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すでに多くの騎士の中に知れ渡っている今回の騒動。
血だらけではあるが、返り血だとわかるロシュを見て、城に残っていた騎士達は、敬意を示しロシュにむけて静かに頭を下げる。
そして皆、ふと気づくのだ。
今、ガルシナ第1騎士団長の腕に誰か抱かれていなかったか、と。
そして、頭をさげたままそっと視線だけ、足早に通りすぎるロシュの腕の中を見やる。
やはり居る!と気づいた瞬間、何故かいたたまれなくなり視線をそらす。
城に入ってからずっと続く騎士達の出迎えと意味深な視線をロシュはもちろんのこと、腕に抱かれているエレナもはっきりと感じていた。
エレナは小声でロシュに囁く。
「ロシュ様・・・やはり皆様戸惑っております・・。」
少し恥ずかしげに俯いているエレナにロシュは優しく微笑む。
「そうやって俺の腕の中に顔を隠していてくれ。お前の美しい顔は誰にも見せたくないからな。」
ロシュ様・・?
一体どうなさったのかしら・・
確かに今迄もたくさんの愛の言葉をくださいましたけれど、何かちょっと・・
ロシュの言葉に顔を真っ赤に染めながら、エレナは内心嬉しさと恥ずかしさと戸惑いでいっぱいだった。
そして、ようやくロシュはある部屋の前で足を止めた。
すると、なんと足で綺麗な装飾がなされた扉を蹴りあけたのだ。
礼儀もなにもあったものではない。
「ローじい!俺の妻が怪我を負った。診てくれ。」
ここは王城に勤務する医者の部屋であった。
中から現れた"ローじい"と呼ばれた白い髭が立派な老人と、その側に立つ助手の青年は扉を蹴破ったロシュを呆れたようにみた後、そんなロシュの腕に抱かれている"妻"と呼ばれた女性をベッドにおろすように指示した。
そっと医療ベッドの上にエレナをおろしたロシュ。
エレナは困ったような顔をしながらロシュを見た。
「あの、私なんかがお城で努めているお医者様に診てもらうなど・・というか、妻って・・」
自分の身分を考え、遠慮しながらも、何故か妻と自分を呼んだロシュに戸惑いつつ、少し嬉しく感じるエレナ。
ロシュはそんなエレナの額にそっと口づけると
「俺の唯一の愛する者であるお前が何故遠慮する必要がある?しっかり診てもらえ。」と言った。
そんなロシュの言葉にエレナはまた困ったように微笑んだが、ローじいと、その助手の青年は恐ろしいものを見たかのようにロシュをぎょっとした目で見やった。
そんな二人には気づきながらも、ロシュは「陛下に報告に上がる。少ししたら戻る。妻を頼む。」とだけ告げ、来た時と同じように足早に医務室を出て行くのであった。
「妻という事は、おぬしがあの"おとぎ話"の奥様かのぉ。えらく別嬪さんだのぉ」
驚きながらも、好々爺のごとく笑うローじいと呼ばれた医者にエレナは困ったように笑うだけで、何も答えなかった。
医務室を出て、王の執務室へと向かったロシュ。
流石に今度は蹴破るような事はせず、重厚な扉の前で己の名を叫び入室をうかがう。
すぐに「入れ」という声が聞こえ、ロシュは礼をし、王の前へと進みでた。
王は真直ぐとロシュを見やり、血塗られた姿である事に眉をしかめる。
「どこか怪我をしたのか?」
心配そうに問う王。
「いえ、全て敵の血でございます。着替えもせずに訪れた事をお詫び申し上げます。」
謝罪をし頭を下げるロシュに王は苦笑をもらした。
「私に謝る必要などない。そのぐらいの血は見慣れている。気にするな。それよりもお前の血ではなく良かった。」
そんな王の温かい言葉にロシュは無言で頭を下げ感謝の意を示す。
「して、お前の愛する者とやらは無事か。」
第2騎士団、副団長のノエルから手紙のことなど全ての報告を聞いていた王は、ロシュの態度から既に答えについては察しはついていたが、わざとらしくからかうようにロシュに尋ねた。
真直ぐと王をみやり、王の顔に浮かぶ笑みを見たロシュは眉をしかめながらもはっきりと言葉を返す。
「はい。怪我はおいましたが、致命傷はないようです。話は変わりますが、王に私を既婚者扱いするようお願い申し上げて、すでに9年が経ちましたが、これからもそのように取りはからって下さいますようお願い申し上げます。」
「・・どういう事だ?その娘とは結婚はしないのか?」
訝しげにロシュに問う王。
「私は書類上すでに結婚しておりますが、王もご存知の通り妻の欄には誰の名もありません。そこにエレナと名前を書き加えて下さい。」
何のためらいもなく言うロシュに王は暫く呆然としていたが、ロシュの意図を理解しニヤリと笑った。
「つまり、お前達は結婚して9年目という事だな。」
「今、妻は怪我の治療をしております。治療が終わり次第王にもご紹介します。私の妻であるエレナ・ガルシナを。」
淡々と告げるロシュに王は大きな声を出して笑った。
「お前というやつは本当に強引な男だな。彼女にはもう了承を得たのか?」
「了承を得るとは私との結婚に関してでしょうか?それならば、わざわざ尋ねる必要などありません。エレナは私を愛していますし、私も彼女だけを愛しています。」
王は益々笑いを深めた。
「そうかそうか。それは良い事だ。だが、何故今迄結婚・・、いや書類上に名前を書き足さなかったのだ?」
今迄無表情を貫いていたロシュが初めて後悔をしているかのように顔をゆがめた。
「それは・・そのこと事体を忘れていたからです。私は彼女が側にいればそれで良かった。陛下もご存知の通り、既婚者でなければガルシナ家を継げないなどという両親からの契約書がなければ、このような事体にはならなかったのです。書類上は9年前から既婚者であった私ですが、今迄結婚を意識した事はなく、独身と同じでしたので、自分が結婚していると世間から見られている事すらも忘れていたのです。そのため、エレナの事も誠実に愛していたつもりだったのですが、私が妻帯者であると思っていたエレナからしてみれば、私は不誠実な男であったでしょう。」
王は思った。
女に関心すら示すことなく、ここまで来てしまった男というのは、ここまで鈍く、そして女心、いや、恋愛に疎いのかと。
王は笑うのをやめ、大きなため息をついた。
「ロシュ・・お前はもう少し女を・・というよりはそういう色事について学べ」
良い歳をした男が、何も考えずに、自分の立場も"結婚"の事も忘れ、ただただ愛に溺れるとは、なんとも恥ずかしい話である、と王はあきれ果てるのであった。
「まぁ・・良い。お前が幸せなのであれば、その娘も幸せであろう。焦らなくていいから、その娘が治療を終えたら、私の元へ連れて参れ。それまではその娘の側にいろ。」
苦笑いを浮かべながらもしっしとロシュを追い払うように手をふった王に、ロシュはまたもや無表情のまま頭を下げ、王の執務室を退室したのであった。