別れ話
別れ話には酷く勇気がいります。そんな場面は一生こなければいいのに。
▼4/5に少し修正しました
時期が来た。
私は決めた。
今日から、過去の自分とは決別すると。
そう改めて決意し、テーブルの上の携帯電話をとった。アドレス帳から目当ての人物を割出し、電話をかけた。
「…もしもし、わたしだけど、今から時間空いてる?いつもの駅に来れないかな」
いつもの駅。自分で言っておいて少し声が震えた。
相手に約束をとりつけ、急いで上着を着て、財布と定期だけを詰め込んだバックを持ち、家を出た。
今日は曇りだった。最近は雲が一つもない青空に太陽が陣取っていたから、曇りだとほっとする。まるで自分の気持ちを覆い隠してくれるかのようだ。空も私の背中を押してくれているだろうか。
駅にはたくさんの人で溢れかえっていた。
いつも思うが、こんなにたくさん人が集まる場所というのは進んでいきたくないものだ。毎日満員電車に乗っているが、あれは最高にひどい。学校へ行くためだから、仕方なく乗っているが、アミューズメントパークなどは進んでいきたいとは思わなくなった。昔一回だけ行ったが、人ごみで吐きそうになった。
足早で、いつも待ち合わせている駅の場所へ向かう。この駅は、都心の駅とは比べ、比較的人が少ないほうだ。それでもこの時間はやっぱり混んでいる。
「元子!」
後ろからそう呼ばれ、肩を叩かれたので振り返ると、頬に指が刺さった。
「…修平」
不意打ちで面食らった。まさかこの歳になってもやる人がいるとは思わなかった。そりゃあ、昔はそういうことをよく相手に仕掛けたものだが。それは子供の遊びであって大人はやらない。などとくどくど考えて、目の前の幼馴染を見た。
紺のジャケットに白のインナー、カーゴパンツに、ブーツインという格好だ。シンプルな装いなのにどこかのファッション雑誌から飛び出したようだ。
対して私は、よれたシャツとスキニーにパンプス、といつも通りの恰好。
格好の差に思わずため息を吐きそうになった。
そんなことを考えている私をよそに、「ひっかかったな!」と修平は嬉しそうににこにこと笑う。
私は少しあきれて彼の顔を見ながら口を開く。
「なんか会うのひさしぶりだね。元気にしてた?」
「ああ、元気だよ。ざっと一週間くらいだよ、会ってないのは。」
「あー…そうかもね。とりあえず寒いからどっか入ろ」
そう言って修平を引っ張り、駅ビルの喫茶店に入った。
中に入って椅子に座ると、店内の暖かさが身にしみた。
本当にこの季節は寒い。夏よりは好きだけど、寒さには慣れそうにない。
ウェイターが注文をとりにきて、飲み物を頼み終わってから私は話しかけた。
「最近、大学はどう?」
「ああ、なかなか順調だよ。こないだ教授に合同ゼミをやると言われてね、他大学から同じ分野のゼミの人たちが来て、プレゼンし合うことになったんだ。おかげで、資料を作るのに毎日忙しいよ」
「へー楽しそうだね」
「うん、なかなか。いい機会ができたって感じかなー。元子は?」
「…まあまあかな」
お互いの近況を話し合っているところで、頼んだ飲み物が運ばれてくる。
私はモカで、修平はカフェオレだ。これもいつも通りで、心が無性にざわめいた。この日常が名残惜しいのか、はたまたせつないのか、自分で決めてここへ来たはずなのに、心がざわめいたことに少し動揺した。
でもここで勇気を出さないと、もうこの先同じような覚悟ができるとは思えない。
私は震える心を落ち着かせようとモカを一口含んだ。喉を通るその暖かさに少し落ち着いた。
「修平、…あのさ、私たち、別れない?」
私はカフェオレをおいしそうに飲む目の前の幼馴染にそう切り出した。
私の言葉に、彼はカップに口をつけたまま固まっていた。
「え?…ちょ、ちょっとまって、」彼はカップを置き、表情が硬くなった。
「…なんか基子の雰囲気がいつもと違うなとは思ったんだけど、そのことを俺に言おうと思っていたの?」
さすがに10年以上の付き合いである彼はなんとなく察していたのか、目に見えて動揺はしていなかった。
私はその言葉を聞いて、また彼との付き合いの長さを実感し、身が震えた。
私は落ち着こうとして、テーブルの下で拳を握り、足を組み替えてから、当初から用意していた言葉を口にしようと、彼の顔から目線を少し逸らし、こう言った。
「実は私ね、大学で好きな人ができたんだ。だから別れて欲しいなと思って今日、呼んだの」
ついに言った。言ってしまった。
このときのために、私は脳内で何回もこの状況をシュミレーションをした。この幼馴染は頭がいいし、なにより人の機微に敏いので用心しなければならない。10年来の付き合いでもわからないように、がんばって、私の言った言葉が自分の気持ちだと聞こえるようにした。
握り締めた手の平に自分の爪が痛いほど食い込む。
しばらく、沈黙が私たちを包んだ。
彼は私の言葉を聞いてから黙ってしまった。なんで何も言わないのだろう。
私はチラと彼の顔を盗み見た。するとあちらもこっちを見ていたようで、目が合った。
視線が絡み合い、彼の目が、なぜか私から離れない。私もなぜか目を離せなかった。
何か言いたそうな、どこか哀れむような、そんな感じに思えた。
私は、脳内でシュミレーションしていた彼の反応とは違ったことに、またも心の内で動揺した。てっきり普通に了承するものだと思っていたが、なんか思っていた反応と違う。それに焦って、この後なんて言えばいいのだろうと頭をフル回転していたら、彼が口を開いた。
「…わかった、基子が望むなら別れよう」
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気がついたら自分の家にいた。
彼と話をした後、私は先に喫茶店を出た。彼はまだゆっくりしていくと言ったので、私が先に出た。
どうやって帰ってきたのだろう。話した後の記憶が酷く曖昧だ。
そして、さっきから彼に言われた言葉が、耳鳴りのように鳴り響いている。
頭が酷く重く感じる。
「…望むなら別れよう、だってさ、」
そんなの、望んでなんかいない。
一欠けらも望んでいない。望んでいたとしたらそれは私じゃない。
違うの、そうじゃないの。
本当は違うの。それは私の本心じゃないの。
それが言えたらどんなにいいだろう。
「ふっ…、っはは」
なぜか無性に笑えてきた。
この数週間、このときのために、頭の中でシュミレーションして、私の提案にあっちが受け入れないはずがないってわかっていたから、ああこれで私はこの気持ちから離れることができるのだと思ったのに。
彼と別れれば、この無性に苦しい想いから離れられるはずだと思ったのに、どうして。
自分の心を探っても、探っても探っても、
苦しい想いが消えない。
むしろ前よりも苦しくて、痛い。
どう探っても自分の気持ちはまだ彼から離れる気配がない。
「わたしは決めた。これ以上堪えられないから離れるって決めたんだ。ショックを受けちゃ、だめだ、」
床を繰り返し叩きながら、自分に言い聞かせる。
思わず目から涙がこぼれ、床に落ちた。頬を伝う“それ”に、自分に対しての憤りが湧き上がる。
「っだから、」
離れる決意をした気持ちと、まだ彼を想う気持ちがぶつかり合う。
10年越しの恋愛は望んで自分から終わりを告げたはずなのに、止みそうになかった。