坊ちゃまと若様とメイドな私と、キスの日
5/23はキスの日だと聞いたので。
「ジェシー、キスして?」
上目遣いで可愛くおねだりをしてきたのは、私がメイドとしてお仕えしている伯爵家の末っ子、ノエル坊ちゃまだった。
「まあ、坊ちゃま。そんな言葉どこで覚えたのですか?」
「今日はキスの日なんだって!」
洗濯物を干しに行くところだったため持っていた洗濯籠を脇に置いてから、しゃがんで坊ちゃまに目線を合わせる。
「キスの日ですか。そんな日があるんですね」
「うん。だから、ぼくにもキスしてくれる?」
坊ちゃまは青い瞳をキラキラと輝かせて私を見上げてくる。
まだ六歳の坊ちゃまは色々なことに興味津々なお年頃で、どこかで聞いてきたキスの日というまるでお祭りのような響きに、試したくて仕方ないのかもしれない。
本当にどこでこんなこと知ってしまったのだろう。
あまり俗物な話題を耳に入れてしまわないよう、メイド仲間内で気を付けるようにしなければならない。
「でも坊ちゃま、私はメイドなので、私から坊ちゃまにキスなんてできません」
「ぼくからジェシーにキスして良いってこと?」
「あ、そういう意味ではなく……」
完全に伝え方を間違えてしまった私に、坊ちゃまは青い瞳を鋭く輝かせて、小さな足でうんと背伸びをした。
「えい!」
「まあ」
ぷちゅ、と可愛らしい音がしそうなキスをされる。
「わーい、ジェシーとキスしたー!」
目的が叶った坊ちゃまは、はしゃいだ様子で庭を走り抜けていく。
あの調子だときっとメイド全員にキスして回るのかもしれない。
可愛い末っ子坊ちゃまにはみんな甘いので、きっと今日はキスし放題な日になるはず。
小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、私は洗濯物を干すべく籠を持ち直そうとした。
その時――。
「ジェシー」
聞こえたのは、坊ちゃまよりもっとしっかりした低い声だった。
「若様」
坊ちゃまのお兄様で、伯爵家跡取りでいらっしゃる若様の姿に、私は洗濯籠に伸ばしかけた手を引っ込めて一礼した。
甘えん坊な坊ちゃまとはついつい気安い話し方をしてしまうけれど、若様とはそうはいかない。
とはいっても、若様が私たち使用人に対して厳しいからというわけではない。
坊ちゃまと年の離れたご兄弟でいらっしゃる若様は、すでに伯爵家の領地運営を手伝われているくらいとても優秀で、私たち使用人に対しても非常にお優しく親切なお方だ。
甘えん坊な坊ちゃまとは違って静かなお方だけど、そこがクールと言われて社交界ではとても評判だし、金色の髪と透き通るような青い瞳が目を引く端正なお顔立ちをしている。
使用人に対してもお優しいのでメイドからもすごく人気だ。
かくいう私も、若様に憧れている一人なので、お話できるなんて今日は何て良い日なんだろう。
もちろん、主一家と使用人という境界線は弁えていて、心の中では大はしゃぎしていても、表面上はきちんとメイドらしくしている。
そんなことを考えていると、若様が少し眉間にしわを寄せながら視線を向けた。
「……ノエルが、君とキスをしたと言っていたが……」
「まあ、聞かれてしまっていたんですね」
予想もしていなかったことを言われて、私は恥ずかしくなってしまった。
六歳の坊ちゃまがキスと言っても可愛らしいだけだったけど、若様も私も成人しているので、こんな会話はさすがに落ち着かない。
「なんでも今日はキスの日らしく、可愛くおねだりをされたら断れなくて……」
このお屋敷で坊ちゃまのおねだりを断るなんて、例え厳格なメイド長でも、気難しい料理長でも、当主ご夫妻でもきっと無理な話だ。
年の離れた弟君にお優しい若様でもきっとできないと思う。
なのに、なぜか若様の眉間の皺はもっと深くなり、私の方へと詰め寄ってこられた。
「……君は、キスの日だからとねだったらキスをするのか?」
「え? あ、でもキスと言っても……――んっ!」
坊ちゃまにされたのは頬へのキスです――。
そう言いたかったのに、唇を柔らかい感触で塞がれてしまい、言葉にすることは叶わなかった。
このあと真相を知った若様が平謝りして、二人がギクシャクし始めて関係が進むかと思います。
読んで頂きありがとうございました!