電助、大学を辞める!
都内の閑静な住宅地の奥。
最寄りの駅から歩いて数分のところに、南都大学のキャンパスはあった。
その南側の入り口にあるタワーのような建物は、電気工学科の棟である。
その中の一室、東研究室では二人の男性が向かい合っていた。
一人は青年、もう一人は50代の男性であることから、この研究室の主、東教授とその学生とわかる。
「等々力くん、明日にはもう出て行ってもらうからね。」
「ええ、今日にでも出ますよ。荷物もまとめ終わりましたので。
では、今までお世話になりました。」
そっけなく言って部屋を出ていく青年を、東教授はいまいましげに一瞥した。
「ふん・・・、もう電気のアカデミックな世界には二度と帰れなくしてやる。
私をこけにした報いだ。
どこぞでのたれ死ぬがいい。」
教授はさらにそう吐き捨てた。
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「ふーッ とうとう電気工学の研究者になるって夢とも完全におさらばだな。
いや、もう既に一年前あたりには詰んでいたか。」
先ほど教授とやりとりしていた青年、等々力電助はキャンパスを去ろうとしていた。
最後にもう一度振り返る。
大志を抱いて、希望をもってここに初めて来た数年前がはるか昔のように感じた。
「職をさがさないとな・・・。
もう研究職は無理だろうから、電気物理学の知識を活かしてどこかに就職できないだろうか。
しかし博士課程中退で中途半端に年を重ねてしまって、それがネックだな・・・。」
これからの人生を思い、深くため息をついた。
「ごめんよ、母さん、父さんが死んでから、女手一つでここまで育ててもらったのに、
夢を諦めることになって・・・。
でも、父さん・・・、これで良かったんだよな・・・。」
電助は消防士の父と専業主婦の母の間に生まれた。
正義感が強く、高貴なる精神・道徳・倫理観を備えていた父は電助の誇りであった。
消防士という、人の役に立つ仕事に従事する父を心の底から恰好良いと思っていた。
「電助、お前も将来人の役にたつ仕事につけ。
そして自分の正義の心を信じるんだ。いざというとき勇気を出す。
これが大切なんだ。」
その言葉が電助の道標である。
それは、燃え上がる大火事の中子供を救いに行き、父が命を落としてから数年経つ今も電助の心に深く焼き付いていた。
そんな電助は幼い頃から勉学が得意で、理系科目に才能を発揮した。
父も母もそんな才能は発揮していなかったため、未亡人となった母も驚いていたが、息子を応援してくれた。こうして電助は世界の役にたつ新技術を開発する研究者を目指すようになったのである。
それがきっと、父とは違う形だが、父と交わした約束を果たすことになると信じて電助も邁進した。
こうして進んだ電気工学の道だったが、思わぬ暗雲が立ち込めた。
それが先述の東教授である。
若くして多くの業績を残し南都大学のみならず産業界まで力を持つようになった彼は、確かに素晴らしい技術をもっていたが、一方でとても人格者とは言えなかった。
一人の人間には余る程の権力と増長。
あくなき権力欲・自己顕示欲は圧倒的な研究成果も生んだが、所属学生や部下の教員の、多くのメンタル・健康を犠牲にした。
パワハラやセクハラは当たりまえ。
しかし、その権力の前に、大学の閉じた世界は、学生達の力は無に等しかった。
さらには、東教授のグルーミングのような洗脳技術の高さも、事態の隠匿を助けていた。
パワハラやセクハラで消える学生がいる一方、生き残った学生は先生のご鞭撻のおかげと思い込み、またそれに耐えた自分に酔いしれる。
このため、学生のパワハラ相談室は機能せず、毎年悲劇が生まれることとなった。
典型的ブラック研究室であった。
激しい叱責や過度の重圧をかけることで、同級生や先輩・後輩が毎年病んでいく指導に疑問を覚えつつも、電助は毎年指導を耐え抜いていた。
すべては夢のためであった。
一応、この時点までは電助も東教授を尊敬していた。
だが、あるとき彼は教授室の前で聞いてしまった。
「君、世の中には素直に従った方が身のためのこともあるんだよ。
悪いようにはしない、私の愛人になるとここで誓いなさい。」
「そんな、できません・・・。」
「ならば君は卒業できない。君の就職希望先にはね、私に頭が上がらない者たちが多くいる。もちろん教え子もね。断るということは、賢しい君ならわかるだろう?」
「・・・・・!!」
後輩の女学生に対し、卒業、いやさらにはその先の人生を人質に脅迫している。
電助の正義の心は限界だった。
情報取集を進め、電助はボイスレコーダーで録音したそのときの音声を人質に教授と交渉した。
今まで奴隷と思っていた存在が牙をむいたことで、怒り狂う教授。
しかし、圧倒的証拠の前にはさすがに劣勢だった。
「きさま~何が望みだ・・・!」
「彼女は、昔からアメリカのアイリーン先生の研究室に配属を希望しています。
彼女は優秀だ。先生の権力もあれば、口添えして特待生として転入できるでしょう。」
「正気か!?なぜその女にそんなに入れ込む、惚れたのか?」
「さあ、どうでしょうね。でも僕は先生にもうこんなことをしてほしくないのです。」
海外の、東教授より格上のアイリーン女史(女性ながら電気工学の権威として名をはせていた。)の元に預ければ、女学生も教授の魔の手をかわせると踏んでいた。
電助自身も昔学会でアイリーン女史と面識があり、事情を話して頼み込んでいた。
「ふん・・・、だがお前はどうするんだ・・・!?
私と裁判でもするか?」
「いえ、彼女さえ解放してくれるなら、私は自ら学校を去りましょう。」