旅路の唄
────翼竜との死闘に勝利した、…その数時間後。
長きに及ぶ死闘が終わり、ほとんどの者が疲れ果て、動けなくなっていた。
しかし、そんな時にでも、必ずといっていいほど、お祭り好き♪ はいるものだ。
戦い終わった男と男、そんな程度の小さな宴、『勝利の宴』は、始まっていた。
「ひぃ、ひやぁ~ぴかし、目にぽ留ぱらぬ速ぱって、あでを言ぶんでひょうねぇ~♪」
「おうおう、ユピテルさんよぉ、そんなに俺をおだてたって、…何も出やしねぇぞぉ♪」
強い酒を飲んだせいか、妙にご機嫌なユピテルが、プルトに対してそう言う。
二人で酒を酌み交わし始めてから、まだ、数分、…いや、数十秒だと思う。
もう既に、まったく呂律が回っていないユピテルとなっていた。
「──んっ、くっ、んくっ、くっ、…ぷ、ぷはぁ~っ! やぁ~こりら旨い酒でりゃ~」
「おっ! さすが俺が見込んだだけはある! …さ、ほら、もう一杯いっとけよ!」
「──う、うぃ~、もちょろんでしゅぉ! ふぁ、ぐぶぅ~~~っと、と、と、と……」
「…ユ、ユピテル、…もうその位にしとかないと、…ねっ、さ、さぁ、もうこの辺で」
ダイアナは、ユピテルの背中をベット代わりにするようにして、既に爆睡中だ。
ラケシスは、そんな状態の二人を介抱するべく、先程からずっと手を焼いていた。
「──あぁ~っ、綺麗なぁ~かぁわぁいぃ~ラっケシスぅがいたぁ~♪ ささ、もっとぉ」
「あ、…・えっ!? こ、こらっ、ちょ、ちょと、…あっ、ユ、ユピテルぅ、こ、こらっ♪」
最初こそ威勢の良いダイアナだった。
…が、体格差が三倍以上もあるプルト相手では、流石にもう、分が悪すぎた。
何度か酒を酌み交わすように飲み干しあい、その後、当然のように卒倒する。
そんなダイアナを見ていたユピテルが、“酒に弱いくせに…”と、呆れるように呟く。
すると、“…じゃあ、お前はどうなんだっ!”と、プルトに挑戦状を叩きつけられた。
“俺はこいつと違って強いっすよ♪”と、自信気に挑戦を受けたまでは良かったが。
「──ラァ~ッケシスゥ、ほれっ、ラァケッシス、さぁ、しゃぁどんどん脱いでいこぅ~♪」
「きゃあ、ちょ、ちょっと、…こらっ!? そ、それは流石に、…あっ、あ、あぁぁ~」
“…はぁ、”と、ため息がでる程で、結果はご覧の通り、完全敗北、惨敗である。
先日の宴の席では、街中の人と酒を酌み交わした程、お酒に強かったユピテル。
だが、今度ばかりは流石に相手が悪く、また、お酒の質、いや、度数が高かった。
そもそもプルトにとって、酒は水も同然、…そして、根本的に酔わない体質なのだ。
「──はははにゃやはにゃ、……にゃにゃははにゃぁぁぁぁ、……っっっ、……」
「…こらっもう! こんなとこで、やんちゃは、…だめです、…、よ、…ユピテル?」
酔っ払ったユピテルに押し倒されるように抱きつかれた格好で、呆然とするラケシス。
“…あ、あれっ? 寝ちゃったの?”と、ちょっぴり当惑気味である。
しかし、飛び掛るような抱擁と一緒に届けられたお酒の匂いに思わず顔を歪ませる。
“…うぐっ!”と、どうも酷く嫌な匂いでも嗅いでいるような表情になっていた。
今まで一度として、ユピテルに嫌な顔一つ向けたことが無い、あのラケシスがである。
“全く、どれだけ強いお酒なのですか…”と、提供主のプルトを少し睨みつける。
まぁ、それ程に、想像も出来ないほど強力なアルコール度数を持つお酒のようだ。
「…………すぅ、…ふぅ、…すぅ、…ふぅ」
「…………。」
ユピテルは、今ではもう、すやすやと寝息を立て、ラケシスの胸の中で眠っている。
長い戦いが終わったその直後、すぐにユピテルは歩き出していた。
戦っていた者、けが人、その家族、街の人、全ての者、全員にお礼参りをしていた。
そう、ほんのついさっきまで、戦い終えた者達へ、気遣いをして周っていたのだ。
そんなユピテルも、お酒に堕ちたとはいえ、今はラケシスに抱かれるように眠っている。
よっぽど疲れていたのだろう、そして何より、誰よりも重く、責任を感じていたのだろう。
“顔にはそう書いてあるもの”と、ラケシスが、胸のうちで、優しく小さな声で囁いた。
だ、だが、……。
「──こ、こらっ、…もぉ~、私にこんなことまでしておいてっ! …ポカッポカッ!」
正直、少しご立腹のラケシス、…ちょっとだけだが、先を期待していたようである。
しかし、“私の胸の中で、眠っちゃったかぁ…”と、どこか満足気のようでもあった。
“本当に仕方のない人ね”と、そんな表情、とても嬉しそうな表情に見えるのである。
その時のラケシスは、愛しさと安らぎを持った、慈愛に満ち足りた、そんな表情だった。
何か大事なものを抱きしめるよう、守るよう、そんな姿に見えてしまう、優しい抱擁。
そんな微笑ましい雰囲気を見せつけられたプルトが、“ずぃっ”と、寄って尋ねてくる。
「ん、どうでぃ、そこの姉ちゃんも、一杯いかねぇ~か? もう誰もいやしねぇんだよぉ」
そういって、周囲を見渡すように見ていく。
それに釣られるようにラケシスも周りの様子を確かめるように見つめていく。
言葉の通りの惨状、…惨劇ともいえる、街の強者どもの卒倒ぶりだった。
ラケシスは、“あらあら”と、心の中で、思わず介抱に必要な段取りを考えてしまう。
どうやら、根っからの世話好き、…優しさのボランティア力に満ちた人のようだ。
「すみません、お気持ちだけ頂きます。私まで酔い潰れてしまうと────」
そういって、周囲に酔いつぶれる者達を見回していく。
その仕草に思わず、“いけねぇ、こりゃまいったっ♪”と、大声で笑いだすプルト。
「まっ、確かに、…・これじゃ、流石にいけねぇやぁなぁ、…あはははははっ!!!」
「本当にお恥ずかしい限りです、…でも、そういうことですから、本当にすみません」
“いやいや”と、首を左右に振り、“街をお酒で潰す訳にはいかねぇ”と、言ってくる。
実際、けが人を除く、ほぼ全ての人が、プルトと交わすお酒で飲み潰されていた。
まぁ、長時間の戦闘を終えた後の席なので、疲労が溜まっていたせいもあるだろうが。
「しかし、街が、こんな雰囲気だったとは、流石に思いもしなかったぜ────」
プルトが、酔いつぶれて横たわる人々も含め、街の全体を鑑定するように見ていく。
ぐるっと一周、…二週と、何度も何度も見渡して、“良い街だな…”と、呟く。
その呟きが聞こえたラケシスは、ゆったりとした間をとりながら、プルトに返事を返す。
「──はい。私もそう思います。そして、街の全ての民、全員がそう思っています♪」
いつもと変わらぬ優しい笑顔で、そう、プルトに言い返すその表情、その仕草。
穏やかで、…静かで、…優しくて、…そして何より、…とても、あったかい。
そんな空気を感じ取る、心か身体か、どこかは判らぬその場所で……。
そんな見えない、言葉にでいない、…そんな何かを確かに感じたプルトだった。
「そうだな────」
「──はいっ♪」
何がそうさせたのか、普段の印象からは想像できない穏やかな表情になるプルト。
お酌に付き合うのが面倒なので、ずっと狸寝入りしながら様子をみていたエラト。
初めて見るその顔は、胸のうちをとても暖かくする、…そんな表情に映ってみえた。
“…へぇ、あんたもそんな顔するんだねぇ”と、プルトに少しだけこっそり惚れ直す。
そんな事を思われているなどと、露とも考えてないプルト。
眠っていると思い込んでいるせいか、回りを気にせず、思っていた事を語りだす。
「──あんた、そいつが好きかい?」
突然の問いであるにも関わらず、ラケシスは、戸惑うことなく、返すべき答えを思う。
何か壊れ物でも抱きしめているように、さらにそっと抱え直しながら、想いを述べる。
「私にも判りません、でもたぶん、…そう、たぶん、私はユピテルの事が────」
そう言いながら、胸に抱え込んでいるユピテルを愛しそうに抱きしめ、顔をうずめる。
“…ここが私の居場所”と、そう訴えたいかのような、そんな仕草と感情に思えた。
そんな姿を改めて目にしたプルトは、“これは、俺の勘だが…”と、質問してくる。
「──そいつは、いつの日か、この世界から、いなくなる奴じゃないのかい?」
“!!!!!!。”と、驚きと戸惑いを混ぜたような気持ちを感じるラケシス。
だが、反面、“もちろん、判っている…”と、どこか責めるように心の中でそう呟く。
プルトが発した言葉を否定できない自分が、少し腹立たしくも思える始末だった。
「悪い事は言わねぇ、…本気になる前に、気持ちは捨てちまいな。…でないと」
誰だか判らない声の主、…その導きの声で出会っただけの薄っぺらな関係。
恐らく、自分の目の前を通り過ぎるように居なくなる人、…そう理解していた。
そしてそれは、もうそんなに遠くの事じゃない。…そうどこかで確信を感じていた。
「別れが辛くなる。…想いの深さだけ、強さだけ、それは大きく、跳ね返ってくる」
「……………!」
そんな様子を狸寝入りのふりをしたまま聞くエラト。
終始無言でプルトの話を聞き続けるラケシス。
ラケシスは、愛しそうに顔を埋めたままの状態で、想う事、感じる事を口にする。
「──とうに覚悟は、できています、…でも、…今はまだ、……今だけはまだ」
「……………。」
狸寝入りしていたエラトが、気まずくなったのか、寝返りをうつように背を向ける。
“…耳が痛い話だねぇ”と、心の中で、そんなことを思わず呟くエラト。
同種族でさえ色恋沙汰は面倒なのに、相手があの坊やとは…、と、息を吐く。
その際にズレ堕ちたエラトの毛布を、プルトが気遣うようにして、優しくかけ直す。
「すまねぇ、野暮なこと聞いちまったな、…わりぃ、俺も少し酔いがまわったかもな」
言葉ではそう言いながら、全くシラフ状態のプルト。
でも、この際なので、もう一つだけ、今のラケシスには、伝えておきたい事があった。
余計なおせっかいだろうな、…と、自分自身で理解しながらも、言葉にしていく。
「──こいつはきっと凄ぇ事をやらかす、こいつは、そんだけの器をもってやがるっ!」
「…はい、きっとそれは間違いないと、……私もそう、……思います……」
「もし俺が、あんただったら、きっと、同じ想いをこいつに抱いたと思うぜ、…そして」
“そこのお嬢ちゃんも同じだろうな…”と、呟きながら、眠るダイアナを見つめる。
呼応するように、“その通りです”と、ダイアナの髪をなでながら応えるラケシス。
「この子も、私も、きっとこれが、…初恋なんです、…初めて抱く、感情ですから」
「そうか、初めての気持ちか────」
「はい……」
ゆったりとした空気が生まれるのを感じる。
優しい気持ちが、柔らかで、暖かい、…そんな雰囲気が伝わってくるようだった。
そんな空気が後押ししたのか、プルトが、柄にも無いようなセリフを口にする。
語りの前に“これは、恋愛の先輩としてアドバイスだ”と、照れながら付け加えて。
“コ、コホンッ!”と、ひとつふたつ咳払いをした後、夜空を見上げながら語りだす。
「俺は、こいつが、愛しくて愛しくて、たまらねぇ。だから、いつも心配に思っちまう!」
そういって、エラトの頭を起こさないように気遣うように優しくなでまわす。
“…な、何恥ずかしい事いってんだいっ!”と、寝たふりしたまま動揺するエラト。
エラトが、実は起きていると気付きもせず、プルトは、己が胸の内を明かしていく。
「俺はこいつが好きだ。…だが、それは俺の勝手な気持ちで、こいつには関係ねぇ」
流石に今更起きていたとは言えないので、エラトは、そのまま話を聞いていく。
ラケシスは、“そうですね…”と、自分自身へ言い聞かせるように頷き、同調する。
「俺は、俺のやり方、愛し方で、こいつを愛してぇ、愛し続けてぇ。…ただそう思う」
「…………。」
「だから、もしこいつが俺と別れてぇといったとしら、こいつの為になるなら、俺は従う」
『!!!!!!。』 エラトは耳を疑う。
“…別れても構わないとは、どういう意味だい?”と、心の中で怪訝に呟く。
だが、その真意はまだ話し終えていない、理由をこいつは話していない……。
複雑な想いを抱えながらも、仕方なく、しばらく、そのまま聞き耳を立て続ける。
すると、思わぬ方から同調するような声が出てきた。
「まだ何となくですが、そのお気持ち、今なら判る、…そんな気がします……」
ラケシスは、ユピテルを抱きかかえながら、寝顔を見つめ、そう応える。
エラトは言葉を失念し、その意味を探そうと考え込む。
“色恋も初めての小娘に理解ができる?”と、自分が理解できない理由を探す。
プルトが、その答えを語るように、続きを話し出す。
「結ばれるかどうかは、関係ねぇ、大事なのは、ただひとつ!! 俺はそう思う!!」
「ただ一つの大事なもの、…ですか。今までの私では、考える事もないお話ですね」
ラケシスは、“…なんだろう?”と、そんな事を自然に考える。
エラトは、さっきと同じように心の中で、答えを考えてみる、“…何のことだい?”と。
二人が、その問の答えを呆然と思案している最中、プルトは、己の解答を語りだす。
「──そいつの事が、死ぬほど好きか、死ぬほど愛しているか、それだけだっ!!!!」
プルトは、ハッキリと言い切った、…好きの行為に、『死の覚悟』という比喩を加えて。
だが、ラケシスには、その言いたい事が、何となく判る気がした。
きっと、“…この事だ!”と、そう感じる胸の内に秘めた想いを、しっかりと感じていた。
だからこそ躊躇うことなく、それを確認するため、問い返す形の尋ね方で、プルトに言う。
「──その相手の為なら、いつでも死ねるのか? …そういうことですか?」
「ま、簡単に言えば、そういうこったな────」
プルトは、堂々とした面持ちと態度で、ラケシスの問いに即答する。
そんなやり取りを狸寝入りしながら、こっそり聞き続けていたエラト。
そのエラトも躊躇なく、“私はあんたの為なら死ねるよ…”と、心の中で強く呟く。
「…そいつに殺されてもいいと思えるか? …そいつを死んでも守りたいと思えるか?」
「…………。」
「相手がどこで何してようと関係ねぇ、幸せ感じて、生きててくれている事に意味がある」
そういって、色恋沙汰に必要なのは、“結果じゃねぇよ!”と、そうハッキリと告げる。
そして、“相手が側にいてくれるってのは、最高の贅沢なんだ!”と、照れながら言った。
少し照れの混ざった、強張った表情になりながら、そう言ってラケシスを見つめてやる。
注がれるその視線をしっかりと受け止め、自分の想いの強さを確認していくラケシス。
内に秘める想いを確証したように、ラケシスは、ゆっくり深く頷いた。
そんなラケシスの姿を見て、“もう心配ねぇな”と、胸を撫で下ろしたプルトが最後に叫ぶ。
「よし、いい目だっ! それだけ覚悟がありゃ上等っ、しっかり愛しな、思う存分なっ!!」
ユピテルを抱きしめる両腕に少し力を込めながら、優しく抱きしめ直したラケシス。
今あるもの、これからなくすもの、…全てを悟り、覚悟する面持ちで、しっかり答える。
「──はいっ!!」
そんな決意をもった返事を聞いたエラトは、“頑張んなよ…”と、心の中で応援する。
プルトも同じく、頷きながら、そう思う。
“出来の悪い子を沢山抱えた気分だ…”と、そんな親心みたいな気持ちを感じながら。
そうして、そのまま夜は更に更けていき、その場をゆっくり包み込むよう、朝を迎えていく。
自分の胸の中へ、両腕でしっかり抱き抱えるようにユピテルを抱擁するラケシス。
自分の居場所はここや、と言わんばかりに、ユピテルの背中で爆睡するダイアナ。
二人の抱く愛しき想いにエールを贈るかのような朝日が、この場を包み込んでいった。
────それから、約一週間後。
街は、先の戦闘をキッカケとして、コボルト達を受け入れるようなムードに一転していた。
先日、決戦場となっていた場所に至っては、今では、プルトたちの新アジトになっている。
プルトは、下準備で切り倒した木材を利用し、瞬く間にログハウス住居を作ってしまう。
木材が半分になっていたとはいえ、それを小枝のように扱う様は、まさに、壮観であった。
しかも、組み上げる部分は、素手で削りを入れ、接合させ、しっかり固定もさせている。
元の世界でも、大工の熟練工として、大活躍を保障したくなる程の手並みだったのだ。
そんな事もあって、街人の目が、自然に尊敬を込めた眼差しに変わっていったように思う。
そうして、人数分の住居ができあがり、そこはそのまま、コボルト達の定住地に決定した。
“シルフの街のボディーガード、兼務、支えあうべき良き仲間♪”と、今では言えるだろう。
互いのトップ同士の話し合い、及び、全ての民と仲間の合意の上で、それは成っている。
まさに、理想ともいうべき、平和国家へと飛躍したような街となった。
そんな中、街の医療小屋では、ラケシスとメルポネが、保管用の治療薬を調合していた。
「…あのぅ~、ラケシスさん、これって、どこに運べばいいんですかぁ?」
「あ、あぁ、それはね、メルポネ────」
今いるコボルト達の中で、もっとも非力だが、最も体力と敏捷性があるというメルポネ。
本人の強い希望もあり、今ではラケシスの下で、医療の勉強と、お手伝いをしている。
ウラニアを治療する手際を観察していたメルポネが、ラケシスに惚れ込んだという構図だ。
もっとも、街には、ラケシス以外に治療が出来る者はおらず、志願者を募っていたらしい。
そんな街の事情も相まって、メルポネの願い通り、その医療助手の話は、進んでいった。
「ラケシスさん、これってこの瓶と混ぜれば良いんでしたよね? …では、私が」
「──っん? メ、メルポネ! …ダメッ! それにそれを混ぜたら大変な、……あっ」
ほんの数秒、メルポネの行動に気付くのが遅れたラケシス。
…パシュ、…ブボォ~~~~~~ンッ!!!!…
期待を裏切らぬ、…見事なまでのドジっ子ぶりだった。
室内は様々な色の蒸気に包まれ、それは、小屋の煙突から、吸われるように立ち昇る。
「…あ、あれれれ、れれれっ!?」
「だ、だからあれ程、形の違う瓶は混ぜちゃいけません! と、いってたのに、…メルポネぇ」
「…ご、ご、ごめんなさいーーーーーーーっ!!!!」
正式に医療助手を担ってもらうにあたり、実は、事前にプルト達へ相談を持ちかけていた。
街の代表者として、ユピテルとラケシスの両名で訪れ、事情と希望の旨をそのまま伝えた。
すると、夫婦そろって顔を見合わせ、次の瞬間には、お腹を抱え、大爆笑されてしまう。
“あ、あはははははっ、な、何、ま、マジでいってんのお前達?”と、真顔で笑い飛ばされる。
“こいつは、天然のドジッ子ですから、逆に危険だと思うがねぇ…”と、プルトに指摘され。
“この子は、天然のドジっ娘だから、危険物を抱えるもんだよ…”と、エルトに非難もされた。
二人からは、さも当然のように予想された言葉と反応が返ってくる。
そんな二人を目の前にして、“…はぁ”と、ため息を交ぜながら見つめる、ユピテルとラケシス。
だが、この時だけは、二人もプルト達と一緒になって笑うしかなかった。
…どうしてもその事実は、否定できないから。
と、そんな背景もあり、このような有様は、常時といえるほど、予想通り頻繁に起こっていた。
────医療小屋から、遠く離れた街の端に住む人たちの間では。
「あぁ~~、まぁ~た、メルポネちゃんが、やってるよぉ~。これじゃ、怖くてケガもできねぇ~」
「はははっ、確かにそうだねぇ、でもあの子は、どうも憎めないんだよね、…不思議とさぁ♪」
「…ま、まぁ、それは認めるけどよぉ、間違った薬を塗られた日なんて、酷かったんだぜぇ?」
「別に死んだ訳じゃありまいし、多少の事は大目に見てやんな、街のヒーロー様なんだよ!」
「…ま、まぁ、そりゃ違いねぇが、……はぁ、怖くて怪我もやすやすと出来やしねぇ、ったく」
そんな会話が、街の人達で交わされていた。
翼竜の討伐に応援を呼んできたヒーロー様、…その名をメルポネ。
医療に従事する事になった今では、街の人から、『医療事故の先導師』と、呼ばれていた。
まぁ、言いたい事は、良く判る、…間違っても、ラケシス不在時には、ケガはしたくなかった。
街の誰もが、今ではそう思うようになっている、…あれからまだ、ほんの一週間だというのに。
そんな予想しない効果もあり、怪我や病気になる人は、月に一人いるかどうかになっていた。
ある意味、どんな予防や治療行為より効果のある、…持続性を持つ生きる薬であった。
────『医療事故の先導師』の仕事振りが、遠くからでも見える頃の治療小屋では。
「メルポネ、判っていると思いますが────」
そういって、いつも通り、諭すようになだめるように教え、指導するラケシス。
そんな彼女でなければ、もう、とっくに追い出されていることだろう、…その位に寛大だった。
しかし、逆にこの大騒ぎともいうべき事態のせいで、人々には自己管理の意識が芽生えた。
それは、メルポネの存在と、その行動がなければ、成し得なかった事でもあった。
そうした事実をしっかり感じているラケシスは、その理由もあり、常に穏やかに応対していた。
「…は、はいっ、…はい、も、もうしませんっ、…うっ、…うぅぅぅ、……」
「はいはい、泣かないの。 …ほら、顔をあげて」
「…うぅぅぅ」
背丈は倍近く違う二人。
それは、小さなラケシス姉が、大きなメルポネ妹を諭しているような光景にも見えた。
ともかく、一長一短、良いも悪いも、考え方次第、結果次第、…ま、そんな感じである。
────ところ変わって、中央広場の宴席場では。
「明日の朝、プルトがノーム工房に向かうとの事でしたので、私も随伴したいと思ってます!」
「──うむ」
ユピテルは、長老に外出許可を貰うべく、とある報告を行いにきていた。
戦の直後、エラトが言っていた鍛冶職人の住処へ、明日、ユピテルを随伴し赴くのだという。
もしかしたら、両足のアンクレットが外せるかもしれない、仮にダメでも、装備品が手に入る。
どちらに転んでも、ユピテルにとっては、それは願ってもいない事であり、希望への旅に思えた。
そんなユピテルの気持ちに、まるで水を差すかのように長老が聞いてくる。
「──して、そこで得るものを得た後は、お主、どうするつもりじゃ?」
「!!!!!!。」
今、長老に問われた事の意味に気付き、自分の愚かさと、女々しさを痛感するユピテル。
率直に言えば、この問いには答えたくなかった、…いや、とても答えられる心境ではなかった。
ほんの数週間だが、ユピテルは、この街が好きだった、…そして街の人々が、大好きだった。
何より、ダイアナとラケシス、二人には、離れを拒みたくなるような、強い感情を抱いていた。
そんな二人にお別れをする、…そんな事は、今のユピテルには、どうしても言えなかった。
「──まぁ、良い。そう答えを急ぐものでもないしの、…ゆっくりと自分と語り合うことじゃて」
「──お心遣い、……感謝いたします」
ユピテルは、そういってゆっくりと深々とお辞儀をした後、その場を逃げるように後にする。
だが、心が、“旅立ちが迫ってる…”と、そんな聞こえない声で急がせている気もしていた。
そんな現実逃避を掘り下げていくうち、元の世界で約束した女の子の事を思い出していた。
“今頃、レアちゃん、どうしているかなぁ、心配してくれているのかなぁ…”と、ふと思い出す。
その想いのせいなのか、自分が今するべき事は、少しずつでも片付ける必要があると気付く。
“今すべきこと、今できること…”と、そんな事を考え始め、“少しでも前へ!”と、奮起する。
そんな固い決意を新たに抱え、明日からの旅路に備えた身支度を手早く済ませていくのだった。
────翌朝。
「──よぉーし、ようやく、ユピテル先生もご到着しやがったな♪」
「…はぁはぁはぁ、…お、遅れてスミマセンッ!!」
“…しかし、おめぇ、おせぇよ、待たせるんじゃねぇー!”と、散々文句を言われるユピテル。
実際は、これでも予定時刻のかなり前、…つまり、プルトが、異常に早く着すぎているのだ。
だが、これから連れて行ってもらう身分であるユピテルには、そんな強気な発言はできなかった。
しかも、道中の護衛もしてもらうことになるような状況、…限りなく下手に出るしか道はない。
“…はぁ”と、朝っぱらから幸せが抜けていくようなため息をしていると、せっつくように声がする。
「──さぁ、いくぞっ!!」
「…は、はいっ!!」
まだ日も昇りきらないような時間帯の出発である。
この随伴の旅が終わった後、正直に言えば、どこで何をするのか、…何も決まっていない。
だが、もうこの街には、二度と戻ってこないかもしれない、…そんな不安と寂しさがあった。
「…はぁ」
思わずため息を吐いてしまうユピテル。
今朝の旅立ちは、ダイアナにもラケシスにも一言も言っていない。
数日前に一度だけ、すれ違うように会っただけ、…何かを話し込んだ訳でもない。
ユピテルの心の中では、その二人の姿、…その笑顔、…それがグルグルと渦巻いていた。
「──どうした、ユピテル? もしかしてお前、朝飯でも食いそびれたのか?」
「あ、いえ、そういう訳ではないです、…はい、大丈夫っ!! …そう、大丈夫ですっ!!」
“そうかぁ?”と、少し怪訝な顔をしながらも、ユピテルとの会話は、それを最後に終わる。
今度は、プルトに聞かれないよう、“…はぁ”と、心の中で呟いた。
別に何がある訳でもないが、せめてそうしなくては、気持ちの落ち込みを抑えられないのだ。
暗い表情のまま、周りから見れば、緊張や疲れているような、そんな顔をしながら歩いていく。
すると、プルトが突然立ち止まり、“ほら、あれ!”と、指をさし、ユピテルの視線を誘導する。
「──えっ!?」
「…お、……ってば、…………・まち、……・・やが、…・・がっ!!」
思わず自分の目を疑う。
“…これは夢? …幻?”と、目を白黒させながら、ユピテルは、目に映る人影を見つめる。
だんだん声が、聞こえる距離になってくる、…何かを叫ぶ、…その叫び声が聞き取れてくる。
「…お、お~い、…ま、待てってばぁ~、こらっ、待ちやがれって、いってんだろぉ~~がっ!!」
「…ダイアナ? これは、…この話し方は、ダイアナの、……声、……なのか?」
自分の耳と目を疑うユピテル。
真横では、そんな様子を“ニヤニヤ”と、しながら、見つめて楽しんでいるプルト。
だが、今のユピテルには、プルトのそんな仕草など、到底、全く、…気付く余裕などなかった。
すると今度は、もう少し違う声が聞こえてくる、…何だ? …誰だ? …何を言っている?
ユピテルは、怒号とかしているダイアナの声に混ざり、別の人の声も耳にする。
「…ま、まってよダイアナ、……ね、ねぇ、…ちょ、ちょっと、…置いてかないでってば……」
聞き覚えのある声がする、…そうこの声も知っている。
二つの声に気付いたと判ったのか、プルトがそこで、一言だけ、知らない顔をして、サラッ、と呟く。
「そういや、あと二人ほど、連れが来る予定だったな、…やぁ~すっかり、忘れてたぜ、ははははは」
「プルト、…お前、最初から知ってたな!?」
「…だ、だってよう、お前ばっかりもてるってのは、男の俺としちゃ、ちょっとばかり面白くないからな♪」
そういって、“あはははっ、スマンスマン!”と、笑いながら、形式上の反省を口にするプルト。
そんな笑い声が聞こえていたのか、…いや、その前に、いつの間に、もうそこにいたのか……。
「…こ、こぉ~~~のぉ~~~~~~~~~~~~~~ど畜生めぇーーーーーっ!!!!」
「…うがっ、ぐぅ、ぐぉ!!!!」
「…うふふふっ、このお薬は良く効きますわよ、…さ、プルトさんも試して見ましょう♪ うふふふっ」
「うお!? あ、いや、…そ、それはまずいだろ、…お、おい、ま、待てってば、…こ、おい……」
まさしく今、ユピテルの目の前にいるのは、ダイアナとラケシス、…恋焦がれていたご両人だった。
しかし、その二人の逆鱗に触れた故、…あの大男プルトは、今、まさにお花畑を歩こうとしている。
“近接戦では、シルフはコボルトに絶対勝てないって、……長老ぉ”と、声に出さず怯えるユピテル。
大男への復讐、…いや、きっつぅ~いお仕置きを終えた二人が、満足げな顔をして近寄ってくる。
「…え!? ま、まさか、…お、おれも、……えっ!? ……えぇぇぇ!!!!!」
何ともいえない微笑みを作りながら、じりじりと、ユピテルににじり寄る二人。
直前にプルトに行われたあの惨劇、…そして、今、目の前に沈んでいる、あの大男のプルト。
ユピテルは、身に覚えが無い事に気付きながらも、どこか、この直後に起きるであろう死を覚悟する。
「ユピこぅ~~~~~~っ♪」、そういって、飛びつくように抱きつくダイアナ。
「ユピテルぅ~~~~~っ♪」、そういって、自分の胸に抱きこむようにユピテルを抱きしめるラケシス。
“…えっ!?”、何がどうなってるの、…いや、今の状況っていったい、…えっ!?
そうやって、今の状況を理解できないユピテル。
そんな動揺をかくさずにオドオドするユピテルを見て、ますます増徴してしまう二人のシルフ。
「ユ、ユピこぅ~~~~~~~~っ♪」、そういって、抱きつきを強めるダイアナ。
「ユ、ユピテルぅ~~~~~~~っ♪」、そういって、自分の胸に完全にユピテルを閉じ込めるラケシス。
「……もごっもごっもごっもごっ……!?(…な、何がどうなってるんだよ、…え!?…) 」
酒池肉林、…この場合は、お酒は無いので、単なる肉林、…その状況に落とされるユピテル。
そんな頃、ようやくお花畑から戻ってきたプルトが、言う。
「…ってぇ~~~、だから俺は嫌だっつったんだよ、……エラトのやつ、帰ったら覚えてろよっ!!」
どうやら、首謀者はエラトのようである。
何を想ったのか、何を吹き込んだのかは知らないが、今の状況作り上げたその策略、智謀。
“お、恐るべし”と、少し恐怖を感じつつ、目の前に二人がいてくれる現実を何より嬉しく思っていた。