新年に分け合う菓子
五十歳の大神官と神殿で炊事婦として働く女性の新年の話。
恋愛と家族愛の間くらいです。
「大神官様。いつまでも外にいたら、新年早々に風邪を引いてしまいますよ」
星空の下で佇む姿を見つけ、その背に声をかけた。
「リティシャ」
振り返った拍子に、首にかけた長い帯が風で揺れる。
リティシャが近づけば、皺の刻まれた目元を優しく細めて、静かに言った。
「星に祈りを捧げていました」
「まあ。では私は、大神官様が風邪を引かないようにと祈らなければなりません」
「はは、リティシャには敵いませんね」
神殿の最高位にありながら、神殿の炊事婦に対しても気さくに微笑む。
リティシャはエプロン姿のまま隣に並んだ。
広い夜空では星が瞬いている。
「大神官様。お菓子をどうぞ」
リティシャは持ってきた皿を差し出した。
皿の上にあるのは、果実が入っているわけでもない素朴な焼き菓子。
大神官は懐かし気に瞳を細めた。
「新年にこうして一緒に食べるようになって、もう四十年がたちますね」
「さようですね。あれから四十年もたったなんて、私たちも年を取りましたこと」
二人は共に年を重ねた顔を見合わせて、微笑んだ。
互いに十の頃に出会い、四十年の月日が過ぎた今でも、こうして共に新年を迎えることができた。
「今年もリティシャの焼いた菓子に感謝と希望を」
大神官は祈りの言葉を述べるときと変わらない柔らかな声音で告げて、焼き菓子を指でつまみ、それを半分に割って片方をリティシャに差し出した。
「一年、あなたが飢えず心豊かでありますよう」
リティシャは差し出された菓子を受け取り、見上げて微笑んだ。
「大神官様も、飢えることなく心豊かでありますように」
同じ言葉を繰り返し、二人は菓子を口に運んだ。
それは、この国の古い風習。
今よりずっと昔、まだこの国が貧しかったころ、満足できるほどの食料がなく、誰もが飢えながらもわずかな食べ物を分けながら命を繋いだ日々。
そんな中で、年の初めに食べ物を分け合えば、その年は食いつないでいくことができると、祈りにも似た願いを託した風習が生まれた。
あれから国は少しずつ豊かになり、食べ物に困ることもなくなり、いつしかそんな風習も風に乗って消えていってしまった。
それでも、二人は今でも新年には、こうして一つの焼き菓子を半分に割って一緒に食べた。
四十年前から、毎年、今でも変わらず。
「分け合わなくてもすむほど、この国は豊かになりましたね」
半分に割った焼き菓子を齧りながら、リティシャは月日を振り返った。
早かった四十年だろうか。
それとも長かった四十年だろうか。
毎日お腹を空かせていた子どもの頃には、こうして豊かになる日など想像もできなかった。
「そうですね。……でも、私はあの日、あなたに分けて貰えたパンの味を今でも覚えています。あれほど美味しいものを、私は知りませんでした」
真剣な声でそう言う大神官に、リティシャは小さく笑った。
「大げさですよ」
しかし、大神官はゆっくりと首を横に振り、リティシャを見つめながら記憶を振り返った。
「いいえ。あなたに分けて貰えなければ、きっと四十年前のあの日、私は死んでいたことでしょう」
あの日、土埃の舞う路地に転がり、もう何日も食べておらず、一人の孤児が力尽きようとしていた。
そのとき、すぐ側に人が近づく気配を感じて、最後の力を振り絞るように薄っすらと瞳を開いた。
その目の前に、半分に分けたパンが差し出された。
驚いて顔を動かすと、そう歳の変わらないか細い少女が、自分のパンを半分あげようとしていた。
驚きながらも、久しぶりに目にした食料に、一心不乱で口に運んだ。
あの頃は甘い焼き菓子などはどこにもなかったので、それはあるものを混ぜてただ焼いただけの決して美味しいとは言えないパンだった。
それでも、命の灯火が消えようとしていた孤児にとって、それは忘れられない味となった。
「あなたはまるで女神のようでした」
大神官の言葉に、リティシャは思わず声を出して笑った。
「まあ、神殿の女神像に怒られてしまいますわ」
あの頃、リティシャは神殿の炊事場で下働きをしていた。
その日は新年の祭事で下働きも忙しく、その日の唯一の食事であったパンを懐に入れて、神殿の中や外を行ったり来たりしていた。
そうして帰ろうとしていた途中で、自分と同じ年頃の少年が倒れているのを見つけて、リティシャは教えを思い出した。
食べ物を分け合えば、その年は食いつないでいけるという教え。
懐には一つのパンしかなく、リティシャ一人でも満足できる量ではなかったが、分け合えば二人が食いつないでいける。
そう思って、リティシャは見知らぬ少年にパンを半分渡した。
その後、リティシャは少年を神殿へと連れ帰り、彼は神殿の下働き見習いとなり、それから神官となって、こうして大神官となった。
あれから四十年、こうして今も変わらず新年には二人で一つの食べ物を分け合っている。
最初はパンで始まり、次第に素朴な焼き菓子を作れるようになり、貴重な甘い菓子を貰ったときには二人ではしゃぎながら分け合い、神官と炊事婦という身分差にリティシャが遠慮しても新年にはずっと待っていると言われて……食べ物に困らない時代へと移り変わっても続いている二人だけの約束。
あのパンを分け合った日以来、教えの通り二人は飢えることなく過ごせてきた。
「リティシャ。また来年も、一緒に食べましょう」
「ええ。来年も、その次の年も」
来年も、その次の年も、そのずっと先まで。
平和で飢えることのない未来を祈りながら、二人で菓子を分け合った――。
妻帯できない神官職なので夫婦とか恋人という関係ではない二人ですが、新年に限らずどちらともお菓子などを貰うと相手にも食べさせたいと持って帰るので、周囲には恋愛関係ではないけれど特別な関係と知られてあえて二つ用意されていたりしている…というところまで考えました。
読んで頂きありがとうございました。




