100.カレリア王国の力
カレリア国軍総司令官、ターヴィ・ナーリスヴァーラ将軍の前に出た第十五騎士団団長イェルケルは、既に人をやって報告はしてあったが、同じ内容を自らの口で将軍へと伝える。
こういう時、イェルケルは自らを取り繕おうとはしない。あったことをそのまま、できるだけ正確に伝えようとする。
軍人であるターヴィからすれば当たり前のことだが、貴族社会の影響を強く受けやすい騎士団の報告はどこも虚飾を交えることが多いので、その一点だけ見てもターヴィ将軍がイェルケルを好意的に見る理由になる。
結局、グレーゲル将軍を倒した後もイェルケルたちは嫌がらせを続け、確認できただけでも魔法使いを二十人は殺している。
更に一人、高位魔法が使える魔法使いを捕獲し将軍に引き渡してある。戦果としては破格のものだろう。
まあ魔法使いを捕まえたことに関しては、スティナが危ないことをするなと烈火の如く怒り狂っていたが。
ターヴィ将軍はこの戦果は必ずや宰相閣下に伝えると約束した後、少し、戦いを手伝っていかないかと持ちかけてきた。
もちろんイェルケルに否やはない。
むしろ、第十五騎士団が戦の役に立つときちんと認識されたように思えて、喜び勇んでこれを受けたほどだ。
イェルケルたちがさんざ嫌がらせをし続けてきたイジョラの南西部遠征軍は、魔法で作った陣を敷いて防戦の構えであったが、ターヴィ将軍はこれに対しても前の戦同様、これといった珍しさの無い布陣で攻め入る。
盾をかざした兵の後ろから矢を射掛けつつ土壁へと迫り寄る。
盾兵の密集と堅固さにイジョラは矢でこれを打ち崩せず。
ならばと土壁上に魔法使いを出したところ、待ってましたと矢による集中攻撃が魔法使いに降り注ぐ。
魔法使いも周囲を兵で囲みつつ盾で守らせていたのだが、何せ矢の密度が凄い。
魔法使いが盾の隙間から外を覗き見る余裕すら無いほどの矢雨だ。
しかもこれがいつまで経っても途切れない。
結局魔法使いは何もさせてもらえぬまま後退。
カレリア軍は静かに前進を再開する。
イジョラ軍の抵抗は魔法使いのみではなく、反撃の矢を土壁上より放ちもしているのだが、射手の練度の差か、指揮の差か、上より射掛けている有利なはずのイジョラ側の方がより大きな被害を受けてしまっている。
じわりと迫り来るカレリア軍に恐怖したか、イジョラ側は土壁をより厚く、高くするよう魔法使いの術を重ねる。
魔法使いを外に出して攻撃できないのだから、防御に用いようということだろう。
だが、兵士が土壁に辿り着くのを防げなかった段階で、この壁はもう攻略されたも同然であるのだ。
ターヴィ将軍が準備させていた工兵が土壁を崩す速度は、魔法使いが土壁を作る速度より速いなんてことはありえないが、持続性において魔法使いの比ではないほど掘り続けることが可能なのだ。
ましてや今カレリア軍には、たった四人で主要街道を埋め尽くすほどの土砂崩れを作り出す、魔法もびっくりの化け物がいるのだ。
今回は戦闘に参加しなくていいから全力で土壁崩してくれ、とのターヴィ将軍の申し出に、イェルケルたちはそれはもう本気全力で掘りまくった。
いや、それはもう掘るといったやり方ではなかった。
四人はそれぞれ巨大な丸太を用意させ、これを土壁に突き込むのだ。
そのあまりの衝撃に、土壁の向こう側が勢い良く吹っ飛ぶ。
これを何度も繰り返していくと、当然吹っ飛んだ分の土砂が土壁から失われていくわけで。
敵側も慌てて魔法で塞ぎにかかるが、四箇所でこんな真似をされたせいで、魔法使いがそちらにつきっきりになってしまう。
ターヴィ将軍はこの間にしれっと別の土壁に穴を掘っておき、そちらの壁が崩れるなり騎兵を大量に投入した。
囮にされたと知ったイェルケルたちは揃って眉根を寄せターヴィ将軍を見たが、将軍はというと大笑いするのみでこれを流す。
イェルケルたちの異常な武勇を知って尚このような態度が取れるあたり、国軍の総大将に相応しい肝っ玉の持ち主なのであろう。
もちろん騎馬を突入させた後も別所に穴を開かせる作業を続け、最終的に六箇所の穴から部隊を突入させイジョラ軍を壊滅させた。
戦闘開始からまだ一日も経っていない。
終わってみれば呆気ない圧倒的な勝利であったが、そこに誰が見てもわかるような勝因は無い。
当たり前のことを当たり前以上に丁寧にこなしつつ、ほんの少しだけ非常識を塗した、そんな戦であった。
イェルケルたちも、戦が終わって首をかしげる。
いつどこで戦の趨勢が決したのかがわからないのだ。
だが、さしもの四人も次の戦でおよその見当はつくようになる。
ターヴィ将軍はイジョラ南西部遠征軍を叩いた後、逃げ出した反乱軍の方ではなく西方戦線で奪われた砦を奪回に向かう。
これには理由があり、既に反乱軍は組織の体をなしていないのだ。
南部貴族たちはそれぞれが勝手に国軍との交渉を望み、少しでも自分が負う損害を減らそうとしており、こちらへの対応は既に国軍の手を離れていた。
もちろん、諜報部が動き回ったが故の結果である。
ターヴィ将軍はこのように南から順に敵を潰していく。
砦に対しても、攻め方はこれといって変わらないのだが、ここでターヴィ将軍はイェルケルたちに任務を依頼する。
曰く、城壁を越えて中に入り正門を開いてくれ、である。
こんな馬鹿げた命令をイェルケルたちは二つ返事で了承し、城壁への攻撃で敵の目を逸らしている間にイェルケルたちが壁を登り、邪魔者を蹴散らしつつ正門を開く仕掛けの部屋へ。
大人が四人がかりで回す装置をアイリが一人で軽々と回し、残る三人は部屋に突っ込んでくる兵士をさくっと殺して任務完了。
後はもうイェルケルたちが手を出すまでもなく、あっという間に砦内を制圧してしまう。
この時の動きで、イェルケルたちはターヴィ将軍と国軍の凄さを理解したのだ。
まず砦に乗り込む前にアイリが、砦上に向かって弓を放つ兵士たちを見て驚いた。
「なんという練度か。それに、遮蔽を決して疎かにせぬ注意深さも実に素晴らしい。西方で戦場を共にした弓兵たちも素晴らしかったが、こちらの動きの良さは彼らに勝ろう」
スティナは城壁にかける梯子を準備している部隊に感心していた。
「梯子運搬用の盾なんて用意してるの? 誰よこれ考えたの。え、何これ、梯子登る時用の盾も別にあるの?」
運用失敗したら無駄に手間がかかるだけだろうに、そこまで準備するのはきっと上手くやる自信があるのだろう。
そして突入を見守っていたレアが驚きに目を見開く。
「うわっ、騎馬隊、全然興奮してない。突っ込みすぎない、でも確実に、橋頭堡作ってる。あ、歩兵が追いついたら、また前に行った」
後続の歩兵たちとの連携も完璧。
どんな訓練をすればこんな軍隊が出来上がるのか、イェルケルたちには想像もつかない。
戦争というよりは、職人芸でも見せられた気分であった。
そして戦が終わって将軍皆が集まっての軍議になると、今回の一番手柄はイェルケルたち第十五騎士団だ、と言ってくるわけだ。
ターヴィ将軍のみならず、他の将軍たちも皆当たり前の顔をしてそう言ってくるのに、イェルケルの方が困惑してしまう。
先も今も、将はまるで討ち取っておらず、そもそも敵もほとんど殺していないというのに。
他の将軍たちが口々に、いかにイェルケルたちの働きが素晴らしく勝利に不可欠なものであったのかを説明してくれたので、理解はできたが軍のあり方としてはこれでいいのかと疑問に思えてしまう。
勇気を持って敵に向かっていった者こそが、一番の手柄なのではないだろうか、とイェルケルは思うのだが、カレリアの国軍とはきっとこういう場所なのだろう。
勇敢なる兵士を軽んじているのでもない、だが、それ以外の確固たる基準を彼らは持っているのだろう。
砦で数日過ごしていると、南方より南部貴族連合解体の報せが届いた。
これで南方は、完全にカレリア国軍が制圧したことになる。
アンセルミ宰相は執務室でその報告を聞いた。
「さすがはターヴィ将軍、見事だ」
報告を行なっていたヴァリオは感心した顔のアンセルミとは対照的に随分と醒めた顔である。
「あれだけ予算を取っているのですから、このぐらいはしてもらわなければ」
「そうだなぁ、常備軍って意味わからんぐらい金かかるし。それでも金さえ払えば戦に勝てるというのであれば、幾らでも用立てようという気になろう」
「戦は幾ら金をかけようと、博打的要素がついて回るものです。……とはいえ、最後の最後は戦に頼らねばなりませんか」
「無理に最後まで引っ張るぐらいなら、最初から使ってしまった方が効率的だとも思うがな。はっ、それで脇腹刺されていては世話が無いか」
「既に起こってしまったことです。戦が長引いたことを好機と捉えるべきでしょう」
「ん? ……宮廷庁の予算削減か?」
「はい。ちょうど暗殺者にも手ごろなものがおります。また、山と連なる別件たちも同時に処理を進めるべきかと」
アンセルミは元よりソレを厭うつもりはないが、それでも気が滅入るのも仕方が無いことだろう。
「つくづく、宰相というのは因果な仕事よな」
「基本的には国全体の尻拭いが仕事ですから、一番嫌な仕事は閣下に回ってくるものでしょう。ただ宮廷庁に関しては、王家というくくりで見れば自業自得かと」
「……私がそーしたわけではないぞー」
「何を今更。後始末は、事を起こした者ではなく、後始末ができる能力を持つ者がするものですよ。もっとも、自分で後始末ができる者は、そもそもこちらに手間をかけさせるような無様な仕事はしないものですがね」
「それが嫌なら常日頃からきちんと管理しろということか。新規直轄領の様子は?」
「予定通りが半分、予定の八割が更に半分、残りは予定の半分もいっていない、といったところでしょうか」
「……初年度からかなり税収に差が出そうだな」
「きちんと役人を派遣している土地は成果が出ています。駄目なのは貴族に任せたところばかりですから、一年ぐらいは大目に見ましょう」
「ん? 一年分の失策は見逃すと?」
「一年分の失策を材料に失職していただきます」
「だよなぁ。確か私の弟も二人、やってたと思うが……」
「どちらもダメです。今すぐにでも役職を取り上げるべきですな」
「……どちらも頭の出来は悪くないと思ったんだが」
「王都にいるのならともかく、外に出れば王族というだけで身分の低い者は無条件に平伏します。こう言ってはなんですが、その状況でまともに育つ方がどうかしていると思われますが」
「そうならんよう、王都で充分教育したはずなんだがなぁ。二人にはお目付け役もう一人ずつ増やして、後少しだけ様子を見てやってくれ。……なあ、イェルケルの奴はそうした教育受けてないだろ。アイツはどうしてあんなに謙虚なんだ?」
「正直、理解不能です。あの方はもう王族だのなんだのといった枠組みから外して考えるべきかと」
「だーかーらーこーそー、一度ゆっくりと話をしたいんだがー」
「はいはい、今回の戦が終わって戻ってこられたらそういう時間も取りますよ。事と次第によってはイェルケル殿下にご協力願うこともあるかもしれませんし」
「あまりアイツに負担かけてやるなよ、成果を見る分にはひたすら無理し続けてるようにしか見えんのだからな。イジョラ魔法兵団の方はどうだ?」
「こちらの予定通り、陣地作って引きこもってますな。まああれだけ騎馬で引っかき回されては致し方無いかと」
「あんな馬鹿みたいに攻撃力ある部隊とまともにやりあうわけなかろーが。こちらの騎馬隊の練度も、連中には予想外だったかな」
「毎日毎日朝から晩まで訓練しかしていないのですよ。こういう時に役に立ってもらわねば困ります」
「いや、あの訓練相当キツそうだったし、少しは頑張りを認めてやれ。後は……」
「はい。イジョラとの今後の付き合い方です」
「オスヴァルドはなんと?」
「国境を固め、交易を禁じて干上がるのを待つべき、と」
「帝国は?」
「イジョラ抜きで対処すべし、だそうです」
「こちらからは攻められず、無理に攻めたとしても占領はできない、か。条件が悪すぎる。帝国もあの国の危険さに気付いていてくれればいいのだが」
「あちらに魔法が漏れた様子はありません。我らとてオスヴァルドが居なければ気付けなかったでしょうに」
「そうだな……生まれる赤子の半数以上がまともな人間の形をしていない、なんて話はそうそう聞けるものでもないだろう」
「呪われた大地、まさに、そのものですな。寿命も我が国の民と比べて驚くほどに短い。あのような土地に我が国の者を入れるなぞ断じて認められません」
「だからこそ、味方で居てもらうのが一番だったんだが。こうなっては仕方が無い。あの厄介な国を背負うのは帝国にやってもらうとしようか。はっはっは、何故だろうな、肩の荷が降りた気すらしてきたぞ」
「……宰相閣下、苦労なされてましたからなぁ」
珍しく、本当に珍しくヴァリオがアンセルミに同情している。
アンセルミはというと特に気にした風もなく話題を切り替える。
「良し、ならばアルハンゲリスク、攻めるか」
「軍を以ってですか?」
「いいや、それ以外でだ」
二人はにやりと笑い合う。
対帝国の体制を固めるため、アルハンゲリスク大公国をカレリアに組み込むことが、この瞬間決定したのである。
アンセルミもヴァリオも、経済力のみでそうすると豪語しているのだ。
そしてそれは、武力で攻め滅ぼすよりよほど確実な攻め方であろう。