fragment.1:紫電黎明 弐
あの後、アリスと共に講堂へ行くとフレイヤとノタリアが駆け寄って来た。随分と心配をかけたらしい。
他の生徒達もテーブルの料理を囲いながら不安そうに会話している。校内にホブゴブリンが出たと言う事が伝わっているのは明白だった。どうやら召喚術の教諭が知らせ、安全が確保出来る迄は講堂に留まる様言われているらしい。
これ以上余計な心配をかける訳にはいかず、襲われた事は伏せてフレイヤ達とは話していた。二人はアリスの事を厭う事は無かった。
暫くそうしていると、スピーカーからアシュリー校長の声が聞こえた。
『えー、生徒の皆、校内に現れた魔物は退治されたよー。
もう心配要らないから各自寮に戻って休む事。
じゃ、おやすみ〜。』
何とも気の抜けた放送だったが、それだけで講堂全体が安堵の空気に包まれた。そうして、生徒は先生の指示に従いそれぞれの寮に帰された。
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「よぉ、待ったか?後輩。」
「いえ、今来たところです。
……て、これ恋仲でやるやり取りですよ。」
「良いじゃねェか別に。」
翌日の放課後、私はネヴァに呼び出され魔術実習場の裏に来ていた。10分程待ち、忘れていないか確認しようと端末を取り出した所で彼女はやって来た。
「で、如何して態々こんな所に呼び出したんです?」
「お前、ホブゴブリンに襲われたんだってな。
なんか気になる事があるんじゃねェか?」
「……はて…?」
(此処で言ってええもんか……。私の思い違いやないならちょっぴり場所が悪いわぁ。)
迷っているとネヴァはニヤリと悪い笑を浮かべる。
「場所が悪いって顔してるなァ。いいぜ、場所を変えよう。アタシの秘密基地だ。」
そんなに顔に出ていただろうか、と思っていると、彼女杖を取り出し、虚空に向かって杖をかざしながら唱える。
「“転移門”」
すると、彼女が杖を向けた先の空間に人が通れる程の穴が開き、その先には部屋が見えた。その部屋にはソファーやローテーブル、本棚が並んでいて生活感がある。一方でペンやノート、ティーカップ、魔道具と思われる物までもが散乱しており、とてもまともに整頓されているとは言い難い状況である。
「これは…!まるで魔法みたいですね!」
思わず目を輝かせるとネヴァはすかさず
「魔術だからな。」
と呆れた様に返す。
未だに魔術の世界には馴れない。
ほれ、とネヴァに手招きされその部屋に入ると穴が閉じ、何も無かったかのように周囲の壁と同化した。
ネヴァはソファーの上に散乱する物を適当に退けるとそこに脚を組んでふんぞり返った。そして
「さて、ここなら誰にも聞かれねェ。」
話せ、と言わんばかりに顎をしゃくる。
(なんでこの人はこないに尊大なんやろ…ってか、この言い様は真逆、なんか知ってはるんか?)
「…迷い込んできたとすると色々と不自然やと思ったんです。あの巨体が図書室前に居た事が。」
「ほう?」
「壊れていたのは私が逃げ回っていた図書室前のみ、という事はアレは律儀に昇降口から入って来たという事になります。」
「“迷い込んできたのなら”な?」
「其れに、図書室に来るまで誰も気がつかなかっただなんて有り得へん。私はアレの足音を聞きましたから。
まさに突然現れた様でした。」
「つまり何が言いたい?」
ニヤリと悪どく笑うネヴァに少し迷いつつ応える。
「……何者かが招き入れた…?とか?」
「あっはははは!!そりゃァ面白い!
……良いねェ、そこに気付くとはなァ。」
弾かれた様に嗤い出す姿には少し引いた。
と言うか……
「矢張りなんか知っとるんですね。」
「フフッ良い事を教えてやろう。
お前も知っての通りこの学校の敷地には校長が結界を張っている。外からの攻撃だけじゃねェ、内側から使う魔術にも制限がある。アタシがお前を態々あんなトコに呼び出したのもそれが理由だ。実習場じゃなけりゃ転移系の魔術は使えねェんだよ。」
「真逆、貴女が……」
「ちげェよ。アタシはあの時講堂に居たんだ。」
「では何が言いたいんです?」
「つまりな、ありゃァ誰が喚んだんだ。召喚術で結界を抜けてな。んな事が出来んのは教師陣くれェだ。
あのウェルサイスじゃなけりゃな。」
「成程、そういう事ですか。せやから伝達も……」
「伝達?…嗚呼、講堂のか。」
「誰が見つけたんですかね?そもそも。」
「成程、こりゃァ一層面白くなって来たなア?」
彼女はより一層笑を深めた其の時。
「なんだか悪〜い声で内緒話をしているわねぇ?」
「あ?」
「え?」
慌てて声のした方を見るとスラリとした背の高い男子生徒が笑顔で立っていた。ネクタイの色からハート寮生だろう。
「チッ、テメェ聞いてやがったのか。ユル。」
「うふふっ。でも残念ながらアンタが“面白くなってきた”って言った辺りしか聞こえなかったわぁ。」
「……ンだよ。」
見た目からして口調が逆だろうと思えてならない会話を聞きながら唖然としていた。
(…驚いた。考え事をしていたとはいえここまで近い人の気配に気が付けんとは…それともそういう魔術か…いや、今はそれより)
「ネヴァ先輩、ここには誰も来ないのでは?」
だから、この場所で話させたのでは無いのかと不満を洩らす。
「あー……悪りィな。コイツ等が来るの忘れてたわ。」
バツが悪そうに目を逸らす彼女に思わず溜息を吐く。
ユルと呼ばれた友人らしき人も呆れた様に手を頬に当てて溜息を吐いていた。
先程から女性らしい動作が様になってるように見える。
これ程嫋やかと言う言葉が似合う男性は珍しいだろう。
そんな彼が眉をつり上げて口を開いた。
「アンタ、二つも約束破ったのね!?」
「……だ〜から悪かったってい……」
「それじゃ済まされないわよ!ここの事、誰にも言わないってアタシ達みんな約束したじゃない!!先生達に知られたら!?」
「退学だな。」
「そうよ!もう、なんて事してくれたの!」
「まあまあ落ち着け、コイツに口止めすりゃァ良いンだろ?」
と私を親指で指す。
ネヴァに向いていたユルの視線が私に移る。
(おや、之はもしや私に標的が移るやつか…?別に言われずとも喋らへんのやけど。)
「あの、お二人とも。
ユルはん?は私が聞かれたくない事聞いてへんし、私は此処のこと誰にも話さへんので其れでおあいことしませんか?」
そう提案してみる。
「…だ、そうだが。どうする?ユル。」
「アタシは元々その子には怒ってないわよ。
…もう良いわ。その子に免じて許してあげる。」
何とか丸く納まったらしい。
と云うか先生方にバレたら退学……此処は一体何処なのだろうか。
改めて見回すと内装の装飾からやはりレヴェリースート魔法学校の一教室だろうと分かる。
だが、だとしたら何故こんなにも好きに使えているのか。
何故誰も来ないと言い切れたのか。
(之も魔術的な不思議仕様とでも言うんか…?
私の常識が通じへん世界やっていうんはここ数日で痛感したし。)
ひとりでに動く階段にいつの間にか同じ場所を行き来している廊下、日によって繋がる部屋が変わる扉…それ等が比喩でも何でもなく日常的に起こる場所なのだ。秘密の部屋くらい有っても可笑しくはない。
けれども、先生にバレれば退学になるとは。
そんな事を考えていたらユルが話しかけてきた。
「そうだ。アタシ、ユルリッシュ・ド・ローレンって言うの。こうなったらアンタも仲間みたいなものだし、良ければ名前を教えてくれない?」
「私はミタマ・カジロです。どうぞよろしゅうお願いします。」
彼は随分と話の通じる人らしい。よくネヴァと付き合っていられるものだ。否、逆にこの性格だから面倒を見ていられるのかもしれない。