001.王子、窮地に陥る
カレリア王国第十五王子イェルケルは、齢十七にして生まれて初めて、生死の際にまで追い詰められていた。
場所は査察に訪れた辺境地区の城。昼食にと招かれた大部屋で、出てきたのは食事ではなく金属鎧に身を包んだ完全武装の兵士三十人。
食事に来たイェルケルは当然鎧なぞ身につけてはおらず、王国騎士の正式な衣装でもある上下黒で金の刺繍が入った制服と、騎士の嗜みとしての剣を一本差しているのみ。
イェルケルはかなり鍛えこんだ体つきをしているが、長身のせいか細身に見られがちだ。また、その優しげな風貌も線が細く見られる一因でもあろう。
そんな若造が武器を持ったとて、殺気に満ちた兵士たちが怖じる道理はありはすまい。
遥々辺境まで来た旅の苦労を労うと言われ昼食に招かれ、配下の騎士五人と共に席に着くなり大扉を開いて三十人の兵士が雪崩れ込んできた。
イェルケルは咄嗟に剣を抜き、内の一人の剣を払い落とした。
狼藉者を怒鳴りつけようとしたところで次なる兵が挑んできたので、そちらも殺さず剣を弾き飛ばしてやる。
しかし三人目は背後から来られたため、イェルケルも狙いを定めている余裕がなく、勢い良く剣を薙いだらその兵士の頭部を直撃し、彼はその場に倒れ伏した。恐らく即死であろう。
しまった、という顔で周囲を見渡すイェルケルは、そこでようやく、自身がこの昼食会を開いた城主にハメられたことと、敵が本気の殺意を持って襲い掛かってきていると知ったのだ。
供の五人の騎士は全員斬り伏せられ、周囲にはイェルケルが仲間を殺したことで殺気だった兵士たちが、抜き身の剣を手にこちらを睨みつけている。
兵士たちの後ろの安全域で、サルナーレ辺境領の領主は少し驚いた顔でこちらを見ていた。
「これは予想外ですな。まさかここまで段取りしておきながらこちらに損害を出そうとは。いやはや、騎士学校首席卒業は伊達ではないということですかな」
服を着たヒキガエルのようなでっぷりとした領主は、嫌らしい顔で笑い出す。
「てっきり王族のご威光にて得た名誉だとばかり思っておりましたよ」
イェルケルは内心で、十五人目の王子なぞに威光も何もあるものか、と罵るが、口に出したのは別の言葉だ。
「事情の説明云々ではなく、まずお主の正気を問いたいところだ。王の使者として訪れた私に手を出す意味が、わかっているのだろうな」
精一杯の虚勢を張り、胸をそびやかしながら言うイェルケル。騎士学校を出てまだ三ヶ月であるからして、実戦の経験なんて絶無で。こうして人を斬ったのも生まれて初めてなのだ。
更に言うならば、ヒキガエルのようであっても彼は一領を預かる領主様で、そのような地位の相手とこうして差し向かいでやりあった経験も無い。剣を向けられていることではなく、そちらの方にこそイェルケルは緊張し、膝が震える。
ヒキガエルはというと、王子とは言えイェルケルのような若輩者を相手に緊張するなどということは無い。
「ははは、わざわざご教授いただき恐悦至極。ですが、当たり前ですがそのようなお言葉で貴方の命は助けてやれませぬなぁ」
イェルケルは他人に悪意を向けられることには慣れている。悪意に殺意を伴うのはこれが初めてであるが、イェルケルは周囲を見渡し、殺意とやらはこの程度かと小さく笑う。
「なあ、一つご領主殿に問いたい」
「ふむ? 問いですか? 命乞いではなく?」
「ああそうだ。私はここから、何人殺せると思う?」
「は?」
両肩をぐるりと回し、首を左右に曲げて簡単な準備運動とする。
「私は十人ぐらいは殺せると思うんだがね。まあいいさ、事ここに至っては口で何かを言うことに意味なんかない。そしてキサマは、絶対に殺す。いいか、私を殺すのはいい。ハメられた私が愚かだったということだろう。だが、キサマだけは絶対に許さん。私の目の届く範囲に来たこと、後悔させてやる」
そう言ってイェルケルはテーブルの上に飛び乗り、その先に居る兵士たち、もっと言えば更に奥に居る領主へと斬りかかっていった。
ふと、イェルケルは思い出す。一緒に連れてきた従者たちはどうしたろうかと。
彼等はあくまで従者であるし、命を取る程でもない。とイェルケルならば考えるのだが、このヒキガエルにそんな寛大な処遇を求めるのは無理があろう。
中にはまだ年若い女性も居た。彼女らを思うと、イェルケルの胸は少し痛んだ。
穏やかな春の日差しは外を出歩くにうってつけのもので、一張羅である黒の軍服に身を包んだイェルケルは、散歩でもする気分でカレリア王国王都の街路を歩き目的地に辿り着いた。
その場所、カレリア王国内でも一二を争う豪奢で華美な建物、王軍元帥府を前にすると、イェルケルは王子という身分でありながらも気後れしてしまう。
騎士学校に通いまがりなりにも軍の兵としての教育を受けたせいだろう。
ここはカレリア王国の軍事の中心と言っていい場所で、建物の入り口付近は常駐している守衛の他にも常に誰かしらの姿が見られる賑やかな所だ。
元帥府の中にはたくさんの部屋があり、イェルケルはその内の一つである大鷲騎士団の部屋を訪ねる。
部屋に入る前に一度自分の格好を見下ろし、失礼が無いか確認する。
黒を基調に各所に金色のラインが入った長袖長ズボンの軍服は、騎士の証だ。
左胸には王族を示す紋様をあしらってあり、これは襟元にもより小さい同じものが描かれている。
騎士学校で学んだ礼法に則ってノックをし、室内からの返答をもらってから扉を開ける。
イェルケルが室内に入ると、中にある三つの机の内最も大きく豪華な机に座っていた中年の男、大鷲騎士団副団長が喜色も顕に席から立ち上がる。
「おお、お待ちしておりましたぞイェルケル殿下」
そう言って副団長は奥の応接室へイェルケルを通す。
応接室は元帥府全体を覆う勇壮な華美さを更に煮詰めたような部屋だ。壁にかけてある旗といい盾といい剣といい、どれもこれも一目で高価だとわかるものばかり。
机を中心に正対するように椅子が二つ。勧められるままに席に着くと、早速副団長は本題に入った。
「お呼びしたのは他でもありません、騎士学校を卒業なされて既に三月、殿下にもそろそろ正式に騎士として軍務についていただこうと考えておりまして」
イェルケルは驚きをつい顔に出してしまう。それを見てとったのか、副団長は補足を加える。
「失礼ながら殿下の現状は把握しております。殿下の持つご領地のみでは生活も立ち行かぬでしょう。ですので元帥が特にとの仰せで、本来は騎士見習いとして最低半年過ごしていただく所なのですが、殿下にはすぐに働いていただこうと。無論騎士として、また王子として相応しい仕事を用意させていただきますぞ」
副団長の言う通り、イェルケルの持つ、農家の屋根の上に立てば簡単に全域が見渡せる程狭い領地では、イェルケル一人ならともかく、使用人たちに給金を払うと利益も出ないどころか赤字になる。
カレリア王国には王族が多数おり、如何な王族とは言えよほど重要な任を任されている者でもなくば皆捨扶持に近い金で生活しているのだ。
騎士見習いの給金ではなく、騎士としてのそれを元帥府からもらえるというのであれば、確かにありがたいことこの上ない。
「過分なご配慮感謝いたします。して、仕事とはいったい」
「おお、お受けくださるか。何、そう難しいことではありませぬ。殿下には五人の騎士を率いて辺境領への視察をお願いしたいのです」
なりたて騎士のイェルケルに騎士の部下までつく仕事とは確かに破格の話である。逆に上手い話過ぎてイェルケルは確認せずにはおれなかった。
「ありがたいお話ですが、ご存知のように、私のような第十五王子には王家に対してもさしたる権限なぞありませんし、有力な方とのお付き合いもございません。ですのでこのような厚遇にお返しする術が無いのですが」
副団長は大きく首を横に振る。
「いえいえ、何をおっしゃいますか。他の数多居る王子たちならいざ知らず、イェルケル殿下は王族の身でありながら騎士学校に入学し、他の貴族達と共に切磋琢磨を重ね首席卒業の栄誉を勝ち取った王族の鑑とも言うべきお方ではありませんか。元帥も殿下の将来には大変期待しておられまして、この仕事も是非殿下にとのお話なのですぞ」
意外な副団長の言葉にイェルケルは目を丸くする。
卒業前の剣術試験の時、トーナメント形式で組まれた試合において、一回戦でかの元帥が可愛がっている孫を倒してしまったイェルケルである。
恨まれてるのでは、と疑っていたぐらいなのに、逆に目をかけてくれているという。
自分の器の小ささが嫌になると同時に、ロクに味方も居ない中必死に頑張った騎士学校時代を元帥ほどの方が評価してくれているということが、涙が出るほどに嬉しかった。
「わかりました。非才の身ではありますが、微力を尽くしましょう」
元帥府の中で五人の騎士を紹介されたイェルケルは、更に二人、騎士見習いを連れていくよう頼まれた。
自分も直前までは見習いだった身だ、任務を与えられる喜びは我がことのようにわかる。
「もちろん構わない。面通しはすぐできるのか?」
元帥府内での案内人である騎士は、少し待つようイェルケルに言う。待合室で時間を潰すこと半刻。先ほどの騎士が一人の騎士見習いを連れてきた。
イェルケルは驚きを隠し切ることができなかった。紹介されたのは、世にも珍しい女の騎士見習いであったのだ。
「アイリ・フォルシウスと申します! どうぞよろしくお願いします!」
いや、それ以上に。彼女の容姿が特徴的に過ぎた。
美々しく輝く金色の髪を肩口で短く切り揃え、その目立つ黄金の髪すら霞むほどの輝ける美貌の主であるのだ。
未だ成人に至らぬ、そんな年、顔つきであるため、美しいというよりは愛らしいと称される方がより適切であろうが、いずれ人目を引きつけずにはいられぬもの。
イェルケルも彼女、アイリの美しさ、愛らしさにじっとこれを見つめてしまい、はたと気付いて僅かに視線を上へと逸らす。
上へ逸らしたのには理由があって、彼女の身長は低すぎてイェルケルの肩までもないほどで、そんな彼女の顔から更に下となると少々不自然に見下ろす形になってしまうのだ。
イェルケルは誤魔化すように一度案内してきた騎士を見た後、改めてアイリを見る。
女性らしさより騎士見習いとしてのあり方の方を重視しているのか、衣服は極めて簡素で飾り気の無いもので、しかし、肩まで伸ばした金の髪と輝くような麗しい容貌が、簡素が故に引き立って見える。
腰に指した剣も、特に長い物でもないのだろうが、先端が地面を引きずりそうな程だ。
彼女を連れてきた騎士がどことなく申し訳なさげなのは、仮にも王子の身分にあるイェルケルにこのような少女を騎士として紹介しなければならないせいだろう。
騎士につられて自分も彼女に失礼な態度を取ってしまいそうになったイェルケルは、咳払い一つで心を立て直し少女に向き直る。
「イェルケルだ。私もつい先程まで同じ見習いだったんだ。お互い慣れないことも多いだろうが、一緒に頑張っていこう」
はいっ、と笑顔と共に元気の良い返事がかえってきた。この笑顔だけで、彼女に失礼な態度を取らないで良かったと思える晴れやかな笑みだ。
イェルケルは視線で付き添いの騎士に、もう一人は、と問う。騎士が言いにくそうにしていると、少女、アイリが代わりに答えてくれた。
「申し訳ありません、もう一人はちょうど席を外しておりまして。後日挨拶に向かわせますので……」
手を小さく振るイェルケル。
「ああ、構わないよ。任務の時に顔は合わせるしね。知り合いかい?」
「ええ、彼女とは妙に縁がありまして。お互い立場も似ておりますし」
ここで、イェルケルは怪訝そうな顔をせずにするのに相当な努力を要した。
立場も似てる、彼女。つまり、もう一人の騎士見習いも女だということか。とはいえそれを改めてここで彼女に確認するのも、女であることを気にしていると取られかねない。
案内してきた騎士は、更に恐縮した表情。アイリは、自身が女で騎士であるということに、少なくとも表面上は違和感を持っていないよう振舞っている。
イェルケルは彼女の面目のため、この場でこのことを口にするのを控える。
「では、当日はよろしく頼むよ」
当たり障りの無い会話で彼女との初邂逅を終える。
軽く会釈してアイリと騎士はこの場を後にした。二人が居なくなってすぐ、イェルケルは我が身に起きていた異常に気付いた。
自分でも気付かぬうちに、何故か左手を剣の鞘に添えていたのだ。それと意識すると、更に右手は腰の辺りですぐにでも抜けるような位置から全く動いていなかったことにも気付けた。
以前に似た経験を一度だけしたことがある。だが、その時とは余りに状況が違いすぎる、と首を傾げるイェルケルは、複数の足音が自分に向け近づいてくるのを感じそちらに目を向ける。
「おっとこれはこれは、あまりに王子の数が多すぎて誰も覚えてる者が居ない、十五人目の王子様であるところのイェルケルではないか」
言葉のイントネーションがもう不愉快である。騎士学校時代、何度も聞いた声だ。
近づいてくるのは男の五人組。先頭に立つ若い男は、カレリア王国の軍事における最高責任者である元帥の孫の、押しも押されもせぬ大貴族、ヘルゲであった。実権を持たぬとはいえ王子という身分を相手に平然と名前で呼び捨てる、そんな傲岸不遜な男である。
付き従う四人の男たちもいずれも正式な騎士であり、相応の身分と財力を備えた有力若手だ。
「……ヘルゲか、ちょうど良かった。お前に言っておきたいことがあってな」
権勢においては飛ぶ鳥を落とす勢いの有力若手貴族ヘルゲを相手に、自分が王子で相手が騎士学校の同期だからと一切敬語を使わないイェルケルも、彼から見れば厚顔不遜、と思われているのかもしれないが。
「あん? なんだよ、珍しいじゃん。お前の方から話とか」
「元帥のおかげでたった今俺も騎士になれたところでな。元帥にはイェルケルが感謝していた、と伝えてもらえないか」
ヘルゲは、これを聞くなりいきなり盛大に噴出した。
「ぶほっ! お、お前っ! いきなり何言い出すんだよ!」
眉根を寄せるイェルケル。彼のリアクションの意味がまるでわからないのだ。
「いや……元帥のお声がかりで仕事を回してもらえたからその礼をと思ったんだが……俺は何か間違ったか?」
「い、いやっ、わかった。おじいさまには俺から言っとく。そうだよ、そうやって殊勝にしてりゃ、俺ももうちょっとお前に気を配ってやってもいいんだけどなぁ」
これに対しイェルケルは冷笑で返す。
「アホか。俺をへりくだらせたきゃ、もうちょい剣の腕だけでも上げてから出直せ。お前そこしか取り得無いんだから、今のままじゃ何やるにしてもお話にならんぞ」
イェルケルの嘲笑に後ろの四人の騎士が一斉に青ざめる。イェルケルはヘルゲの激発に備えて身構えるが、当のヘルゲはというとイェルケルの侮辱をさらっと聞き流す。
「そうでもないぜ。卒業してからもう何度も任務こなしてるしな、俺。色々と詳しくなってんのよ、前と違ってな」
そう言って意味ありげに含み笑う。
ヘルゲは当然の如く半年間の見習い期間なぞ経ず、騎士学校卒業直後に騎士として認められている。これが権勢の差というものである。
ヘルゲの淡白な反応に、イェルケルは目を丸くして驚く。
「へぇ、少しは成長したみたいだな、見直したよ。なら今度の任務終わったら、一度勝負してみるか?」
再び噴出しそうになるヘルゲは、これを堪えながら言った。
「そ、そうだな。是非お願いしたいね。その時になってビビって逃げんじゃねえぞ」
「俺にお前の何を怖れろというんだ」
約束だぜ、忘れるなよ、と言ってヘルゲは取り巻きと共にそそくさと去っていった。いつもならここでねちっこい嫌味の二つや三つを並べたてるのだが、今日はどうも様子がおかしい。
後になってイェルケルはこの時のヘルゲの奇妙な言動の理由に思い至り、騎士学校に居た頃よく抱いたヘルゲへの殺意を新たにしたものであるが、それはまた後の話である。
イェルケルとヘルゲのやりとりを、少し離れた建物の窓から眺めている者がいる。
こちらもアイリ同様、驚くほど整った顔立ちをしている、女性だ。
ただアイリと違ってこちらの女性は女として充分すぎるほどに育った、或いは熟れた、といった形容詞が似合う稀に見る魅力的なスタイルの持ち主だ。
彼女はイェルケルが、アイリと対している時とヘルゲと対している時とで明らかに手の位置が違うこと、もっと言えばアイリと対している時はすぐにでも剣が抜けるよう構えていたことに気付いており、感心したように頷いた。
「へぇ、案外に見る目あるじゃない、王子サマ」
「たかが一人を相手に何をやっている!」
領主のそんな怒声が聞こえるも、イェルケルにそちらを見やる余裕はない。
訓練とは全く違う。
見ず知らずの相手に不可逆の損傷を与えるという行為が、これほどまでに心にクルとは想像もしていなかった。
いや、これまでに刃を落とした剣で対手に怪我を負わせたこともあった。だが、打つのと斬るのとではとんでもない違いがある。しかも、斬った相手は間違いなく死に二度と起き上がることは無いのだ。
これまでは絶対にそうならぬよう注意して剣を振ってきた。それがロクに心の準備整わぬうちにいきなり本番に放り込まれて、混乱するなという方が無理があろう。
先ほどは随分と威勢の良いことを言ってみたイェルケルだが、今はもう必死に剣を振るうのみである。
回りも見えなくなっており、今こうして集団に囲まれながら凌げているのは、偏に鍛えに鍛えぬいた高い身体能力の賜物であろう。
もちろんそれも、狭い視野では宝の持ち腐れではあるが。
領主は領主で、こんなにもイェルケルがしぶといとは思ってもみなかったようで。また先にイェルケルが放った啖呵が効いているため、焦った様子で早く殺せと兵士たちを怒鳴り散らしている。
そんな騒然とした室内に、信じられないほどの爆音が轟いた。
あまりの音に、室内に居た全員の動きが止まる。
何が起こったのかイェルケルにはわからなかったが、とりあえず目の前で起きた現象は、板のようなものが飛んで来て兵士を二人薙ぎ倒した、ということらしい。
領主含む兵士達全員がそちらに目を向けたのを確認すると、イェルケルもちらと轟音のもとへと目をやる。
「はっ! はーっはっはっは! 見ろスティナ! 殿下はご無事だ! お前の言った通りであったわ!」
修羅場に似つかわしくないキーの高い声は、女性のものだ。
部屋の入り口からそんな声と共に姿を現したのは、少女にしか見えぬ騎士見習い、アイリ・フォルシウスであった。
こんな殺伐とした場においても彼女の輝ける愛らしさはその存在感を失わず、彼女を見たイェルケルも思わず頬を緩めてしまうほどだ。
彼女は従者として別室にて待機していたのだが、どうやら無事だったようでイェルケルは胸を撫で下ろす。
そのアイリの後ろからもう一人、女性が室内に入ってきた。
「ね、言ったでしょ? って……ひーふーみー、へえ、五人斬ったんだ。驚いた、殿下ってば思ってた以上にやるみたいね」
今度は最初の娘よりキーが低めであるが、やはり女性らしい甘さを帯びた声である。
その女性はイェルケルの従者のもう一人。アイリに続く二人目の女性騎士見習い、スティナ・アルムグレーンであった。
イェルケルは彼女を初めて見た時、その極めて女性的な胸部に目をやらぬようするのに、相当な労力を払ったもので。
厚手の衣服で隠して尚、内側よりはちきれんばかりに膨れる胸の自己主張を抑えることはできず。健全な男子が横を通り過ぎれば二度見不可避な大きな大きな胸の持ち主である。
今も、剣を手にした腕を前方に伸ばしていると、腕に胸が当って片側のみ歪みよれており、人目というか男目を惹かずにはいられない有様となっている。
またその美麗な容貌は、細めた切れ長の目のせいでキツい印象を与えてくるが、顔の端々にまだ少女の幼さを残しているため、キツさの中にもどこか愛嬌のようなものが感じられてしまう。
今もスティナは敵兵士たちを冷ややかな目で見ているが、そんな表情にすら魅力を感じられるのは、そういった顔つきのアンバランスさ故であろう。
もちろんこれらは、彼女の極めて精緻に整った容貌があっての話ではあるが。
最初に声を出した小柄な女アイリは、兵士たちの方になぞ目も向けず、剣を手にしたまままっすぐにイェルケルのもとへ向かう。
彼女もイェルケル同様、鎧なぞ着ておらず外套を羽織った旅装束そのままである。
一方、同じ旅装束ながら厚手の衣服でも隠しきれぬ豊満な肢体を持つスティナは、比較的部屋への入り口の近くに居た兵士の一人に無造作に近寄る。
スティナは抜き身で持っていた剣を、ゆっくりとした速度で兵士に向けて振るった。
虫が止まりそうな速度の剣に対し、兵士も戸惑いながら受けるよう剣をかざす。
当然受けは間に合い剣と剣がかみ合う、はずであったのだが、兵士は驚きに目を見張る。剣で受けたはずなのに、ゆったりとしたスティナの剣は止まってくれないのだ。
兵士は驚き慌て、剣を動かそうとするが、まるで動かない。その間にもスティナの剣はじわりじわりと兵士の体に向かって進んでいく。
ようやく兵士の剣が動くようになったのは、スティナの剣が兵士の剣を半ばから両断してからであった。
そのままスティナの剣はゆっくりと兵士の体内に食い込んでいき、反対側に抜けていく。
肩の下から入り、逆側の胴へと抜けていく剣の軌道上には、板金の鎧があったというのに僅かも剣速は落ちぬまま。
剣が通過した後も、兵士の体はそのまま。
あまりの不可思議さに、残る兵士たちも領主も一言も無いまま。
振り切った剣で、スティナはこつんと兵士の額を叩いてやる。そこでようやく兵士の体は斬られたことに気付いたのか、上体のみが後方へと剥がれ落ちていき、残る部位もその場に崩れ落ちた。
スティナは人一人を斬った後とは思えぬ陽気な声を出す。
「見たアイリ? 鎧着た兵士相手でもやればできるもんねコレ」
王子の前に立つアイリは、呆れたように言った。
「遊んでおる場合か馬鹿者。さっさと片付けて脱出せねばならんのだぞ」
「はいはい。じゃあ……」
血糊一つついていない光沢を放つ剣を構え、スティナは兵士たちを睨む。
「殺しますか」
遅ればせながら、イェルケルは先ほど兵士二人を跳ね飛ばしたのはこの部屋の扉であると気付いた。
いったいどんなことをすれば、あんな投石器みたいな速度で扉が飛んでいくのかはまるでわからなかったが。