目覚めの前のプロローグ
「──はぁはぁはぁはぁ。これでトータル65点! あと35……」
深く広大な大自然の中、一人の少年が飛び回るように木々の中を走り抜ける。
…パヒュンッ…。
……ガ、ガサガサガサッ、……ドサッ!
「よし、いった〜! これで70! 残りあと30点!」
そう叫ぶ少年は、次の瞬間、空高くを飛行する何かを発見する。
「…やっぱ、最後は、あれくらいの獲物でなくっちゃな♪」
最高難易度とされる、天空を走り、彼方へと駆け抜けていく標的に目をつける。
狙いを定めるように右手をかざし、親指と中指を重ねて、“パチッ!”と指を弾くように鳴らす。
すると、次の瞬間。…見えない何かが、標的めがけ、解き放たれる!
…パッヒュンッ…。
……パァーン! ……ガ、ガサガサガサッ!
「よぉ〜し、クリ〜ンヒィーット! で、ステージクゥリアァ〜♪ ──さて、今度のタイムは?っと」
──只今の記録。
『狩猟時間:06分26秒。狩猟得点:100。ペナルティ:ゼロ。総合結果:AAA。エリア新記録です!』
わああぁ〜〜〜〜!! と、館内放送を聴いていた人の雄たけびのようなざわめきが、辺り一面に舞い轟く。
「ちぇっ、6分切れなかったのかよ! 今度はいけると思ったのにな……」
「そんなボヤキばかり言ってると、他の利用者が怒っちゃいますよ。エリア新まで出しといて、それは贅沢というモノです!」
「…そ、そんなモンかぁ?」
「はい。そんなモンです♪」
今の俺たちが暮らす時代。ここでは、多くの技術が発達し、何の危険も不自由もなく、ただ、毎日を楽しく暮らすだけの世界と化している。
ほんの200年ほど前までは、精霊などの存在も信じられ、それを発見、制御しようとする人も数多くいた。
精霊論争や思念論争、ほか、物理学的な思想論が、世界中にいくつも存在し、何が正しく間違っているのか? そんな研究途上とも言える世の中が、昔と変わらず続いていた。
それが、ちょうど今から100年ほど前のこと。
そんなある時、突然現れた一人の女性の手によって、それらの論争が一蹴される。
今でこそ、四大制御とまで呼ばれ、当たり前のように『風土水火』の4種の事象は、人の意思で自在に操作することができることが証明されているが、当時は、世界を震撼させるUFO論争の終結が起きたような状況だったらしい。
突然現れた彼女の存在と、そこから繰り出される、驚愕する能力とその事象。現在書かれる近代史では、『人神革命(人が神と近づいたような革命)』と呼ばれ、賞賛をもって、そう呼称されることとなっている。
そんな彼女の出現と、その彼女の献身的な調査協力により、時を経るごとに様々なものが生み出され、今日を生きる私たち人間の営みの核となる技術が、次々と生まれていった。
今では、『世の中で最も必要なモノ!』 とさえ言われ、人々に深く根付き、活用されるモノとなっている。
そうした技術の過程で確認された様々な事象や原則は、『幻想物理学』と呼ばれるようになり、近代を理解する上で、最も重要となる新たな学問分野と言われている。…ちなみにこれは、小中学校の教育科目に組み込まれる程の浸透っぷりである。
誰もが当たり前のように重力コントロールをする衣類を身につけ、過去で称えられた『神秘』と言われた数々の事象。…その多くが、今では難なく実用化され、生活の中で自然に利用されている。
──奇跡を生みだした時代。
今の時代をそう呼び始めた昨今では、正直、出来ないことは、『時間移動と命の再生くらい』だと言われている。
「しかし、もっと難しいステージはないのかよ。こんなんじゃ、モノ足りなくて仕方ない……」
「…はぁ、そんな事をいうヒトは、この世界に貴方くらいです、…っとに」
温室のテーマパークのような場所で、そうボヤきながら休憩している男女がいる。
女性の方は、腰に手をあて、やれやれ…と言いたげな態度で、少年を見つめている。歳の頃は、十六歳ほどだろうか。
そうした女性にさっきから不満を漏らし続けているこの少年。…実は、先程、エリア新記録を打ち出した本人である。
名は「ユピテル」といい、世界に変革をもたらすキッカケとなった女性の孫にあたる。
しかも、彼には、先天的とも言える、稀に見るほど驚異的な出力で四大制御を操る能力を生まれながらにして持っていた。そうした背景も加わって、世界中から注目され、及び、世界中の保護・監視を受けているヒトでもあった。
平たく言えば、加護の鳥。仮に言い直してみても、籠の鳥。…結局は、そうとしか例えようの無い、そうした立場の人物であり、そうした世界の存在なのである。
「で、でもよぉ〜……」
「はい、そこ! だから『でも〜』とか言わないの!」
そして、そんな人を相手に連れない返事で、たしなめるているこのヒトは、本日のユピテル監視役。いや、正確には、子守役として付けられたヒトである。
つい数時間前、初めてあったヒトであり、恐らく、もう二度とあわない……いつも通りであれば、そうなるはずのヒトである。
ユピテルの子守役は、世界中のヒトを対象にした『一般公募』での抽選で選ばれる。今日の監視役の少女も、まさにそうした背景で選出された。
当選確率は、宝くじの1等を2枚は当てなければいけないくらいの確立で、世間的には、それはそれは、栄誉な事とされている。
しかし、実際は、こうした自由気まま、我侭な少年の監視というより、子守。それを一日限定というか、強制でやらされるのである!まったくたまったものじゃない!
…それ故、実際、こうした事実を知りながら、公募してくるモノは、まず一人も居ない。ほぼ全員が、こんな人だとは、思ってもいないのである。
だが、一日の勤労報酬として、宝くじ3等程度の待遇は、裕に保障されている。そうした現実的なメリットもあるため、単なる仕事と割り切り、頑張ってお勤めをしてくれる人が多いのは、言うまでもない。
「貴方の場合、四大制御を常人以上に簡単に扱えるからでしょ! 一般レベルの人には、あれをクリアすることさえ、難しいんだから……」
「そ、そりゃ、まぁ。それは俺だって認めるけどさぁ。でもよぉ〜…」
「一般人には、これでも超難関コースなんだから、文句言わない! そんなに物足りないなら、四大制御の停止装備でも着けて再チャレンジしてみますぅ? それならきっと難しいですよぉ〜♪」
軽い冗談というか、脅し文句のつもりで、側にいる少女が、そう言った。…そう、軽い冗談のつもりで。
「…ん〜そうだな、これ以上、難しいステージはないし、…そうだね。それ、試しにやってみよう!!」
「ちょ、ちょっと待って! …えっ? ほ、本当に?」
まさか、やりたいと言い出すとは思ってもいなかった少女。実際、そういう装備は、実用化され、ここでも貸し出されている。
…が、それは、あくまでも子供用のステージで、大人が一緒に楽しむために準備されているものだ。
大人が行うステージで、なおかつ、その中での最難関ステージで利用するような馬鹿は、一般人には、まず一人もいない。
理由は、いくらこの施設フィールドが安全に作られているとはいえ、体感型アトラクション・フィールドである以上、少なくとも、ケガをする事は十分に考えられるのだ。
スカイダイビング同様、ここでの行為の注意事項、第一項目目に『いかなる理由で死亡したとしても、当施設への責任は、一切不問とする!』と、明記され、署名、捺印を義務付けられている程だ。
パラシュート装備を着けずに大空から落下するような馬鹿が居ないのと同様、ここでは、それくらいのリスクは、認められ、また、感じられているのである。
「何でそこで君が驚く? …やってみる? っていったのは、君のほうじゃん? どうかした、何か問題でもあるの?」
「えっ、い、いや、……それは」
しどろもどろになりながら、うろたえる少女。
「あっ、や、やっぱり、今のは、な、なしなし。わ、忘れてください。…あ、あはははははっ」
あきらかに挙動不審である。まさか自分が、やりたい! などと言ってくるとは思っていなかったのだろう。
しかし、元から心身ともに常人離れしている少年だ。行動はともかく、考えおよぶ時限は、既に常人のソレとは、最初からズレているのである。
しかも、相手が動揺するということは、それだけ高難易度ということの現れ。それを無事達成した時の喜びは、驚きも含め、かなり大きいものになる! …そういう風に捕らえ、感じてしまうのが、ユピテルの性格だった。
「大丈夫。心配ないって! 別に死ぬわけじゃないんだし、身体能力だけでチャレンジするだけじゃん。ま、俺の場合、それだけでも常人の数倍は自信があるけどね♪……それでも、まだ疑ってる? 心配する?」
「い、いえ、……そ、そういう訳では」
「んじゃ、この話はそういうことで、はい、決定! 必要な装備手配とステージ登録の方は、そっちでよろしくね〜♪」
「……は、はい。かしこまりました」
『彼は、一度言い出したら、まず、聞かないヒトだ!』と、事前に担当官から聞いている。
今までの監視役のヒトであれば、何の躊躇もなく、素直に申し出に承諾し、対応していたことだろう。死のうが生きようが、それは知ったことではないからだ。決められている報酬と義務規定には、何ら支障も問題も無い。
だが、この少女の場合は、少し違っていた。
一般公募に応募した時から、既に、彼に惹かれるように……そんな感覚で、気がつくと、これへ応募していたのである。きっとここに何かがある! そういう不確かな確信が、あったように思っている。
だからこそ、失言という自ら撒いた落ち度とはいえ、今回の指示には、『何か得たいの知れない不穏なもの…』そうした何かを感じてしまう。気のせいなら良いけれど……。
と、不本意ながら、言われたとおり、準備と手配を進める少女。だが、それでもどこか諦めながら、何かが自分の心の中ででざわめく、騒ぎ立てる。……そうした嫌な不安を感じ続るのだった。
「……はい。これが、制御用アンクレットです」
相変わらず、不安げな表情を保ちながら、そういって1対の足用リングを渡す。
彼は、受け取るやいなや、手際よく、両足に受け取ったアンクレットを取り付けていく。
「サンキュ! へぇ〜初めて付けてみるけど、不思議な感じだな。何か身体の力を吸い取られているみたいな、不思議な感じがするよ。でも少し、ワクワクしてるかも♪」
まだ見ぬ世界の体験を前に、心なしか、ウキウキしながら語るユピテルを見て、抱き続ける未知の不安を打ち消したいかのように問いかけ直す。
「ほ、本当にそれを付けてやるの? 高所から落下でもしないかぎり、まず命に別状はないと思うけど、かなり危険になる事には違いないんだよ? ……それでもやるの?」
心配そうな顔で見つめる監視役の少女。…何か、嫌なものを感じていて、それに怯え、戸惑っている! …ユピテルには、手に取るようにその心情が見えていた。
「心配すんなって! 獰猛な野生生物が出る訳でもないんだし、このくらいのハンデ、目じゃないって♪」
妙にご機嫌なユピテルである。それに比べ、少女の方は…、
「ほ、本当の本当に大丈夫? 一般人の場合は、通常動作にも支障がでるヒトもいると、貰う時に注意は受けたんだよ……」
「へぇ、そうなんだ。でも、そのくらいなら十分、ちょうど良いハンデじゃん! 俺は常人の十倍はすごいからな!」
「……。私には否定できないのが悔しいけど、あんまり、無茶はしないでね。私の責任問題はともかく、貴方に怪我だけはしてほしくないから……」
そういって、深く沈んだ表情になる監視役の少女。それをしばらく見つめ、何かを見つけたように深く頷いた後、ユピテルがにっこり微笑んでこう言った。
「──心からの心配、ありがとね。君の名前、何ていったっけ?」
「えっ? あ、はい。…レ、レアって言います!」
妙にぎこちない感じで答える少女。意味も無く、突然、自分の名前を聞かれたことに驚いたようだ。
「わかった。レアちゃんね。俺って、相手の事が何となく判っちゃうんだ。どういう感じで接してくれている…とか、喜怒哀楽の状態が、何となく色になって見える…というか。上手に説明できないけど、ま、そんな感じなんだ……」
「?????」
「さっきからずっと、レアちゃんが、俺のこと心の底から心配してくれてる! っていうのを強く感じてた。俺ってこんなだから、日替わりでつく子守役のヒトの多くが、これも仕事だから! って、それだけの理由で、無理して付き合ってくれている事が多くてさ…・・」
どこか寂しそうな表情を浮かべながら、なおもユピテルが語っていく。
「他人の感情というか、心情を察知する能力があるってことなんだけど、これって、俺の親もしらないから、このコトを他人で知っているのは、レアちゃんだけになるのかな♪」
「あっ…」
にっこりと見つめるように微笑むユピテル。レアは、その笑顔とそれの元になるセリフを聞いて、思わず赤面し、右往左往してしまう。
「あ、あう…そ、その…・だ、誰にも、わ、わたし…その」
「あははははっ、別に他人に知られたって構わないし、そんなに緊張しなくってもいいよ。俺が勝手に喜んでいるだけで、レアちゃんには感謝しかしてないから♪」
「あ、あうぅ…」
耳まで真っ赤になるレア。それを微笑ましい表情で見つめ、ユピテルがゆっくりと、しっかりとした口調で語りだす。
「もし、俺が一時間以内に無事ステージクリアできたら、……レアちゃん。俺と、付き合ってくれない?」
「……。えっ?」
「だから、その時は、俺の彼女になってくれないかな? もし、嫌じゃなければだけど……」
突然の交際の申し出……愛の告白である。世界的な有名人であり、たまたま公募して、たまたま抽選で選ばれた。そして、そんな偶然の中での数時間のお勤めのつもりだった今日。
…正直、好意に似た想いを感じて応募していたレアではあったが、嬉しいのだが、夢にも思わなかった出来事に、ただただ、右往左往し、おどおどと取り乱してしまう。
「え、あっ、…そ、その、……は、はい。わ、私でよければ。よ、よろこんで、で!」
緊張しまくりのレアちゃんを見て、自信ならぬ、何か暖かな優しい微笑ましさを感じながら、ユピテルが叫ぶ!
「よぉ〜〜っしゃあ! う〜し、がぜんやる気が出てきた! とっとと終わらせて、レアちゃんと初デートに出陣だ〜!」
「……。あ、……は、はいぃぃ!!!」
戸惑いを隠せないながらも、溢れんばかりの笑顔で微笑み返してくれるレア。
それを見つめ、益々優しい表情になるユピテル。レアから返される笑顔に何かを確信したかのように、運命の舞台へと歩き出す。
プレイステージに立ち入る直前、振り返り、叫び直すユピテル。
「今から覚悟しときなよ、レアちゃん! 俺の愛は、何よりも深く大きいぜ!!!」
「……。あうぅぅ」
更に赤身を増して照れるレア。…しかし、胸の奥では、確かに残る、何か嫌なものを感じ続けているのだった。
そうして、ユピテルのステージ・プレイが始まった。…祈るように両手を握って目をつむるレアちゃん。
そんなレアちゃんの想いも知らず、ステージクリアに燃えるユピテルだった。