08
春菜の考えはこうだ。
遠藤兄弟は男の子。
だから多少の争い事に巻き込んでも良いという、勝手な偏見があった。
そして魔法じみた力を目の当たりにすれば、柊呂のように浮かれてしまうのだろうとも思っていた。
――私は……
春菜は自分の胸に手を当てる。
――あなたの力を上手く使えるようにならないと。
柊呂の勇者のカードは何となくわかる。
ゲームに出てくるような勇者が出来そうな事が出来るのだろう。
しかし“お花屋さん”というカードは得体が知れない。
今はまだ、けやきが動いてくれたという事しかわからない。
――これじゃあ、みんなが幸せになれない。
【力が必要ですか?】
「はいぃぃぃ!?」
春菜は突然頭の中に声が響いた事に驚いて、授業中にも関わらず大声を上げて立ち上がってしまった。
「何だ、安城!?」
「ちょっと、ハルナ!?」
「何やってんだよー」
教師やクラスメートから指摘され、春菜は「寝ぼけてました」と嘘をついて着席した。
クラス中が大笑いする中、春菜は照れ笑いを浮かべていたが、内心は冷や汗をかいていた。
――何で、何で、何で!?
どうしてカードが声を掛けてきたのかわからない。
その上、今は戦いの場ではない。
力になって欲しい事など一つもない。
【貴方が呼んだのです】
春菜の心の中の疑問に、カードが頭の中に直接言葉を入れてくる。
薄いニットの上からでも、胸に仕舞ったカードが蛍のように点滅している事に気付く。
春菜は慌ててそれをスカートのポケットに移し、自分の太ももと掌でカードの発光を見られないようにした。
そして心の中でカードと会話を始める。
――私が呼んだってっ、どういう事っ!?
【貴方は私に手を当てて、幸せ願ったではありませんか】
――あっ……
春菜は先ほどの行動を思い出す。
何気なく胸のポケットに仕舞ってあるカードに手を当てて“このままではみんなが幸せになれない”と思った。
それは同時に、みんなの幸せを願った事になる。
――願っ……
そこまで思い、先日の出来事がフラッシュバックされた。
淡い緑の光がシャワーのように春菜に降り注ぐ。
それは柊呂にも見えていた光景。
春菜自身も、柊呂のカードが光の粒子となって剣に形を変えたのを目の当たりにしている。
つまり、ここに居るクラスメートにも、それが見える可能性がある事を示唆していた。
――ダ、ダ、ダ、ダメ!
学校の、しかも授業中に、緑の光が降り注がれている日常などありえない。
春菜は慌てて否定して、いい訳を考え付く。
――あ、あれはちょっとそう思っただけで、ねっ?
――今は、力は必要ないからっ!
【わかりました】
カードはあっさりと引き下がってくれた。
【また必要な時に願ってください。いつでも力になります。私は貴方の】
その後の言葉をかき消すように、授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響いた。
春菜は突然現実に戻され、その音にビクッと体を揺らして顔を起こす。
「なーに、ハル。また寝てたんでしょー」
「寝過ぎー」
周りから冷やかされて、「そんな事ないよっ」と白々しく返事をしてみせる。
――カードさんは“私の”何なんだろう?
点滅しなくなったカードは、春菜の疑問に答えてはくれなかった。
春菜はアルバイトの帰り道、カードの事を考えながら自転車を押していた。
家に帰れば宿題や夕飯の手伝いなどが待っている。
ゆっくり考え事を出来るのは帰りのこんな時くらいだ。
「お花屋さんになりたいって夢を描いたカードが、みんなの幸せを願う事によって力になってくれる。か」
自分のカードについて分析した後、同じように力を与えてくれる柊呂のカードを思い出す。
「勇者の力が欲しいと願って力をくれる、勇者のカード」
そして力を発動させない風羽子のカード。
「笑顔になってくれる事が嬉しいと思って点滅した、ケーキ屋さんのカード……」
――もしかして、
春菜はブレーキを握って、自転車を止めた。
「ふうちゃんが“笑顔になってくれる事が嬉しい”って感想を思うんじゃなくって、“笑顔になって欲しい”って願ったら、力が発動し……ちゃう!?」
もし暗い顔で洋菓子店に来た客に、風羽子がたまたまカードを持って、“笑顔になって欲しい”と願ったら、力が発動してしまう事になる。
風羽子にはカードの力を発動して欲しくなかった。
春菜は温和な風羽子を、戦いに巻き込みたくない気持ちが強い。
昔のように守ってあげられる程、自分がカードを使いこなしていないからだ。
「どっ、どうしよう!? ふうちゃんに何て言うべき!?」
両手で自転車のハンドルのグリップを握りながら、何か答えを求めるように周りを見ると、いつもの木々の風景が見えた。
――……ダメだ……どう考えても。
春菜は冷静なる。
そしてシミュレーションをする。
風羽子の実家の洋菓子店に来るお客さんが入店する前に、暗い顔ではないかとチェックする事も、風羽子が家の手伝いでお店に立つのを阻止する事も、春菜には出来はしない。
そもそも、街中で暗い顔の人を見て“笑顔になって欲しい”と思っただけでもカードは発動してしまう事になる。
「ふうちゃんのカードの発動は止められない」
春菜は「はあ」と溜息をついて風羽子の事は諦め、再び街路樹を目にする。
――なら、まずは自分の事だ!
気持ちを切り替えた春菜は、自転車を押しながら一本の街路樹に近付き、そっと手を伸ばして、街路樹の枝に触れようとした。
しかし特に何も変化はない。
「よし!」
春菜は決意を表すように自転車を止め、周りに人が居ないかを確認してから、胸のポケットにあるカードに手を添え、願った。
――カードさん、カードさん。木を幸せにしたいから、力を貸してください。
【わかりました】
カードは理由を聞く事もなく了承し、胸のあたりを輝かせて消えていく。
春菜は制服のニットを広げ、胸のポケットが空になっている事を確認した。
「やっぱり光るんだよね」
少し苦笑いをして再度、周りを伺い、誰もいない事を確認してから、木に手を伸ばしてみると、街路樹の枝がそれに反応し、まるで腕のように枝を下げて春菜に触れてきた。
枝と握手をするように触れた春菜が、小さな花の蕾を発見する。
そして少しの悪戯心が出てしまった。
「咲けっ!……なーんてね」
冗談で言った春菜の言葉に真面目に反応したのは、その蕾だった。
突然ぷっくりと膨らんで、弾けるようにぱっと花を咲かせる。
「えええええ!?」
春菜の目の前には季節外れのオレンジ色の小さな花が咲いてしまった。
金木犀である。
その木は他にもある蕾を次々に膨らませ、弾けるように花を咲かせていった。
あっという間に、街路樹の一本だけがオレンジ色の花を満開に咲かせてしまった。
春菜は金木犀の独特の香りに包まれる。
「本当に咲いちゃった……」
呆然と見上げる春菜。
見上げられた木は少し揺れている。
春菜にはまるでそれが、喜んでいるように見えた。
「やだっ、ちょっと……喜んでるの?」
思わずおかしくなって笑うと、金木犀は更に揺れて辺りに香りを撒き散らす。
「あれ……」
「何か匂う?」
近付いて来た二人組が香りに気付いたらしい。
鼻を鳴らしながら春菜の後ろを通り過ぎていく。
「あれじゃね?」
「へえ、もうあの花、咲く時期なんだー」
春菜はその言葉を聞き、声を出さないよう必死に堪えて笑っていた。
「もう、ごめんね?ちょっとイタズラし過ぎたっ」
春菜は「じゃあね」と友だちと別れるように金木犀に手を振ると、金木犀もそれに答えるように枝を振って、春菜を見送った。
春菜はどこまでも金木犀の香りが漂っているような気がして、嬉しくなっていた。
この春菜の行動が、後に悪戯を越えた事態を引き起こす。