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第40話 翠玉姫

「話すことが多すぎて、何から手を付けるべきか」

 

東屋の長椅子に並んで腰を下ろし、ヴィルフリートはエルナの手を取りながら、いかにも面白そうに笑う。エルナも一度にいろいろなことが起こりすぎて、頭の整理が追いつかない。 ヴィルフリートに聞かなくてはいけないことがたくさんあるのにもかかわらず、何を聞いたら良いのかさえぱっと浮かんでこないほどだ。

 

心地良い風で揺れる草花の香りが鼻孔をくすぐり、少しだけ冷静になった。草花の中に、頭をすっきりさせる効能を持つ薬草でも混じっているのかもしれない。

 

二人を気遣ってか、マシロ、クロミツ、チャチャは噴水近くの草むらで日向ぼっこしている。クロミツはまだチャチャの逃亡を疑っているのか、チャチャから目を離さないよう意識しているようだった。当のチャチャは心の重しが取れたかのように、先程とは打って変わって楽し気に転がっている。マシロは、クロミツの頭の上で、嘴で羽繕いしていた。

 

ヴィルフリートがエルナの手を握りながら、体をよりエルナに近づけきた。完全に密着してしまい、エルナは思考が遮られ、抗議の意を唱えようとヴィルフリートに顔を向けようとしたが、あまりに近すぎて、かえって顔の距離が近いことを改めて意識してしまう。すぐそばに、満面の笑みを浮かべた彼の顔があるのだ。エルナはさっと顔を背ける。


「ヴィルフリートさん! 近いです‼」


「このくらい許してほしなぁ。僕たちは婚約者なわけだし」


「近いと話しにくいんです‼ ……あ、それです! そう‼ 婚約者とは一体⁉」

またもさっと隣を見上げると、間近に彼の顔があることを確認し、咄嗟に顔を背ける。自分の学集能力のなさにほとほと情けなくなった。


「ローラントさんが、成立したと……意味がよくわからないんです。私たち、婚約などしていませんよね? 全く、身に覚えが……」

 

そっぽを向くエルナの後頭部を見ながら、ヴィルフリートは少しおかしそうに口元を歪めてからこともなげに言う。


「謁見の間で話した通りだよ。水の国に伝わる、伝統的な婚約の儀式なんだ。十一年前のあの日、僕は婚約の儀式を途中まで済ませた。君の手の甲にキスしただろう? 今度はキスを送った相手から、キスをもらわないといけないんだ。そうすれば、儀式は終わり。婚約は成立。でも、出会ったばかりで、君にそれを強要できないと思った。だが、どういう因果か……いや、運命と呼ぶべきかな? 僕は十一年後に、君からキスをもらった。そのキスで、僕は長い眠りから覚めた。そして、そのキスが婚約の成立を告げた。というわけだよ?」

 

エルナは顔を真っ赤にしてふるふる震えた。


「キ、キス……キス、連呼しないでください‼ 恥ずかしいです‼」


「え? 口づけの方が良かった?」


「そういう問題ではなくてですね⁉」


 ヴィルフリートは空いた手を口元に当てて、くすっと笑う。


「ごめん、ごめん。でも、説明にはどうしても必要でね? あとね、付け足したいのは……君のキ……口づけがなければ僕は永遠の眠りについていただろうってことだ。婚約の儀式はいわば、魔法だ。強い力を持っている。だから、僕に掛けられた古い魔法を打ち破ったんだ。エルナ、君にしか僕を救うことができなかった。そうだな……いうなれば、おとぎ話によくある、愛のキ……口づけってやつかな? ああ、でも、婚約の魔法がっていうのは、僕の解釈であって、認識不足ということはあるかもしれない。何しろ君は、女神セングレーネの一筋の光を与えられし者だしね。その力が作用したとも考えられる。まあ、どちらにしろ、君に救われたのは間違いないよ。ありがとう」

 

口元に置いていた手をエルナの頭に乗せ、軽く撫でるので、エルナはどきっとして下を向く。


「ちなみに、この婚約は非常に重いものでね。相手が死なない限りは、無効にならない。しかも、相手が婚約者と別の者と結ばれた場合、契約は呪いに変わり、災いが襲う、らしい。本にはそうあった」

 

あっけらかんとそう言うので、エルナは音がするほど勢いよく振り向いて、信じられない思いで彼を見つめる。もう、近いなどと言っていられない。


「待ってください‼ それを知っていて、儀式をしたんですか⁉」


「もちろんだとも」

 

ヴィルフリートがこくりと頷いたので、エルナは目を瞬かせ、機械からくりのように顔を正面に向け、宙を見つめる。


「かなり重い儀式だと思うんですが……⁉ 幼い子供が決断できることですか……? いや、むしろ……幼いあまりに思い余って? ちゃんと考えないで?」

 

ぶつぶつ呟くエルナを眺めながら、ヴィルフリートは自信満々に言い放つ。

「自信があったんだよ。この想いはずっと変わらないと。現に十一年経った今も変わっていないだろう? 出会ったときよりも、強いくらいだよ。君への想いはね。十一年間、スイレンを通してしか君に会えなかったけれど、僕は」


「スイレンを通して⁉」


「ああ……これも話してなかったか」

 

ヴィルフリートは苦笑して、頭を掻いた。


「スイレンを作り出していたのは、ヴィルフリートさんだったんですか⁉ あ……だから、半年前を境にぱたりと」

 

話が繋がり、エルナは嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになり、頭を抱える。

「ヴィルフリートさんは、何で名乗ってくれなかったんですか⁉ スイレンを通してということは、私の姿を知っていたということですよね⁉ 出会った瞬間に気が付いていたということですよね⁉」

 

ヴィルフリートを見ると、彼は庭園に咲く花々に目を向けていた。吹いてくる風が、花を優しく撫でていく。


「どうしてだろうなぁ……確かに、名乗っても良かったよね。でも、もっとこう……劇的な再会を果たしたかったというか……エルナに、僕だと気づいてほしかったのかな?」

 

ヴィルフリートはエルナを見た。瑠璃色の瞳がまっすぐエルナを捉える。手を握る力が強くなって、エルナも彼の顔を見返した。草木を揺らした風が、今度はヴィルフリートの銀髪とエルナの銀色の髪を撫でて通り抜けた。瑠璃色と深緑色の宝石のような瞳から発せられる光が絡み、その場の時を止めたように、静かになった。


「待っていてくれてありがとう。僕のことを忘れないでいてくれてありがとう。僕の愛しい、大切なエルナ。迎えに来たよ。遅くなったけれど、君を迎えに来た」

 

ヴィルフリートは握っていた手を引き寄せ、もう片方の腕をエルナの背中に回し、抱き寄せた。握っていた手は解かれ、その腕も彼女の頭の後ろに回される。


「君が望むなら、世界中を旅しよう。知りたがりのお姫様」


旅という言葉に、エルナははっとして、身を任せていた彼の胸に手を押し当て、距離を作り、彼を見上げた。


「ヴィルフリートさん、私の父が生きているそうなんです。あの、祖母の部屋で見つけたメモは、ヴィーのことでなく、父のことだったんです。あの村の名前……父に(ゆかり)があるのかもしれません」


ヴィルフリートはちらりと遠くで日向ぼっこするクロミツに目線を走らせてから、ふう吐息を吐いた。


「うん、僕も聞いたよ。この旅も、ヴィー探しと偽って、君のお父様を探そうかなと考えていたんだ。予定が狂ってしまったけれどね」

 

目を丸くするエルナの銀の髪を、ヴィルフリートは優しく梳いた。

「あのね、エルナ。以前、君はエンガリアの使者に追いかけられるかもしれないと言ったよね?」


「はい。〈アム〉が、エンガリアでは聖女の力なんですよね?」


「そう。だけれどね、それよりも厄介な相手が、君を追っているんだ。この銀色の髪。そして青い目しか持たぬ〈白の一族〉の中で、古くからの伝承の中にある緑の目——翠玉の瞳を持つ少女。〈翠玉姫〉であるがゆえに」


「すい、ぎょくひめ……私が?」


先程、〈白の一族〉の刺客の放った聞きなれぬ言葉だ。

ヴィルフリートは頷いて、エルナの頭を自分の頬に寄せた。


「ごめんね。混乱させることばかり言って。〈白の一族〉の伝承に、〈闇が覆いし時、青き海原に、翠玉に輝きたる女神現るる。女神の名、翠玉姫というなり。かの神、我ら一族を率い、幸いに導くであろう〉というものがある。この海原というのがどうやら青い目をのことを指すらしくて、その中に翠玉に輝く緑の目を持つものが生まれて、一族を繁栄へと導くという言い伝えらしいんだ。君にも伝えた通り、〈白の一族〉は数を減らし、今ではひっそりと暮らしている。髪を染めたりしてね。でも、彼らの作る集落もどこかに存在しているらしい。いわゆる、隠れ里というやつだね。そこで今、妙な勢力が力をつけているという噂がある。〈白の一族〉こそ、地上を支配するのにふさわしい優れた種族だとね。それを率いる若者が、伝承に目を付けたようで、〈翠玉姫〉を探し出し、共に一族の再起を図ろうと計略をめぐらせているらしい。数人の占い師が、〈翠玉姫〉は既に生れ落ちていると言ったらしくてね。ちなみに、〝シュバルヒ〟というのは、〈白の一族〉の持つ名だ。僕と君にも、正式にはその名がつく」

 

まるでおとぎ話の世界のような話に、エルナは半ば信じられないような気持で耳を傾けていた。が、ヴィルフリートの声音はどこまでも真剣で、嘘を言っているように思えない。

それに、現に襲われ、連れ去られそうになったのだ。疑う方がおかしい。


「父上は君が伝承の〈翠玉姫〉だと気づき、君をおばあさまに預け、自分は行方をくらませたのだと思う。自分との繋がりを悟られないようにという配慮だろうね。そして、君のおばあさまも、それを承知して、特別な石鹸を作り、君の髪を茶色く染めた。おそらく、使い続ける限りは栗色を維持してくれたんだろうと思うけれど、石鹸は底をつき、君は作り方も知らなかった。エルマーの池を出てからね、君の髪色が薄くなっていることに気が付いた。確証はまだ持てなかったけれど、やはり君の髪は銀色だった。僕の魔法が飛んで、完全に色が失われたんだ。あんな形で、君に真実を突きつけることになってしまって、すまない」

 

エルナはヴィルフリートの肩に顔を埋めた。

父も、祖母も、エルナを守るために嘘をついたのだ。

全てはエルナの為だった。それはわかるのだが、エルナはやるせない気持ちでいっぱいになった。なぜ、真実を伝えてくれなかったのだろうと。何も知らずに、ここまで来てしまったのがひどく悔しくて、父や祖母に恨みがましい思いすら湧いてくるのだ。


(守るってそういうこと……? こんな受け身は嫌だよ。私は自分でちゃんと受け止めたかった。受け止めた上で考えて、自ら行動したかったのに。私は子供だったかもしれない、だけど……)

 

そのとき、突如エルマーの言葉が頭に蘇って来た。


——僕はそんな夢物語が大っ嫌いなんだ。待っていたって何も来やしない。


エルナははっとして、身を起こした。


(そうか……受け身だったんだ)


ただ王子様を待っているだけのお姫様。王子様が運んで来る幸せを、期待に胸を膨らませて、待っているだけの女の子。その姿は、受け身そのものに違いない。


(受け身は嫌だなんて言いながら、私は常に受け身だった)

 

村の外に出られない原因不明の病だって、どうにか調べることができたかもしれない。ヴィーのことだってそうだ。銀髪の髪について調べることすらしてこなかった。多少困難でも、労力を惜しまなければヴィルフリートから得た情報を事前に知ることができたかもしれない。石鹸のことだって、もっとうまくやれば、レシピを手に入れられたかもしれない。


(過去をいくら嘆いても仕方ない。これからだ。これから変わればいい)


 おとぎ話や夢物語が悪いなどとは思わない。むしろ、これからも物語を愛していくだろう。けれど、王子様をただ待つだけの少女像は、もうエルナの心に何を呼び起こさない。


「ああ、そういえば……行きに馬車を襲ってきたのは盗賊団ではないからね?」


「へ?」

 

エルナが目を瞬かせてヴィルフリートを見ると、彼は口元を緩める。


「あのときはエルナがエンガリアの使者を疑っていたから、適当に盗賊団だと言ったけれど、あれも僕を追って来た者たちの仕業だったんだよ」

 

そう言われれば、彼らも〈水の民〉だとローラントが言っていたし、自分も水浅葱色の髪を見た。ローラントから聞いたときは、偶然にも、盗賊団が〈水の民〉だったのか程度にしか考えなかったのだが。なるほど、盗賊団ではなく、イーヴォの手の者たちだったのだ。


「この先も〈白の一族〉が君をつけねらうとなると、僕は四六時中君と行動を共にする必要があるね」


「えっ?」


「僕はさながら〈翠玉姫〉を守る騎士(ナイト)か。悪くない」


瑠璃色の瞳にいたずらっこのような光を湛え、ヴィルフリートは屈託なく笑った。


(ダメ! ただ、王子様に守られているだけなんて)


エルナは目を瞑ると、大きく息を吸い込み、ゆっくりと長く息を吐き出した。


(変わりたい。ただ守られているだけの、何もできない自分から)


そして、宝石のように輝く深緑色の瞳を、優し気に見下ろす瑠璃色の双眸へと向けた。


「ヴィルフリートさん、あのっ……」


エルナは今の気持ちを伝えたくて、声を出すが——


「ああ、残念。人が来た」


心底残念そうにヴィルフリートは嘆息した。

数人が談笑しながらこちらへ向かってくるのを感じ、エルナはそちらを見やった。


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