表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

勝者を決める試練の中で、倒さず、奪わず、それでも選び続けた者たちの物語

この物語は、「勝つこと」が前提とされる世界を舞台にしています。

そこでは、試練が与えられ、条件が示され、勝者と敗者が明確に分けられます。

多くの物語がそうであるように、努力し、覚悟を示し、他者を乗り越えた者が報われる――はずの場所です。

けれど、もしその仕組み自体が、人の価値を測るための装置だったとしたら。

もし「勝つこと」以外の選択肢が、最初から排除されていたとしたら。

本作は、そうした世界に放り込まれた一人の青年が、

与えられた条件に従うのではなく、

条件そのものを問い直していく過程を描いています。

これは英雄譚ではありません。

誰かを打ち倒し、すべてを手に入れる物語でもありません。

それでも、人は選び続けることができるのか。

選ばれなかったものの中に、未来は残っているのか。

その問いに、明確な答えは用意していません。

ただ、物語の終わりに、

「自分ならどう選ぶだろうか」と立ち止まっていただけたなら、

それが本作の願いです。


プロローグ

 ――最初に告げられた条件は、ひどく単純だった。

 「勝者は一人。敗者は、すべてを失う」

 白銀の空間で、その言葉を聞いた瞬間、蓮は理解した。

 これは、願いを叶えるための試練ではない。

 選択を奪うための装置だ。

 足元には、終わりの見えない通路。

 頭上には、光のない空。

 逃げ道は、最初から存在しない。

「進め」

 感情を持たない声が、空間に響いた。

 試練の管理者――エリオス。

 立ち止まる者はいなかった。

 立ち止まれば、脱落だと分かっていたからだ。

 蓮も、歩き出した。

 だが、その胸には、奇妙な違和感があった。

 恐怖ではない。

 怒りでもない。

 ――この試練は、何かを壊す前提で作られている。

 それが、はっきりと分かった。

 通路の先で、誰かが倒れた。

 光が消え、存在が切り取られる。

 観衆の息が、詰まる。

「これが、敗北です」

 エリオスの声は、冷たい。

 蓮は、拳を握りしめた。

 勝つしかない。

 それが、この場の論理だ。

 だが――

 脳裏に、不意に浮かんだ光景があった。

 春。

 舞い散る花。

 名前を呼ぶ声。

 桜。

 その名を思い出した瞬間、胸が締め付けられる。

 ――守ると、約束した。

 何を、とは決めていなかった。

 いつまで、かも分からなかった。

 それでも、その約束だけは、

 この試練よりも前に、確かに存在していた。

「……もし」

 蓮は、小さく呟いた。

「勝つために、壊さなきゃいけないなら」

 この試練で、

 自分は何者になるのか。

 進むべきか。

 立ち止まるべきか。

 それとも――

 勝利そのものを、拒むのか。

 選択は、すでに始まっていた。


第1章 邂逅と闘技場

 目を開けた瞬間、蓮は「空が固定されている」ことに気づいた。

 雲が流れない。光も揺れない。蒼は蒼のまま、天井のように張り付いている。

 違和感は、それだけではなかった。

 足元の石畳は確かに硬いのに、立った瞬間、微かに脈打つ感触が伝わってくる。まるで巨大な生き物の背中に乗せられているかのようだった。

 ――ここは、どこだ。

 問いは声になる前に、喉の奥で潰えた。

 視線。

 あまりにも多すぎる視線が、四方八方から突き刺さってくる。

 蓮は、ゆっくりと顔を上げた。

 そこは闘技場だった。

 円形にすり鉢状の観客席が広がり、無数の影がひしめいている。人の形を保っている者もいれば、輪郭が曖昧で、目だけが宙に浮かんでいる存在もいる。

 全員が、こちらを見ていた。

 値踏みするように。

 あるいは、結果を知っている者のように。

 ――見世物、か。

 胸の奥がざわつく。

 理由は分からない。ただ、この場所に立っていること自体が、何か大きな間違いである気がした。

 そのとき、空気が震えた。

「ようこそ、試練の場へ」

 声は冷静で、感情の起伏を含まない。

 蓮の正面、何もなかった空間に、白銀の光が収束する。人影が形を取り、静止した。

 白い衣。

 整いすぎた顔立ち。

 年齢も性別も読み取れない存在。

「私はエリオス。ここに集われた者たちを管理し、導き、そして見届ける者です」

 管理、という言葉が耳に引っかかった。

 導く、ではなく、管理する。

「あなた方は、それぞれの世界から選ばれました。偶然ではありません」

 選ばれた。

 その響きに、蓮の胸がかすかに軋む。

 脳裏に、別の光景が重なった。

 春の校門。

 人だかり。

 掲示板に貼られた白い紙。

 ――不合格。

 あの二文字を見た瞬間の、耳鳴り。

 周囲の音がすべて遠のき、自分だけが取り残された感覚。

 蓮は、無意識に拳を握りしめていた。

 違う。

 これは、あのときとは違うはずだ。

「ここで示されるのは、力ではありません」

 エリオスの声が続く。

「問われるのは“資格”。

 競争し、選択し、時に犠牲を払い――最終的に残るのは、“守る”と決めた者です」

 守る。

 その言葉が、胸の奥に沈み込む。

 何を。

 誰を。

 答えは浮かばない。

 それでも、その単語だけが、妙に重く残った。

 低い振動音とともに、闘技場の中央がせり上がる。

 石の柱。その周囲に、光が次々と瞬いた。

 一人、また一人。

 人影が転送されてくる。

 数は、すぐに二十を超えた。

 その中に――

 蓮は、知っている輪郭を見つけてしまった。

 背筋が凍る。

 長い黒髪。

 鋭く、どこか挑むような目つき。

 だが、記憶の中より少しだけ、表情が硬い。

「……真琴」

 名前が、勝手に口からこぼれた。

 真琴。

 かつて隣にいることが当たり前だった存在。

 競い合い、支え合い、そして、いつの間にか並ぶことをやめた相手。

 真琴も、こちらを見ていた。

 一瞬だけ、確かに視線が交わる。

 だが、次の瞬間、真琴は目を逸らした。

 まるで、蓮の存在を処理しきれないものとして、棚に上げるかのように。

 その仕草が、胸に突き刺さる。

 拒絶なのか。

 それとも、ただ距離を測っているだけなのか。

 考える間もなく、エリオスが宣告する。

「第一の試練を開始します」

 その言葉と同時に、闘技場全体が震えた。

 足元の石畳に、亀裂が走る。

 次の瞬間、床が崩れ落ちた。

 悲鳴。

 落下感。

 世界が反転する。

 ――始まった。

 蓮は、そう直感した。

 これは選ばれたことへの祝福ではない。

 試されるために、ここへ連れてこられたのだ。


第2章 迷宮への降下

 落下は、思ったより短かった。

 衝撃。

 肺の中の空気が一気に押し出され、蓮は思わず咳き込んだ。硬い地面に両手をつき、膝をつく。視界が白く弾け、遅れて鈍い痛みが全身を走った。

 ――生きている。

 まず、その事実を確認する。

 周囲は暗かった。

 だが、完全な闇ではない。壁や床に埋め込まれた結晶が、呼吸するように淡く光っている。青白い光が連なり、通路の輪郭だけを浮かび上がらせていた。

 地下。

 それも、自然に形成されたものではない。

 直線と曲線が不自然に交錯し、天井は異様に高い。足音が遅れて反響し、自分がどれほど広い空間に放り込まれたのか、感覚を狂わせる。

「……迷宮、か」

 誰かが呟いた。

 その言葉に、蓮も同意する。

 ここは、目的地へ導く場所ではない。

 迷わせ、競わせ、選別するための構造だ。

 周囲を見渡すと、同じように落とされた挑戦者たちが次々と起き上がっていた。呻き声を上げる者、状況を理解できず立ち尽くす者。中には、転落の衝撃で動かないままの者もいる。

「……あいつ、死んでないか?」

 震えた声が響く。

 だが、誰も近づこうとはしない。

 答えを確かめること自体が、ここでは危険なのだと、本能が理解していた。

 遠くで、石が崩れる音がした。

 続いて、短い悲鳴。

 次の瞬間、その声は途切れる。

 蓮の喉が、ひくりと鳴った。

 ――脱落。

 その二文字が、現実味をもって迫ってくる。

 ここでは、失敗はやり直しにならない。

「動け」

 自分に言い聞かせるように、蓮は立ち上がった。

 そのとき、視界の端で素早く動く影があった。

 真琴だ。

 真琴はすでに状況を把握し、周囲を観察していた。結晶の配置、通路の幅、天井の高さ。無駄のない視線の動き。

 ――早い。

 昔からそうだった。

 考えるより先に、体が動く。

 蓮は一瞬、足を止めた。

 真琴の背中を、追うべきかどうか迷う。

 だが、その迷い自体が、すでに遅れだ。

 真琴は振り返らない。

 置いていくつもりなのか。

 それとも、競争だと理解しているだけなのか。

 蓮は歯を食いしばり、走り出した。

 通路はすぐに枝分かれした。

 左右、そして正面。

 どれが正解かは分からない。

 立ち止まった瞬間、背後で床が沈んだ。

 重い音とともに、石畳が崩れ落ちる。

「……っ」

 反射的に跳び退き、辛うじて落下を免れる。

 落とし穴。

 迷っている者から、容赦なく奪っていく。

 蓮は、真琴が選んだ方向を選択した。

 理由は単純だ。

 真琴が間違える可能性は、自分より低い。

 情けない判断だと分かっていても、否定できない。

 走る。

 息が乱れる。

 足音が反響し、誰が近くにいるのか分からなくなる。

 前方で、誰かが転んだ。

 助けを求める声。

 だが、その声に応じた者はいなかった。

 蓮も、視線を逸らした。

 ――止まったら、終わる。

 自分に言い聞かせながら、足を動かす。

 ふと、壁の結晶が強く瞬いた。

 その光の中に、白いものが舞った気がした。

 花弁。

 淡い桃色。

 ――桜。

 一瞬の幻覚。

 だが、胸の奥が、確かに反応した。

 春の日差し。

 笑顔。

 「また明日」と交わした、何気ない約束。

 思い出そうとした瞬間、足元の感触が変わった。

「しまっ――」

 床が沈む。

 罠だと理解したときには遅い。

 前のめりに体が傾き、視界が回転する。

 だが、完全に落ちる前に、腕を掴まれた。

「何してる」

 低く、苛立ちを含んだ声。

 真琴だった。

 強い力で引き上げられ、蓮は地面に倒れ込む。

 肩で息をしながら、顔を上げる。

「……助かった」

 そう言うと、真琴は短く鼻で笑った。

「遅い。昔から」

 突き放すような言葉。

 だが、掴んだ手は、離れていない。

 その事実が、余計に胸を締め付けた。

「……一緒に行くつもりはない」

 真琴が言った。

 視線は、前方の通路に向けられている。

「ここは、競争だろ」

 正論だった。

 否定できない。

 蓮は、何も言えなかった。

 真琴は手を離し、再び走り出す。

 その背中が、少しずつ遠ざかる。

 追いかけたい。

 追いつきたい。

 だが、胸の奥に、別の感情が芽生えていることを、蓮は自覚してしまった。

 ――羨ましい。

 強さも、迷いのなさも。

 そして、こういう場で迷わず前に出られる、その在り方自体が。

 迷宮は、静かに二人を引き離していった。


第3章 競争と嫉妬

 迷宮は、進めば進むほど、露骨に性格を変えていった。

 通路は細くなり、足場は不安定になる。結晶の光は弱まり、視界は常に半分ほど闇に沈んでいた。進行方向を示すものはなく、正解は常に「先に選んだ者」だけが知る。

 真琴の姿は、もうはっきりとは見えない。

 だが、足音と、結晶の揺らぎだけが、前方に確かに存在を主張している。

 ――まだ、いる。

 それが、妙な安堵を生んだ。

 同時に、焦燥が胸を焼く。

 距離は、確実に開いている。

 蓮は息を整えようとしたが、呼吸は乱れたままだった。

 走るたび、肺が軋み、足が重くなる。

 前方で、鋭い金属音が響いた。

 次の瞬間、通路の壁から刃が飛び出す。

 反射的に身を伏せ、刃が頭上をかすめていく。

 遅れて、悲鳴。

 振り返ると、別の挑戦者が床に倒れていた。

 動かない。

 誰も、立ち止まらない。

 蓮も、目を逸らし、再び走り出す。

 ――ここは、そういう場所だ。

 進む者だけが、先を見る。

 遅れる者は、消える。

 蓮の脳裏に、再び真琴の背中が浮かんだ。

 あの頃も、そうだった。

 真琴は、いつも一歩先にいた。

 勉強も、勝負も。

 努力して追いつこうとすればするほど、その背中は遠ざかる。

 それでも、並んでいると思っていた。

 少なくとも、自分はそう信じていた。

 通路が、大きく開けた。

 円形の空間。

 中央には、一本の細い橋が架かっている。

 深い裂け目。

 底は見えない。

 橋の手前に、真琴が立っていた。

 蓮は、足を止める。

 胸が、どくりと脈打つ。

 ――追いついた。

 だが、それは「並んだ」ことを意味しない。

「来たか」

 真琴は、振り返らずに言った。

 その声に、わずかな疲労が混じっている。

 蓮は、言葉を探した。

 何を言えばいいのか、分からなかった。

 橋は一本。

 同時に渡ることはできない。

 競争だ。

 ここまで来て、ようやくそれがはっきりした。

「……先に行け」

 真琴が言った。

 蓮は、一瞬、耳を疑った。

「え……?」

 振り返った真琴の表情は、硬い。

 そこに、余裕はなかった。

「俺は、少し休む」

 それが嘘だと、すぐに分かった。

 真琴は、休むタイプではない。

 ――譲っている。

 その事実が、胸に突き刺さる。

 昔から、真琴はそうだった。

 自分より強いくせに、肝心なところで引く。

 それが、優しさだと信じていた。

 だが今は、違う。

 ここでは、譲ることが、敗北に直結する。

「……いいのか」

 蓮が尋ねると、真琴は短く息を吐いた。

「いい」

 それ以上、説明はなかった。

 蓮は、橋に視線を戻す。

 細い。

 足を踏み外せば、即脱落だろう。

 心臓が、うるさく鳴る。

 今なら、先に行ける。

 真琴を、置いていける。

 その考えが浮かんだ瞬間、胸の奥に、黒い感情が広がった。

 ――勝ちたい。

 ただ、生き残りたいのではない。

 真琴より、先に行きたい。

 その感情を、蓮は否定できなかった。

 同時に、自己嫌悪が押し寄せる。

 自分は、こんなことで優越感を得ようとしているのか。

 足が、前に出る。

 橋の上に、一歩。

 軋む音。

 背後で、真琴の気配が遠ざかる。

 蓮は、振り返らなかった。

 振り返れば、戻ってしまう。

 それを、直感的に理解していた。

 橋の中央で、足が震えた。

 ――俺は。

 勝ちたいのか。

 守りたいのか。

 答えは、まだ出ない。

 だが、この一歩が、二人の関係を決定的に変えることだけは、はっきりしていた。

 橋は、静かに揺れ続けていた。


第4章 歪んだ条件

 通路は、思ったよりも狭かった。

 両側の壁が、わずかに内側へ傾いている。

 歩くたびに、視界が圧迫される。

 ――試されている。

 蓮は、直感的にそう感じていた。

 足の速さでも、力でもない。

 進み続けること自体が、条件になっている。

 前方で、誰かが躓いた。

「っ……!」

 声にならない悲鳴。

 次の瞬間、床が沈み、その姿が光に飲み込まれる。

 消える。

 まるで、最初から存在しなかったかのように。

「脱落を確認しました」

 エリオスの声が響く。

 淡々としている。

 同情も、説明もない。

 蓮は、歩調を緩めなかった。

 止まれば、同じになる。

 通路には、いくつもの分岐が現れ始めていた。

 だが、案内はない。

「……おかしい」

 思わず、呟く。

 分岐の片方を選んだ者が、

 直後に落とし穴へ消えていく。

 別の道を選んだ者は、

 何事もなく先へ進んだ。

 ――情報が、ない。

 正解も、不正解も、

 選んだ後でしか分からない。

「これが……試練?」

 観衆の誰かが、震える声で言った。

 蓮は、胸の奥が冷えるのを感じた。

 努力も、準備も、

 ここでは意味を持たない。

 あるのは、

 運か、勘か、あるいは――

 最初から決められていた順番だけだ。

 通路の先で、光が揺らぐ。

 誰かが、進めずに立ち尽くしている。

「行け……」

「早くしろ……!」

 後ろから、焦りの声が飛ぶ。

 だが、その人物は動けない。

 足元が、わずかに沈み始めている。

 選択が、遅れた。

 それだけで。

「……っ」

 蓮は、歯を食いしばった。

 進まなければならない。

 だが、進むほどに、

 切り捨てられる数が増えていく。

「これが、公平な競争だと?」

 問いかけるように、空を見上げる。

 答えは、ない。

 エリオスは、ただ記録している。

 蓮は、分岐の前で足を止めた。

 左右、どちらも同じに見える。

 深呼吸を一つ。

 ――考えるな。

 ここで考える時間は、

 奪われるだけだ。

 蓮は、一歩、踏み出した。

 足元が、沈まない。

 通路は、続いている。

 だが、振り返った先には、

 もう一つの道が崩れ落ちていた。

 そこを選んだ者の姿は、ない。

 胸が、重くなる。

 生き残った理由が、説明できない。

 それが、何よりも不安だった。

「……覚悟は、関係ないのか」

 呟きが、空気に溶ける。

 そのとき、壁に文字が浮かび上がった。

 ――資格を示せ。

 短い言葉。

 だが、意味は重い。

 資格。

 何の?

 誰が決める?

 蓮は、その文字を見つめた。

 この試練は、

 挑戦者を選ぶ場ではない。

 最初から、選ばれていない者を落とす場だ。

 理解した瞬間、

 背筋が冷えた。

 通路の先で、

 新たな空間が開いていく。

 次は、問いが変わる。

 ――お前には、ここに立つ資格があるのか。

 蓮は、歩き出した。


第5章 資格と幻想

 空間は、唐突に広がった。

 通路を抜けた先には、円形の広場がある。

 天井は高く、中央に淡い光が落ちている。

 そこに、蓮は立たされた。

 周囲には、同じように進んできた者たち。

 だが、数は明らかに減っている。

「ここでは、次の条件を示します」

 エリオスの声が、静かに響いた。

「資格です」

 ざわめきが走る。

「あなた方が、ここに立つ資格を持つかどうか。

 それを、示してもらいます」

 誰かが声を上げた。

「……そんなの、聞いてない」

「条件は、常に提示しています」

 エリオスは言い切った。

「生き残ること。

 それが、最初の条件でした」

 蓮は、視線を伏せた。

 生き残った。

 だが、それが“資格”なのか。

 中央の光が、揺らぐ。

 その中から、影が一つ、歩み出た。

 仮面をつけた人物。

 口元だけが、歪んだ笑みを形作っている。

「久しぶりだね」

 軽い口調。

 だが、声には明確な嘲りがあった。

「……ヴァルド」

 蓮は、その名を思い出す。

 いつの間にか、知っていた。

 この場所に来る前から。

「資格、か」

 ヴァルドは肩をすくめた。

「便利な言葉だよね。

 努力した人間が報われるって、信じさせるための」

 誰かが反論しようとする。

 だが、ヴァルドはそれを遮った。

「君たちは、選ばれたと思ってる?」

 仮面の奥で、視線が巡る。

「違う。

 落とされなかっただけだ」

 空気が、凍る。

「最初から、全員を通す気なんてない。

 でも、それを言っちゃうと、納得しないだろ?」

 ヴァルドは、蓮を見る。

 真っ直ぐに。

「だから“資格”って言うんだ」

 胸の奥が、ざわつく。

 蓮は、過去を思い出していた。

 紙切れ一枚。

 張り出された番号。

 そこに、自分の名前はなかった。

 ――不合格。

 理由は、書かれていない。

「不合格だったんじゃない」

 ヴァルドの声が、重なる。

「最初から、数に入ってなかっただけだ」

 拳を、握る。

 息が、詰まる。

「……それでも」

 蓮は、言葉を絞り出した。

「努力は、無意味じゃない」

 ヴァルドは、笑った。

「努力?」

 一歩、近づく。

「君は、ここまで来るために、

 どれだけ“正しい選択”をした?」

 答えられない。

 正しいかどうかなんて、

 後でしか分からない。

「資格っていうのはね」

 ヴァルドは、広場を見渡した。

「結果を、正当化するための幻想だ」

 中央の光が、強くなる。

「さあ、示してみせろ」

 エリオスの声が、重なる。

「あなた方が、

 ここに立つに値する存在かどうかを」

 床に、文字が浮かび上がった。

 ――証明せよ。

 方法は、書かれていない。

 条件も、示されない。

 蓮は、息を吸った。

 ここで問われているのは、

 過去でも、実績でもない。

 自分が、自分をどう扱うかだ。

 ふと、胸に浮かぶ。

 桜の記憶。

 笑っていた顔。

 泣いていた声。

 ――守る。

 それだけは、決めていた。

「……資格があるかどうかなんて」

 蓮は、顔を上げた。

「他人に決めさせない」

 ヴァルドの笑みが、わずかに歪む。

 その瞬間、

 広場の空気が変わった。

 試練が、次の段階へ移行する。

 蓮は、理解していた。

 この言葉は、

 次の試練への通行証であり、同時に呪いだ。

 もう、戻れない。


第6章 対岸に立つ者

 足場は、一本の橋だった。

 深い闇の上に架けられた、細く、長い橋。

 幅は、人が一人通れるほどしかない。

 真琴は、その手前に立っていた。

 向こう岸には、蓮がいる。

 互いに、距離がある。

 だが、視線ははっきりと届いた。

 ――やっぱり、生き残ったか。

 それが、最初に浮かんだ感情だった。

 嬉しい、とまでは言えない。

 だが、安堵はあった。

 橋の中央で、誰かが足を滑らせた。

 叫び声が闇に吸い込まれる。

 真琴は、視線を逸らさなかった。

 ここでは、

 目を背けた者から、崩れる。

「次の条件を提示します」

 エリオスの声が、橋の上に響く。

「この橋を渡れ」

 短い指示。

「ただし」

 言葉が、続く。

「同時に渡れるのは、一人だけ」

 ざわめきが起きる。

 つまり、向こう岸にいる者と、

 ここにいる自分は――

 競合する。

 真琴は、息を吐いた。

 やっぱり、そう来る。

 橋は一本。

 落ちれば、脱落。

 条件は、単純で、残酷だ。

 真琴は、蓮を見た。

 目が合う。

 あの頃と同じだ、と思った。

 決断が必要な場面で、

 必ず視線がぶつかる。

 中途半端な言葉は、いらない。

 真琴は、一歩、踏み出した。

 橋が、きしむ。

 その瞬間、

 足が、わずかに止まった。

 ――怖い。

 だが、その感情に名前をつけなかった。

 怖さは、理由にならない。

 真琴は、前を向く。

 向こう岸で、蓮も動いた。

 同時だ。

 二人は、橋に足をかける。

 距離が、縮まっていく。

 真琴は、考えなかった。

 考えれば、負ける。

 橋の中央で、二人は向かい合った。

 立ち止まれば、どちらかが落ちる。

 進めば、衝突する。

 真琴は、拳を握った。

 ――勝て。

 そう言い聞かせる。

 だが、腕は動かなかった。

 蓮の表情が、目に入る。

 迷いがある。

 それでも、進もうとしている顔だ。

 昔から、そうだった。

 自分より遅いくせに、

 最後には、前に出る。

「……変わらないな」

 真琴は、呟いた。

 その瞬間、

 橋が、大きく揺れた。

 警告だ。

 時間が、ない。

 真琴は、選んだ。

 ――倒す、ではない。

 一歩、横にずれる。

 橋の縁。

 落ちれば、終わりの位置。

 蓮の進路を、空けた。

 観衆が、息を呑む。

「何を……!」

 誰かの声。

 だが、真琴は構わなかった。

 蓮が、前に出る。

 すれ違う瞬間、

 視線が、交わる。

 言葉はない。

 だが、通じた。

 橋が、再びきしむ。

 真琴は、踏ん張った。

 膝が、震える。

 それでも、落ちない。

 蓮が、向こう岸へ辿り着く。

 その瞬間、

 橋の一部が、崩れた。

 真琴は、後方へ跳んだ。

 元いた場所へ。

 橋は、完全に落ちた。

 沈黙。

「……通過を確認しました」

 エリオスの声。

 どちらが、勝者なのか。

 誰も、分からない。

 真琴は、息を整えた。

 胸の奥が、妙に静かだ。

 負けた気は、しない。

 勝ったとも、思えない。

 ただ――

 選んだ。

 それだけだ。

 向こう岸で、蓮が振り返る。

 一瞬、何か言いかけて、

 やめた。

 真琴は、小さく頷いた。

 これでいい。

 少なくとも、

 自分は、自分を裏切っていない。

 エリオスの声が、続く。

「次の試練に進む者は、

 “倒す”以外の選択をした理由を、

 いずれ示すことになるでしょう」

 真琴は、視線を上げた。

 理由なら、ある。

 だが、

 今は言葉にしない。

 橋の向こうと、こちら側。

 距離は、まだある。

 それでも、

 同じ未来を見ている気がした。


第7章 再会と条件

 迷宮の空気が、わずかに変わった。

 湿り気を帯びていた冷気が引き、代わりに、張り詰めた静けさが広がる。通路は再び開け、天井は高く、床は磨かれたように滑らかだった。

 ――来る。

 理由は分からない。

 だが、蓮は直感していた。

 足音が、前方から響く。

 結晶の光の中に、人影が浮かび上がる。

「……真琴」

 声に出した瞬間、胸の奥がざわめいた。

 真琴は立ち止まった。

 互いに数歩の距離を保ったまま、視線が絡む。

 一瞬、言葉が消える。

 再会。

 だが、それは安堵を伴うものではなかった。

 真琴の表情は、以前よりも硬い。

 だが、目だけは、まっすぐこちらを見ている。

「先に行ったな」

 真琴が言った。

 責める調子ではない。

 事実を確認するだけの声音。

「……ああ」

 蓮は短く答えた。

 それ以上、何も言えなかった。

 橋の前で交わすはずだった言葉が、すべて遅すぎた。

 沈黙が、二人の間に落ちる。

 そのとき、空間が歪んだ。

「再会を確認しました」

 エリオスの声。

 白銀の光が収束し、二人の間に姿を現す。

「ここから先は、単独行動を想定していません」

 淡々とした宣告。

「以降の試練は、複数名での選択を前提とします」

 蓮は、息を呑んだ。

 複数名。

 つまり――

「……二人で、ってことか」

 真琴が低く呟く。

「はい」

 エリオスは肯定する。

「ただし、条件があります」

 空気が、重くなる。

「次の試練では、“犠牲”が必要です」

 その言葉に、蓮の胸が締め付けられた。

 犠牲。

 以前示された言葉が、脳裏をよぎる。

「一人が、すべてを失う」

 エリオスは、容赦なく続ける。

「もしくは、二人で分け合う」

 真琴が、眉をひそめた。

「分け合う……?」

「はい。

 記憶、力、未来。

 形は問いません」

 エリオスは、淡々と選択肢を提示する。

「ただし、条件を満たさなければ、先へは進めません」

 蓮は、思わず真琴を見た。

 真琴も、こちらを見ている。

 視線がぶつかり、逸れる。

 互いに、同じことを考えているのが分かった。

 ――どちらが、犠牲になるのか。

「……一人で背負う」

 真琴が言った。

 即答だった。

 蓮は、反射的に声を上げる。

「待て」

 真琴は振り返らない。

「俺のほうが、向いてる」

 その言葉が、胸を刺す。

 まただ。

 また、譲る。

「違う」

 蓮は、強く言った。

「それは、譲るって言わない。

 逃げだ」

 真琴の肩が、わずかに揺れた。

「……何だと」

「一人で犠牲になるのは、楽だ」

 言葉が、止まらない。

「並ばなくて済む。

 比べられなくて済む。

 俺を、守らなくて済む」

 真琴が、ゆっくりと振り返る。

 目が、鋭く細まる。

「じゃあ、どうしろって言う」

 低い声。

「二人で、失えって言うのか」

 蓮は、一歩踏み出した。

「そうだ」

 迷いはなかった。

「半分ずつでもいい。

 全部じゃなくていい」

 胸に、熱がこみ上げる。

「それでも、隣に立てるなら」

 真琴の表情が、わずかに揺れた。

 拒絶か。

 それとも、恐怖か。

「……蓮」

 名前を呼ばれた瞬間、

 胸の奥で、何かがほどけた。

 エリオスが、二人を見つめる。

「選択を」

 静かな声。

 だが、逃げ場はない。

 蓮は、真琴を見た。

「一緒に、背負え」

 真琴は、しばらく黙っていた。

 やがて、短く息を吐く。

「……分かった」

 その言葉は、決意ではなく、覚悟だった。

「逃げない」

 エリオスが、頷く。

「条件を受理します」

 空間が、震えた。

 床に、光の紋様が浮かび上がる。

「次の試練では、

 失ったものの重さが、そのまま道を形作ります」

 光が、二人を包み込む。

 蓮は、最後に真琴を見た。

 その目は、もう逸れていなかった。

 試練は、次の段階へ進む。


第8章 分け合われる痛み

 光が、静かに引いていった。

 次の瞬間、蓮は足元の感覚を失った。

 落ちる――そう思ったが、違う。

 地面はある。

 だが、そこに意味がない。

 踏みしめても、反応が返ってこない。

 自分の足が、自分のものではないような感覚。

「……来るぞ」

 真琴の声が、すぐ近くで聞こえた。

 声は落ち着いている。

 だが、その奥に、張りつめたものがある。

 視界が、開ける。

 二人は、巨大な円形の空間に立っていた。

 天井も壁も見えない。

 ただ、無数の光の粒が漂っている。

 そして――

 周囲には、人影があった。

「……観衆?」

 蓮が呟く。

 彼らは、こちらを見ている。

 だが、近づいてこない。

 恐れ、期待、疑念。

 感情の混じった視線が、突き刺さる。

「挑戦者を確認しました」

 エリオスの声が、空間全体に響く。

「これより、“分有の試練”を開始します」

 光の粒が、ゆっくりと動き出す。

「犠牲は、等分ではありません」

 その言葉に、真琴が小さく舌打ちした。

「でしょうね」

「恐れが強い者ほど、重く感じます」

 エリオスは続ける。

「後悔が深い者ほど、長く残ります」

 蓮の胸が、ざわついた。

 恐れ。

 後悔。

 どちらも、心当たりがありすぎる。

「なお、この試練では」

 声が、一段低くなる。

「他者の視線が、負荷を増幅させます」

 観衆の中で、誰かが息を呑む。

 次の瞬間――

 光が、二人に降り注いだ。

 ――痛み。

 鋭いものではない。

 鈍く、重い。

 胸の内側を、ゆっくりと押し潰されるような感覚。

「……っ」

 蓮は、歯を食いしばる。

 視界の端で、真琴が膝をついたのが見えた。

「真琴!」

「来るな!」

 即座に制止される。

「触れるな……今は、まだ」

 真琴の声は、震えている。

 光が、真琴の周囲で濃くなっている。

 ――重い。

 蓮は、直感する。

 真琴のほうが、

 多くを背負おうとしている。

 まただ。

 また、一人で。

「分けるって、言っただろ!」

 蓮は、前に出た。

「約束だ!」

 観衆の視線が、一斉に集まる。

 重圧が、跳ね上がる。

 膝が、軋む。

 それでも、止まらない。

 蓮は、真琴の隣に立った。

 肩が、触れる。

 その瞬間、痛みが――

 変質した。

 完全には消えない。

 だが、偏りが薄れる。

「……っ」

 真琴が、息を吸う。

「馬鹿……」

 そう言いながら、

 どこか、安堵したようにも見えた。

 光が、二人の間で揺れる。

 観衆の中から、声が上がった。

「……一緒に、立ってる」

「逃げてない」

 囁きが、連なっていく。

 恐れが、少しずつ、

 別の感情に変わっていく。

 希望。

 その瞬間、

 光の粒が、枝のような形を取り始めた。

 空間の中央に、

 小さな芽が現れる。

「これは……」

 蓮が呟く。

「選択の痕跡です」

 エリオスが答える。

「分け合われた犠牲は、

 未来を支える“枝”となる」

 芽は、ゆっくりと伸びていく。

 だが、試練は終わらない。

 突如、光が荒れ狂った。

「……来る!」

 真琴が叫ぶ。

 今度の痛みは、記憶だった。

 失敗。

 拒絶。

 言えなかった言葉。

 蓮の脳裏に、桜の笑顔が浮かぶ。

 ――約束、守れなかったらどうする。

 胸が、締め付けられる。

 そのとき、真琴の声が聞こえた。

「蓮、見るな!」

 声が、近い。

「俺を見る」

 視線を向けると、

 真琴が、こちらを見ている。

 痛みを抱えながらも、

 目を逸らしていない。

「一人で抱えるな」

 その言葉が、

 深く、胸に落ちた。

 蓮は、頷いた。

 二人は、並んで立つ。

 観衆のざわめきが、

 確かな支えへと変わる。

 芽は、枝となり、

 枝は、空間を支え始めていた。

 試練は、終盤へ向かう。


第9章 桜の大樹

 枝が、伸び続けていた。

 光の枝は、空間の中心から放射状に広がり、やがて天へと向かう一本の幹へと集束していく。

 揺らぎながらも、確かに形を成している。

「……木だ」

 真琴が、息を呑む。

 それは、まだ幼い。

 だが、倒れそうには見えなかった。

 根が、見えないところで張られている。

 分け合われた痛みが、そのまま土壌になっているようだった。

「選択が、形を持ち始めています」

 エリオスの声が響く。

「この試練は、もはや個人のものではありません」

 観衆のざわめきが、広がる。

 人々は、木を見上げている。

 恐れよりも、戸惑いが勝っている。

 理解が、追いついていないのだ。

「馬鹿な……」

 低い声。

 空間の縁に、影が現れた。

 ヴァルドだ。

 仮面の奥から、冷笑が漏れる。

「痛みを分け合えば、未来が生える?

 随分と、都合のいい神話だ」

 視線が、木に向けられる。

「そんなもの、幻想だ」

 観衆の中で、誰かが身じろぎした。

 揺らぐ空気。

 蓮は、一歩、前に出た。

「幻想じゃない」

 自分でも驚くほど、声ははっきりしていた。

「俺たちは、ここに立ってる」

 ヴァルドの視線が、蓮を捉える。

「立っているだけだ」

 嘲るような声。

「証明は?」

 蓮は、真琴を見た。

 真琴は、黙って頷く。

 それだけで、十分だった。

「証明なら」

 蓮は、観衆に向き直った。

「ここにある」

 人々の視線が、集まる。

「誰かが一人で背負って、倒れていたら、

 この木は、生えなかった」

 言葉が、広がっていく。

「逃げていたら、枝は折れていた」

 観衆の中で、小さな声が上がる。

「……確かに」

「見ていた」

 同意が、点となり、線になる。

 ヴァルドが、舌打ちした。

「群れれば正しい、という理屈か」

「違う」

 蓮は、首を振った。

「選んだんだ」

 胸に、力が宿る。

「一人で勝つこともできた。

 誰かを犠牲にして進むこともできた」

 だが、そうしなかった。

「並ぶことを、選んだ」

 真琴が、隣に立つ。

「怖かったけどな」

 苦笑混じりの声。

「それでも、逃げなかった」

 観衆の中から、拍手が起きた。

 最初は、ためらいがちだった。

 だが、次第に広がっていく。

 ヴァルドの仮面が、わずかに歪む。

「拍手で、世界は変わらない」

 エリオスが、一歩、前に出た。

「しかし、選択は残ります」

 静かな声。

「この大樹は、記録です」

 幹に、光が走る。

「誰が、何を恐れ、

 それでも何を守ったのか」

 観衆の中で、誰かが涙を拭った。

 木の枝に、小さな蕾が生まれる。

 淡い色。

「……桜」

 蓮の胸が、締め付けられる。

 記憶の中の笑顔が、重なる。

 ヴァルドは、後退した。

「神話に逃げるな」

 吐き捨てるように言う。

「現実は、もっと冷たい」

「だからこそだ」

 蓮は、視線を逸らさない。

「だから、守る」

 真琴が、短く言った。

「壊すより、ずっと難しい」

 ヴァルドは、しばらく二人を見つめていた。

 やがて、仮面の奥で、息を吐く。

「……好きにしろ」

 影が、溶ける。

 空間に、静けさが戻る。

 桜の大樹は、そこに立っていた。

 まだ、完成ではない。

 だが、折れない。

「次が、最終段階です」

 エリオスが告げる。

「この大樹を、どうするか」

 守るか。

 利用するか。

 切り倒すか。

 選択は、残されている。

 蓮は、幹に手を触れた。

 温かい。

 生きている。

 試練は、終わっていない。


第10章 守るという選択

 桜の大樹は、静かに佇んでいた。

 枝先に灯る淡い光が、空間全体を柔らかく照らしている。

 それは安らぎに近い。

 だが、同時に――脆さも感じさせた。

「……勝利条件を提示します」

 エリオスの声が、静寂を裂く。

「この試練の最終条件は、大樹の扱いです」

 観衆が、息を詰める。

「吸収すれば、力を得られる」

 枝が、わずかに揺れた。

「切り倒せば、道は開く」

 幹に、影が落ちる。

「守れば――」

 一瞬の間。

「何も得られません」

 その言葉が、空間に落ちた。

 真琴が、ゆっくりと息を吐く。

「……なるほどな」

 蓮は、胸の奥が冷えるのを感じた。

 何も得られない。

 それは、つまり――

「進めない、ってことか?」

 真琴が問いかける。

「進めます」

 エリオスは訂正する。

「ただし、評価対象にはなりません」

 観衆が、ざわつく。

 勝利を競う場で、

 評価されない選択。

 それが、どれほど異質か。

「……それって」

 真琴が、蓮を見た。

「守るって言ってるのと、同じだろ」

 蓮は、答えなかった。

 視線は、桜の大樹に向いている。

 枝の一本一本に、

 これまでの選択が刻まれている気がした。

「俺は」

 真琴が、静かに言った。

「切り倒す」

 即断だった。

 観衆の中で、息を呑む音が走る。

「悪いが、綺麗事はここまでだ」

 真琴の声は、落ち着いている。

「これは試練だ。

 勝ち残らなきゃ、意味がない」

 蓮は、ようやく真琴を見る。

「勝つために、壊すのか」

「違う」

 真琴は首を振る。

「壊すから、勝てる」

 その言葉は、刃のようだった。

「俺は、ずっとそうしてきた」

 一歩、前に出る。

「並ぶのが怖かった。

 だから、勝ちに行った」

 蓮の胸が、締め付けられる。

 分かる。

 分かるからこそ、否定できない。

「……俺は」

 蓮は、幹に触れた。

 温かさが、手のひらに伝わる。

「守る」

 その言葉が、空間に響く。

 真琴が、目を見開く。

「正気か?」

「正気だ」

 蓮は、視線を逸らさない。

「ここまで来て、

 これを壊して進む意味が、俺には分からない」

 観衆の視線が、二人を行き来する。

「守れば、評価されない」

 真琴が言う。

「それでも?」

「それでもだ」

 蓮は、静かに答えた。

「俺は、ここで勝つために来たんじゃない」

 胸の奥から、言葉が湧き上がる。

「約束を、終わらせるために来た」

 真琴の表情が、揺れた。

「……桜、か」

 小さく、呟く。

 蓮は、頷いた。

「忘れてなかったんだな」

「忘れられるか」

 苦笑。

 しばし、沈黙。

 やがて、真琴が一歩、後退した。

「……分かった」

 声は低い。

「ここで割れるってことだな」

 エリオスが、告げる。

「選択を確認します」

 白銀の光が、二人を分けるように立ち上がる。

「蓮。

 あなたは、大樹を守る」

「はい」

「真琴。

 あなたは、大樹を切り倒す」

 真琴は、一瞬、言葉を詰まらせた。

 だが、次の瞬間。

「……いいや」

 首を振る。

 観衆が、ざわめく。

「俺は」

 真琴は、蓮を見た。

「切り倒さない」

 蓮の目が、見開かれる。

「勝ちたいと思った」

 真琴の声は、震えていた。

「でも……それ以上に」

 一歩、蓮の隣へ。

「逃げたくない」

 光が、静かに消える。

 エリオスが、深く頷いた。

「選択を受理します」

 だが、その表情は、わずかに変わった。

「ただし」

 空気が、張り詰める。

「その選択は、

 最後の条件を、より厳しくします」

 桜の大樹が、ざわめいた。

 次が、最終局面だ。


第11章 選ばれなかった者たち

 静寂は、長くは続かなかった。

 桜の大樹の周囲で、光が不規則に揺れ始める。

 枝の先に宿っていた淡い輝きが、ひとつ、またひとつと不安定になっていく。

「……何が起きている」

 真琴が、低く呟いた。

 エリオスは答えない。

 代わりに、観衆の中から声が上がった。

「おい……俺たち、どうなるんだ」

 ざわめきが、連鎖する。

「守るって言ったよな?

 それで、試練は終わるんじゃないのか」

「評価されないって、どういう意味だ」

 恐れが、空間を満たす。

 蓮は、胸の奥がざわつくのを感じていた。

 嫌な予感が、確信に近づいていく。

 そのとき――

 ヴァルドが、ゆっくりと拍手をした。

「素晴らしい」

 乾いた音。

「実に、美しい選択だ」

 仮面の奥から、嘲笑が滲む。

「だがな……考えたことはあるか?」

 観衆に向き直る。

「守るという選択が、

 誰を切り捨てるか」

 空気が、凍りついた。

「……どういう意味だ」

 蓮が、問いかける。

 ヴァルドは、桜の大樹を指さした。

「その木は、分け合われた犠牲の集合体だ」

 枝が、きしむ。

「だが、すべてが分け合われたわけじゃない」

 観衆の中の一人が、膝をついた。

「俺は……何も、選んでない」

 声が、震えている。

「怖くて、ただ見てただけだ」

 次の瞬間。

 その人物の足元の光が、消えた。

「……え?」

 床が、抜ける。

 悲鳴が、途中で途切れた。

 蓮は、息を呑んだ。

「何を……!」

「選ばれなかった者だ」

 ヴァルドは、淡々と言った。

「守るという選択は、

 全員を救う選択ではない」

 観衆が、後退する。

 恐怖が、現実になる。

「逃げるな」

 ヴァルドの声が、鋭くなる。

「お前たちは、ずっと見てきた。

 痛みも、選択も」

 一人、また一人と、

 足元の光が揺らぐ。

「……蓮!」

 真琴が叫ぶ。

「このままだと……!」

 蓮は、桜の大樹に触れた。

 温かさは、まだある。

 だが、揺らいでいる。

「エリオス!」

 叫ぶ。

「これは、試練なのか!?」

 エリオスは、ようやく口を開いた。

「はい」

 短い答え。

「守る選択は、

 守れなかった者の存在を、直視する試練です」

 胸が、締め付けられる。

「そんな……」

「だからこそ」

 エリオスの声は、揺るがない。

「“勝利条件”にならない」

 観衆の中で、誰かが泣き崩れた。

「助けてくれ……!」

 蓮は、歯を食いしばった。

 守ると言った。

 だが、救えていない。

「……それでも」

 ヴァルドが、囁く。

「それでも、お前は言えるか?」

 仮面の奥の視線が、突き刺さる。

「この選択が、正しいと」

 蓮は、言葉を失った。

 正しいかどうか。

 そんな尺度で、測れるのか。

 次の瞬間、真琴が前に出た。

「黙れ」

 低い声。

「お前は、間違ってる」

 ヴァルドが、眉を上げる。

「ほう?」

「守るってのはな」

 真琴は、観衆を見回した。

「全員を救えるって意味じゃない」

 蓮は、はっとする。

「救えなかった事実を、

 背負い続けるって意味だ」

 その言葉が、空間に落ちた。

 観衆の中で、泣き声が止まる。

 真琴は、蓮を見る。

「だから、逃げない」

 蓮の胸に、熱が戻る。

「俺もだ」

 蓮は、桜の大樹の幹に、両手を当てた。

「救えなかった者を、

 忘れない」

 枝が、強く揺れた。

 だが、折れない。

 ヴァルドは、しばらく二人を見つめていた。

 やがて、吐き捨てる。

「……重たい選択だ」

 影が、薄れる。

 観衆の中で、足元の光が安定し始める。

 全員ではない。

 だが、止まった。

「試練は、最終段階へ移行します」

 エリオスが告げる。

「次は――

 守る理由そのものが問われます」

 桜の大樹が、静かに輝いた。


第12章 選ばれなかった選択

 空間が、静まり返っていた。

 これまで絶えず響いていた足音も、声も、

 今はどこにもない。

 残っているのは、蓮と真琴、

 そして、観衆の視線だけだった。

 中央には、円形の台座。

 その上に、淡い光が集まっている。

「最終条件を提示します」

 エリオスの声が、いつもより低く響いた。

「勝利の条件は一つ」

 間を置いて、言葉が続く。

「――対峙する者を、倒すこと」

 空気が、わずかに震えた。

 観衆の中に、ざわめきが広がる。

 だが、誰も声を上げない。

 理解しているからだ。

 ここまで来た者同士が、

 最後に残る条件が何なのか。

 蓮は、真琴を見た。

 真琴も、こちらを見ている。

 距離は、近い。

 手を伸ばせば、届くほどだ。

 ――ここまで来た。

 その事実が、重く胸に沈む。

 数え切れない脱落。

 選ばれなかった者たち。

 その上に、今、自分は立っている。

「……倒す、か」

 真琴が、低く呟いた。

 感情は、読み取れない。

 だが、視線だけは逸らさない。

 蓮は、答えなかった。

 言葉を選べば、

 その瞬間に、何かが決まってしまう気がした。

「この条件は、変更できません」

 エリオスが告げる。

「拒否は、敗北を意味します」

 淡々とした宣告。

 だが、その言葉は、刃のようだった。

 勝つためには、

 目の前の存在を否定しなければならない。

 それが、この試練の結論だ。

 蓮は、拳を握った。

 力が、欲しいわけじゃない。

 勝利が、目的だったわけでもない。

 それでも、ここまで来た。

 理由は、一つしかない。

 ――守る。

 だが、今、この場で、

 何を守るのかが、問われている。

 真琴が、一歩、前に出た。

 観衆の息が、揃う。

 真琴は、止まった。

 それ以上、進まない。

「……なあ」

 真琴が、口を開く。

「これってさ」

 言葉を探すように、間を置く。

「最初から、

 俺たちに選ばせる気、なかったよな」

 エリオスは、答えない。

 沈黙が、肯定になる。

 蓮は、理解した。

 ここに至るまでのすべては、

 この瞬間のためにあった。

 倒すか、失うか。

 それ以外の選択肢は、

 最初から用意されていない。

 真琴が、笑った。

 ほんの一瞬、

 昔と同じ、力の抜けた笑い方だった。

「……相変わらずだな」

 誰に向けた言葉か、分からない。

 真琴は、視線を上げた。

「蓮」

 名前を呼ばれる。

 それだけで、胸が締め付けられた。

「俺はさ」

 一歩、下がる。

 台座から、距離を取る。

「倒されるために、ここに来たわけじゃない」

 観衆が、ざわつく。

 その意味を、理解しかけている。

 蓮は、喉が乾くのを感じた。

「……待て」

 思わず、声が出た。

 真琴は、首を振る。

「違う」

 静かな声。

「選ばないだけだ」

 真琴は、武器を下ろした。

 その音が、やけに大きく響く。

「倒す条件なら、

 俺は、それを満たさない」

 空間が、ざわめきに包まれる。

 拒否。

 それは、敗北を意味する。

 だが、真琴の表情には、迷いがない。

 蓮は、動けなかった。

 勝てばいい。

 それだけなら、簡単だった。

 だが――

 勝つために、壊す。

 その選択を、

 自分は、受け入れられるのか。

 エリオスの声が、響く。

「……確認します」

 間。

「この条件を拒否する者は、

 ここで脱落します」

 真琴は、頷いた。

 蓮は、その姿を見つめた。

 胸の奥で、何かが、静かに折れる。

 同時に、

 別の何かが、立ち上がった。

 ――約束。

 理由は、説明できない。

 だが、確かに、

 自分をここまで運んできたもの。

 蓮は、一歩、前に出た。

「……俺も」

 声が、震える。

「その条件は、選ばない」

 観衆のざわめきが、

 大きく膨らんだ。

 エリオスは、沈黙した。

 初めてのことだった。

 条件が、崩れた。

 試練の前提が、

 揺らぎ始めている。

 蓮と真琴は、並んで立った。

 勝者はいない。

 敗者も、いない。

 ただ、

 選ばれなかった選択だけが、そこにあった。


第13章 桜は、ここにあった

 最初に変わったのは、音だった。

 ざわめきが、ほどける。

 言葉にならない息遣いが、空間を満たしていく。

 蓮と真琴が条件を拒んだまま、

 円形の台座に立ち続けている。

 誰も、次の言葉を持たない。

 エリオスですら、沈黙していた。

 ――何かが、起きる。

 それは予感ではなかった。

 観衆の多くが、同時に同じ方向を見たからだ。

 空間の端。

 何もないはずの場所に、

 淡い揺らぎが生まれている。

 光でも、影でもない。

 温度の変化のような、

 わずかな歪み。

 次の瞬間、

 風が吹いた。

 ここには、風など存在しないはずだった。

 衣擦れの音。

 髪が揺れる。

 観衆の誰かが、息を呑む。

「……匂いが」

 小さな声。

 甘く、かすかな香り。

 記憶を刺激する匂い。

 春。

 蓮の胸が、強く鳴った。

 視界の端に、色が差す。

 淡い、薄紅色。

 花びらだった。

 一枚、また一枚と、

 どこからともなく舞い落ちる。

 地面に触れる前に、

 消えていくはずの花びらが、

 今は、確かにそこにある。

「……桜?」

 誰かが、呟いた。

 その言葉をきっかけに、

 空間が、変質していく。

 歪みは、幹になり、

 光は、枝へと伸びる。

 何もなかった場所に、

 大樹が立ち上がった。

 巨大で、静かで、

 圧倒的な存在感。

 花は咲いていない。

 だが、桜だと分かる。

 理由は、説明できない。

 ただ、

 そうだと知っている。

 蓮は、動けなかった。

 胸の奥に、

 押し込めていた記憶が、溢れ出す。

 笑っていた顔。

 泣きながら、約束した声。

 ――大丈夫。

 その言葉だけが、

 何度も、何度も、繰り返される。

 真琴が、隣で息を詰めた。

「……来たな」

 短い言葉。

 だが、震えている。

 観衆の中に、変化が広がる。

 膝をつく者。

 目を逸らせない者。

 誰かが、手を伸ばした。

 触れた瞬間、

 その人影が、光を帯びる。

 枝が、一本、増えた。

 それは、

 観衆の選択が、形になった瞬間だった。

 理解が、連鎖する。

 誰もが、

 ここまで来る間に、

 何かを選び、何かを諦めてきた。

 倒すか、倒されるか。

 進むか、落ちるか。

 だが、今、

 別の選択が示されている。

 壊さない、という選択。

 観衆の中から、

 一人、また一人と、

 大樹へ歩み寄る。

 触れる。

 枝が増える。

 花びらが、舞う。

 桜は、

 最初から完成していなかった。

 選択によって、育っている。

 蓮は、足元を見る。

 自分は、何をした?

 倒さなかった。

 それだけだ。

 だが、それだけで、

 ここに至った。

 蓮は、ゆっくりと手を伸ばした。

 幹に触れる。

 温かい。

 生きている。

 その瞬間、

 視界が、白く弾けた。

 記憶が、流れ込む。

 桜の下で、

 二人並んで立っていた。

 まだ、何者でもなかった頃。

「……約束だ」

 誰かの声。

 自分の声だったのか、

 桜の声だったのか、分からない。

 真琴が、同じように幹に触れる。

 二人の間に、

 言葉はない。

 だが、十分だった。

 空間全体が、

 淡い光に包まれていく。

 エリオスの気配が、

 ゆっくりと戻ってくる。

 だが、その声は、

 まだ、響かない。

 試練は、

 終わっていない。

 だが、

 答えは、すでに出ていた。

 桜の大樹は、

 静かに、そこに立っていた。

 誰のものでもなく、

 誰か一人の勝利でもなく。

 ただ、

 選ばれなかった選択の、

 証として。


第14章 勝者のいない場所

 光は、ゆっくりと薄れていった。

 桜の大樹は消えない。

 だが、花びらは舞い止み、

 風も、次第に静まっていく。

 残ったのは、

 大樹と、人々の呼吸だけだった。

 蓮は、深く息を吐いた。

 終わった、という感覚はない。

 代わりに、

 戻ってきた、という感覚があった。

 どこへ、とは分からない。

 だが確かに、

 ここではない場所へ。

 エリオスが、前に出た。

 いつもと変わらぬ表情。

 だが、その声には、

 わずかな揺らぎがあった。

「……試練は、ここで終了します」

 観衆の間に、静かな波紋が広がる。

「勝者は?」

 誰かが、問う。

 エリオスは、すぐには答えなかった。

 桜の大樹を、一度だけ見上げる。

「勝者は、定義されません」

 その言葉に、

 戸惑いと、安堵が混じる。

「本来、この試練は、

 “選び続ける者”を残すためのものでした」

 淡々とした口調。

「ですが、今回――

 条件そのものが、選ばれなかった」

 沈黙。

 それ以上の説明は、ない。

 真琴が、肩をすくめた。

「らしいな」

 軽い言葉。

 だが、その目は、桜を見ている。

「終わったのか?」

 蓮は、小さく尋ねた。

 エリオスは、首を横に振る。

「終わりは、ありません」

 即答だった。

「あなた方が、選び続ける限り」

 それは、祝福でも、宣告でもない。

 ただの事実だった。

 観衆が、動き始める。

 去る者。

 立ち尽くす者。

 誰もが、

 自分なりの“持ち帰るもの”を抱えている。

 桜の大樹に触れ、

 何も言わずに離れる者もいた。

 枝は、もう増えない。

 だが、減りもしない。

 蓮は、ふと気づく。

 この大樹は、完成しない。

 だからこそ、

 ここに立ち続けている。

 真琴が、隣に来た。

「……結局さ」

 間を置いて、続ける。

「俺たち、

 何も“勝って”ないよな」

 蓮は、少し考えてから、答えた。

「失わなかった」

 それだけで、

 十分だった。

 真琴は、鼻で笑う。

「相変わらずだな」

 だが、悪くなさそうだった。

 光が、再び揺らぐ。

 世界の輪郭が、滲み始める。

 ――戻る時間だ。

 蓮は、最後に、桜を見た。

 花は咲いていない。

 それでも、確かに、そこにある。

 守ると決めたものは、

 手の中にはない。

 だが、

 失われてもいない。

 それでいい。

 蓮は、一歩、踏み出した。

 真琴も、同時に歩き出す。

 別々の方向ではない。

 同じ未来でもない。

 ただ、

 選ぶという行為を、手放さない未来へ。

 背後で、

 エリオスの声が、静かに響いた。

「――愛と約束の昇華こそ、

 真に試練を越えた証です」

 それが、

 最後の言葉だった。

 次の瞬間、

 光が、すべてを包む。

 桜の大樹は、

 誰にも見えなくなる。

 だが――

 選ばれなかった選択は、

 確かに、残った。



(終)


この物語を書き終えたとき、

私の中に残ったのは「正しい答え」ではありませんでした。

勝つこと。

選ばれること。

認められること。

私たちは日常の中で、無意識のうちにそれらを目指し、

ときに、それ以外の選択肢を最初から捨ててしまいます。

本作で描いた「試練」は、

特別な異世界の装置であると同時に、

私たちの現実にも静かに存在しているものです。

誰かに勝たなければ前に進めないと感じたとき。

守りたいものより、評価を優先してしまいそうになったとき。

もしこの物語の一場面が、

そんな瞬間にふと思い出されることがあれば、

書き手として、これ以上の喜びはありません。

勝者がいなくても、

誰かを倒さなくても、

それでも未来は続いていく。

この物語が、その可能性の一つとして、

読者の中に静かに残ることを願っています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ