010.決して逃れえぬ死に向かって
イェルケル傭兵軍は辺境領への道程を半ばまで来た所で宿営していた。
行軍は順調。予定していた通りの進路を予定通りの時間で進む。現地でどう動くかも概ねは打ち合わせ済みだ。
補給が届かなくなる可能性を考慮して用意したかなり多めの食料を運びながらであるから、優れた行軍と言って差し支えないものであろう。
だが、そこで、致命的な問題が発生した。
「……すまないアンスガル。よく、意味がわからなかったのだが、もう一度言ってもらえるか?」
イェルケルとアイリ、スティナの三人は同じ天幕に入っている。ここに、アンスガルが二人の副官を伴って訪れた。
アイリは顔中蒼白にしており、スティナは凍りついたような無表情に。
「ええと、ですね。わかりやすく言いまさ。誤解の無いようにね。つまり、俺たちゃぁ女に指揮されるなんざまっぴらだって言ってんですよ。殿下、アンタは良い。ほんの少し一緒に居ただけですが、優れた騎士だってのがよくわかる。ですがね、後ろのお二人は駄目だ。あっしの目から見てもまるでモノになる気配が無いし、今回の作戦じゃあ分隊をこのお二方が指揮するというじゃありませんか。そいつは受け入れられねえ。女はね、戦場に出るとヒステリー起こすんですよ。どんなに豪胆に見えても、どんなに優れた騎士であろうともね。戦場でしかも指揮官にそれやられちゃこっちは全滅だ。俺たちは傭兵ですが、好き好んで自殺しようってつもりはさらさら無いんでさ」
信頼できるかもしれないと思いはじめていたアンスガルからこんなことを言い出され、激しく動揺しながらもイェルケルは反論する。
「なるほど、女騎士は珍しいからお前が危惧するのもわかる。二人共私が騎士へと引き上げたから余計そう思えるのかもしれないが、アイリもスティナもカレリア王国が騎士見習いとして認めた人物だ。放っておいても数ヶ月後には騎士になっていただろう。アンスガルが心配するようなことは一切無いと私が保証しよう」
首を横に振るアンスガル。
「お国がどうとか、そういう話じゃねえんですよ王子。もし王子がコイツを認めてもらえないんなら、これ以上の行軍は拒否させていただきやす。あたしだけの話じゃないんですよ。兵士たちが皆、女の指揮に納得してねえんだ。これじゃあ無理にやらせたって上手くいくわきゃねえ」
あまりと言えばあまりな話だ。傭兵たちへの配慮に一番心砕いていた、アイリの受けた衝撃はどれほどであったろうか。
それを思うとイェルケルは心潰れる思いであったが、今はアンスガルを説得するのが先決だ。
アンスガルの言葉の矛盾をつこうとするイェルケルの機先を制してアンスガルが言った。
「すんません、さすがにこれ以上お二人の前でしたい話じゃありやせんわ。あっしもね、好き好んでこんな美人さん方にキツイこと言いたいわけじゃないんで。ここは一つ、お二人は下がらせてもらえませんかね。こっちも副官二人は下げますんで、二人で話しましょうや」
「それはできない。二人は私にとって……」
イェルケルの言葉をスティナが遮る。
「いえ殿下。私たちは天幕から出ていましょう」
「しかし……」
「大丈夫です。殿下がどのような判断を下そうと、私たちの忠誠は変わりません。それよりも殿下が窮地に陥る方が私たちにとっても困りますよ。殿下が我々にとって最も良いと思う決断を下してくださいませ」
そう言うと、両手をぎゅっと握って震えているアイリの肩を抱きながらスティナは天幕を出ていった。これに続いてアンスガルの副官二人も天幕を出る。
残ったのはイェルケルとアンスガルの二人。
イェルケルは必要以上に強い口調で言う。さすがにイェルケルも腹を立てているのだろう。
「金で雇われたとはいえ軍の一員である以上命令違反は重罪だ。それがわからぬお前でもあるまい」
「さて、それはどうでしょうねぇ。その罪とやらを裁くのはいったい誰なんでしょうか」
イェルケルが驚きに硬直する。
「それでですね。こっちの要求は実は女騎士さん二人を外せって話じゃないんですよ王子」
「何?」
「あたしらに働いてほしきゃ、二人の騎士叙勲を取り消せって話でさ」
あまりの衝撃にイェルケルは、危うくその場で崩折れてしまいそうになった。
イェルケルが任務を果たすために、絶対必要な兵を束ねるこの男は、バルトサール侯爵とケネト子爵の息がかかっていたのだ。
しかも元帥府からも何やら言い含められている。多少の無茶は元帥府の方で飲むと話はついているのだろう。
呼吸十回分。イェルケルは俯き加減に震え続ける。アンスガルはそれを見守っていたが、間を空けた後穏やかに語りかける。
「王子、何もややこしく考えるこたぁありやせん。五百の兵と二人の騎士と、どっちが強いかなんざ考えるまでもねえ。そもそもあの二人ならあっし一人でも充分お釣りが来らぁ。この後命令果たさなきゃなんねえんすよね? 戦、しなきゃなんねえんすよね? ならどうすりゃいいかなんてすぐわかるじゃありやせんか」
イェルケルは何も答えない。
「二人を切って、んで任務果たして戻ったら頭を下げるべき所には下げる。何、王子ほどの器量がありゃ幾らでも挽回できまさぁ。そいつだけはあっしは信じられるんでね。あの作戦案、本当に良くできてましたぜ。初陣とはとても思えねえ」
顔を上げたイェルケルの表情には苦悩の皺が刻まれている。アンスガルは慰めるように続けた。
「そりゃ心が痛むでしょう。二人にゃ後で恨まれるかもしれねえ。でもね、大丈夫ですよ。王子がこの場で騎士叙勲を取り消すよう二人に言ってくれりゃ、後はあっしらがやりまさぁ。二度と二人が王子の前に顔を出すこたぁありません。確かに二人共大した美人だ、心残りがあるのは仕方ねえ。ですがここは綺麗さっぱり忘れて、次に行きましょうや次に、ね」
搾り出すようにイェルケルはアンスガルに問う。
「何故、この話をお前は受けたんだ? 気分の良い作戦ではないだろう」
「気分で腹は膨れやせんて。それにね、あっしらは慣れてるんですよこういうの。人間誰しも都合の悪いことはありまさぁ。そいつをね、ちょこっとの金で解決してやる。そんな便利屋なんですよ。もちろん王子だって、もし手が必要になったってんなら言ってくれりゃ、どんなクソみてぇな話だって金次第で乗りやすぜ」
イェルケルは腹をくくってアンスガルに言った。
「わかった。なら、一つ案があるが聞いてもらえるか?」
「へい、何でしょう?」
「傭兵たちの前で、あの二人に盛大に恥をかかせろ。騎士の名を持つにもかかわらず、一騎打ちで傭兵風情に敗れる惨めな様を私に見せてくれないか」
思わず噴き出すアンスガル。
「はっ、はははははっ! 王子! なるほどそいつは名案だ! それなら二人をクビにするに充分な理由だ! ねえ王子! あっしは本当に王子が気に入ってるんですよ! 良かったですよこんなことで貴方が破滅するようなことがなくって!」
イェルケルは天幕から外に出ながら言った。
「私も、お前のことは気に入っていたよ」
一騎打ちが二つ。対峙するはスティナとアンスガル、そしてアイリと傭兵団一の剣の使い手ジョシュアの二組である。
彼らを取り囲むように傭兵たちがおり、皆思わぬ娯楽に歓声を上げている。
何せスティナもアイリも滅多にお目にかかれぬような美人だ。それが徹底的に叩きのめされるというのだから、タチの悪い趣味を満足させるに充分な催し物であろう。
始める前にイェルケルが注意事項を。
「傭兵たちが二人の騎士を侮辱した。二人は騎士である以上、奪われた名誉は剣にて奪い返せ。しかし、お互い戦を控える身。命を取ることはまかりならん。心するように」
スティナとアンスガルはまだ、スティナが長身であることもあり見栄えはそれなりにする。とはいえスティナの方が細く小さいのは当然だが。
しかしアイリとジョシュアの組み合わせは最早大人と子供だ。
ジョシュアは特に大きな体を持ち、見たこともないような長大な剣を握る。手にした剣まで大人と子供の差がある。
女二人を嘲笑う声がそこかしこから聞こえてくる。
スティナとアイリはイェルケルの意図を正確に把握しており、この処遇に、心から感謝していた。
「はじめ!」
だからこの合図と同時に、二人は勇躍それぞれの敵に襲い掛かっていく。
まず、スティナ対アンスガルだ。
最初の一撃を、アンスガルは受けきれず剣を弾き飛ばされる。
呆気に取られる観衆、そしてアンスガル当人。当然の顔をしているのはスティナのみで、自分で弾いた剣を拾ってアンスガルに向かって投げてやる。
「次、二本目」
そう言うと神速の踏み込みから切り下ろす。アンスガルではなく剣を狙ったものと察したアンスガルは剣を引く。が、何故か間に合わない。
ありえぬ加速によりアンスガルの剣は再び叩き落とされる。スティナはそこで手を止めず、アンスガルを蹴り飛ばして後ろに下がらせる。
弾いた剣は地面に当たって大きく跳ねる。これを自分の剣先で器用にひっかけ、くるりと回しながら剣で剣を投げる。
投げた剣は綺麗にアンスガルの手に収まった。
「三本目。負けを認める気になったら言ってちょうだい。それでも許さないから」
アイリ対ジョシュアはもっとヒドイことになっている。
ジョシュアが大振りに振るった大剣を、アイリは真正面から切り返して堂々と受け弾くのだ。
大人が振るった棍棒が、子供の振るう枯れ木の枝に弾き飛ばされている。そんな風景だ。
剣の強度と重量を考えれば、ジョシュアの大剣をアイリの剣が受けることなぞできるはずがないのだ。
にもかかわらず、アイリはむしろ大剣に打ちかかるようにしていながら折れず、ジョシュアの大剣の方が押され弾き出される。
ジョシュアは既に小娘を相手にしているとは思っていない。
目の前の不可思議な現象に抗うべく、必死になって全力を叩き込む。だが、アイリは涼しい顔で全ての剣撃を弾き言った。
「これが一番の使い手だと? ただの力自慢ではないか。ロクに技も知らぬでは仕方があるまい。ほれ、力比べをしてやるから打ち込んでこい」
片手に持った剣をまっすぐ立て、半身になった姿勢で構えるアイリ。
雄叫びと共にジョシュアが勢いをつけ全体重を乗せながら切りかかる。
ほんの一瞬、衝突の瞬間剣を引くことでジョシュアの威力全てを受け、止める。そこからは鍔迫り合いだ。
低い位置のアイリに、上からのしかかるようにして大剣を押し込むジョシュア。
しかし、片腕のみでこれを支えるアイリはぴくりとも動かない。
「ふむ、力は、まああるか。体重の乗せ方も悪くない。所作が隙だらけなのは……もう仕方が無いな、言ってどうこうなるものでもあるまい。そこは諦めるとしよう。では、そろそろ動くぞ、覚悟は良いな」
あくまで片手のままで、アイリは剣をじわりと押し上げる。
アイリの剣より、ジョシュアの大剣の動きの方がわかりやすい。押し込まれるにつれ、その先端がより大きく浮き上がっていく。
そのまま更に押し込まれていき、遂に大剣は垂直に。そこで止まらず、アイリが押し込んでいくにつれ、大剣を体の前に構えた姿勢のままでジョシュアは後ろに倒れていき、膝を折ってもまだ許されず、完全に仰向けに倒れてもまだ剣は止まらず、受けに使っていた大剣がジョシュアの首元に押し付けられていく。
「ま、待てっ!」
「命は取るなとの仰せだ。心配するな」
そんなことを言いながらも、アイリは剣を止めることは無い。
既に苦しさのあまりジョシュアは言葉も出せない。
不意にアイリは首だけを後ろに向け、イェルケルに問う。
「殿下、首とは切れば死ぬのでしたか?」
「ああ、そこを切ったらさすがに死ぬな」
「なるほど、でしたら腕の一本でも……」
「その時は出血で死ぬだろう」
「おお、確かにそうですな」
この会話の間も、まるで剣から力は抜けず。
この頃にはスティナの方も三十本目に入っており、アンスガルは絶望的な目でスティナを見ている。
剣を強打され続けたせいで、アンスガルはもうまともに剣も握れぬ程手が痺れてしまっている。
アンスガルも長く剣に生きた男だ。それが幾ら信じられぬといっても、彼我の圧倒的な技量差は理解できる。
卑怯者の謗りを覚悟の上で無茶をして勝負を引っくり返そうともしたのだが、問題にもならない。そもそもこうして対峙した時点でどうにもしようがなくなる相手であった。
勝てぬとわかればすぐに次の手を打つのがアンスガルだが、スティナはその猶予を与えない。
打って剣を落としてはすぐ投げ渡し、アンスガルが受け取りを認めようと拒否しようと、打ちかかってくる。
剣を持たぬまま打ち込まれた時は、剣の平でぶっ叩かれた。剣の平で振ったというのに、アンスガルはその剣筋すら見えなかった。
傭兵たちは出来の悪い見世物を眺めているような錯覚を覚えた。
彼らがクズながらもその力に敬意を払い従ってきた強者二人が、女二人に完膚なきまで叩きのめされているのだ。
呆然としたまま黙り込み、ただ剣が打ち鳴らされる音のみが響く。
アンスガルもジョシュアも、遂に身動きが取れぬほど困憊しきり地に伏す。
それぞれの敵手を見下ろすアイリとスティナ。
イェルケルは厳かに宣言する。
「女だからと騎士を見くびり侮辱した罪は重い。斬れ」
ほぼ気絶していたジョシュアは無抵抗のままに首を刎ねられる。
うつ伏せに倒れていたアンスガルは、首を持ち上げ恨みがましくイェルケルを見上げ、その姿勢のままスティナに首を斬られた。
イェルケルは残った傭兵たちに告げる。
「この部隊の主は私、イェルケル王子であり、私の副官は二人の騎士アイリとスティナである。文句のある者は早々に申し出よ。我が騎士のいずれかが相手をしよう」
傭兵たちから異論は出ず、そのまま決闘騒ぎは解散となった。
その夜。イェルケルはアイリとスティナを伴って密かに天幕を抜け出し、宿営場所から少し離れた小高い丘の上に居た。
こうしたのは、寝込みを襲われるのを恐れたという理由もあるが、それ以上に、傭兵たちがどう動くのかを良く見える場所で確認しようと思ったのだ。
「……やはり、無理だったか」
落胆するイェルケルにスティナは慰めるように言う。
「殿下はあの状況でできる限りのことをしましたわ。結果がこうなったのは時の運でしょう」
宿営場所から、傭兵達が次々逃げ出していくのが見える。アイリはずっと憤慨したままだ。
「あれだけ偉そうなことを抜かしておきながら、いざこうなると一目散に逃げるだと? 殿下、今すぐお命じください。あやつら一人残らず斬り殺してくれましょう」
イェルケルに代わってスティナがこれを宥める。
「無駄なことしないの。アレ全部斬ったところで、何一つ状況は変わりはしないんだから」
イェルケルはアンスガルと部隊一の猛者を斬ることで、残る傭兵たちを掌握しようとしたのだ。どの道指揮官であるアンスガルが生きていては、どれだけ脅そうと戦場での傭兵軍が全く信用できなくなる。
イェルケルの苛烈な処断と騎士二人の圧倒的な力で傭兵たちをねじ伏せ従わせようとしたのだが、彼らは皆逃亡の道を選んだようだ。
或いはアンスガルの言っていた女騎士に従うなぞ冗談ではない、という兵たちの話には真実の部分もあったのかもしれない。
三千を五百で相手取るといった無理を通すのに、アンスガルではなくイェルケルたちでは心許無いと思ったという線も充分にありうる。
アイリは諦めきれずイェルケルに言い縋る。
「まだ間に合います。連中の前に行き戻るよう命じれば……」
「たった三人で五百人を見張ることなどできはしないよ。いざ突撃、という時に逃げ出されるぐらいなら、今そうされた方がまだマシだ」
スティナは、手にしていた地図を見下ろす。
これは地図の写しで幾ら書いても良いものであるが、写しは何枚も作れないのでこの一枚を見れば作戦の全てがわかるよう工夫して書かれたものだ。
細部に渡って書き込みがしてあり、敵の動きの予想からこちらの対応まで様々な場合に合わせて動き方を変化させられるよう書き記されていた。
出陣までの間、三人で必死になって考えた作戦の全てがこの一枚に込められている。
これをスティナは二つに折った後、おもむろに半分に千切る。千切れた二枚を重ね、更に千切る。幾重にもそうして小さく細かくなるまで千切り、風に乗せ流した。
イェルケルもアイリもスティナを止めない。こんな紙切れもう必要ないと二人にもわかっている。
考えることも、やるべきこともたくさんあるのだろうが、三人は今は何もする気になれない。
ただ逃げ出していく傭兵たちを、見送るのみであった。
傭兵たちは物資に手を付けるような度胸は無く、イェルケルたち三人は山と残った食料で妙に豪勢な朝食を取る。
そして食事が終わるとイェルケルは誰に言うともなくぼやく。
「さて、本当に、どうしたものかなぁ」
スティナは大きく伸びをしながら。
「暗殺でもしますか? できることってもうそれぐらいしか無いですよ。成功するかどうかは別として」
アイリは真顔で作戦案を提示する。
「私とスティナならば全速力で走ればそうは追いつかれません。それが山道なら尚良しです。なので攻撃しては逃げるを繰り返すというのはっ」
イェルケルは思わず含み笑う。
「この期に及んで、聞けば答え返してくれるもんなぁ二人共。大したもんだよ」
それが冗談と受け取られぬよう、イェルケルは硬い表情を作る。
「なあスティナ、アイリ。私はね、どんなに侮辱されようとも、どんな冷遇を受けようとも、我慢はできたんだ。だって何を言われようと私は自分が強いことを知っているからね。私を蔑む誰よりも私は強いと私自身が知っているし、いざという時になれば誰よりも私が有用だと証明する自信があったんだ」
自嘲気味に笑うイェルケル。
「それだけが私の依って立つ全てだったんだよ。だから軍務を命令されて、できませんでしたなんて言うことだけは絶対に許せない。それだけは、断じて認められないんだ」
嫌な想像をしているようで、イェルケルは目尻を上げ眉根を寄せる。
「戦の場で役に立てぬのなら、そう後ろ指さされるぐらいだったら…………死んだ方がマシだ」
比喩表現でも誇張表現でもない、そのままの意味の言葉だ。
重苦しい最後の言葉に、イェルケルの決意が込められている。
アイリが勢い込んで何かを言おうとして、スティナの腕に制される。スティナもまた睨むように険しい表情でイェルケルに言った。
「殿下。もし私たちを、真に殿下の騎士であるとお認めくださるのなら。命じてください、共に死ねと」
スティナの目は本気であり、アイリもまた同じ意見であると表情が言っている。
それでも尚、イェルケルは躊躇する。大切な部下を、ようやく見つけた信じられる友を、自分の我侭で死なせて良いものかと。
スティナはそんなイェルケルの迷いがわかるのか、更に言葉を重ねる。
「騎士は主君のために死ぬものです。もしそうできたのなら、他の誰が認めず納得しなくても、私たちだけは、満足し納得し喜んで死んでいけるでしょう。いずれ死ぬ身の騎士ならば、せめても死に場所ぐらいは良いものを選びたいのですよ」
この迷いは完全に晴れることは無いだろう。それでもイェルケルはスティナとアイリの説得は無理だと思えたし、何よりイェルケル自身が、一緒に死ぬならコイツらが良いと思えてしまったのだ。
「わかった。一緒に死んでくれるか、スティナ、アイリ」
「もちろん。地獄の底にだって付き合いますよ」
「良くぞ言ってくださった! これでもう恐れるものは何もありませぬ!」
「…………そうか。よろしく、頼むぞ」
この瞬間、イェルケル、スティナ、アイリの三人で、三千の兵に突っ込むことが決定した。
イェルケルは二人の顔を見る。
アイリは無邪気に嬉しそうな顔をしている。幼さの残る愛らしい顔立ち、響く横笛のような澄んだ声、言葉や表情だけでは飽き足らず小柄な体を目一杯使ってする感情表現の数々、一日中眺めていても飽きないだろう。
ずっとアイリを見ていると、娘に狂う父親の気持ちがよくわかる。あまりに可愛らしすぎて目の中に入れても平気でいられるだろう、そんな娘に見える。
愛くるしさの塊のような娘だが、勇気と武勇は唸るほどその身に詰め込んでいる。
スティナは穏やかに微笑む。大人びた表情をすることの多いスティナだが、いつもどこかに幼さを感じさせる。無理に心を大人に育てたため、顔つきが追いついてくれてないのではないかとイェルケルは思っている。
スティナの女性主張著しい胸は確かに大きいものだが、彼女の全体像から大きくバランスを崩すようなものではない。
お尻の曲線やら腰のくびれ、首元の前も後ろも、全身各所の部位が女の子をこれでもかと魅せに来るが、高身長のぴんと伸びた背筋を中心に、絶妙のバランスを保って破綻することが無い。
美貌と世の女性全てが羨む体型を手にしているスティナは、口が悪く、タチが悪く、ガラもあまりよろしくない。それでも、心許した相手に見せてくれる油断しきった笑顔は、何よりも眩しいものに見えるのだ。
そんな彼女の剣は、神速の名が相応しかろう。傲慢で不遜な態度を押し通すに足る、圧倒的実力者である。
イェルケルは我が身の幸福をかみ締める。あまり良いことの無い人生だったが、最後の最後にこんなにも素晴らしい友を与えてくれたのだから、イェルケルとしては帳尻は合ったと思えてしまう。
ただ、少しの照れくささはある。後はイェルケルも男の子であり、二人が美人すぎるのも照れに拍車をかけている。
なので、二人から視線を逸らしながら別の話を振ってみる。
「なあ、三人で何人やれると思う?」
下らない話。それも、この三人でならきっと楽しいだろう。すぐに二人も乗ってきたのは、もしかしたら二人も照れていたのかもしれない。
「そもそも敵前衛に届きませんわ。殿下は?」
「向こうもまさか三人で来るとは思わないだろう。そんな不意を突いて前衛に辿り着き、そうだね、五十ってところか」
「あら、前衛に届いたんなら百は欲しいですわよ」
「そうは言うがなぁ、アイリはどうだ?」
「え? あ、いや、そ、そそそそうですな、おおむね二人と同じぐらいですかなっ」
歯切れの悪い返事に、イェルケルとスティナがじとーっとアイリを見つめる。
「っだー! わかりましたってば! 正直に言わせてもらえれば、私は五割ぐらいで勝てるんじゃないかなとか思っております」
スティナがアイリの脇をつつきながら。
「一人頭千よ千。どうやったって無理じゃないの」
「ええい、やめんかっ。全滅するまで三対三千の戦いが続くわけなかろう。三分の一も殺せば恐れおののき逃げ出すだろうに」
イェルケルもさすがに呆れ顔を隠せず。
「それでも一人三百以上だぞ。というかだ、八方から一気に押し込みにかかられたら防ぎようが無いだろうに」
これにはスティナが反論する。
「三人居るんですからその辺はなんとかなるでしょ。問題があるとすれば殿下ですわねぇ」
「お前らと同じ水準を要求するなっ! そもそも体力がもたん」
アイリが平然と答える。
「日が暮れるまで戦えれば、後は一度引くなりなんなり好きにできるでしょう。殿下がそこまでもつかどうかが鍵ですなぁ」
「……お前たちは大丈夫なのか?」
「私でしたら、丸二日山を駆け回ったこともあります。戦がどれほど疲れるのかはやってみなければわかりませんから、具体的にいつまで大丈夫とは言えぬのですが」
「…………スティナもか?」
「ええ、アイリにできることは大抵私にもできますわ。できないのは背を縮めることぐらいかしら」
「すううううてぃいいいいいなあああああ! 言ってはならんことを言いおったなああああああ!」
気にしてたんだ、と今更なことを思うイェルケルを他所に、二人の間で掴み合いが発生する。
「ま、私が倒れた時は、二人は構わず突っ込んでくれ。せっかくの晴れ舞台だ、妙な気遣いは無用だぞ」
スティナとアイリはじゃれあいをぴたりと止め、同時に言った。
「「絶対に嫌です」」
まずはアイリが。
「この期に及んで何をおっしゃるか! 殿下が死んだらそこで私も死ぬので、敵首魁を打倒したくばせめて敵本陣中央までは生き残ってください!」
次にスティナが。
「見てくれる人が居るから頑張れるんじゃないですか。殿下が死んだら私は速攻諦めて、さっさとあの世に追いかけに参りますよ」
肩をすくめるイェルケル。
「その時は盛大に恨み言言われるんだろうなぁ。今から憂鬱だよ」
さて、じゃあそろそろ行くか、と三人は三人分だけの食料を馬に乗せ、出立する。
去り際に、アイリが宿営地を振り返って見ていた。
彼女の視線の先は大量の糧食が置かれている天幕。その周囲には傭兵たちが運び易いようにと、彼女が元帥府相手に大暴れして用意させた多数の荷馬車が並んでいる。この荷馬車一つ一つを造りがしっかりしているかどうか確かめて回ったのもアイリだ。
アイリがこれを見送りながらどんな表情をしているのかは、結局彼女が振り向いた時にはいつものアイリであったので、イェルケルにもわからぬままであった。