fragment.1:紫電黎明 壱
本日は放課後に寮生間での交流会が行われる……のだが私は何時も通り図書室に来ていた。返さなければならない本が有ったからだ。
(ノタリアはんにすぐ戻る言うた手前、急いで講堂に向かわな。)
出入口に歩を進めた時だった。
ドシンッドシンッ
大きな地響きが鳴る。
(はて…何の音やろ?西の方々のお祭りは盛大やなぁ。)
と呑気に構えて廊下に出るとそこには見覚えの無い大きな2本の赤い柱。
不思議に思って見上げると巨体に見合わぬ小さな頭。
歪な怪物と目が合うのを感じた。
赤い肌に巨大な体躯からホブゴブリンだろう。
(けど…完全に見つかってもうたなぁ。…此のデカ物相手に無手やと決定打に欠けるんやけど、まぁ致し方無し。流石にほっとく訳にはいかんわぁ。)
覚悟を決めてホブゴブリンの脚の間を走り抜ける。
廊下に踊り出たところで振り下ろされる拳
――しかし、遅い。
左腕で頭を庇いつつ後ろに飛んで距離をとる。
破壊力は有れど動きは愚鈍か、と穴が空いた床を見て判断する。隙は幾らでも有る。武器が無いのが悔やまれる程には。
(ただ……飛び散る瓦礫はちょいと厄介…!
周りに人居らんで良かったわ。)
これ以上校舎を壊されるのは良くないし、もし残っている生徒が居たらそれこそ大変だ。其れに幾ら愚鈍と言えどあの巨体相手にこの狭い廊下では分が悪い。
校舎など関係ないと言わんばかりに――実際その通りだろうが――剛腕を振り回す魔物に対し、此方は逃げ場が少なく最小限の動きで躱さなければならない。
四尺二寸程の小さな身で助かってはいるが、其れでも多少の怪我は覚悟しなければならないだろう。
どうにか出来ないものかと飛んでくる巨体を避けつつ頭を捻る。
(――確か、裏の森は大分広かった筈。生徒達が交流会で集まっとる講堂とも逆方向や。其所なら時間稼ぎくらいは出来るやろ。そもそも私が倒す必要とか無いやん。アシュリー校長あたりは異変に気づいとるやろし。ほら、誰か来とるし……)
遠くに聞こえてくる一つの足音に期待をしつつ考えを纏める。
幸いホブゴブリンが大きく壁に穴を開けてくれている。
捉えようと突進してくる巨体をひらりと躱し、壁に開いた穴まで戻った時だった。
(良し、これで森まで誘導して……)
「“炎熱よ”!」
「えっ……!」
唐突に後ろから聞こえた声に振り返る。
忽ちホブゴブリンは燃え上がり、悲鳴を上げる。
体勢を崩し揺らぐ巨体の隙間から見えたのは靡く金糸と青いスカーフ。
「こ、これは貴女のためなんかじゃないわよ!
ただの魔術の練習だから……」
「おおきに。助かりました。
――アリス・ウェルサイスはん。」
ホブゴブリンは倒れ伏し、動かなくなっていた。
(誰か来とる気配は有ったけど、真逆彼女やったとは。
其れにしても……これはお見事!)
内心、その実力に感嘆の声を上げていると彼女は慌てた様な声で訪ねてきた。
「あ、貴女!血が出てるじゃない!大丈夫なの!?」
「へ?……嗚呼、ほんまや。いつの間に…
まあこれくらいなら平気ですよ。」
と微笑んで見せるが、彼女は心配だという表情を隠さない。初対面の時とはまるで印象が違う。噂とは真逆の人物なのでは無いかと思う程だ。
自分では全く気がつかなかったが、左腕に硝子片が刺さっていた。故郷ではこの適度の怪我はよくある事だったので差程気にしていないのだが、彼女は違う様だ。
怪我をした当人が平然として、其れを見ている方が慌てていると言う混沌とした空間を作り出している中、バタバタと何人かの走る音が聞こえてきた。恐らくはこの騒ぎを聞きつけた教員だろう。
「君達!大丈夫か!?」
「カジロ、それにウェルサイスまで何故こんな所に。」
アシュリー校長とキャンベル先生は此方へと駆け寄って来た。他の教員達はホブゴブリンを見張りつつ、此方を訝しげに見ていた。
交流会に参加せずこんな所に居て、あまつさえ魔物が現れたのだ。怪しまれるのは当然だろう。
私は自分達がこの魔物を招き入れたのではないかと疑われているのだと直感した。
(私は割と自業自得だとして……助けてくれはったウェルサイスはんが疑われているのはなんとかせな…。)
「あの、先生方……」
「カジロ、どうしてこんな所にいたんだ?交流会はどうした。」
「本を返しに来ていたんです。お恥ずかしながら、今日、交流会が有る事を忘れていて……アリスはんは姿の見えない私を心配してくれはったんです。ね?」
嘘に嘘を重ね、真実を混ぜて曖昧にする。
正直この校長、何でも見透かして来ていそうで相手にしたくないのだ。
ウェルサイスに目配せするが…伝わっただろうか。
「そうか……っと、怪我をしておるのう。どれ、見せてみなさい。」
アシュリー校長が傷口に杖を翳す。すると、多少の痛みが走ると同時に刺さっていた硝子が抜け、みるみるうちに傷が治っていった。
「大した事が無くて良かった。それで、ウェルサイス。
君が彼女を心配して来たと言うのは本当かい?」
「……えぇ…。」
私の傷が治った事を確認してから、アシュリー校長ウェルサイスに向き直った。ウェルサイスはと言うと、蚊の鳴くような声で小さく頷いた。私の嘘に合わせてくれたのだろう。もう一息、私からも押しておこう。
「本当です。其の証拠に、彼女があの魔物を倒して下さったんです。私達、お友達ですから!」
「…!!」
驚いた様に目を見開くウェルサイス。
(あれ…意図を察してくれはったんじゃあ…?)
疑問に思いつつもアシュリー校長達を説得する。
彼は私があまり魔術界に馴染みがない事を知っている筈だ。眉を八の字にまげ、声を震わせ、恰も魔物に襲われた恐怖に震えていた様に演じる。
あくまでも私が“弱い立場”で、其れを知る“友人である名家の天才”が心配して助けてくれた……と言うストーリーにした方が色々と都合が良い。
「彼女が居なければ、私死んでしまっていたかも知れません……だから…。」
「なんだ〜そういう事かぁ。
うんうん、そういう事なら良し。早く寮に戻りなさい。
それからカジロ、ノタリアとフレイヤが心配していたぞ。」
「其れは早う帰らないけませんね。行きましょう、アリスはん。先生方、有難う御座いました。」
どうやら納得してくれたらしい。
礼を述べてからウェルサイスの手を取ってその場を離れる。あの校長相手にこれ以上話すとボロが出そうだ。心配してくれている友人の元へ早く行かなければならないし、ウェルサイスにはお礼と謝罪もしなければ。
集まっている教員達には聞こえないであろう距離まで離れた所でウェルサイスに向き直り、深々と頭を下げる。
「先程は本当に有難う御座いました。」
「い、良いのよ。別に…………無事で、その、良かったわ。」
「其れと、すみませんね……勝手にお友達だなんて言って。誤魔化すにはあれしか思いつかず。」
「そ、そんな事……ないわ!もう、お友達、でしょう!」
「あら、ほんまの事にしてくれはるん?
じゃあ、よろしゅうお願いしますね。アリスはん。」
「え、えぇ!」
交流会の裏側で奇妙とも言える絆が生まれたのだった。
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「それにしても……嘘が上手じゃのう彼女は。この惨状じゃなかったら騙されてしまうところじゃった。」
「はい?」
「うふふ、いや、カジロが巻き込まれて、ウェルサイスがそれを助けたというのはきっと本当じゃよ。」
「では何が嘘だと?」
「『彼女が居なければきっと死んでいた』と言う所かのう。
こんなにも校舎はボロボロじゃぞ?それだけアレが暴れ回ったと言う事。この狭い廊下でじゃ。
なのに彼女はガラス片でしか怪我をしていない。
キャンベル君なら言いたい事分かるじゃろう?」
「成程、確かにその通りです。
……だが、強化魔術も使えない彼女にそんな芸当が出来るものか?」
「それに関しては流石は“神代の子”だとしか言えんのう。」
「彼女は何者なんだ?」
「ふふふっ…そうじゃのう。あえて言うなら
期待のルーキーかのう?」