①
私は仲間と一緒なら怖いものは無いと思っていた。
──でも、それは間違いだった。
友達と顔を合わせる為だけに通っている退屈な授業がようやく終わり、机の横に引っ掛けてあるカバンに手に伸ばして早速ケータイを取り出す。
『いつものトコ行かね?』
アプリを開くとそんな短文が目に入る。私は親指でササッとそれに返信した。
『りょ』
私達は皆仲が良い。
『いつものトコ』こんなヒントの少ない言葉で意味が通じてしまう程に。
机の中の教科書やらノートやらを押しやってスケジュール帳を引っ張り出す。表紙はピンク。流行っている丸々したマシュマロのキャラクターが淡い色で描かれている私のお気に入り。
「唯、いつものトコだって」
スケジュール帳を開き、今日の日付に皆の名前と小さなハートを描いていると、せっかちな千聖が話しかけてきた。
私は振り返らずに短く答える。
「見た」
「じゃあ、早く行こ」
「先、行ってて」
「ヤダ、唯〜早く〜」
私は「ハァ」と小さく溜息をつくとスケジュール帳を閉じ空のカバンに突っ込んだ。
「やった、行こ行こ!」
何がそんなに嬉しいのか千聖はピョンピョンと飛び跳ねた。
教室を出て千聖と並んで廊下を歩いていると目の前に背中を丸めトボトボと歩く人物が見えた。その人物は斎藤佳穂だ。同じクラスだが会話は一度もした事が無い。話す機会なんて無いしその必要も無いからだ。
それに、伸びた前髪でいつも目元を隠していて陰気臭い。
(相変わらず暗…)
内心そんな事を思っていたら隣にいた千聖が大きな声で喋りだした。
「ウチらは陽キャで良かったよね!」
斎藤佳穂は千聖の声に歩みを一瞬止めた。そして何事も無かったようにまたトボトボと歩き出した。
「ちょっと……聞こえるよ」
思わず慌てて静止すると、千聖はニヤッと笑った。
「何? 聞こえちゃ不味い事なの? 誰を意識してるの?」
私は内心「しまった」と思った。
またもや千聖のくだらない遊びに付き合う事になってしまった。
正直、私は斎藤佳穂に興味はない。ただ楽しく高校生活を送れる事が出来ればそれで良いと思っている。
しかし、私の仲間達は違うようだった。
弱い獲物を見つけてはそれをチクチクと突く、決して止めは刺さない様に……。
「ねぇねぇ唯、誰と比べたのー?」
「別に……早く行くよ」
「そうだね! 早く行こ!」
斎藤佳穂の横を早足で通り過ぎる時、さり気なく横目で見る。
垂れ下がる前髪の間。
歪む目の形、血走る白目、憎しみを込めた小さな黒目が私達を釘づけるように揺れていた。
それに気づいた私は思わず目を逸し身震いした。それと同時に苛立ちもした。私はお前に興味は無いし、それにそんな態度取るなんて……気に入らない。
そして何よりも、あの斎藤佳穂に畏怖して目を逸した自分に腹がたった。
下駄箱に着くと集合の号令を出した張本人。上田 渉が「遅ぇ」と右手の携帯を振りながらぶっきらぼうに言った。
「渉ごめん〜。唯が遅いからさー」
「そんな遅くないでしょ。二人がせっかちなんだよ」
「ま、俺と千聖は相性ピッタリって事だな」
「はいはい」
千聖と渉は付き合っている。小学生から一緒の二人は私から見てもお似合いの二人だと思う。でも、このまま調子に乗らせるのも煩わしいので適当にあしらった。
二人とお喋りをしながらいつものトコに到着する。それは住宅街にある寂れた公園。
私も千聖も渉もこの近くに家があり、誰もバイトが入っていない時はここにジュースや菓子を持ち込んでくだらない話をして時間を潰している。そんなくだらない話でも授業よりはよっぽど有意義で楽しい時間。
「でさ、科学の時間は班の奴らにやらせて俺はずっと寝てた」
「先生怒ってなかったー?」
「寝てたから知らねーよ」
「そっか〜」
誰も傷つかない穏やかな時間。私はそれがとても居心地が良い。
「あ! あれ見て!」
そんな穏やかな時間を壊す千聖の声。
千聖の指差した方を見るとあの斎藤佳穂が俯いたままトボトボと歩いていた。
「なんで斎藤が……」
千聖の言葉は途中で終わったが続きは私が思った事と一致している筈。それは『……ここにいるの?』だ。
「あいつ暗いよな。何考えてるか全然わかんね」
言い終わった渉はポテチの袋を傾けて粉々のカスを口に注いだ。
「後付けてみるか?」
もぐもぐと口を動かしながら言う渉に千聖は無邪気に答えた。
「いいね!面白そう〜」
二人の提案にウンザリしたが、先程向けられたあの目を思い出した私は斎藤佳穂に仕返しをしたくなった。
「斎藤……行っちゃうよ」
千聖は私の言葉に目を丸くした。
「唯、珍しい〜ノリノリだね!」
「別に……」
「行こうぜ」
渉の一声で急いでカバンを拾うと距離を取りながら斎藤佳穂の背中を追った。
木々が囲む薄暗い石段を上がり斎藤が向った場所。そこは私達も知らない小さな神社だった。
「……おい、こんな所に神社あるの初めて知ったぞ」
「私も〜藁人形でも持ってきたんじゃない?暗いしさ、あの子」
千聖のそんな何気ない一言に思わず納得しそうになった。
「ねぇ〜、話しかけてみる?」
「いや、ちょっと様子見ようぜ。観察観察」
大きな木の陰に私達は身を隠し斎藤佳穂の動向を探る事にした。
斎藤佳穂は歩いて社の裏手に回り、手に箒を持って戻ってきた。そして境内の掃除を始めた。
「つまんない〜。案外普通だったね」
「だな。拍子抜け」
「もういいでしょ、帰ろ?」
私は二人のくだらない遊びの付き合いと斎藤佳穂へ仕返しを終えたつもりだったので、二人にそんな提案をした。
「いや、俺なんか興味でてきた」
「はぁ!? 渉、あんな暗い子に興味あるの?」
「馬鹿! そうじゃねーよ。なんで掃除なんかしてんのかなー?ってさ」
「確かに! やっぱり話しかけてみようよ」
まだまだ終わりそうもない二人の遊びに私はそっと溜息をついた。そして、面倒に巻き込まれるのはイヤたったので傍観者になる事にした。
「私はここに居るから二人で勝手にやってよ」
そう言って木の根を椅子代わりにして座り、スケジュール帳とペンを取りハートを描き加える。先程、千聖に邪魔をされた続きだ。千聖と渉は揃って「えー……」と不満気に声をあげたが、相手にしない事にした。
黙々と斎藤佳穂は掃き掃除をしていて、二人の接近に気が付かない様子だった。
「ねぇ、斎藤さん!」
千聖の声に斎藤佳穂はかなり驚いた様子で勢い良く顔を上げ、箒を落としそうになっていた。
「あはは、そんなビビんないでよ〜」
「……」
「俺たち偶々ここに来たんだよ。お前良く此処にくんの?」
「……」
斎藤佳穂は二人の問いには答えず、俯いたまま黙り込んでしまった。
「ねえ、そんな無視しないでよ。仲良くなりたくてさ〜」
「そうそう、お前いつも一人じゃん、ちょっと心配でさ。仲間にならねぇかなって?」
私は二人のわざとらしい演技と心にもない軽口に吹き出しそうになったが、斎藤佳穂はそうは思わなかった様だ。俯いたままだった顔をあげて目尻には薄っすらと涙を浮かべている。
「そ……そうなの?」
事もあろうか、あの二人の適当な話を信じてしまったようだ。千聖と渉は目配せをして笑いを堪えている。それに全く気が付かない斎藤佳穂。
「そうだよ、掃除するとか偉いよ〜。私は絶対にしないもん。」
「確かに千聖はしないだろうな! 斎藤はさ、なんで掃除なんてしてんの?」
千聖は渉の言葉に頬を膨らませた。
「あ……あの……ここの神社、私の家が管理する事になってるの……ずっと、昔から……」
「へぇーそうなんだ?」
「大変だな」
なんの面白みの無い普通の回答に二人はあっと言う間に興味を無くしたようだった。
「斎藤さ、掃除してて偉いからコレやるわ」
渉はそう言って、カバンから缶ジュースを取り出して斎藤佳穂に手渡した。
「あ…………ありがとう」
それを大事そうに両手に持って何度もお礼をする。しつこい位に何度も何度も……そういう態度があの二人を調子に乗らせる。それに斎藤佳穂は気が付けない。
ニヤニヤと笑いを堪える二人。
「まぁ気にすんな、ジュースと菓子は一杯持ってきてるんだ」
「渉、教科書とノートは持ってこないからカバンに余裕があるもんね〜!」
「うっせーよ」
そんな二人のやり取りを見て斎藤佳穂は少しだけ笑っていた。
(あんな風に笑うんだ……)
私はスケジュール帳を開いたまま、ぼんやりと3人の様子を見ている。
「ねぇ、ちょっと遊ばない? たとえば肝試しとか〜かくれんぼとか〜」
「良いねぇ!ここ暗いしさ、きっと面白いぞ」
斎藤佳穂はまたもや俯いてしまった。両手に持ったジュースの缶ギュッと力を込めている。きっと二人の提案に乗り気では無いのだろう。
「ね? 斎藤さんも遊びたいよね」
「…………や……やめといたほうがいいと思う……」
「ハァ!? 何でよ!?」
「この神社でふざけたりしたら罰があたるって昔から言われてるの………だから………」
「……プッ! アハハ! そんなの信じてるの? そんなの、子供がいたずらしない為の作り話に決まってるじゃん!」
「ツマンネー。もう、いいや冷めたわ……帰ろうぜ千聖」
「だね! 帰ろ帰ろ」
私はようやく帰れると安堵した。
しかし、その思惑は外れる事になった。
「ま、待って……少しなら……大丈夫だと思う……」
それは斎藤佳穂の提案だった。二人に嫌われたくないから無理矢理遊びに付き合う事にしたのだろう。既に帰り支度をしていた二人だったが、その言葉を聞いて斎藤佳穂に向き直した。
「へぇ、そうなんだ? じゃあ『かくれんぼ』しよ。斎藤さんが鬼ね」
「よっしゃ、鬼はあの社の中に入って十まで数えてスタートだ」
「え……ちょっと……ま、待って……!」
斎藤佳穂はモゴモゴ何か言っていたが二人は容赦なく背中を押しやって社に閉じ込めた。そして、扉が開かないように外から両手で押さえつけた。
「あ、開けて……!」
ガタガタと扉が音を立てる。
「十数えろよ!」
「アハ! 数えないと開けないよ〜」
流石に飽き飽きした私は二人の遊びを強制終了させる為、立ち上がりお尻に付いた木くずを叩いた。
その時だった。
「ぎゃぁ!!」
社の中から唐突な悲鳴。
二人は反射的に社の扉から離れ後退る。
「さ、斎藤さん……?」
「…………」
千聖が恐る恐る声をかけるが返事は無い。
「おい、返事くらいしろよ」
「…………」
「もう、知らねー……千聖、帰ろうぜ」
「だね、感じ悪いよ斎藤さん」
二人には社の扉を開けて中を確かめる勇気は無かった。始終成り行きを見ていた私もそれは同じ。見なかった事にしてさっさと帰ろうと思った。
千聖と渉は私の側に逃げるように駆け寄ってくる。
それと同時にガタガタガタと社の扉が音を立てる、私達はその音に驚き、振り返らずに走り出した。