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第33話 ヴィルフリート

記憶をいくら探しても、思い出せるのは一欠けらほどの思い出だけ。

少年には両親がいた。絹のような髪がとても長く、触るとひんやりしていた、優しい微笑みを湛えていた母。ごわごわとした銀色の髪が重力に逆らって立ち上がった、笑顔のぎこちない父。思い出の中の二人はいつもヴィルフリートを大切にし、可愛がってくれていた。

 

そんな父母との別れはあっという間だった。大雨の中、崖を走っていた馬車は、何かのはずみで滑り出し、崖の下へ落ちた。一緒に死ぬはずだったのに。ヴィルフリートは母の魔法に包まれて、馬車からぬかるむ泥の中に投げ込まれた。そのとき見た最後の顔。泣きそうなのに、笑いかける父母の顔。

 

次に気が付いたときには、葬式だった。村人たちが全て滞りなく行ってくれ、ヴィルフリートはただ従ってさえいれば良かった。ひとりぼっちになった家はがらんとしていたけれど、まだ父母のにおいや空気が残っているような気がした。村人たちが入れ替わり立ち代わり面倒を見に来てくれた。人がいるときだけは少しだけ気持ちが軽くなった。話しかけられ、それに応じているときだけは、一人ではないと感じられたから。でも彼らが帰ると、余計に孤独が身に染みて、居た堪れなかった。

 

そんなある日、青い光を纏う綺麗な女性が現れた。どこか母に似ているような気がした。


「これからは私たちが家族です」

 

その人はそう言った。

そうして、ヴィルフリートは人間の世界から、水の妖精たちの住む、水の民の国——ファーミュラーへと連れて来られたのだ。

 

ヴィルフリートを迎えに来た女性は、この国の女王だった。彼女には四人の子供たちがおり、みんなヴィルフリートより年上だった。女王の夫は既に亡くなっており、この五人がヴィルフリートの家族だと紹介された。そして、彼の面倒を見るために、ローラントという少年がつけられた。ローラントは水の民の国では珍しく、人間に興味を持つ数少ない者だった。水の国の民は、どこか人間を毛嫌いしており、ローラントのような存在は珍しかったのだ。


「なあ、人間って、魔法が使えないのか?」


「人間って、何を食べるんだ?」


「人間はみんなそんな髪の色なのか?」

 

最初の頃は矢継ぎ早に質問ばかりするので、正直戸惑った。ただ、遠巻きに睨みつけてきたり、あからさまに避けたりする者たちがいる中で、怖がることも、疎ましがることもないローラントが、心を許せる大切な友となるのに、そう時間はかからなかった。年上の王子と王女たちも、ヴィルフリートに対して優しかったが、どこか線を引かれているような気がしていたので、ローラントだけが唯一気兼ねなく付き合える存在だった。

 

すっかり仲良くなった二人は、好奇心から結界の外に出ることが度々あった。そのときは決まって、父から教わった髪染めを行い、目立ってしまう銀色の髪を漆黒のごとき黒に染めた。まつ毛や眉毛まで染めるのが一苦労だったが、父からきつく言い含められていたので、抜かりはなかった。結界の外に出ると、まずは周辺の人気のない森や草原を遊びまわった。そのうち、欲が出て、近場の農村や町へ繰り出し、懐かしい人間世界を散策した。

 

幾度となく繰り返した人間世界への散策を終え、彼らはすっかり結界を外に出ることに慣れた。そうして、気を大きくし、もっと遠出しようと、魔法の馬で、二人はどんどんと水の国から離れていった。そうして、見たこともない村を通り過ぎ、見たこともない森についた。聖なる湖を抱き込んだ大きな森。

 

ローラントとはぐれたヴィルフリートは半べそを掻きながら森を彷徨い歩いた。そのときだ。彼女に出会ったのは。魔法にかかったような深緑色の瞳で、優しく声を掛けてくれた少女。一目で恋に落ちた。彼女こそ、自分の運命の相手なのだと。そう思った。

 

ヴィルフリートは暇なときに読んでいた本の記憶を辿り、水の国に伝わる伝統的な婚約の儀式を行った。こうすれば、たとえ離れていても、彼女と繋がっていられる、そう思ったのだ。儀式は中途半端だった。それはわかっていたが、彼女の返事はまた今度で良い。ローラントの迎えが来て、ヴィルフリートは少女と別れた。

 

あまりに遠出しすぎたせいで、その日、水の国についたのは夜だった。今まで結界の外に出ていることは全くばれていなかったのだが、この日の遠出のせいで、ついに表沙汰になってしまい、二人はきつく叱られた。もう二度と、結界の外を出てはいけない。ヴィルフリートだけ、そう約束させられた。人間である彼に必要なものがあれば、ローラントが代わりに買い出しに行く、そういう取り決めがなされたのだ。

 

もう彼女に会えない。ヴィルフリートは絶望したが、代わりに水の鳥を飛ばすことを考えた。魔法で作り出した鳥を、彼女のところまで飛ばそう。話すことはできないが、この鳥の目を通して、彼女の姿を見たい。

 

その翌日から、ヴィルフリートは鳥を飛ばした。彼女はヴィルフリートの分身である鳥を優しく迎え入れ、家族のように接してくれた。スイレンという名までつけて。スイレンを通して、少女を感じた。毎日送ることはできなかったが、数日に一度は必ず、彼女の元へ送り出した。

 

それから何年かして、彼女の作るアムシャーが街で売られているとの情報を得て、ローラントに頼んだが、手に入れることはできなかった。いつか手に入れたいと思っていた。彼女の傍に居られなくても、彼女の作るアムシャーならば手元に置いて、愛でることができる。

 

ヴィルフリートは剣術の鍛錬を始めた。彼女を守るために、誰よりも強い男になりたかった。また、何のとりえもない自分が人間世界で生きていくためには、何かしらで生計を立てていく必要がある。剣技に秀でていれば、役立つだろうと考えた。合間には読書もした。あらゆる知識が、今後彼の生活を助けてくれると踏んだのだ。女王の次男は、剣術を磨くヴィルフリートに甚く感心していたし、長男も、読書に励む彼を微笑ましく見守っていた。長女と次女も、ヴィルフリートは頑張り屋なのねとお菓子を差し入れたり、花輪をくれたりした。ローラントは騎士団長を務める父親に、ヴィルフリートに稽古をつけるよう頼み込んでくれた。本人は参加せず、木陰からこっそり覗き見ているだけだったが。

ヴィルフリートの文武にたけた姿を見た者は、「これで純血だったら文句はないのに」と陰から囁くほどだった。

 

直接、この目で見た彼女は五歳のあどけない顔をした少女だった。だが、スイレンの目を通して見守り続けた少女は、いつしか少女の面影をわずかに残すのみ。あと一、二年もしたら、すっかり大人の女性になってしまうだろう。

 

ヴィルフリートの中に焦りが生まれた。

美しい彼女に、求婚してくる男たちが出るかもしれない。彼女もまたその中の一人の申し出を受け入れてしまうかもしれない。その頃、自分を正式に王族に招き入れる算段が整いつつあった。もし水の国の王族になってしまえば、婚約の儀式が半端な今、彼女と共に生きることが許されるわけがない。妖精と人間の恋は許されないのだ。現女王であり、ヴィルフリートの庇護者でもある、シュテファニエ女王の姉、ジークリット王女は、かつて戴冠式を間近にして、人間の男と駆け落ちしてしまったのだ。水の国の者たちは失望し、この王女を憎んだ。


「王族に入る前に、ここを出よう」

 

ヴィルフリートの存在は、現女王の治世において、邪魔な存在だった。何の縁故もない人間である少年を突然水の世界へ引き入れ、庇護した女王。その批判は、彼が十八歳になった今も続き、王族への信頼も揺らいでいた。だからこそ、ここに留まるわけにはいかないと前々から考えていたのだ。だが一方で、恩返ししたいという気持ちもあった。

 

彼は誰に教えられることもなく、自分の出生を知っていた。自分こそが、裏切り者と蔑まれるジークリット王女の息子だと。そして、父は〈白の一族〉の末裔。人間世界でも数少ない銀髪の髪は父譲りだと。純粋な人間だというだけでも批判の的なのに、それが裏切り者の血を引く者だと知られれば、それを受け入れた女王一家がどんなに追い込まれるか知れない。だから、静かに去りたかった。

 

そして何より、彼女と共にありたかった。母がそうであったように、ヴィルフリートもまた情熱的な恋に身を焦がしていた。どうしようもなく惹かれてしまう、あの少女と共に生きること。それが全てだった。

 

そうして、ヴィルフリートは王族に入る宣誓を行う数日前に、そっと髪を黒く染め、十一年ぶりに結界の外に飛び出したのだ。友に告げることもなく。



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