第4話 -いつか彼女の名を呼んで-
と、カッコつけたは良いものの。
「迷った……」
絶賛迷子中である。勝手知ったる街とはいえ、普段と道が違えば景色が違い、道は入り組み……大通りに出れれば話も変わるのだろうが、道は細くなっていくばかりである。どうやら生産施設が建ち並ぶ区域らしく、人通りもほとんど無い。
もし、くたばった養護施設の先生から学んだことがあるとすれば、上手く行かないときの深入りは御法度、ということだろう。舌打ちひとつと共に、引き返すことに決めた。
「ん……? 行き倒れか?」
細い路地裏。大型の室外機の向こう……その影から、人の足が2本伸びている。
「うぇ……死んでねぇだろうな?」
危機感半分、怖いモノ見たさ半分。俺は恐る恐る近づいていった。
女だ。長く伸ばした黒髪が特徴的、青く緩やかなワンピースを纏っている。見惚れるほど整った顔立ちだが瞳はそっと閉じられていた。口の辺りに手を近づけてみるが、呼吸は止まっているようだ。
「やべ、これ死ん……んん?」
俺は思わず1歩たじろいだ。図らずも全体を見渡す形になり、気付く。
膝近くの皮膚が――正確には電子人工皮膚が擦りむけ、中から黒いコード類が見えた。
「っはぁ、なんだ驚かせやがって、アンドロイドか……故障してんのか?」
反応はない。どうやら故障だ。決定。
さて、どうするか? 主に選択肢は2つ。
放っておくか、拾うかだ。
また、届け出るという選択肢もある気はするが、そこまでするのは面倒だ。このアンドロイドがどうなるにせよ、放っておいても同じ結末を辿るだろうし。
みおの所のアンドロイドのように、家事雑用をやってもらうにせよ、自宅は狭く安いマンションの一室である。モノもほとんど無く、さしたる手間があるでもなし。昨今、電気代は価格改定で値下げが続いていて有り難いが、家事サービスを受けるに当たり、利用登録やらシステム更新やらクラウドサーバー利用やら……何より現状、修理せねばならないことを考えると、導入までのコストが高すぎる。つか、こんな女性型アンドロイドを背負って自宅に持ち込もうモノなら、普通に変な噂が立つわ。中古として売ろうにもそんな好事家に知り合いは居ない。戦後、中古市場はアンドロイドによる安価なサービスに取って代わられ壊滅状態だ。
長々と考えてみたが、うちに持って帰る意味はほとんど無い。
「んー……悪ぃけど、放置かねぇ。もっといい人に拾って貰――ん?」
うちに持って帰るのは無理筋にせよ、うちでなければいいのでは?
ついさっきまで、既にアンドロイドを導入した実績があり、しかも慢性的な人手不足のご家庭に世話になっていたような。
「だぁぁ、クソったれ。一宿一飯の恩義がどうたらなんぞ言わなきゃ良かった」
義理堅いだなどと妙な評価を寄越した猫女のせいである。あれがなきゃ妙な軽口なんぞ叩かなかったのに。
俺はアンドロイドを背負うと、来た道をまた引き返していった。
†
「……だから面倒事を増やさないでくださいと」
早々再会を果たしたメイドさんの第一声がそれだった。
「いや、こいつアンドロイドだから」
「え? 人間ではないのですか?」
「膝んとこ見てみろ、コードとか見えるし」
「あ……本当ですね。んー……おかしいですね」
「どっか壊れてるのか、自分で動かないしな」
「いえ、そうではなく。ここの擦り剥いた所以外で、アンドロイドを示すパーツが見当たりません。――私のブリムのように、どこかしらにあるはずなのですが」
「取り外したって可能性は?」
「基本的に外せないようになっています。強引に外すと、内部の機構が剥き出しになってしまうので、更に目立ってしまうかと」
「ワンピの下とかは?」
「そういう隠しやすい場所に目印を付けてはいけないことになっています」
「そりゃそうか」
「幸いと言いますが、膝の所……内部に損傷がみられるようですが、ここだけで済むなら修理に出さなくてもこの場で直せるでしょう。必要な工具は先程呼びましたので、暫くお待ちください」
数十分後、宅配ドローンが庭先に飛んでくる。便利な時代である。
「にゃふう……おはよ……ああ、シンくんにゃ……」
「……もう昼過ぎだぞ?」
「うにゃ!? 一体それどうしたにゃ?」
「あー……拾った。なんか直せそうって言うから見て貰ってる」
「にゃー……綺麗な黒髪にゃ……ネコミミ着けたら似合いそうにゃ」
「何故そこでネコミミが出てくるんだ?」
益体もない会話の中、黙々と修理が進む。寝かせた彼女(?)の膝から一旦コードを引っ張り出し、千切れていた部分を結び繋ぎ合わせ、はんだ付けで固定。コードカバーのゴムはその熱で少し変質してしまったものの、補修剤で隙間を埋めるだけで新品同然とはいかないまでもかなり目立たなくなる。コードを仕舞い、一部剥がれかけた電子人工皮膚を外側からテープで固定。杜撰なようだが、特定の電気刺激を与えてやると自己修復機能が働き、くっつくらしい。人間のように無意識で治る訳ではないが、意識的になら自力で直せるということのようだ。ここから先の修復は、このアンドロイドの再起動を果たした後、自身でやって貰うとのこと。
「短絡を起こしていないようなので安心しました。恐らく不完全な状態で無理に動作しないよう、安全機能が働いていたのかと。念入りな設計がされているようです。起動信号を送りますね」
そして、壊れていたアンドロイドのずっと閉ざされていたまぶたがようやく開かれた。枕ひとつで寝かされたまま、その黒い瞳がこちらを焦点を合わせる。俺はその瞳を見つめていた。よくできている。本当に人間と区別が付かない。もし先程の修理の様子を見ていなかったら、勘違いしかねないほどだ。
「起動を確認しました。警告します。現在本機体は、管理者モードまたはゲストモードでの稼働を選択できます。管理者モードを利用される場合、パスワードが必要になります。入力しますか?」
「んー……困りましたね。初期パスワードであれば、機体の機番コードになっているはずなのですが……調べてみましょう」
どうやら、ネットにアクセスしてアンドロイドの特徴から該当するものがないか探してくれたようなのだが。
「検索、ヒットしませんね。お手上げです。よほど外見が様変わりするほどの不正な改造でもしてあるのでしょうか……」
「でも、見た目随分自然だぜ? 最初っからこうできてるっつか、改造してあるようには見えねぇがなぁ」
「私もそう思うにゃ」
「皆さんも心当たりはないようなので、適当に入力してみましょうか?」
「頼んだ」
「では……SX2045121712342567」
「パスワードが違います。管理者モードのパスワード入力は1日1回のみ可能です。ゲストモードで起動します……処理中……暫くお待ちください」
「なあ、さっきのどういう意味? なんか日付っぽかったけど」
「SXはセクサロイドに付けられる接頭語、2045年12月17日12時34分台に製造された256番目の機体、7は入力ミスを防ぐためのチェックディジットです」
「セクサロイドて」
性的サービス専用のアンドロイドの意味である。
「人間に極めて近い見た目でしたので。ここまで区別が付かないのは異常ですが」
「終戦後初のクリスマス、その一週間前っつーのも意味深にゃ」
「その日が最もセクサロイドが大量生産された日ですが?」
「そんな豆知識知りたくなかったにゃああ……」
その直截な物言いにネコミミを震わせて赤面する猫女。
「人に見た目が近いからセクサロイドっつーのもなぁ……」
「確かに、21世紀初頭のロボットのようなデザインも一部好まれておりますが」
ダメだ、男どもの業が深すぎる。
閑話休題。そんな馬鹿な話をしてる間に、起動が終わったらしい。
「――起動完了しました」
システムメッセージが終わる。ゆっくりと上半身を起こし、視線を周囲に巡らせている。そして、俺の方を向いた。じーっと、俺の顔を見つめてくる。え?
「わぁ、弟くんだ!」
謎の一言と共に、俺に抱きついてきた。は? 何故に?
「刷り込みで親じゃなく弟認定にゃ? なかなかぶっ飛んだアンドロイドにゃ」
「まさか、あなたもアンドロイドだったとは。存じ上げませんでした」
「いや、俺は人間だから!?」
「うん、そーだよ?」
「分かったから、一旦放せー!」
「弟くん反抗期? お姉ちゃん泣いちゃうぞ?」
といいつつ、放してくれる。アンドロイドがどうやって泣くんだよ、そうツッコミたかったが……名残惜しそうさといい、ホントに哀しそうな目といい……表情が飛び抜けて豊かで、反論するのもはばかられる。いや、表情だけではない。声音もそうだ。感情が籠もっているとしか思えない。何とも人間くさいアンドロイドだ。起動前の無表情な顔、無機質なシステムメッセージとのギャップも相まり、起動してからの躍動感が凄まじい。
「ふむ……。弟くんとは? 最初に見かけた男性のことですか?」
「え? 違うよ? 弟くんは弟くんだよ?」
「弟は一般的に、名前で呼ばれることが多いのですが、彼の名前は分かりますか?」
「え? 当然だよ、弟くんの名前は――あれ? 名前なんだっけ?」
「それなら、やはり最初に見た男性を弟と認識しているのでは?」
「ち、違うよ!? ただ、思い出そうとすると『Permisson denied.』ってエラーが出るんだもん!」
「どういう意味?」
「分からんにゃ」
「権限がありません? つまり、管理者モードで起動すれば思い出せるということですか?」
「そう! だと、思う」
どことなく不安げなのが気になるが。
「それでは、あなたの名前は?」
「同じエラーが出て思い出せないみたい……」
「型番は? いつ自分が製造されたかは分かりますか?」
「同じく分かんない……」
「……なんなんですか、この謎のアンドロイドは……せめて、作られた目的は思い出せませんか?」
「――ない」
「思い出せない、と?」
「目的はない」
「そんなまさか。ここまで精巧に人に似せて作られたアンドロイドに目的がないと?」
「ひょっとしたら、もう目的は果たしちゃったのかも? うう、さっきから同じエラーばっかり出るよぅ……」
「アンドロイドに求められる目的は、指定された仕事をこなし続けることで……基本的に終わりはないはずなのですが」
「そうなのかにゃ?」
「例えば私なら……主人がどこかで野垂れ死んだ場合、他の家で家事をすることになりますから」
「喩えが酷いにゃ!?」
「考えてみると悪くありませんね。主人、どこかで野垂れ死ぬご予定はありませんか?」
「ある訳ないにゃ!? これじゃ話が進まないにゃ。――その弟くんのこと以外で、何か思い出せることはないかにゃ?」
「弟くんが可愛いってこと以外で?」
「弟くん愛されてるにゃ」
「やかましいわ」
「……いつか私の名を呼んで」
「にゃ?」
「んー……なんだろうこれ、私が停止する直前の記憶? 壊れちゃってるみたいだけど」
「やはり名前がパスワードという意味でしょうか?」
「いつだったか、弟くんに言ったような……うーん、分かんないや。ごめんね?」
「つっても俺も記憶にねぇしなぁ……」
「お前さん、記憶喪失って言ってなかったかにゃ?」
「あー……10歳以前だったら、確かに思い出せねぇんだけどよ」
「いつ頃からか、詳しく思い出せますか?」
「覚えてるのは5年前、終戦直後ぐらいからだな」
「でしたら、それ以前……終戦前にアンドロイドに会っている可能性は相当低いと思いますよ? 民生用のアンドロイドが普及したのは戦後になりますから」
「ますます分かんねーな……」
ボリボリと頭を掻くが、それで思い出せる訳でもなく。
「いずれにせよ、名前がないと不便にゃ。名前つけてあげるにゃ、えっとにゃー」
「主人、お止めください」
「にゃ!? なんで止めるにゃ!?」
「主人のネーミングセンスはアレですから」
「アレって……そういや、メイドさんの名前なんて言うんだ?」
「にゃーた、にゃ」
「へ?」
「――HK2048051022222222。2が沢山なのでにゃーた、だそうです」
「女性型につける名前じゃねぇな……」
「どうか、まともな名前をつけてあげてください」
切実なメイドさん改め、にゃーたさん。
どうするか。女性っぽいのは大前提で……似合うとしたらどんな名前だろう? アンドロイドらしくなく、元気で躍動感があって……。元気、じゃ男性名だ。動く、動き……そもそも人名っぽくない。躍動……躍る、おどり……これも同じ。女性名っぽく……あ。
「舞、でどうだ? 舞台とか歌舞伎とかのあの字で」
「いいね、なんかしっくり来る気がするし! うふふ、そっかそっか、そう呼んでくれるのかー、嬉しいな」
「ん?」
直後、はっきり言って、俺のネーミングセンスも心底アレだったと後悔した。
「弟くんは、私のことをMyおねえちゃん、って呼ぶんだぞ?」
「うあ、墓穴掘った!?」
「これはもう、姉として認知してくれたと言っても過言ではないよね!」
「舞ちゃん、って呼んでいいかにゃ?」
「おっけー!」
「舞、でございますか。舞さんも名付けられてお喜びのようで……何よりかと存じます」
「うん、にゃーたさんもよろしくね!」
こいつら全力で外堀埋めに来やがった!? 舞の喜びようは、まさに手の舞い足の踏むところを知らずというか、今更やっぱりなしとはとても言い出せる空気ではない。
俺と馴染まない、きゃいきゃいと明るく華やいだその雰囲気がどこか遠く感じられる。なのにその切っ掛けとなったのは舞であり、更に言えば連れてきた俺が発端だなんて思うと、正直くらくらする。どうしてこうなった?