第11話 クロミツとヴィルフリート
橙色の光が消え、濃紺の夜空が煌めく星々を引き連れて、天を覆った。
初夏とはいえ、日が落ちると少し肌寒い。
森からは、様々な虫の声がひっきりなしに聞こえてくる。さながら、虫の大合唱だ。
強引に外に連れ出された黒猫の妖精は、自分と同じ色の髪を持つ青年を見上げて、嘆息した。昨日出会ったばかりの、得体の知れない男とふたりきりというのは、何とも居心地が悪い。
「で、どういうつもりだよ。無理矢理連れ出しやがって」
不機嫌さを隠さないクロミツを気にした風もなく、ヴィルフリートはまっすぐ瑠璃色の瞳を座り込む黒猫に向けた。
「君は何のためにあのメモをエルナに見せた?」
クロミツの片耳がぴくっと動く。
「何の話だ?」
「誤魔化さなくていい。君はわざと棚から紙の束を取り出したんだ。エルナに見せるために。エルナがあのメモを読み上げたら、君は出て行こうとした。目的を達したからだろう? 君は何を知っているんだ、クロミツくん」
クロミツはヴィルフリートを睨みつけ、黙り込む。
「君はどこまで知っている? 〈白の一族〉の事情を知っているのか?」
ヴィルフリートは、身じろぎ一つせずじっとしているクロミツの前に片膝を折って、しゃがみ込み、より目線を近づける。
「教えてくれ。大事なことなんだ」
瑠璃色の瞳に浮かぶ強い光が、頑なに口を閉ざすつもりだったクロミツの心をわずかに動かした。
「オレが知ってるのは、エルナの父親のカスパルのことだ。あいつは死んでない。オレは、あいつに命を助けられた。それで、諸々あって、ここに来たんだ。カスパルの髪は銀色だった。そのせいで、自分の娘が被害を被るかもしれないからって」
数年前、禁を破って、生まれ故郷を追われたクロミツは怪我を負っていた。同族に襲われてできた傷で、体中ひっかき傷だらけだった。森の片隅でぐったりと横たわり傷を舐めていたクロミツのところに、一人の男が通りかかった。黒いローブを纏った銀色の髪の、ずいぶん疲れた顔をした男だった。男はクロミツを近くの小屋へ連れて行き、傷の手当てをし、温かい食事を作ってくれた。男に恩義を感じたクロミツは、行く当てもないこともあり、男に同行して、役立ちたいと申し出たのだ。すると男は軽く笑って、それならば娘を見守ってほしいと言ったのだ。君の居場所にもなるだろうと。傷の癒えたクロミツはまっすぐエルナの元へ向かった。そうしてエルナに拾われて、共に過ごしてきたのだ。エルザにはカスパルの件を伝えた。エルザはカスパルが今も無事で生きていることを知り、いつか自分がいなくなったあと、唯一の身寄りのカスパルのもとにエルナを返すことがあるかもしれないと、エルナの父親の情報をメモしたのだ。それはクロミツの前で書かれ、料理のレシピなどと一緒に棚に仕舞われた。
——クロミツ。もし、私があの子に父親のことを伝える前に死んでしまったら、あなたが伝えてやって。それであの子が父親のところへ行きたがったら、父親のところまで連れて行ってあげてほしいの。お願いね。
エルザは風邪をこじらせ、驚くほどあっさり逝ってしまった。孫娘に何ひとつ言い残すことなく。
クロミツは、いつかエルナに父親のことを伝えようと思っていた。でも、まだエルザが亡くなって半年だ。祖母を失くしたエルナの心は癒えていない。カスパルのことを話すのはまだ先だ。旅に出るのはまだまだ先だ。そう思っていたのだが、降って湧いたような青年が、突然エルナを外へ連れ出すと言い出した。
正直、面食らったが、村の外へ出るエルナに父親のことを知らせなければならないと焦燥感にかられ、棚をわざとひっくり返したのだ。
「エルナの髪は、見た通り栗色かい?」
昔を思い返していたクロミツは、ヴィルフリートの唐突な問いで、現実に引き戻される。
「あ?」
「〈白の一族〉の一部の過激派がね、〈翠玉姫〉を探しているらしい。銀色の髪に、翠玉の瞳を持つ乙女だそうだ」
「それがどうした?」
話についていけず、顔を顰めるクロミツに、ヴィルフリートは「いや、気にしないでくれ」と首を振った。それから、
「では、こういうことになるかな?」
ヴィルフリートが背筋の凍るような不敵な笑みを浮かべたので、クロミツは思わず腰を浮かせた。
「表向きは、ヴィー探し。だけど、真の目的は父親との再会……少し骨が折れそうだけれど、エルナの父上ならご挨拶もしなくてはならないし、何より、彼女が会いたいだろうからね」
「ご挨拶ぅ?」
「こちらの話」
にっこり微笑まれ、クロミツの全身の毛がざっと逆立った。
(こいつ、何者だ……?)
クロミツは細い月のように目を細め、威嚇するようにヴィルフリートを睨みつける。
——カサカサッ
そのとき、茂みからかすかな音がして、ヴィルフリートとクロミツは同時に、その方角に目を走らせた。
「……?」
しばらく目を凝らしても、何も見えず、それ以上物音がしなかったので、クロミツは興味が削がれたと言わんばかりに顔を戻し、ヴィルフリートに再び目を向ける。
一方、ヴィルフリートは音の正体が気になるのか、茂みに視線を向けたまま、その目を細めて、何事かを考えているかのようだった。
「……話は終わりだろ? オレは行くぜ」
クロミツはふいっと顔を背け、のろのろと扉に向かって歩き始める。
「あ、ああ」
ヴィルフリートはまだ何かに気を取られているようで、生返事だ。
(変な奴……)
クロミツは、扉横に作られた猫用の出入り口を通り、灯りの灯った我が家の敷居を跨いだ。