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短編置き場  作者: 細井雪
28/30

ある昼下がりの物語たち

5/10はメイドの日だったので、三組の短い物語です。




「――コホン」


 咳払いの音に、メイドのリディアは振り返った。

 応接室の入口のところに、この屋敷の若き跡取りであるジェームズが立っていた。


「若様。申し訳ございません、埃が舞ってしまいましたか?」

「い、いや、掃除をしているところに邪魔をしてすまない」


 ハタキを下げながら謝るリディアに、ジェームズは慌てて首を横に振った。

 それから少しそわそわとしながら、リディアの方を伺う。


「その……近くに住んでいる伯母のところからクッキーが届いたから、リディアも休憩して一緒に食べないかい……?」

「いえ、私は仕事中ですので。お気遣いに感謝いたします」


 メイドらしくわきまえたリディアに丁重に断られて、ジェームズの元々優し気な顔立ちの眉尻が下がっていく。

 そのとき、ジェームズが入ってきた扉から別の声がした。


「リディア。他家のお菓子の味を知る良き機会なので、若様のご厚意に従うと良いでしょう」

「アーネスト!」


 声をかけたのはこの屋敷に勤めている執事で、振り返ったジェームズがその名前を呼んだ。

 丁寧に撫でつけた白髪交じりの髪は人生経験の長さを物語っており、若き跡継ぎの心の内などお見通しという風に視線を配らせる。


「若様。少し外出をしたいのですが、お茶の用意を彼女に任せてもよろしいですか?」

「あ、ああ! もちろんだ、ゆっくりしてきて大丈夫だぞ!」


 先ほどまで眉尻を下げていたジェームズは、嬉しそうに破顔しながら頷いた。

 そんな若き主に礼をして、アーネストは部屋を出る。


「若様は少々押しが足りないな……」


 廊下を歩きながらそう零したが、周囲には人の姿はなく、聞き取る者はいなかった。

 アーネストは途中で外套を取って素早く羽織りながら向かった先には、同じように白髪交じりの栗色の髪をした一人の女性の姿があった。


「お待たせいたしました。お屋敷までお送り致します」


 アーネストがそう声をかけたのは、クッキーを持ってきた他家のメイドであるセルマだった。

 ジェームズの伯母にレディーズメイドとして長く仕えており、最近からお菓子作りに目覚めた女主人のお使いでこの屋敷へ頻繁に訪れるようになった。


「まぁ、執事様。いつも申し上げておりますが、私ひとりで帰れますわ。行きもひとりで来たのですから」

「ちょうど休憩時間なので、散歩がてらです。当家からのお土産もありますので、お持ちしましょう」

「あら、まぁ。ではお言葉に甘えまして……ありがとうございます」


 アーネストの言葉に、セルマは少しふくよかな頬を緩めて礼を言う。

 陽射しの心地よい通りを二人は並んで歩きながら会話を交わした。

 年齢が近く、長く使用人として勤めているという共通点から、話題には事欠かない。

 アーネストの言葉に、セルマはころころと笑ったり感心したりと、その表情を豊かに変える。

 そうしている内に、セルマの働く屋敷まではあっという間にたどり着いた。


「執事様とご一緒ですと、時間が過ぎるのが早く感じますわ」


 こうして送って貰うようになってから、帰路がとても短く感じられて不思議だと思っているセルマに、アーネストが声をかける。


「では、今度ふたりで一緒に出かけませんか?」

「え?」

「セルマさん。あなたともっとゆっくりお話をしたいです」

「えっ?」


 突然のお誘いに驚きのあまり目を瞬かせるセルマに、アーネストはまっすぐな視線を送り続けた。

 その奥を、この屋敷のフットマンであるポールが見かけながらも特に気にせず通り過ぎる。


「セルマさんと一緒にいたの、あっちの家の執事だよな。執事自ら送ってくれるなんて親切だなぁ」


 そんなことを呟きながら、止まることない足が向かう先は、キッチン脇にある裏庭。

 覗き込めば、勝手口の石段に座って休憩しているキッチンメイドのコニーの姿があった。


「コニー!」

「ポール」


 同じ時期に屋敷で働き始めた二人は気心が知れており、顔を見合わせて笑い合った。

 普段は澄ました顔で来客の応対をしているポールも、コニーの前では気楽な表情に戻る。


「何か甘い物とかない?」

「あるわよ。今日焼いたクッキーの失敗だけど、食べる?」

「食べる、食べる!」


 コニーが取り出したクッキーに、ポールは嬉しそうに声を上げた。

 この屋敷の女主人がお菓子作りの楽しさに目覚め、最近はよく料理人たちと一緒に作っているため、屋敷は常に甘い匂いに包まれている。

 失敗というが実際には少し欠けたり焼き色が薄いくらいで、味は遜色ない。

 コニーの隣に並んで座ったポールは、差し出されたクッキーを急いで口に放り込んだ。

 先輩フットマンに見られたら叱られそうな所作だが、今はコニーと二人きりだ。


「コニーの作るクッキーは世界一美味しいなぁ」

「ポールは大げさなんだから」

「本当だって。一生食べたいくらい美味しいよ」


 クッキーを美味しそうに頬張るポールに、コニーは顔をほころばせた。

 甘いクッキーの香りが広がる。


 ある穏やかな昼下がりの、それぞれの恋模様。




若様が一番ヘタレで、執事は意外と押しが強く、フットマンとキッチンメイドはすでに恋仲です。

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