第2話 -人間未満の少年のお話-
この世界はクソだ。
なるほど、金って奴は信用のバロメーターらしい。だった、というべきか?
賭博もダメ、投機もよろしくない。
だとすれば、『それしかない』現状はクソったれと言うほかない。
「――ダブルダウン」
俺は次に引くカードをラストとして、掛け金2倍を宣言した。
ここはカジノで、ゲームはブラックジャック。掛け金は10万から20万へ。
ディーラーは「9」「?(伏せ札)」
俺は「5」「6」で合計11。
合計でギリギリ21を目指すこのゲームで、ディーラーは合計が17以上になるまで引く義務がある。「8~10」「絵札3種(10扱い)」「A(1か11だが、この場合は11扱い)」で13回中7回ぐらいは、21――ブラックジャックに届かない。
そして、他の参加者の札を再確認。
「4と7」「2と3」「7と6」素晴らしい。
見えてる札には、10や絵札が1枚も出ていないのだ。
つまり、これから引くカード……あるいはディーラーの伏せ札は10扱いになるカードの可能性が高い。つまり、ディーラーは合計19止まりになる可能性が高く、俺はブラックジャックが狙いやすい。まさに勝負所だ。
カードが配られる。来たのは、スペードの……「K」。
ブラックジャック成立。思わずぐっと手を握る。
プレイヤー達がそれぞれ、ヒット(もう1枚)だの、スタンド(ここまで)だの宣言していくが、最早どうでもいい。はよ終われ。
そしてプレイヤーのカードは全て確定。ディーラーの伏せ札が公開される。
そのカードは……「8」。合計17。もう引くことはできない。
飛び上がらんばかりの衝動が身を包んだ。ブラックジャックで勝った場合、普通に勝つよりも配当が多い。20万賭けていた場合、配当は1.5倍……最初の掛け金込みで50万の払い戻しだ。この数分の間に、30万を手にしたことになる。2ヶ月は生きていけるだけの額だ。
アンドロイドのディーラーが「おめでとうございます」とチップを寄越す。無表情なはずのLEDランプの瞳に、祝福の笑顔を感じるのは俺の思い込みだろうか?
「ほっほっほ……調子がええのう坊主?」
「ん? なんだ爺さん、アンタも勝ったのか?」
同じくチップを受け取っている、隣の席の小柄な老人。
「4と7と7」……合計18でギリギリ勝ったらしい。10万の勝ちだ。
俺達は次の勝負を要求した。掛け金は10万だ。他の2人は悩んでいるようで、ちょっとした小休止になっている。
「どうだ、坊主……こんなちまちまやっとっても楽しくない、ワシとサシで勝負せんか?」
「サシで? 幾ら?」
「そうじゃのう……500万なんてどうじゃ?」
「ぶっ……性格悪ぃなジジイ……」
俺の手持ちは、510万。この勝負に乗り、ディーラーとの勝負にも負けるようなら全財産を喪うことになる。
だが……ジジイはさっき、合計11から18に。俺は同じく11から21に。ツキの流れは、俺の方に来てるんじゃないだろうか? 悪魔の誘惑。だがリスクが高すぎる。
「んな勝負は――」
「なんじゃ坊主、そんな弱気じゃ、勝てるモンも勝てやせんぞ? ぬはは」
なんだこのクソジジイ。
「よし、その勝負乗ッ」
――ガツン☆
星が見えた。背後から誰かが俺の頭を殴ったらしい。
「馬鹿な賭けは止すにゃ」
「痛ったぁ……何すんだこの――」
振り返り、息を呑む。
背後に立っていたのはネコミミを着けた女だった。軽く肩に掛かる茶髪に黒のメッシュを入れたツートーンヘア、色素薄めの白い肌……三毛猫みたいな色合いだなというのが第一印象。やや切れ長の瞳は強い意志と活力を感じさせる。呆気にとられた。可愛いとは思う――だが、ネコミミに猫語ってちょっとあざとすぎやしませんかね? 調子が狂う。
「何すんだよ、良いとこだったのに――」
「どこがにゃ? 思いっきり騙されてるにゃ……じーさん、初心者いじめも大概にするにゃ」
「な、なんのことかの?」
「……勝負前にディーラーさんに質問にゃ。ブラックジャックで気持ち良く30万ほど勝つ権利、幾らで売ってくれるのにゃ?」
「30万3000円になります。ご購入されますか?」
「はぁ!?」
「お前そんなことも知らずに勝負してたのにゃ? 今のご時世、金で買えないものなんてないにゃ」
つまりあれか? このジジイ、あらかじめ差額手数料3000円覚悟しとけば、必ずブラックジャックっつー最強の役が手に入り、俺はそれに無策で挑むとこだったと?
そして、カードが配られる。
俺は「7と8」で15、正直悪い。
ジジイは「4と6」で10。
俺は追加で1枚引いたが、「J」で25。21越えのバースト負けだ。
ジジイはダブルダウンを宣言し、「A」でブラックジャック。
なお、ディーラーは「Qと7」でまた17。
……ジジイは、ブラックジャックで気持ち良く30万ほど勝った。
「ひょひょ、ワシはこの辺でおさらばさせて貰うとしよう。懲りるでないぞ若人! ぬはははは!」
とても年寄りとは思えない機敏さで、チップを受け取り去っていく。マジかよ……。
「すまねぇ、助かった」
俺は素直に感謝を告げた。
「にゃはは、情けは人のためならず、にゃ? あのじーさんが声掛けたってことは、今日は勝ったにゃ? なら祝勝会しかないにゃ!」
「お手柔らかに」
これで少々奢るぐらいは勉強料だろう。
†
カジノ併設のBARにて。
「マタタビ酒ひとつにゃ!」
「おいおい、そんなんある訳――」
すっ、と無言でグラスを差し出すアンドロイドのバーテンダー。この猫女が店の扉を通った時から既に準備していたようだ。
「え? マジであんの? ――あ、俺ウーロン茶ひとつ」
「にゃー……そこはチャレンジ精神を持つべきじゃないのかにゃ?」
「いやだって俺、まだ15だしよ」
「にゃ? まさか見た目通りの年齢の人にゃ? お仲間さんにゃあ♪」
思わず苦笑い。エリクシルが実現しているご時世、見た目通りの年齢の奴なんてなかなかいない。あ……。
「そうか、あのジジイが見た目通りとは限らねぇよな」
その辺、疑って掛かるべきだったか?
「にゃ? 多分見た目通りだにゃ。若返るより年取る方が難しいなんて、妙な時代になったもんにゃー」
「違ぇねぇ」
エリクシルの値段は1本5万円前後。ライツと同じく、エリクシルは市場取引で価格が常に変動する。バイオテクノロジーの逸品で、約20年前に開発されたが……一般に流通するようになったのは大戦後からだ。開発コードネームは半分冗談だったのだが、そのまま商品名になったエピソードがある。なお、ファンタジー作品にあるような万病の治療薬というものではなく、若返るだけの薬である。週1本飲み続ければ、高校生ぐらいの身体まで若返ることができる。あくまで全身の細胞を活性化させるだけなので、幼くなることはない。若さを維持するだけなら月1本で充分だ。
「にしても15でカジノに入り浸りとは、ロクでなしもいたもんにゃ」
「んだよ、16で酒飲んでる奴に言われたく――」
「にゃにゃ!? それはトップシークレットにゃ、一体――」
「うん、勘だな? はは、語るに落ちたな」
なお、飲酒は18歳以上推奨となっている。数十年前ほど厳しくはない。
「にゃー……一本取られたにゃ……。おねーさん風吹かせたかったのににゃ」
がくりと肩を落とす。その心情に沿うかのごとく、へたり、とネコミミが萎れた。
「え?」
「にゃ? どうしたにゃ?」
ネコミミがぴんと立つ。え? 何故動く?
「えいっ」
「にゃにゃにゃ!? 急に耳に触るとか……何するにゃ!」
「え、これカチューシャとかじゃねぇの?」
「どっからどうみてもマジモンに決まってるにゃああ! はーなーすーにゃー!」
「お、おう、悪ぃ」
「ホントに悪いと思ってるのかにゃあ……」
大事そうに自分の耳を撫でる猫女。
「ど、どういうこった……?」
「ふふん。この猫屋敷みお、猫好きに関しては一家言あるにゃ」
「んんん? 猫屋敷……ってあれか? 郊外にある、冗談じみた『ねこやしき』って表札が掛かってるっつー猫まみれの猫屋敷? 行けば何十匹もの可愛い猫に会いに行けるとかって、一昨年ぐらい軽く話題になった? ……あれ名字だったのか?」
「にゃはっは、有名になったもんにゃ。だが言っとくにゃ、とっくに3桁超えている……とにゃ!」
俺は頭痛をこらえるように額を押さえた。
「ある日思ったのにゃ……なんで猫ってこんなに神々しいんだにゃ……? そう、気付いたら、私は猫になりたいと思うようになっていたのにゃ!」
「あー……どこから突っ込んでいいんだか分からないんだが」
「まずは、言葉に『にゃ』がつく人工声帯を取り付けたにゃ。2000万掛かったにゃ」
「おい?」
「そして麗しきかなこのネコミミにゃ! お値段なんと……2億!」
「馬鹿なのか?」
「残念ながら、ねこしっぽはないにゃ……元々ない器官を取り付けるとなると、20億掛かるって言われたのにゃ……でも私、諦めないにゃ!!!」
「つぅか付けれるのかよ……」
「マイフェアレディさまさまにゃ!」
超高度人工知能の無駄遣いも甚だしい。
「はー……ま、目標の馬鹿馬鹿しさっつったら俺も似たようなもんか」
「ん? 君も20億貯めるつもりにゃ?」
「そこまでじゃねぇよ。俺の場合は2億……で、済めばいいんだがなぁ……」
遠い目でグラスを一口。
「ネコミミ……似合うかもしれないにゃ」
「いや、ネコミミ着けたい訳じゃないからな!?」
「ふーん、一体何を買うつもりなのにゃ?」
「ライツだよ、だって俺ライツ持ってな――」
がちゃん、と猫女――みおはテーブルからグラスを落とした。驚いて、ではなく、わざと弾き落とした?
「とと、マスター、グラスの弁償と掃除、合わせて2人分の会計お願いするにゃ!?」
「800円になります。お支払いは――」
「私名義で頼むにゃ!」
支払いは一言で済む。顔・声紋・監視カメラからの行動履歴エトセトラから個人が特定され、仮想口座から決済完了。まぁ、こんなネコミミ女をどう見間違うのかという話だ。
彼女は俺の腕を引いて店を出る。カジノも素通りして外へ。
「へーい、タクシーかもんにゃ!」
キッ、とブレーキ音。すぐに1台のタクシーが止まる。強引に中へ連れ込まれた。
「おい、突然どうし――」
口許に指を1本。黙れとばかりに睨み付けられる。
「運転手さん、盗聴器対策や防音への配慮はどうなってるにゃ?」
「万全です」
「この中での会話が、後日漏れるような可能性はあるかにゃ?」
「お客様の機密保持は完璧です」
タクシーの運転手相手にするには異常な質問の数々だが……アンドロイドの運転手は速やかに答えを返す。
「では、出発して欲しいにゃ。追ってくる車・人などがないことを確認しつつ、テキトーに市内を走り回った後、この子の家に連れて行って欲しいにゃ」
ふぅー……と長い溜息をつく猫女。
「お前は馬鹿にゃ……ライツがないとかあんな場所で言うことじゃないにゃ……」
「え? なんで?」
「危機感が足りなさすぎるにゃ!? いいかにゃ、人権がないってことは、基礎収入が入ってこないってだけじゃないにゃ! 病気怪我の治療にも保障が受けられないし……何より、お前殺されたって器物損壊扱いになるって分かってるにゃ!? カジノみたいな治安が悪いとこうろつくもんじゃないにゃ! 保護者は何して――」
「ああ、養護施設の先生のことか? 3年前に首吊って死んだけど?」
「殺されても訴える奴さえいないってお前にゃ……」
「なぁ、それってそんなに気にしなきゃいけないことか?」
俺は、この苛立ちを笑顔に包みながら、語り聞かせるようにゆっくりと話を続けた。
「例えばそうだな、その施設の先生の話だ。そこには13人の子供がいた。そのうち、1人は親が騙された結果、ライツを持っていなかった。あ、これは俺じゃないぞ? それでどうしたと思う?」
「え? ええと、にゃ……」
「時間切れだ。正解は、先生が12人分のライツを預かって、皆等しく扱うことにした、だ。先生含めて13人分の収入があれば、14人の生活を支えるぐらい楽勝だとね」
「それで、ライツを持ち逃げされたにゃ? とんだ悪党――」
「はは、それだと首くくった説明がつかねぇだろ? ……もしそうだったら、騙された俺が馬鹿だってんで済むんだろうがな」
溜息を吐き、続ける。
「そらもう、疑う事が馬鹿みてぇになるような、お人好しを絵に描いた先生だったよ。だからこそ、子供達が人間未満の扱いを受けるのを許せなかった。月260万の収入。それをこつこつ貯めて、足りないライツを1つ買おうとしたんだよ。だが、地代の支払いもある。まだ10歳前後の子供に、どれだけ節制を強いられる? それでも月100万ぐらいは頑張ってたかなぁ。当時、7000万ぐらいだったライツ、70ヶ月……6年あれば買える計算だった。が……ある時、ライツが値上がりを始めた。7000万が1ヶ月で7200万に。更に翌月には7500万に……ちまちま貯めてたって追いつけねぇ。そんでライツ取引に手を出した」
みおは、あちゃー、と痛みを堪えるように瞳を閉じた。
「ライツが値下がって欲しい、なんて無理筋の願望抱えたまんま、取引なんてやるもんじゃねぇわな? 先生は自分の分のライツまで使い込んで、結局首を吊った。一応何千万かは残ってたから、子供らで分けた。はい、この話おしまい」
「じゃ、その前は? 施設に入る前はどうだったにゃ?」
「10歳の頃、心的外傷後ストレス障害(PTSD)だって医者に言われた以前の記憶がまるでねぇ。なんか嫌なことでもあったんじゃねぇの? ま、身体にあざはなかったから、暴力受けてたって訳じゃねぇんだろうけど」
「にゃにゃ……聞いてすまんかったにゃ……」
「割れたグラス」
「にゃ?」
「かなり凝った細工がしてあったな。清掃へのチップ、マタタビ酒とウーロン茶代で800円だったか。かなり安いよな? ――ほら、見ろよこのタクシー。さっきから市内走り回って、料金メーターはまだ100円にもなってねぇ」
マイフェアレディが世界を制覇して5年。全ての労働はアンドロイドが代行するようになり、人間の出る幕はなくなった。ライツさえあれば、収入が得られ、生活ができる。それが今の時代だった。
「こんな世界で働いたってたかが知れてる。そもそも働かせてくれねぇだろうが」
釣り竿で釣りはできるが、網で漁業はできない。家庭菜園はできても、畑はできない。趣味でやる分には楽しいが、仕事にした途端、割に合わずにつまらなくなる世の中だ。
「ベーシックインカムに頼らず金を手に入れようと思ったら、市場取引か賭博しかねぇ。いずれにせよこの身ひとつと500万が全て――でもねぇか、高校までの学費は先払いして逝きやがった。要らんことしやがって――何回学費の払い戻しを考えたか分からねぇよ」
「文句言いながらも通ってるらしい辺り、義理堅さはあるようにゃ」
「はは、義理堅さか。んな大層なもんじゃねぇだろ。お前だって分かってるじゃねぇか」
「にゃ? 何をにゃ?」
「お前そんなことも知らずに勝負してたのか? だろ?」
猫語尾は真似しない。決して。
「にゃにゃ、隙あらば一本取りに来るやつにゃ」
みおは、運転手に声を掛けた。
「やっぱ、目的地、郊外の私の屋敷にして欲しいにゃ!」
「了解しました」
「はぁ!?」
「にゃふふ。良い拾い物したにゃ。持って帰ることにしたのにゃ♪」
「おいおい、酔っぱらってんのか? なんで俺がついていく必要がある?」
「あれぐらいで酔っぱらうほど弱くないにゃ。衣食住と……あと、お前が傷付けられたら私が訴えてやるにゃ。気休め程度の護身にはなるんじゃないかにゃ?」
条件としては悪くない。衣食は比較的安いが、住処の確保はそれなりに掛かる。ライツさえあれば自分の住居を持つことは難しくないため、家族でも恋人でもないルームシェアは珍しいが……1人当たりのコストは下がるだろう。後者の護身的な意味合いも得難いものではある……だが。
「お前に何のメリットがあるんだ?」
「損得だけで考えるのは悪い癖だと思うがにゃ……今まで私が何匹の猫を拾ってきたと思ってるにゃ?」
「ペット扱いすんじゃねーっつのっ」
「まぁ、強いて言うなら勘かにゃ? 一番得意なギャンブルはルーレットの一点賭け、この私の勘が囁いているにゃ! これでオスの三毛猫拾ったこともあるぐらいにゃ」
「知るかそんなもん」
こうして人間未満の少年は、ペットとして(?)拾われることになったのである。