染を改善すべしと声をあげ、研究予算の請求を王へと上げた。
王はこのオスヴァルドの態度を危険なものと判断し逮捕を命じる。
この時、オスヴァルドの母が愚かな息子を哀れに思い、オスヴァルドが逮捕される前にその死を装い、自らの領土にて彼を匿ったのだ。
だが、オスヴァルドは納得ができなかった。
自らの手で自領土を際限なく呪い続けるような行為を、オスヴァルドはどうしても是とできなかったのだ。
どうにかする方策は無いか、オスヴァルドはそれを必死に考え続け、そして、何をどう考えどのような策を練ろうと、決してイジョラの国土は救えないとわかった。
そんなオスヴァルドの目に、隣国カレリアのまるで祝福されているかの如き豊かな大地が眩しく映る。
かの国は魔法なぞに頼らずとも、ともすれば魔法以上に豊かな実りを手にしているではないか。
その方法を知ることができれば、イジョラにおいても魔法を使わぬ農業が可能になるのではないかと。
だがイジョラはというと、カレリアがほぼ無償に近い条件で農業技術を譲渡してくれたというのに、イジョラの土地には合わぬとわかるやすぐさまこれを放り投げてしまった。
オスヴァルドが真に絶望したのは、正にこの瞬間であった。
彼はその後、自身の生存を知る母が亡くなるのを待って、カレリアへと逃げ出した。
充分に調査し、自身の価値を最もよく理解してくれる権力者、すなわちアンセルミの下へとオスヴァルドは走ったのだ。
これによりカレリアにイジョラの現状が漏れた。
オスヴァルド曰く、農作物のみならず土地も大きく呪われてしまっているので、ただ踏み入るだけでも長期間滞在していれば間違いなく悪影響が出ると。
このせいでアンセルミは軍をイジョラ国土へ送ることができないでいるのだ。
それに魔法による汚染は農作物や土地のみではない。
各都市は程度の差こそあれ、ずっと昔から魔法を用い続けてきた。
これが街の各所に汚泥の如くよどみ溜まり、様々な問題を生み出している。
他国の民が下手に足を踏み入れようものなら、三日ともたず発狂してしまうような場所すら存在するのだから、イジョラへの諜報がどれほど困難かわかろう。
カレリアの人間からすれば、地獄の底、この世の終わりとしか思えぬ土地である。
だがそんな土地にも人は住んでおり、彼らはそこが地獄だなどと思わぬままに日々を暮らしている。
楽しく笑い、嬉しければ喜び、それなりにではあっても、幸せに暮らすこともできているのだ。
オスヴァルドがそうイェルケルに説明してやるが、イェルケルにはそれがどうしても理解できなかった。
ただ、オスヴァルドはこうも言った。
「もしその気ならば、殿下がご自身の目で見てくればよろしいでしょう。殿下と第十五騎士団の三人には、私が見ますに魔法は全く影響を及ぼしませんから」
「全く? 少しぐらいはあるのではないですか?」
「いえ、全く、ですね。イジョラの土地の食べ物を食べても殿下たちなら何の問題も無いでしょう。殿下もそうですが、残る三人も抵抗力がケタ違いですから、それこそ国中の魔法使いが一斉に術を唱えても、精神操作系ならば一切通用しないでしょうな。魔法とは、一定以上の抵抗力を持つ者には全く効かなくなるものなのですよ」
「それは、炎の魔法とかでもですか?」
「ああいった魔法で現象を起こす類のものは、攻撃に用いられるのは魔法ではなく炎であったり氷であったりですから、魔法への抵抗力云々は関係してきません。つまり当たったら死にますね」
「……ああ、はい、そうですか」
ふと思いついたイェルケルはオスヴァルドに訊ねる。
「もしかして宰相閣下にも魔法は?」
「絶対に通じません。通るわけないじゃないですか」
「デスヨネ」
オスヴァルドの勧めに従ったというわけではないが、イェルケルはこの話を聞いた後、再度イジョラへの探索行の許可を申請する。
諜報すら困難だというのであれば尚のこと、行ける者が行ってイジョラの内情を探ってこなければなるまいと考えたのだ。
アンセルミはイェルケルのイジョラ行きを大層渋ったのだが、それが有効な手段であると周囲に説得され仕方なくこれに許可を出したのだった。