政略結婚
小国の王女と新興国の王弟の、年の差二十五歳の政略結婚。
シリアスはありません。
歴史しかない貧しい北の小国の王女。
武力でのし上がった新興国の王弟。
二人の年の差は二十五歳。
誰もがこの結婚を、愛のない政略結婚だと噂した――。
***
嫁いできた王女は、長椅子に腰掛けながら故郷の扇で口元を押さえた。
「父上も父上よ。先に他の国々の姫が嫁いでいて、未婚の王子がいなかったからといって、わざわざ王弟殿下に娘を嫁がせるなんて……」
北の小国の王女、エレアノーラ姫。
祖国は周辺国の中でも特に歴史ある由緒正しき国だった。
しかし、冬の季節が長い土地の生活は厳しく、豊かとは決して言えなかった。
そんな中で、数十年前に新しくできた国が、武力で土地を広げて一気に強国へと上り詰めた。
周辺の国々は野蛮な新興国だと言いながらも、圧倒的な強さに抗う術はなく、戦いに負けて奪われるか、同盟を結んで生き残るしかなかった。
同盟を結んだ国々は王女を嫁がせて友好の意を示した。
エレアノーラも、その一人だった。
祖国から連れてきた侍女が、眉を下げながらエレアノーラを励ますように言う。
「姫様。きっとお父上様にもお考えがあってのことですから……」
「分かっているわ。私だって王女だから、政略結婚の必要性くらい。けれど、だからといって二十五も年の離れた相手なんて」
北の小国から嫁いできたエレアノーラは、この春に二十歳を迎えたばかりの若く美しい王女だった。
北の地の雪を連想させるような透けるように白い肌と、光り輝く白銀の髪に、冬の湖のような薄青の瞳。
そのエレアノーラが嫁ぐことになった相手は、新興国の王の実弟であるオズワルド将軍。
年齢はエレアノーラより二十五歳も年上の四十五歳。
若き王子たちには他の国々の王女がすでに嫁いでいたため、エレアノーラの祖国の父王は未婚であった王弟に娘を嫁がせたのが、ひと月前のことだ。
王族に政略結婚はつきものとはいえ、民たちからは二十五歳も年の離れた将軍に売られた王女と噂された。
その噂はエレアノーラの耳にも届いている。
「でも姫様。とても良くして頂いているではございませんか。このお部屋だって、姫様が過ごしやすいようにご用意してくださいましたし」
「ええ。確かに良くして頂いているわ。親切な方だし……それなのにこのお年まで結婚されていないなんて、何か理由があったのでは?」
「この国は長く戦いを続けておりましたので、将軍として軍をおまとめになられて多忙だったゆえに、きっと結婚の機会がなかっただけでございますよ」
侍女が優しい声音で言う。
しかしエレアノーラは扇で顔を覆ったまま、少し遠くを見つめた。
「どうかしら。……もしや、色んな場所に現地の妻がいらっしゃるのかもしれないわ」
「姫様っ」
エレアノーラの言葉に侍女が声をあげるが、エレアノーラの耳には届かない。
扇で隠しながら、長いまつ毛を伏せる。
「別に良いのよ。この結婚はもとより政略結婚だもの」
「あ、姫様」
「旦那様がよそにどれだけ女性を囲おうと。私はお飾りの妻であっても」
「姫様、うしろ……」
「政略結婚だもの。どうせすぐに放っておかれて、きっと別居婚になるのよ」
「姫様……」
「別に私はそれでも寂しくなんてないし」
一人でしゃべり続けるエレアノーラの後ろに、一つの影が近づいた。
「それは困りますね。新婚だというのに、私は妻に捨てられてしまうのですか?」
長椅子に座っていたエレアノーラは、その声に飛び上がらんばかりに驚いて、持っていた扇を落とした。
その向かいでは侍女が呆れた顔をしている。
「だ、旦那様!? 何でここにいるんですか!?」
「おや。妻に会いに来ることに理由が必要ですか?」
声をかけた相手は、エレアノーラが嫁いだ二十五歳年上の夫、オズワルド将軍。
周辺国からは影で野蛮な無骨者とも噂されているが、鍛えられた体格は若々しく、目鼻立ちのはっきりとした凛々しい顔立ちをしている。
足音を立てずに長椅子の前に回ると、エレアノーラが落とした扇を拾いあげた。
普段は剣を握っている手は大きく傷もあるが、扇を拾って埃を払う仕草は非常に優しく丁寧だ。
長椅子に座るエレアノーラの前に跪くと、細い手を取って扇を渡す。
「エレアノーラ姫」
「は、はい」
低い声に名前を呼ばれ、エレアノーラは少し上擦った声で返事をした。
「確かに我々は政略結婚ですが、せっかくの縁ですのでうまくやっていきたいと、私は思っています」
「……まあ、旦那様がそうおっしゃるんでしたら、それでも別に良いですけど……」
扇を受け取ったエレアノーラは、視線を反らしながらそう返した。
オズワルドは扇を手渡した新妻の細い手を取ったまま、ゆっくりと持ち上げて、そのまま自分の頬まで引き寄せた。
「それに、姫はこの顔がお好きでは?」
夫の言葉に、エレアノーラは透き通るような白い肌を真っ赤にした。
扇ごと両手で夫の体を押し返そうとしたが、鍛えている将軍の体はびくともしない。
「べ、べつにそんなお顔、凛々しいとか思っていませんし好きというわけでもありません!!」
押し返せないと分かったエレアノーラは、立ち上がってそんな捨て台詞を吐くと、脱兎のごとく逃げていった。
騒々しい足音の響く廊下とは対照的に、部屋の中には微妙な沈黙が残される。
「……将軍。そういう言い方は慎んでください」
「いや、出会ったときの言葉があまりに強烈だったから、つい」
オズワルドは後ろに控えていた従者に諫められるが、苦笑交じりに笑った。
ひと月前に娶ったばかりの新妻は、オズワルドにとって色々と強烈な人物だった。
おかげでついこんな冗談を言って、最近では部下を呆れさせることが増えた。
「二十五も年下の深窓の姫などきっと気が合わず、別居婚になると思っていたのはこちらの方だったんだがな……」
オズワルドはエレアノーラと初めて会ったときのことを思い返した――。
――ひと月前。
オズワルドは北の小国から王女を娶ることとなった。
王位継承権もない王弟の己がなぜと思ったが、王子たちも他国の王女を次々と娶っていたため、北の小国だけ断ると外交問題に発展しかねなかった。
王である実兄を支えるべく、戦場を奔走しすぎて婚期を逃し独り身だったオズワルドに拒否権はなかった。
しかし、相手は二十五歳も年下の王女。
きっと慎ましく育てられた若い王女は、戦場を駆けまわった男など耐えられないだろうから、白い結婚になるだろうと思っていた。
そうして迎えた顔合わせの日。
北の国らしく透き通るように白い肌は、太陽の下では倒れてしまわないかと不安になるほどで、オズワルドはこれまでの自分の人生とは正反対だと思った。
血を浴びてきた自分に、こんな儚い王女は似合わない。
しかし初めて顔を合わせた小国の王女は、夫となる相手を見るなりこう言った。
『素敵……!』
まっすぐに見つめて、その場にいた全員が聞き逃さないくらい、はっきりと。
本人は慌てて自分自身の口を押さえ、祖国から連れてきていた侍女が後ろで呆れた顔をしていた。
これには身構えていたオズワルドも思わず呆気にとられた――。
「――毒気を抜かれるとは、ああいうことを言うんだろうな」
思い出しながらオズワルドは笑った。
エレアノーラの侍女があの日と同じような呆れ顔でいる。
「あまり姫様をからかわないでくださいませ。あとが面倒でございますよ……」
「ははは、すまぬ。さて、姫を追いかけに行くか」
エレアノーラが逃げていった方向に向かうオズワルドを、残された従者たちだけが見つめる。
将軍つきの従者は、諫めつつも微かに安心した表情を浮かべて言った。
「……将軍は戦場に長く居すぎて、裏表のない率直な言葉に縁がなかったんです」
相手の裏を読むような戦場で生きてきたオズワルド。
そんな彼にとってエレアノーラの第一声はあまりにも理解できず、従者に相談しても意図が分からず、結果的にエレアノーラがついうっかり言ってしまった本心だったと判明したときの顔は今でも忘れられられないと、従者は振り返る。
「姫様も、祖国では十四人兄妹の十二番目としてお生まれになり、若干持て余され気味でした」
優秀な兄たちと美しい姉たちと可愛らしい末の妹に挟まれた、とくに重要でもない十二番目の王女。
歴史はあるがお金はなく、けれど由緒正しい王家と言われ続けて息苦しかった祖国を出て、侍女も一人だけの自由さを手に入れ、たどり着いた嫁ぎ先で出会ったのは祖国の儚げな男性とは印象の異なる逞しく凛々しい夫。
一目惚れだったのに認めようとしない意固地な主に、侍女も最近では面倒くさいと思っていた。
「政略結婚で幸せになる場合もあるんですね……」
遠くでエレアノーラの声と、オズワルドの笑い声が響く。
そんな声を聞きながら、従者二人はそろってそう呟いた。
すれ違わない政略結婚。雪原を走り回っていたタイプの王女です。
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