第3話 目覚めた王子様
どのくらい進んだのだろう。
追いかけはじめてすぐチャチャの姿を捉えることに成功したが、いくら声を掛けても、チャチャは何かに憑かれたかのように足を止めなかった。そのため、やむを得ず、彼の進路をなるべく照らし出そうと、思いっきり腕を伸ばして、ランタンを前方に突き出す格好で、無鉄砲なチャチャを追いかけ続けた。そうして、チャチャが止まったのは、ずいぶんと奥に進んでからだった。途中、分かれ道や、大きな岩などを横目で見ながら進んできたのだが、エルザと来た時には見たことのないものばかり。おそらくは、今まで足を踏み入れたことのない場所まで来てしまったのだろう。道すがら、ランタンの灯りを反射する物がいくつもあった。壁に埋まった鉱石だ。
エルナは上がった息を整えつつ、頭上にランタンを掲げ、辺りを見回す。天井まで傾斜する壁に、青や赤、緑などにきらっと輝くものが見える。不本意とはいえ、ここまで来てしまったからには、この鉱物を採掘して帰ろうと商魂たくましくも思っていると、クロミツが押し黙ったまま動かないチャチャに軽く体当たりした。チャチャはわずかによろめく。
「おい、チャチャ! どういうつもりだよ! いきなり走り出しやがって。しかも、何度呼んでも止まらないとはどういう了見だ! 説明しろ!」
琥珀色の瞳ににらみつけられても、チャチャは放心したように動かない。
「おい!」
なおも食って掛かるクロミツに、マシロが嘆息する。
「いやねぇ。男って、すぐこれだから」
エルナは鉱石から、チャチャに目線を移し、少し屈みこんで、彼の顔を覗き込む。
「ねえ、どうしたの? チャチャ。においがなくなったの?」
チャチャはゆっくりエルナの方に顔を向け、軽く鼻を動かす。
「あ、いや。ごめん。人のにおい、するよ。でも、それ以外にも……変なにおいがして。どこかで嗅いだことのあるにおいな気がして、ちょっと考えてたんだ。でも、わからなかった。……人のにおいは、あっちから。もうすぐそばだよ」
チャチャが鼻先を向ける洞窟の奥を、エルナも見つめ、息を飲んだ。
この先に誰かがいるのだ。行くべきだろうか。しばし、悩んでいると、またもチャチャが動き出した。先程とは打って変わり、ゆっくりと歩みを進めていく。エルナは意を決して、その後に続くことにした。もし、野盗なら急いで逃げようと頭の隅で考えながら。
「ここだよ!」
チャチャは立ち止まると、座り込んで、尻尾をふりふりと揺らした。
エルナはチャチャの隣で光を反射する何かに向けて、ランタンを掲げる。
水晶だった。とてつもなく大きな。人、一人分くらい大きな。
エルナは水晶に近づいて、改めてランタンで照らす。
「!」
人がいた。
灯りを受けてきらりと輝く水晶に埋もれるようにして、人がひとり横たわっている。
それはまるで棺だった。荒削りだが、確かに箱型をしているのだ。しかも、水晶でできた茨のようなものに覆われ、触れるのも憚られる代物だった。その中に収められている黒髪の青年は、眠っているようで静かに目を閉じている。
「死んでるのか?」
露骨なほど不吉なクロミツの言葉に、エルナははっとした。棺で睡眠をとるはずはないのだ。エルナはランタンを投げ出すように地面に置いて、茨に触れないように注意しながら、彼の顔を覗き込み、自分の耳を彼の鼻付近に近づける。かすかに呼吸しているのが感じられた。今度は、そっと彼の胸元に手のひらを置く。
ドク、ドク、ドク。
心臓は確かに動いている。生存を確認すると、エルナはそっと胸を撫でおろした。
「ちゃんと、生きてる」
神妙な顔をしていた妖精動物たちを安心させるように声を掛けてから、改めて青年の顔をまじまじと眺めた。
さらりとした黒髪に、閉じられた瞼の上に伸びる黒いまつ毛。人間離れしていると思うほど、端正な顔立ち。まるで、おとぎ話の王子様のような風貌である。
(王子様……)
ふと不思議な感覚に襲われる。前にも、同じような場面を見たような気がするのだ。エルナはそれが何なのか突き止めようと、わずかな間、頭の中を探っていたのだが、どうにも思い出せそうにない。
仕方なく、再び青年に目を落とす。彼の身に着けるのは、青地に金の刺繍の入った立派な騎士服だった。
(野盗ではなさそうね)
そう考えていると、クロミツがエルナの隣まで歩いてきた。
「どこかの貴族の坊ちゃんか? それにしても、見たかよ、これ」
クロミツが顎をしゃくるので、その方向に目を向けると、棺——のように見える箱を覆うように巻きつく茨が、青年の手足に絡みつき、悪意を持った枷となっていた。水晶自体は、透明度も高く美しいのだが、その茨の枷はひどく禍々しく、刺々しい棘が四方八方に突き出し、彼に手を伸ばす者を威嚇しているかのようだった。
「これは一体……」
一体全体、何が起これば、水晶が人間に絡みつくのだろう。
水晶の茨など、今まで見たことも聞いたこともない。それに、見れば見るほど、水晶の茨がこちらに敵意を向けてきているような気がして、エルナはにわかに震えた。
「何か呪いのような物を感じるわね。この人、咎人なのかしら? それにしたって、こんなの見たことないわ。何の魔法かしら?」
肩に乗ったマシロは首を傾げながら、しげしげと男を眺める。
「どうするの? エルナ」
チャチャが不安げにエルナを見上げる。
エルナは跪いて、青年を間近で見つめた。
かすかだが呼吸もしているし、胸も上下しているのがわかる。だが、今生きていると言っても、このまま放っておけばいつか命を落とすかもしれない。どうして洞窟にいるのかとか、この水晶は何なのかとか、そういった数々の疑問はとりあえず棚に上げ、目の前の彼を助けることを優先させなくてはならない。
「このまま放っておくわけにはいかないよね」
助けようと決意した矢先、すぐにそれを挫くような言葉が投げかけられる。
「だけどよ、助けるったって……水晶ぶち壊すのか? 堅くて無理じゃね? 運ぶのか? 重くて無理じゃね?」
言って、クロミツは後ろ脚で耳の裏を搔いたあと、興味なさそうに欠伸をした。
チャチャは勇敢にも茨の水晶に前足をかけて堅さを確かめ、次に青年の肩口の衣服に噛みついて、後ろに引こうとするも、断念してぱっと口を離した。
「確かに堅いし、重いね。エルナが運ぶには無理があるよ」
チャチャが首を振ると、
「そうねぇ……この人を起こして、事情を聞いてみるなんていうのはどうかしら? エルナ、水でもかけて起こしてあげたら?」
マシロが水かけ案を提案して、エルナの頬を小さな嘴でつんつんと突く。
「水⁉ いきなり水をかけるの⁉ でも、起こすっていうのは良いかも」
水かけ案には苦笑しつつも、起こすというのは一番理にかなった考え方だと、エルナは眠れる青年を起こしにかかることにした。
「あの、もしもーし! 大丈夫ですか! 起きられますか!」
青年に向かって声を張り上げながら、肩を揺するも、反応はない。声を掛け続けるエルナの声が煩いのか、クロミツは顔を顰めつつ、不意に何かをひらめいたように目を瞬かせた。そして、
「じゃあ、こんなのはどうだ? 呪いを解くっつったら、これだろ」
何を思ったか、エルナの背中に必殺、猫パンチを炸裂させた。
肩に止まっていたマシロは半ば投げ出されるように飛び立ち、近くにいたチャチャの頭の上に下り立つ。
一方、猫パンチを受けたエルナの体は、湿っぽい地面に立膝をつくという不安定な格好だったため、まともに衝撃を食らってしまい、ゆらりとよろけてしまう。そのまま体躯は盛大にかしぎ、青年の顔めがけて、エルナの顔面が思いきり突っ込んだ。
その瞬間、青年の頬に青くて小さな魔法陣が浮かび上がった。だがそれは、瞬く間に、すっと消えてしまった。そこにいた誰もその不思議な光に気が付かなかった。
「……!」
まさに不慮の事故。
エルナの顔面は青年の頬あたりに受け止められたものの、鼻も唇も完全に青年の肌にぶつかってしまった。顔面に受けた痛みよりも、青年に与えてしまった影響の方が心配で、エルナはさっと身を引き、青年の顔を見下ろす。顔の向きが若干変わっている気がするが、顔が歪んだり、傷ついていることはなさそうだ。エルナはそっと胸を撫でおろしてから、ずーんと傷む鼻頭を擦った。不可抗力で、触れてしまった青年の肌は、とても冷たかった。そのゾクリとするほどひんやりした体温が急激に蘇ってくる。額に、頬や鼻、そして唇が、その冷たさに火傷したようにじんじんする気がした。
(唇……?)
ふと、エルナは鼻頭を押さえていた手を自分の唇に移動させた。とたん、かっと顔に血が上る。
(キス⁉ キスしてしまったのでは⁉)
心臓が早鐘を打つ。生まれてこのかた、キスなど祖母の頬くらいしか経験がない。エルナはひどく動揺しつつ、どうにか気持ちを落ち着けようと、深呼吸を繰り返した。そして、はたとクロミツの猫パンチを思い出す。エルナは勢いよく振り返り、後ろで悪びれることなく寝転がっているクロミツを、キッと睨みつけた。
「ちょ、ちょっと! クロミツ! 何するの!」
クロミツはごろんとしたまま、琥珀色の瞳だけ、顔を真っ赤にして抗議するエルナに向ける。
「だってよ、おとぎ話なんかだと、呪いを解くにキスって決まってるじゃんか。だから、エルナのキスでこいつも目、覚ますかなって」
こともなげにそう言うので、エルナは目を吊り上げる。
「それはおとぎ話でしょ⁉ しかも、そういうのって『愛する人のキス』って相場が決まってるの! この人と、縁もゆかりもない私のキスに何の意味があるのよ!」
いくら防げなかった事故とはいえ、抵抗もなにもできない見知らぬ青年にキスをしてしまったという事実。それが唇でなく、頬だったとしても、これは由々しき事態である。しかも、被害者も不憫だが、加害者であるエルナ自身も被害者といっても過言ではない。
「もう! キスっていうのはね、とても神聖なものなのよ! それに、初めてのキスというものは、本当に特別なの! 私の初めては、一生を共に知る人とするって決めていたの! なのに、ひどい! こんな不意打ち! しかも、知らない男の人で、相手は無抵抗で! まるで私が無理矢理したみたいじゃない!」
自分でもどうしてこんなに捲し立てるのかわからなかったが、ついつい語気を荒げてしまう。だが、言い募るうちに更に興奮してきて、次から次へと言葉が溢れ出す。
クロミツもまずいと思ったのか、そろそろと起き上がると、首を垂れ気味にし、三日月のように目を細めて大人しく聞いているのだが、その姿を見ても怒りが収まらない。
それまで成り行きを見守っていたチャチャがおずおずと口を開く。
「まあまあ、エルナ落ち着いて。唇じゃなかったんだから、良しとしようよ」
火に油を注ぐような発言に、エルナはますます怒りを募らせ、チャチャに鋭い一瞥を投げた。チャチャは怯んだように身を屈め、助けを求めるように自分の頭頂部を陣取るマシロに視線を送ろうと上目遣いになる。
だが、マシロは白い体をぶわっと膨らませ、ぷりぷりとむくれており、チャチャの気持ちなど汲み取る気すらない。
「本当、男って短絡的思考だから嫌よね」
マシロは同性ゆえか、何かとエルナの味方をする。
もちろん、チャチャもクロミツも、常にエルナの味方になるつもりでいてくれているのだが、生活しているとちょっとしたことで意見の食い違いがでる。主に、食事の献立についてだが。
マシロの口癖は、「これだから男って嫌よね」である。この男というのは、だいたいにおいて、クロミツのことを指すが、チャチャが含まれることもままある。
チャチャはしばらく半分耳を塞ぎながらも、クロミツに憐みの眼差しを送っていたが、急にすくっと背筋を伸ばし、
「ねえ! みんな! 見て!」
突然、洞窟内に響き渡るような、わずかに上擦った大声を発した。
怒りが冷めやらず、ヒステリックな言葉を紡ぎ続けていたエルナも、それを黙って耐え忍んでいたクロミツも、エルナと一緒になってクロミツをなじっていたマシロも、一斉にチャチャを見た。一手に注目の的となってしまったチャチャはぶんぶんと首を振る。
「ボクじゃない! 後ろ! 男の人!」
チャチャが水晶の茨に捕らわれた青年を見つめるので、エルナたちも吊られたように視線を青年に向けた。
かすかに、青年の表情が変わった気がした。エルナは驚いて、青年に飛びつくように近づき、地面に膝をついて、彼の顔を覗き込む。
青年の黒くて長いまつ毛が、ちらちらするランタンの灯りで顔に影を作る。つい見とれてしまうほど、美しい顔立ちだった。ぴくりと瞼が動いた。そして、黒いまつ毛がすっと持ち上がり、透き通るような瑠璃色の双眸が現れた。暗がりでもわかる、宝石のように美しい瞳。エルナの鼓動が自然と速くなる。どこか懐かしい色を湛えた瞳。なぜだろう。この瞳をもっと見ていたいと、そう思ってしまう。あまりに美しいからだろうか。
青年は緩慢な動作で顔を上げた。どこか無機質な瑠璃色の瞳が、目の前のエルナの姿を映し出した。最初はぼんやりとただエルナを見つめていただけだったが、次第に生気を宿したように光を湛えたかと思うと、急に人間らしい顔つきになり、驚いたように目を見開いた。
「ここは……?」
青年は形の良い唇を動かした。少し擦れた声だ。
「ここは、フォーグナーの森です。洞窟の中です。大丈夫ですか?」
エルナは努めてゆっくり話す。耳の遠いお年寄りに話しかけるかのように、丁寧に。
「フォーグナー……」
単語の意味を確かめるように青年はそう繰り返し、やがて自分の手足を拘束する水晶の茨の存在に気が付いたようで、目を細めて、忌々し気にそれらを眺め、指先やつま先など、茨に絡みつかれていない部分をわずかに動かした。
「この水晶、見覚えはありますか?」
エルナが問うと、青年はむやみに手足を動かすのをやめ、しばし無表情で自分を拘束する水晶の茨を見つめていたが、少ししてから眉を寄せた。
「……古い魔法のようだ」
そう呟いてから、青年は押し黙る。何事かを思案しているようで、わずかに顔を動かし、容赦なく身動きをとれなくしている冷たく、頑丈な枷を確認するように見やった。ややしてから、良い案が浮かんだというように、ぱっと表情を明るくして、瑠璃色の瞳でエルナをまっすぐ見つめた。
「君のその美しい指先で、この茨に触れてみてはくれないか? 肌を傷つけないよう、そっと」
「え? 触るんですか? 私が?」
得体の知れない要求に、頭に疑問符が浮かびながらも問うと、青年はこっくりと頷く。
なぜ今、エルナが茨に触れる必要があるのか。その理由を問いたい気持ちでいっぱいだったのだが、目の前の青年の有無を言わさぬ眼力にすっかり圧倒されてしまい、エルナは言われるがままに、今まで散々接触を避けてきた怪しげな水晶におそるおそる手を伸ばした。
ピンと張った指先で、棘と棘の間にある茎部分に触れる。人差し指、中指、薬指の先が、ひんやりした透明の石の表面にわずかに触れたその刹那、彼を囲う水晶のすべてが真っ白い閃光を放った。あまりの眩しさに、そこにいた全員が思わず目を瞑る。少しして、薄目を開けると、水晶全体に容赦ない白い罅が走り、全体を透明から濁った乳白色に仕立てていた。
「何で……?」
罅ですっかり様変わりした水晶に、半ば放心したようにエルナは再び指先を伸ばす。
バリンッ——
指先を軽く押しあてただけだった。だのに、触れたその場所を起点に、濁った水晶はバリバリバリと亀裂が入り、次の瞬間には、見事なほど粉々に砕け散り、ぱらぱらぱらと地面に散らばった。あっという間の出来事で、エルナと一羽と二匹の妖精動物たちは、口をぽかんと開いたまま目を見張っていた。
身動きを封じていた茨の枷が消え去り、青年は体に降りかかった粉を軽く払ってから、おもむろに立ち上がった。頑丈な拘束具が何の前触れもなく、たちまち砕け散ったというのに、拘束されていた本人は動じることなく、さも当然というように涼しげな顔をしていた。
立ち上がった青年は、縛り上げられていた体の調子を確かめたいのか、右の手首を、左の手首で包み込むように触ってから、その手を今度は首に当て、軽く首を回す。最後に片足ずつ上げてから、エルナに向き直った。
「ありがとう。その美しい指を、毒々しい棘で傷つけることも厭わず、果敢にも僕を助けてくれた。君の勇気に感謝する」
そう言ってから、頭を下げた彼のさらりとした黒髪から、きらきらと水晶の粉が舞い落ちる。振り払ったとはいえ、彼の衣服にはまだまだ水晶の欠片が装飾のごとく付着していた。
先刻、降りかかった災難だと知らなければ、光り輝くお洒落な衣装だと思われてしまうほど、違和感なく、むしろ美しかった。
青年の物言いがずいぶんと大袈裟なので、内心苦笑しつつも、目の前で頭を下げられることの方に意識がいった。おそらく年上だろう青年に、こうも律儀に頭を下げられると、居心地が悪く、
「いえ! とんでもないです! というか、私、なにもしてないですし! お願いですから、頭を上げてください!」
慌ててそう言うと、青年は顔を上げ、息をのむほどの端正な顔に、優し気な微笑みを浮かべた。
「なんて優しんだ。君は女神セングレーネよりも慈悲深い」
中央大陸を守護する女神セングレーネと比較されたことに面食らいつつ、きらきらした瞳を向けてくる青年の視線を受け止めるも、その輝きがまぶしすぎて、思わず顔を背けてしまう。
「で、採掘はどうするんだ?」
呆れたようなクロミツの声がして、エルナはクロミツに視線を移す。
先程まで、背を丸めて首を垂れていたクロミツは、いつの間にかいつもの調子に戻っており、青年に胡散臭いものを見るような一瞥を投げてから、エルナを見上げた。自分たちが洞窟へ来た理由を思い出し、エルナはさっと周囲に目をやった。ここには美しい宝石の原石たちが採りきれないほど眠っているのだ。それに、これほど奥まで入って来たのは初めてだ。今まで見たことのない珍しい鉱石を見つけられるかもしれない。すぐにでも採掘に取り掛かりたいと、エルナは肩に掛けた革鞄から、かなづちを取り出そうと手を伸ばしかけたが、すらりとした立ち姿で、こちらを見つめる青年の視線に気が付き、その手を止めた。
(そうだ、まずこの人をなんとかしなきゃ)
青年と目が合うと、魅惑的な微笑みを浮かべたので、心臓が跳ね、エルナは思わず顔を背けてしまう。
「まず、この方を洞窟の外へ連れ出そう? 採掘はそのあと」
見たところ、青年はどうやら元気そうだ。洞窟の外まで案内すれば、どうにかなるだろう。森の道がわからなければ、村まで連れて行けば良い。エルナはそう考えてから、地面のランタンを拾い上げ、琥珀色の瞳をきらっと光らせるクロミツ、舌を出してこちらを見上げるチャチャ、その頭の上にちょこんと乗ったマシロを順繰りに見てから頷いて、最後に黒髪の青年に目を向けた。
「外までご案内します。もしくは、村まで。暗いので、注意してついてきてください」
優し気に目を細めてエルナを見つめる青年の視線を避けながら、洞窟の入口へと続く道へと進み出した。すぐさま、クロミツとチャチャが定位置につく。別れ道があったので不安だったが、においを辿るチャチャが先を歩いてくれたおかげで、迷うことなく洞窟を抜けることができそうだ。時折、無事に着いて来られているかどうかを確認するために振り返ると、青年が微かに首を傾けてエルナをきらりとした瞳で見つめるので、その都度ドキッとして慌てて顔を戻す。
(何だろう……視線が熱い気がする)
自分を見つめる青年の瞳が、どこか普通とは違う気がして、エルナは戸惑いを隠せない。エルナの経験上、これほどまで長い時間自分に視線を注ぐ者はこれまでいなかった。〈妖精の瞳〉が不吉な感情を呼び込むからだ。
(暗くてよく見えてないからかも)
洞窟の闇のおかげで、青年には〈妖精の瞳〉の魔力といっても差し支えないほどの力が影響を及ぼしていないのかもしれない。人の心のうちに忍び寄る不の感情を呼び寄せないで済んでいるのだ。でも、それもあとわずかだ。既に、白い光が前方に見えているので、闇の終わりは近い。そうすれば、この青年も村人たちと同じように、エルナの瞳に恐怖の色を浮かべるだろう。ちくっと胸が痛んだ。手のひらを返したような残酷な現実が、目前に迫っている。じっと見つめられるのは落ち着かなかった。それも、端正な顔立ちの、宝石のように美しい瑠璃色の瞳に映されると、気恥ずかしさもあった。でもそれ以上に、優し気で、温かな視線を、まっすぐ自分の顔や瞳に注いでくれる人がいるというのが、くすぐったかったのかもしれない。
エルナは無意識に唇をかみ、ランタンを持つ手に力を込めた。