16
翌日、アルバイトを休んだ春菜。
店長から春菜を気遣うメールが届いたが、春菜はそれに答える事が出来ないまま、学校帰りに風羽子の実家である洋菓子店へとやって来た。
店の片隅でケーキと紅茶を出されたにも関わらず、それに手を付けない春菜に、風羽子が心配そうな眼差しを送る。
「ハルちゃん……」
話は粗方してある。
ただ最終的に結論になるような言葉を、風羽子に求めてはいない。
結論が欲しいわけじゃない。
ただ、話を聞いて欲しいだけなのだ。
「モンブランは好きじゃなかったかな?」
黙っている二人の元に、風羽子の父親がやって来た。
パティシエらしい白衣に身を包み、他のテーブルの片付けをしている。
遠くでは風羽子の母親がレジで接客をしていた。二人の役割分担なのだろう。
「あっ、いいえ! そうじゃなくって……」
せっかくご馳走になっているのに、気分じゃないから食べたくないとは言えない。
春菜は慌てて返事をして、強引にモンブランを口の中に入れる。
「美味しいです!」
そう言ってはみたものの、味なんてわからない。
作り笑顔に、風羽子の父親は困ったような笑顔で返してくれただけだった。
何も言わないで立ち去る風羽子の父親の背中を見送ると、風羽子が春菜に声を掛けた。
「ハルちゃんが今やったそれって、ハルちゃんが花束をお届けした男の子と同じじゃない?」
「え?」
言われて春菜はきょとんとし、フォークを置いた。
面と向かった相手に本音を晒し、少し離れた他人にいい顔をする。
春菜は、本当は味なんてわからないのに『美味しい』と言う嘘をついた。
嘘を言った方はそれを取り繕うのが必死だけれど、言われた方はそれが嘘だとわかってしまう。
「あっ!」
春菜が立ち上がったので、レジの奥にあるシンクで洗い物をしている風羽子の父親と目が合った。
父親は頷いた。
全部わかっていると言わんばかりの、優しくて深い気持ちが伝わってくる。
「ふうちゃん……」
春菜は泣きそうな顔をしながら席につき、風羽子を見た。
「前にね」
風羽子はゆっくりと口を開いた。
それは昔話。
幼い時からお店の手伝いをしていた風羽子は、イートンでケーキを残して帰る客のテーブルと片付けていたという。
『お父さんが一生懸命作ったケーキを残すなんて!』と怒ると、逆に風羽子は父親に怒られた。
『口に合わないケーキを作ったお父さんが悪いんだ。お客様を悪く言うのは絶対にいけない!』と。
本気で怒る父親が怖くて、母親に泣きついたのを覚えている。
それからしばらく、父親は寝る間も休日も返上してケーキ作りに明け暮れたらしい。
その努力があって、今の繁盛店へとつながっている。
「お父さん、ガンバリ屋さんだね」
「プロのパティシエだもの。当然よ」
風羽子はふふっとくすぐったそうに笑った。
「ハルちゃんが食べてないから心配して見に来たのね。きっとまた、寝る間も惜しんで頑張っちゃうかも」
「ええ!? そんなっ!」
自分の気持ちのせいで、風羽子の父親に要らぬ努力をさせるのが嫌で、父親に何かを言おうとした春菜を風羽子が止めた。
「いいの、ハルちゃん。そのままにしておいて」
「え? 何で……だって」
「いいの」
風羽子は念押しして、理由を教えてくれた。
「問題にぶつかって、それを越えるために努力すれば、その分だけ技術を向上させてくれる。きっと美味しい新作が出来るから、そしたらまた、食べに来て」
嬉しそうに言う風羽子に、春菜が納得して頷く。
「プロって凄いな……」
そしてガラス張りの中で本当に何かを作り始めてしまった、風羽子の父親の真剣な横顔を見た。