偽聖女のささやかな復讐
誤字報告ありがとうございます。何カ所か加筆修正しました。
「聖女キャロット・グラッセ! 本日この時をもって聖女としての任を解く。同時に俺との婚約も破棄する! 異論は認めん!」
「はい喜んで!」
神殿の正面に設けられた王族用の席から告げるドミニク王子に向かい、キャロットは満面の笑顔で即答した。
言ってしまってからここは狼狽えるべきだったかな? と思ったけれど、王子は満足そうなので安堵する。よっぽど私との婚約が嫌だったのだろう。
(王子が嫌がる理由は単に見た目と地位の低さが理由よね。……まあ、それも理由にしては十分か)
などと考えている間にも、壇上の王子は満足げに笑いキャロットを見下している。
「物わかりがいいな! 最初からそのようにはきはきとしていればよかったのだ」
「殿下の仰る通りですわ。お茶会に招いても俯いて視線を合わせもしない。陰気でぱっとしない聖女なんて、殿下に相応しくありませんもの」
ピンクブロンドの美しい髪を揺らしドミニクに寄り添い高笑いするのは、バニラ・ダイヤ公爵令嬢だ。彼女は元々ドミニクの婚約者で、キャロットが聖女となったことにより婚約破棄されている。
(貴族のマナーなんて知らないからね。愛想悪くしていれば、声もかけられないし。なにより庭師と貴族のご令嬢様の話題に共通点なんてないもんね)
キャロットは庭師だ。鍬とシャベルを遊び道具として育ち、五歳の頃には両親と共に薔薇の剪定ができる腕前を持った生粋の庭師である。
「その赤茶の髪も日に焼けた肌も、聖女に相応しくない!」
「田舎育ちの庭師の娘が、殿下の隣に立てるなんて勘違いも甚だしいですわ!」
(ちょっと待って、髪はお母さん譲りの自慢の髪よ! それに日焼けは立派な庭師の証!)
親と仕事を侮辱されたキャロットは反論しかけるが両手を握りしめてぐっと堪えた。
ここには自分に味方してくれる者は誰もいない。それどころか聖女を解雇された今、王太子と公爵令嬢に不敬な態度を示せば問答無用で首が飛ぶ。
「聖女として何の力もないお前を養うことは、国費の無駄遣いだ!」
(それは仰る通り。でもさ、あんたたちやり過ぎだよ)
「さっさと出て行け!」
高らかに宣言するドミニクに、キャロットは涙を堪えるように両手で顔を覆った。
そうしなければ、笑顔に気づかれてしまうからだ。
(落ち着け私、王都に来て十カ月。やっと巡ってきたチャンスを台無しにする訳にいかない)
自分が偽聖女であるのはキャロット自身が一番よく分かっている
(病を癒やせ、とか命じられたら一発でバレたけど。祈りの内容が「国を豊かにしてください」なんてふんわりしたものだったのはラッキーだったわ)
ともあれ本当の聖女が祈りを捧げたお陰で、このロルン国は豊かになりつつあった。隣国からの借金返済の目処が立ったらしいと、キャロットの耳にも噂は聞こえている。
国庫は潤い、王族が多少贅沢をしても数年は余裕のある生活ができるだろう。
つまりキャロットはお払い箱になったのだ。
だから王子は「婚約破棄」を宣言したのである。
(ええ、勿論出て行きますよ。だって私聖女じゃありませんし。ていうか、どうして皆さん気が付かないんでしょうね?)
キャロットは心の中で首を傾げた。
***
十ヶ月前、辺境にあるレイン伯爵家に聖女がいると神託が下った。
伯爵家には年老いた婦人と、グラッセ一家しか住んでいない。聖女に相応しい年齢の女性はキャロットだけだったので、消去法で聖女認定されてしまった。
すぐさまキャロットは王都に招かれ、あれよあれよという間に強制的に王子と婚約が成立。聖女はこの国の王子と結婚するのだと知ったのは、神殿で婚約同意書にサインする直前のことだった。
ドミニクと恋仲だったバニラからすれば、キャロットの存在が邪魔だというのはわかる。しかしキャロットだって聖女の勤めだけでなく、王子との結婚まで強制されるなんて初耳だった。
(王子がイケメンだってのは認めるわよ。でも誰もがイケメンに恋するわけじゃないですから)
金髪碧眼のドミニクは確かに格好いい。が、恋をするかどうかは別問題。
正直言ってドミニクはキャロットの好みではなかった。
公爵令嬢との婚約を破棄してまで進めたキャロットとの婚約は、聖女の力を王家に縛り付けるために国王が強引に進めた話だと、後日大司教から教えられた。
教会としては聖女を相談もなしに王家に取られることが許せなかったのだろう。あまりに一方的だと憤慨する司教を前にして、これまで国に対して抱いていた不信感の決定打となる。
神託が降りたと連絡が来て以降、キャロットと両親は王家に対して違和感を覚えていた。
そもそもキャロットは聖女ではない。とある人物をかばい、身代わりとして神殿行きを志願したのだ。
本当の聖女が国外脱出の決意を固め出発の準備が整うまでの時間稼ぎとして、聖女を名乗っただけ。
だから神殿で何かしらの儀式をすれば偽聖女だとバレることはあらかじめ想定し、神官や便利屋などに賄賂を渡して逃走の準備は万端にしてあったのだが……。
今日の今日まで、全く誰もキャロットを偽聖女と疑いもしなかったのである。
神託を受けたと語った神官は遠方から呼びよせた者だったらしく、キャロットが王都の神殿に到着した時には既にこの国を出た後だった。
そして聖女に関わる儀式を執り行う大司教や、神殿仕えの神官達。そして王侯貴族はキャロットが聖女だと疑いもせず「これで国庫が潤う」と手放して喜んだのだ。
しかし全員が全員、喜んだわけではない。
最初に敵意をむき出しにしてきたのは、バニラ・ダイヤ公爵令嬢だった。
自分の愛する人を奪った女として、キャロットを憎むのは理解できる。
だから最初のうちは少しだけ、彼女に対して申し訳ないと思っていた。
だが、そんな同情心はすぐに消し飛ぶ。
バニラがキャロットに対する敵意は、貴族のそれにしては陰湿すぎた。
メイドを使って食事に虫を混ぜられたり、贈られた香水に悪臭を放つ薬を仕込まれたり。
お茶会で椅子を一つだけ用意されず立たされるなど、悪意のこもった仕打ちが続いた。
さらに王と王妃がそれらの虐めを知りながら無視していると神官から聞かされたときには、流石にキャロットも「どうなってんのこの国」と呟いたほどだ。
どうやら王妃は息子である王子に近づく女をすべて敵とみなしており、神官が聖女と認定したキャロットに敬意を払うこともなく、まともに言葉を交わしもしなかった。
更にキャロットを困惑させたのは、度を超した仕事量である。
神殿で儀式が始まれば、十二時間もの間立ちっぱなしで祈らされる。
足の感覚がなくなり、意識が遠のき始めると背後から針でつつかれ無理矢理起こされる。
振り返ると儀式を進行する老神官が細い銀の針を手にしており、無表情で尻をつつくのだ。
それでも意識が遠のき倒れそうになると、左右から屈強な騎士に腕を取られ、無理やり立たされた。
ちなみに他の神官達は度々休憩を取り、キャロットの見ている前で酒を飲む者までいる始末。
他にも祈りのない日は神殿の経理や、諸事務。掃除に洗濯など下女と一緒に働くよう指示された。
(これはもう、聖女に対する敬意なんて無いじゃない。ただの嫌がらせよね)
週に一度の休日には、キャロットは温室に籠もって黙々と持ち込んだ苗の世話をした。
故郷から持ってきた植物たちだけが、唯一の慰めだった。
芽を出したばかりの青い葉。香りのよい花。
誰も見向きもしない小さな鉢植えたちに、キャロットは一つひとつ話しかけて辛い日々を過ごしたが、やっと今日で終わるのだ。
***
城の近くに与えられた粗末な屋敷に戻ったキャロットは、早速荷物をまとめ始めた。しかしそう時間はかからない。
庭師なので、着替えは汚れてもいい最低限の服しか持ち込んでいない。神殿から与えられたのは簡素なワンピースだけで、王子から贈られたドレスと宝石は居心地良い生活を送るための賄賂として侍女や女官に渡したので殆ど残っていなかった。
トランクにこれまで支給されたお給料と、王都の本屋で買った植物図鑑を詰めれば終わりだ。
(さてと、そろそろ最後の仕事かな)
そんなことを考えていると、玄関の方で声がした。
「まあ! わざわざお越しくださるなんて。ただいまお茶を……」
「いらないわ。聖女と二人きりで話がしたいの。誰も入らないで」
メイドの動揺をよそに、キャロットの私室へ入ってきたのは、ピンクブロンドを揺らすバニラ・ダイヤ公爵令嬢だった。
先程とは打って変わってやけに機嫌がよさそうだ。
「ごきげんよう、キャロット」
「わざわざ出向いていただき、申し訳ありません」
キャロットは丁寧に一礼する。
視線は合わせず、おどおどと肩を震わせる。見下されるのに慣れているフリをするのも、もう手慣れたものだった。
「それで、どうしても伝えたい「秘密のお話」って、何なのかしら?」
「はい……王都を去る前に、ささやかですがお詫びの品をお納めしたく思いまして」
そう言って差し出したのは、小ぶりな鉢植えだった。
葉は濃く艶があり、三色の花弁を付けた小さい花が咲いていた。
「これは?」
「ミイロ・スミレという名の植物です。口に含めば甘みが広がります。先日侍女に試作品を食べてもらったところ、たいそうご好評いただきました」
「ふぅん……まあまあ可愛いじゃない。わたし、可愛らしい花好きよ。特に——甘い香りのものが」
バニラは嬉しそうな笑みを浮かべ、鉢植えを受け取った。
「さすがは庭師ね。お花を育てることだけは、お上手なようで」
「恐れ入ります」
キャロットは、控えめに頭を下げた。
その口元にはバニラには見えない位置で、かすかな笑みが浮かんでいた。
すでにバニラには、こうして幾つもの苗を献上している。初めは母が品種改良した「プチ・トマート」。これは赤く小さな実を付ける。バニラの茶会でしか食べられない貴重なデザートとして、王族からも注目を集めている。他にも父が作り上げた「サツ・マイモ」は、焼くとホクホクして甘くなる芋だ。こちらも貴族のご婦人方に人気がある。
キャロットが珍しい植物を育てていると耳にしたバニラは、それらの苗を強奪…献上させた。そして自分がアイデアを出しダイヤ家の庭師に指示して作らせたと触れ回っている。
だがキャロットが追放されるとなれば、珍しい苗を手に入れることは叶わなくなる。だからキャロットが追い出される前に、根こそぎ苗を奪いに来るのは想定内だった。なので、あえてキャロットは面倒ごとはさっさと終わらせるべく、バニラを招いたのだ。
(想定内すぎて笑っちゃう)
しかしまだ笑うのは早い。キャロットは媚びる目つきで、バニラを見上げる。
「あの…それから、こちらの苗ですが……。バニラ様からということで、王妃様にお渡しされてはいかがでしょうか」
キャロットは一つの小さな鉢を差し出した。先ほどとは違い、花も実もついていない。
だが、爽やかな香りがふわりと鼻先を擽る。
「……王妃に?」
バニラがわずかに眉をひそめる。だが、すぐに何かを察したように微笑んだ。
「気が利くじゃない。ちょうど何か贈ろうと思っていたの」
王妃に取り入ろうとする女性は多いが、成功した者はいない。
バニラも例外ではなかった。というより、王妃はドミニクに近づく女すべてが気に入らないのだ。王子の婚約者に返り咲いたバニラは、王妃から敵対視されるのは分かりきっている。
「ご機嫌取りには、ちょうどいいわね。見た目は地味だけれどいい香りだし」
「紅茶やお菓子に使うと良いと思います。ただ……こちらの植物は、取り扱いには十分にご注意ください」
キャロットの忠告言葉に、バニラは小さく首を傾げる。
「育てるのが難しいの?」
「この植物は簡単に増やせるのですが、他国では非常に珍しく高値で取引されるのです。悪い輩に盗まれないよう、鉢植えのまま育てて使う分だけ収穫してください」
「ふうん」
バニラの目が細くなった。明らかに興味を同時に抱いた表情だ。
「それともう一つ。こちらは城を堅固にする植物です」
「へえ、便利なものがあるのね」
キャロットは静かに頷いた。
「はい。外壁を少し削って枝を挿せば、雨水を吸って根を深く張り、構造を内側から補強してくれます。育ちやすく広がるのも速いので、領地の防備にはうってつけかと」
「覚えておくわ」
手の中の鉢植えに視線を落としながら、バニラが気のないふうを装って答える。けれど、その指先はどこか楽しげに鉢をなぞっていた。
キャロットはおずおずと顔を上げ、バニラに媚びるような視線を送る。
「それで、あの。伯爵領には……」
キャロットが言いかけると、バニラは片手を上げてさえぎった。
「分かってるわよ。レイン伯爵家の領地なんて、誰も欲しがらないわ。手出しはしない。約束するわ」
しかしバニラの言葉が信用できないことを、キャロットは理解している。どうせ一年もしないうちに新しい苗を寄越すよう圧力をかけてくるに違いない。
何せバニラの浪費は凄まじい。国が豊かになったとはいえ、未だダイヤ公爵家は借金まみれなのだ。
(忠告はしたわ。あとは彼女が、どう使うか)
キャロットは頭を下げながらほっと息を吐いた。
***
バニラが帰ってすぐ、キャロットは以前から手配していた便利屋に馬車を用意してほしいと連絡を入れた。
万が一のときのために、と密かに準備しておいた脱出用の馬車だ。
程なくして、裏口に馬車が姿を現す。脚の速い馬を二頭立てにした小型のものだ。積載量よりも速度重視。乗り心地はお世辞にも良いとは言えないが、目的はただ一つ、伯爵領まで逃げきることだった。
「全く、聖女様を追い出すなんて。王子はどうかしてやがるぜ」
馴染みの便利屋はそうぼやきながら手綱を握った。
「いいのよ。それより助かったわ」
キャロットは馬車に乗り込む直前、トランクから小さな苗を取り出した。不思議な香りを放つ葉が風に揺れる。
「これはお礼です。国が荒れたら、これを持って家族を連れて国を出て」
「……?」
「東の国で薬草として使われている木の苗なの。葉を煎じて飲めば、熱冷ましの薬になるわ。株分けをしてもいいけど、私が譲ったとは言わないで。もし出所を聞かれたら、行商人から買ったとでも言えばいいわ。そうしないと、王家から目を付けられるかもしれないし」
真っ直ぐな視線を向けたキャロットに、男は目を丸くし、すぐに深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、聖女様」
そう呼ばれ、キャロットは内心苦笑する。
(聖女じゃないんだけどね。でも苗は本物だから、許して)
キャロットが馬車に乗り込むと、馬が勢いよく走り出した。
****
伯爵領の実家に戻ったキャロットを出迎えたのは、両親と領主であるオーロラ・レイン女伯爵。そして数少ない領民達だった。
「ごめんなさいね、キャロット」
「いいえ。奥様をお守りするにはこの方法が一番でしたし」
キャロットは手短に自分が王都で受けた仕打ちを話すと、皆呆れたり憤慨したりと一騒ぎ起きる。普段穏やかなオーロラでさえ、眉を顰めてキャロットを抱きしめた。
「本当に申し訳ないことをしたわ」
「いいんです。なんとなく予想はしてましたから。それより奥様、一刻も早く国を出ましょう」
「そこまで本来の血筋が薄れていると、王家の再興は難しいわね。少しでも心を改めてくださったらよかったのだけど」
ここまで拗れてしまっても、まだオーロラは王家を案じている。
「奥様が憂うことは何もございません」
オーロラ・レイン女伯爵。
彼女は正真正銘、女神が認めた聖女である。
もともとは隣国の第三皇女だった女性で、かつて公爵家に嫁いだ身でもある。だが、その婚姻は政略の道具でしかなく、一年経たずに離縁されてこの地へ追いやられた。
当時の領地は、痩せた土地に家が点在するだけ。領民も三十人に満たず、広いばかりで何もない寒村だった。
キャロットの両親は、かつて公爵家で草花の品種改良に従事していたが、つまらない品種ばかり作ると一方的に決めつけられ追い出された。その時、個人的に雇ってくれたのが他ならぬオーロラ夫人だったのである。
離縁された後も、両親は彼女と共にこの辺境に移り住み、献身的に支え続けた。名ばかりの女伯爵という肩書きを与えられたオーロラには真の地位も財もなかったが、それでも領民にとってはかけがえのない主だった。
キャロットはそんなオーロラに、実の孫のように可愛がられて育った。
時おり様子を見に来る「オーロラの子どもたち」そう呼ばれていた若者は、彼女に冷たかった。
彼らはオーロラと血の繋がった子ではない。元夫である公爵が浮気を繰り返し、外で作った子どもだ。
オーロラは夫と一度も床を共にしておらず、いわば白い結婚だった。だというのに、なぜか妻である彼女だけが責められ辺境送りにされた。
「あのばばあ、早くくたばればいいのに」
子ども達がそう陰で囁いたことを、キャロットは幼いながらに知っていた。
(奥様が聖女だって、みんな忘れてたのね)
神託を受けた神官は「レイン家に聖女がいる」とだけ告げた
オーロラの屋敷には、子どもも孫もいない。住んでいるのは庭師の一家。聖女と認められる年頃の娘はキャロットだけ。
オーロラの不遇な境遇を両親から聞かされていたキャロットは、「そんな酷い人達のところへ奥様を行かせるわけにはいかない」と自分を聖女として偽り王都へ向かった。
予想は悪い意味で的中した。王族は聖女を敬うつもりはなく、ただ自分達が豊かになるよう祈れと命じた。
毎日ひたすら祈りを捧げ、与えられるのは粗末な食事。見かねた神官が苦言を呈すると「祈りの邪魔をした不届き者」と見做され国を追い出された。
王子の婚約者として城に招かれる事も多かったキャロットは、仲良くなった侍女達と話をするうちにまことしやかに流れるとある噂を耳にする。
それが「現王は不貞の子」という、事実ならとんでもない話だ。
真偽を確かめるため、キャロットは側仕えの女官にこっそりと賄賂を渡し、情報収集をした。
王族に関わる話を集め、神殿の神官たちの会話を拾い、些細な噂にも耳をそばだてる。
そうして浮かび上がってきたのは、この国の王族と貴族が、非常に乱れた生活を続けた結果、建国当初の王族の血はほぼ排除されてしまったという事実だったのである。
聖女の力を持つ者は王の妃となると定められているが、今の王太后はバニラ以上に嫉妬深かった。決定していた当時の王太子(前国王)との婚約を、直前で反故にされたことへの怒りもあったのだろう。「他国の血が王家に入るなど許されない」と大反対し、結果オーロラはロルン王家の親戚筋である公爵と結婚することになった。というのは表向きの話。
オーロラがロルン国へ入る前から、王太后は当時の王太子以外の男性と肉体関係にあった。正確には多数の下位貴族や平民とも、深い仲だった。というかむしろそっちの方が多かった。
聖女であるオーロラが、王太后の腹に宿った子が王族とはかすりもしない相手との「愛の結晶」だと見破るのではと恐れた。だから何としてでもオーロラを遠ざけなければならなかったのだ。
そして難癖を付けて、公爵に押し付けたというのが真実である。
他にも既に亡くなっている前国王は王配で、しかも王家の血がかなり薄い親戚だったとか。王太后自身も、公爵家の子女と名乗っているが、父の公爵がメイドに手を出して産ませた庶子だと噂がある。
王族がこうなのだから、他の貴族も似たり寄ったりの乱れた血縁となっている。
馬鹿げた真実を知ったキャロットは、王家に対する怒りが爆発した。
なんで私利私欲にまみれた連中のために、奥様が蔑ろにされたのか。そして心優しい奥様が国のために祈らなくてはならないのか、キャロットには納得いかない。
しかし自分はただの庭師だ。王族に逆らえば処刑される。
だからキャロットにできる範囲で、復讐を実行に移すことにした。
キャロットがバニラに贈った苗は、両親から「決して庭に植えてはならない」「増やすのであれば、鉢で育成しなさい」と言われていたものだ。
その名は「スーパー・ミント」。
自身の尊厳、そして何よりオーロラ奥様を侮辱されたのなら躊躇無く使えと両親は言った。
優しい奥様は本物の聖女だ。何をされても相手を許してしまう。だから使うのならば気づかれないように――。
***
一カ月後、隣国の公爵邸にて。
「でも良かったわ。奥様の実家が領民ごと受け入れてくれるなんて。太っ腹ですね」
「私が大切にしている人達は、家族も同然だって。昔から優しい弟なのよ」
現在オーロラの祖国、レイン帝国ではオーロラの弟が皇帝の座についている。
オーロラの輿入れの実情は、ロルン王国に買われたも同然だったらしい。
聖女と引き換えに金や鉱山の権利を得たレイン帝国は、どうにか財政を立て直した。そして貧しさの原因を作り娘を売った父を廃し、弟が後を継いだのだ。
これまでも帝国に戻ってくるように度々手紙が届いていたようだが、縁あって輿入れした国だからとオーロラは帰国を迷っていたのだ。
(奥様は優しすぎるのよ)
オーロラは正真正銘の聖女だ。
与えられた領地だってキャロットの両親とオーロラが来た当時は、本当に酷いものだった。
それがいつしか人が集まり館を建て、村として機能するまでたった数年。オーロラはグラッセ夫妻の改良した枯れた土地でも育つ苗のお陰だと喜んでいたが、聖女の力が無ければこんな順当に事は進まない。
だからオーロラがいなくなったロルン王国は、これから衰退するだろう。
レイン帝国を治めるオーロラの弟君には、全てを話してある。彼は姉の性格を知っているので、キャロットの復讐が知られることはない。むしろ感謝されたほどた。
強欲なバニラは王妃へ献上する前に自邸の庭に植えるはずだ。
王妃と敵対関係にある王太后にも媚を売るために、密かに株分けするのは分かりきっている。
更にバニラは、自慢でマウントを取りたがるタイプだ。お茶会でべらべらと珍しい苗の話をするに違いない。
そして見栄を張りたがる貴族は、バニラから言い値で苗を買う。
あっという間に「スーパー・ミント」は増殖する。そして増えた「スーパー・ミント」は交配の過程で香りを失い、単なる雑草と化す。
その繁殖力だけをそのままに。
根だけで繁殖範囲を広げるスーパー・ミントの情報は、既に周辺国に事情を通達してある。周辺国は国境沿いの地下に植物の根を防ぐ壁を作り、念のため駆除剤の製法も伝えておいた。
ロルン王国とレイン帝国の間には砂漠が広がっているので、乾燥に弱いスーパー・ミントは枯れてしまうので問題無い。
ついでに渡したもう一つの苗は、キャロットが試作した新種だ。元は栄養の少ない土地でも薪を取るために改良した品種だが、正直使いどころには困っていた。
他の草木を枯らさないために、その木は樹皮内に住まわせた微生物で岩を解かし栄養にして成長する。半年もすれば巨木になるが、その幹は堅く斧でも歯が立たない。それだけ力が強いので、栄養分として取り憑かれた岩は絡みつく根と幹に覆われ、まるで絞め殺されるようにして砕けてしまうのだ。
(もしあの絞め殺しの木を城の側に植えたら、どのくらいで倒壊するかしら?)
自分は聖女ではない、ただの庭師の娘だ。だから慈悲なんてないし、理不尽な虐めには倍返し上等である。
何より大好きな奥様を虐げた王族に、良い感情なんであるはずがない。
(自業自得だわ)
冷やしたミントティーを飲みながら、キャロットは思う。
***
その頃王都では、奇妙な草が騒動を起こしていた。
「何よこの雑草は!」
どこからともなく生えてくるそれは、香りが良かったのは最初だけ。貴族達の自慢の庭園は全て「スーパー・ミント」に浸食され見るも無惨な状況だ。
特に自慢の薔薇園をスーパー・ミントに浸食された王妃の怒りは凄まじい。
「これを持ち込んだのは、バニラ・ダイヤ公爵令嬢だったわね! ぶっ殺してやる!」
高値が付くと知って庭の隅へ密かに植えた事を棚上げし、王妃は地団駄を踏んで王族とは思えない下品な暴言を口にする。尤も、彼女は「某伯爵家の娘」とされているが、爵位は夫である王が買い与えたもので本当はただの旅の踊り子だ。
怒りにまかせて花瓶を床に叩き付けた王妃に、ドミニクが恐る恐る進言する。
「お待ちください母上、良い知らせもございます」
「まあ、ドミニク……どうしたの?」
それまでのヒステリーが嘘のように、王妃は柔らかな笑みを浮かべて愛しい息子を手招いた。
「バニラ嬢が城の外壁に挿し木植した苗が根付きました。今は細い枝ですが、頑丈で剣でも斧でも歯が立ちません。これを国境沿いの拠点や城壁に植えれば、我が国は鉄壁の守りを手に入れられます。木が育った頃合いを見て、隣国に戦争を仕掛けてはいかがでしょう?」
バニラを婚約者の立場から排除するチャンスだったが、金をかけず城の防壁を作り出せるとなれば話は変わってくる。ロルン王国は戦力には自信があるが、防御の面で脆さを指摘されてきた。しかし息子の言うとおりなら、他国と戦になっても攻め入られることはない。
「……それなら、庭の件は不問にしましょう。でもスーパー・ミントの駆除と庭園の再生費用は公爵家が出すよう命じなさいね」
「寛大なお言葉、ありがとうございます母上」
これで一安心だと、ドミニクはほっと息を吐く。
しかしスーパー・ミントは至る所にはびこり駆除は一向に進まない。
そして美しいと評判だった城も、一年を持たずに堅い木に覆われ倒壊した。
バニラとドミニク、王族達がどうなったか。それは推して知るべしである。