第17話 魔道具店
しばらくしてから、控えめなノックの音が響いた。
「エルナ、街に出ない?」
ヴィルフリートの声だ。エルナは立ち上がり、急いで扉を開ける。
「できれば、二人で」
にっこり微笑むヴィルフリートに少々たじろぎつつ、寝台を占領している、クロミツ、チャチャ、その頭の上のマシロを振り返る。
「変なことすんなよ」
「美味しい果物があれば買ってきてほしいの」
「気を付けてね」
妖精動物たち口々にそう言うので、エルナはヴィルフリートに向き直った。
「わかりました。お財布だけ用意しますね!」
寝台足元の鞄の中からお財布を取り出そうとしゃがみ込んで悪戦苦闘していると、ヴィルフリートはゆっくり歩み寄ってきて、その手を止めた。
「誘ったのは僕だ。お金のことは気にしないで」
そして、エルナの手を掴んで優しく立ち上がらせると、そのまま歩き出そうとしたが、はたと立ち止まった。それから、肩越しに振り返って、寝台の上で丸くなる妖精動物たちに言い忘れたというように声を掛ける。
「隣の部屋にはローラントがいる。何かあれば、彼に言ってくれ。鍵はどうする?」
「掛けなくていい。もし泥棒が来ても、引っ搔いて撃退してやる」
「頼もしいな、わかった。お姫様は借りていくよ」
そう言い置いて、ヴィルフリートは風船帽を急いで引っ掴んだエルナの手を引き、扉を閉めた。
宿を出て、街の中央へ向かって歩く。
街に住む子供たちは最新のおもちゃを片手に走り抜け、旅行者と思しき大荷物を抱えた人々は、紙の切れ端を片手に辺りを見回している。
繋いだ手の温もりを意識の外に追い出しながら、エルナはきょろきょろと忙しなく視線を動かした。見るものすべてが新鮮で面白いのだ。
そのとき、ふと白髪のマダムが大きなお尻をアヒルのように振りながら歩く姿が目に留まった。
(あ、銀髪……)
唐突に旅の目的を思い出す。
とたんに、道行く人の髪の毛ばかりが目に付くようになり、街並みを楽しむ余裕をなくしてしまった。
「ここだ」
いつの間に中央広場より規模の小さな広場に来ていた。
中央には白い噴水が鎮座し、勢いよく水を噴き出している。噴水の縁には多くの人が腰かけ、お店で買ったのか、サンドイッチや焼き菓子を頬張っている。
灰色の鳥が噴水中央にある男性の彫像の上にちょこんと乗っていた。彫像は長い髪を腰まで垂らし、ゆったりした服を身に纏っている。肩には大きな瓶を乗せていた。そこから水が噴き出ているのだ。彼の足元にはたくさんの花や鳥を模した像が取り囲むように配置され、噴水の周囲を飾り立てるのは五つの円形の花壇で、そこには色とりどりの花が咲き乱れていた。
ヴィルフリートは、エルナの視線の先に気づいたのか口を開く。
「あれは、水の神バサエルを模した彫像だよ。彼の肩の水瓶からは溢れるほどの水が流れる。絶え間なく、永遠に」
「美しいですね」
「僕にとっては、君の方が美しいけれどね」
「そういうの、いいですからっ‼」
「お世辞でも、冗談でもないんだけどな。……それより、あそこのお店を見たいんだ」
ヴィルフリートが指さしたのは、広場の周りに並ぶお店の一つだった。
乳白色の壁に、少し錆びた金色の看板。円の中に六芒星を象ったものだ。
「魔道具店だ。魔法に関連する商品が並んでいる」
ヴィルフリートが扉を開けると、カランカランと心地良い音が鳴った。
お香の香りが充満した店内はどこか怪しげだ。薄暗く、天井からぶら下がる剥き出しの炎がゆらりと揺らめくたび、壁の影が躍る。
壁中に取り付けられた棚には、所狭しと商品が陳列され、どこか雑多な印象だ。
床にも卓が並び、通路は人一人がやっと通れるくらい。奥のカウンターには誰もおらず、人の気配がない。
剣に兜といった武器や防具、宝石のついた装身具、それに日常生活で使う鍋やティーポットというように商品は多岐にわたる。
どこか別世界に迷い込んだような錯覚に陥りつつ、ヴィルフリートの背を追って奥へと進むと、突然、立ち止まったヴィルフリートの背中に激突した。
「これ」
ヴィルフリートが真向かいの棚を指すので、エルナは顔を上げ、そこに並ぶ商品を見た。透明な小瓶が、薄い亜麻色の布に包まれ、ぼおっと青い光を湛えている。
「アムシャーですね!」
アムシャーは、祝日の半月程前から市場においてが売買される。各工房が各々の店を出し、職人が直接お客さんに説明しながら丁寧に受け渡すのだ。
ただ、工房が何らかの理由で市に参加できないときは、委託できることになっている。その委託先に魔道具店があると聞いていたが、直接見るのは初めてだ。
棚に並ぶ五本のアムシャーを眺めていると、ふいにその全てに見覚えがあることに気が付いた。
「これって……」
ヴィルフリートは五本並ぶうちの一番大きなアムシャーを手に取った。
瓶を密封するコルクの表面に、二羽の小鳥が向かい合い、それをぐるりと葉のついた弦が取り囲んだ図柄の焼き印がある。
紛れもなく、アルメン工房の焼き印だ。
「腕の良いアムシャー職人が作ったものらしい。人気ですぐ完売してしまうという噂だよ。今は五本もある。運が良かった。全部買って行きたいところだけど、荷物が増えると旅に支障が出るからね。この一番大きいものにしよう」
アムシャーを大切そうに抱え、ヴィルフリートは奥のカウンターへと向かった。カウンターの上に置かれたベルを鳴らし、店員を呼ぶ。丸眼鏡を掛けた少年のような店員が慌てたように出てきて、ぺこぺこと頭を下げる。
「これを買いたいんだ」
「アムシャーですね。お客さん、運が良いですよ。これは、とある工房の年若いお嬢さんが作ったものなんです。名前は明かせませんが、彼女の作るアムシャーは、美しいばかりでなく、本当に願いの叶う素晴らしい魔力を秘めているそうです。通常のアムシャーの輝きは、五ヵ月もてばいいほうなんですが、これは違います。一年は輝いているそうで、その光が消えるときは、持ち主の願いが叶ったとき。願いが成就して、それを見届けるように青い光は失われるそうですよ。今はシーズンではないんですが、商人さんが取っておいたものを置いて行ったんです」
店員はずれた丸眼鏡のブリッジを指で押し上げ、受け取ったアムシャーを柔らかい紫の布で包んでからヴィルフレートに手渡し、代金を受け取った。
「是非、またお越しください!」
店員はぺこりと頭を下げる。
ヴィルフリートは、まだアムシャーの棚の前で佇んでいたエルナの背を優しく押して、お店を出た。
「ヴィルフリートさん、何で……」
あの棚に並ぶアムシャーはエルナが作ったものだ。商人のおじさんに売ったものでもある。それが、この魔道具店に並んでいた。しかも、店員が言うところによると、すこぶる評判が良いらしい。村でも、質が良いとか素晴らしいアムシャーだと褒められていたし、少しばかり誇らしい気持ちはあった。だが、それは半分以上がお世辞だと思っていた。同じ村のよしみなのだと。
けれど、自分の仕事は、誰からも褒められるような、立派なものと思っても良いのだろうか。それは自惚れだろうか。
エルナは胸が熱くなるのを感じた。
しかし、なぜヴィルフリートはここへ連れて来てくれたのだろう。まるで、この魔道具店に、エルナのアムシャーがあると知っていたみたいだ。
(そんなわけない。だって、ヴィルフリートさんは数日前に初めて出会ったんだよ? でも、偶然にしてはできすぎてない?)
エルナは複雑な面持ちで、ヴィルフリートを見上げた。
「なぜ、ここへ?」
「偶然……と言いたいところだけど、君の工房で見たコルクの焼き印が、この街で売っている質の良いアムシャーと一緒でね。ピンと来たんだ。だから、見せたかった。君が作るものが、どんな風に売られているのか。そして、どんなに喜ばれているのか。君は村を出られなかったけれど、君の作るアムシャーはとっくに村を飛び出して、街の人々に愛されている」
ヴィルフリートは微笑んだ。
「僕も一目で気に入った。心を捉えて離さない、美しさだ。神秘的な青い光。……君は他の職人の作るアムシャーを見たことがあるかい?」
エルナは記憶を手繰り寄せ、ぽつりと答えた。
「おばあちゃんのくらいでしょうか」
「だろうね。きっと、君のおばあさまのアムシャーも素晴らしかったんだろう。だから、君は自分のアムシャーがいかに優れているか知らなかったんだ。君のものほど、美しい青を、僕は見たことがない。僕の知るアムシャーはくすんだ色だったり、もっと弱い光だった」
自分の作るアムシャーしか目にしないエルナにとって、自分の作り出す青い光が、特別なものだとは思えなかった。ヴィルフリートがまたいつもの大袈裟な物言いをしているのだろうと訝しむ。
「水の神バサエルを称えるために飾るアムシャーは、飾る者の願を掛けるものだ。だけど、それはしきたりみたいなもので、本当に願いが叶うと思って願をかける者は少ない。アムシャーへの願掛けは、一種の慣習に過ぎず、形骸化していると言っていい。かつては違ったのかもしれないけれどね。不信仰だと思われるかな? でも、そんな中にあっても、君のアムシャーは違うんだ。店員の言っていた、『本当に願いの叶う』と枕詞のついてしまうほどのアムシャーだ。〈アム〉の強さの為せる業だろう。だから、工房と職人の名を伏せたのは賢いやり方だったと思う」
アムシャー職人は、心を込めてアムシャーを作る。内なる力を注ぎこむように。それは、選んでくれた人、そしてその家族の願いが叶いますようにとの思いだ。だが、本当に願いが叶うものだと思って買って行く人は少ないのかもしれない。職人だけが、その力を信じているのかもしれない。そう思うと、一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
でも、だからといって職人であるエルナはこれからも変わらない。
「おばあちゃんです。工房名も、職人名も伏せて売ってくださいと言ったのは。焼き印はありますけど、工房名は入っていませんし。図柄も村の人くらいしか知りませんから」
エルザが名を伏せるように頼む理由がわからなかった。でも、それは強すぎる力を隠し、守るためだったのだろうか。
「強すぎる力は、時に災いを招く。それを利用しようする悪い奴というのが必ずいるからね。君も、おばあさまも、強い力の持ち主だったんだろう。あのペンダントの魔法もおばあさまのものだとすれば、その力も推し量れる。だから、君は十分注意しなくてはいけない。僕は、おばあさまが言うほどの危険はないと言った。だけど、僕の認識が甘い可能性もある。何か危険なことがあれば、僕は命に代えて君を守ろう。約束する。君は僕の愛する人だから。でも、それは君が僕の傍にいてくれないと無理だ。これからいろいろ場所へ行くことになる。……君の探し人を見つけるために。でも、片時も僕から離れないでほしい。僕が君を守れるように。いいね?」
ヴィルフリートは覗き込むように、エルナの深緑色の瞳を見つめた。彼の瑠璃色の瞳にきらりと光が浮かぶ。エルナはそのどこか懐かしい青い光に見入った。そして、心の中に、青い光が差し込んできて、きらきらと弾けたような気がした。
自然と手が伸び、気が付けば、ヴィルフリートの白い頬に触れていた。ヴィルフリートは驚いたように目を見張り、エルナの顔を食い入るように見つめる。その真意を探るように。はっとして、エルナは手を引っ込めた。
(私、何してるの……⁉)
自分でもどうしてこんな大胆なことしてしまったのかわからなかった。羞恥で顔が赤くなる。
「ヴィルフリートさん、そろそろお買い物行きませんか? マシロたちにお土産買わないと。お
財布は持ってこなかったので、ヴィルフリートさんの奢りでお願いします!」
動揺を悟られぬ様に、くるりと背を向けて、なるべく色気のない言葉を選んでそう言ってから、広場を横切るように歩き出す。手足の動きがぎこちない。手と足はどうやって前に出すんだっけと考えていると、少ししてヴィルフリートが追って来た。彼はちらっとエルナを見、すっと視線を逸らす。その白い頬はかすかに赤い。
しばらくお互い押し黙ったまま、食品店の建ち並ぶ一角を目指した。来たときよりも、わずかに距離をあけて。