不思議な剣
【不思議な剣】
ここはヨーロッパの片田舎。やっと17世紀に入ったころの話だ。
町の外れの森の中を探検していると、僕は小さな剣を拾った。近くに鞘も落ちている。
「ずいぶんと立派な剣だ。誰かが落としたのだろうか?」
周りに人の気配は無い。折角だから、頂いて帰ることにした。持ち主が現れれば、そのとき返せばいい。でも、このことはお母さんとお父さんには内緒にしておかなくちゃな。
服の中に剣を隠して、家に戻った。するとお母さんは目ざとく僕を見つけて、お説教を始めたんだ。勉強もせずに、フラフラしていたのが気に食わないんだって。
机で対面しながらのお説教の最中、僕は上手に服の中から剣を取り出して、机の下で密かにそれを隠し持っていた。
ところが、僕、あんまり長い説教に飽き飽きして、つい、ウツラウツラとしてしまったんだ。それでとうとう、手に持っていた剣を落としてしまった。ガラーンというすごい音がなる。
しまった。と思って僕は思わず身構えた。
でもお母さんは、音を全然気にしない様子で
「話、聞いてるの?」
と言った。まるで、音に気がつかなかったみたいだ。
結構大きな音がしたと思ったのは、僕の気のせいだったのだろうか?でもとにかく助かった。
僕は足で床の剣を手繰り寄せ、残りの時間は神妙な顔をしてお説教を聞くふりをした。
夕飯を済ませて自分の部屋に戻ると、僕は早速剣を振り回して遊んだ。危ないから、鞘は付けっぱなし。
噂に聞く剣術の達人になったつもりで、ブンブンと振り回す。ところが、本日二度目の失敗。勢い余って、机の上のランプを剣で突き飛ばしてしまった。ランプは床に落ち、ガラスが砕け散る。
いよいよ僕は困ってしまった。これは高価なランプなんだ。
黙っていようかと思ったけど、ランプを使えないのも困る。僕は夜が深くなるまで待ち、剣を隠してから、お父さんのところに行った。
「お父さん、ごめんなさい。僕、ランプを壊しちゃったよ」
「おや、どうしたんだい」
「小便をしようと思ってね、寝ぼけて腕をぶつけちゃったんだ」僕は嘘をついた。
「ならお父さんが直してあげるよ」
「無理だよ、もう割れちゃったんだから」
「とにかく、見せてごらんなさい」
お父さんを部屋に連れて行くと、お父さんは不思議そうな声で言った。
「それで、ランプはどこにあるんだい」
「冗談でしょう?お父さん、床のランプが見えないの」
「床だって?何も見えないな」
僕はお父さんの顔をまじまじと見た。冗談を言ってる顔には見えない。
どういうことだろう?実際、依然としてランプは床の上に半ばひしゃげて転がっているのに。
「ジュニア、まだ君は寝ぼけているみたいだね」
そう言ってお父さんは戻って行った。
もちろん、僕は寝ぼけてなんかいない。しかし、冗談でも、割れたランプを残して部屋を去るようなお父さんでもないし…。
仕方がないので、僕は壊れたランプを片付け、その日はそのまま眠りに落ちた。
不思議なことは、他にもあった。
ある日、僕はうっかり例の剣で指先を切ってしまったんだ。そんなに深くはないけど、ちょっとした傷になってしまった。夕飯のときに、それをお母さんに見せたところ、
「何言ってるの、傷なんてないじゃないの」
と、これまた奇妙な反応。いくら僕が「ここだよ!」と言っても、お母さんは見えないの一点張り。何故か機嫌の悪くなったお母さんが僕の成績について話し始めたので、それ以上追及もできなかった。
あんまりそんなことが続くもので、すっかり気味悪くなった僕は剣をベッドの下に押し込んでおいた。いつしか、そのことも忘れ、剣は埃を被るばかりとなった。
時は流れて、僕は二十五歳になっていた。両親が病気で死んで、昔から人見知りだった僕は一人ぼっち。家は変わらず、以前のまま暮らしている。寂しい生活が続いていた。
両親の遺産があったから、しばらくはたいして働かずに暮らせた。でも、それもそろそろ限界。
「お先真っ暗だ」
そんなことを呟くままに、日々は過ぎ、僕の生活はますます苦しくなって行った。かと言って、友達のいない僕には仕事も見つからない。僕はすっかり、人生を諦めていた。
そんなある日、いつか剣を拾ったあの森にある洞窟に、魔物が潜んでいるという噂が流れた。昔から、こういうことはよくあると言う。
そのころには半ば自暴自棄になっていた僕は、いっそ魔物の仲間にしてもらおうとさえ考えた。そうして魔物のことを考えていると、ふと昔使っていた子供部屋のベッドの下にある、あの不思議な剣のことを思い出したんだ。あれはきっと高価なものだ。魔物に献上するとしたら、あれだろうな。
懐かしい気持ちで、僕はベッドの下に手を突っ込んだ。埃に埋れたその剣は、磨くとすぐにピカピカになった。
美しいその剣を見ていたら、僕はなんだか勇気が湧いてきた。子供の頃の懐かしい品に、心を動かされたのかもしれない。
僕はこの剣を持って、魔物を退治しに行こうと考えた。どうせこの先良いことも無い人生だ。最後に何かでかいことをするのも悪くない。
思い立つと、僕はすぐに森に出かけた。数年ぶりのイキイキとした気分。
慎重に森を進むと、いた。大蛇の体に牛の顔。異形の魔物は洞窟の前の少し開けたスペースに、とぐろかいて眠っている。
ラッキーだと思って、僕は剣を握り直し、足音を立てずに近づいた。剣を振り上げて、そのまま魔物の頭に振り下ろす。
しかし、直前で躱されて、僕は逆に大蛇の体でグルグル巻きにされてしまった。手を離れた剣は地面を滑り、ギリギリと締め付けられる僕。
「愚かな人間だな。丸腰でこの俺にかかってこようとは」
「なんだって?」
僕は信じられない気持ちで言った。そして、昔のことを思い出し、ある一つの仮説を立てた。
この剣、もしかして僕にしか見えないんじゃないか?だから落としても僕にしか音は聞こえないし、何かを切ってもその『結果』は、僕にしか見えないのではないか?だから、壊れた物や切り傷は、僕にしか認識出来なくなる。
魔物は余裕の表情で僕を見ている。僕は最後の力を振り絞り、グルグル巻きになった体を一気に引き抜いた。
走る僕を追う魔物。僕は剣の場所まで走り、拾い上げ、振り向きざまにその顔面を切りつけてやった。
魔物は血を流し、倒れた。だがその余裕の表情は変わらない。きっと、魔物の意識そのものは、切られたという事実に気がついていないのだろう。肉体だけが滅び、魔物の意識だけが生き続ける。
やはり、この剣の力は本物だったんだ。
魔物が完全に死んだのを確認して、僕は町の方に出た。
「おい、魔物を倒したぞ」
そう叫ぶと、人が沢山よってきて、あたりは騒然となった。
「あんた、それは本当か」
「本当だとも、ついてくると良い」
沢山の人を引き連れて、魔物の下に向かう僕。しかし、連れてこられた人達の目に映るのは、いつもと変わらぬ森の光景。
「何も無いじゃないか」
そう言われて、僕は気がついた。そうか、この魔物の死体は僕にしか見えないんだ。
僕はどうにかして魔物のそれを確認させようと努力した。手を引っ張って、魔物の死体を触らせたりもした。しかし、結果は変わらない。
そのうち、町の人たちは僕を頭のおかしな青年と決めつけ、帰って行ってしまった。
取り残される僕。ああ、何と言うことだろう!僕は死ぬ思いでこの魔物を殺したのに。誰も気がついてくれないなんて。これで、英雄になろうという僕の目論見は崩れてしまったんだ。
僕は失望感でグッタリしてしまった。そして、少し考えた後、その不思議な剣で、自らの命を絶った。
数日たって、この森に遊びにやってきたある少年が、僕の死体の側に転がる剣を見つけて言った。
「ずいぶんと立派な剣だ。誰かが落としたのだろうか?」
そして周りを見回すと、その剣をこっそりと服にしまい、何処かへと歩いて行った。