抜け殻
プロローグ
都市部から車で三十分程離れた海の見える町。
海までは自転車で行ける距離で風の向きと強さによってはたまに潮の香りをここまで届けてくれる。
周りの友達はみんな口々に『くせぇっっ!』って言うけども僕はこの匂いが大好きだ。
今日も青空の下で風に運ばれた香りに誘われるように海の方へと向かっている、大体こんな日に向かう先は決まっていて、夕日が海に沈んでいく瞬間が見える崖の上。
もちろん日が沈んでいくのをただ眺めているだけでも時が経つのを忘れさせてくれるのだが、最近完成した眼下に見える五基の風車が風見鶏のように回るのを見ているのも大好きだ。
そもそもこの場所を教えてくれたのは幼なじみで小学校低学年くらいまではよく一緒に遊んでいた真衣という女の子で、今通っている高校、そしてクラスまでもが一年、二年と同じという腐れ縁で、
真衣は『いやぁ、運命ですなぁ』なんて笑いながら言ってくるが正直僕は他の男友達からからかわれるし、いつまでもお姉さん面している真衣の事を少々疎ましくも感じていた。
「まぁ、この場所を教えてくれたことにだけは今でも感謝してるけどね」
と、独り言をつぶやきながら崖へとつづく道の入り口で自転車を止める。
そういえば初めてこの場所を教えてくれた時に真衣から何かこの崖で起きた昔の話を聞いた気がする…。
まぁ崖の上で起きた事の話なんて大抵は楽しい話の分けが無いし、そんな話が有るからきっとこの場所には滅多に人が来ないんだと思う。いつも勝気な性格の真衣ですら僕が一緒じゃないとここには来ないと話していた。
今となってはそのおかげで一人きりでゆっくりと物思いにふけれる貴重な場所なわけで、僕自身はそういったオカルト的な話や怪談なんかにはまったく興味も無いし信じてもいなかった。
「…どんな話だったかな……。」
崖の先端を目指して歩きながらふと思い出しそうになる。
「たしか何処かにその人の為に小さな慰霊碑のようなものが有るって…」
あたりをキョロキョロと見回しながら歩くが周りは石や岩ばかりでどれが慰霊碑かなんて分かりやしなかった。
「大体お供えの跡みたいなのとか有ると思うんだけどなぁ。あれ?人…一人?二人だっけ??」
そもそもこの類の話に興味がないし真衣も小さな頃にお婆ちゃんから聞いた話でいまいち理解しないまま僕に話したことなので詳しいところまでは何も知らなかった。
「たしか…、二人の兄と妹が、何か悲しいことが有って…、崖から飛び降りた?」
二時間物のサスペンスドラマの見すぎか!?
一人漫才にもオチがついたところでちょうど目の前には綺麗な夕日と海が広がっていた。
「はぁ。」
人生に疲れきったサラリーマン気取りで僕はいつもの座るには最適な石に腰を掛けてため息をついた。
なんと背もたれも完備されているという優れものだ!
などと他愛の無い事を考えながらゆっくりと沈んでいく夕日を見つめている。
今日は風が強いので下からは風車が低い音を立てながら威勢よく回っていた。
「どんな話だったかなぁ。」
僕はまたさっきの二人の兄妹の物語を思い出そうとしていた。
特に他に考えることもないし、もしも世にも恐ろしい話であったなら少し設定やアレンジを加えて真衣に話して怖がらせてやろうとも考えていた。
海と空の狭間に夕日が差し掛かり、次第に太陽の形が変化していく。
― 汝、更なる強大な力を得んとするならば手を伸ばし己が名を叫べ ―
― 我は世界を統べる者 ―
「我が名はアシタカ!!」
僕は夕日に向けて右手を目いっぱい伸ばして叫んでいた。
大体帰る前に一度やる儀式のようなものである。
最初はただ叫んでみるだけであったのだが最近では誰も居ないことを良いことに羞恥心が消え去ったらしくどこかで聞いたことのあるような設定の下で何か一言叫んでから帰っている。
もはや二人の兄妹の話など無かったかのような気分で僕は携帯電話のライト機能を使って足元を照らしつつ自転車の方へと向かって歩き出した。
登校
すっかり日も暮れてあたりが暗くなった頃僕は自宅に着いた。
どうやら既に父さんが帰ってきているらしく、家の中には今晩の夕食の良い匂いが立ち込めていた。
「…っぃまぁ」
取りあえず言っとけばいいんでしょという感じで形式的にただいまの挨拶を済ませて洗面所で手を洗いリビングへと向かった。
「あんた、またあの崖に行ってきたの!?あそこで迷子になって大騒ぎになったこと忘れたの!?」
母さんがおたまを僕に向けて叱り付けてきた。
まだあの崖を教えてもらったばかりの頃に真衣と一緒に崖に行って二人で日が沈みきるまで眺めた後に、帰ろうと思いあたりを見回すと暗くなっていてそのまま迷子になったことがあった。
父さんや真衣の家の人が町中を探し回ったあげく海沿いの道路の端っこで泣いている僕と真衣を偶然見つけて事なきを得たが、もう少しで警察に捜索願を出すところだったらしい。
「あぁ。」
確かにあの時はものすごく不安でこのまま誰も見つけてくれないんじゃないかと怖かったが、今はもう高校生である。
いいかげん自分が育ってきた町で迷子になる事など無いだろうと、素っ気無い返事をして椅子に座り夕飯を急いで食べ始めた。
「もう、せめて明るいうちに帰って来てくれないと心配するじゃないの!ちょっと、誠!」
食べ終えた食器を流しへと持って行き、母さんが僕の名を呼ぶのも無視してそのまま自分の部屋へと向かっていった。
せっかく気持ちをリフレッシュさせて帰ってきたのにいつもこのやり取りのせいで全てが台無しになる。
そんなことを考えながら軽くシューティング系のゲームをして憂さ晴らしをしてから僕は眠りについた。
次の日の朝。
僕はまだ昨日母さんに叱られた事に尾を引いていて、母さんや父さんの話にも素っ気無い返事を返すだけで早々と朝食を済ませて学校へと向かっていた。
「誠!おっはよー!」
僕の背中を割と強めに叩いて後ろから真衣がやってきた。
「痛ッ!お前声でかすぎ、テンション高ぇ」
真衣は髪も綺麗で長く、静かにしていれば知的で大人な女性に見えなくもないのにこの性格のせいで全てが台無しだ。いや、そこがまた良いとか言う奇特なやつもいるのだが…。
とにかく僕にとっては朝の通勤、通学の人通りの割と多い中でこのテンションで来られると非常に恥ずかしい。
「後ろっ、空・い・て・る・ぜっ!」
僕はバスで通学しているのだが真衣はいつも自転車で通っている。
その自転車の後ろを親指で指しながらナンパをするような感じで、今日も朝からハイテンションであった。
「乗ってくかい?」
「乗りません」
ほぼ同時に僕は答えた。
パターンはいくつかあるが登校中に出会った時は大体こんな感じで絡んでくる。
たまに新ネタを思いついたときにはそれはもういつも以上にハイテンションで絡んでくるのでそんな時は朝からぐったりと疲れきる。
どうやら新ネタの時はバス停の近くで僕が来るのを待ち伏せしているらしい。
一度バスの中から待ち伏せしている真衣と目が合い、恥ずかしそうに小さな声で「おはよう」と僕の横をフラフラと通り過ぎて行ったことが有った。
まぁ、ただの阿呆だな。
「あはははー、だーよーねー。」
笑い声をあげながら走り去っていく真衣の背中を見ながら僕はため息をついて学校へとまた歩き出した。
教室に着くと真衣は数人の女友達と何やら昨日のテレビの話で盛り上がっていた。
「おぅっ」
僕の席の横に座っているサトルが気だるそうに声をかけて来る。
「お前また海原さんとバス停の前でイチャイチャしてただろ?とうとう付き合いだしたんスか?どうなんスか!?そこんとこどうなんスか先輩!!?」
「誰が先輩だ!」
どうやらサトルは僕と真衣のやり取りを見ていたらしく、僕がまだ席に座る前にいきなり絡んできた。
ちなみに海原とは真衣の苗字である。
「なぁんだ、てっきりとうとう大人の階段上り出したかと思いましたよ、誠さん。」
「そのノリは止めてください、サトルさん…」
僕は朝の真衣との絡みもあり、ぐったりとして机に突っ伏した。
崖の上での思い出
「まーこーとー!」
学校が終わり今日は真っ直ぐ家に帰ろうとバス停へ歩いている途中で真衣が呼び止める声がした。
「だからお前、声がでかいって朝も話したハズだが?」
「あはは、ごめんごめん。でも人を呼び止めるときはおっきな声で呼ぶものじゃない?」
「あぁ、まぁ、そうですね。」
僕から真衣には何を言っても聞き入れてくれない。
親同士が昔から仲がよくて生まれた年も同じということもあり赤ちゃんの頃からずっと真衣とは一緒だった。
幼稚園の頃の真衣は他のガキ共から一目置かれる存在で誰も真衣に手を出す奴等はいなかった。
…あの頃の真衣のケンカっ早さは今思い出しても恐ろしい…。
そのおかげというか何と言うか、真衣との付き合いのある僕にも手を出してくる奴等はいなかった事もあり、その頃の僕との上下関係を引きずっている真衣はいまだに僕に対して姉さん面をしていた。
「はいはい、で?何?」
どうせこれ以上は無駄だと思いさっさと用件を聞くことにした。
「あのさ、久しぶりにあの崖に行きたいんだけど。一緒に行かない?自転車の後ろに乗せてあげるからさ。」
「はぁ?一人で行けば?俺は昨日行ってきたばかりで今日は早く帰ってゲームしたいんだけど。」
昨日の夜に母さんに怒られたばかりだったので今日は本当に早く帰らないとマズイと思っていた。
「いやいや、こんなに天気が良いのに家でゲームだなんて不健康だよっ!毎日でも行きなさいよ。」
「うるさいなぁ、毎日一人で海沿いの崖なんて行ってたらそのうち誰かに『思い悩んだ学生が崖にいますっ!』って通報されるだろうが。」
「だから今日は私が一緒だから別にいいじゃない!ねえぇぇ、いこーよー。誠は後ろに乗っかってるだけで良いからさぁ。」
やっぱり駄目だ…。
何を言っても聞いてくれない。
「あぁ、もぅ分かったよ。」
「ほんとっ!?やったぁ!」
取りあえず崖まで行って日が沈む前に帰れば良いか、と思い、僕は一緒に行くことにした。
「でも自転車は俺が漕ぐから真衣は後ろなっ。」
「おおぅ!じぇんとるめぇえん!」
意味の分かんない事を言う真衣を「はいはい」とあしらいながら僕は自転車にまたがり真衣を後ろに乗せて漕ぎ出した。
「真衣…お前、重いな…。」
スパーン!という音と共に昼だというのに一瞬星が見えた気がした。
「ねぇ、誠。覚えてる?」
海沿いの道路に差し掛かったところで、それまで能天気な事ばかり話していた真衣が突然静かな口調で話しかけてきた。
「小さい頃二人で崖に行って迷子になったこと有ったよね?」
「ああ、日が沈むまで眺めてて気づいたら暗くなったときだろ?」
そういえばあれ以来真衣と二人であの崖に行ったのは中学の時に一、二回程行ったくらいだったっけ?
「あの時に誠が私の手を握って「大丈夫だよ!」ってずっと励ましていてくれてたよね。」
「そうだっけ?むしろ真衣が「泣くな!男だろうが!」って俺にずっと怒ってた気がするが…」
「その後の話だよ!私だってずっと怖くて泣きたかったのを我慢してたんだけどとうとう泣き出しちゃってさ。」
ああ、薄れ掛けていた僕の恥ずかしい小さな頃の思ひ出の一ページが今まさにハッキリと書き出されました。
「そうだったね、で、その後どうやって助かったんだっけ?」
「誠、何にも覚えてないの?ずっと泣き止まない私の手を握りながら近づいてくる車に向かって一生懸命手を振ってくれたじゃない。「たぁすけてぇぇ」って。」
言われてみればそんな気がするけど、なんだ?そのどっかの大泥棒みたいな喋り方は。
「そうだったっけ?まぁ今日はちゃんと明るいうちに帰るからな。昨日母さんに怒られたばかりだし。」
最後の方は小さな声でつぶやいた。
「えー!やだー、朝まで語り明かそうぜー!オールしようぜー!」
僕の後ろ髪を引っ張りながら真衣がダダをこね始めた。
「痛たたっ、痛いって。抜けるって。」
実際何本か抜けたのではないかと思えるほど真衣に髪を引っ張られながらも何とか崖へと続く道にたどり着き、自転車を降りた。
「いってーなぁ。ほら、着いたぞ。」
「おおっ!久しぶりだなー。二人で来るのは中学生以来だね。」
やっぱり中学の時以来だったか。
「二人でって、お前一人で来たこと有るのかよ?」
「え?ううん、無いよ。誠以外の人とも来たことないからホント久しぶりだわー。」
そう言いながら真衣は背伸びをした。
そんな真衣を横目に僕は少し真衣をからかってやろうと思った。
「なんだよ、例の兄妹の話が怖くて一人じゃ来れないのか?」
「あ…、覚えてたんだ、あの話。」
もっと怖がる真衣を想像してたのだが、意外な反応が返ってきた。
「ねぇ、誠。その話どれくらい覚えてる?」
今まで真衣からは見たことの無い女の子らしい素振りをしながら僕に尋ねてきたので、僕は真衣を怖がらせようと思っていたことを忘れてしまっていた。
「いや、何か悲しいことがあった兄妹がこの崖から飛び降りたくらいしか覚えてないけど…」
兄妹ってこと以外には何も覚えていなかったのだが昨日僕が一人で想像した二時間サスペンスドラマの筋書きを話した。
「そう…、私も昨日お母さんからこの話をまた聞くまで、詳しいところは全然覚えてなかったしね。」
「は?お婆ちゃんから聞いた話じゃなかったっけ?」
「え?う、うん。最初はね。お婆ちゃんの家がこの近くだったから、遊びに行ったときに聞かされたんだ。あの崖は近づいてはならんぞぉー、ってね。」
悪い魔女のような仕草をしながら真衣が笑いながら僕に近づいてきた。
「ははは、でもさ、お婆ちゃん私が中学の時に亡くなっちゃったしさ、十歳くらいからあんまりお婆ちゃんの家に遊びにも行ってなかったから詳しく聞きなおす機会がなかったんだよね。」
そういえば中学のときに真衣のお婆ちゃんが亡くなって、葬式の後に一緒にこの崖の上に来たんだっけ。
あの時も真衣は泣いていたな…。
「それで、おばさんから話を聞いたの?」
「うん、昨日がお婆ちゃんの命日でさ、崖の話を思い出して…、もしかしたらお母さんも知ってるかなぁって思って聞いてみたら知ってるって言うからさ。」
悲しそうな顔をする真衣を見て、僕はこの場の空気を変えたいと思った。
「へー、結構有名な話なの?なんで兄妹なの?普通こういう場所なら男女関係のもつれとかでどっちか片方が海に向かってダーイブ!とかじゃないの?」
「それ何て二時間サスペンスドラマですか?」
海に飛びこむ仕草をしておどけながら話す僕に対して間髪いれずに真衣が突っ込んできた。
『ははははは!』
「あ!海だよー!!」
二人で笑っていると、崖の先端にたどり着き、真衣の目線の先には大きな海とまだ明るい太陽が輝いていた。
「あー、気持ちいいなぁ。」
「そうだね。」
僕は日の光でキラキラと輝いて見える真衣を見ながらいつものお気に入りの石に腰をかけながら答えた。
真衣も周りを見渡して手ごろな石の上に座りながらじっと海の方を見つめていた。
小さな頃は二人で何を話しながらここにいたんだっけ…。
そんなことを考えながら学校から二人乗りで自転車を漕ぎ続けてきた疲れからか僕はそっと目を閉じてそのまま少しの間眠りについてしまっていた。
今日は風も穏やかで聞こえるのはかすかな波の音だけであった。
性の転換
「わーーーーっ!!!!」
おそらく十分か二十分程眠っていたであろうか、目を閉じていても分かるほどの日の光に邪魔されて寝ていたのかすら分からなかったのだが突然響いた女の子の叫び声に驚いて僕はその場で飛び起きてしまった。
「ふぁっ!?なに!?」
「あはは、ごめんね。」
叫んでいたのは真衣であった。
「どうしたの?」
僕が居眠りをする前と同じ位置に立っていた真衣に向かって問いかけた。
「いやぁ、海を見てたら何だか叫びたくなった。ははは。」
「いや、まぁ気持ちは分かるけどさぁ。」
僕も実際何度もこの場所でやってきたことである。
むしろそれ以上に人に聞かれては恥ずかしいことをここ数年は叫び続けている。
「はぁ、まぁいいや。気が済んだ?そろそろ帰ろうか。」
「うん。」
以外にも真衣はあっさりと答えてきた。
来る前は朝まで語ろうなんて言っていたくせに、あれは一体なんだったんだ?
ホント面倒くさいやつだ。
僕と真衣は自転車を止めてある崖への道の入り口に向かって歩き出した。
「そういえばさ、来た時に話してた崖の上の兄妹の話は実際どんな話だったの?」
「ああ、あれ?魚から人間になりたがっていた妹が最後は「私、ソウスケ、好きー!」って言いながら海の上を猛ダッシュするんだよ。」
いやいや、確かに僕もあの監督の映画作品は好きだけど別にボケた分けじゃないんだが、まぁ来た時みたいにまた悲しい顔されるのも嫌だったのでこれはこれで良いか。
「そうかー、取り残されたお兄ちゃんは悲しいねー。」
僕は無表情で真衣に突っ込んだ。
「でしょー?それで怒ったお兄ちゃんがねぇ…。」
「いやいや、このくだりはもうイイですから。」
僕の精一杯の突っ込みに対して更にボケを被せて来ようとした真衣を何とか制止した。
「なに?そんなに気になるの?」
真衣が笑いながら僕に問いかけてきた。
すごく気になる。
昨日はいくら思い出そうとしても無理だったので早々に諦めたが、今日は話の全容を知る人物を目の前にして聞かずにはいられなかった。
「気になります。夜も眠れません。お願いします。」
真衣の前に回りこんで僕は深々と頭を下げて言った。
「むふぅ、仕方ないなぁ。でも期待するほどの話じゃないと思うけど…。」
鼻の穴を膨らませていつも通りの態度を取る真衣に少し腹が立ったがここは我慢だ。
「お願いしますよぅ、真衣さぁん。」
「いや、でもホントそんなに驚くような話じゃないんだけどね」
少し照れた感じで真衣が話し出した。
― 昔、まだお婆ちゃんが若かったころに近所の漁師の家に二人の子供がいてね、年はそんなに離れていない兄と妹で二人ともとっても仲が良かったらしいのね。
でも、二人にはちょっと問題があって…、兄は自分は女の子だと思っていて、妹は自分のことを男の子だと思っていたの。
そのことに対して兄妹はお互いに悩みを既に打ち明かしあっていたので、体格もそれほど違いのない二人はしょっちゅうお互いの服を交換し合っては外に遊びに出ていたんだけど、ある日その事がお父さんにバレちゃったんだって。
漁師だったお父さんは自分の息子を海の男としてたくましく育ってほしいって思っていたのに女の子になりたがっている兄に対してひどく怒ったらしいの。
それだけで終わればよかったのにお父さんは近所の人たちに「自分の子供がおかしくなったので外で変な格好をしていたら教えてほしい」って言いふらしたみたいなの。
小さな町だから噂はすぐに広まり兄妹は外に出れなくなって、ずっと家に引きこもるようになったんだって。
そのまま数ヶ月経ったあとにひどく酔っ払ったお父さんは兄にひどい罵声と暴力を振るったみたいで、耐え切れなくなった兄は外に飛び出していって、その後を妹が追っかけていったの。
その行き先がこの崖の上で、二人は崖の先端に立ってお互いに『次に生まれ変わるときは二人の性別を入れ替えてください』ってお願いを込めて海へと飛び込んだみたいなの ―
「で、今もどこかにその兄妹の慰霊碑が有るみたいだよ。」
大した事ないという割にはなかなか悲しすぎる話で、次から少し一人で来づらくなってしまった。
しかも話の元ネタが僕も少し顔を合わせたことのある真衣のお婆ちゃんから聞いた話というから信憑性も高く、背筋に寒気が走った。
「へ…へぇー。それだけ?」
「そうだよ。」
僕は少し怖い感情を押し殺して、強がりながら答えた。
早くこの場の雰囲気を変えたかった。
「なんだよ、もっとすごいのが出てくるのかと思ったんだけどな。ブリッジしながらこっちに向かってくる少女とかさっ。」
「それ何て…」
真衣が突っ込む途中で二人してそのホラー映画のワンシーンを思い出してしまい、少しの間黙ってしまった。
『…恐っ。』
不意にお互いの声がハモリ、思わず二人とも笑い出してしまった。
真衣の自転車で僕の家まで二人で行き、そこで真衣とは別れた。
まだ日も沈んでなく、綺麗な夕焼けが広がっているので真衣も暗くならないうちに自分の家に着くだろう。
僕もこの時間ならば母さんに怒られなくて済むし、今日は良い気分のまま眠れそうだ、次からもこの時間に帰るようにしようかな?
「ただいまぁ。」
気分が良かったことも有って声は小さいが昨日とは違い、僕ははっきりとお決まりの文句を言った。
「おかえりー。」
台所から母さんの声が聞こえた、僕は手を洗う前に小便がしたかったので真っ直ぐトイレへと向かい、普段どおりにチャックを開けたところで違和感を覚えた。
「あれ?」
いつもの場所に存在しているハズのアレが無い。
信じられない方向を向いているのかと思いスボンの奥をまさぐった所で確信した。
「…無ぁぁぁああーーーーい!!」
真衣の変化
なんだ!?どうしたんだ?どうなってんだ?
「誠?どうしたの?」
さっきの僕の声に驚いて母さんがトイレの前まで来たようだ。
「は!?え?いや、あれが…無くてさ…。」
「あれって何?大丈夫?」
「あ、ああ。あれだよ。トイレットペーパーが無くてさ…。」
まさかあなたの息子の息子が無くなりましたとは冗談でも言い出せず、僕はとっさに嘘をついた。
「なぁんだ、それなら上の戸棚の中に予備が入ってるから出しなさい。」
「あぁ。分かった。」
なぁんだ、予備が有るなら大丈夫っっ。っていう訳にもいかず、取り合えず何をすべきかを必死で考えた。
「と、取り合えず…。あれだ、おしっこがしたい。」
僕がここに来た理由がそれなのだからまずはそれをしよう。
しかし、どうやってするのだ?
トイレと向かい合わせに今立っているがこれで良いのか?
「…飛ぶのか?」
いや、僕がではなくおしっこが。
おそらく後ろに飛ぶということは無いであろうから、向かい合わせのままで少しトイレに被さるように立ってみた。
更に緊急事態に備えてトイレットペーパーを両手に持ちいついかなる方向に飛んでもいいように構えた状態で僕は力を抜いた。
「はぁー。…あ?わっ、わわわ!」
力を抜いた途端に生暖かい感じが僕の足をつたって来たので思わずトイレに座り込んでしまった。
「あ、こうすれば良かったのか…。」
無事に用を足し終えた僕はトイレから出てリビングの食卓に着き、自分に何が起こったのかを考え始めた。
― 無い…ということは何処かに有るのか?落としたのか?何処に?いや、そもそも着脱可能だなんて聞いたことないし出来そうな雰囲気は今までなかったぞ ―
テレビを見ているフリをしながらぶつぶつと考えているうちに目の前には夕食が出揃った。
父さんは今日帰りが遅くなるらしく、先にご飯を食べていてくれと連絡が有ったようなので僕は一人で機械的に食べ物を口に運びながら再び考え続け始めた。
― 誰かに相談するべきだろうか。母さんに?いや、話したからといってまた生えてくるはずも無いし。…医者に行く?一番有効な手段だろうな。でも何て言ったらいいんだろう。気づいたら何処かに落としてしまいました?いやいやいや。恥ずかしすぎる。ひとまず最終手段として病院へ行くことを考えつつ暫くはこのままで居てみよう。
ひょっとしたら明日の朝になれば全てが元通りになっているかも知れないし。―
と、淡い期待と不安を抱きながら食事を済ませて、なるべく下を見ないようにしてシャワーを浴びた僕はそのまま布団に潜り込んで目をつぶっていた。
朝が来た。
いつもより随分早く目が覚めた僕はまず始めに股の方へと手を伸ばして探してみたが、やはりそこには今まで有ったハズのものが見つからなかった。
血の気が引いていく感じを覚えながら何も考えることができず、ただ浅い眠りを繰り返しながら朝食も食べずに登校する時間を迎えたので、落胆したまま家を出た。
「おっす!誠っ!」
真衣がいつも通りに後ろから僕の尻を叩いてやって来た。
お前はセクハラ上司か!なんてことをいつもなら返すのだが今日の僕にはそんな元気がなかったので、
「あぁ…」
と、小さく返事をしながら真衣を見て驚いた。
「おまえ…その髪どうしたの?」
真衣は綺麗で長かった髪の毛をバッサリと切り落としたショートヘアになっていて、やや短めのスカートの下にはジャージを履いていたのだった。
何人かの女子生徒はスカートの下にジャージを履いてはいるが、真衣は「女子高生は生足でしょっ」なんて事を言っていたハズだったのだが…。
「ジャージ?」
「ははは、まぁ、ちょっとキャラ変えてみようかなって思ったんで。じゃあお先っ!」
全然説得力のない事を言い残して真衣はそのまま学校の方へと自転車を走らせて行った。
暫く僕は自分に起きた事などそっちのけで真衣に何があったのかを色々と考えているうちに気が着けば教室へとたどり着いていた。
昨日と同じく真衣は女友達数人と話していた、ただし内容は周りが真衣に何があったのかと問いかけているような感じだった。
「おいっ!誠っ!」
サトルがまた席に着く前の僕に対して声を荒げて絡んできた。
「海原さんどうしたんだよ!?お前、ひょっとして海原さんから告白されてそれをフったのか!?」
ホントにこいつの頭の中はとことん青春真っ盛りだな…。
ただ、僕も教室に着くまでに真衣が誰かにフラれたのか?という考えが浮かばなかったわけではない。
でも何でそこに僕が出てくるんだよ。
「はぁ?知らねぇよ。」
ふと周りを見ると数人の生徒が今のサトルの会話を聞いたらしくこっちを見ているのに気づいたので僕は慌てて答えた。
「お前、海原さんの幼なじみだろ?何か聞いてないのかよ。」
確かに幼なじみだし昨日の夕方まで真衣と一緒にいたがそんな素振りは全くなかったハズだ。
「だから何も知らないって。思春期だからじゃね?」
取り合えずこの年代の心情や見た目の変化は思春期ということで済ませる事にしている。
「そーかー。思春期かぁ。じゃあしょうがねぇな。」
サトルが馬鹿で助かった。
「そういえばお前昨日もゲームやんなかったのかよ?学校終わって家着いてからずっとやってたのになかなか誠が来ないから俺一人で暴れまわってたんだぞ。」
サトルが話しているゲームとは最近発売されたインターネット回線を利用して離れた人達と一緒に対戦や協力ができるというシューティングゲームである。
「ああ、悪い。昨日はちょっとな。」
ここで僕は昨日自分に起きたことを思い出してしまった。
出来ればこのまま忘れたままでいたかったがそういう訳にもいかないので、自分の席に座り、また今後どうしたらいいのかを考え始めた。
― そういえば真衣にも何か変化が有ったのだろうか?突然髪を短くしたりしたのもそれと何か関係が有るのだろうか?後でそれとなく聞いてみよう ―
授業中も先生の話が全く頭に入ってこないままに昼食の時間を迎えて真衣が購買に向かおうとしたのを見て僕は後ろから呼び止めた。
「真衣、ちょっといいか?」
「ん?良いよ、何?」
真衣は一緒に購買に行こうとしていた友達に向かって先に行っていいよと手を振った。
「取り合えず、ちょっと向こうでさ。」
なるべく人には聞かれないように廊下の隅に真衣を連れて行き、僕は小さな声で話し出した。
「お前、昨日何か有った?」
「またその話?今日は朝から同じ質問ばっかりでもう答えるのも面倒くさい。」
真衣はうんざりした顔で答えた。
「だからキャラ変更したんだって。朝に誠にも話してなかったっけ?」
「いや、そうじゃなくてさ、何か…体に変化があったりとかさ。」
僕は小さな声を更に小さくして真衣に問いかけていた。
「は、はぁ?なにそれ?エッチな話?これだから思春期は…。」
くそっ、自分に対して使われるとかなり腹が立つな。
「違うって、俺も今ちょっと困ったことになっててさ、ひょっとしたら真衣にも何か有ったんじゃないかって心配になったからさ。」
物の弾みで昨日僕に起きた事を話さなければいけない話の流れになってしまったが、どちらにせよ一人で考えていても答えが出るわけでもないのでまぁ良いか。
「…ひょっとして、誠も体に何か変化が?」
僕も、と聞いてくるということはきっと真衣にも何か変化があったんだな。
「ああ、真衣もか?」
「う、うん。何か男になったみたい。」
僕はその事実をいまだに受け入れれずに、女になったとはハッキリ口に出せないと言うのに、真衣はもう自分の性別が変わったことを受け入れているように思えた。
「そうか。いつ気がついた?」
「あ…、ううんと…。昨日の夜にシャワーを浴びた時…だったかな?」
だったかな?だって?あまりにも衝撃的な出来事過ぎて記憶が曖昧なのか?
「やっぱり真衣にも変化があったのか。元に戻す方法も分からないし。暫くはこのままでお互い助け合っていくしか無さそうだな。」
「うん。それでさ…聞きたいことがあるんだけど…。」
もじもじしながら真衣が僕の耳にささやいてきた。
「おしっこってどうするの?」
お前もか―。
苛々
僕と真衣がお互いの体について認識してから数日が経ち、その間もどうすれば元の体に戻れるかを話し合ったが全く答えは出ず、朝になれば元に戻っていますようにと願掛けをしても一向に戻る気配もなく、むしろ段々と自分の体が丸みをおびて女体化して来ているような気もしていた。
しかも今朝は何だか腰が鈍く痛い。
「だるぃ…。」
気だるい体と腰の鈍痛に耐えながらも僕は何とか学校へと向かっていた。
「おぅ、誠。」
「あぁ。」
サトルが笑顔で挨拶してきた。
なぜだか分からないがそんな他愛のないことにも僕は少し苛立ちを感じていた。
「お前さぁ、昨日帰ったらゲームやるって言ってたのにまたやらなかっただろ?おかげでまた俺一人で暴れまわって…」
こいつの頭の中はまるで進歩しないな…。
「うるせぇなぁ。ちょっと体がダルかったんだよ。」
「何だよ、まだお前の体は変身し続けるのか?今度は羽でも生えてくんのかよ?ハハハ。」
サトルには僕と真衣の体の変化の事を教えていた。
僕と真衣が頻繁に相談するところを見ていたサトルが「ようやくお前ら付き合いだしたのかよ。」だなんて毎日からかってくるものだから、つい物の弾みで話してしまっていたのだ。
以外にもサトルは少し驚いただけで僕のことを避けたりはせずにこれまで通りに接していてくれていた。
馬鹿でよかった。
真衣にこのことを話したらどうやら真衣自身も同じような理由で二人の女友達に僕のことも含めて話していたらしく、まぁお互い様だし相談相手が増えて逆に良かったという結論で落ち着いた。
「羽かぁ、そのうち魔法とかも使えるようになれればいいのになぁ。」
「え!?使えそうなの!?修行しろ!そして極めろっ!」
僕の冗談にサトルが目を輝かせて近づいてきたので僕はそれを押しのけていた。
その時、少し離れたところから視線を感じたのでそちらに目を向けると一人の女の子がこっちを見ていた。
…いや、睨んでる?
「おい、サトル。さっきから何かあの子にすげぇ見られてる気がするんだけど…。」
「あ?…ああ。隣のクラスのカヤだろ。」
どうやらさっきからこちらを睨んできているのは、同級生で隣のクラスのカヤという名前の女の子らしい。
サトルと中学校が同じで家が近いこともあってか親交があるらしく、そういえばたまにサトルに話しかけているところを僕は見ていた。
「俺、あいつ苦手なんだよなぁ。苦手って言うか恐いと言うか…」
サトルの奴、人には幼なじみがどうのこうのといつもからかってくるクセに、自分だって大人の階段上れそうな素質持ってんじゃねぇか…。
「サトル!国語!」
カヤがそう言って手を伸ばすとすかさずサトルはカバンから国語の教科書を差し出した。
「は、はいっ!!」
「ふんっ。」
サトルの手から国語の教科書を奪い取るとカヤは僕の方を睨み、何か呟いてからそのまま自分のクラスへと戻って行った。
『こ…恐ェ…。』
僕とサトルは思わず顔を見合わせていた。
― 授業開始五分前のベルが鳴る ―
「ったく。なんだったんだよ。」
カヤのサトルへの態度は中学の時からずっとあんな感じだったらしいが、なぜ僕までそのとばっちりを受けなければいけないんだよ。
サトルが言うには、カヤとはご近所さんではあるがあまり話したことはなく、中学で同じクラスになった時にカヤの方から話しかけてきたことがキッカケで今のような関係になっていったらしい。
カヤはその容姿やスタイルの良さから男受けが良く、不良グループの男友達なんかもいるそうなのであまり関わらない方が良いとまで忠告された。
もう関わり始めている感じが若干するのだが…。
「起立」
サトルからカヤの話を聞いているうちに気づけば先生がすでに教壇に立っていて、日直が起立の号令をかけていた。
「礼」
「着席。」
そういえばカヤという女の子が来たことですっかり忘れていたが、相変わらず僕の腰は鈍い痛みを伴っていた。
「いてぇ…」
授業が始まり、時間が進むに連れて痛みは激しさを増していて、股付近には何か濡れたような嫌な不快感が少しあった。
「うぅぅ…。何だこの感じ?」
お漏らしでもしたのかと思ってじんわりと濡れたズボンに当てた手のひらを見てみると…
― なんだコレ?赤いんですけど…? ―
……
「赤いんですけどぉぉぉおおお!!」
思わず僕は叫んでいた。
告白
先生には怒られてしまったが何とかごまかした後で真衣に相談をし、僕の体に起こった二次災害の被害をなんとか最小にとどめた。
その後の授業も全く頭に入らないまま呆然と学校を終えて今僕は真衣と二人で学校の近くにあるファミレスに居た。
「なぁ、真衣。」
「なに?」
真衣が男としての生活について楽しそうに話しているのを僕は静かな口調で止めた。
こいつの順応性の高さは異常すぎではないか?
僕も最初の頃は面白がって真衣に話をしたりはしたが、今はもうそんな気分には全くなれずにただ不安だけが広がっているというのに…。
「もぅ、俺こんな体嫌だよ…。元に戻りたい。病院に行こうかな…?」
「えっ?で…でも、二人で前に調べたときに未成年じゃそういう手術は無理だって分かったじゃない。」
そんなに詳しく調べたわけではないので不明な点が多いが、確かに二人で調べた感じでは無理そうな感じであった。
「じゃあ、外国行ってやってもらう…。」
「そんなお金どこにあるの?」
やはりこの話はいくら話し合ったところで、今の段階では解決の糸口すら見つからない。
「じゃあお前はこのままでも良いのかよ?」
「だ…だって。仕方がないし…。」
は?仕方ないだって?真衣はもう元の女の体には戻る気がないのか?
「前から考えてたけどさ、俺たちの性別が変わったのってあの崖に行った後だよな?」
「たぶん…。」
前からこの話もしていたが結局結論は出ずにいつも終わっていた。
いや、終わっていたというよりも真衣があまり解決策を考えずに否定的なことばかり言って終わらされていた感じがする。
「お前、何か知ってるんじゃないのか?」
今まで薄っすらとは考えていたがそんなハズがないと押し殺してきていた考えを真衣に尋ねた。
「い…いや、別に…。」
真衣の態度があきらかにおかしかった。
「たしかあの崖の事故の原因って、男が女になりたいとかそんな話だったよな?ひょっとしてそれと何か関係あるんじゃないのか?」
「そ…それは。」
もうこれ以上この体でいたくないという強い思いから、ハッキリしない真衣を見ていて腹が立ってきていた。
「もういい。お前のおばさんにあの崖の話を全部聞いてくる。」
そう言いいながらテーブルの上に千円札を投げて俺はファミレスを出ていった。
時間からして近くのバス停で数分待てば真衣の家までバスで行くことができたのだが、あまりにも真衣がしつこく話しかけてくるのに耐え切れず、時間はかかるが歩いて真衣の家まで行くことにした。
「誠っ!待って!話を聞いて!」
後ろから真衣がずっと呼び止めてくる。
「うるせぇな!お前のおばさんに全部聞くから別にいいって言ってんだろ!」
ファミレスを出てからずっとこの調子で歩き続けて、学校の有る町と真衣の家の有る住宅街の丁度間くらいに差し掛かってきていた。
「違うの!お願い…だから。話を…」
「何が違うんだよ!」
真衣が泣き出してしまったことにさらに腹を立てた俺は思わず足を止めて真衣を睨みつけていた。
「…は…話を…ね、…聞いて…」
ぼろぼろと涙をこぼし続けている真衣をみて少しだけ悪い気がした僕は小さく舌打ちをして近くにあったベンチに真衣を促した。
「あのね…実は、あの崖には噂があってね…」
「何だよ、噂って。」
少し気分の落ち着いた真衣がゆっくりと話し出した。
「うん…。お母さんが学生の頃に流行ってたって噂なんだけどね、あの崖の兄妹の話は覚えてるでしょ?」
「ああ。生まれ変わったらお互いの性別を取り替えてくれって話だろ?」
「そう。そんな事件があったからこんな噂が出来たんだと思うけど、あの崖の上で男女二人がお互いの体の一部を海に向かって投げ入れて性別を変えてくださいって願うと…」
「変わるってのか!?」
「うん。」
信じられない。
そんなことだけで人間の性別が変わるものなのか?
「お前それをやったのか?で、でも俺は変わりたいなんて願ってないぞ!」
「う、うん。私も半信半疑だったし…。もしかしたらって思ってやってみたら…変わっちゃってたんだもん…。」
もう意味の分からない事だらけで僕は何が何だか理解できなかった。
「か、体の一部って…何を投げたんだよ?」
「髪の毛。」
そういえば崖に向かう途中で抜き取られた気がする。
「ひょっとしてあの時突然お前が叫びだしたのって…」
「うん。体が突然光りだして本当に変わってたから驚いちゃって…。」
あの時から変わっていたのか…。
いや、そもそも何故真衣はこんなことをしたんだ?
「お前、男になりたかったのか?」
「え?いや、違うよ。」
「はぁ?じゃあ人を巻き込んでまで何でこんなことしたんだよ!?」
「誠のこと…好きだったから…。」
真衣のこの答えには全然理解が出来なかった。
人を好きになってどう考えたらこういう結果になるんだ?
「誠…中学くらいから私にずっと冷たかったし…」
「それで、何でこうなるんだ?」
僕はもう体から力が抜け切っていた。
「誠には、私だけを見てほしかったの…」
「そんなことの為だけに俺の人生をメチャクチャにしたのかよ。」
「私ね!迷子になって誠に手をずっと握ってもらったときから好きだったの!お婆ちゃんが亡くなって泣いてるときも優しく声をかけてくれた!!…だから、普段は私が誠を守ってあげる!その代わりに、私が立ち直れないくらい落ち込んだときには誠が傍にいてほしいの!」
「何だよそれ!」
真衣のあまりにも一方的な気持ちを聞いておさまりかけていた怒りがまた湧き上がってきていた。
「全部お前の都合じゃないかよ!俺はお前に守ってほしいだなんて一言も言った覚えはないぞ!」
「ごめん…でも…」
「どうするんだよこの体!治す方法とかあるのかよ!」
「…ごめん。」
その一言を聞いた瞬間頭の中がグチャグチャになって、僕は涙が溢れ出してくるのを止められなかった。
「ごめんなさい…ごめん…なさい…」
空を見上げる格好で涙を流し続ける僕を真衣は泣いて謝りながら抱きしめてきた。
真衣の体が何だか僕よりも大きく感じて…その事が僕には、悔しくて…耐え切れなくて……受け入れることが出来なかった。
周りの変化
真衣からの告白を受けてからというもの、俺は真衣とは何も話す気にはなれなかった。
それどころか真衣の姿を見てるだけで腹が立ってしまい、授業中でも突然叫びだして教室を飛び出すようになっていた。
「誠っ。おは…」
「うるせぇ!話しかけんな!」
真衣はあれから朝の登校で俺と出会っても以前のようには接しないで、普通に挨拶をしてくるようになっていた、むしろ何もしないでそっとして置いてほしかった俺はそんな真衣をいつも冷たくあしらっていた。
「おぅっ、誠。」
「おぅ。」
教室には既にサトルがいて俺に話しかけてくる。
「誠、またお前バス停の前で海原さんに怒鳴りつけてただろ。大丈夫か?最近お前少しおかしいぞ。」
「なんだよ、また盗み見か?サトルには関係ないって、大丈夫だよ。」
今俺が唯一心を許して話せる相手はサトルだけとなっていた。
「そんなことよりさ、昨日のサトルと俺のタッグは無敵だったな!今日もまた家帰ったらゲームやるだろ?」
「あ、ああ。そうだな…。」
真衣のことなど一秒でも考えたくなかった俺は急いで話を変えていた。
やがて、授業開始のベルが鳴り、先生がなにやら黒板に書きながら話し出した。
こういう集中できなくて考え事をしてしまう時間は大嫌いだ。
こんな時に真衣の姿が目に入ってしまうと色々なことを考え始めてしまい、やがて怒りに耐え切れなくなって思わず叫んでしまう。
こういう時はノートに意味のない落書きをして気を紛らわせるにかぎる。
俺は無心で丸や四角なんかをノートに書き綴っていた。
その時―
「地震だっ!みんな伏せろっ!」
突然低い音とともに教室が揺れだし、生徒たちに向かって先生が叫んでいた。
俺はその先生の声を聞くと、反射的に目をつぶって床に倒れるように突っ伏した。
ドサッ!
「誠っ」
俺の名前を呼びながら何かがこちらに来る感じがして閉じていた目を開けてみると、目の前にはサトルが俺を守るようにして覆いかぶさっていた。
「大丈夫か?誠っ?」
サトルが何を思ってこんな行動に出たのかは分からないし、偶然伏せた方向が同じだけだったのかもしれない、だけど、俺にはこの時サトルの事を友達としてではなく男として感じてしまい激しい嫌悪感を覚えた。
「…ど、どけよ!気持ち悪いな!」
覆いかぶさっていたサトルを突き飛ばし、まだ地面が揺れている中俺は教室から飛び出していた。
「痛ゥ、ま、誠っ!あぶねぇぞ!」
サトルの声がかすかに聞こえるのを振り切って揺れる地面の中フラフラとそのまま逃げ出していた。
階段に差し掛かったところで揺れは収まり、俺はそのまま屋上へと駆け上がっていった。
たどり着いた屋上で寝そべっているとグラウンドの方から校長らしき人が避難していた生徒達に何かを話しているのが聞こえてきた、どうやら授業を中止してみんな下校するようにと話しているらしい。
そんな話し声を耳にして、仰向けになったまま俺は流れる雲を見ていた。
「こんなに落ち着いた気分になったのはどれくらい久しぶりだろう…。」
ここ数日はずっと荒れっぱなしだったのでもう心も体もクタクタになっていた。
久しぶりにゆっくりと流れる時間に身を委ねているうちに、いつの間にかグラウンドから話し声が聞こえなくなり、下の階でザワザワと会話しながら下校を始めていた生徒達の気配もなくなっていた。
「帰るかな。」
俺はゆっくりと立ち上がり、カバンを取りに教室へと歩き出した。
「遅いっ。」
教室に入ると一人の女の子が俺の席の前の座席に座りながらこっちを睨んできた。
「は?あ、えーと…。確か、カヤ?…さんだっけ?」
サトルの中学からの知り合いで隣のクラスのハズのカヤが何故かそこに居た。
「サトルがあんたのこと探してたよ。帰ったんじゃない?って言ったら「そうかぁ」って言って帰ってっちゃったけどね。」
「あっそ。そりゃどうも。」
なんだこいつ?そんな事を言う為にわざわざここで俺を待っていたのか?
相変わらずこちらを睨み続けてくるカヤを無視してカバンを取ろうとすると。
「ちょっとあんたに聞きたいことがあるんだけどさぁ。」
カヤが上目遣いで俺を覗き込んできた。
「あんた、女になったってホント?」
「―!」
何故カヤがそのことを知っているんだ?
「もう、学校中みーんな知ってるよ、フフフ。」
まさかサトルがカヤに話したのか?
それとも、真衣の友達あたりから噂が広まったのか!?クソっ!
「女になったってことはさぁ、もう興味も無くなっちゃったの?…女の子に、フフ。」
あまりに色っぽい仕草をしながら俺に詰め寄ってきたので思わず生唾を飲み込んでしまった。
「どうやら女になったってのは本当みたいね、まぁ、いいわ。そんなことよりさぁ、あんたに言っておきたい事があるんだけど。」
「な、なんだよ。」
カヤの色香から開放されてようやく話すことができた。
「サトルと話すのをもう止めてくれない?」
「はぁ?なんでだよ?」
「分かんないの?サトルは私の物なの。だから私以外の女がサトルと話しているところなんて絶対に許さない。」
なんで俺の周りの女どもはみんなこうなんだ?
それとも女ってのはみんなこうなのか??
「なんだよ、それ。俺とサトルはただの友達だし、大体あいつとどうにかなるなんて気持ち悪すぎて…」
「今はねっ」
俺が話している途中でカヤがさえぎってきた。
「今はそうかもしれないけど、私は男と女の間に友情なんて存在しないと思ってる。あんたが女である以上このままサトルと友達ごっこを続けていればいつかどちらかが相手を異性として見るようになるでしょうね。あんた自身、男だった時にどんな目で女の子を見ていた?思い出してごらん。」
― 確かにさっきの地震の時に一瞬だがサトルを異性として見てしまっている自分がいた。
だが、あいつはただの馬鹿だから偶然俺の方に伏せてきただけに決まっている! ―
自分に言い聞かせるようにして俺はカヤを睨みつけた。
「お前だって、男友達がいっぱいいるそうじゃないか?そいつら全員異性として見てるのかよ?そしてその関係を続けたままサトルのことを好きだなんて言ってるのか?」
「そうよ。」
全く表情を変えずにカヤが言い返してきた。
「あいつらはただ私とヤりたいって思ってるだけ。そして私はそれを利用して、じらして…じらし尽くして…、たまにエサを与えて私の思い通りに操ってやるのよ。大丈夫、ああいう奴らは私とヤれない事に気がつけば勝手に他の女のところに移っていくわ。フフフ、知ってる?私みたいな女の子はいーっぱい居るんだよ。あんたも時期にそうなるだろうけどねっ、アハハハッ!」
こんな奴に惚れられたサトルがかわいそうではあったが、カヤの話を聞いているうちに自分が男だった時に思い当たるフシが有るだけに男に対しての嫌悪感が生まれていた。
「くっ、分かったよ。勝手にしろ。」
何も言い返すことが出来なかった俺はカバンを拾い上げてカヤとは目を合わせずにその場を後にした。
その果てに
ここ数日間誰かとちゃんと会話した記憶がない。
カヤに言われたからなのか、何となくサトルとも話しづらくなったまま席替えがあり、俺とサトルとは席が離れてしまったので話す機会も無くなった。
真衣とも関わらないようにしている内に登校時に出会っても何も言葉を交わすことは無くなっていた。
どこまで俺の体のことの噂が広まっているのかも分からなかったので、学校中の奴らが今じゃ全て敵に思えてしまっていた。
「はぁ。」
窓際の一番後ろの席になった俺は授業中にもこうして毎日ため息をついては外を眺めて時間を潰していた。
どうやら今は何かの小テストをやっているらしく、みんなが答案用紙に答えを書き込む音だけが教室中に響いていた。
もう元の体に戻る方法を考える力もなく、虚しさが広がった心にたまに起こる突発的な感情も抑制出来るほどであったので、後はどうやって毎日時間を潰すか…、ただそれだけを考えるだけだ。
「あと十分で終わりだぞぉ。」
先生の声でハッとした俺は何気なく机の上を見て暫く湧き上がってきていなかった怒りを覚え始めた。
「プリント…無ぇな…。」
ずっと外を眺めていたし一番後ろの席だからここまでプリントがまわって来たのかどうかも分からないが、取りあえず目の前の机の上には何も無かった。
「はぁ?なんだよこれ。みんなして俺のことを馬鹿にしやがって…。」
疲れきっていたハズだった。
答えの無い考え事、周りに対して否定も肯定もしない、見上げもしないし見下しもしない。
綺麗な蝶や力強く鳴く蝉を生み出すことすら出来なかったただの抜け殻。
あとはどのタイミングでどうやって自分はこの世から存在しなくなるのか、…そんな自分に対して無意識に抗ったのかどうかは分からないが―
「うわぁぁぁぁぁああああ!!!!」
ガシャーーーーン!
誠は自分の机を後ろの壁の方へと思い切り投げつけていた。
教室中が誠の方を見ていた、先生も何が起きたのか分からず固まっているだけだった。
― みんなが俺を見ている…、見るな…見るなよ…そんな目で… ―
「見てんじゃねぇよ…。」
誠はブツブツと独り言を言いながら教室を出て行った。
隣のクラスからは何人かの生徒と先生が何事かと廊下に出てきていた、その中に誠はカヤの姿を見つけた。
― お前のせいだ…、お前が居なければ…俺は… ―
「お前がっ!お前が俺を独りにっ!!」
誠がカヤの胸ぐらを掴み殴りかかろうとすると、カヤは目をつぶって顔をそらしていた。
― なんだよ…向かってこいよ…。この間みたいに汚い言葉で何か言い返してこいよ…。頼むよ… ―
「クソがっ。」
カヤを軽く突き放し誠はそのまま走り去っていった。
屋上へと続く階段の踊り場。
ここを通る生徒は少なく、あまり使われない為か節電されていて少し薄暗い。
外は雨が降っているので屋上に出ることも出来ずにこの場に俺は座り込んでいた。
授業が終わるベルが鳴って、次第に廊下の方が騒がしくなる。
誰かが走り回る足音や大きな声が聞こえてくる…
「うわっ、ホントに居たよ…。」
三人の同級生が踊り場の下からゆっくりと上がりながらこちらを見ていた。
「どうすんだよ?」
「いや…まぁ、ここに居ればいいんじゃない?こいつ逃げ出す感じもないし。」
「いや、そうじゃなくてさ、ヤバくね?あいつ本気でやる気だったぜ。」
三人の内二人は知っている奴だ、別のクラスの奴等だが俺とは小学校が同じで確かその頃は家にも遊びに来たことがあったっけ?
「何か用かよ?」
「ああ?いや、そのさ…お前、危ないよ。逃げたほうが良いかも…。」
逃げる?何から?何処へ…?
「おらぁぁあ!」
立ち尽くして旧友が何を俺に言っているのか理解しようとしている時だった。
不意に踊り場の上から飛び込んできた誰かに胸ぐらを掴まれそのまま壁に押し付けられてしまった。
「ぐっ。」
「お前か!?カヤに手を出したってのは!」
― ああ、そういうことか… ―
「だったら何だってんだ!おらぁ!」
ドカッ!
振り上げた手が相手に届く前に誠の口の中いっぱいに血の味が広がった。
「うわっ、マズイって、止めろよ。」
ほんの数秒の間であった。
「うるせぇ!!」
旧友が制止するのも振りほどかれて誠は殴られ続けた。
「あっ、誰かこっち来るぞ!」
― もう、いっそこのまま… ―
「ぁあ!?クソっ。カヤにまた手ェ出したら次は殺すぞ!」
― なんだ、終わりか…。もう少しだったのにな… ―
「誠っ!!」
― 誰だ?目の前が霞んでよく見えない…、男?……女? ―
「誠…ごめん…、ごめんね…」
― 何謝ってるんだ?この声…真衣か? ―
騒ぎを聞いて駆けつけた真衣はボロボロになっていた誠を泣きながら抱きしめていた。
「ごめんね、誠…私のせいでこんな目に…」
― もう、どうでもいいよ… ―
「私が…、私が一生誠の傍に…誠を守ってあげるから…」
― ハハハ、結局こうなるのかよ ―
―完―




