竜の五十年
和風と中華の間。長命な竜と短命な人間の、片方が高齢なある意味年の差な話です。
※別話の竜とは関係ありません。
「あなた、ずいぶんと笑い方が柔らかくなりましたね」
握った手の先で、急にそんなことを言いだした。
「……そうかな?」
「そうですよ。出会ったころなんて、いつもつまらなさそうな顔をして、偉そうで、整った顔をしているものだから余計にきつく見えて、近寄りがたかったもの」
「そこまで言わなくてもよくないか……?」
あまりな言われように、しかし自覚のある身としては過去の己が恥ずかしくて、思わず背を向けてしまうが、くすくすと笑う声に引っ張られて結局はすぐに振り返った。
散歩をしようと出た川沿いで、暖かな日差しが彼女の顔を照らす。
「君は、昔から変わらないな」
そう告げれば、その表情は大げさなくらいに怒った様子に変わる。
「まあ。出会ってから五十年もたつのに、変わらないわけがないじゃないですか」
五十年。
ヒトである彼女は、出会ったころに比べて顔や手にも皺ができ、背も曲がり昔よりも小さくなった。
対して、竜である己は、彼女と出会った五十年前から見た目の変化はほとんどない。
私の物言いが気に障ったのか、彼女は皺の刻まれた頬を膨らませて怒る。
「あなたは昔と変わらず若くて綺麗な顔のままで、私ばかりこんな皺くちゃなお婆ちゃんになって恥ずかしいです。きっと、誰も私たちのことを夫婦なんて思っていないわ」
その声が沈んでいて、思わず繋いだ手を包み込む。
「私から見れば、出会ったときの君も、十年後の君も、今の君も全て愛おしい。それに、誰が知らなくても私たちは夫婦なのだからかまわない」
「あら、まあ」
ふふふ、と彼女が笑いを零す。
外見に変化はあっても、こういう風な仕草は、出会ったころと同じだと感じられた。
まだ幼さを残していたあの頃の笑顔が、柔らかくなった今の頬に重なる。
「あなた、見た目は変わらないけれど、やっぱり昔と違いますね。昔は、そんな言葉ちっとも言ってくれなかったし、そんな柔らかい表情もしなかったもの」
昔を引き合いに出されて、やはり恥ずかしさが湧き上がる。
彼女と出会ったころ、何の力も持たないヒトを下に見ていた自覚はある。
竜から見れば瞬きのような僅かな寿命で、そんな短い時間を朝から晩まで働き、笑い、泣くようなせわしさを、必死に生きる愚かな短命種族だと見下していた。
本当に、我ながら恥ずかしい。
それくらい、竜の長い日々に飽き、驕っていた。
「……私が変わったというのなら、それは君と出会って、君が教えてくれたことだ」
気まぐれに降りた下界でヒトの姿になり歩いていたら、菓子を売り歩いていた小娘がぶつかり上着を汚されたあの日。
甲高い声で慌てる騒がしさに耳が痛くなり、汚れた上着など捨てて変えればいいだけと思い去ろうとすれば、汚れを落とすと言って無理やり引っ張って行かれた先には、今にも朽ち果てそうな古びた家。
中には寝たっきりの祖母と、みすぼらしい身なりの両親に、うるさい弟妹たち。
今まで飲んだことのないような薄い茶を出され、上着の汚れを落としに行っているのを待つ間に、騒がしい弟妹達にじゃれつかれ、よだれを垂らされてさらに服を汚された。
お詫びにと夕食を出されれば、囚人の飯かと思うほど質素なもので、さらには寝たっきりの老婆が自分の分も譲ろうとするものだから、さすがに老いた姿が哀れになり滋養の薬をわずかに分けてやれば、起き上がれるまでに回復したことに非常に感謝され、こそばゆいという感情を始めて知った。
それからも度々ヒトの姿で下界に降りるようになったのも、ただの気まぐれだった。
「私がヒトではないと伝えても、君は特に態度を変えることもなく、変わらない笑顔で私を迎えた」
先ほど近寄りがたいなんて言っていたが、彼女も、彼女の家族も、そんなことは一度だってなかった。
敬われることに慣れて退屈な日々に、あまりにも気安い態度で接してくるのが新鮮で、いつからか下界に行くことを楽しみにするようになっていた。
「変わった小娘だと思ったものだ。春になれば花が咲くのは当たり前だと言うのに花見をしたがったし、夏になれば暑いからと裾を捲し上げて川に入ろうとするし、秋には月見だ紅葉だと忙しなかった。冬は寒いからと私で暖を取ろうとして、竜の私が温かいわけがなかっただろうに」
「そんなことないですよ。一人より、二人でくっついていた方が温かいですから」
そう言いながら握った手に力がこめられ、温もりが伝わる。
温かいのは、いつだって君の方だった。
短い寿命の中で、騒がしい道沿いで声を張り上げながら菓子を売り歩き、花が咲いただの犬の子が生まれただのありふれたことでよく笑い、先逝く親兄弟や友人たちを嘆き悲しむ、目まぐるしいほどに変わる表情。
共にいる温かさを、君から知った。
「竜とヒトは寿命が違うと説明したときも、なら私の寿命につきあってと言うし、ヒトは無力なくせに何と傲慢なことかと呆れたものだ」
「そういうところですよ。いつも偉そうに全てを分かったふりをして先に諦めようとするあなたのそういうところ、悪いところです」
二度も偉そうだと言われて、土地神と崇められることもある竜に対して何という不敬だろうと思う。
だが、そんな崇高とされた立場を捨てて、ヒトと共に生きる道を選んだことを、同胞には愚かだと言われても後悔はしていない。
「君と出会ってから、新しく知ることばかりだった。笑い方も、愛おしいという気持ちも、君から教えて貰ったことだ」
きっと出会わなければ、笑い方も愛おしさも知らないまま、そんなことは知らずとも良いと思って長い寿命を生きていただろう。
竜とヒトと異なる寿命ゆえに、同じように皺を増やしながら老いることは叶わないけれども、それでも共にいたいと願い、ヒトは無力なのになぜ諦めが悪いのか分かった気がした。
共に過ごすだけで満足だと小さな喜びに大きな意味を見出して、共に皺のできた顔で笑い合う日々は送れずとも同じヒトに重なったように感じた。
出会ったころより細くなり皺の増えた手を握り、昔より歩みの緩やかになった君に寄り添う。
ヒトの寿命にあとどれくらいの時間が残されているのかは分からないが、最期のときまで一緒に過ごしたいと願い、その温もりを握りしめた――。
読んで頂きありがとうございました。




