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愛玩されない愛玩動物

作者: 文屋カノン

 第36回すばる文学賞を落選分を加筆修正しました。

猫を警戒していたことがある。父が言っていたからだ。

「犬は飼い主を主人だと思っているが、猫は飼い主を同等に見ている」

  と。そうだ、こうも言っていた。

猫はいつでも飼い主にじゃれるが、猫は自分がその気にならなければそっぽを向く」

と。

 そんな事実を知りながら、気にせず猫を飼える人間は、理解できないと八歳だったあたしは考えた。飼う以上、人間が飼い主であることは当たり前なのだから、飼われる側には、その認識が無ければならない と思った。飼われる側にその認識が無いなんて、寂しく感じた。

そういえば世間では

「犬は三日の恩を三年忘れないが、猫は三年の恩を三日で忘れる」

 とも言われていると、あたしは思い当たった。大人が語り継ぐ教訓に、恐れを抱いた。

その頃だった。友人の飼い猫に腕を引っかかれたのは。赤くはっきりと残った爪あとが、ショックだっ た。我が家では犬を飼っていたが、傷つけられたことは一度も無かったからだ。

 あたしは猫を危険視し始めた。それまでは道端で猫を見かけるとあごや腹を撫でてやっていたのに、目もくれなくなった。引っかかれたことによって、心も傷ついていたし、猫の評判の悪さに恐れをなした。ペットというものは犬が最高であって、その対極にいる猫は、関わるべき生き物ではないと思い詰めた。

 その思いは、実に十七年もの間あたしを縛り付けた。十七年もの間、あたしは道端にいる猫に近寄らなかった。

 猫の方から、アプローチされることもあった。あの危険な生き物は、しなやかな肢体をくねらせて、「みゃあ」などと可憐な声であたしを魅了しようとした。その手に乗るものか。あたしは猫を無視して歩き続けた。

 そこで誘惑に負け、ふらふらと猫に触れたが最後、翻弄される生活が始まってしまう気がした。一度触れたことにより、歯止めの利かなくなった猫への想いを、いつでも受け止めてもらえるとは限らない。猫は気まぐれだからだ。

 傷つきたくなければ、関わらないことだ、とあたしはまるでプレイボーイを警戒するかのように、猫を警戒していた。

 その反動からネズミを飼ったことがある。二十三歳の時だ。当時の勤め先の上司が、ハムスターをつがいで飼っていて、子供が生まれたのだ。ネズミも猫の対極にいる動物なので、大丈夫な気がしたあたしは、その内の一匹を引き取った。一人暮らしの無聊を慰めてくれるのではないかと期待したのだ。

 どんな名前にしようかと、あれこれ考えていたのだが、彼に出会った途端、頭の中にあった候補の数々は吹き飛んだ。ジャンガリアンハムスターの彼は、何よりも縞模様が特徴的だった。見た瞬間うり坊を連想したあたしは、そうだ、ウィリーにしようと決めた。

 ウィリーを連れ帰り、上司から借りた、持ち運び用のケージから出してやると、ウィリーは何とあたしの膝の上で遊んだ。ハムスターというものは、人に懐かないと思い込んでいたあたしは、驚き喜んだ。あんなにも小さな生き物があたしの膝の上で安心して遊ぶ様。愛しかった。引き取ってよかったとあたしは心から思った。

 それなのにウィリーは、翌日心変わりした。ケージから出してやろうと手を差し伸べた途端、噛み付いてきたのだ。慌てて上司に電話をすると、ハムスターにも機嫌の悪い日があるのだと説明された。

 そうかと思い、翌日まで待って手を差し伸べたが、やはり噛み付かれた。日を変えて何度もチャレンジしたが、ウィリーはいつも怒っていた。ある日血が出るほど強く噛み付かれ、あたしは再びウィリーと和むことを諦めた。

 後になって、こんなに冷たくされるなら、最初から優しくなんてして欲しくなかったとあたしは気を滅入らせた。そして、悪い噂を聞かないネズミでさえ、ここまで変心するなら、猫はどれだけ酷い仕打ちをすることかとおののいた。結局あたしは、犬やネズミと触れ合っている時でも、猫のことを考えていた。

 ウィリーが死んだのは、その二年後だ。心変わりに気落ちしながらも、ペットという存在に去られてしまい喪失を覚えた。あたしはウィリーを諦めながらも、好きだったからだ。

 とはいえ、実は一度だけ、ウィリーを家から追い出したことがある。何度も脱走を試みられたからだ。そんなに出て行きたいなら出て行けばいいと逆上し、部屋の外にウィリーをぽいと捨て、玄関のドアを閉めた。

 これでせいせいした。そう思ったのだが、やはり気になりドアを開けてみた。てっきり姿をくらましたかと思ったウィリーは、きょとんとした顔でこちらを見ていた。それを見たら、やはり捨てられないと強く思った。

 結局ウィリーを回収し、その後二年を共に暮らした。ウィリーはさっぱりあたしに懐かなかったが、あたしはもう、ウィリーを憎めなかった。そのウィリーがとうとう死んでしまった。その喪失感もきっかけの一つだったのかも知れない。

 その時あたしは会社帰りだった。人気の無い道を歩いていた。すると突然美しい三毛猫に、「にゃあ」と話しかけられたのだ。

 話しかけられたというのはおかしいと、思われるかも知れない。しかしその時あたしは、三毛猫が何か用があって、あたしに話しかけてきたと感じた。道を尋ねてくる他人を、無視できないのと同様に、あたしはその三毛猫を、無視できない気分になった。そこであたしは立ち止まり膝を折ると、三毛猫に対して「何?」と尋ねた。

 三毛猫は驚いたような顔をした。それはまるで、あたしに用があったのに、自分は猫だから話ができないことに、今気付いたといった表情だった。三毛猫はしばらく思案に暮れていたが、そのままどこかへ消え去った。

 あたしは気を悪くしたりはしなかった。三毛猫の気持ちが、分かったからだ。話しかけたものの会話ができないのだとしたら、「やっぱりいいです」という意思表示のためには、姿を消すしかない。

 再び歩きながらあたしは、あの三毛猫は、一体何の用があったのだろうと考えた。もちろん考えたからといって、分かるはずが無かったが、その時あたしの中に猫への欲望が生まれた。あの三毛猫の真意を理解するのは不可能だ。だからその代わりに、猫という生き物と、そろそろ関わりたくなった。

 それは大変勇気のいる決断だったが、あたしは決めた。これからは猫と関わろうと。

 その頃、あたしの住まうアパートの近所の家で、子猫を飼い始めた。飼い主は独身のおじいさんで、変わったことに子猫を外で飼っていた。その子猫があたしにアプローチを仕掛けてきた。あたしは恐る恐る頭を撫でてみた。毛並みが柔らかく、指先がとろけるようだった。子猫は甘えてみゃあみゃあ鳴いた。

 何て愛くるしいんだろう。あたしは心の柔らかい部分を、きゅっとつかまれたような心地がした。十七年もの間、猫と関わらない生活を送ってこられたことが、不思議でならなかった。

 それ以来、あたしと子猫の付き合いが始まった。あたしがアパートに出入りする度に、子猫が構ってくれと寄ってくるからだ。あたしは何となく、信じられるのはこの子猫だけだという気がした。滝川(たきがわ)と別れる別れないで揉めていたからだ。

 もしも今、宝くじで三億円が当たったら困る、とあたしは取らぬ狸の皮算用をした。当時あたしは、三億円が当たったら素敵なマンションを買うつもりだったからだ。でもそうしたら、子猫と別れねばならない。

 常識的に考えれば、他人の飼い猫より、三億円と素敵なマンションに価値がある。それなのにあたしは、引越しをして子猫と別れることを恐れた。そしてこんな愚かな心配をさせる猫を、悪魔の使いのように思った。

 滝川と別れた日、彼が最後の電話をかけてきた。彼は

「お前のアパートから出た時、子猫が寄って来た」

 と言った。あの子猫のことか、とあたしは聞き耳を立てた。

「でもオレは、その猫を触らなかった」

「どうして」

「期待させることになるから」

 実は滝川と別れたがっていたのは、あたしの方だった。滝川は無職で自己破産をしていた上に、ギャンブラーでジャンキーだっただけでなく、DV男だったからだ。それなのに滝川のそのセリフを聞いたら、まるで自分が彼に捨てられたような錯覚に陥った。

 寂しくなったあたしは、まだ滝川の体臭が残るシーツにくるまれながら、やはり三億円が当たらなければ駄目だと考えた。三億円があれば、全ては解決する気がした。三億円があれば、滝川が戻って来る気がした。

 実際に三億円があれば、滝川は戻って来ただろう。だからこそあの時三億円が当たらなくてよかったと、あたしは安堵する。棚からぼた餅の幸運を、願うようになってしまったのも、滝川の影響だからだ。あの時も本当は分かっていた。だから再び滝川に連絡を入れたりはしなかった。

 その代わりあたしは、茅野(ちの)君を呼び出した。そしてまだ滝川の体臭の残るシーツにくるまってセックスをした。しかしあたしは、別に茅野君と寝たくはなかった。あたしはただ、滝川と別れて不安定だったので、茅野君を呼び出しただけなのだ。

 そうしたら呼び出した茅野君が、セックスをしたがった。あたしは断りきれなかった。昔は茅野君と寝ることが好きだったのに、別れたらどういう訳か、寝たくなくなったのだ。

 別れたのなら、寝たくなくなっても当然だと考えるのが、一般的かも知れない。しかしあたしは、自分が茅野君への性欲を失ったことが不思議だった。それまであたしは、別れた男と寝ることに抵抗が無かったからだ。相手が余程感じが悪ければ別だが、あたしに優しければ支障を感じなかった。

 そして茅野君は、あたしに優しかった。そもそも茅野君と別れたのは、互いの人格が問題だったからでも、相性が悪かったからでもない。あたしが遠距離恋愛に耐えられなくなったことが、原因だった。

 ならば茅野君の次の男と別れ、塞いでいるからといって、気まぐれに呼び出したあたしに応えてくれた茅野君に、感謝してもいいはずだった。いやあたしは感謝はしていた。だから茅野君の求めに応じた。ただあたしの中で、茅野君への性欲が消えてしまったというだけだ。

 気の進まないセックスを終えると

「あたしは最近、近所の子猫と仲良しなのよ」

 とあたしは茅野君に自慢した。

 すると茅野君は、小鹿のバンビのような顔で

「子猫の内はね」

 と言った。茅野君曰く、猫は子猫の内は好奇心が旺盛なので人間と遊んでくれるが、成長に伴い人間に興味を示さなくなるらしい。

 アパートを辞する茅野君を見送りながら、ふと自分が、子猫の話をしたいがために、茅野君を呼び出したような気分に駆られた。可哀想なあたし、と不意に泣きそうになった。たかが子猫の話をするのと引き換えに、気乗りしないセックスをしたなんて。そこまで一人ぼっちだなんて。

 気が乗るセックスをしたいと思った。本来なら、滝川と別れたのだから、セックスをしたいというよりも、カレシが欲しいと思うべきだった気がする。二十五歳の女としてはそう思った方が穏便だ。それでもその時あたしは、気が乗るセックスをしたいと思った。

 翌日、あたしは残業中に体調を崩した。急に生理が来てしまったのだ。あたしは月経困難症だったため、気がおかしくなりそうなほど生理が辛かった。

 しかし会社には、寺井(てらい)さんと支店長の二人しか残っていなかった。弱ったなと思った。二人とも男だから、生理で具合が悪いとは言いにくかった。だからあたしは黙って机に突っ伏していた。

 見かねた支店長が

「アパートまで送ってやれ」

 と言うものだから、寺井さんは社用車にあたしを乗せて送ってくれた。寺井さんはシャープなかんばせがあたし好みの、同い年の社員だった。

 そんな男と、夜間に突然二人きりにされた。ときめいてもよかったのだけど、あたしには全く余裕が無かった。具合が悪すぎて口をきくのも億劫だった。

 黙りこみ、目をつぶってシートにもたれているあたしのことを、寺井さんはきっと、怒っているのだろうと思った。彼はそういうタイプの男だった。仕事を放り出して送ってやってるのに、黙り込んでるってどういうことだよ、そこまで具合悪いですアピールするんじゃねえよ、気ィつかうだろ、と言い出しかねない男だった。

 そこであたしは

「ごめんね。寺井さん」

 と責められる前に謝った。

「ちょっと辛くて、口きけないの。気をつかわせるつもりじゃないんだけどごめんね」

 その時、寺井さんが

「いや、いいよ」

 と笑ったので、ホッとしたことを覚えている。

 そんなセリフが嬉しかったなんて、自分は何て哀れだったのかと思う。無職で自己破産でギャンブラーで、ジャンキーでDVの滝川と別れたばかりで、弱っていたからか。茅野君としたくもないセックスをして、ささくれていたからか。

 だから体調が悪くて口がきけません、すみませんと謝った時に、いいよと言ってもらえたことが、そんなに嬉しかったのか。

 その時あたしは、そこまで考えられなかった。ただ生理痛が下半身を貫くほど辛く、こんなに具合が悪いことが、恥ずかしくすらあった。その痛みを許してもらえたことに安堵した。だからあたしの心は、だらしなく寺井さんに流れた。

 あの時、アパートの前で車を停めた寺井さんが、なぜ運転席から降りたのか分からない。そんなことは、あの時のあたしにはどうでもよかった。あたしは送ってもらった礼を言うために、寺井さんの前に立った。彼の身長は見上げるほど高かった。委ねてしまいたくなった。

「ねえ今日具合悪いから、ワガママ言っていい?」

 精一杯可愛い声で尋ねると、寺井さんが「いいよ」と言った。「ギュッとして」とねだった。闇夜がふっと弛緩した。そして全身が包み込まれた。

 幸せだと思った。別に寺井さんを好きだった訳ではないけれど、幸せだと思った。

 翌日やはり生理痛が続いていたので、会社に病欠の連絡を入れた。事務の先輩に仕事の引継ぎを頼んでいると、先輩が

「寺井さんが話したいことがあるって言うから、代わるよ」

 と電話を代わった。

 以前やはり、生理痛を申告できず、風邪と偽って病欠を取ろうとした際に、社会人としての自覚が無いと、寺井さんに説教されたことを思い出した。

 あたしはおびえながら受話器を握り締めた。すると寺井さんは、これまで聞いたこともないような優しい声を出した。この人が、人の体調を心配したり、ゆっくり休みなよといったボギャブラリーを持っていたことに、あたしは心底驚いた。

 電話を切るとあたしは、口角が持ち上がるのを、止めることができなかった。男というものの単純さが、おかしくてたまらなかったのだ。これまで寺井さんはどちらかといえばあたしに冷たかった。それなのに体調を崩した時に、ちょっと甘えてみせただけで、こうも態度が変わるとは。

 滝川のことを思い出した。別れる間際、あたしが甘えようとあるいは泣き叫ぼうと、滝川の機嫌というものに、一向に働きかけることができなくなっていたことに思い当たった。付き合う前には、あたしに土下座をせんばかりの勢いで口説いてきていた滝川が、別れる間際には、いつも不機嫌だったことを思い出した。

 それなのにあたしは、寺井さんに働きかけることができた。それは寺井さんにとって、あたしが新鮮な女だからだ。

 ふと、セックスをしたらどうなるのだろうと思った。

 今の段階で、寺井さんが優しくなった理由は分かる。まだあたしを、手に入れていないからだ。必ず手に入れられるという保証ができた訳ではないけれど可能性が生まれた。この女と、ヤレるかも知れないという可能性にご機嫌で、つい優しくしてしまうのだろう。では実際に与えてしまったら?

 与えられた喜びに、更にご機嫌になるだろうか。それとももう手に入れてしまったのだからと、元の冷たい男に戻るだろうか。

 あたしは実験してみたくなった。それは寺井さんが、付き合いたい相手ではなかったからだ。






 その頃あたしは、近所に住まう子猫との親睦を深めていた。

 子猫にエサをやったことは一度も無い。飼い主に悪いというよりは、食べ物で気をひきたくなかった。あたしはあたし自身の魅力で子猫をとりこにしたかった。

 子猫の飼い主が変わり者だったことも、子猫の気持ちを、こちらに傾ける要因に、なったのかも知れない。

 飼い主は子猫を外で飼っておきながら、子猫が、飼い主の決めた定位置である玄関先に見当たらないと

「ここにいなきゃ、駄目だろ」

と叱っていた。

 しかし猫に対して、あちこちを歩き回ってはいけないなどという理屈が、通用するものだろうか。

 飼い主が、訳の分からない理屈で子猫を責め立てるものだから、ますます子猫は、あたしに懐いた。あたしは猫を叱らなかったからだ。別に叱る理由も無かった。

 それにしても、猫は人間の言葉が分かるのだろうかと、あたしは考えた。いくら飼い主が理不尽とはいえ、その理不尽な言葉を猫は解しているのだろうか。それともただ声色などから、叱られていることを感じているだけなのだろうか。

 その疑問にある日突然、答えが出た。いつものようにアパートの駐車場で子猫を撫でていると、飼い主の声が微かに聞こえたのだ。飼い主は子猫を探していた。あたしはすぐに子猫が気付いて、飼い主の元へ戻るだろうと考えていた。

 けれど子猫は、あたしに撫でられうっとりしていた。心配になったあたしは

「大丈夫? 飼い主探してない?」

 と子猫に尋ねた。すると子猫は突然家に駆け戻った。

 そうか、猫は人語を解するのかとあたしは悟った。ふとこの間の晩、この場所で、寺井さんに「ギュッとして」とねだったことを思い出した。あたしがいつも子猫を可愛がる駐車場。あの晩珍しく子猫は、あたしの前に現れなかった。

 本当は待っていたのかも知れない。夜陰に紛れて、あたしに撫でられるのを待っていたのかも知れない。けれどあの日、あたしは男を伴いこの場所に現れ、男を誘った。

 子猫に見られていたかも知れない。あの言葉を、聞かれたかも知れない。そう思い当たったけれど平気だった。相手が犬やネズミだったら恥ずかしく思っただろうが、猫だったので平気だった。猫なら分かってくれる気がした。恋人にしたい訳ではない男に甘える行為を、猫なら分かってくれる気がした。

 寺井さんには程なくして食事に誘われた。どういう偶然か、寺井さんも、あたしが滝川と別れた日に、カノジョと別れたとのことだった、それをあたしは運命的だと捉えた。寺井さんのように性格の悪い男と付き合うのは真っ平だと考えながら、あたしはそれを、運命的だと捉えた。

 女と別れて半月もすれば、体が欲求するものなのだろうか。アパートに誘われ、その日の内にベッドインした。

 寺井さんが触れようとした時、身を硬くしていたら

「そんな反応されても、困るんだけど」

 と寺井さんは面倒臭そうにした。だから寺井さんが、あたしを好きではないことが分かった。

 いや本当はとっくに分かっていた。だから体を許したところで、寺井さんが有頂天になりはしないことも、本当は分かっていた。

 寺井さんがあたしに全く、恋情を抱いていなかったのかどうかは分からない。少なくとも寺井さんはあたしに会いたがったし寝たがった。あたしを綺麗だと言い、ウエストから尻にかけてのラインがたまらないと言った。

 セックスも丁寧だったし、あたしの嫌がることはしなかった。ベッドスタンドがあまりにもムーディーでいやらしかったので、それを灯すことすら嫌がったら、聞き入れてくれた。クリスマスには香水をくれたし、デート費用は全てもってくれた、あたしに男から電話がかかってくると、明らかに機嫌を損ねた。

 でも寺井さんは、あたしと寝た後有頂天にならなかった。一度もあたしに好きだとか付き合おうとは言わなかった。あたしの方も、自分から付き合おうとねだったり、あたしのこと、どう思ってるのなどと尋ねるほどは、寺井さんに惚れていなかった。あたしたちはセックスフレンドなのだという事実を、受け入れていた。

 セックスフレンド。その単語だけを聞いたら、友情が存在するのかと期待してしまいそうだ。しかし少なくとも、あたしと寺井さんの間には友情は存在しなかった。

 寺井さんの本棚には、遠藤周作が何冊か入っていた。寺井さんのような性格が悪い男が、周作を愛読書としていることに、あたしは一驚した。それまであたしは、キリスト教作家の小説を読むような人間は、優しい人柄なのだろうと思い込んでいたからだ。

 単純に嬉しくなって

「あたし周作って、軽小説が好きなんだよね」

 と言ってみた。あたしはただその時、寺井さんと作家談義ができると期待したに過ぎなかった。

 その時の寺井さんの反応を思い出すと、今でも悲しくなる。寺井さんはあたしを、周作の硬小説を読めない女として、馬鹿にしたのだ。

 それまであたしは、寺井さんに馬鹿にされても、いつも笑っていた。あたしは容貌が尻軽で、男に馬鹿にされることが多かったからだ。いや分かっている。交際の約束もせず、寺井さんと肉体関係を持ってしまったのだから、あたしは事実上尻軽だ。

 ただ問題はそんなことではない。あたしが言いたいのは、事実以前に、あたしは容貌が尻軽だったということだ。

 別に好んで、尻軽な容貌をしていた訳ではない。あたしは同じ年頃の女たちと比べて、化粧が薄かったし髪の色も暗かった。ただ顔立ちが派手で、遊んでいるように見られたのだ。

 言い訳するならあたしは、尻軽に見えて、尻軽に扱われている内に、本当に尻軽になったのかも知れない。ただ行動を尻軽にすることは可能だが、文学への興味を失うことは不可能だ。

 ゆきずりの男の誤解には、慣れていた。ただこれだけ肌を合わせた寺井さんが、分かってくれないことが寂しかった。だからあたしはつい言ってしまった。

「普通の日本人が、周作の硬小説を理解できる訳ないでしょ」

 と。それはあたしが教会の生まれだったからだ。

 馬鹿にする訳じゃない。しかしあたしは言いたい。キリスト教の信仰を持たずして、周作の硬小説を、完全に理解するのは不可能だと。とはいえあたしは別に、周作の硬小説を理解するために信仰を持っていた訳ではない。両親が牧師夫妻だったから、自動的に信仰を持っただけだ。

 しかし自動的に持った信仰とはいえ、必死だった。あたしは熱心な信者だったのだ。誰に勧められもしなかったのに、将来宣教師になろうと本気で考えた。それもなるべく伝道が困難な国に、種をまきに行きたいと希望した。

 あたしは熱心だったがゆえに、信仰を捨てたと言える。物心ついた頃から、一分一秒でも神の存在を忘れまいと決意し、聖書を熟読していたがゆえに、あたしはキリスト教の限界を見たのだ。

 それほど熱烈に信仰していた宗教を、自分が捨て去る予感に、あたしはわなないた。だから周作の硬小説の代表である『沈黙』は、あたしにとって恐怖だった。あの作品は、信仰に燃える一人の男が棄教に至るまでが描かれているからだ。

 ちょうどキリスト教への信仰が揺らぎ始めていた十代の時期に、『沈黙』に出会ってしまったあたしは苦悩した。こんな時に、こんな作品を読んでしまったら、つられて信仰を、捨ててしまいそうだった。だからといって『沈黙』を禁書にするのも卑怯な気がした。『沈黙』を封じなければ守れないような信仰は、偽りだと思った。

 だから敢えて挑戦するために、『沈黙』を読んだ。そして数ページで放り出しては自分を責めた。それを繰り返し、『沈黙』を読破した時、あたしは憔悴していた。信仰を捨てたくてたまらず気が狂いそうになった。悪魔の誘いに乗ってしまったのだと震えた。

 あたしが実際に信仰を捨てたのはその三年後、二十歳の時だ。実際のあたしの棄教に、『沈黙』の影響があったのか、その時はよく分からなかった。そして寺井さんと対峙した時も、よく分かっていなかった。あたしはその後『沈黙』を再読しなかったからだ。

 もう信仰を捨てたのだから、構わず再読すればよかったのだが、できなかった。『沈黙』の背表紙が視界に入ると、あの苦しい読書体験を思い出して動悸がした。だからあたしは、周作作品の中では軽小説を好んだ。

 そんなに苦しい作家なら、無視してしまえばいいのに、できなかったからだ。周作はあたしにとってそういう作家だった。

 それを、言葉を尽くして説明したのに、寺井さんは分かってくれなかった。信仰など持っていなくても、周作の硬小説は理解できると寺井さんは言い張った。その頑固さ高慢さは、キリスト教で非難される罪であるというのに。

 あたしは気が遠くなりそうになった。周作研究家ならいざ知らず、寺井さんは普通の日本人なのだ。ただちょっと性格が悪いだけの、普通の日本人なのだ。だったらなぜ、周作の話題だけはあたしに譲らないのか、訳が分からなかった。

 今なら寺井さんの気持ちが分かる。寺井さんはただ、インテリだと褒めてもらいたかったのだ。それなのに自分の愛読書の分野で、遊びの女が自分より知識があったので、面白くなかったのだ。

 しかしあたしはあの時、寺井さんを分かってやらなければならなかったのだろうか。遊びの女として馬鹿にされたままで。

 あたしの中で何かが冷めた。馬鹿みたいだと思った。若者の活字離れが叫ばれる現代にありながら、周作という、今時流行らない作家の小説を読んだという共通点を持ちながら、それを生かせない現状を、馬鹿みたいだと思った。こういうのを相性の悪さというのだろうと。

 せっかくつかんだセックスフレンドとの、相性が悪い。

 その事実を受け止められなかったあたしは、翌日寺井さんに、電話をかけた。とにかく不安なのとあたしは訴えた。そこで慰めてもらえればそれでよかった。そうしたら寺井さんを許そうと思った。

 ところが寺井さんは

「可哀想だと思うけど、ここで君の元へ駆けつけることが、本当の優しさだとは思わない」

 と言った。

 別に来て欲しくはなかったのに、そんなことを言われてしまったので、寺井さんの不在が鼻についた。それに言葉の真意も分かっていた。「本当の優しさ」などと、理屈っぽいことを言ってかっこつけているが、単に面倒臭いだけなのだ。

 だがあたしは、すぐに寺井さんを切ることができなかった。それは寺井さんが、ただのセックスフレンドだったからだ。

 寺井さんの性格が悪いことは、最初から分かっていたことではないかと思った。だから交際を望まず、セックスフレンドになったのではないかと。セックスフレンドには、セックスだけを望めばいい気がした。そして寺井さんのセックスはよかった。性格が悪く、あたしを愛してもいない男に抱かれることは、ぞくぞくした。

 相性が悪かったから、会社で口論をしたこともある。あたしが取った電話で、契約を打ち切るから支店長に伝えろと言われ、電話を切られそうになったことが原因だった。何度か相手の名前を尋ねたのだが、なかなか名乗らなかったのだ。

 困り果て保留にして、寺井さんに相談したら

「『お名前を、お名前を』ってそんなに何度も聞いて、君おかしくないか」

 と捨て台詞を吐かれた。

 言われた意味が、分からなかった。結局電話を代わった寺井さんも、相手にしつこく名前を尋ねたからだ。相手の名前が分からなければ、支店長に伝言できないのだから当然だ。

 ようやく名前を聞き出す寺井さんの応対を伺いながら、あたしは腹を立てた。だが文句を言うのはやめようと思った。寺井さんはおそらく何かを勘違いしたのだ。実際に客と対峙したのだから、誤解は解けただろうと期待した。

 電話を切った寺井さんに、あたしは努めて可愛らしい口調で

「寺井さんだって、やっぱり名前聞いたでしょ」

 と尋ねた。「ギュッとして」と同じくらい可愛らしい声が出た。上手くいったと思った。その言葉で、仲間意識を表したつもりだった。ところが寺井さんは激怒した。

 訳の分からない客の対応で苛立っていたゆえの、八つ当たりだった。寺井さんは性格が悪いから、それくらいのことは驚くに当たらない。それなのにあたしは、そういったことにいちいち驚き傷ついた。

 そんなに傷つくのなら、さっさと関係を切ってしまえばよかったのに、あたしは癒しをベッドに求めた。昼間、会社であれだけ横暴な男が、夜はベッドであまりにも卑猥なことにあたしは興奮した。あたしは滝川と付き合っていた頃と、何も変わっていなかった。ろくでなしと交わることに、どうしようもなく陶酔した。

 同じ職場の男とふしだらな関係になったのは初めてだったから、それだけでスリリングだった。だからそれでいい気がした。

 ところが、ある日、あたしのアパートから帰る寺井さんを見送ろうと、駐車場まで出ると、あの子猫があたしの元へ寄って来た。あたしは子猫を抱き上げ撫でてやると、隣にいた寺井さんに、子猫を渡そうとした。すると子猫が、「みゃあ」と抗議し爪を立ててあたしにすがりついた。

「なついてるねえ」

 感心したように寺井さんが言った。いや違うと思った。あたしは子猫が、寺井さんを嫌がっていることを知った。

 ふと滝川と別れた日、彼がこの子猫を「触らなかった」と言ったことを思い出した。そうではない。触ることができなかったのだと気付いた。

 あたしは寺井さんを、切ろうと決意した。






関係を解消したいと申し出ると、寺井さんは、会社で口をきいてくれなくなった。あたしは迂闊にも驚いた。寺井さんは元から人格者ではなかったのだから、そんな態度は驚くには当たらない。それなのにまたしても驚いてしまった。それは寺井さんにとって、あたしは大切な女ではないと、理解していたからだ。

 あたしは思い違いをしていた。大切ではない遊びの女が離れていこうと、寺井さんにとっては、たいしたことではないと思い込んでいた。しかし大切かどうかなどということは、どうでもいいことだった。寺井さんはプライドが損なわれたので反撃に出たのだ。あたしはプライドが低いため、分からなかったのだ。

 この事実に、あたしはなかなか気付けなかった。なぜ寺井さんは大人気ないことをするのかと、ただうろたえた。うろたえている間に仕事がやり辛くなった。

 そうしている内に、子猫があたしの前から姿を消した。

 子猫との仲が永遠だなどと、夢を見ていた訳ではない。しかし十七年のブランクを経て、仲良くなった初めての猫だったのだ。あたしは大いに落ち込んだ。どうしてこのタイミングなのだろうと思った。せめてあと一ヶ月、いや半月待って欲しかった。

 子猫自身がいなくなってしまったのか、単にあたしに飽きたのか分からなかった。あたしは自分を慰めるために、子猫は大人になったのだと思い込むことにした。茅野君の言ったように、成長に伴い人間に興味を示さなくなったのだと。

 しかしそれはそれで悲しい話だった。傷心の今こそ、あの子猫に慰めて欲しかったのに、いなくなってしまうなんて。

 二十一歳の頃にかかったうつ病が、悪化したのを感じた。四年前に会社でのセクハラが原因で発症したその病気は、会社を移ったことによって治まったはずだった。それなのにまた、男が原因で再発してしまうとは。あたしは頭を抱えた。

 そして頭の片隅では、いやもしかしたら、子猫が原因かも知れないと考えた。どちらであっても困りものだった。

 男が原因だとする。前回は防ぎようのないセクハラだったが、今回は自分から仕掛けてしまった。一体何をやっているのだという話になる。

 猫が原因だとする。猫の危険性を八歳にして察知し、注意深く避けていたものの、この期に及んで猫を生活に取り入れてしまい、そして案の定去られて、精神の均衡を崩すとは何たることか。それも飼っていた訳でもない猫に去られたからといって、という話になる。

 どちらのケースも認めがたかった。どちらにしろ、後悔と自己嫌悪と自己否定の嵐だった。嵐がうつを悪化させた。夜眠れなくなった。睡眠不足が続き常に風邪をひき頭痛がするようになった。バファリンを日に六錠飲まねばならないほど、体が疲弊した。それでも夜眠れなかった。

 明け方になると、ようやく寝入ることができるのだが、そうすると今度は起きるのが苦痛だった。不眠症と過眠症を併発していたからだ。あたしは寝つきの悪い過眠症だったのだ。

 日を追うごとに睡眠不足がかさみ、肉体的苦痛はいや増した。うつでただでさえ判断力が低下しているのに、睡眠不足と風邪と鎮痛剤でますます判断力が低下し、仕事ができなくなった。オマンマの食い上げだ。

 いやそれ以前に、生きているのが嫌になった。ここまで苦しみながら、なぜ生きていなければならないのか分からなくなった。

 死なずにすんだのは、意外なことに滝川のおかげだった。あたしは滝川に連絡を取ったのだ。そして寺井さんのことを愚痴った。どうもあたしは、男とトラブルを起こすと、前の男に連絡を取る癖があるようだ。すると茅野君同様、滝川もアパートへやって来た。ただ茅野君と滝川では動機が違う。

 茅野君は優しさゆえ、遠路はるばるアパートまでやって来た。もちろん肉欲もあった訳だが、基本的に優しい男だ。一方、滝川を突き動かしたのは、肉欲ももちろんのことながら所有欲の名残だ。滝川はあたしから寺井さんの電話番号を聞きだすと、電話をかけ、呼び出したのだ。

 全く出向く必要は無かったのに、寺井さんはのこのことやって来た。おそらく怖かったのだろう。自分のことを羊の心臓だと称していたこともあるくらいだから。

 うなだれる寺井さんに滝川は説教をした。

「この子がすごく純粋な子だってことは、分かってて関わったんじゃないの?」等と。

 あたしは何となく、馬鹿馬鹿しくなった。あたしを殴っていた男が、あたしに手を上げなかった寺井さんに注意をすることが、馬鹿馬鹿しかった。

 がっくりと肩を落とし、帰って行く寺井さんを見ていたら、色んなことが馬鹿馬鹿しくなった。そして死ぬのも、馬鹿馬鹿しくなった。

 別に寺井さんを見送った後、滝川に、地上の天国へ連れて行ってもらったからではない。いや連れて行ってはもらったが、そんなことはどうでもよかった。あたしは全てが、どうでもよくなってしまったのだ。

 その翌日、あたしは会社を辞めて実家へ帰った。






 母の作った食事を平らげ、実家の布団で、一気に三十六時間ほど眠った。目覚めたあたしは早速アパートへ帰りたくなった。うつ病が治った訳ではない。うつ病はそんなに素早く治る病気ではない。ただ久しぶりに、人が用意した食事を食べ、目覚ましに起こされずに眠ってみたら、ほんの少しだけ元気になったのだ。

 ほんの少ししかよくなっていないなら、まだ安静は必要だ。しかしあたしは早くアパートへ戻りたかった。うつ病を治すには、不適切な環境だったからだ。両親が訳の分からない宗教に、はまっていたのだ。

 前述した通り両親は牧師夫妻だった。しかしこの頃には、不祥事を起こし元いた教会を追われ、訳の分からない宗教にはまっていた。いやその説明は、正確ではない。両親は訳の分からない宗教に出会い傾倒してしまったため、それを教団本部に不祥事と見なされ、教会を追われたのだ。

 両親が訳の分からない宗教に出会ってしまった瞬間を、あたしも見届けている。あれはあたしが小学五年生の時だった。礼拝の最中に一人の男性信者が、突然意味不明の何かを口走り始めたのだ。

それを両親は

「異言の御霊だ」

 と喜んだ。「異言」とは早い話が外国語のことだ。新約聖書の使途行伝に、信徒に「異言の御霊」が宿る描写がある。信者の意味不明な物言いを、両親はそういった奇跡の一つと捉えたらしかった。

 実際に見聞きしたあたしに言わせれば、正直よく分からない。あれは、ヘブライ語やらラテン語やらといった言語だったという話だが、そんな言語を聞いたことがないのだから判断しようがない。ただ、わざとやっているのだとは考えにくかった。

 それは信者の人柄を知っていたからだ。彼は確か、二十歳そこそこの青年だったように記憶している。気が弱く、学歴は低いが人当たりのいい平凡な青年だった。そんな青年が、自分に聖霊が宿ったかのような演技をしたとは考えにくかった。しかもその現象は、短期間に何十回も起こったのだ。

 全てではないが、かなりの回数あたしは目撃した。二度目か三度目の時に、別の信者が触発されてしまったのも目撃した。

「解き明かしの霊が宿った」

 と言い出す信者が現れたのだ。

 つまり最初の信者は、異言の御霊の恩寵だけあって、発言が意味不明なので、それを解き明かす役割の者が現れたのだ。

 解き明かしの霊が宿ったと自認する者は、二人ほど現れたような気がする。そして異言の内容が解き明かされた。天国が近づいたのでリバイバルを起こせというのだ。分かり易く言うと、最後の審判の時が近づいたので、一人でも多くの人を天国に入れられるよう、布教しろということだ。

 別に目新しくも何ともなかった。そういったことは、二千年も前に新約聖書に書かれているからだ。しかし噂が噂を呼んで、うちの教会は人々が詰めかけた。

 あたしは冷めていた。皆、不思議現象が好きだなと思った。熱心な信者だったのに、なぜそんな反応なのかと思われるかも知れないが熱心な信者だったからこそだ。

 キリストが水をワインに変えたとか、死者をよみがえらせたとかいう記述から、一般的な日本人は、キリスト教を奇跡の宗教ととらえている傾向があるが、あたしは奇跡には興味が無かった。奇跡は本当にあったか否かの議論がなされることもあるが、あたしはどちらでもいいことだと思う。

 そんなことより大切なのは、何が真理かとか愛とは何かとか、許しの大切さとか、そういったことのように思う。あたしはその観点でキリスト教を信じていた。聖書の矛盾その他から、信仰を捨てはしたが、今でもあたしは、もし真実の宗教があるとしたら真理や愛や許しが大切だと考える。

 そしてあたしのその考えは、間違ったものではなかったようだ。当時両親が所属していた教団の本部も、奇跡を認めていなかったからだ。

 当然のことだと思う。不思議現象なら何でもいいという考えでは、悪魔に魅入られてしまうからだ。キリスト教では悪魔の存在を認めているし悪魔が不思議な業を行うことも認めている。だから不思議現象が起きたからといって、色めきたつことは、クリスチャン失格だった。それなのにあたしの両親ははしゃいでいた。

 事態が急変したのは、異言を話す信者が預言者を名乗り、新たな教会を立ち上げた時だ。教会の信者を、ごっそり持っていかれたのだ。

 両親は打ちひしがれていたが、あたしはようやく、これで平和になったと安堵した。まだ信仰を持っていた頃だったから、変化に動じることもなく、聖書研究に余念が無かった。

 しかし高校生になっていたので、ぼちぼち聖書に、矛盾を感じ始めていた。とはいえ、イスカリオテのユダの存在が無ければキリストの救いは完成しないのに、なぜユダが裏切り者呼ばわりされているのか、と太宰治のように高度なことに気付いた訳ではない。

 あたしが気付いたことはもっと単純だった。

「ねえ、イスカリオテのユダは、首つりで死んだって書いてあるとこと、飛び降りで死んだって書いてあるとこあるけど何で? 聖書には真実が書いてあるんでしょ。どうして矛盾してるの?」

 無邪気に尋ねるあたしに、父は

「うるさい。だったらお前は仏教徒になれ」

 と叫んだ。おそらくそれどころではなかったのだろう。信者をごっそり持っていかれるとは、牧師としての資質が問われる。

 いや教団から、注意を受けた時点で、とっくに資質は問われていたのだが、父はそう思っていなかった。おめでたい父は期待していたのだ。自分が牧師を務める教会で起きた奇跡によって、人々が群がったことに。このまま教会が発展していくのだと夢を見たのだ。

 それなのに目論見が外れ苛立った父は、あたしに八つ当たりをした。何だか寺井さんに似ている。これが牧師の言葉かと、あたしは呆れた。そして質問すら許されないなら、信仰を持つということは、何と馬鹿馬鹿しいことだろうと、あたしは感じた。

 その後実家を離れ、あたしは信仰を捨てたのだが、その後に両親は教団を抜けた。それは信者をごっそり持っていった預言者が両親を誘ったからだ。にっちもさっちもいかなくなっていた両親は、その怪しげな教会へ移った。

 眉唾だとは思っていたが、あたしは興味が湧いた。十一年前に突然うちの教会で誕生した、訳の分からない宗教が、どのように変化したのか興味があった。そこで両親の通う集会について行った。

 教会というくらいだから、てっきりそれらしき建物で行われるのかと思っていたのに、会場は預言者の実家だった。古臭い普通の民家だ。そんな民家に大勢の人間は入れないが心配はいらなかった。信者は十人もいなかったからだ。

 奇跡が起こった時に、押し寄せた人々が消え去ったことには驚かなかった。不思議現象というものが、長く人の心をとらえないことをあたしは知っていた。

 さっきから冷めたことばかりを言っているが、あたしは別に、不思議現象というものを、嘘だとか、つくられたものだと言っている訳ではない。たいして頭のよくない男が、何かに取り付かれたようになって、意味不明なことを口走る様子を何十回も見たのだ。あれが演技だとはとても思えない。

 あれは、精神病の一種だと思う。うつ病ではあんなことにはならないし、統合失調症にしては冷静だったから、何か他の病気なのではないだろうか。そうでなければ何かの霊という気がする。ただそれがよい霊とは限らない。よい霊ではないのなら、あたしはどうでもよかったのだ。

 最初は不思議現象に夢中になってしまう人も、精神病もしくは下等な霊に取り付かれている人間のことなど、やがて、どうでもよくなってしまうのだろう。そのため「奇跡」以降にやって来た人々が消えていただけでなく、引き抜かれた信者たちも、何人か消えていた。

 後で聞いたところによると、ある女信者は、皆の借金を踏み倒して消えていた。あたしは「奇跡」の直後を回想した。

 あの時「預言者」の異言を聞いた解き明かし担当者が

「これから四十日連続で集会を開きなさい。その集会で、皆をふるいにかけます」

 と言い出した。あたしは馬鹿馬鹿しくて出なかった。発言が矛盾していたからだ。

 最初は、天国が近づいたからリバイバルを起こせと、信者を増やそうと言っていたのに、なぜふるいにかけるのだ。減ってしまうではないかと思った。ところが大人たちは、顔色を変え、ふらふらしながら通い詰めていた。

 集会は夜行われたが、仕事と家庭を持った大人たちが、突然四十日連続集会を強制されるとは、さぞかし大変だっただろうと思う。

 実はあたしは、興味本位で一日だけ参加したことがある。その時大人たちの疲労はピークに達し、皆が悲観的なことを口にした。彼らは地獄へ堕ちるのが怖かったからだ。これまでは週に一度、礼拝に参加し、それなりに善行を積んでおけば、天国に行けると思い込んでいたのに、突然苦行が始まったからだ。

すると「預言者」と、解き明かし担当者たちが

「悲しんではいけない。『いつも喜んでいなさい』とイエスは言われた」

 と言い出した。

 そしてあろうことか、皆を笑わせるために

「幸福を呼ぶ招き猫」

 と招き猫のポーズを取って、にゃあにゃあ言い出した。

 ふるいにかけられた方がまともなんじゃないかと、この時、あたしは思った。そして借金踏み倒し女信者は、ふるいにかけられなかった。かけられなかったからこそ、「預言者」と共に新しい教会へ行き、借金をしまくることができたのだ。

 あたしは、会場に集まった十人足らずの信者たちの顔を見渡した。彼らがなぜ、目を覚まさないのか不思議だった。それでも幸いなことに数は減っていた。解き明かし担当者の二人も消えていた。そのせいか「預言者」は、日本語で予言をしていた。日本語で予言ができるなら、最初からそうすればいいのにとあたしは思った。

 おそらく最初は、異言にした方が、不思議現象な感じが強まるので異言だったんだろうなと思った。こうなってくると、精神病というより悪魔の仕業という気がした。だからだろうか。キリスト教系のはずなのに、聖書も賛美歌も使われなかった。皆はただ、「預言者」がつぶやく予言を、ひたすらノートにとっていた。

 東京に災いが起こるから、いつまでとは言わないが、決して足を踏み入れてはならないとか、とにかくどこかで、冬に災いが起こるとか、ロシアとアメリカが戦争をするとか、そしてロシアが勝つとか、どこそこのメーカーのシャンプーが危ないとかいう予言が真実だと、何の根拠かは知らないが、皆は信じていた。

 帰宅したあたしは冷静に考えた。「冬」などという長いスパンでいいのなら、そりゃあどこかで災いは起こるに決まっている。それのどこが予言なのか。大小を問わないなら、東京に何らかの災いが起きるなど誰にでも言えることだ。それのどこが予言なのか。

 そういったことを、両親と同じ宗教に属していた妹に尋ねようとした。ところが彼女はあたしたちと一緒に家に帰らなかった。彼女は朝の五時まで帰って来なかった。「預言者」に護身術を教わっていたというのだ。本当に妹が身を護りたいのかどうか、あたしにはさっぱり分からなくなった。

 そんな時間に、護身術を習うなど異常だと、あたしは言ってやるべきだったのだろうか。あたしはただその時全てが虚しくなった。責めないで欲しい。あたしはうつ病だったのだ。とっくに壊れていた家族を、どうこうする気力が湧かなかった。

 実家では黒猫を飼っていた。父は犬好きの振りをした猫好きだったからだ。父は猫を危険視しながら猫を愛していたのだ。

 不吉な黒猫。のっぺりしていた。あたしはクロと呼ばれるその猫に、たいして愛着を覚えなかった。それなのにあろうことかクロはあたしに懐いてしまった。それはあたしの寝つきが、相変わらず悪かったからだ。

 真夜中に、漆黒の闇を突き破って響く猫の鳴き声。外を徘徊していたクロが開けてくれと鳴く。玄関を開けてくれと。最初に気付くのはいつもあたし。あたしだけが起きていたからだ。あたしが真っ先に、玄関を開けてやるものだから、クロはあたしに懐いてしまった。

 馬鹿な猫め。あたしは別に、お前が可愛いから開けてやる訳ではないのだ。たまたま起きているから開けてやるだけなのだ。それを知らずにあたしに懐くクロ。

 馬鹿な奴だと思うのに愛しい。

 クロは妊娠していた。そのせいか情緒不安定なところがあって、普段はクールなくせに、寂しいと執拗なまでに甘えてきた。

 ある時あたしが寝入っていると、クロの鳴き声がした。不眠症を患う中、ようやく眠りにつくことができたあたしは、無視して眠り続けた。クロが家の中にいることは分かっていたからだ。外で締め出され鳴いているのなら可哀想だが、家の中で鳴いている分には、放っておけばいいと思った。

 するとクロは、鳴きながらこちらに近づき、あたしの耳元で鳴き続けた。そんなことをされたら寝られたものではない。仕方なくあたしは上体を起こし

「どうしたの。どこか開けて欲しいの?」

 と尋ねた。

 しかしクロはどこの扉も指し示さず、真っ黒な瞳で、あたしをじっと見詰めていた。

「何、どうしたの」

 尋ねながらあたしはクロを撫でた。するとクロは、のどをゴロゴロ鳴らし眠ってしまった。つまりクロは、構われながら眠りたくなったので、寝ていたあたしを起こしたのだ。

 それが不眠症の人間にとる態度か! あたしは怒りに駆られたが、寝入ったクロを起こして、文句を言う訳にもいかない。仕方なくハルシオンをビールで流し込んだ。

 本当はそんなことをしてはいけないのだ。睡眠薬は水かぬるま湯で飲まなければいけないのだ。医者に大目玉を食らうようなことをしてしまい、あたしはかえって滅入った。

 その後ようやく眠りについたが、いつまでも寝てはいられなかった。遅く寝入ったからといって目覚めの時刻まで遅らせたら、今宵の睡眠に差し障るからだ。暴力的なまでに凄まじい睡魔にふらつきながら、あたしはかろうじてまぶたを開けた。

 とっくに起きたらしいクロの鳴き声が、廊下から聞こえた。障子に穴が開いているのでそれがよく聞こえた。この穴は、塞いだ方がいいのにと思った。

 すると、ぼすっという音と共に、クロがその穴の向こうから飛び込んで来た。あたしはぎょっとした。まるでギャグ漫画みたいに、クロが通り抜けた穴が、猫の輪郭になっている。

 自ら障子を破くと怒られるので控えているが、どうもクロは、すでに穴が空いている所は、通っていいと解釈しているようだ。そういう考え方はずるくないだろうか。

 先ほどあたしを起こし、その後さっさと寝てしまったことなど忘れた顔で、クロはあたしに向かってみゃあみゃあ鳴いた。また甘えさせろという気か。呆れたあたしは

「クロ、あのさあ。ちょっと話あるんだけど」

 と切り出した。

 猫にこんなことを言っても、伝わるとは思っていなかったが、何か言ってやらなければ、気が済まなかった。

「障子に穴空けちゃいけないこと知ってるでしょ。それは別に、空いてる所は、通っていいって意味じゃないんだよ」

 クロはむくれたような顔をした。そんなの別にいいじゃん、と言われた気がした。

「クロ、まさか分かっててやってるの? だったら改めた方がいいよ。てゆうかあんたちょっと勝手なとこあるよ。さっきあたしにしたこと覚えてる? あたしがせっかく寝てたのに、わざわざ耳元に来てあたしのこと起こしたよね?」

 するとクロは、嫌な顔をしてまた障子を飛び抜けて行った。

クロが通り抜けていった猫型の障子の穴を眺めながらあたしは、そうか、猫は人語を解するんだったな、と思い出した。






 あたしが父を愛していたのも、クロを愛していた心と同じ動きだったのだろうか。愚かで身勝手な存在を愛するのと、同じ心境だったのだろうか。

 父はどうしようもない人だった。あんな訳の分からない宗教に入れあげていたのだから、今更言うまでもないことだが、他にもどうしようもないエピソードが、色々あった。あたしが物心ついた時から、週に一度は暴れて家中の物を破壊していたのだ。

 あたしは父が怖くて、いつも顔色を伺っていた。あたしがうつ病になった理由の一つだ。もう家を出ていたのに、あたしは父のせいでうつ病になった。

 だから本当は実家へ帰りたくなかった。家を出ても、こんなに父の影響から逃れられないなら、戻ってしまったら、どれだけ悪影響を受けるだろうと思った。

 それでも実家に帰った。仕事ができなくなったからだ。実家に帰らなければ、食べることができなかった。とはいえそこまでして食べなければならないのかは、よく分からなかった。そこまでして生きなければならないのか、よく分からなかった。

 よく分からなかったので、あたしはひとまず実家へ帰った。キリスト教の影響が残っていたからだ。キリスト教は、自殺を禁じているからだ。

 捨てた宗教なのに、教えが胸に残っていた。もしかしたら自ら命を絶つのは悪いことかも知れないと、あたしは思った。だからとりあえず実家に帰ってみた。とりあえず命をつないでみた。

 ある時父が愚痴り始めた。死後に報われるのでは遅いと。現世で報われたいと。あたしは呆れた。父は日本人の宗教観を事あるごとにご利益宗教だと非難していたからだ。

 ご利益宗教という批判は、長年キリスト教に慣れ親しんだあたしには理解できた。日本人の宗教観にはそぐわないかも知れないが、敢えて主張しよう。その宗教が真理か否かではなく、ご利益があるか否かという判断基準では、宗教として間違っている。

 なぜなら真実が、必ずしも自分に、利益をもたらすとは限らないからだ。いやむしろ真実を見つけることができたなら、それこそが利益だと考えられなくてはならないだろう。

 だからあたしはてっきり、父はそういった考えの元、日本人を馬鹿にしているのだと思い込んでいた。ところが突然父が、死後ではなく現世でと言い始めた。あたしは悟った。父は現世的利益の代わりに、来世的利益を求めていたに過ぎないと。こんな男がどうして日本人を馬鹿にできるだろう。

 これでは、一般的な日本人の方がマシだと思った。一般的な日本人は、無邪気にご利益を求めるからだ。決して父のように世間を馬鹿にしないからだ。高慢を罪として戒める宗教の牧師を務めながら、誰かを貶めるようなことをしないからだ。

 でもあたしはそこで父を非難しなかった。それはあたしが、長年キリスト教に親しんでいたからだ。罪の無い者から、まず石を持ち罪人を打ての逸話から分かるように、キリスト教の教えでは、人間は全て罪人なので、誰かを非難する権利が無いのだ。

 その考えは、プライドの低いあたしに非常に馴染んだ。だからあたしは長年信仰を捨てられなかった。信仰を捨ててもあたしは、罪人にまず理解を示そうと、努力してしまう傾向があった。

 だからあたしは、自己破産でジャンキーという反社会的な滝川と、なかなか離れられなかった。だからあたしは、性格の悪い寺井さんと、なかなか離れられなかった。だからあたしはこの時、弱い父を受け止めてやろうと思ってしまった。

 そこであたしは

「そう思ってしまうことも、全て神さまに言ったら?」

 と提案した。

「神さまだって、人間が弱い生き物だってこと、ご存知のはずでしょ? 今何がしかのご褒美が欲しいと、どうしても思ってしまいます。こんな自分を憐れんで下さいって言っていいんじゃないの」

 父が半笑いの表情を浮かべているものだから、あたしは自分の提案が、受け入れられたのだと思っていた。するとそこへクロが通りかかった。

「おお、クロ」

 父はクロを愛しげに抱き上げた。

 その時あたしは、自分が父にとって、黒猫一匹の価値も無いことを悟った。

 あたしが実家を飛び出したのは、その翌日のことだ。






 アパートに舞い戻ったあたしは、ホステスを始めた。歯の治療費が欲しかったのだ。

 二十六歳の誕生日を迎えた時点で、あたしには歯が二本無かった。虫歯の治療に行ったら、抜かれてしまったのだ。なぜならその二本は乳歯で、治療の仕様が無かったからだ。あたしは乳歯が二本、永久歯に生え変わっていなかった。

「戦時中の子供じゃあるまいし」

 と歯医者は呆れていた。歯医者曰く、子供の頃の栄養不足が原因で、あたしの歯は生え変わらなかったらしかった。

 あたしは特に驚きもしなかった。幼い頃、父の機嫌が悪ければ食事が供されなかったからだ。供されても量が足りず、あたしはいつでも腹を空かせていた。

 盗み食いはもちろんした。叱られた。平均身長、平均体重に満たなかったあたしが、空腹に耐えかねて食料を漁ると母が叱った。仕方なくあたしは、野山に出向き木の実で飢えをしのいだ。

 そんな育ち方をしていれば、歯の一本や二本生え変わらなくても無理は無い。しかし合点したからといって、歯が無くても大丈夫だということにはならない。

 ブリッジをしなければ、残った歯まで歪んでしまうと歯医者に脅されあたしは震えた。しかもそのブリッジの料金が高額だった。保険適用なら数千円だが、保険適用外なら数万円かかるというのだ。

 保険適用では銀歯になってしまうので、あたしはできれば、保険適用外にしたかった。だからホステスをすることにした。就職してから六年経っていたものの、うつ病の治療費に金を取られ、貯金ができなかったからだ。

 それに尻軽な外見を生かせる、いい機会だと思った。外見が尻軽だからと男に馬鹿にされた報いを、そろそろ得たくなったのだ。この外見を、飯の種にできれば、とりあえず納得できるような気がしたのだ。

 その職場であたしは(つもる)と知り合った。

 初めはただの客だと思っていた積を見る目が変わったのは、なめ猫の免許証だ。昔流行った「なめんなよ」の猫の免許証。暴走族のようないでたちをした猫のグッズだ。指名客がくれたそれを、あたしは各テーブルで見せびらかした。受けがよかったからだ。ところが積だけは反応が鈍かった。

「どうして? 積さん、猫嫌い?」

 尋ねるあたしに、「そんなことないけど」と積は答えた。猫が嫌いではないのなら、なぜそんな冷めた反応なのだと、あたしはイラついた。水商売というステージの上で、ノリの悪い客がうっとうしかった。

 再び積のテーブルに着いた時、あたしは酔っていた。そこで積に絡んで、なぜなめ猫に反応しないのだと問いただした。

 今考えれば理不尽極まりない話だが、積は答えてくれた。苦しげに

「なめ猫って、猫が虐待されてるんじゃないかって、動物愛護団体からクレームが入って、売れなくなったんだよね」

 とつぶやいたのだ。

「そうなの?」

「本当のところは知らない。なめ猫のスタッフは、みんな猫愛好家だったって話もあるし。でも虐待説を聞いちゃったから、それ以来、なめ猫グッズを見ると、やるせない気持ちになるんだ」

 変わった人だとあたしは驚いた。

 虐待説が正しかったと、世間的に認知されているなら分かる。そうだとしたら、なめ猫に拒否反応を示すのは人として自然だろう。しかし積は、なめ猫が動物虐待を連想させるからと、なめ猫に反応しなかったのだ。ブームが沈静化してから、もうすぐ三十年が経とうというのに、何という敏感さだろう。

 あたしは積の顔を盗み見た。柔和だが、口を開くと歯ぐきの目立つ、あまり見栄えのよくない顔立ちだった。あたしがこの手の顔立ちだったら、ノリをよくするだろうと思った。不細工だという欠点を緩和させ柔和な長所を生かすために、相手が提供した話題には、打てば響く反応を示すだろうと思った。

 それなのに積は、自分を人に受け入れてもらうことよりも、自分の気分に忠実だった。猫のようだと思った。

 興味が湧きあたしは

「猫飼ったことある?」

 と尋ねた。

「何匹も飼ったことあるよ」

 と積は答えた。

「子猫は二回拾ったことあってね。最近では、会社の駐車場に子猫がいっぱい捨てられてたから拾ったんだ。弱ってたから、動物病院に連れてったら、『入院させて点滴打てば、もしかして助かるかも知れないけど、確約はできないしお金もかかるから勧めない』って言われて。それでも入院させたんだけど、結局ほとんどの子が死んじゃって」

 悲しそうに積は説明した。会社帰りだという積の服装に、あたしは目をやった。工場の制服だという薄汚れた作業着には、油染みが付いていた。

 こんな男が、女を侍らして酒を飲んでいることが、妙な気分になってきた。会社の付き合いで来ていることは知っていたが、それでも妙な気分になってきた。

「二匹助かって、引き取ったんだけど甘えん坊でね。一匹にミルクやってる間に、もう一匹が構えって甘えるから、足で一匹をあやしながら、もう一匹にミルクやったんだ」

「やっ、可愛い……」

「でもその子たちもすぐ死んじゃって。その後会社行ったら、会社の女の子が、僕が猫拾ったの知ってたからさ、『あの猫たちどうなりました?』って聞かれたんだけど、答えられなくて泣いちゃったの」

 唖然としてあたしは黙り込んだ。大の男が、いくら飼い猫が死んだからといって、会社で泣いてしまったことにも仰天したし、それをこの場で易々と口にしたことにも、たまげていた。

 純粋なのかも知れないが、変な男だと思った。そんな話はあたしだからよかったが、よそで口にしたら煙たがられるだけだ。

 自分の妙な面を、気負わず表した積が、あたしは心に引っかかった。勤務中は一晩に何十人もの男に接するので、普段は一人一人をいちいち記憶したりしないのに、積の存在は、あたしに引っかかった。

 好意を持つには取っかかりが必要だ。最初あたしは、積が変わり者なので心に引っかかっているのだと思っていた。いや実際に、そうだったのだろう。ただ積を心に引っかけていたら、その内恋情が生まれてしまった。積は店に来ることが多かったからだ。

 初めの内は会社の人たちと来ていたが、その内、一人で来店するようになった。どうやら積はあたしを気に入ったらしかった。

 ある時指名され、積のテーブルに着いていた時、あたしはふと尋ねた。犬と猫のどちらが好きかと。積は悩んだ挙句、犬だと答えた。悩むくらいだから積は、結局どちらも好きなようだった。

「でも犬は、二回しか飼ったことないんだよね? 猫は何回も飼ったのに」

 尋ねると、積は

「だって捨て犬は、見かけたことがないから」

 と唇を尖らせた。

 どうやら積は、捨て猫に遭遇してしまうので、行きがかり上何匹も飼ってしまったらしかった。どちらかといえば、犬の方が好みなのに、捨て猫に遭遇してしまうばっかりに、猫を何匹も飼育してきた積。繊細で優しくて損な人なのだなと思った。愛しさを感じた。

 後日あたしから、電話で好きだと告げた。別に冷静に計算した訳じゃない。捨て猫を無視できない男なら、女からの告白も無視できないだろうなどと、策略を巡らした訳じゃない。繊細で優しくて損な性格の積を、あたしは大好きになってしまったのだ。






 積が受け入れてくれたので、あたしたちは付き合い始めた。そうしたらすぐに結婚話が浮上した。あたしが結婚をねだったからだ。

 言い訳をすれば、あたしは本気ではなかった。愚痴のつもりだった。うつ病が完治していなかったあたしは仕事が辛かったのだ。水商売だから辛かったのかどうかは分からない。ただあたしは、とにかく休みたかった。

 だから愚痴のつもりで、ある時

「もう仕事辞めたい。結婚しようよ」

 と言った。そしたら本当に結婚することになってしまったのだ。

 いいのだろうかと当初は惑った。でも別にこれでいい気がした。捨て猫を放置できない男と結婚したら、新居が猫だらけになってしまう危惧もあったが、積はそんなことはしないと約束した。

 我が家には、みゅうみゅうという猫がいるのだから、まずその猫を大事にしなければならない。みゅうみゅう一匹で手一杯だから、他の猫はもらってこないと、積は約束した。

 みゅうみゅう。あたしたちが猫を飼っていた訳ではない。積があたしをそう呼んでいたのだ。それはあたしが二人きりの時に、ふざけてみゅうみゅう鳴いていたからだ。

 積の前で、猫の振りをすることは楽しかった。あたしは生まれ変わったら、猫になりたいと思っていたからだ。

 可愛らしい姿。可憐な鳴き声。気分屋でワガママな性格を許される存在。

 猫はあたしの理想だった。そんな魅力的で、気楽な存在になってみたかった。猫好きな父へのコンプレックスだと、思ってもらっても構わない。嫌いだ嫌いだと言いながら、父を憎みきれないのだと邪推されても結構だ。

 そんなことはどうでもよかった。あたしはとにかく、猫のように生きたかった。それで猫に甘い積の前で猫の真似事をしてみたら、喜ばれたのだ。

「みゅうみゅうには、女の子の可愛さと、ペットの可愛さがあるからいいね」

 と積はあたしを抱きしめた。

 ああこれで、生まれ変わらなくても猫になれたと、あたしは満足した。どうあがいてもこちらを愛してくれない父母のことなど、どうでもよかった。気ままに過ごしながら可愛がって欲しかった。だからあたしは、積と結婚したかった。

 しかしどうでもいいとはいっても、とりあえず結婚するなら、両親に報告しなければならないと、あたしは考えた。それが一般的な処し方だからだ。そこであたしは両親に事前に電話を入れ、積を連れて実家へ帰った。ところが父の姿が無かった。聞くところによると、父は結婚に反対なので積に会いたくなかったらしい。

 理由はよく分からなかった。よく分からないまま、こちらに戻ってからかけた電話で、母に確かめると

「こんな大変な時代に、結婚をするなんて」

と言われた。

「大変な時代」というのが、何を指すのか分からなかった。不況のことかも知れないし、離婚率の高さのことかも知れないし、年金のことかも知れないし、何もかものことかも知れない。ただあたしはそれを理解する努力をしなかった。

 それは、大変な時代だから結婚をするべきではないという論理に納得しかねたからだ。なるほど今は大変な時代かも知れない。しかし過去は、もっと大変な時代ではなかっただろうか。

 例えば戦時下の日本は、今よりもっと、大変ではなかっただろうか。どんな大変な時代にあっても人類は結婚をしてきた。それなのになぜ、大変な時代だから結婚をするなと言われたのか、分からなかった。

 あたしは理解する努力もしたくもなかった。そういったことは、理解させたいと思う側が、言葉を尽くすべきだと思った。

「大変な時代だからこそ、結婚して助け合うんでしょ」

 と言うあたしに、母は

「一人なら、どこへだって潜り込める」

 と反論した。潜り込む? 言いたいことが分からなかった。それこそあたしは、一人だから積の元へ潜り込めるのだ。人はどこかへ潜り込める現状を維持するために、一生、一人でいるべきだと母は言いたいのだろうか。

 そんなに独身が素敵だと思うなら、お母さんたちが離婚して、独身に戻ればいいのに、と言ってみようか。とは思ったが黙っていた。すると母が、「セックスね」と言い始めた。

「うちの教会にもいるのよ。男女の仲になっちゃった信徒さん。あれはセックスに狂ってるんだってみんなが噂してる。いい? 恋愛に夢中になるとみんなが、セックスに狂ってるんだって思うのよ。そういう風に思うのよ」

 失礼な、とあたしは思った。なぜなら積のセックスは、たいしてよくなかったからだ。いや問題はそんなことではない。あたしはただ結婚をしたいと思い、両親に報告しただけなのだ。相手は猫に甘いがまっとうな普通の男だ。それなのになぜ、いちゃもんをつけられなければならないのか。

 そこであたしは

「じゃあお母さんは、恋愛する全ての男女は、セックスに狂ってるって言いたいの」

 と尋ねた。

 だとしたら恋愛結婚だった両親も、セックスに狂って結婚したという結論になる。そんな結論はおぞましくて、あたしの好みではなかったが。

「だってね、お母さん心配なのよ」

 母はあたしの質問を無視して話し始めた。

「知り合いの娘さんでね、結婚したんだけど、相手の人と一緒に歩くのが恥ずかしいって、こだわってる人がいるの。性格のいい人だからって結婚したんだけど、やっぱり割り切れなかったのね」

「何? 積がかっこよくないって言いたい訳?」

「あ、今『かっこよくない』って言った? 言ったわね? やっぱりそう思ってるのね」

 勝ち誇ったような母の言葉に、あたしは怒り心頭に発した。何と性格の悪い女だろうか。

 こんな女と結託して、あたしの結婚を阻止しようとしている父にも同様の怒りを覚えた。彼らの目的がさっぱり分からなかった。いや彼らには目的などないのだ。彼らはただ、ひたすら愚かなだけなのだ。

 両親はいよいよ、おかしくなっているのだなと感じた。訳の分からない宗教にはまり、とうとう一般の人間と、話し合うこともできないほど、脳をやられてしまったのだ。

 切り時なのではないかと思った。

 それまでにも何度も、両親を切ろうと思ったことはあった。それなのにできなかった。感謝の記憶が何一つ無く、恨みしか無い相手なのにも関わらず、実の両親を切る決意ができなかった。家族というものを持たない一人ぼっちに、なってしまうことが怖かったからだ。

 でもこれからは違う。違うのではないかとあたしは期待した。積という新しい家族を得ることで、あたしは両親を、切ることができるのではないか。そう思った。






 あたしは積と結婚した。両親が反対していても、籍を入れることに何の障害も起こらないからだ。案の定、かかってきた電話で籍を入れたと告げると、母は口を閉ざした。もう入籍してしまったのなら何を言っても無駄だからだ。その母に、あたしは縁を切りたいと申し出た。

「もう、そんなこと言わないでぇー」

 母は感情的な声を出したが、あたしは受話器を置いた。

 程なくして妹から電話がかかってきた。その電話であたしは、クロが子供を生んだことを知った。近所に、クロにアプローチを仕掛けていたオス猫が、二匹いたのだが、クロは不細工な方のオス猫の子を産んだらしい。子供が不細工なオス猫そっくりなので、一目見て分かったとのことだ。

「何でよりのよって、不細工な方と仲良くしたんだろうって思って。お父さんは、『不細工な方が、この辺のボスだったんだろう』って言うんだけど」

 父が案外純情なことにあたしは驚いた。クロは両方とヤッて、たまたま不細工な方の子を生んだのだろうと、あたしは考えたからだ。

 自分の黒さに、軽くショックを受けていると、「それとさあ」と妹が両親の離婚を報告してきた。なぜそれを早く言わない? 受話器に食いつくあたしに、妹が理由を説明した。母が教会本部に不敬罪を働き、破門になったからということだった。

 具体的に、どういう不敬を働いたかということに、興味は湧かなかった。積との結婚を反対する際にもあんな失礼な物言いをし、いたずらにあたしを怒らせた母。そして結局、結婚を止められなかった母。

そんな女が、よそでも失礼を働いていたからといって、驚くには当たらなかった。その失礼さによって破門されようと、想像の範疇だ。

 しかしあたしは呆れた。二つの教会から破門されたということは、母がとてつもなく異常だということを意味する。二つ目の教会は、あたしから見ても異常だったが、異常な教会に破門されるような女は、どうしようもなく異常だ。

 しかもあたしが、積との結婚話を出して以来、反対するために母が、何度も電話をかけてきていたこともあたしの気に障った。その電話で母は、自分たちが離婚するつもりだとは、一切明かさなかったからだ。

 それだけ連絡を寄越していたのなら、離婚の予定を、打ち明けるべきだったのではないか。離婚の予定があった者たちが、それを隠して、人の結婚にケチをつけるとはどういうことか。そして離婚の決定を、自分たちの口で明かさないとは何たることか。

 一通りの怒りを伴った疑問を、あたしは笑った。こういった疑問は、まともな両親を相手にして初めて持つことを許される。そういう疑問が通用しない相手だからこそ、あたしは彼らを切って、積と家族になる決意をしたのではなかったか。

 後ろを振り向くまいと思った。あたしはただ、自分が選んだ結婚生活を全うしようと決意した。しかしそんな風に、しゃちこばってしまったのは誤りだっただろうか。あたしはただ、積の側で猫のように丸くなっていればよかったのか。いやそんな訳にはいかない。そんな訳にはいかなかった。

 結婚するのだから水商売はやめた。別に後悔は無かった。ただ家計を助けるために、何か新たに、仕事を探さなければならないだろうとは思った。思ったが気が乗らなかった。うつ病が完治していなかったからだ。

 仕事を探すのを、先延ばしにするために、あたしは節約しなければと気付いた。積一人の給料で食べるために節約しなければと。そう、人が生活する基本は食べることだ。

 最低限、食卓で用意されたメシを食うという生活を送ろうと、あたしは決意した。野山に出向いて、木の実で飢えをしのぐのではなく、食卓で用意されたメシを食うという生活を送ろうと。

 世渡りは下手だったが、積は真面目な性格だった。だから毎日会社に通った。積の稼いだカネであたしは日々メシを作った。メシを作って食べてさえいれば、命がつなげる。メシの種を稼いでメシを作り食べる。メシの種を稼いでメシを作り食べる。その繰り返し。

 違う。生活とはそれ以外のものでも成り立っている。だがこの頃あたしは、積が稼いだメシの種で、メシを作り食べることばかりを考えていた。それが頭から去らなかった。

 怖かったのだ。まともではない相手と分かっていたのに、両親に反対された結婚をしたことが。両親を切って、新たな人間関係へ進んだことが。

 失敗するのではないかと恐れた。自分も両親のように、離婚する羽目に陥るのではないかと。失敗を回避したかった。だから基本を重視したかった。最低限メシを食べようとした。少なくとも栄養不良で、歯が生え換わらないなんて事が起きないようにと。

 一年が経った頃、あたしの体重は十キロ増えていた。「結婚詐欺だ」と積に軽口を叩かれ、おかしなことにあたしは安堵した。つまり今後は、気を抜いても十キロ分は大丈夫なように思ったのだ。十キロ前もって栄養をつけたので、少しはサボってもいいように感じた。

 この解釈が間違っていることは分かっている。だがあたしが、メシ依存症から抜け出せたことは幸いだった。あたしは炊事ばかりにしゃかりきになることをやめた。スーパーに行く回数を減らし、掃除やアイロンがけに、時間を割くようになった。新メニューの挑戦回数を減らし、音楽をかけ家の中を居心地よくする工夫を始めた。

 ようやく普通のまともな暮らしが始まった。するとある日、母から電話がかかってきた。その電話であたしは父の死を知らされた。

 不思議な気分になった。妹に両親の離婚を知らされたものの、その日まで両親からは、何一つ報告が無かったからだ。まるで両親の離婚は無かったことで、二人が結婚生活を送っていた中で、父が突然死んだような気になった。だから葬式に来いという母のセリフが、まともなものであるかのように錯覚した。

 しかし聞き流す訳にはいかない。妹からの情報によると、離縁された母は、県外の実家に帰っていたはずなのだ。それなのにまるで喪主のようにあたしを葬式に呼ぶとは、どういうことか。

 今どこにいるのかと尋ねると、父が死んだ病院だと母は答えた。そして葬式の準備を忙しがりつつ、いつ帰って来るのかと、口早に尋ねた。

「だってお母さん、お父さんと離婚したんだよね」

「そうは言ったって、そういうあれじゃないのよ」

 そういうあれとは何かと、尋ねようとしたがやめた。そういう質問を母に投げることも含めて、両親と関わることをやめるため、あたしは一年前に両親と縁を切ったからだ。

 その決意は、父が死んだからといって変わりはしない。むしろ父が死んだのなら望んでももう関われないのだ。だとしたら尚更、関わる必要は無いではないか。

 葬式には出ないと言い張ると、母が電話口で騒いだ。

「あなたね、縁切ったからって思ってるんだろうけど、そういうもんじゃない。お母さんだってね、お父さんと離婚して一度は実家へ帰った身だけどね、やっぱ人の死っていうのは厳粛なものでね、そんな、生きてる時に縁切ったからとか、そんなことは通用しないのよ」

 何が言いたいのか分からず、あたしはイライラした。あたしと意見が違ってもいい。考えが違ってもいい。だがなぜそれを相手の身になって、はっきり分かり易く言わないのか分からなかった。こんな理解不能な人と、関わっていられなかった。

 あたしは受話器を置いた。再び呼び出し音が鳴るものだから、電話機の音量をオフにして、ベッドに潜り込んだ。

 父が死んだことには、思ったほど衝撃を受けなかった。それより生きている母が衝撃だった。彼女にとっては、破門され縁を切られたという事実はここまで軽いのかと、あたしは戦慄した。

 だとしたら、一年前にあたしが言い渡した縁切りにも、母はこたえていないのだ。

 おそらく母は、分かっていないのだと思った。子が親を捨てるという行為を分かっていないのだ。縁切りの実行に至るまで、それこそ何千回何万回も、捨てたい、縁を切りたいと懊悩した過去を想像できないのだ。

 そしてそれに勝る回数で、彼らに愛して欲しいと願ったあたしの気持ち、いるのかいないのか分からない神に呼ばわった祈り、どうか両親に愛されるようにして下さいと、声が枯れるほど、叫んだ願いも。






 それから半年が経った。

 あの後どう言い含められたのか、妹からも葬式に出るよう電話があった。末っ子で比較的可愛がられて育った妹には、あたしの気持ちが分からないのだと、寂しく思った。だが羨ましくは思わなかった。親に愛されたがゆえに、親の信奉する宗教に疑問を持たずどっぷり浸かってしまうことが、幸福とは思えなかったから。

 しかしながら、あたしの方が幸福とも言いかねた。親を切るという選択をしなければならなかった子供が、幸福であるはずがなかった。それでもあたしは不幸だとも思いたくなかった。親を捨ててまで選んだ結婚生活は、幸福でなければならない気がした。だからあたしは幸福な振りをした。

幸福な振り。語弊があるかも知れない。別に積との仲がまずくなった訳ではなかったからだ。積は優しくて誠実なよい夫だったし、彼との結婚生活は楽しかった。だが幸福というのは、そういうものではない。

 そんな折、あたしはまた猫を見かけた。

 あたしたちの住まう、社宅の庭で見かけたその猫は、それはそれは醜い顔をしていた。ゴリラのようなその顔を見て、あたしは複雑な嫌悪を覚えた。父にそっくりだったからだ。

 父は猫を愛していた。その父にそっくりな猫。しかもそれはそれは醜い猫。

 それなのにその猫は、妙にあたしに懐いた。ゴミ出しをするあたしの姿を見つけては駆け寄り、野太い声で「にゃあ」と鳴いた。スーパーへ買出しに行くあたしの姿を、決して見逃さなかった。

「にゃあ。にやあ。にゃあ」

 駆け寄る猫を、蹴飛ばしてみようかと足に力を込めた。気配を感じ、猫がおどおどした顔をする。

 暴力を諦め、あたしは「うるさい」とつぶやいてみた。さぞや胸がスッとするかと思ったのに、あたしは単にざらついた。

 帰宅しても、あの猫のことを考えてしまっていた。気に入った訳ではない、むしろ嫌いな猫が心に住んでしまい憂鬱だった。猫に罪は無いのが分かるが、どうしても父を思い出してしまうのだ。

 ひょっとしてあの猫は、父の生まれ変わりなのではないか。

 愚かしい思いつきにあたしはふと、待てよと思った。






 六時二十分にあたしは目覚まし時計を止める。時計に手を伸ばす瞬間は、粘ついた眠りの世界から引きずり出された事実が、腹立たしくてたまらない。それなのに、あの猫もアラームを耳にしたのではないかと思うと、ぱっと目が覚める。

 寝室を抜け居間に入ると、あたしはテレビを点ける。騒がしいワイドショーが始まる。あの猫に聞こえるように音量を上げる。

 あたしはこんな、下世話なワイドショーを聞いているのよと、猫に告げたくなる。実家にいた頃父親は、NHKしか見せてくれなかったからだ。実家を出て自由になったあたしは、こんなスキャンダラスな番組を朝から見ているのよと、誇らしい気持ちになる。

 朝食を整えていると、積が降りてくる。普段はそんな呼び方をしないのに、「ダーリン」と鼻にかかった声を出して、あたしは積に飛びつく。

「ずっと、離れ離れで寂しかった」

「え、何のこと?」

「だって、寝てる間は離れ離れでしょ」

 普段はクールなあたしが甘えるので、積も満更ではないらしい。忙しい朝なのに軽く抱きしめてくる。あたしは殊更に押し黙る。積といちゃいちゃしていることが、猫に伝わればいいと思う。娘を溺愛する父親も、ただ厳格なだけの父親も、娘が男と戯れるのは面白くないものだ。あたしは猫を不愉快にさせてやりたかった。

 猫を不愉快に。あたしは笑い出したくなった。実家にいた頃あたしは、父が不愉快になることを恐れていた。父はひとたび不愉快になれば、大声でわめき散らし、食事の載ったテーブルをひっくり返し、壁を殴ってヒビを入れるような男だったからだ。

 だからあたしはいつも、父の顔色を伺いびくびくしていた。それなのに父の生まれ変わりを疑う猫のことは、不愉快にしてやろうなどと画策している。何て自分は自由なのだろうと思った。

 そういえば水商売時代も、客の機嫌を取ろうと、あたしは躍起だった。最低限それがホステスの役割だと思っていたからだ。それなのにあたしは、今や猫を進んで不愉快にさせている。目の前の存在の不機嫌におろおろしていたあたしが、今や猫を、進んで不愉快にさせている。

 積が出勤すると、あたしは洗濯かごを持って窓を開けた。醜い猫は案の定、軒下で丸まりあたしを見上げる。

 あたしは決してお前に触れないし、優しい言葉もかけてやらない。

 知らぬ振りをして、あたしは洗濯物を干し始めた。いい気味だと思った。愛玩されるべく猫に生まれ変わったというのに、父はこんなにも醜い姿になってしまったのだと考えた。

 愛玩されない愛玩動物。醜い猫。それと愛されない子供ではどちらが惨めだろうか。こんなにも惨めなのに、なぜ父はあたしの元へ来るのだろうか。前世で父だったからか。だがあたしにとって、前世での関わりなど、何の意味も無いのだ。

 いやむしろ、前世で父が父だったからこそ、あたしは父を憎悪する。それが辛いならいつでも他の人間の元へ行けばいい。あたしはこの猫に、食べ物どころか、優しい一瞥すらくれていないのだから。

 けれどこの猫は行かない。前世の子供すら、相手にしてくれない自分を、他人が可愛がってくれるとは思えないからだ。こんな醜い姿では、誰にも相手にしてくれないからだ。

「ねえ、猫」

 あたしはつぶやいた。

「お前は以前、あたしの首が短いと言ってからかったね」

 猫は首をすくめてみせた。

「あたしの足の大きさを、あざけったこともあった。よくも人の美醜をあげつらえたもんだね。子供の頃、ゴリラとあだ名されていたお前が。反吐が出る」

 猫が辛そうな顔をして身をこごめた。あたしは部屋に戻ると、押入れを漁った。アルバムを引っ張り出す。

 家族との写真は少ない。一般的に長子は、写真が多いものだと言われるが、あたしの写真は少ない。少ないどころか写真は、アルバムに整理されていなかった。物心ついたあたしは家中を捜索して、自分の赤ん坊時代の写真を一枚、ようやく見つけ出した。

 だが今あたしが確認したいのは、それではない。あたしはうつ病で帰省中だった頃に、撮影したページを開いた。珍しく家族四人で撮った写真が貼られている。

 ゴリラのような顔をした父の横に、能面のような顔をした母が寄り添っている。そしてその横でひょうきんな笑顔を作っている妹。妹は父と母を足して二で割ったような顔立ちだ。そこにまるで、異物のようにあたしの姿があった。

 以前、積にこの写真を見せたら

「みゅうは本当に、この家の子なの?」

 と真顔で尋ねられた。そういったことは、以前から周囲に言われていたので、気にはならなかった。

 実は、両親とは血のつながりがないとしたら、こんな嬉しい話はない。でももう二十八歳になったというのに、未だに両親からその手の告白をされていない。戸籍謄本を見ても実子だった。だから残念ながらあたしは、この両親の実の子なのだ。

 あたしは父のゴリラのような顔をじっと見詰めた。鼻筋は通っているが鼻の穴が大きい。あんまり大きすぎて、鼻の穴が父を乗っ取ってしまうのではないかと、不安になるほどだ。

「これは、整形なんです」

 と日曜礼拝の壇上で、父が打ち明けたことを、あたしはぼんやりと思い出した。そんなことを、そんな場で打ち明ける必要があったのかどうかよく分からない。どちらにしろあたしは、父の露悪趣味によって整形の過去を知った。

 どうせいじるなら、もう少し小鼻を、小さくすればよかった気がするが、父は鼻筋だけを直したらしい。それも一度の整形では足りずに二度やったそうだ。そこまでしても、ゴリラはゴリラのままなのだなと思う。

 整形手術をするほど、コンプレックスを持っていた父に、同情はしない。そこまで苦しんだ過去を持っているくせに、父はあたしの容貌を、あげつらって馬鹿にしたからだ。

 高校卒業と同時に、実家を出て一人暮らしを始めたら、どういう訳か、あたしの顔つきは変わり始めた。細かった目が大きくなったのだ。鼻と唇には元々個性が無かったので尻軽な雰囲気が宿った。大学時代のミスコンで、ゼミ代表になったこともある。尻軽には見えたが、あたしは美しくもなったのだ。

 父はもう、あたしの容貌を馬鹿にしなくなった。父に似なくなったあたしを、馬鹿にしなくなった。

 ざまあみろと思う。本当は父似の醜い顔のままでも、両親に愛された方が幸福だ。だからあたしはざまあみろと思う。

 アルバムを閉じると、あたしはCDを選んだ。『イマジン』が流れ始めた。

「想像してごらん。天国なんて無いことを」

とジョン・レノンが歌う。

 あたしは別に、キリスト教が間違っているとは思わない。正しいかどうかは知らないが、間違っているとも思わない。ただ来世的利益を求めてキリスト教を信仰し、そして本流から離れていった父は間違っていると思う。

 その父に、ジョン・レノンの歌詞はどう響くのだろうか。天国へ行けず、畜生道に落とされ、醜い猫として生まれ変わってしまった父に、この歌詞はどう響くのだろうか。

 この遊びはなかなか愉快だった。そして罪悪感にも、駆られなかった。あたしは猫に危害を加えなかったし、怒鳴りもしなかったからだ。

 あたしはただ猫に、様々な音を聞かせたかった。テレビの音、CDの音、生活音、そういったものを聞かせたかった。あたしは楽しくやっているのよと、父に告げたかった。あなたたちを切らねばならないほど惨めな子供だったあたしだって、楽しくやることは可能なのよと。

 猫が聞いていると思うと、生活に張りが出た。どうかすると気が乗らない家事が、猫が聞いていると思うとやる気が出た。あたしは窓を全開にしてハタキと掃除機をかけた。開け放った窓の先には、相変わらず醜い猫がいた。

「ねえ猫、お前は以前あたしが片付け下手だと叱ったね。あたしの机の引き出しから、男子からもらったラブレターを、勝手に取り出して、『いくら好きとか何とか言われたって、こんなに片付けが下手じゃしょうがない』と、あざ笑ったね」

 猫は顔を曇らせた。それはそうだろう。事実とはいえ申し開きのできないほど最低なことをした過去を、持ち出されてしまったのだから。

「この片付いた部屋を見ても、同じセリフが言える? あたしは片付けも上手くなったし、結婚相手もつかまえた。死ぬ前に離婚をしたお前に責められる謂れは無いよ」

 また猫は辛そうな顔をして身をこごめた。あたしは窓を閉めた。しかし不思議だと思った。

 あたしの経験によれば、猫は人語を解するからだ。それなのにあの猫は、なぜあたしに責められてもここにい続けるのだろうか。

 まさか本当にあの猫は、父の生まれ変わりなのか。

 初めは愚かしい思いつきだと思った。ただ、愚かしい思いつきがもたらした嘘設定で遊ぶことが楽しかった。実際に猫を傷つけている訳でもなければ、猫を無理やり拘束している訳でもないのだから、これくらいのことは、許されるだろうと思った。

 ただあたしが罵倒しても、逃げもしない猫を見ていると、不可解な気持ちになってきた。本当にあの猫が、父の生まれ変わりのような気になってきた。

 その思いは、次第にあたしの中で確信に変わっていた。

 ある日あたしは、スニーカーをはいて家を出た。ウォーキングをするためだ。結婚してたった一年で、十キロ太ってしまったあたしは、ダイエットのためにウォーキングをする習慣がついていた。

 スポーティーに決めた姿を見せてやりたかったのに、醜い猫の姿は無かった。そういえば最近醜い猫を見かけていない気がした。どうしたのだろうと考えながら歩き始めると、程なくして、醜い猫の姿を見つけた。醜い猫は死骸になっていた。

車に轢かれたらしい。道路の端で倒れたのか、それとも死んでから端に寄せられたのかは分からないが、その寝姿を見て、あたしは息を飲んだ。尻の穴が広がりハエがたかり無様だったからだ。

 後ずさると、あたしは家に向かって駆け出した。埋葬してやろうなどという優しい気持ちは湧かなかった。人間の父が死んだ時も、弔わなかったあたしだ。そのあたしが、たかが猫が死んだからといって埋葬などするものか。しなくても誰にも責められはしない。

 それにあれは、飼っていた猫ではない。父の生まれ変わりだという話も単なる思い込みだ。

 それなのに頭の片隅であたしは思った。また父が死んだと。

 目の前が暗くなった心地がして、あたしは思わず足を止め、まぶたを閉じた。まぶたの裏に無様な死骸がよみがえった。尻の穴が広がりハエのたかっていた醜い猫の姿が。

 もしあれが、父の生まれ変わりだったのなら、何のために生まれてきたのだろうと思った。もし死が避けられないものだったとしても、あそこまで、無様な姿を晒さなければならないものだろうか。

 一度に色々な感情があたしを責めるものだから、逃れたくてあたしは、再び走り始めた。苦しかったけれど苦しかったから走り続けた。肉体的苦痛が精神的苦痛を凌駕してくれることを望んだ。

認めたくなかった。あの猫に対する本当の気持ちなど、認めたくなかった。走れば自分の気持ちから逃れられるような気がして、あたしはひた走った。

 それでもいつか足を止めねばならないことを、分かってはいたのだけど。



 今回は猫の話を書きましたが実は犬も好きです。いつか犬の話も書いてみたいな。

 

 という訳で皆様、感想よろしくです。

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