105.謀殺
カレリア国軍が西方より侵入したイジョラ魔法兵団との決戦に向かう中、イェルケルたち第十五騎士団は宰相アンセルミにより王都に呼び戻されていた。
そこでイェルケルに国王陛下との謁見の話が出た。
何でも陛下が是非にとのことらしく、イェルケルはもちろんこれを快諾、というか断れるはずもなく城の一室へと。
そこは謁見用の大仰な場所ではなく、内々にゆっくりと話ができるような部屋であり、イェルケルの緊張も落ち着いてくれるような、そんな部屋である。
部屋で待つイェルケル。
相手は王であり、父でもある相手。緊張するなと言う方が無理だ。
だからその相手、国王陛下が姿を現し挨拶を交わし、椅子に腰掛け話をとなった時、イェルケルにはなんとも言いがたい違和感があった。
予想していたものと違う。概ね、違和感の理由はそんなところだ。
血の繋がった父、にはどうしても見れない。顔もロクに見たことの無い相手で、どういった人物なのか一切聞こえてこないのだから、イェルケルには父を想像することすらできていなかったのだ。
むしろ母の身分を考えるに国王である父を、父として見ては、ましてや声に出して呼ぶなどと恐れ多いとすら考えていた。
なので国王陛下を家族と呼ぶにはあまりに接点が無さすぎたし、そうした相手をもう亡くなっている母と同じ家族であるとみなすのはイェルケルにも無理であった。
では国王陛下としてはどうだ、となると、そこでイェルケルは大いに引っかかるのだ。
『……いや、こんな感想抱いていいのかわかんないけど……その……この方って……』
どこにでも居るただのおっさんだ、と。
カレリアという国を支えて来た気概やら重みやらが一切感じられない。
見た目にも、その立ち居振る舞いにも。
そして王が口を開くとその印象はより強くなる。
話題の選び方、物事の受け取り方、笑い所、何もかもが薄っぺらく感じられてしまう。
なまじ少し前までカレリア国軍で、ターヴィ将軍をはじめとする戦場に身を置き続けた歴戦の猛者を見てきたせいもあってか、人としての厚みや気配の濃厚さが圧倒的に足りてないと思えてしまう。
これが文官であっても、ヴァリオやサヴェラ男爵のような者が相手であればそこにどっしりとした安心感のようなものが感じられるし、一度だけ会ったアンセルミ宰相に至っては、ただ佇むのみで王者の風格を備えているよう見えたものだ。
イェルケルは国王陛下にそういったものを期待、というよりは当然そうだろうと勝手に思っていたのだが、出てきた現物はコレである。
「いや、イェルケルよ。おぬしもまだ若い故、はしゃぎたくなる気持ちもわかるがな、あまりアンセルミを困らせるでないぞ。まったく、妾を騎士にするなぞ、昔のワシですらせなんだことよ。ハッハッハッハッハ」
上機嫌に笑う国王陛下。
先程から話を聞いていると、どうも国王陛下はイェルケルを同好の相手であるとみなしているようだ。
美女を側仕えさせるだけでは飽き足らず、騎士に叙勲してしまうような奔放な遊び人であると。
王はひたすら女遊びに費やした自らの青春をイェルケルに重ねているのだ。
「実に、実に羨ましきことよのう、イェルケル。ワシはもうほれ、このような年になってしまい昔のような溢れんばかりの情熱は失われてしもうたわ。昔はのう、人妻であろうと奪わずにはおれぬ気概に満ちておったというにのう」
それは気概とは言わない、といったつっこみをイェルケルは飲み込む。
というか実の息子になんて話をしてんだこの人はと、既にイェルケル、陛下を国王として敬う気が失せてしまっている。
さっきから黙って聞いていれば、する話は全て女を口説いただの騙しただのさらっただの奪っただのと、ひたすら延々女の話ばかり。
幸い、女の恐ろしさ、醜さをイェルケルは幼少の頃より身にしみて知っていたので、ふとそういった話を振ると、国王陛下は、げに、げに、と大層ご機嫌で頷いてくれた。
「ハハハ! やはりイェルケルも女では痛い目を見ておるか! これは愉快よ!」
そしてしたり顔で女とは、と語り始めるのだ。
国王陛下が語る女とやらの中に、自らの母が含まれているとなればその苦痛もひとしおだ。
もし国王陛下がイェルケルの母エルビィの話題を出していたら、さしものイェルケルも表情を隠しきることはできなかったであろう。
だが、そんな忍耐の時間も終わりを告げる。
部屋には王とイェルケルの二人だけであった。
もちろん部屋の外に護衛は控えていたが、特別の配慮で部屋には二人のみであったのだ。
そして、ソレが上から降ってきた。
イェルケル、まるでソレが来るのがわかっていたかのようにひらりと身をかわす。
着地したのは女だ。
他に比すべきものが思いつかぬほど美しい女性であった。
彼女は無表情のまま、今度は驚いた顔の国王陛下へと抱き付く。
国王はその女性の極めて肉感的な胸部にうきうき。ある意味ブレない男である。
女性の体、肌が露出している部分から光が漏れ出す。
イェルケルは王を助ける素振りすら見せず、部屋にあったテーブルをひっくり返しこれを盾にその後ろに滑り込む。
イェルケルが完全に身を隠した後、少し経ってから女性は破裂した。
耳が痛い。
とはいえ痛いのはそこぐらいで、部屋の惨状を考えれば全然マシであろうと思える。
破裂した女の体内に何が入っていたものか、部屋は真っ黒に焼け爛れ、そこかしこにあった高級家具はその全てが粉々に砕けている。
唯一イェルケルが盾にしたテーブルのみが原形を留めているのは、そのテーブルが強固な鉄板で作られていたせいだ。
すぐに部屋に衛兵が入ってくる。
彼等は真っ先にイェルケルを探し、その無事を確認するとほっと胸をなでおろす。
「お怪我は?」
「無い。耳がちょっと遠いぐらいだ」
「直ちに医師を」
「いいよ、このぐらいならすぐに落ち着く。それより、部屋の片付けを」
「はっ。お役目、ご苦労様でした」
「ありがとう、後を頼む」
そう言ってイェルケルは真っ黒になった部屋を出る。
一度だけ振り返り、部屋の中を見るがそこにはもう、女性の姿も、父親の姿も、それが存在した痕跡すら残ってはいなかった。
イェルケルは、血の繋がった父を謀殺した罪悪感よりも、宰相閣下より託された仕事を無事こなすことができた安堵感の方が強かった。
或いは、母だけでなく周囲の誰もが口にはしなかったことをイェルケルは感じ取っていたのかもしれない。
イェルケルの母が早死にしたのは、王の妾としての生活に大いなる心労を重ねたせいであると。
屋内に突然降って湧いたあの女性は、宰相閣下の妻であった人らしい。
イジョラより嫁いできたかの地の王族の一人、と聞いていたのだが、こんな自爆のような真似までして国家に忠節を尽くすというその心意気には、イェルケルも思う所があった。
イジョラが敵に回ったとわかるや、彼女はその立場から幽閉されていたのだが、隙を見せれば必ずやこちらの重要人物を殺しにかかる、と宰相閣下は睨んでいた。
そしてこれを利用し、国王陛下の殺害を企てたのだ。
だが、イジョラ側にも国王陛下の重要度がカレリア王国においてはそれほど高くはないというのがわかっている。
なので追加としてそこに対イジョラ戦では多大な武勲を挙げたイェルケルを加えてやったのだ。
このままでは戦果は挙げられぬと考えたのだろう、彼女は餌に引っかかり、こうして思惑通りに動いてくれた。
あの爆発は魔法で、イジョラ側は、妻として送り出した女性がこの魔法を使えることをアンセルミが知らぬと思っていたので、一回だけならば奇襲ができると信じていた。
だが結果はこの通り。アンセルミ宰相は妻がそういった存在であることを知っていたし、逆に利用されることとなった。
あの硬い鉄のテーブルがあったことももちろん偶然ではなく、魔法を防ぐ盾として用いるようにと置かれていたものだ。
任務が終わると、イェルケルはその日のうちに宰相アンセルミとの会談の時間を取ってもらえた。
そこでイェルケルは今回の任務の更に詳しい話を聞くことができた。
真っ先に、イェルケルはアンセルミに問うたものだ。
「宰相閣下、その、あの方が、奥方であったというのは……本当なのでしょうか?」
「ああ」
「し、しかし、あのような魔法を使える者をどうやって……」
アンセルミは思いが顔に出ぬよう真顔を維持する。
「彼女の魔法は発動まで時間がかかる。注意を聞いたろう? 体表が輝いて、少し経ってから爆発すると」
「あ、はあ、いや、それはそうですが。で、ですが、その、よ、夜とかは……」
「寝床は別だ。さすがにあれと朝まで一緒にいられるほど私も度胸は良くない」
「あ、そ、そうですか。……い、いや、でも、それでは奥方様に怪しまれるのでは」
「無論、夫婦の営みはあったぞ」
「ああ、そうです……か……ってええ!? いや、だって、ばくはつ、したら……」
「だから、前兆があるのだからそうなってから逃げても充分間に合う。アレは怪しまれぬよう腕力も弱いし、しがみつかれても振り払うぐらいはわけない。もちろん扉の外にはあの強固な鋼の盾を持った衛兵が控えていたしな」
イェルケルは、今度こそ完全に絶句した。
つまりアンセルミ宰相は、魔法で爆発する恐れのある女性と、もう何年も閨を共にし続けてきたのだ。
行為の最中に前兆を感じればすぐに逃げ出せるよう心構えをしながら、ずっと、そうし続けてきたと。
「な、何故、そこまでして……」
「イジョラにはこちらの首根っこを押さえている、と錯覚してもらうぐらいがちょうど良かったのだ。いつでも私を殺せる、そう考えているのならば多少の不安要素も気にならぬものであろう?」
宰相の言う内容が大きな優位点であることはイェルケルにも理解できる。
だが、それを実行に移し、このような恐怖の中生活を送り続けられる神経がイェルケルには全く理解できない。
宰相の側近ヴァリオが、イェルケルに優しく諭すように語りかけた。
「危険はあれど充分な準備があれば完全に防ぎきれる危険だ、だそうで。さすがに何度もお止めしたんですが」
「危険なのはもちろんですが、それ以上に、宰相閣下の心の平穏のためにもお止めできなかったのですか」
「宰相閣下にとってアレは、避けるべき危険ではなかったのですよ。意思が強すぎるのも考えものです」
「……なるほど。やはり、国を支える方ともなれば、常人にはありえぬ強固な精神をお持ちなのですなぁ」
ブスッとした顔になるアンセルミ。
「いや、私だってできれば避けたかったぞ? だが、ああするのがあの時点では最良であったわけだし。結果として、イジョラは数年の間これでもかってぐらい油断してくれたしな」
そしてイェルケルは宰相の妻であった女性の正体をヴァリオより教わる。
イジョラではヒト人形と呼ばれるモノである。
人間の赤子を素材に使うので人間である、と言うこともできようが、実際は頭部に魔法的処置を施すことで人間が当たり前に持つ思考能力を失ってしまっており、少なくともイジョラではこれを人間であるとは認めていない。
そこからは魔法による精神操作術を積み重ね、作成者が望む人間モドキを作り上げる。
元々とんでもなく手間のかかる高価なシロモノだが、アンセルミ宰相に与えられたものはその中でも最高級品にあたるものだそうで。
実際に接していたアンセルミ曰く、男の持つ女性への妄想を極限まで煮詰めた女性、であったそうな。
とはいえアンセルミ自身はといえば、私が求めていたのは理想の女性ではなく宰相の妻だったんだがなぁ、どうせならそういうのくれれば良かったのに、と本気でぼやいている辺り、この男もどこかズレている所があるのだろう。
そんな話をしていると、ヴァリオが席を外し、部屋にはアンセルミとイェルケルの二人だけになる。
ちょうど国王と謁見していた時のような形であるが、今度は相手が違う。
アンセルミがそういった雰囲気を作ってくれたこともあり、イェルケルは宰相という立場に臆することなく話を続けられた。
それは両者にとってとても楽しい時間であったようで、予定していた時間を大きく超過し二人の談笑は続く。
それぞれの配下も、二人の仲が良好であるのは今後のためになる、ということで仕事の予定がズレこむことに目をつぶってくれたので、二人は途中食事までもを共にしつつ満足するまで話を続けた。
結局五時間、そうし続け宰相アンセルミが睡魔を誤魔化せなくなったところで二人の時間はお開きとなった。
二人は、必ずまたゆっくりと時間を取ろうと約束を交わし、お互いの寝室に戻ってすぐに寝てしまう。
どちらも、実の父を謀殺した直後とはとても思えぬ、満足気な寝顔であった。