明るい未来を願うなら
日々が過ぎるのは早いもので、気がつけば三月が経った。
その間、花乃は複雑な感情に心を乱し続けていた。
言わずもがな、すっかり村に居着いてしまった寛のせいである。
◆
寛はつくづく変わった男だと思う。
村人たちにどんな目で見られても何を言われてもちっとも動じない。やけに堂々とした態度だった。
村の片隅の空き家を買い取って暮らしながら、日中はほとんど社へ入り浸るようになっていた。
社で寛が何をしているかと言うと、ひたすら結乃を口説いている。
「顔も声も立ち姿も全てが綺麗だ。会う度に見惚れてしまうから困る」
「結乃殿の髪は美しい絹糸のようだな。この手で結ってもいいだろうか」
「何を考えているのかわからないところまで可愛すぎる」
……等々。
よくぞまあ、甘ったるい言葉をほいほい思いつくものだ。隙あらば結乃の耳に砂糖菓子を詰め込むのはやめてほしい。
もし寛が近づく対象が花乃であったなら苦情が殺到しただろうが、相手は疎まれ遠ざけられている結乃。それに加えて社への参拝という形をとっているため大した問題にならない。
厄介な余所者とはいえ何か問題を起こすわけでもないので、村から追い出されたりはしない。
「寛さんは物好きですね。わたしなどにそこまでの恩義を向けてくださるなんて」
「恩義ではない。情だ」
「…………そうですか」
そう言われて、結乃はどこか嬉しそうにしていた。
結乃の瞳があたたかな輝きを宿すようになったのは、結乃の頬がうっすらと朱に染まるようになったのは、いつの頃だっただろうか。
きっと他の誰にも……寛にすらわからないだろう些細な変化だけれど、結乃は確実に年相応の『普通の女の子』になっていった。
「結乃殿に似合うと思って」と寛に可愛い簪を贈られれば、わずかに表情を緩ませる。
寛が社を去る時、寂しげな空気を漂わせる。
ふわふわと感情なく笑うことしか知らない人形は、もうどこにもいなかった。
花乃はというと、その様子をずっと陰から眺めることしかできない。
胸に渦巻くのは寛への嫉妬。
寛を見定めるべく、何やかやと口実を作っては村人の目を掻い潜り、結乃にすら見つからないようにして社に忍び込んでみたものの、出る幕が一つもなかった。
結乃が嫌がったり寛が強引なことをしようとしたら止めるつもりでいたが、全くその素振りはなかった。
遠ざける理由を見つけられないまま、どんどん仲が深まる二人に歯噛みするばかり。
――ああ、羨ましい。
――結乃の傍にいても、誰にも咎められないなんて。
――ぽっと出のくせに、結乃の心の穴を埋める資格を持っているなんて。
「あなた、旅人なのでしょう。さっさと次の旅に出てはいかが?」
結乃に夕食を届ける際、顔を合わせるので、露骨な嫌味をぶつけてみた。
「結乃殿を悲しませるようなことはできない」
「自信過剰ね」
だが、寛は余裕そのもの。
余計に腹が立つ。
「君は、どうしてそう俺を嫌うのかな」
「うちの巫女に言い寄る不埒な輩を誰が好きになれるものですか。今までの結乃の苦しみも何も知らないくせに」
「結乃殿には受け入れてもらえている。君とも、結乃殿を愛する同志として親しくしたい。結乃殿の過去を教えてくれたら嬉しいのだが」
「お断りするわ」
どうしても癪なのだ。
この世に生を受けて十七年、花乃では叶わなかったことを、たったの三ヶ月で成し遂げられてしまった事実が悔しく、耐え難いほど妬ましく、情けなくて仕方なかった。
こんなの、つまらないわがままに過ぎない。
結乃を真に救えるのは彼だけなのだとわかっていた。
結乃の幸せを願うなら、答えは一つしかないとわかっていた。
わかっていたのに。
「あなたみたいないけすかない奴、私は認めないから」
「じゃあ認められるまで努力するよ」
一瞬の迷いもなく答えられるものだから、彼のこんなところを結乃は気に入ったのだろうなとますます苦い気持ちになった。
◆
馬鹿だ。馬鹿だった。
先延ばしにして、いつまでもうだうだと言っていられると思っていた。思い込んでいた。
花乃の心中はさておき、一見穏やかだった日常は、唐突に崩れ去る。
村に禍が降りかかったのである。
季節外れの水害と、直後に広がり出した疫病。
それは、守り神の怒りのあらわれだという。