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短編置き場  作者: 細井雪
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おとなりさん

現代社会人もの。




「――小林さん」


 混雑する改札を抜けると、低い柔らかな声音に呼ばれてその姿を見つけた。

 小さく手を振るその人の元に小走りで向かう。


「北川さん、お疲れさまです。すみません、今日ちょっと混んでたから遅くなってしまって……」

「お疲れさま。俺もさっき着いたところだから大丈夫だよ。じゃあ、帰ろうか」


 優しい声に促されて、並んで歩き出す。

 駅前は人も多いけれど、一本中道に入ると静かな住宅街が広がっている。

 近くには美味しい洋菓子屋さんもあるし、この四月から住み始めたばかりだけど、とても良い場所だと思う。


「最近暑くなってきたね」

「暑いですね、雨もよく降りますし」

「今年は梅雨入りも早そうだよね」

「えぇ……それは困りますね」


 洗濯物も乾かないし湿気で髪もまとまらなくなることを想像して肩を落とす私に、北川さんはくすくすと笑った。

 北川さんはいつも温和な雰囲気をしていて、話し方も穏やかで優しい。

 仕事で疲れたあとに北川さんと話すと、何だか癒される。

 こんな会話をしながら一緒に帰る私たちだけど、別に同棲しているカップルというわけではない。

 じゃあどんな関係かといえば、単に同じアパートに住んでいて部屋が隣同士というだけ。

 仕事先も別で、歳だって私はこの四月に社会人となったばかりで北川さんは私より五歳年上で、たまたま借りたアパートで部屋が隣だったという、本当にそれだけ。

 同じアパートの住人なんてほぼほぼ他人同士なのに、平日の仕事帰りは毎日駅からアパートまで一緒に歩いて帰っているのには、とても申し訳ない理由があった。

 私が就職を期に今のアパートに住み始めたばかりの頃、仕事を終えて駅から歩いて帰っていると、駅からずっと後ろをついてくる人がいた。

 女性の一人暮らしは危険だから気を付けるようにと家族から口酸っぱく言われていた私は、ストーカーか変質者かもしれないと思って、あわや悲鳴を上げそうになった。

 実際には、ストーカーでも変質者でもなく、ただの同じアパートの住人男性だった。

 真っ青な顔で釈明してくる住人男性――つまり北川さんに、私は申し訳ない気持ちで謝り倒した。

 とんでもない誤解で迷惑をかけてしまったにもかかわらず、北川さんは気を付けるに越したことはないと言って、逆に気遣ってまでくれた。

 さらに、アパートまでの帰路は人通りも少なくて危険だから、帰る先は同じだしということで駅から一緒に帰ることを提案してくれた。

 本当は北川さんが乗る電車の方が少し早く駅に着くのに、わざわざ私を待ってくれている。

 なんて優しい人だろう。

 こんなに優しくしてくれるからか、最近では一緒に歩いていてアパートが見えてくると、少し残念な気持ちになる。

 アパートに着いたら、自分の部屋の扉の前でお別れ。

 部屋に入ってしまえば、隣とはいえ生活している様子は伝わらない。

 北川さんは優しくて親切だけど、私たちはただ同じアパートに住んでいて、一緒に帰るだけの関係性でしかない。

 おとなりさんだ。

 半分くらい灯りのついているアパートを少し遠目に見ながら、あっと思い出す。


「そうだ。私、明日は職場の打ち上げがあって帰りが遅くなるんです。なので、先に帰って貰って大丈夫です」


 そう言ってから、自分の発言がまるで彼女気どりみたいなことに気づいた。

 いや、でも平日は毎日アパートまでの道のりを一緒に帰っているし。

 何も言わずにいたら、優しい北川さんを駅でずっと待たせることになるかもしれないし。

 そう、北川さんは優しいから、私と一緒に駅からアパートまでの道のりを一緒に歩いてくれているだけ。

 アパートに着くのが残念なんて、勘違いをしてはいけないと自分に言い聞かせていると、北川さんは頷きながら口を開いた。


「じゃあ、打ち上げが終わった頃に、駅まで迎えに行こうか? 夜遅いと危ないし……って、ごめん。何か彼氏みたいな発言だったね」


 北川さんはいつも温和な表情でそう言った後、自分の言ったことに少し気恥ずかしそうに目線を泳がせた。

 その顔が少し赤いように見えるのは、街灯のせいだろうか。

 私はと言えば、北川さんが同じことを考えていたということに、街灯のせいなんかじゃなく顔が赤くなるのを感じた。

 もう少しでアパートという一歩手前で、私たちはしばらく無言で立ち止まってしまった――。




 私たちは、翌日も一緒に駅からアパートまでの道のりを歩いて帰った。




読んで頂きありがとうございました!

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