ショートケーキ
「ショートケーキってさ、日本では普通"イチゴの乗った生クリームのケーキ"だよな」
突然意味不明なことを言い出すのはあいつの昔からの癖だった。
確かにショートケーキって言ったら、普通イメージするのはそういうのだが
ケーキの定義とか考えたことないけど。
「だったらさ、"イチゴを食べてしまったショートケーキ"はもはやショートケーキじゃない、ってことでいいのか?」
いや、イチゴ無くなってもショートケーキはショートケーキじゃないの?
「じゃあ例えば、ただの"生クリームのケーキ"が出てきたときにさ、『先程までイチゴが乗っていたのでこれはショートケーキです』って言われてお前納得できるか?」
イチゴを食ったのが自分ならまだ納得できるが、ショートケーキの過去を知らない以上はなんとも言えないな
「だろ?だから例えば、"イチゴの無くなったショートケーキ"の過去を"知ってるやつ"と"知らないやつ"が同時にケーキを観測した場合、当然一方は元ショートケーキと認識できるわけだが、もう一方はただのケーキとしか認識できないわけだよな」
なんかケーキがゲシュタルト崩壊しそうだ
「ケーキはラテン語でタルトだしな」
やかましいわ
「でさ、そこに存在している、"ケーキか元ショートケーキかよく分からないもの"の正体を知ってるのは、イチゴを取った張本人と、そこに立ち会った人物のみってことになる」
でもってそれ以外の誰にも"ショートケーキかどうかの断定"ができないってことか
「そうそう。つまり、目の前に生クリームのケーキが突然出されたら、それは"イチゴの無くなったショートケーキ"もしくは"ただの生クリームのケーキ"の2パターンが考えられるわけだが、ケーキの製造過程を観測していない自分自身には断定ができないというわけだな」
できたところでそれが何だって話だけどな。
「そこでこのケーキの出番だ。」
ケーキだな
確かにケーキだ。生クリームで覆われた、三角形の、しかしイチゴののっていない、1ピースのケーキ。自分にはそう断言するのが精いっぱいだった。こんな風にただのケーキを見て、"元ショートケーキかもしれない"なんて考えるやつはそうそういないだろう。しかしながらあいつのせいで認識が狂わされてしまった今、自分にその常識は当てはまらない。
「俺はこのケーキを買ってきた本人だから、当然"何か細工をしたかどうか"知ってる。しかしお前は知らない。俺の認識とお前の認識が50%ずつこのケーキを構成しているならば、俺の認識の50%は正しくこのケーキを構成していて、お前の方の50%はお前がどう思うかによって変わってくる。よってこのケーキは最低50%が正しく認識されていて、最大50%は間違った認識をされ得る、と」
あいつなに言ってるんだろう。
てかそもそも、俺達がどう認識したところでこのケーキの本質そのものに影響ないんじゃないの?
「それがあるんだなー」
次にあいつが取り出したのは小さめのナイフだった。
それで何すんだ?
「簡単だ。お前が正しく認識できた割合だけこのケーキ分けてやるよ。ケーキとはそもそも食べられるためにある。なら当然、誰に食べられるか、っていう運命があるとしたら、それはケーキの本質であり、天命と言える。俺らの認識はその運命に影響し、本質を左右する、というわけだな。それにケーキだって自分自身を正しく認識してるやつに食べてもらいたいに決まってるさ」
よく分からんが、ともかくそのケーキの正体を当てれば半分は貰えるわけか
「そういうこと。じゃお前の推理を聞かせてもらおうかね」
推理って言われてもなぁ。
考えようにも、ヒントなし。こんなの見た目で分かるわけもなし。
あいつがこのケーキの正体を知っているらしいが、当然その正体に迫るヒントをうっかりとこぼすはずもなく。
結局あいつの理論はよく分からないものの、これはクイズの一種なのだろう。ならばあいつの言った通り、ケーキの本質とやらに迫る必要がある。
仮に、"これは元ショートケーキである"と宣言すれば、正解の場合は半分貰えるが、不正解の場合は全くもらえない。逆に、"これはただの生クリームのケーキ"と宣言した場合も同様と言える。つまりこの手段はハイリスクハイリターンなのだ。
少し捻って"両方の確率が50%ずつ"と宣言したならば、自分は安定して25%を貰うことができる。こっちはローリスクローリターン。
どちらが自分にとって得なのか。
と、ここでひとつ閃く。
あいつのことだから、何かひねくれた答えの方が喜ぶに違いないんだ。いかに常識を無視するか。そこにあいつの狙いがある。
お前はさ、このケーキの正体、本当に知っていると言えるのか?
「そりゃそうだ。ケーキ屋でこれを買ったのは俺だからな」
つまりそれは、あくまでもケーキ屋で"そう表示されていた"だけに過ぎないんだな
「ほほう」
例えばケーキ屋で"ショートケーキ"が売られていたとして、それは本当に"ショートケーキ"として生まれてきたものと言えるんだろうか。もしかしたらただの"生クリームのケーキ"に偶然イチゴが乗ってしまったものを"ショートケーキ"として並べていたのかもしれない。それは本当に "ショートケーキ"と呼んでいいのだろうか
逆に"本来ショートケーキになるべきだったもの"がイチゴ不足でただの"生クリームのケーキ"になってしまった可能性も考えられる
つまり、お前が信用の根拠とするケーキ屋の表示でさえ、このケーキの本質を示す材料としては不足しているということになるな
「なーるほどね」
反論を待っていたとでも言いたげに、口許に隠しきれない笑みが滲んでいる。
「お前の言うことにも一理あるな。というかお前が示した通りに考えるなら、これで誰もこのケーキの本質を定義することができなくなったというわけだ。もはやあらゆる可能性の重なりあったケーキと見るべきだな。遡りに遡って原材料まで行けば、もともとパスタになる予定の小麦粉とか、チーズになる予定の牛乳だったのかもしれないし。なら結局、俺達で半分こするのが最適解と言わざるを得ないか」
意外とあっさり譲ってきた。ケーキの話が小麦粉まで遡ったり、可能性が重なりあったりする理屈は分からないが、あいつの求める返しはこれでよかったらしい。
「それでは半分進呈しようではないか」
と、あいつがケーキにナイフを向ける。
あんまり不満そうでもないとこを見ると、案外あいつはもともと半分こにするつもりだったのかも、とも思う。あいつの認識はあいつのものだから、自分が例えどのように解答しようと屁理屈を並べて、こっちが得するように嘘をつくこともできたわけだ。結局、あいつの遊びにいいように付き合わされただけなのかもしれない。
「あっ」
あいつの声に気付き、あいつの手元に目を向けると、ナイフが虚空を切った。いや、正確には、ナイフに切られようとしていたケーキが、切られるその直前に崩れ去り、空に舞い散ったように見えた。後には皿だけが残る。
崩壊した。とでも言えばいいのだろうか。
「やっちまった」
何を?というか、何が起こったんだ?
「俺達の議論によってこのケーキの存在意義が左右された結果、ケーキ自身が自身を定義できず、アイデンティティが崩壊したんだろう」
ケーキが自身を定義する?ケーキに知能があるとでも言うのか?そもそもそんな物体をケーキと呼んでいいのか?
「ケーキ、ケーキと連呼したことにより、俺達は目の前にあった"あれ"をケーキと呼んでいいのか分からなくなってしまった。その結果、この部屋にいる誰も、ケーキ自身すらも、ケーキの定義を見失って崩壊させてしまったということなんだ。そう、つまりこれこそがゲシュタルト崩壊ならぬ」
タルト崩壊ってことか