第25話 -飛び去る光よ、汝に一杯の酒を勧めよう。その2-
この作品は、経済SFです(キリッ
――と、気軽に言って伝わるほど、メジャーなジャンルになって欲しい……!
何が言いたいかと言いますと、貴重な経済SF小説、
「クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界」ヤニス・バルファキス著、江口泰子訳――が出版されて凄く嬉しいという話。
近くの本屋を巡るも売り切れてたのでamazonのお世話に……書き終わってすぐ届いたので、早速読みます。
というわけで、経済系のサスペンスでもミステリーでもなく、『経済SF小説』ですっ!よろしく!
※2021年10月24日、第21話タイトル他、トリオネア→トリリオネアに変更。
元々どっちにしようか悩んで日本語の語呂を優先してたんですが、マジで目指す宣言をした大富豪がいるようだったので、そちらに合わせる形で。2030年に間に合うのかな……?
2030年9月1日、日曜のことっす。
え? なんでそんな20年も前の日付と曜日をいちいち覚えてるにゃ? っすか?
そりゃこの日が抗老薬の発売日だからっすよ。人類が老いに打ち克った記念すべき日のお話……まぁ、2050年の現状を見る限り、問題になる大きな副作用もないみたいですし。あ、今のエリクシルは当時から何度も改良を加えられているので、今ほどの効き目はまだなかったはずですけど。
偶々早い時間、日の出る前の……5時ぐらいっすかね? それぐらいに目が覚めて、気分転換がてらエレベーターで地上研究所へ。ドアを開けた。
「――って、学園長!? こんな時間に何してるっすか!?」
「あら、朝から騒々しいですよ」
オレを横目で見つつ、茶を啜る学園長と、傍らで給仕をするマイフェアレディ。むしろ朝っぱらから何してるのこの人。
「マイちゃん、すっかりお茶を淹れるの上手くなったわねぇ……」
「好みに添えましたか? 少し渋めが好みとのことでしたので、遅摘みの中級煎茶をやや高めの温度……88℃強で淹れたのですが」
「バッチリね! ……もう一杯、ケント君の分もお願いできるかしら? 二番煎じで良いわ」
「かしこまりました」
そこで、がちゃりとドアがまた開く。
学園長は苦笑いで、「3人前ね」と付け足した。
「ああ、おはようございます、学園長」
「ええ、おはよう、公平君」
「驚かないんすねぇ……コーヘイは」
「ああ……もう慣れた」
「慣れっすか」
「慣れだね。気付いたらそこにいると思えばいいよ」
「いつの間にか這い寄ってるんすね、分かります」
「人を化け物みたいに言わないで貰える?」
つねられた。痛ぇ。
「ああ、ありがとう、マイ」
「……そういや、コーヘイって博士号取ったんすよね?」
「あー、経済学で一応ね」
「いやいや、立派なもの――ん? どうしたっすか?」
「まぁ、こればっかりはねぇ……」
「……お世話掛けました……」
2人は遠い目。
「ケント君、忘れてるかもしれないけど……公平君の相方は桜さんよ?」
「……詳しく」
「卒論も修論も博士論文も困ったときは大体泣きついてたわね……」
「うぐ……」
「まぁ、ちゃんと試験はどれも合格ラインには届いてたわよ? ギリギリだけど……むしろ、よくここまで赤点もなく合格水準ちょい上で収まるものだと逆に感心するぐらい」
「お世話掛けました……いや本当に」
「あと、博士号を取ったら取ったで、丁度いいタイミングで教授の席が2つ新設されたわ」
「むしろ大丈夫っすか? 他の教授との軋轢とか面倒になりません?」
「ああいや、それは大丈夫。むしろ、いつもありがとうな、頑張れよ! 的な対応が多い、正直胸が痛むよ」
「え?」
「そうねぇ……。ヒント1、桜さんを抑えられるのは公平君だけ。ヒント2、これまでの桜さんの学園への寄付総額は全教職員の生涯収入に匹敵する」
「……竜宮学園ってどれぐらいの規模でしたっけ」
「小中高大一貫で、学生数は9477人……教職員は1109人いるわね」
「何千億円ぶっ込んだんすか……?」
「この少子化の時代に、学生数が微増傾向なのは有り難い限りよ」
「んー……? それでもやっぱ、やっかみとかないんすか?」
「じゃあ、とびきりのエピソードね。あれは桜さんが中学3年の夏休み、この学園に編入してきてすぐのお話……」
「ちょっと待ちなさいっ。何話してるんですか学園長ッ」
扉を開けるなり、大慌てで止めに来たサクラ。ちっ。
「もうちょっとで弱みを握れるかと思ったっすけど……」
「当時の桜ちゃん無双伝説の第2幕を話そうかと思ったのに……」
「なんですか私の無双伝説って!?」
「よし、許可出たわね」「違ッ」
「そう、あれは彼女が中学3年生、編入してきたばかりのこと……」
†
その提案をしてきたのは、大学部理学部の学部長からだったわ。
「学園長、ご相談があるのですが――」
「ええ、何かしら?」
「先日の、編入生……宝月桜さんでしたかな? 大変才能ある子だと聞いています、是非一度お会いして――もし興味を持たれるようでしたら、理学部の研究室に見学など誘ってみたいと思いまして」
「そういった優遇は、生真面目な貴方にしては珍しいわね……何か気になることでもあったのかしら?」
「ええ、ええ。勿論ですとも。試験成績もそうですが、気になったのは暗算が極めて早く、数学オリンピックで大活躍してしまうほどの数学の才能をお持ちとか!」
「確かに、貴方は数学専攻だったわよね? 理由はそれかしら?」
その学部長は、数学畑の教授で……世間一般の人が数学者に抱きがちな、浮世離れしたイメージからはかけ離れた方だったわ。理学系の教授としては、論文の引用数・被引用数共に突出していて、難解な定理の証明より、応用性の高い問題に積極的に関わり、学会に大きく貢献、コミュニケーション力も高く……と大変頼りにしていたわ。
「ええ、それもありますが。何より、興味を引くのは……暗算と数学の才能は別物だということです。普通、その2つは両立しないんですよ」
「……そういうもの?」
「ええ、だって、暗算の才能とは計算を早く解くもの。数学の才能とは計算を上手に省略して解くものです。早く解ける人ほど、工夫をしない。その必要がありませんから。逆に、工夫して解くのが上手い子ほど、計算は却って下手だったり、工夫してそこそこ早くはなるけれど……暗算で10段なんてとてもじゃないですが無理ですよ。私はまぁそこそこの側ですが……実を言えば、計算が苦手な数学者というのも決して珍しくはないのです。いやぁ、ジョン・フォン・ノイマンか、ラマヌジャンか! とてつもない才能かもしれません!」
ノイマンはコンピューターを発明した、暗算の早さも有名な20世紀最高峰の天才。
ラマヌジャンも数学史上、直感的かつ天才的な閃きを持つことで有名な予想の天才。
ひょっとしたらそれに匹敵するのでは? なんて考えたようだ。
「なるほど、言いたいことは分かったわ。あの娘なら――」
そして、その翌日。
彼は辞表を提出したわ。
……いやまぁ、必死に止めて事なきを得たけどね?
†
「……。あの、一体何があったんすか?」
「桜さんの数学は独学だったから、最初は話が通じなかったらしいのよ。似たような概念に違う名前を付けてたみたいね。話す内に打ち解けてきて、盛り上がって――気付いたら、老後の楽しみにとっておいた、数学の未解決問題が解けていたらしいわよ? 100万ドルの賞金が掛かってる類の」
「何?」
「是非、論文の共著を、とか、名前だけでも――って話になったらしいんだけど、桜さん断ったらしいのよ。システムトレードのプログラム書いた方が儲かるからって」
「うう……もうその話は……」
「まさか、ノイマンとラマヌジャンを足して2を掛けてしまったような娘が居るとか誰が思うのか。お願いだから才能ある人が数十年の年月で磨き上げた才覚に数時間で追いつくのは勘弁して頂戴、心臓に悪いから」
「お母様、お母様!」
「何? マイどうしたの?」
「それじゃあ、円周率の小数第528位は何でしょうか?」
「円周率? 円周を直径で割ればいいのよね?」
そんな当たり前のことを――そう思う間もなく。
「――4ね」
「え? 覚えていたのですか?」
「うん? 7回も反復すれば解けるでしょう?」
「……いえあの、ガウス=ルジャンドルのアルゴリズムでも10回は――ええ? お母様どうやってお解きになったのですか!?」
「頼むから人間に分かる会話してくれないっすかねぇ……?」
「お母様が、円周率の手計算の最高記録を秒で塗り替えました。計算方法は不明、現在知られているどの解き方よりも効率的な方法を編み出されたよう、です?」
「お願いだから、計算に一生捧げた数学者の記録を秒で超えないで貰えないかしら?」
続く思い出話。意外や、その話を継いだのはコーヘイでした。
「……それじゃあ、僕からも桜の無双伝説をひとつ」
「う……聞きたくないかも、でもアナタからの話なら聞きたいかも!?」
サクラは混乱している。オレ達は畳み掛けた。
「ええと、高校2年生の春の話。僕と桜は同じ理系クラスで、数学B、数列に関する授業だったんだけど……」
ホワイトボードに数式を書き込む。
1/6 + 1/6の2乗 + 1/6の3乗 ……
「初項6分の1、項比も6分の1の無限等比級数の和は? という問題だ……ケントは解ける?」
「えーと、これぐらいなら余裕っすよ!」
まず式全体を合計Sでまとめる。
S = 1/6 + 1/6の2乗 + 1/6の3乗 ……
式全体を6分の1倍する。
S/6 = 1/6の2乗 + 1/6の3乗 ……
式全体を丸ごと引けば、無限の項が消えてくれるから――
5S/6 = 1/6
「はい、不正解」
「え? どこがっすか?」
「無限個の項を足し合わせているのだから、Sが無限大の可能性を考えなきゃいけないわね。そうでないなら数学ではない」
「ケントと同じミスを教育実習生の人がやってしまってね……」
「ああ、その頃は、桜さんの寄付金で教員を増やしたんだったわ」
「ああいや、それで終われば、ちょっとした笑い話で済むんだよ。これには続きがあって、桜はこれをこのように解いた」
1/6 + 1/6の2乗 + 1/6の3乗 …… = 1/5
「……ちょっと待つっす。途中経過全部省いちゃってるじゃないっすか? それのどこが誠実なんすか?」
「桜はこう言ったんだ。この数式は、6面体のサイコロで1が出る確率、ただし6が出た場合は振り直すものとする――これに等しい。1~5の目が同様に確からしく出るのだから答えは5分の1。ついでに言えば、確率なのだから0以上1以下……無限大にならないのは自明、と」
「え、サイコロの……? あ、言われてみればそうっすね」
「僕達はその前の年に数Aで確率をやっていたし、理系クラスの面々だったからね。最初に実習生の先生が、次いでクラスの皆で拍手をしたよ。桜は、僕達が知っている知識の応用だけで、簡単に答えに辿りついた――僕達が無味乾燥だと思っていた数式の向こう側に、文章題を見ていた――その感性こそが桜なんだなぁ、って」
それを聞いて、サクラはちょっと得意げにしてたっすけど。
「もっとも、それで僕を始めとして理系生徒数名の心が折れて、文系クラスに移ったんだけどね」
「洒落になってねぇっすよ!?」
「そしたら、桜も文系クラスに移ってきたし。まぁ、それで同じクラスのまま卒業までいったんだけどね――結果僕は文系路線から経済学へ進んで、今に至ると」
「まぁ、その後は大学でもずっと一緒だったじゃない!」
「そうだね……僕が必死に博士号取ってる間に、桜は4つ同時に取ってたよね……」
何かおかしい。なんなんだこの夫婦?
「ああ。それでっすか……」
「ケント君、このおしどり夫婦の片割れに、嫉妬とかする勇気、ある?」
「ないっすね。末永くお幸せに、できれば巻き込まないようにして欲し――」
「「「いや、お前はもう巻き込まれてる」」」
神は何処に。がっくしっす。
「うーん、これだとフェアネスに欠けるわねぇ……公平君の面白エピソードとか話すべきかしら?」
「うぐ」
「これは桜さんも知ってる話だけど……」
流石、学園の生き字引っすね。
「3年前、2人が博士号を取って結婚して……日本一の大金持ちと結婚したってことで公平君も世間で注目を浴びたのよ。一度だけ、テレビにも出演したのよね?」
「うう……はい……」
「学者として、近頃話題のMMTに対してのコメントを求められて、ええと、なんだったかしら、Mえ……っと……?」
「あー、MLT、現代労働理論という……、まぁ何というか、その場のでっちあげだったんだよ。ベーシックインカムのような社会保障をするぐらいなら、雇用保障で働かせた方が良いだろうというのがMMTの結論。だったら、AIが人間の代わりに働いて、人間が人力発電所でAIに必要な電力を作る……資本主義を皮肉ったディストピアものの古典SFの世界が実現しかねないだろう? それでは本末転倒だ、労働の実務面に焦点を当てた理論を考えるべきでは? という反証だったんだけど……ものの見事に、言葉だけ一人歩きした。週刊誌やらで特集を組まれたりして肝が冷えたよ……」
「それなら、電話1本でちゃんと止めてくれたじゃない」
「そうだね。桜が週刊誌に広告を出してる有名なビール会社その他諸々の株式を一揃い買った後で、電話したら止めてくれたよね……」
「相変わらず動いてる金額がおかしいっすね……」
「まぁでも、桜さんのやったことは、きっかけはどうあれ良かったと思うわよ? それ以来、右寄り左寄りの極端な記事が減った気がするわ。マスコミが中立なのは嬉しいことよ」
「そういや、MMTショックの時もチャイナマネーが米国のマスコミに――みたいな話があったっすね。国防適って一石二鳥っすか」
抗議の電話だけなら、夫想いの奥さん、で済みそうっすけど……なんで裏で政治や経済を牛耳ってるんすかね……。
「さて、最後はケント君ね。……と言ってもねぇ、私が知ってる失敗談なんて……泥酔したまま太平洋越えたことぐらいしか知らないんだけど……」
「止めて欲しいっす、もうその話は……てか、それなら学園長はどうなんすか?」
「あら私? ……特にないわね、完璧な淑女ですので、おほほ……」
「マイ、学園長っていつ来たのかしら?」
「朝3時です、お母様。随分落ち着かないご様子でしたが……?」
「幾ら今日がエリクシルの発売日だからって、早過ぎるわ……」
「あらやだ、偶々早起きしただけですよ」
「朝早いっすねぇ……流石ババ……痛ってぇええ!」
確かに、失礼したっす。あのピンチ力、年寄りの握力じゃあなかったっすよ。
「……確かに彼の件で約束はしたけど……。まだ届いていないわよ?」
「何? オレの件って何すか?」
「米国からケント君を連れてきたら、エリクシル一生分プレゼント! って言われちゃってねー。つい攫っちゃったわ。めんご、めんご♪」
「おいこら、何してくれてんすかお前ら!?」
肩を叩かれた。コーヘイだ。彼は瞑目し、小さく首を横に振った。
オレは大きく……それはもう人生最大級の溜息を吐いた。
そんな調子で長話をしていると。
「皆様、そろそろ朝食の準備を致しましょうか?」
時計を見れば、7時を回ってたっすね。
待機していたマイフェアレディの提案を受け、そのまま朝飯の流れ。手軽に食べられるサンドウィッチで、学園長も一緒に食べることに。
「最近はなんか目新しいニュースとかあったっすか?」
「日本の国会は荒れてるわ。MMTショックの影響で、日本の管理下に入った米国州のひとつに核兵器が保管されていたらしいのよ。野党の女性議員が『一体どうなってるんですか!!!』と気炎を揚げて」
「……ああ、非核三原則だったっすか? ええと……」
「持たず、作らず、持ち込ませず、だね。与党、全民党所属の財務大臣が反論していたね。あれは笑った……『いちいちうるせぇな、落ちてたんだから仕方ねぇだろ!!!』だったっけ」
「……それどころじゃないのに。日本の政治は平和でいいわね……」
「まぁまぁ、桜さん。そのやりとりの後、全民党の支持率は僅かに上がったそうよ。ねじれ国会だの何だのになるよりはいいんじゃないかしら?」
「国際的にはどうっすか? 中国とか」
「米国で派手なパフォーマンスをかました後は、スリランカの港湾……99年租借地になってたアレを早期返還したり、米国亡き今、世界経済の安定に協力すると訴え、存在感を増しているわね」
「別に米国は亡くなってねぇっすよ!?」
「私に言われてもねぇ。そう国家主席が言ってたってことよ」
「……北風と太陽。マッチポンプ。人民元を普及させたいだけでしょうに」
「んで、サクラはどうなんすか?」
「私はピエロじゃないわ。地道にコツコツやるだけよ?」
「地道? コツコツ? オレの知ってる日本語と意味が違うみたいっすね。コーヘイ、ちょっと翻訳して貰っていいっすか?」
「なによ、真面目に日本や米国の株式を買って、地歩を固めているだけよ? ……マイ、首尾は上々かしら?」
「はい、お母様。本日は581社との会談を予定しています」
「……桁おかしくないっすか?」
「Web会議システムを使って、マイに対応して貰っているわ」
「ああ、ディープフェイクっすか?」
「そう、それよ。私の身体と声を模倣したリアルタイム合成動画で、幾つもの会社と同時進行で交渉しているわね。上場株式だけじゃなく、非上場株式や非公開株式も押さえておこうかと」
「……異次元緩和の広域版ということかい?」
「そうそう、アナタの言う通りよ」
「どういうことっすか?」
「異次元緩和というのは……日本で2013年から実施された量的・質的金融緩和……国債や上場投資信託の買い入れによる資金供給量を……うーん、もっとざっくばらんに説明した方が良いか……ええと、市場……世の中にお金をどーん、と大量に流し込んだら、景気が良くなるんじゃないかな、という政策だ」
「えっ……と? それって上手くいくんすか?」
「これの前提にあるのが、トリクルダウン仮説。富める者が富めば、貧しい者にも自然と富がこぼれ落ち、経済全体が良くなるという経済仮説だ。残念ながら、大規模な金融緩和によって、富める者は将来への不安を感じてしまう。結果富める者はしっかりと富を貯め込んでしまうために、貧しき者には全然行き渡らない。ことはそう簡単じゃない……のだけど」
そこで一度言葉を句切り、コーヘイはサクラに向かい合う。
「銀行や上場企業だけじゃなくて、中小企業も対象にしてる……という事だよね?」
「そうね。ただ、別に経営権が目当てではなくて、一番大事なのは会計帳簿の閲覧権だけれど。まぁ、配当もあれば嬉しいわね」
「うん? 会計帳簿の閲覧権……少数株主権の?」
「そうね。ああ、さっきアナタの言ったトリクルダウン仮説が上手く行かない理由だけれど、先行き不安という心情的な理由に加えて、システム上の問題もあると思うわよ? 基本的に労働者から資本家へ、資本家から政府へと富は流れる……それが税金という仕組み。トリクルダウン効果は税金の仕組みによって相殺されてしまうでしょうね」
「うーん、となると、底上げ……ベーシックインカムのような政策が効果的?」
「システム的には。ただ、アナタの言う心理的な……社会不安から労働者が貯蓄に走る可能性は残るでしょうけど。まぁ、私は政府任せにする気は元からないわ。私の目的は、できる限り多くの企業の会計帳簿の情報を得て、お金の流れを正確に把握すること。必要な所にお金が回るようにして、企業同士の連携を徹底的に強化する。専守防衛を基本戦略とした地歩固めよ。特にマイ、覚えておいて頂戴」
「はい、お母様」
「お金の本質は、数量ではなく方向量であるということ。それを見落とせば、数学ではなくなるわ」
社会経済という、精巧無比なる精密機械。その仕組みを熟知し、最大効率で動作するよう、適切に潤滑油を注し続ける。
言うは易し、行うは難し。サクラの知性が如何に優れようと、その身はひとつしかなく。
その目に世界全てを捉えることはできず、広げる腕は短過ぎた。
その限界を超えるべく、サクラの教えを忠実に学習するマイフェアレディ……世界最初の経済兵器は、静かに稼働を始めていたのだ……。
「まぁ、この戦略の欠点は相続税が天文学的金額になることね。……長生きしなきゃいけないわ――っと、来たようね」
チャイムが鳴り響き、荷物が届く。
世界初の抗老薬エリクシルが彼女の戦略を後押しする。
必要なものが必要なときに、彼女の元へと取り揃う。予定調和の秘蹟。
「MAD社製――大丈夫すか、この会社」
「ええ、私がMMTショック前から株式を保有し続けてる数少ない会社のひとつよ。凄腕の技術者揃いなんだけど、経営が致命的に下手で……色々助力してるうちに、大株主になっちゃったわね。ようやく配当に期待できるかしら」
「確かに……テロメアの仕組みがどうのとか、以前から色々言われてはいたけれど……皮下注射でもなく、経口摂取でそれを実現しちゃう辺り、とんでもない技術力だよね」
オレ達の前に並ぶ4つの瓶。各々が蓋を開け、中身を呷る……ッ!?
「ちょ、私、この匂いきっついんだけど!?」
「味もこれ……甘いわ苦いわ、やばくないっすか?」
「けほっ、これを飲むのは普通に無理だよ……」
強烈なフレーバーに、口を付ける前に拒否反応を示したサクラ。
コーヘイも一口でノックアウト。
オレは……とろりと濃密かつ、果実を限界まで濃縮したような香り、甘いような苦いような嫌な薬品っぽさ……あれ……?
「いやこれ、濃厚すぎるだけで、ハイボールみたいに、炭酸で割ったら案外いけるんじゃないっすか?」
「しょ、正気なの!?」
「ケント、早まるな、これを炭酸で……だと……?」
グラスに氷、そこにエリクシルを注ぎ、かき混ぜてから炭酸水を注ぎ足す。シュワシュワと泡立つ、カラメル色のドリンクの出来上がり。オレは脈打つ鼓動を感じながら、それを一気に喉に流し込んだっす!
「いいな! 一気に知的な飲料になったっすよ!?」
「え? ホント? ……あー、まぁこれなら確かに飲めるわ」
「……いやあの、これさ……」
飲みながら、別の意味で微妙そうな表情を浮かべたコーヘイ。
「――なんで炭酸で割るとドクターペッパー味になるんだよ!?」
「……開発者が無類の炭酸飲料好きのようですよ?」
インターネット上から情報を拾ってきたマイフェアレディによる補足。MAD社の連中はやっぱ頭おかしかった。
「――くぅ、五臓六腑に染み渡るぅ! サクラさん、もう一本良いかしら!? ……あれ、皆どうしたの?」
原液を味わいながら愉しむ度量。
あの……学園長、味覚大丈夫っすか?
学園長(88)「くしゅんっ……誰か噂してるのかしら?」
BB>『エリクシル発売以前は、美容の為なら如何なるゲテモノにも手を出してきた……2050年現在では驚異の肌年齢=実年齢-70歳を達成している』
学園長(88→18)「ま、気のせいよね♪(きゃぴ」
次回、『飛び去る光よ、汝に一杯の酒を勧めよう。その3』舞ねぇ歓喜、信一くんが生まれた日のお話。
続きが気になる方、早く読みたい!って思ってくれた方いらっしゃいましたら、
最新話のあとがき下のところから、評価を頂けると作者のテンションが上がります。是非よろしくm(_ _)m