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第32話 ふたりの兄

扉を開けると、広間の中央に置かれた椅子に、ヴィルフリートが腰を下ろし、その後ろにローラントが控えるように立っていた。


見慣れない男性がふたり、ヴィルフリートと向かい合うように椅子に腰を下ろしている。ひとりは、水浅葱色の髪をゆったり背中に垂らし、いかにも優しそうな垂れた目をヴィルフリートに向けていた。まるで女性のように物腰の柔らかい男性だ。白く、緩やかな服を身に纏い、左肩から空色の長い布を掛けている。まるで水の神バサエルの彫像のような服装である。


もうひとりは、水浅葱色の刈り込んだ短髪で、きりりと凛々しい眉をしている、武人のような男性だった。濃紺の騎士服に身を包み、腰には剣を下げている。


彼らは、クロミツとエルナが扉を出ると、さっと顔を向けた。長髪の男性はおやっと不思議そうな顔をし、短髪の男性は目を見張った後、すぐに不本意そうに顔を顰める。

エルナはまずいところに出てしまったような気がして、部屋に戻ろうかしばし逡巡したが、そんな気持ちを知る由もないクロミツは、そのままローラントのもとに歩いていってしまった。


「ローラント、食い物ないか?」


ローラントはしゃがみこみ、クロミツを撫でる。

「おお、良かったな。目が覚めたか。食事……ヴィルフリート様」

 

クロミツを抱き上げたローラントは、ヴィルフリートの退出の許可を得るため、小声で彼を呼ぶ。ヴィルフリートが頷いたので、クロミツを抱いたローラントは、二人の客人に挨拶もそこそこにさっと離宮を出て行ってしまった。

 

ますます居場所をなくし、内心おろおろしながら、部屋に戻りかけた時、


「エルナ、こっちに」

 

ヴィルフリートから声がかかり、エルナは足を止める。そしておそるおそる振り返った。

 

ヴィルフリートは微笑んで、手招きしている。エルナは首を振るが、彼が立ち上がったので、観念したようにとぼとぼと彼の元へ歩いた。客人二人の視線を一身に受け、エルナは落ち着かない。明らかに身分の高そうな二人である。失礼をしてかさないか不安だった。ヴィルフリートはエルナが隣に来ると、彼女を抱き寄せるように、その肩に手を回した。

エルナは体を強張らせる。


「彼女がエルナです。エルナ、こちらにいらっしゃるのが、この国の第一王子であらせわれるアルノルト」

 

アルノルトと紹介された長髪の男性は、立ち上がって優しく微笑んだ。


「こちらが、第二王子のグレーゴール」


一方、短髪のグレーゴールは、憮然とした態度で立ち上がり、軽く頭を下げた。

エルナも慌てて頭を下げる。

二人が腰を下ろすのを確認してから、ヴィルフリートは近くの椅子を引き寄せて、そこにエルナも座るよう指示するので、言われるままに腰を下ろす。目の前にいるのは、この国の第一王子と第二王子。先程対面した、女王の息子たちということになる。女王の纏う空気は、厳格で威厳に満ちたものだったが、この二人もまた王族の持つそういった空気を放っていた。


「あなたが、ヴィルフリートの愛する方なのですね。お会いできてよかった」


まるで歌うが如く言いながら、優雅な仕草で顔を傾け、アルノルトが笑いかけてくる。


「兄上、全くよくありませんよ。こいつは、ここを出ていく気なんですよ? こんな娘の為に」

 

グレーゴールは腕を組み、顔を背け、不服そうに息を吐いた。そんな弟を嗜めるように、アルノルトが美麗な眉を寄せる。


「何が問題なんだい? ヴィルフリートの決めたことじゃないか。確かに、寂しくはなるが……私たちの絆が切れるわけではない。心はいつも共にある」


「王族に入ると決まったんですよ。ヴィルフリートはここにいるべきです。そうして、我らと、この国を支えるべきだ。こいつの家はここなんです。人間世界ではない」

 

グレーゴールはヴィルフリートを見据え、


「お前が、俺たちに遠慮しているのは知っている。お前を悪く言う奴がいるから、ここを出て行こうとしていることも、だ。お前は俺たちに迷惑がかかるから、ここを出ようとしているんだろう? だが、そんなこと気にする必要はない。お前は強い。剣の腕も、魔法の力も。これまで人一倍努力してきた。そんなお前の頑張りを俺は知っている。他の奴らだって。お前がみんなに認められたくて、必死に修行してきたことを知ってるんだ。言いたい奴には言わせておけばいい。お前が王族に入ってしまいさえすれば、誰も何も言えないんだ」

 

そう言うと、今度はエルナを見た。


「娘、ヴィルフリートはこの国に必要だ。お前が身を引いてくれれば、ヴィルフリートはこの国に留まるだろう」

 

エルナは戸惑った。その言葉は自分に向けられるべき言葉なのだろうか。ヴィルフリートの想い人、婚約者——それは自分ではないのに。なぜ、身を引けなどという言葉が自分に向けられるのか。誤解を解きたい。意を決して、口を開きかけたとき、ヴィルフリートの手がエルナの手にそっと触れた。驚いて彼を見ると、ヴィルフリートは優し気に微笑んだので、

どきっとする。彼は二人の方にゆっくり顔を向けた。


「兄上、有難いお言葉、痛み入ります。ですが、違うのです。私が自分で……」

 

グレーゴールはヴィルフリートの言葉を遮った。

「お前は、自分が何者なのか知っているのか?」

 

アルノルトがちらりとグレーゴールを見やる。グレーゴールは乗り出すようにヴィルフリートを見つめた。


「知らないから、こういう選択をしようとしているのではないか? それなら今教えてやる。知れば、無理に出ようとは思わないはずだ。お前は——」

 

今度はヴィルフリートがグレーゴールを遮り、言葉を重ねた。


「存じております。私は、人間ではない。だだ、妖精でもありません」

 

その場が一瞬しんとした。その言葉が部屋中に波紋のように広がっていくように感じられる。だが、すぐにグレーゴールが唸るように、


「何だ。知っていたのか」

 

と沈黙を破る。


「しかも、お前の母は、我々の叔母だ。つまり、お前は我々の従兄弟。れっきとした、血族なんだ。半分は違くとも、半分は確実に我らと連なった血だ」


「グレーゴール……それは秘め事のはず。……まあ、本人は知っていたようですが。母上のことも知っていたのですか?」

 

頷くヴィルフリートを見て、アルノルトはため息をついた。


「隠し通せるものではないのですね。ここに来た時、あなたはうんと幼かった。自分の両親の顔も覚えていないほどに。なのに、なぜ? 誰か話しましたか?」


「何となくです。記憶にある母の髪の色、そして顔。ただの人間であるはずの私を引き取ってくれた女王陛下。そして、兄上や姉上たちの態度。それらすべてが、ひとつの真実に結びつく気がしたのです。かつて国を捨て、人間と駆け落ちしたという王族のひとり——ジークリット王女の子供という事実に」


「じゃあ、お前がここを出ていく必要がないこともわかるだろう? お前の居場所は人間界にはない。父母はもういないのだから」


「わかっています。だけど、違うのです、兄上。確かに、私によくしてくださった陛下や、兄上たちにご恩を返したいとは思っております。この国を支えることが、ご恩返しになるのならそうすべきだとも。一方で、私をよく思わない者たちがおり、彼らが王族すらも嫌悪し始めているのも存じています。私がいなくなれば、その批判もなくなると考えたこともありました。ただ、違うのです。無責任だと思われるかもしれません。愚かだと蔑まれるかもしれません。けれど、私の心に占めるのは愛なのです。彼女への愛が、全てなのです。彼女の傍で、彼女と手を取り合い、生きていきたい。それが全てなんです。彼女に出会った、幼き日——あの日から、私の心は彼女のものです。彼女の宝石のように輝く緑の瞳を見たあの日から、私には彼女が全てでした。彼女をいつか迎えに行く。そのために、剣も魔法も磨いたのです。彼女を守り、支え、外の世界で立派に生きていけるように。誰かを見返したかったからではありません。すべては(きた)る時のために」

 

そっと重ねられていた手が、エルナの手を握った。


「あなたがそんなに饒舌に語るのを初めて見ました。恋とは不可思議なものですね」


口元に手を当て、アルノルトは上品に笑った。細められた目は、面白そうにヴィルフリートとエルナを見ている。グレーゴールは不満そうな顔をして押し黙り、顔を背けたままだ。だが、もうヴィルフリートを説得する気は削がれたらしく、今では前のめりだった体が背凭れに預けられていた。


肉を咥えたクロミツを胸にローラントが戻って来たのはそれからすぐのこと。彼らが戻って来たのを合図のように、アルノルトとグレーゴールは立ち上がり、「それでは、また後程」と去った。


二人の背中を見送りながら、エルナは隣に立つヴィルフリートを見上げた。たくさんの情報が一気に頭に流れ込んできたせいで、頭は今も混乱状態。ヴィルフリートに聞きたいことがたくさんあるのに、何から聞けば良いのかもわからなくなってしまった。そんなエルナの視線を感じてか、ヴィルフリートは軽く笑う。


「エルナにはわからないことだらけだよね。時間が許す限り、君に話さないといけないな」

 

ヴィルフリートはエルナの手を取り、歩き出す。


「どこ行くんだ⁉」

 

クロミツを床におろしたローラントが慌てたように声を掛けると、ヴィルフリートは肩越しに振り向いた。


「そこの椅子」

 

離宮近くの東屋を指さすので、ローラントはほっと胸を撫でおろす。


「了解。そこから離れるなよ」

 

そして、ヴィルフリートとエルナは離宮から目の鼻の先にある、円形の白い東屋に移動し、長椅子に腰を下ろした。


「さあ、何から話せばいいのか」

 

ヴィルフリートは天を仰いでから、目を瞑り、軽く息を吐いた。次に目を開けたときには、どこか遠い目をしていた。昔の記憶を覗き込むように。 


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