メイと白銀の狼獣人~チョコの日~
バレンタインデーにちなんで。
狼獣人と人間の娘。獣頭の獣人なので、お好きな方はよければどうぞ!
「――こんにちは、メイ」
聞き覚えのある穏やかな声に、飛び跳ねたい気持ちになりながら振り返った。
「ヴィンセントさん! いらっしゃいませ、日当たりのいい窓際の席が空いていますよ」
「ありがとうございます」
店内で一番に陽の当たる席を示すと、すぐさま尻尾が動く。
席に向かって歩く動きに合わせて、後頭部で結んだ長い髪も同じよう揺れ、まるで尻尾と連動しているようなその様子に、私は頬が緩むのを必死に耐えた。
可愛い。
尻尾を振っているヴィンセントさん、すごく可愛い。
そんな心の声を抑えながら、席に着いたヴィンセントさんから日替わりランチの注文を受けて、厨房にいる女将さんへと伝える。
厨房に入ってお皿の用意をしながら、こっそりと窓際の席を見てみる。
路面に面した窓際の席は日当たりがよく、差し込む陽の光に目を閉じ、日光浴をするヴィンセントさんの毛並みがきらきらと輝いていた。
ヴィンセントさんは、白銀の毛並みをした狼獣人。
人間の体に、首から上は白銀の毛に覆われ、尖った耳や鋭い灰色の目をした狼の顔をしている。
さらに人間の成人男性をはるかに追い越す高い背丈と、長くしなやかな手足は遠目からでも獣人だと分かるほど目立つ。
世界中には色々な種族の獣人がいるらしいけど、この街にいる獣人は現在ヴィンセントさん一人だけで、逆に唯一の獣人だからか街の人たちはみんな温かい目でヴィンセントさんを見ている。
それは、ヴィンセントさんの性格がとても紳士的で穏やかだからみんなと打ち解けているというのもある。
けれど、一番の理由はおそらくあの尻尾だと思う。
今日みたいに寒い冬の日は、日当たりのいい窓際の席で気持ちよさそうにくつろぎながら動く尻尾。
身体能力が高く強いと評判な狼獣人の、日光浴が大好きで尻尾を振っている一面は、そのギャップからみんなの癒しだった。
「ヴィンセントさん、お待たせしました! 今日のランチは体が温まるビーフシチューです」
「メイ、ありがとうございます。美味しそうですね」
目を閉じて日差しを享受していたヴィンセントさんは、白銀のまつげを揺らして瞼を上げるとにっこりと笑い、ビーフシチューの香りに尖った鼻先を動かしながら尻尾をパタパタと振った。
可愛い……!!
私は震えそうになる手を必死に抑えつつお皿をテーブルに置き、トレーを握りしめながら再び厨房に戻った。
お昼時を過ぎたこの時間帯は、食後のコーヒーをゆっくりと味わっているお客さんが数名いるくらいで、とてものんびりとした空気が流れている。
私は洗ったお皿を拭きながら、またヴィンセントさんの方へとこっそり視線を向けた。
ヴィンセントさんはビーフシチューを一口一口、丁寧に味わっている。
その様子を盗み見しながら、ヴィンセントさんと初めて出会った時のことを思い出した。
あれは半年ほど前。
買い出しに行く途中で、暴走した馬車にひかれそうになったところを、偶然通りかかったヴィンセントに助けてもらった。
迫りくる馬車を恐れもせずに飛び込み、私を抱えて馬車の屋根よりも高く飛び上がって助けてくれた。
――お嬢さん、大丈夫ですか?
それまで獣人とあまり近くで接することのなかった私は、長くしなやかでありながら力強い腕の力と、白銀の毛並みに覆われた顔に、返事もできずに固まった。
けれど、かけられた穏やかな声音と、私を安心させるように優しく細められた灰色の瞳に、気づけば恋に落ちていた。
命の恩人にお礼をしないわけにはいかず、働いている食堂へと案内して食事をして貰いながら色々な話を聞いた。
ヴィンセントさんは雪深い北の地に住む狼の獣人一族で、故郷を離れて一人で様々な土地を回っている途中だということ。
この街へ立ち寄ったのはたまたまで、行き先は未定だけどすぐに街を離れると聞いて、私は恋に落ちて数時間もたたずに失恋してしまうことに焦った。
どうにかして引き留められないか――そう考えたけれど、実際にヴィンセントさんを引き留めたのは私ではなくて、街の自警団だった。
暴走馬車から助けた一部始終を知って、獣人の身体能力の高さに目を付けた自警団から熱烈なスカウトを受け、ヴィンセントさんはそのまま街に留まることとなった。
それから、ヴィンセントさんは自警団の詰め所から近いこの食堂へ毎日のようにお昼を食べに来てくれている。
私は、ヴィンセントさんと会えるこの時間が楽しみだった。
けれど、ヴィンセントさんが街に住むようになってもう半年。
今の私とヴィンセントさんは、助けた相手と、助けてくれた恩人。
もしくは食堂で働く従業員と、常連客、そういう関係でしかない。
でも、できればヴィンセントさんと特別な関係になりたい。
毎日のように食堂へ来て顔を合わせるけれど、できれば休日に一緒に出掛けたりもしてみたい。
今まで恋人もいなければ、誰かに恋をしたこともなかった私だけど、今日は一世一代の勇気を出すことにした。
厨房の棚の扉を開き、中に置いていたものをこっそりと取り出す。
この日のために作ったチョコレートケーキ。
今日は、この街ではチョコを贈るという特別な日。
贈る相手は恋人や伴侶、もしくは好きな相手にチョコを渡すという、一年に一度の恋の日なのだ。
ヴィンセントさんにチョコレートケーキを渡す許可は、食堂の女将さんに了承を得ている。
むしろ背中を押された。
行動に移すのが遅かったらしい。
けれど、こんな日でもなければ、私にはそんな勇気は出せない。
ヴィンセントさんがビーフシチューの最後の一口を食べ終わるのを見届けて、勇気を振り絞って近づいた。
「あ、あの、ヴィンセントさん……!」
「メイ。今日もとても美味しかったです」
尻尾を振りながら微笑むヴィンセントさんの笑顔が眩しい。
「こ、これもどうぞ……!」
勇気を振り絞って、テーブルの上にチョコレートケーキの乗ったお皿を差し出した。
ヴィンセントさんはそれを見て小首を傾げる。
耳が横に傾いて可愛い。
「チョコレートケーキですか? けど、デザートは頼んでいませんが」
「いえ、これは……私からヴィンセントさんに個人的な贈り物です」
言えた。
気持ちを口にできたことに、私は心の中でガッツポーズをした。
今まで友人たちがチョコを贈ったり貰ったりする様子は見てきたけど、とうとう私にもそんな日がやってきた。
……けれど。
ヴィンセントさんはチョコレートケーキを凝視したまま黙っている。
その時間があまりにも長いものだから、私は少し心配になってきた。
嫌いな食べ物はないと事前に調べていたけれど、もしかしてチョコレートケーキはお好きじゃないのだろうか。
もしくは、私の気持ちが……。
「……私にこれを……?」
不安になってきたころ、ヴィンセントさんの呟く声が聞こえた。
「は、はい……っ」
「人目のある場所でくださるなんて、こんな大胆なことをしてくださるほど私のことを……?」
人目。
確かに食堂の中だから他にお客さんもいるけれど、込み合っている時間は過ぎているのでまばらだし、みんなのんびりと食後のコーヒーを飲んだりしていてあまり周りのことに興味は持っていない。
奥手な私にしては、チョコレートケーキを渡すことも、大胆といえば大胆だったかもしれない。
チョコを贈る恋の日じゃなければ、勇気は出なかったはず。
ヴィンセントさんはチョコレートケーキを見つめたままで、私の不安はどんどん大きくなっていった。
「あ、あの……迷惑でしたか……?」
「まさか! 嬉しいです、メイ。ああ、でも返事は待って貰ってもいいですか? きちんと整えてからあなたの気持ちに応えたいです」
「え? あ、はい」
ヴィンセントさんの言葉の意味はよく分からなかったけれど、迷惑ではなかったことに安心してとりあえず頷いた。
ヴィンセントさんは何度も美味しいと言いながらチョコレートケーキを全部食べてくれて、にっこりと笑ってから仕事へと戻っていった。
見送りながら、私はヴィンセントさんの言葉を思い返した。
嬉しいとは言っていたけれど、返事は貰えていない。
待つとは、いつまでだろう。
よく分からなかったけれど、白銀の尻尾をぶんぶんと振っている後ろ姿をいつまでも見送った。
このとき、私は知らなかった。
翌日、ヴィンセントさんが突然故郷へと帰り、一ヵ月戻ってこないことを。
そして、北の過酷な環境で暮らすヴィンセントさんの一族にとって、食べ物を他者に与えることは、相手を家族と思うくらい大きな意味を持つことを。
特に、年頃の異性が食べ物を贈ることは求婚を意味するという、そんな重大な真実を私が知るのは、それから一ヵ月後のことだった――。
最初の食事はお礼なのでノーカウント、ヴィンセントの故郷にチョコを贈る習慣はありません。文化の違いからかみ合わなくなるの好きです。
読んでいただきありがとうございました!
次話に一ヵ月後の続編があります。




