厄介な男
【厄介な男】
定時を告げる放送が鳴るのを聴いて、俺は思わずため息をついた。一番厄介な仕事が、これからあるのだ。
俺は部下のAに声をかけた。一人でやるより、二人の方が気分的に楽でいい。
「おい、A。ちょっと付いて来い。美味いもんをおごってやる。残業も今日は免除だ」
Aは喜んでついて来た。
カバンを持って、会社を出る。直帰できるのが、責めてもの慰めと言ったところか。
「飯の前に、ちょっと寄るところがあってな。何、そんなに時間はかからない」
「別に、僕は構わないですよ」
電車をいくつか乗り換えて、ある駅で降りた。我が社が近く展開する大型デパートの、建設予定地がある町だ。他にライバル会社のいない絶好の地。問題の仕事とは、もちろん、それに関係のあることだ。
日は既に傾きかけている。さっさと終わらせてしまいたい一心で、俺は歩く速度を速めた。Aが、怪訝な顔をしてついてくる。
その空き地に着くと、問題の男はいつもと同じように、空き地の真ん中に立っていた。ここは、デパートの建設予定地の一画にあたる場所。この事業を成功させる為には、この空き地を確保しなくてはならない。
「あなた、また来たんですか」
その男はさも迷惑そうに言った。
「あなたが首を縦に振ってくれるまで、何度でも来ますよ。こちらも、仕事なのでね」
と俺は言った。ここには、もう二週間近くも通っているのだ。
「何度も言ってるでしょう。私は、ここから動く気はありません。帰ってください」
「そこをなんとかお願いしますよ。我が社の事業を成功させるためには、この空き地のスペースが不可欠なのです。ここに我が社のデパートが出来たら、周りの住民の大変な助けになるのですよ」
「そんなことは私には関係ありませんね。ここは、昔からずっと私の場所と決まっているのですから」
男は、まるで聞く耳を持ってくれない。Aが何か言いたそうに口を開いたが、俺は目で制して、それから言った。
「どうか、お願いします。ハイと言ってくれるまで、私たちはここを動きません」
それを聞いて、視界の端でAが顔をしかめた。
しかし、男は全く動じない。
「根比べなら負けません。ここはお好きにどうぞ、と、言いたいところですが、もう日暮れです。流石に迷惑とは思わないのですか。帰ってください」
西に殆ど沈みかけた太陽が、本日最後の輝きを空に投げかけていた。
「また、明日も来ますよ」
「いい加減、諦めたらどうなのです」
「そういうわけにもいかないのでね。では、さようなら」
空き地からもと来た道を歩く途中で、Aが俺に尋ねた。もう、辺りはすっかり暗い。
「どういう事なのです、今のは」
「どうって、見たとおりさ。立ち退きのお願いだよ」
Aは納得のいかない顔をしている。
「だって、あの土地は別の管理者から既に購入済みでしょう?僕、知ってますよ。あの男は何をもってあの土地の所有権を主張しているのです」
「なあ、A。まだ若いお前にはわからんだろうが、世の中には色々あるんだよ。わからん内は、あまり口を出さない方が良い」
そう言うと、Aはわけの分からないといった様子で、あとは後ろをついて来るだけになった。お詫びに、今日は思う存分酒を飲ませてやる事にしよう。
すっかり暗くなった例の空き地に、その男は依然として立ち続けていた。
「俺は絶対にどかないぞ。なあにが周りの住民の助けになりますだ。俺が望むのは、静かな環境ただ一つだ。大体、のどかだったこの町にバカスカ家を建てやがって。それがまず気に食わん」
実に忌々しげな声。
「…しかし、今どきの奴らはどうも律儀な人間が多いな。俺の頃はそんなんじゃなかった。まさか、地縛霊の俺にまで許可を得ること無いだろうに。うらめしやと、今さら人を驚かす気力も俺にはない」
空き地の前を野良猫が通り、男に向かってニャア、と鳴いた。